年齢とともにボキャブラリーが怪しくなってくるのは、どうやら致し方のないことらしい。
ところが、年を重ねるごとに、原稿依頼の仕事が増える。
先に書き上げなければならない原稿が山積していて、自分が書きたい本の原稿が書きかけのまま1年以上ほったらかしになっている。
それなのに、今日も原稿の依頼があった。
出来ればやりたいのだが、受けてしまって迷惑をかけることになっては申し訳ないので一旦は断りかけた。
しかし、スケジュールは合わせるからと言われ、保留にしてある。
ありがたい悩みではある。
ぼくの書く原稿は、読者対象を中高生にしているものが多いので、難解な言葉は出来るだけ使わないようにしているのだが、それがけっこう難しい。
例えば、「金輪際(こんりんざい)」とか「唐変木(とうへんぼく)」などと言う言葉は、若者には理解できないから優しい言葉に置き換えてくれと出版社からいわれたりする。
「金輪際」をただ「決して」とか「絶対に」とか言ってしまえば情緒もへったくれもない。「唐変木」を「わからずや」とか「まぬけ」に置き換えるのもそうだ。
「金輪際」は金輪際以外のなにものでもないのだ。
もし若者がこれらの言葉を理解できないとするならば、年を取ってボキャブラリーが怪しくなって来た我々以上にボキャ貧ということになる。
それでは困るのだ。
若者には知らない言葉を覚えてもらう必要もあるのだから、多少難解と思われる言葉も残しておきたいものだ。
最近とみに、原稿を書いていて「もっといい言葉があったはずだなあ」と思いながら、それが浮かばないことがある。数年前まではスイスイ出て来た言葉がふと消え去っているのだから始末が悪い。
そんな時ほど自分を情けなく感じることはない。
しかたなく、類語辞典をひもとくことになる。
以前はこのような辞典の世話になることは恥だと思っていた。だから、持っていても実際にはあまり使わなかった。
そんな折り、何かの本で『美味礼賛』を書いたブリア・サヴァランが、豊かなボキャブラリーを維持するために、類語辞典を大いに活用しているというのを読んだ。
真実かどうかはわからないが、非常に元気づけられた。
類語辞典を使うということは決して恥ではないのだと知ったのだ。
そこで、せっかくあるものを活用しない手はない。
最近は座右に置いてせっせと役立てている。
写真左の、角川書店発行の『類語国語辞典』は以前から所有していたもので、手頃なので非常に役立てている。
右の、講談社発行の『類語大辞典』、数年前に新聞広告で見て買い求めたものだ。
ところがいざ使ってみると、小型の角川版の方が数倍使いやすい。
今はすっかり電子辞書に取って代わられた、あの大冊の『広辞苑』に慣れていたので、大きさの問題ではない。
あきらかに目的の言葉の見つけやすさが違うのである。
大字典の方が当然語彙が豊富で説明も適確なので、なんとか活用したいのだが、なぜだかどうもなじめない。
角川版の縦組に対して、大字典が横組のせいもあるのかもしれないが、それだけではない気もする。
まあ、慣れの問題かもしれないが。
それはさておき、類語辞典をながめていると実に様々な発見がある。今更ながら何と知らない言葉の多いことか。
似たような言葉なのに、微妙にニュアンスが異なる。
同じような意味の言葉が整然と並べられているところに、日本語の味わいの深さを感じずにはいられない。
原稿を書きながら無関係なページにはまってしまって、余分な時間を取られるのが悩みの種ではある。
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