今日は久しぶりに「デスマス」調でブログを書いてみます。他意はありません、気分です。ただ、「デアル」調と比べて文末が単調にならないように気をつけなければならないので、「デスマス」調のほうが難しいのです。
さて、
「地球には国境がありません。」
これは、1992年9月、日本人初の宇宙飛行士として、スペースシャトル「エンデバー」に搭乗した毛利衛さんの言葉です。
おどろく出来事がありました。ある夜のこと、夏休みということもあって、子どもたち(多分小学校の低学年です)が公園に集まり、恐らく学校の先生なのでしょうか、その人の指導のもとに望遠鏡で星の観察をしていました。
この日は金星がとてもよく見えていて、望遠鏡もその方向を向いていました。順番に望遠鏡をのぞいていた子どもたちが一通り観察し終わった頃、先生がA3判くらいのラミネートパネルに宇宙から見た地球の写真を取り出して、地球も金星と同じ惑星の一つで、宇宙から見るとこのように見えると説明を始めたのです。写真はNASAが撮影した、現在では著作権フリーになっている有名な地球の全景です。
すると、参加していた子どもたちの中から、その写真について意見が発せられました。教科書や学校で見る地球と違うというのです。それに同調する子どもも何人か現れました。国境や緯度経度の経線がない、地球というのは他の星と違ってそれらのものがあらかじめあると考えていたようです。たしかに、デザインやイラストで地球を表現するときに、緯度経度の経線を入れることが実際にあります。
この小さな論争は、先生が説明するまでもなく、少し年長に見える男の子が説明して決着がつきました。
「ばかだなあ、あれは人間が描いたんだよ。もともとないものだよ。だって旅行に行って線が見えたことなんてないよ」
昔、南に向かう航路で船乗りが、双眼鏡のレンズに赤い線を引き、「オイ見てみろ、赤道が見える!」と教養のない人夫をからかったという笑い話を思い出しました。
地球上に線を引くのは人間だけです。欲のために土地を奪い合うのも人間だけです。戦争や紛争、環境破壊で地球を住みにくくしているのも人間だけです。
かつて、「JEAN」という環境保護団体の代表から「ゴミを作るのは人間だけですから」と聞いて頷いたものです。
写真で紹介したいくつかの本は、高橋哲哉さんの『犠牲のシステム 福島・沖縄』から連想ゲームのように拾い読みをしているものです。ところがこれらのうちの多くが品切れ状態で(絶版ではないようですが)中にはプレミアムがついてしまっていました。
この中で特に手元においておきたいと思った一冊は『無意識の植民地主義』(野村浩也 お茶の水書房)で、何とかならないものかと版元に問い合わせたところ、「安くしすぎてしまって」とか「絶版にはしないけれども再版の予定はない」という言葉が聞かれました。どうやら、定価の設定をミスして、再版をすると赤字になってしまうのでしょう。素人は定価を上げればいいと簡単に考えますが、定価を上げるということは書籍コードも変わり、別の本として出版しなければなりません。そのためには読者が納得するような加筆訂正などがなされていることが必要で、簡単にはいかないのです。
この『無意識の植民地主義』は、多数の文献から植民地主義や差別についての優れた内容の文章を丹念に引いていて、大変参考になります。高橋哲哉氏もこの著作からかなり影響を受けていたことがうかがわれます。
現在の日本に植民地はないと思われていますが、「ポストコロニアリズム」として指摘されているように、沖縄の琉球民族や北海道のアイヌなどと〝日本人〟との関係は現在でも植民者と非植民者の関係にあることです。引用されている「植民者はそこに居住するのではなく君臨する」というフランツ・ファノンの言葉は象徴的で、アジア・太平洋戦争中の「満州国」はまさにその通りであったことが知られています。日本中の米軍基地の74パーセントが集中する沖縄は、安保条約のもとに〝日本人〟が沖縄に君臨していると考えて不思議はありません。〝日本人〟が沖縄を差別し、沖縄を〝植民地〟として君臨しているからアメリカの基地があるわけです。その証拠に、〝日本〟の都道府県で沖縄にある基地のいくつかを引き受けてもいいという自治体はないのですから。
ぜひとも復刊してほしい本ですがその予定がないということで、図書館から借りてきたものをやむを得ずコピーして手元に置くことにしました。
『分割された領土』(新藤榮一 岩波現代新書)もやはりプレミアムもので入手が困難です。北方領土や沖縄の取り扱いについて、天皇や外務省はどう対応してきたのか。天皇メッセージやサンフランシスコ講和条約による領土の分割を軸に、日本外交の失敗の歴史が書かれています。
『無意識の植民地主義』と同時に図書館から借りてきましたが、返却期日まで読み終わりそうにありません。
『ことばと国家』(田中克彦 岩波新書)は、自身で選ぶことのできない母国語を野卑な言語と差別されたり、植民地化を進めるための言語崩壊に対する非植民地、あるいは無国籍言語を持つ人々のたたかいを描いています。
『精神の非植民地化』(グギ・ワ・ジオンゴ 第三書館)もケニア生まれの著者が白人の植民地化政策で自らの言語が否定され、破壊されつつある固有の文化を守るための抵抗を描いています。
「ケニアでは英語はたんなる言語以上のものとなった。(中略)その結果学校付近でギクユ語をしゃべっているのを見つかることがもっとも屈辱的な体験となった。罪人は体罰(中略)もしくは「私は馬鹿者です」とか「私はロバです」と書き込まれた金属札をまわりにつるされた。」
沖縄では戦前戦中、方言を使った罰として方言札というのを首に掛けられたということは以前に書きましたが、似たようなことがアフリカの植民地政策でも行われていたことをここで知りました。
僕は「国益」という言葉が好きでありません。国家単位のエゴイズムの臭いがするからです。いま、竹島や尖閣諸島の問題でマスコミが賑わっていますが、どのテレビ局も必ず「日本固有の領土である」という接頭語をつけています。あの「赤旗」もそう主張しています。本来自然界には、毛利衛さんが言うように国境などありません。国境線とは人間が欲と差別を目的に描いたものです。国境ができた原因は、歴史的に古来から一定の民族が居住していた区域を囲ったもの、あるいは戦争などの力によって民族や土地を奪い、併合し、「実行支配」しているなどの場合があります。
竹島や尖閣諸島の領土問題は、実行支配しているのは日本であるとされていますが、歴史的に見ると必ずしも当初から日本の領土であったかどうかといえば疑わしいものです(参考=井上清『尖閣列島』第三書館)。歴史的な観点から見ただけですと、沖縄も北海道も日本ではなくなります。実行支配していることを領土の理由とするならば、そこに居住している人々が領土を主張する国の国民であることを納得していることが一つ、もう一つは、その土地を活用している事実があることです。
問題は、竹島や尖閣諸島も現在、そこに誰も住んでいないことです。つまり、歴史的にも実質的にも、それぞれが主張するだけで明確な証拠に乏しいことなのです。
問題が大きくなったのは、1960年代頃からそれぞれの海域に豊富な地下資源が見込まれるとわかってから、韓国や中国が歴史的な背景を盾に領土を主張してからです。これは、アジア・太平洋戦争中、日本が朝鮮半島や中国大陸を植民地として占領していたことが、竹島や尖閣諸島も日本の不法占拠であるという根拠の一つとしているようです。
僕自身、竹島も尖閣諸島もどこの国の領土であるという結論は出ていません。おそらく今後もわからないでしょう。
昔から日本には「諍いの種は摘むべし」という言い伝えがあります。そうです、諍いの種は摘んでしまえばいいのです。乱暴かもしれませんが、竹島や尖閣諸島近くの海底を震源とする大地震でも発生して、島が沈没してしまえばその瞬間にこの問題は解決します。満潮時に海面から沈んでしまうと、それは島とはいえなくなるからです。
どうでしょうか。
いま社会的な問題になっている「いじめ」は、「差別」や「植民地主義」ととても深い関係があると思います。いじめとは、「自分がいじめられないための〝差別〟」であり、また、いじめられる側に対して〝君臨〟する植民地政策だからです。つまり、〝日本人〟の中に、学校の先生にも親たちにも存在する、ポストコロニアリズム的な思考を直視し解決していかなければ、子どもたちのいじめはなくならないのではないでしょうか。つまり現在学校で起きているいじめとは、自然発生的に現れたのではなく、子どもたちが大人たちからいつの間にか学んだことだといえるのです。
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