ひまわり博士のウンチク

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大江健三郎「定義集」より

2007年11月21日 | 日記・エッセイ・コラム
Teigishu

 大江健三郎氏が朝日新聞に執筆しているコラム「定義集」(11月20日付)は、大江さんの側から見た大阪地裁での裁判の様子がとてもわかりやすく描かれていました。
 すでに新聞にニュースとして掲載された内容を、より具体的に裏付けるものでもありました。

 大江氏は、大阪へ向かう新幹線の車内で、紅葉を楽しむ暇もなく原告側の陳述書や大量の書証に目を通し、その上で法廷に立ったそうです。

 「定義集」を読んでわかったことは、原告側の告訴理由が『沖縄ノート』にあるのではなく、どうも曾野綾子氏の『ある神話の背景??沖縄・渡嘉敷島の集団自決』に書かれた『沖縄ノート』に関する記述にあるのではないか、と思えるのです。
 原告側は曾野綾子氏の意見を元に「赤松元大尉を『罪の巨塊』などと《神の視点》に立って断罪……」とか「『自分は平和主義者だが、世間にはこのような悪人がいる』というかたちで赤松元大尉を断罪……」と言っているが、慶良間列島の守備隊長を、大江氏が『沖縄ノート』の中で「極悪人」呼ばわりした事実はないこと。
 また、曾野綾子氏は「『巨きい罪の巨塊』という最大級の告発の形を使うことは……」と「巨きい罪の巨塊」があたかも守備隊長をおとしめる言葉であるかのように書いていることについても、これが誤読であると指摘しています。
 この部分は『沖縄ノート』の210ページにある「人間としてつぐなうには、あまりに巨きい罪の巨塊のまえで、かれはなんとか正気で生き伸びたいとねがう」という箇所です。
 「かれ」とは渡嘉敷島の守備隊長で、「巨塊」は「巨きい数の死体」を意味する言葉。したがって、「『かれ』が『巨きい罪の巨塊』では文法的にムリがある」と述べています。

 しかも、原告の一人、赤松秀一氏は、『沖縄ノート』を知ったのが、曾野綾子氏の著書を通じてであって、『沖縄ノート』は入手したものの飛び飛びにしか読んでいないと明言しているそうです。
 どうも原告は『沖縄ノート』を直接読んで腹を立てたのではなく、曾野綾子氏の著書を読んで腹を立てたと見るのが妥当なようですね。

 中学校や高校でよくけんかの元になるのは告げ口や悪口。
 「○○がお前のことこんな風に言ってたぞ」
 いっぱしの大人なら、その張本人に確認してから腹を立てるものですが、子どもは言いつけたのが仲良しだったりすると、告げ口や悪口の方を信じてしまうことがしばしば。

 さて、この裁判の原告、肝心の『沖縄ノート』は読まず(このぶんでは、もう一つの訴訟対象である家永三郎の『太平洋戦争』も読んではいないでしょう)、本人にも出版社にも抗議することなく、とんちんかんな悪口本をそのまま信じ、味方のふりをした歴史歪曲グループなどの周囲から持ち上げられての告訴。
 どうやらおじいちゃんたち、この期に及んで恥をかくことになりそう。
 まあ、何をか言わんや、です。

 ところで、ぼくは曾野綾子氏の『ある神話の背景??沖縄・渡嘉敷島の集団自決』は読んでいません。こう言うと「おまえだって読まずに論評しているじゃないか」というようなお叱りのコメントやメールが来そうですが(たいてい来ますね)、こういう批判はお門違い。断っておきますが、ここに書いたのは曾野氏の著書に対するぼくの論評ではありません。大江さんの考えに同意して書いたものです。
 だいいち、曾野氏の著書が論評に値するとも思っていません。

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