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ひまわり博士のウンチク

読書・映画・沖縄・脱原発・その他世の中のこと

検定意見撤回を要求

2007年06月22日 | 昭和史
 今日22日、沖縄県議会は、検定意見の撤回と、教科書の記述を元に戻すことを求める意見書案を、全会一致で可決したそうです。自民党も含めてです。

 意見書は、集団自決が「日本軍による関与なしでは起こりえなかった」としています。すなわち、直接的な命令があったかどうかではなく、軍が関与していたという点で、与野党が一致して認めたそうです。

 昨日の記事に、「自由主義史観研究会」というところから、ホームページを見てくれというコメントが入りました。
 「両方の意見を放送すると言って取材に来たのに、ほとんど放送されなかった。団体名すら紹介されない」とグチッてました。マスコミの取材ではよくあることです。べつにどこからか圧力があった訳ではないでしょう。
 
 ようするに、彼らが言っているのは、梅沢、赤松の二人の将校は住民に直接自決命令を出してはいない、だから軍は集団自決に関与していない、ということです。
 集団自決そのものがねつ造だ、などという、沖縄の人々の神経を逆撫でするような身勝手なコメントまでありました。
 名を連ねるのは、藤岡、曽野、桜井、小林などなど、おなじみ軍国主義者の顔ぶれです。

 一部でいわれているような、沖縄の人たちが、天皇のためお国のために自決するわけがありません。元々沖縄は琉球王国といって、日本とは別の国でした。ですから、日本の天皇は沖縄の天皇ではありません。

 沖縄は昔から日本の盾にされてきた歴史を持ち、いまでも米軍基地に囲まれ、「基地の中に沖縄がある」とさえいわれています。
 今でも、内地の人間を「ヤマトンチュ」、沖縄の人は自分たちを「ウチナンチュ」といって区別し、本土の人間に対して批判的な人が少なくありません。

 沖縄は「皇民化教育」が行われていたから、忠君愛国が行き渡っていた、「死して虜囚の辱めを受けず」という戦陣訓も学んでいた、だから、軍が関与しなくても住民は自ら命を絶った、という意見もあります。
 ところが、「皇民化教育」を受けていたのは中学生以下です。一般の沖縄住民は「お国と天皇のために命を捧げる」なんて思っちゃいません。

 もう一つ自決の引き金になったのは、「鬼畜米英」に対する恐怖心からであるが、それと日本軍は無関係だという意見です。しかし、「ひどい目にあうくらいなら自決した方がいい」と「日本兵から諭された」という証言が多数あります。
 日本軍が宣伝しなければ、米兵に対する恐怖心は植え付けられませんでした。

 沖縄住民は、狭い島で壕を掘ったり物資を運んだり、軍とともに行動しました。そのため、捕虜になった住民から情報が漏洩することを極端に恐れた日本軍は、住民に捕虜になることよりも死を選ばせたのです。

 「これで死ね」と幼児を含む家族全員の分の青酸カリを、日本軍に渡されたという証言があります。
 また、手榴弾を手渡されたという人は無数にいます。
 当時、軍でなければ持ち得なかった青酸カリや手榴弾が、多数の住民に渡されたということは、軍の関与なしではありえないことです。

 日本軍人は、白旗を掲げて投降を勧めにきた沖縄住民の首を切り落とし、米軍に投降しようとする人を後ろから銃殺しました。
 このような事実があるにもかかわらず、軍の関与をぼかそうとする文科省および検定委員会のやりかたは、軍国主義の道を歩もうとする政府与党の方針に沿ったものといって間違いないでしょう。

 沖縄をトカゲのしっぽとしか思っていない文科省が、沖縄県議会から意見書が出たからといって「はいそうですか」と検定意見を撤回するとは思えませんが、「つくる会」だけでなく、様々なところから歴史の改変が行われ始めていることに、危機感を覚えざるをえません。

 文科省、さすがに「靖国DVD」は引っ込めたようですが。

 ちなみに、軍国主義者というのは実際に戦闘行為を好む人のことだけではありません。戦争をする、あるいは戦争をしやすくすることによって私腹を肥やそうとする人や、過去の加害行為を否定したり、過去の戦争を正当化するような人々のことをいいます。


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チチハル事件被害者証言集会

2007年06月06日 | 昭和史
 チチハル事件というのは、『ぼくは毒ガスの村で生まれた』でも紹介されている、旧日本軍が残した毒ガス入りのドラム缶で、44名(一人死亡)が被害にあった事件です。

 毒ガス兵器は国際条約で禁止されているため、発覚を恐れた日本軍は、敗戦と同時に地下に埋めたり川や古井戸に投棄してきました。
 また、証拠となる書類もすべて焼き捨てたため、戦後回収の義務が生じてからも、投棄した場所を特定することができません。
 政府は、世界から追及されることを恐れて、旧日本軍兵士からの聞き取り調査も怠ってきました。
 チチハル事件は、そうした過程で発生したものです。

Shigoto

 今日は東京地裁で、その44名を原告とする第一回口頭弁論でしたが、それの傍聴はせずに、夕方から行われた「チチハル事件被害者証言集会の方に参加しました。
 会場は飯田橋にある「東京しごとセンター」というなんとなく力の抜ける名称のホールで、僕はちっぽけな場所を想像していたのですが、あにはからんや、「くりびつてんぎょういたおどろ」。
 なんとまあ、六本木のナンヤラ美術館をほうふつとさせる、ご立派な建物でした。

Baiten

 会場には合同出版が書籍の販売コーナーを作っていて、『ぼくは毒ガスの村で生まれた』をはじめ、平和と反戦関係の本が置いてありました。
 『ぼくは毒ガスの村で生まれた』は売れ行き好調で、発行から1カ月もしないうちに、増刷の話が出始めているとか。(ほんまかいな)
 いずれにしろ、評判はすこぶる良いようです。

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 弁護団から経過報告があって、市民と弁護士による群読劇(?)。
 原告は44人いますが、まさか全員を東京に呼ぶことはできないので、実際に裁判に参加したのは二人だけです。そこで、他の何人かの訴えを群読という形で紹介しました。

 「この事件があるまで、私たちは幸せな家庭を営んできました。しかし、簡単な労働もできなくなって収入がなくなりました。でも、この病気が治ればまたもとの幸せな家庭にもどると信じていました。ところがある日、医者から『この病気は今の医学では直すことができません』と言われたのです。貯金はそこをつき、高い医療費を払うお金もありません。これから先、どうしていけば良いのか途方にくれています」

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 来日した陳栄喜さんは、娘さんともども被害にあいました。まったく働くことができない状態で、被害者になった娘さんを支えてどう生きていけばいいのか苦しんでいます。

 もうひとり、17歳の王磊さんは、事故にあってから視力が低下し、いまだに皮膚に痒みやしびれがあります。学校では感染するのではないかと、他の生徒の親たちから差別を受け、席を隔離させられました。

 非常に多くの被害者を出している「旧日本軍の毒ガス」ですが、30年前の日中共同声明で、中国は一切の損害賠償を国としては請求しないことにしたため、被害者たちは個人で訴訟を起こすしかないのです。
 今回の裁判で、裁判所が政治的判断をくだすか、個人を尊重した人道的判断をくだすかが注目されます。


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16年目の花嫁

2007年05月16日 | 昭和史
Suzukiwife
  今日は埼玉県行田市まで取材に行ってきました。埼玉県の北のはずれ、利根川を越えれば群馬県です。
 取材相手は日曜日の9条の会でお目にかかった金子安次さんと同じ、アジア太平洋戦争で中国の捕虜になり、軍事裁判で不起訴の後に帰国した人です。

 子どもの頃からの軍国少年で、早く兵隊に行きたくてしょうがなかったそうです。徴兵検査は第一乙種合格。もう少し身長があれば甲種合格だったそうですが、第一乙種はほとんど甲種と同等の扱いだったそうです。
 しかし、実際に兵隊になってみると、憧れていた軍隊生活とは大違い。厳しい訓練とビンタの嵐。
 それでも出世したくて、命令される以上に率先してなんでもやり、最終的には曹長まで上り詰めました。
 家が貧しくて上級の学校に行けなかったため、出世はそこまで。軍隊も学歴社会だったのです。

●16年目の花嫁
 出征前の鈴木さんには結婚を約束した女性がいました。しかし、自分はこれから戦争に行くのでどうなるかわからないからと、結婚はしませんでした。

 ほんとうはどうなるかわからない、でも、必ず生きて帰ってくる、そう信じて彼女は鈴木さんを送り出しました。

 兵隊になった鈴木さんは、数カ月で中国大陸へ。それから敗戦までの5年間、中国大陸を転戦します。
 敗戦は上官から伝えられました。したがって、内地の人々のように天皇の放送、いわゆる「玉音放送」は聞いていません。
 鈴木さんはほっとしました。これで日本に帰れる。
 鈴木さんは進軍してきたソ連軍の手引きで、日本に向かうはずの船に乗り込みます。
 しかし、どうもおかしい。船は東ではなく、北へ北へと向かっています。
 ついたところは、なんとウラジオストック。ソ連です。
 鈴木さんはシベリアの収容所で木材伐採の重労働を課せられました。ここで、6割の仲間が亡くなりました。

 5年間を過酷なシベリアで過ごした鈴木さんは、建国間もない中華人民共和国に送還されます。
 シベリアとはまったく違い。食事も衛生状態もすばらしいものでしたが、鈴木さんたち捕虜は素直にそれを受け入れられません。「おれたちはもうすぐ死刑になる。だからうまいものを食わせているんだ」
 しかし、何年経っても刑場に呼び出されることはありません。毎日毎日反省反省。自分が中国でどんなことをしたのか、すべてを手記に書くことをもとめられました。
 「天皇のためにこれほど働いて、こんな目にあっているのに、天皇は助けに来てくれない」
 鈴木さんたちは、だんだん天皇に対して不信感を抱くようにもなっていきました。

 6年経って、全員の手記が揃った頃、中国で始めて軍事裁判が開かれました。
 判決が出て有罪になったのは、千数百人の捕虜のうち、軍隊で大きな影響力を持っていた数十人だけ。しかも、死刑はひとりもいません。
 鈴木さんたちは不起訴になり、すぐに帰国が許されました。
 日本を経ってから16年が過ぎ、20際だった紅顔の美青年は、36歳になっていました。

 内地で待つ彼女のもとには、役場から鈴木さんが帰国するという連絡が入りました。
 「うれしくてうれしくて、でもほんとうに帰ってくるのかしら。これは夢ではないのかしら。何がなんだかわからなくて、ボーっとしてしまいました」

 彼女は鈴木さんのお兄さん夫婦とともに、舞鶴港に迎えに行きました。
 中国からの引き揚げ船「興安丸」が港につき、たくさんの人が降りてきましたが、なかなか鈴木さんの姿はわかりません。
 気づいたのは鈴木さんでした。鈴木さんは彼女を見つけて大きく手を振っていました。

 今の若者とは違って、駆け寄って抱き合ったりはしませんでしたが、心と心でしっかり抱き合っていました。

 「もし帰ってこなかったら、一生独身でいるつもりでしたから、手に職をつけようと、裁縫と編み物をならいました。ほんとうに他の人と結婚するつもりはなかったんですよ」

 16年間待ち続けた奥さんは、それから戦後の混乱期を鈴木さんを助けて乗り切っていきます。

 夫妻はともに80歳を越えました。鈴木さんは今、「中国帰還者連絡会」の一員として、中国で日本軍が行ったことの真実を、後世の人々に残すために活動し続けています。


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元日本兵 金子安次さん

2007年05月13日 | 昭和史
 「三鷹9条の会」主催で「憲法のつどい~いま、日本国憲法を問う~」という会合に行ってきました。
 午後1時半開場の2時開演ということで、録音や撮影の許可をもらう必要もあって、開場時間を目標にでかけました。
 しかし、会場が駅から遠い! 15分ということでしたが20分くらいかかったような。

 前半は弁護士の杉井静子さんが国民投票法についての何たるかを1時間30分ほど語りましたが、申し訳ありませんでしたが僕の目的は後半。

Kaneko_1
  金子安次さんは元日本兵で現在87歳。敗戦を中国で迎え、その後シベリアに捕虜として抑留され、重労働に5年間耐えてきました。
 その後中国に戦犯として送還。撫順戦犯管理所に収容されます。
 6年間撫順で過ごし、軍事法廷で起訴免除となって帰国船「興安丸」で帰国。
 帰国後、結婚して子どもができたときに、この子のためにも二度と戦争をしない国にしたい、という思いから、自分が戦時中に中国で行った加害についての証言をはじめました。

 2001年に九段会館で行われた「女性国際戦犯法廷」(民間団体により旧日本軍の行為を批判・検証する催し)で、慰安婦や強姦について、自らの体験を証言しましたが、NHKはこの証言を、安倍、中川の圧力によって削除。時間を短縮して放送しました。

Kanekobook 金子さんの赤裸々な証言は、熊谷伸一郎著『金子さんの戦争~中国戦線の現実~』(リトルモア刊)に詳しく書かれています。ちなみに、この本も、一度BOOK OFFで見かけましたが、右翼の悪ガキによって破られていました。

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  今日は体調が思わしくないということでしたが、何の何の、実にパワフルで思いの丈を洗いざらい語ってくれました。

 「『徴発』ったって、目的は物じゃない、みんな女だよ。
 女を見つけると、古兵が先に入ってってね、おわったらお前にもやらせてやる、ってね。おれは泣き叫ぶ子どもをおさえて外で待ってたよ。
 家の中で女と古兵のすごい声が聞こえたと思ったら、古兵が女の髪の毛をつかんで引きずって来るんだ。そのまま、井戸端まで引っ張って行ってね、女を井戸の中に放り込もうとするんだね。
 『おい金子、手伝え』。俺は足をつかんで、古兵と二人で女を井戸の中に投げ入れた。するとね、子どもがマーマ、マーマってね、井戸に駆け寄っていくのさ。
 子どもってのは親のいるとこが一番安心できるからね。
 でも、井戸の縁が高くてとどかない。子どもはどこからか踏み台を持ってきて、それを使って自分で井戸の中に飛び込んじまった。
 『金子、武士の情けだ、手榴弾を投げ込め』古兵はそう言うんだ。
 兵隊はみんな手榴弾を2個ずつ持ってる。一つは戦闘用だけどもう一つは捕虜になりそうなときの自決用だよ。
 おれは、手榴弾のピンを抜いて井戸に投げ込んだ」

 金子さんの話は聞くに堪えない話の連続です。しかし、その勇気ある証言からは、旧日本軍というシステムそのものが、犯罪行為を容認していたことがわかります。(『金子さんの戦争』参照)

 中国・朝鮮の人々を人間として見ない教育をさせられたこと。食料や物資の補給は十分にせず、現地調達(徴発=強奪)を基本としていたことです。(笠原十九司著『南京事件』岩波新書)
 「なんでも村から取って来い」。その命令に従い、多くの物を強奪すれば、兵士としての評価が上がったのです。
 「なんでも」の中には物だけでなく、当然、女性も含まれていました。

 ちなみに、「現地調達」する物がなかった南の島では、多数の餓死者を出しています。戦争で死んだ兵隊のうち、その70パーセントが餓死であると言われていて、ガダルカナル島では特にひどく、死者の90パーセントが餓死。そのため「餓島(ガ島)」と呼ばれています。(藤原彰著『餓死した英霊たち』青木書店)

 金子さんのような証言をする人に対し、「中国反日分子の回し者だ」とか「洗脳されて言わされている」などと右翼からの中傷がありますが、ご本人から直接話を聞けば、それが嘘偽りなどではないことがよくわかります。

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 (さすがに耳はいささか遠くなってきました)

 安倍政権は1945年以前のような日本が「美しい国」だなどと言っています。天皇を中心にした男尊女卑で、しかも中国や朝鮮の人々を差別した国。戦争で何の罪もない人の命をたくさん奪った国。そんな国が美しい国であろうはずはありません。

 安倍総理は慰安婦問題でアメリカから叱られればごめんなさいと頭を下げ、その反面、戦争賛美で国粋主義の靖国神社に玉串料をおさめるなど、全くのダブルスタンダードです。
 よく、「過去の戦争については何度も謝っている」と言いますが、謝っては後ろを向いて舌を出すようなやり方では、相手を馬鹿にしているとしか思えません。

 本当の平和とは、どこの国に対しても、まず「相手を悪者(ならずもの国家)にしない」、そして、すべての国に対して「平等な交流」をする、さらに「おごり高ぶらない」ことが大切ではないでしょうか。石橋湛山の「小国主義」を今一度見直してみる必要がありそうです。

 最後に、熱心な若者(20代と見える男性)がこの会合に参加していましたが、若い人が昭和史を知らされていないことに直面しました。
 金子さんが共産主義者ではないかと疑われ、公安に付け回されていたという話の意味がわからなかったのです。
 当時のソ連や中国は社会主義・共産主義の国であること、アメリカが支配する占領下では、社会主義・共産主義は排撃の対象になり、弾圧されたこと。それをレッドパージ(red purge)と言っていたことなどから説明しなければなりません。
 代理人の芹沢さんから、「今でも企業内には社会主義・共産主義に対する差別があるんだよ」と言われて、「え、今でも? ほんとですか」。

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あいまいな日本語

2007年04月05日 | 昭和史
 4日の「天声人語」に、劇作家の井上ひさしさんが「日本語は主語を隠し、責任をうやむやにするにはとても便利な言葉だ」と語ったことが掲載されていました。

●あいまいなのに“納得”
 日本語というのは、主語がなくても文章が成り立つ不思議な言語です。

 「ちょっと、新宿まで出かけます」

 この台詞で、新宿に行くのが言葉を発している本人であることを疑う人はいません。

 「あれ、新宿に行ったんじゃないの?」
 「いや、行ってないよ」
 「だってさっき、新宿に出かけるって言ったじゃないか」
 「出かけるとは言ったけど、僕だとは言ってない」

 これではなんだか言いがかりをつけられたような気持ちになりますが、たしかに、「僕」という主語はどこにもないわけで、主語を変えれば新宿に行く人はだれにでもなります。

●あいまいにしたい日本の歴史
 教科書検定で、沖縄の集団自決について「軍の強制」を修正するように指示されていたことは先に紹介しましたが、すなわち、井上ひさしさんのいう主語、「日本軍」という主語を教科書から削除せよ、ということなのです。

 教科書の表記は次のように変えられました。

 「日本軍に『集団自決』を強いられた」→「追いつめられて『集団自決』した」
 「日本軍に集団自決を強制された人もいた」→「集団自決に追い込まれた人々もいた」

 つまり、教科書から「日本軍」という主語が削除されてしまったのです。
 主語がありませんから、だれに「追いつめられた」のか、なにによって「追い込まれた」のかさっぱりわかりません。

 逆にいえば、主語がなくなったということは、どのようにでも主語を付け加えることができる、ということにもなります。
 「追いつめられた」「追い込まれた」のが、だれによるものなのか、生徒から質問があった場合、教師はどう答えるのでしょうか。
 まさか、村の長老だの占い師によってとは言えないと思います。
 しかし、もし授業で「この文章の主語は日本軍である。それは文科省の検定で削除された」と生徒に伝えれば、教育委員会や校長は「教科書に書かれていないことを教えた」としてその教師を処分するでしょう。

●あいまいにしてはいけないこと
 これでわかることは、沖縄の集団自決を「旧日本軍の責任ではなかった」とする為政者の意図です。
 安倍首相が提唱する「美しい日本」をつくるために、「日本はアジア太平洋戦争中、良いことはたくさんしたが何一つ悪いことなどしていない」という、戦争責任もみ消しの一環であると見て間違いありません。

 集団自決が軍の関与によるものである事実は、住民だけでなく旧日本軍兵士などによる、無数の証言に裏づけられています。
 「米軍に捕まったら、男や老人、子供は、股裂きにして殺され、女性ははずかしめられる」と聞かされ、「捕まってはずかしめられるよりは自決しなさい」と言われて手榴弾をわたされたと証言している人もいます。
 これは、中国から帰ってきた軍人が、自分達が中国でそうやったのだから、アメリカ兵も同じことをする、といって脅しているのです。
 このような話は、一人二人からではなく、多数の住民や元日本兵から伝えられています。

 軍の強制を裏付けるさまざまな証言は、『沖縄戦と民衆』(林博史)、『沖縄』(比嘉春潮他)、『鉄の暴風』(沖縄タイムス編)、『鉄血勤皇隊』(大田昌秀)ほか、多数の書籍、証言集に掲載されていますから、ここでは割愛します。

●あいまいな変更理由
 文部科学省は、今年になって検定基準を変えた理由として、「状況が変わった」と言っていますが、じつは基本的な状況は何も変わっていません。強いて言うならば、自決を命じたとされる元守備隊隊長らが、「そんな命令はしていない」として2005年に訴訟を起こしたくらいです。(詳細は当ブログ3月7日付け)
 「その程度の変化をよりどころに教科書を書きかえさせたとすれば、あまりに乱暴ではないか」と朝日新聞の社説が述べています。
 だれかが訴訟を起こしたのを、判決も出ないうちから状況の変化だとされては、たまったものではありません。

●あいまいで支配される日本人
 井上ひさしさんが言うように、日本語には常に表現のあいまいさが付きまとっています。そして、そのあいまいさを利用して、為政者が国民を支配してきたことは、歴史上枚挙に暇がありません。
 国からの指示があいまいになったとき、それはつまり、国は責任をとることなく、末端の行政や教育者に無言の圧力をかけて国民をコントロールしようとしているのだと思って、間違いないでしょう。

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「ひめゆり学徒の沖縄戦体験」

2007年03月04日 | 昭和史
 2月17日のブログで紹介した上江田千代さんの講演を聞きに行ってきました。
 岩波アネックスの会場についたのは、開始の5分前。ちょっとどたばた。
 主催者に録音と撮影の許可をもらい着席するとすぐに開演。

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 はじめに「基礎知識」ということで『沖縄戦の証言』という35分のビデオを見せられましたが、これがなかなか良くできています。現在の沖縄と戦時中の映像がカットバックで映し出され、緊張感を保ちながら、中高生にもわかる語り口で進んでいきました。
 「ひめゆり」と同年代の今の中高生にぜひ見せたいですね。
 ??あ、これ買って帰ろう。35分だから安いだろうし。上江田さんの本もこの前手に入れそこなったから買っておかなきゃ。

 上江田さんは77、8歳のはずですが、かくしゃくとしてとてもそんな年には見えません。主催者が用意した椅子を断って、約3時間の講演をずっと立ったままでやり通しました。

Kamieda_4 「私は『皇民化教育』を受けていましたから、すっかり軍国少女でした。天皇陛下のために死ぬのはあたりまえの事だと思っていたんです」
 「私にも手榴弾を下さい! といって自決するために使い方まで教わりました」
 しかし、上江田さんはその手榴弾をお父さんに取り上げられてしまったのです。
 「もし父が取り上げていなかったら、私はこうしてみなさんの前でお話しすることもなかったでしょう」
 そのお父さんは、日本兵に(たぶん)米兵と間違われて射殺されてしまいました。

Kamieda_3 「女学生が着るセーラー服は、敵国の服だというので禁止されました。ありあわせの生地でつくったのがこの服です。若いのにずいぶん地味なものを着せられていたものですね。でもこれ、琉球絣なんです、ぼろぼろになっちゃいましたけど」

Kamieda_2 「糸満高等学校の校章も自分でつくりました。茶色の糸は靴ひもをほぐしたんです。身近なところにある茶色の糸はこれだけだったから」
 「以前、テレビで『さとうきび畑の唄』をやってましたけど、あれを見て私は腹が立ちましたね。あんなのどかなもんじゃないんです。あれが沖縄戦だなんて思われたら大間違いですよ。ひっきりなしに爆弾や鉄砲の弾が飛んでくるんですから、のんびりと外なんか歩けません」
 
 方々で聞いたことばですが、上江田さんから語られると、ことさら強く心に響きます。
 「戦争は、どんなことがあろうとやってはいけません。日本の軍隊は国民を守ってはくれないのですよ」
 そうです、軍隊が守るのは国家というシステムであって国民ではありません。

こんど、上の子が行ってる井荻中学でも講演できないかなあ。学校がオーケーするかどうかですね。

 販売中の本とビデオの残りが少なくなったと脅かされ、休憩時間中にあわてて『沖縄戦の証言』のDVDと本を買い求めに出ました。
 ここでしか売っていない、大江健三郎氏と岩波書店が告訴されていることについてのパンフレット『「大江健三郎・岩波書店への訴訟」が狙うもの??沖縄戦「集団自決」と日本軍をめぐって』は買っておかなければなりません。
 上江田さんの『ひめゆり』もこの前入手しそこなっているので買わなければ。
 ところが、安いと思ったDVDがなんと、3500円! 大江訴訟のパンフが500円! それに『ひめゆり』の1000円を加えるとちょうど5000円です。家を出るとき財布の中味を確かめなかったのがいけないのですが、5000円札が1枚しか入っていません。この5000円を使ってしまうと、残るのは小銭だけで、234円。これでは家に帰れない!
 さあ、どれを諦めるか。今日を逃したら買えそうもないものを優先的に買っておくしかありません。そこで、ご近所でもあることだし、上江田さんの『ひめゆり』を涙を呑んで諦めることにしようか。それともDVDを値段も高いし諦めようか、と考えていると、
 「これ下さい」
 『ひめゆり』の最後の1冊を買われてしまいました。おのずと決定!

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 しかし、戦後50年も経って、おかしな問題が次々と起きています。「百人切り」の本多勝一さん(勝訴)のときもそうですが、大江さんの場合も30年以上も前に出版された本の内容について訴えられています。しかも、事前に著者にも出版社にもクレームらしきものは入ってこないで、いきなり訴訟。
 パンフレットの中で岩波の『世界』の編集長が、「ねみみにみみず」じゃなかった、「寝耳に水」だといっています。
 ようするに、訴訟を起こしてマスコミを動かすのが目的のパフォーマンスです。いったん評価が確定したり、あるいは確定しつつある事柄をむしかえすことで、日本の過去の戦争を正当化して安倍晋三の『美しい国』づくりに加担しようというわけです。
 「百人切り」「南京事件」「集団自決」などの戦中戦後をはさんだ問題を「なかったことにしよう」という連中は当然少数派で、ほとんどの人は問題にしていません。ところが少数派でありながらバックボーンが大きいので力があります。
 『美しい国』をつくりたがっている連中の黒幕は、政治権力の中枢にいるか、財界を牛耳っている連中です。カネをかけてマスメディアを動かし、それがあたかも意見の大勢を占めているかのごとく宣伝します。
 いみじくも、本多勝一氏がいいました。
 「大勢は我々が圧倒している。しかし、宣伝力が弱い」

 冷静に見ればこれらの“むしかえし”は、「ナショナリストのヒステリー」みたいなものですが、このヒステリーを権力者は利用するので注意です。

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