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ひまわり博士のウンチク

読書・映画・沖縄・脱原発・その他世の中のこと

『安田講堂の攻防』~インターナショナル

2009年01月15日 | テレビ番組
 昨日(14日)の「日本史サスペンス劇場」(日テレ)は「特別企画“東大落城”』と題し、今からちょうど40年前の1969年1月、東大を占拠した全共闘の学生と、機動隊の攻防戦をドラマ化しました。

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 前年の医学部闘争で医学部の校舎を占拠した学生を排除するため、当時の大河内一男総長が警察力の導入を求めたことから学生の反発を招きました。
 これに端を発し、授業料の値上げ反対闘争、70年安保改定反対闘争など、東大紛争は拡大し、学生運動は全国の大学に広がるきっかけになりました。
 
 安田講堂事件とは、東大の全学封鎖にむけて安田講堂や工学部列品館などをを占拠した数百人の学生によるバリケードを解除するために、およそ8000人の機動隊との間で繰り広げられた攻防戦です。

 学生は投石、火炎瓶などで抵抗し、機動隊は催涙ガス弾、放水、ヘリからの催涙ガス攻撃など、まるでパレスチナとイスラエルのような規模の違いがありながら、学生たちは二日間占拠し続けました。

 「火炎瓶」というのは、ビールビンにガソリンを詰めて、ガーゼなどの吸い込みやすい布で口を塞いだもの。
 布に着火して投げると、落下地点で瓶が割れて火が広がります。
 ガソリンなので、取扱いに気をつけないと爆発します。

 これを機に、学生運動は一層拡大しましたが、70年に安保条約が改定されてからはその多くが挫折。それまで全共闘として連帯を組んでいた各派閥は、中核と革マルの闘争など、いわゆる内ゲバにエネルギーがそそがれ、そして一部は連合赤軍や日本赤軍など極端な活動によって大衆から乖離し、学生運動は急速に衰えて行きました。

 番組は、学生運動を否定的には表現していません。
 当時の社会背景から、現代への問いかけがなされていたことに好意を感じました。
 陣内孝則演じる機動隊の司令官が、東大陥落後、こんな言葉をつぶやきます。
 「私は彼らに憎しみも恨みも感じない、それよりも、学生たちをここまで追い詰めたのはいったい何なのかと思う。このこと(失敗)で、未来の学生たちから気力が失われはしないだろうかと、それが心配だ」

 警察官がこんな気のきいたことを言うなど信じられませんが、まさに現代は「学生たちから気力が失われ」ています。

 派遣切りや高齢者いじめが政府主導で行なわれているような現代は、それに抵抗する勢力が失われたからに他ならないでしょう。
 当時現場を指揮した警視庁の佐々淳行が番組の終盤、「若者は怒らなきゃ。40度は困るが38度くらいの熱は出して欲しい」と言った言葉が印象的です。
 当時の彼の対応を考えると、「よく言うよ」という感はありますが。

 学生運動が大衆運動として発展しなかった最大の理由は、一言でいえば数の問題。彼らに賛同しともに行動する人々が何万何十万といたならば、違った結果になったことは間違いありません。

 なぜそれができなかったか。それは学生たちが、自分たちだけのイデオロギーに固執したことです。もっと広範な大衆に受け入れられる柔軟さがあったら、違ったかたちで闘争は拡大したでしょうが。
 連帯する以前に突っ走ってしまったことが失敗ですね。
 それより重要なのは、活動家たちはあの失敗から何を学んだのか、という疑問が残ります。さらなる発展につなげる活動家が現れなかったことが、今の状況を生んでいるのではないでしょうか。

 また、学生運動に否定的な人が少なくありません。それはいわゆる“新左翼”の末期、よど号事件の「赤軍派」や、浅間山荘事件等の「連合赤軍」の暴挙が印象に残っている場合が多いようです。
 しかし、本来の全共闘の闘争方針はアピールと学園ロックアウトであって、暴力的な攻撃にはありませんでした。
 火炎瓶や投石は、機動隊の放水や催涙弾攻撃に対する抵抗です。したがって、一人でも怪我人が出れば停戦撤退しました。
 全共闘と機動隊の対立は、まさにパレスチナとイスラエル。規模が違いすぎる紛争でした。

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 この年、東大紛争を記録した本が2冊出ています。
 一冊は安田講堂事件が起きる直前に発行された、東京大学新聞研究所・東大紛争文書研究会編『東大紛争の記録』(日本評論社 1969年1月15日)で、安田講堂事件直前までの記録が掲載されています。

Toridenoueni

 もう一冊は、同年4月10日に発行された東大全学共闘会議編『砦の上にわれらの世界を』(亜紀書房)です。こちらは多くの写真や図版を掲載し、650頁を越える詳細な記録になっています。
 この本は当時、日大闘争を記録した『叛逆のバリケード』(三一書房)とともにベストセラーになりました。


 ところで、番組の中で「インターナショナル」が何度か学生たちによって歌われます。
 「この歌聞くのひさしぶりだなあ」
 ぼくが言うと、そばで見ていたカミさんが、
 「これ、東大の歌?」
 那由と二人でずっこけました。

 そういうカミさんですが、「みんな生き生きしてていいなあ、一緒にやりたかった」。
 で、「那由(もうすぐ高校生の長女)はどう?」と水を向けると、「たぶんやってる」。
 わが家の女性たちは「過激派」です。

Mononoke

「インターナショナル」を久しぶりだと言いましたが、「ソウルフラワー・モノノケサミット」というバンドがロックで演奏していてCDも出ています。

 「インターナショナル」は『レヴェラーズ・チンドン』に入っていて、もう1枚の『アジール・チンドン』には「聞け万国の労働者」が入ってます。

【リンク】「昔話ですが…「全共闘」」

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50年ぶりの「私は貝になりたい」

2008年11月24日 | テレビ番組
Kaininaritai

 もう見る機会はないとあきらめていた、1958年放送のドラマ『私は貝になりたい』がDVDになったということで購入し、今日50年ぶりに見ました。

 以前見たときは中学1年で、父親に勧められるままに付き合ってみていたものですが、それでも普通の庶民が一通の召集令状がきっかけで絞首刑にされるまでの物語を、深刻な気分で見ていました。

 父親から感想を求められ、こんな会話があったことも、正確ではありませんが記憶しています。

 「アメリカはちっとも日本のことを分かっていない。あんな裁判で死刑になった清水豊松は気の毒だ」
 「そういう見方をしてはいけない。確かに裁判はいい加減だが、重要なのは、どうして普通の庶民の豊松が戦犯で絞首刑にならなければいけなかったかだ。それは裁判のせいだけではないだろう。考えてみなさい」

 当時のぼくには、父親が言わんとする意味がよくわかりませんでした。
 この物語の背景には、殺すことも殺されることも全否定し、一切の武器を放棄して戦いを拒み、究極の平和を願う姿があります。そして、それを許さなかった、日本帝国主義の犯罪があるのです。
 そのことがおぼろげながら分かるようになったのは、高校生になってからのことでした。

 この、ドラマ版『私は貝になりたい』の中には、いくつかの重要な台詞が込められています。
 豊松が捕虜を刺殺する直前のシーンで、指令本部の高級士官が捕虜を「処分せよ」と命令するところがあります。つまり、この国際法違反の事件が、前線の部隊が一存で行った行為ではなく、日本軍全体の意志として描かれていることです。

 もう一つ、当時早くも再軍備が叫ばれていたこともあり、それを牽制する意味もあったと思われる次のような台詞を、豊松に捕虜の刺殺を命じた上官に語らせています。

 「今度の憲法で一番いいと思うことは、もう絶対軍隊のようなものをもたないというところだよ」

 当然、憲法九条のことを言っているわけで、これも重要な台詞です。

 たしかにBC級戦犯裁判はむちゃくちゃなもので、このドラマにもある通り、通訳が被告の釈明をちゃんと裁判官に伝えていたのかどうか疑わしく、また、日本軍の指揮系統についても十分調査がなされないまま極刑が下された例も少なくありません。
 しかし、だからといって、BC級戦犯の悲劇を裁判だけの問題に閉じ込めてしまうことは誤りです。
 中には当然、相応の判決が下された例も少なくありません。したがって、裁判のすべてを否定してしまうことは、東京裁判(極東国際軍事裁判)の否定にもつながりかねず、それは靖国派の思うつぼになります。
 このあたりについては、林博史氏や田中宏巳氏をはじめ、多くの優れた著作があるので、そちらに譲ることとします。

 このドラマは、むちゃくちゃな裁判だけを描いているのではなく、そうした悲劇の向こう側にある、軍国主義および戦争そのものへの批判が描かれています。

 「どうしても生まれ変わらなければならないのなら、私は貝になりたいと思います。貝なら深い海のそこの岩にへばりついて、なんの心配もありませんから」

 これは、戦うことを全否定した、原作者加藤哲太郎の魂の叫びです。

             ◇

 先頃、中居正広主演で映画が封切られ、テレビで大々的に宣伝が行われています。
 しかしこの中居版『私は貝になりたい』を、ぼくは今ひとつ積極的にみたいと思わないのです。
 先のドラマが公開された1958年当時と比べ、現代はひどく表現が制約されている感じがしてなりません。
 はっきりと反戦がテーマになっているのか、心配なのです。

 一番恐れるのは、何も分からない中居正広ファンに、「アメリカにいじめられて中居君かわいそう」みたいな捉えられ方をしてしまうことです。「やっぱり、戦後の裁判は不公平だったことが分かりました」というような感想だけならば、この映画は失敗です。
 原作(『私は貝になりたい』春秋社)を読めば分かりますが、加藤鉄太郎自身は、はっきりと天皇を頂点とした、日本帝国主義に対する批判として、この本を書いています。

 戦争と日本軍の犯罪をきちんと見極めることなく、ただ軍事裁判の否定のみにおちいってしまうと、「日本無罪論」に通じ、究極的には靖国史観の肯定にまで至る恐れがあります。

 映画ではどこに焦点が当てられているか、ぼくはまだ見ていないので論評はできませんが、中居正広が所属するジャニーズ事務所がどのような条件で出演を許可したのか、それにも興味があります。

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またしてもジャック・バウアーが!

2008年10月01日 | テレビ番組
Jack_bauer

 『24』のシーズンVIが先日からフジテレビの地上波で始まり、全24回を10夜にわたって放送しています。
 (今日は休み)
 1夜2夜は3話ずつ放送され、深夜の番組なので全部見ていると4時頃までかかってしまいます。
 そこで、見ながら同時に録画しておいて、見られなかった分は翌朝見ています。
 その分新聞を読む時間が短くなりますが。
 
 ご存知の方も多いと思いますが、テンポがよくスリリングで、ずっと緊張感が持続するのでとにかくおもしろい。
 1話終わればどうしても次が見たくなります。
 いや、見ないでいられなくなります。
 見ないでいると、トイレを途中で切って出て来たようで、何とも居心地が悪い。

 ドラマの時間と実際の時間がほぼ同時進行で、Iシーズン24話はちょうど24時間をあらわしていて、その時間内に起きる出来事が、シーンを変えてフラッシュバックで話が進んでいきます。
 昔人気があったマンガの『巨人のなんちゃら』のように、ピッチャーが1球を投じるのに1週間もかかるような間延びしたものではありません。

 全24話のDVDを一度に借りた友人が、食事もせずにテレビにかじりついてしまったという話も聞きました。

 実は、ぼくはシーズンIを見た後、II~Vは見ていなくて、飛ばしてVIを見ています。
 仕事が忙しくなり、II以降を見る機会を失っていたところ、突然地上波でVIを放送、というわけなのです。

 見ないわけにいかないでしょう。

 順番に見ても途中から見ても、シーズンごとに見る分にはおもしろさに変わりがないと聞いたので、勇気を振り絞って見始めたら、それはそれでおもしろい。

 『24』はカミさんも好きで、普通のドラマや映画だと必ず途中で居眠りをするのに、これだけは目を皿のようにして見ています。
 終わるとさっさと寝室に行って、5分もしないうちにいびきをかいています。

 ジャック・バウアーは一睡もせず、食事もとらずに頑張っているので、見ているほうも眠いのくらいは我慢しなければいけないかもしれません。(そんなことはないか)

 ジャック・バウアーのおかげで、しばらくは寝不足になりそうです。

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すっかりはまりました。「Prison Break」

2008年01月18日 | テレビ番組
Prisonbreak1

 最初、ある映画のレンタルDVDに「第1話」がおまけでついてきて面白そうと思って記憶に残っていたら、しばらくして、ケーブルテレビのFOXで放送が始まり、それを毎週見るのが習慣になっていきました。
 そのうち、ぼくよりもかみさんが夢中になって、見られない時にはビデオにとっておいて欠かさず見ました。
 元々かみさんは、スパイものやアクションものが大好きで、ミッション・インポッシブルの大ファンです。

 ところがこの『プリズン・ブレイク』、日本の連続ドラマと違って、長い!
 「これ、何回まで続くんだろう」
 「すごく長いみたいだよ、レンタルDVDでズラーって並んでたから」
 「ズラーって、何回ぐらい?」
 「わかんない、ものすごくいっぱいある。100回ぐらいあるかなあ」
 そんなにはない。

 いつまでも終わらなかったらどうしようと思いつつ、毎回緊張の連続で、次はどうなる、次はどうなる、と、22回もあるシーズン1をケーブルで全部見てしまいました。

Prisonbreak2

 シーズン1は、アメリカの巨大組織の陰謀に巻き込まれ、無実の殺人罪で死刑の判決を受けた、いささか素行の良くない兄リンカーンを、弟マイケルが刑務所から救い出すために、自らわざと犯罪を犯し、同じ刑務所に入監して脱獄を計画します。
 この弟は、『神聖喜劇』の東堂太郎みたいに、ものすごく頭がいい。建築技師で、じつは入監された刑務所の設計に携わっていたのです。
 事前に、刑務所の設計図を自分の身体にタトゥーですべて彫り込んでいました。
 ほんとうは、兄と二人だけで脱獄するつもりが、さまざまな成り行きから、脱獄はなんと、最終的に8人の大集団に。

 兄をはめた巨大組織は、アメリカの軍事利権をコントロールする裏組織で、大統領さえもその手のうちに囲い込んでいます。アメリカの裏のドロドロが、たくさん出てくるドラマです。
 組織の手先はFBIの中にもいて、誰を信じていいのかわかりません。刑務所の外で、リンカーンの無実を証明しようと奔走する弁護士やその友人たちなど、秘密に近づこうとする人間は、組織によって次々に消されていきます。

Prisonbreak3

 シーズン1は8人が脱獄に成功するまで、そしてシーズン2(22回)。こちらは秋に日テレで放送していたようですが見逃してしまったので、レンタルDVDで見ました。
 脱獄した8人はそれぞれ自分勝手に逃走を続けます。兄弟は、逃走しながら巨大組織と対決し、リンカーンが陰謀にはめられたことを証明するために闘います。
 金と自由、逃亡者たちの欲望が複雑に絡み合い、そこに彼らを抹殺しようとする巨大権力組織の手が伸びてきます。

 シーズン1にもまして、シーズン2は面白くなっています。当初、シーズン2で完結する予定だったそうですが、あまりの大人気にシーズン3(10回)を追加。こちらは今アメリカで放送中です。

 このドラマ、最近の日本の政界を見ると、アメリカばかりとは言えなそうでこわいです。

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ETV特集「裁かれなかった毒ガス作戦」

2007年09月03日 | テレビ番組
 既に案内をもらっていたのに、ようやく放送を見ました。
 既にBSハイビジョンでは先月(10日と13日)放送されていた番組の地上派放送です。(9月2日pm10:00 NHK教育)
 旧日本軍の遺棄毒ガスによる被害者は、日本政府を相手取って損害賠償の請求訴訟を起こしていました。しかし判決は、日本軍が毒ガスを遺棄したことを認めていながら、「回避できる状況になかった」という訳のわからない理由から原告の申し立てを認めませんでした。
 この、7月18日の「不当判決」から、番組は始まっています。

 米国の映像資料を含む、中国取材、生存者の証言など、NHKという大組織でなければできない、十分予算をかけた番組製作で、実にうらやましい限りです。

 アメリカが日本を攻撃することを目的に毒ガスを準備していたことは知っていましたが、広島に原爆を投下する5日後に、九州上陸作戦(オリンピック作戦)を計画していて、31か所もの地点で毒ガスを使用することも作戦に含まれていたことは、知りませんでした。
 準備された7万個ものドラム缶が並んだ風景は、大久野島の毒ガスの比ではありません。

 また、北坦村の地下道の入り口や、それが実際どのようなものであったかもリアルな映像で映し出され、今まで資料などで見ていたのとは違って、実在感がありました。

 監修に、吉見義明教授や粟屋賢太郎教授が加わり、精度の高い特集になっていました。

 こんな調子で番組作りを続けてくれていたら、受信料を払ってもいい状況に近づくかも。

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「たったひとつの命だから」朗読会in東京
久留米のコミュニティーFMの番組に寄せられた「たったひとつの命だから」という言葉に続けて書かれたたくさんのメッセージ。番組パーソナリティの岩坂浩子さんの朗読と堤朱美さんによるオリジナルのピアノ伴奏の絶妙なコラボレーションで、心洗われるステージをお届けします。
日時:2007年9月30日 (日) PM7:00~9:00
場所:なかのZERO小ホール(JR中央線中野駅徒歩10分)
定員:500人  
会費:当日2000円
お申し込み:お申し込み:地湧社まで電話またはFAX、e-mailにてお申し込みください。
主催:地湧社&ワンライフプロジェクト

東京都千代田区神田北乗物町16
Tel.03-3258-1251 Fax.03-3258-7564
E-mail jiyusha@jiyusha.co.jp

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日TV『私は貝になりたい』

2007年08月25日 | テレビ番組
 24日午後9時から日TVで放送された『私は貝になりたい』を見ました。
 テレビドラマとしては過去に2度、(1958年、1994年、ともにTBS)放送されました。

 1958年はTBSがラジオ東京テレビと言っていた時代で、まだ白黒。主演はフランキー堺でした。
 このときの印象は強烈で、米軍主導による裁判で日本の命令系統が理解されないことに、憤りというよりは悲しみを感じたものです。
 リメイク版はよくできていたし、主演の所ジョージも好演であったと記憶していますが、最初ほどの衝撃はありませんでした。
 しかし、その分、BC級戦犯がA級戦犯とはかなり異なることに気付いたのです。そこで、多少調べてみると、女性への犯罪や捕虜虐待がその多くだと表現されていて、ずっとぼくもそう思っていました。
 しかしその後、近代史を仕事として調べる機会が増えるにつれ、略奪や毒ガス・細菌兵器にかかわる戦犯も数多く存在することがわかってきました。そして、裁かれた戦争犯罪と裁かれなかったそれがあることも。

 今回の放送は、過去のドラマとは異なり、実在する原作者であり元BC級戦犯の加藤哲太郎氏の戦中戦後をドキュメンタリーとして描いたものです。(一部登場人物の名前が実際とは異なっていました)
 内容はいささか米軍の理不尽さばかりが目立ち、作者がBC級戦犯として巣鴨プリズンに死刑囚として収監されるにいたる第一原因、旧日本軍の在り方があまり表現されていません。
 また、加藤氏が所属していた新潟の捕虜収容所が、どれだけ非人道的なものであったかという、当時の日本の軍部を象徴する部分がまったく描かれていません。

 「天皇は、私を助けてくれなかった。私は天皇陛下の命令として、どんな嫌な命令でも忠実に守ってきた。……もうだまされません。あなたとの貸し借りはチョンチョンです。あなたに借りはありません。もし私が、こんど日本人に生まれかわったとしても、決して、あなたの思うとおりにはなりません。……」(加藤哲太郎著『私は貝になりたい』春秋社刊)

 原作には、ここに加藤哲太郎の叫びが集約されています。しかし、この部分は今回のドラマでは表現されていません。まあ、日TVですからしかたないかもしれません。
 点数をつければ、50点というところでしょうか。

 BC級戦犯は複雑です。望まぬ戦争に参加させられ、殺したくない人間を殺して死刑判決を受けた人も少なくありません。だからといって、責任の軽重はともかく、それがすべて「戦争だから」という言葉で許されるものではありません。
 しかし、裁かれるべき人間が裁かれず、裁かれる必要のない人間が裁かれたのが、戦犯裁判でした。それは戦勝国アメリカの、さまざまな思惑が絡んでいることが、最近ではかなりわかってきています。
 例えば中国大陸で何千もの生きた人間を生体実験した731部隊の石井四郎はA級戦犯でありながら裁かれず、南京事件の松井石根は死刑になったように。したがって、それぞれの配下のBC級戦犯も結果に差がありました。
 人体実験のレポートとひきかえに731部隊は不問に付されました。
 毒ガスを兵器として採用したかったアメリカは、日本の毒ガス犯罪に対してとがめようとしませんでした。(吉見義明『毒ガス戦と日本軍』岩波書店)

 A級戦犯を裁いた東京裁判(極東国際軍事裁判)は被告が28人でそのうち死刑が7人。それに対してBC級裁判は7カ国によって約5700人が裁かれ、死刑は934人に上っています。歴史では東京裁判ばかりがクローズアップされがちですが、BC級裁判について知っておくことは、アジア太平洋戦争から戦後の占領政策を知る上でかなり重要だと思います。

 ここに2冊の本を紹介しておきます。
KainiBcsenpan

 1冊はこのドラマの原作にもなった、加藤哲太郎著『私は貝になりたい』春秋社刊。
 もう1冊は、林博史著『BC級戦犯裁判』岩波新書です。

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日時:2007年9月30日 (日) PM7:00~9:00
場所:なかのZERO小ホール(JR中央線中野駅徒歩10分)
定員:500人  
会費:当日2000円
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TVドラマ『はだしのゲン』を見ました

2007年08月11日 | テレビ番組
Hadashinogen 読んだことはなくても、『はだしのゲン』の存在を知らない人はほとんどいないと思います。
 それくらい有名な作品。
 物語は、著者中沢啓治の実体験をもとに作られたそうです。

 今日(10日)と明日、フジテレビでドラマをやります。さっき、今日の放送分、前半を見終ったところです。
 前半はマンガの、ほぼ第一巻まででした。ぼくは今から30年ほど前に、とりあえず4巻まで買って読み始めたのですが、この1巻を読んだだけで、あまりの悲惨さに先が読めませんでした。
 父親と弟が、原爆で破壊された家の下敷きになり、助ける術もなく迫る炎に生きながら焼かれるシーンは、自分の感情がどうにもなりませんでした。

 で、そのまま10年。性格的に読む読まないはともかく、本は全巻揃っていないと落ち着かないもので、既刊分10巻を揃えようと思ったら、これが容易でありません。置いてないんです書店に。
 どうも、天皇の戦争責任を問うような内容が、でっかいスピーカーをつけた車に乗った人たちにはお気に召さなかったようで、出版社にも書店にも相当じゃまが入ったとか。

 もともと、同じような理由から、連載の少年ジャンプは打ち切り、単行本として完結するまで12年もかかっています。
 神田の古書店で残りの6冊を購入、改めて読み直しました。しかしそれも、今から10年以上前のことで、最初のショックだったシーンを除いて、ストーリーはあまりよく覚えていません。
 写真の本の背中の色が、4巻までと5巻以降で違っているのはそのため。

 今日、ドラマを見て、特に子どもたちにこそ見て欲しいと思いましたが、まあ、見ないだろうなあ。
 
 一貫して、戦争の悲惨さと馬鹿らしさを語り続けており、とくに、国中が戦争一色に染まっている時に、戦争に反対することがどれほど勇気がいることなのかが分かります。
 「父ちゃんは腰抜けだ!」と捨て台詞を残して長男は出征する。マンガにはそんな台詞はありませんでしたが、これを言わせることで、本当の勇気とは何なのかが浮き立ちます。

 当時の軍国主義教育によって、国のため天皇のために死ぬことが正義だと、心から思い込まされていた人が少なくありません。
 また、反戦的な考えに対して、軍隊や警察だけでなく、学校や職場、さらには近所の人々からまで圧力を加えられるように、システムが徹底しているのです。
 
 そうした、「ご近所さん」たちが「隣組」なんですね。
 「とんとんとんからりと、隣組
  ……助けられたり助けたり」
 なんて大ウソ。タレ込み合いの悪口の言い合いです。

 アホ・シンゾーはそのような国を「美しい国」といっています。バカです。

 『はだしのゲン』は原爆の悲劇性ばかりが際立ち過ぎるという批判がありますが、どんなに描いても描ききれないのが原爆の悲劇だと思います。そして同時に、この戦争をひき起こした責任は、当然、天皇がまっ先に負わなければなりません。なぜなら、天皇だけが、戦争を始めることも止めることもできたのですから。

 また、戦争を語る時に、日本人は被害者であると同時に加害者であることも忘れてはなりません。それらすべてを含めたとき、戦争はそのどちらにとっても悲惨なものなのです。

 ところで、『はだしのゲン』の第10巻最後に、「第一部 完」とあります。
 ということは、第2部以降も続ける予定があったということ…?。

 非核三原則の法制化を進めましょう。
 憲法の改悪に反対しましょう。
 自衛隊を正当化するために憲法九条を返るのではなく、自衛隊から軍備をなくそう。

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 「原爆症認定訴訟」熊本地裁判決に国が控訴

 まったく、信じられません。アホ・シンゾーはどこまでアホなのか。
 まあ、政治屋さんたちが国会を牛耳っている限りは、国民が幸せになることはないでしょう。
 まさに「人々を幸せにしない、日本というシステム」(ダグラス・ラミス)です。

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「ライアー・ゲーム」最終回

2007年06月23日 | テレビ番組
●資本主義社会の中の共産主義者
 資本主義社会の中の少数派、「共産主義者」。
 神崎直はまさにそれ。
 共産主義というと旧ソ連や中国を思い浮かべる人が多いと思います。重苦しく、秘密主義で、自由のない国が共産主義の国だと信じている人は少なくありません。

 事実、過去に共産主義国として存在した国のほとんどがそんなマイナスイメージの国々でした。

 あの国々は、本当に共産主義の国だったのでしょうか。今の時代から見ると、どうも違うような気がします。カール・マルクスの言う共産主義とは、どうも違う気がするのです。

 神崎直は言います。
 「自分だけが儲けようと思わなければ、みんなが幸せになれるじゃありませんか」

 しかし、欲にかられた参加者たちは、億単位のカネを奪い合い、結局破滅していきます。
 ところが、ゲームに勝って莫大な賞金を手にしたとしても、それはなんら幸せを保証するものではありませんでした。

●小金持は大金持ちの手の内
 そんな参加者たち、億単位のカネを奪いあっている人間たちを高いところから見ている人間がいます。
 一億や二億などはした金という超大物が、実際この世の中には存在します。
 何億か手にして勝ち組になったと浮かれていても、しょせんはそんな大物の手の内から逃れることはできません。
 ホリエモンや村上ファンドを見ればわかりますね。調子に乗ると、簡単につぶされます。

 超大物になるような人間は、一瞬たりとも決して他人を、家族さえも信じない、すべてが自分の利益最優先で生きている人間です。
 『華麗なる一族』万俵大介のような。いみじくも、万俵大介もライアー・ゲームのオーナーも北大路欣哉でした。

●「成功者」が恐れること
 その、まるで地球さえも手玉に取っているかのような「成功者」でも恐れていることがあります。

 「あなたは、神崎直が勝つことを恐れているんじゃありませんか」

 すべての人が、「自分だけが儲けること」をやめてしまうと、それまで培ってきた地位や財産を否定されることになるからです。それはそのまま、資本主義の崩壊を意味しています。

 つまり、資本主義というのは、人々が「自分だけが儲けること」をやり続けることで成り立っているわけです。

 したがって、ブッシュ大統領がゴア氏を評して「経済より環境が大事だという、まったくいかれている」という言葉は、資本主義の中では「正論」なのです。環境や福祉を最優先にしていては、資本主義は成り立ちません。

 いくら自分が正直であっても、きっと誰かに裏切られ、自分はだまされる。だから、一生他人は信じず、だまし続ける。資本主義というライアー・ゲームに終わりはありません。

●共産主義に最も近い国
 共産主義国と名乗らなくても、共産主義の理想に近い国は存在します。デンマークやスウェーデンなどがそうです。
 税金は非常に高い国です。しかし、病気になっても年をとって働けなくなっても、すべて国が保証してくれます。

 「万人は能力に応じて、万人には必要に応じて」(カール・マルクス『ゴータ綱領批判』)

 しかし、この日本では、神崎直(共産主義者)の味方になるには大変な勇気がいるようです。
 そして、秋山のような助けはほとんど期待できません。

 でも、この国に住むほとんどの人々の心には、神崎直が住んでいると信じています。

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『沖縄戦“集団自決”の真実は』

2007年06月21日 | テレビ番組
 G出版社から連絡が入って、NHKで『沖縄戦“集団自決”の真実は』という番組があることを知りました。
 今年、教科書検定で、沖縄戦の集団自決に軍が関与していたという内容に「検定意見」がつき、来年から使われる高校教科書が修正を余儀無くされました。
 これに対して、沖縄住民が「沖縄戦の意味を曖昧にさせる」と猛反発。
 番組は、沖縄戦を体験した人々から多数の証言を得ています。

 「直接隊長が命令した事実はない」「命令書が残っていない」だから軍は関与していない、というのはあまりにも乱暴な意見です。
 沖縄住民は狭い島の中で3カ月間にわたる地上戦でそのほとんどを軍と行動を共にしています。
 「米軍につかまれば、男は八つ裂きにされたり戦車でひき殺され、女は犯されて殺される。そんな目にあいたくなければ自決しろ」と日本軍から教え込まれていました。そして、戦況が思わしくなくなった時、手榴弾や青酸カリを軍から配付されたといいます。
 言葉でいわれなくとも、それはもう、命令に等しいものです。
 ひめゆり学徒の生き残り、上江田千代さんは、手榴弾の使い方まで指導されたそうです。

 「ピンを抜き、石にたたき付けて、胸に抱け」

 猛烈な艦砲射撃の下で、「今ここで死ね」という命令はなかったかもしれませんが、日ごろから「捕まりそうになったら自決すべきだ」といわれていれば、当時の軍と民衆の関係からして命令以外の何ものでもありません。

 なぜ、今になって、過去60年以上ものあいだ通説になっていた軍の関与を否定するのでしょうか。

 これは、将来憲法を改定して自衛隊を自衛軍にしたとき、日本の軍隊が過去に印象の悪い行為をしたということはとても都合が悪いからです。
 ですから、沖縄の集団自決は「殉国美談」にしておきたいわけです。

 「死にたくて死んだ人間はいませんよ。自分から進んで死を選んだ人間もいません。米軍は怖いとおどされ、日本軍には逆らえない、止むに止まれず死んだんです」

 しかし、NHKがこれほど意図を明確にした番組を作るとは意外でした。
 「女性国際戦犯法定」の特集番組を改編して社会問題になったことの名誉挽回というところでしょうか。

 番組中、僕が最も信頼できる最新資料として参考にしていた、林博史さんの『沖縄戦と民衆』(大月書店)が、教科書検定の根拠とされていたことが紹介されました。文科省は著書の一部だけを引き合いにして、まるで揚げ足をとるようなしかたでに悪用されていたのです。
 その記述は、もともとは大江志乃夫さんの著作『花綵(はなづな)の海辺から』(朝日新聞社)にある証言のひとつで、このような事例もあった、ということで林さんが自身の著書に引用したもの。住民の一意見に過ぎず、軍の関与がなかったことを証明するものではありません。

 文科省は「ほら、あんたらの味方が書いてるんだよ」ということなんでしょうね。「つくる会」側の著作をわざと資料として採用せず、左派の資料の一部だけをピックアップして逆手にとっています。

 軍隊は常に正しい、絶対に間違いは犯さない、と思わせるための手段の一つです。

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 ところで、今日はことさら蒸し暑かったですね。
 近所のニャンコがランクルの下で涼んでいました。

Nyanko

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松本清張三部作 最終章?

2007年01月19日 | テレビ番組
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 今日からテレビ朝日で、松本清張三部作“最終章”として『わるいやつら』のドラマが始まりました。過去に日本テレビの「火曜サスペンス」や、テレビ東京系列の「水曜女と愛とミステリー」で単発で放送されたことはありますが、連続ドラマはたぶんはじめてだろうと思う。映画は松坂慶子主演で、日本映画の傑作『砂の器』の野村芳太郎監督が撮ってます(1980)。
 今回のドラマ、キャッチフレーズは「米倉史上、最悪」だそうで、“清張”ドラマとともに“成長”した米倉涼子主演。

 第一回は15分拡大枠でしたが、ひととおり登場人物を紹介したという感じで、ドラマはほんのイントロ部分。状況説明だけでしたから、出来の善し悪しはこれからのことですね。しかし、過去の二作品と比較しても、そうとうなドロドロが展開されそうです。
 米倉涼子の演技は、他の出演者の中でも際立っていました。心理描写が実にうまい。この人は出演を重ねるごとにうまくなっていきます。昔の話になりますが、加藤剛がやはり仕事で演技に磨きをかけた人でした。

 ドラマとしての出来のほどは、最終回を見終わってから語るとして、まず、『黒革の手帖』『けものみち』と合わせて三部作だそうなのですが、いやあ、知らなかった。松本清張は三部作だなんて意識して書いてはいないのではないかと。
 しかも、放送される順番が、原作の発行時期とはまったく反対です。
 テレビの放送は『黒革の手帖』『けものみち』『わるいやつら』の順ですが、原作が発行されたのは、『わるいやつら』が1961年の11月、『けものみち』が1964年5月、『黒革の手帖』が1980年6月です。
 『けものみち』から『黒革の手帖』までは16年も間が空いてます。
 まあ、テレビ的に「米倉涼子三部作」ということで手を打ちましょうか。
 僕はこの三作品の中では『黒革の手帖』が一番おもしろかったですね。もちろん原作の話です。テレビでは、ずいぶん前に同じテレビ朝日で山本陽子主演でやったことがあって(1982)、その時の印象がとても強かったのですが、どう見ても「米倉の方が悪女」だ。
 ちなみに、山本陽子より米倉涼子の方が何百倍も僕は好きです。
 ちなみに、『黒革の手帖』はその後大谷直子(1984 TBSオビ)、浅野ゆう子(1996 テレビ朝日土曜ワイド)の主演でドラマ化されました。

 『けものみち』は原作とドラマでだいぶシチュエーションが変わっていて、米倉がカッコよすぎ。別物として見たので、これはこれでおもしろかった。(映画 1965 池内淳子、NHK 1982 名取裕子)

 清張作品をドラマ化する時に、もっともむずかしいところでもあり絶対に活かしてほしいのが、原作が伝えようとするメッセージです。しかし、ドラマになるとそのほとんどが変えられてしまっているか消えてしまっています。
 一番ひどかったのが、この“三部作”ではありませんが中居正広主演の『砂の器』(映画ではありません、テレビの方です)。原作はハンセン病に対する差別意識がストーリーの根幹の社会派なのに、それを一切無視して、ただのサスペンスにしてしまった。ハンセン病の元患者のツアーがホテルの宿泊を拒否された事件がドラマ放送直前にあったにもかかわらず、局側に言わせると「もうそういう時代ではない」そうなのです。
 松本清張のメッセージの多くは、現代でも十分通用します。そしてそれらは、政治家や財界人や医師会の連中にとっては“痛い”話ばかりです。

 冒頭の写真は“三部作”の初版本。残念ながらすべて絶版で、今では文庫でしか読むことができません。


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