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ひまわり博士のウンチク

読書・映画・沖縄・脱原発・その他世の中のこと

杉並区80周年まつり

2012年10月14日 | 日記・エッセイ・コラム
Suginami801
 
 今年は、杉並区の区政80周年にあたり、その記念イベントが13.14日、「桃井原っぱ公園」で行われた。
 この「桃井原っぱ公園」について、ちょっと解説しておく。
 ここは戦時中、中島飛行機という陸軍や海軍の戦闘機などのエンジンを作っていた軍需工場であった。
 戦後、解体されてプリンス自動車の工場になり、1966年の合併で日産自動車に名義変更された。2008年、日産自動車の移転に伴い杉並区に払い下げられ、「桃井原っぱ公園」として昨年正式に開園した。災害時の避難場所としても指定されている。
 ただ、ここの土壌が戦時中に毒ガスなどで汚染されている可能性があり、特に調査も除染作業も行われていないことから、幼児の使用を躊躇する幼稚園や保育園もある。
 
 それはそれとして、イベントは大盛況だった。区内だけでなく、近隣の区外からも来ているという。
 
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 区議会議員が交代で営業している「カフェくぎかい」。中央は店長のけしば誠一区議。コーヒー1杯100円。
 
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 大人気のミニSL。乗車希望者が多いために、乗れるのは十数メートル直線で敷かれたレールの上を片道だけ。
 
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 白バイに乗ってみる。
 
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 消防士になってみる。
 
Suginami805
 卵1パック100円。即時購入。
 
Suginami806
 ワタアメを買うのに行列するか?! どこもかしこもディズニーランドなみの行列ができていて、焼きたてのパンを買おうと思ったら30分待ちだというので断念した。
 
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10.13さよなら原発集会in日比谷

2012年10月14日 | 日記・エッセイ・コラム
Parade
 パレードの先頭を行く高橋哲哉氏、大江健三郎氏、鎌田慧氏ら呼びかけ人。
 
 久しぶりに、脱原発集会に出かけた。7月の17万人集会以来だから、3カ月さぼっていたことになる。
 今回は、会場が日比谷の野外音楽堂ということもあって、参加者は6500人だった。それでも、会場の周囲はデモに参加する人々であふれていた。
 
Kamata
 鎌田慧氏は、農協の中央が脱原発を決定したことを報告。自然とともに生きる農業や漁業と原発は共存できない、と訴える。
 
Takahashi
 高橋哲哉氏は、「国は国民を欺く」「国は国民を見捨てる」「国は国民以外の住民を無視し、排除する」と現在の日本の在り方を批判するとともに、子どもたちが「放射能被曝から非難する権利」を求め訴えた。
 
Ohe
 大江健三郎氏は、東電や政府は私たち(国民)を侮辱している、と怒る。これは大飯原発の再稼働を、反対署名提出の翌日に決定したことから言い続けていることである。
 文学の立場からと前置きし、魯迅の「三閒集(さんかんしゅう)」から引いたと言う「地上には道がある、本来地上に道はなく、歩く人があれば道が出来る」と語り、「パレードに参加する皆さん、歩き続けましょう」と結んだ。(「三閒集」については未確認)
 
Yoshihara
 最後に、城南信用金庫理事長、吉原毅氏が閉会の挨拶を兼ね、金融機関の立場から原発のウソを指摘した。
 「原発がなくなると電気代が高くなると言うが、それは会計的には間違い。使用済み燃料の最終処理は解決しておらず、これには莫大な予算がかかる。その金額は編入されていない。算出できない予算は『無限の負債』と言い、これは将来、いまの子どもたちが背負うことになる」と、東電の会計は実際には大赤字だと語った。
 
Tohden
 パレードが通過する東京電力本社前。正面には蟻の這い入る隙間もないほどに警官がガードする。
 この日、異様に警官や公安の数が多かった。手ぶらで耳にイヤホーンを突っ込んだ公安が、数メートルおきに立ち、何気なしに参加者の写真を撮ったり、何やらメモを取る。今回はカクマルや中核が参加者を動員しているという情報から、両方の担当が警備に当たったからではないかという。
 
Kamataohe
 パレードの解散地点で談笑する、鎌田慧氏と大江健三郎氏。
 
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机上雑貨

2012年10月04日 | 日記・エッセイ・コラム
 見慣れた光景なので気付かないでいたけれど、第三者が見たら「変なもの」に分類されるであろう小物が結構ある。
 まずこれ、よそで見かけたことがない。
 
Den1
 靴べら程の大きさの、プラスチックの板切れである。
 使い込んで薄くなってしまったが、よく見ると表面に「HILTEX」「DENMARK」と印字されている。
 実はこれ、いつどこで入手したものか覚えていない。少なくとも10年以上机の上のペン皿に乗っている。
 この不思議な物体は、新聞のスクラップを作る時に便利なものなのである。
 右上手前部分にほんのわずか刃が出ていて、この刃が出ている部分を新聞に押しあてて滑らせると、一番上の一枚だけが切り取れる。
 あんまり強く押し付けると二枚切れてしまったり、かといってゆるすぎると一枚も切れなかったりするので、コツは必要だ。
 カッターのように机を傷つけてしまったり、必要のないページまで切り込んでしまうこともない。使い慣れてからは実に重宝している。
 
Mini
 最近、Amazonで見つけて買った。送料込みで382円、すこぶる安い。
 原稿に赤を入れるとき、これも最近見つけた「消せる赤鉛筆」というのを使っているのだけれど、消せて便利なのはよいが、消しかすがかなり出る。その始末に難渋していた時に見つけたのがこれ。
 机の上を転がすだけで、おおかたの消しかすを吸い込んでくれるのだ。電池などは入っていないから、余計な消耗品も必要ない。
 これまでは、一仕事終ってから小さなほうきで集めてくずかごに棄てていた。しかしこれのおかげで手元において一度消すごとにちょこちょこっと掃除ができる。
 安物のおもちゃなので期待はしていなかったのだが、その期待は見事に裏切られた、結構な優れものである。
 欠点は、中にかすがたまりすぎると、中味が逆流してせっかく集めたのに散らばってしまうこと。もう一つは、大きなかすは吸い込まない。それらを気にしなければ、かなり便利である。
 
Cas
 これは知っている人も、実際に使っている人もたくさんいるだろうと思っていたら、「これなんですか」と聞いてくる人が少なくないので驚いた。
 芯削りである。基本的には鉛筆を使っているけれど、ホルダーに芯を入れて使うことも結構多い。その芯を削るのが、芯削り。
 細い芯を使うシャープペンシルは芯を削る必要はないけれど、反面細いので折れやすい。芯ホルダーはほぼ鉛筆の芯と同じくらいの太さなので、時々削る必要がある。それに使う道具で、削りくずはケースの中に収まって散らばらないようになっている。
 手間は鉛筆を削る作業と大して変わらないのだから、あまり意味はないといえばない。まあ、ファッションだと思えばいい。かっこづけである。
 
 仕事柄文具とは大変縁が深い。それだけに一般家庭では見かけないであろう、不思議なものが思いのほか多い。それも数十年以上使い続けているものがほとんどだ。思えば、ステッドラーのGRABDという大きな消しゴムなど、かれこれ20年くらいになるだろうか。国産のものと違ってなかなか減らず、想像を絶する長持ちだ。さすがにこれでは商売にならないと見えて、今では廃盤になり、ステッドラーはこの大きさの消しゴムは作っていない。

Eraser
 国産のものは、半年ほどで左下のようになってしまう。
 
 先の一枚だけ切れるカッターだが、そろそろ新しいものがあれば買い替えたいと思っている。しかし、品名はおろかどこで売っているのかもわからない。一枚だけ切れるカッターというのは、他にもあるらしい。しかし、これが欲しいのだ。まあ、これもファッションである。
 
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「いじめ」と「尖閣諸島」

2012年09月17日 | 日記・エッセイ・コラム
 とりあえず、二つのことについて書いておきます。
 一つは「いじめ」についてで、もう一つは「尖閣諸島」の問題についてです。全く別個に見えるこの二つの問題が実は、根源的に同一であるからです。
 それは、「ナショナリズム」です。ナショナリズムは差別意識によって構成されています。具体的にどういうことなのか、少し長くなりますがかいつまんで述べていきたいと思います。


 まず、「いじめ」は子どもたちだけが考え出し実行したものではありません。誰かから教わったか、誰かの行為から学んだかのいずれかです。その誰かとは当然大人たちであるということは、すぐに思い当たります。
 
 この世に生を受けた子どもは、その瞬間からもっとも身近な大人である親から様々なことを学びます。最初の言葉は間違いなく親から学びますし、ものの扱い方もそうです。物事の善し悪しも、基本的に親の判断をそのまま踏襲します。
 
 幼い子どもにとって親は至高の存在ですから、疑う余地などまったくありません。自分の親から、「あの子は汚いから」「あの子は貧しい家の子だから」「病気がうつるから」「頭が悪いから」、だから一緒に遊んではいけません、などと、これまで砂場で仲良く遊んでいた子どもたちから自分の子どもを引き離し、親の眼鏡にかなった子どもとだけグループをつくって、手も服も汚れない「上品」な遊びを子どもに勧める親もいます。ホントです。
 
 こういう話はテレビドラマなどでよく見かけることですが、多少の誇張はあるものの、実際に存在する出来事が大半です。ドラマなら「なんてひどい親たちだろう」と、問題を解決しようと孤軍奮闘する熱血先生を応援したりもします。ところが、自分が同じようなことをしていても、それには気付いていない場合がほとんどです。テレビに登場する理不尽なモンスターペアレントと自分自身を重ね合わせることは決してしません。
 
 また、親同士のうわさ話も、子どもたちの耳に入ります。誰々の親が犯罪を犯したとか、会社が倒産したとか、離婚したとか、不倫がばれたとか、そんな話をさも楽しげに昼間のリビングで高価な紅茶をすすりながら話し、そのまま家に持ち帰ってご主人に自慢げに話すのを、子どもはそれとなく聞いています。具体的な内容はわからなくても、子どもたちは「そうか、他人の不幸って面白いものなんだ」と、真っ白な心に「差別意識」が刷り込まれていくのです。
 
 子どもが親の影響を最も強く受けるのは、3歳から7歳の間といわれていて、その間に物事に対する判断の基幹部分が構成されます。これは、性格や人格の根本を成すものです。
 7歳以降になると義務教育が始まります。子どもの行動範囲や交友関係は大幅に拡大し、7歳までに芽生えた思考の基幹にそって人格が構成されていきます。そうして、ほぼ15歳くらいまでに、その人の人格の基礎が出来上がり、以後、それをもとに人生経験を積み、社会性を身につけて、大人になっていくのです。
 15歳までに出来上がったシナリオに、演出やアレンジを加えて以後の人生を送っていくということになります。何ともおそろしく残念な話ですが、どうもこれは事実のようです。
 このシナリオを、ライフ・スクリプト(人生脚本)と呼んでいる心理学者もいます。
 
 親から刷り込まれた差別意識が暴走するのは、15歳ころまでの社会常識がきわめて希薄な時期です。陰湿で過激な「いじめ」が、おもに中学校で行われているということからも頷けます。
 本質的に自分が悪いことをしているという意識がなく、もし「悪いこと」と思っていたとしてもそれは、先生など一部の大人からそう指摘されたからであって、自分自身で判断したことではありません。したがって、ある「いじめ」のやり方が注意されたとしても、他のやり方で「いじめ」が行われることになり、終りがありません。
 たとえば、教科書に落書きするのは悪いことだけど、帽子やランドセルを池に放り込むのならいいだろう、とまあ、ちょっと極端ですがそういうことです。
 大人はそういうことはしませんが、一人の人を取り囲んで糾弾したり、ネットで悪口を広めたりするのも同じことです。大人のいじめは狡猾になって、法に触れるぎりぎり手前のことをやるようになります。
 大人の世界で恒常的に存在する差別やいじめが、子どもたちを「いじめ」に走らせるのですから、子どもたちの間で表面化した「いじめ」だけに目を向けるということは枝葉末節であり、何ら根本的な解決にはなりません。
 
 「尖閣諸島」問題の根源はやはり、差別であり「いじめ」です。
 冒頭に「ナショナリズムは差別によって構成される」と書きました。改めてここにナショナリズムとは何かということを定義しておきます。ナショナリズムとは、自国あるいは自民族が最も優秀で秀でていて、他民族はすべて劣等民族であって排斥されて然るべきものであるという考え方です。
 典型的な例は、太平洋戦争以前のナチスドイツや日本(大日本帝国)がそうです。ナチスドイツでは、ドイツ人が世界で最も優れており、劣等民族であるユダヤ人は世界から抹殺すべきだという考えのもとに行われたのがホロコースト(大虐殺)です。大日本帝国憲法下の日本では、日本古来の宗教である神道をモデルに、天皇を頂点とした国家神道を作り、「八紘一宇(はっこういちう)」の名のもとに、中国や朝鮮を侵略していきました。八紘一宇とは、日本が中心になって世界中を一つの国として統治するという意味で、他国を見下した驕った考え方で、日本の侵略行為を正当化するために使われました。
 おわかりのように、ナショナリズムは他国や他民族を差別する考え方です。自分の国を愛することは決して間違ったことではありませんし、実際そうあるべきです。しかし、そのためによその国を差別し、侵略や略奪をおこなったり、のけ者にするべきではないことは誰にでもわかりそうなものです。ところが世の中には、東京都の石原慎太郎知事のように、中国人を「シナ人」と言って差別する人間は少なくありません。わが杉並区にもそんな弁護士がいました。「北朝鮮では子どもたちもスパイだから、小学校の催しに招待するべきではない」と、日本に住んでいる朝鮮の幼い子どもまでのけ者にしようとしたのです。そんな人間が弁護士の資格を持っていること自体驚きです。
 
 ナショナリストの根本にあるのは、「恐れ」です。自分に対する自信のなさです。他人を差別しいじめることで、自分自身がいじめられる立場になることを防いでいるのです。すなわち、ナショナリズムとは、他民族、他国家から自分たちが排斥されるのではないかという恐れから、相手から差別を受ける前に身をまもるという考え方です。
 もし、中国や韓国に対する差別意識がなければ「尖閣諸島問題」も「竹島問題」も起こらなかったでしょう。最初から何の問題にもならなかったはずです。もちろん同等のことが韓国や中国にも、ついでにアメリカにも言えるわけですが、こと今回の「尖閣諸島」に関しては日本に問題があります。
 
 それは、はじめから「尖閣諸島」は日本のものと決めてかかっていることで、議論の余地をなくしていることです。日本の国内にも「尖閣諸島を日本の領土と決めてかかることは疑わしい」とする学者や研究者がいます。ところがそういう意見は「中国の回し者」「共産主義の手先」といって、論議の俎上に乗せようともしません。
 おどろくのは「尖閣諸島」については、朝日新聞も共産党機関紙の赤旗までもがナショナリズムに同調し、マスコミのすべてがナショナリズムと化しています。
 
 「尖閣諸島」がどちらの領地であるかという以前に知っておくべき背景があります。
 中国には歴史的に他国から侵略され差別され続けてきた事実があります。特に日本からは「満州(東北地方)」侵略、三光政策、南京事件を始め、虐殺強奪による多大な被害を受けてきました。中国ではそういった歴史的事実を学校で教えていて、それを日本では「反日教育」と呼んでいます。
 しかし日本では、旧日本軍が中国で行ってきた残虐行為を日本の学校で教えることはありません。ですから、日本と中国が、歴史的に(特に明治以降)どのような関係であったのか、日本人の多くは知りません。
 今回の「反日」デモは、日中の近代史を学んだ若者たちが、「日本は中国人をどこまでいじめれば気が済むんだ」という怒りの爆発です。「尖閣諸島」は引き金に過ぎず、根源は中国に対する歴史的かつ構造的な差別です。
 
 「満州国」時代に、日本人が中国人に対してどんないじめを行ってきたか、以前、身近な人から実体験を聞いたことがあります。
 「かわいそうだと思わないでもなかったけれどネ、みんながやっていることだったから。それに、へたに庇ったりすると、非国民にされるしネ」
 どこか、現在の中学校のいじめと考え方が似ていませんか。
 外国の学校でも、日本のアメリカンスクールでも「いじめ」はあるそうです。しかし、人間としての尊厳を奪い取るような、陰湿な「いじめ」は日本独特のものだと、外国の生徒たちは口を揃えます。
 やはりそこには、明治時代から続く日本型ナショナリズム、国粋主義が現在も根強く残っていることが原因と言えるのではないかと思われます。
 
 「いじめ」をなくすのには、目の前で起きていることを解決すると同時に、まず、子どもたちと直接接する先生や親とその周辺の人々から、差別意識をなくすことです。子どもにだけ原因を求めるのは枝葉末節です。
 
 不幸な出来事に遭った人を見て、「ざまあ見ろ」と思った。
 不幸な出来事に遭った人を見て、「気の毒に」と思った。
   どちらも差別。
 ホームレスを見て、「汚らしい」と思った。
 ホームレスを見て、「ああはなりたくない」と思った。
 ホームレスを見て、「かわいそうに」と思った。
   どれも差別。
 
 不幸な出来事に遭った人も、ホームレスも、自分と同じ人間。けっして気の毒でもかわいそうでもありません。
 
 日本には「お気の毒に」という相手を慰める挨拶があります。ところがそれを言う人の根本には、「自分はそうではない、そうなるはずもない」という思いがあります。「お気の毒に」と言った瞬間に、自分が相手より上位に立っていることを感じるはずなのです。とっても日本的な差別意識だと思います。
 
 江戸時代の身分制度が士農工商であることは誰もがご存知のはず。生かさず殺さずとした農民に対し、上を見るな下を見て暮らせと、士農工商の下にエタ、という身分を作り差別の対象としました。かれらは、一般の庶民とともに暮らすことを許されず、与えられた地域にを作って住まわされました。それが被差別のルーツです。比差別の出身者は現在でも差別の対象とされることがあり、問題は残されています。
 
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本の闇鍋

2012年08月27日 | 日記・エッセイ・コラム
 新宿の紀伊国屋書店で、「ほんのまくら~書き出しで選ぶ100冊~」というブックフェアをやっていると、何日か前の朝日新聞にあった。普通の文庫本に紀伊国屋書店が独自で小説の書き出しだけを印刷したカバーをかけて売り出したものだ。ラップがされているので中味は確認できない。
 ところが、これが結構ヒットして、売り場は黒山の人だかり、売り切れ続出だそうだ。
 
Hon_no_makura
(写真は店舗内を無断で撮影できないのでhttp://www.qetic.jp/blog/pbr/archives/9131から拝借した。差し障りあればご連絡を)
 
 以前、トイレットペーパーに小説を印刷したものが話題になったことがあるけれど、それよりはましかもしれないが、長続きする企画ではないだろう。安価な文庫本で加工賃などの採算はとれるのだろうか。
 しかし、タイトルではなく、その書き出しに引かれるということもあるので、自分が気にも留めなかった本と、意外な出会いができることは事実だ。
 
 写真のパネルにもあるように、本の書き出しというのには「ものすごく悩む」。誰だったか、「書き出しがうまくいったら、その作品は半分でき上がったようなものだ」といった文豪もいたほどだ。
 実際、出来上がった原稿を読みなおして、書き出しが納得いかずにふたたび最初に戻ることもしばしばである。テレビドラマなどで、小説家が最後の一行をしたためて「できた!」と呟く場面を見かけるが、あのようなことはめったにあるものではない。川端康成が、『伊豆の踊子』のあの有名な書き出し「道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思う頃……」が完成するまでに何年もかかっている。
 今日の朝日新聞「天声人語」にも、その紀伊国屋のブックフェアが話題になっていて、「〈あのころはいつもお祭りだった〉と、〈昨日、心当たりのある風が吹いていた〉」の2冊を買ったとあった。「天声人語」ではタイトルは隠されていたが、はじめのは、『美しい夏』 (岩波文庫 パヴェーゼ著 河島英昭訳)であとのは『昨日』(早川文庫 アゴダ・クリストフ著 堀茂樹訳)である。ともにタイトルだけではまず手に取らない。著者の名前は知っていても、僕はあえて積極的に読もうとは思わない。ところが、この書き出しは「天声人語」の筆者ならずとも気を引かれる。これまで気にも留めていなかった名作に出合う、そういった点で、このブックフェアは成功している。
 表題の「本の闇鍋」はネット上での命名である。言い得て妙だ。
 
 ところで、本の書き出しは入試問題やクイズの問題としてもよく出される。定番は太宰治の『走れメロス』。〈メロスは激怒した〉は知らない人の方がめずらしいだろうと思っていたら、テレビのクイズ番組では若いタレントを中心に半数が知らなかった。
 書き出しではないけれど、アーネスト・ヘミングウェイも最近の若者(なかには若者とはいえないタレントもいたが)には縁が遠いらしい。顔写真や「老人と海」などの代表作からなかなか名前が出ないのだ。
 読書離れ、出版不況、そしてさらに、文学不毛の時代ともいえるかもしれない。
 「廻れば大門の見返り柳いと長けれど」
 「山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される」
 「或る日のことでございます。御釈迦様は極楽の蓮池のふちを、独りでぶらぶら御歩きになっていらっしゃいました」
 「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」などなど。
 印象に残る書き出しは少なくない。しかしこれらは、何度となく読み返した結果でもある。最近の読者は読み返すことなどまずなく、それ以前に本を取っておかない。一度読んだらすぐにBOOK OFFに持っていってしまう。この現象をどう判断すべきか、子どものころから同じ本を何度も読み返した経験を持つ自分としては、的確な答えを見つけることができないでいる。
 
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地球には国境がありません

2012年08月22日 | 日記・エッセイ・コラム
 今日は久しぶりに「デスマス」調でブログを書いてみます。他意はありません、気分です。ただ、「デアル」調と比べて文末が単調にならないように気をつけなければならないので、「デスマス」調のほうが難しいのです。
 さて、

「地球には国境がありません。」
 これは、1992年9月、日本人初の宇宙飛行士として、スペースシャトル「エンデバー」に搭乗した毛利衛さんの言葉です。
 おどろく出来事がありました。ある夜のこと、夏休みということもあって、子どもたち(多分小学校の低学年です)が公園に集まり、恐らく学校の先生なのでしょうか、その人の指導のもとに望遠鏡で星の観察をしていました。
 この日は金星がとてもよく見えていて、望遠鏡もその方向を向いていました。順番に望遠鏡をのぞいていた子どもたちが一通り観察し終わった頃、先生がA3判くらいのラミネートパネルに宇宙から見た地球の写真を取り出して、地球も金星と同じ惑星の一つで、宇宙から見るとこのように見えると説明を始めたのです。写真はNASAが撮影した、現在では著作権フリーになっている有名な地球の全景です。
 すると、参加していた子どもたちの中から、その写真について意見が発せられました。教科書や学校で見る地球と違うというのです。それに同調する子どもも何人か現れました。国境や緯度経度の経線がない、地球というのは他の星と違ってそれらのものがあらかじめあると考えていたようです。たしかに、デザインやイラストで地球を表現するときに、緯度経度の経線を入れることが実際にあります。
 この小さな論争は、先生が説明するまでもなく、少し年長に見える男の子が説明して決着がつきました。
 「ばかだなあ、あれは人間が描いたんだよ。もともとないものだよ。だって旅行に行って線が見えたことなんてないよ」
 昔、南に向かう航路で船乗りが、双眼鏡のレンズに赤い線を引き、「オイ見てみろ、赤道が見える!」と教養のない人夫をからかったという笑い話を思い出しました。
 地球上に線を引くのは人間だけです。欲のために土地を奪い合うのも人間だけです。戦争や紛争、環境破壊で地球を住みにくくしているのも人間だけです。
 かつて、「JEAN」という環境保護団体の代表から「ゴミを作るのは人間だけですから」と聞いて頷いたものです。

Postcolonialism
 
 写真で紹介したいくつかの本は、高橋哲哉さんの『犠牲のシステム 福島・沖縄』から連想ゲームのように拾い読みをしているものです。ところがこれらのうちの多くが品切れ状態で(絶版ではないようですが)中にはプレミアムがついてしまっていました。
 この中で特に手元においておきたいと思った一冊は『無意識の植民地主義』(野村浩也 お茶の水書房)で、何とかならないものかと版元に問い合わせたところ、「安くしすぎてしまって」とか「絶版にはしないけれども再版の予定はない」という言葉が聞かれました。どうやら、定価の設定をミスして、再版をすると赤字になってしまうのでしょう。素人は定価を上げればいいと簡単に考えますが、定価を上げるということは書籍コードも変わり、別の本として出版しなければなりません。そのためには読者が納得するような加筆訂正などがなされていることが必要で、簡単にはいかないのです。
 この『無意識の植民地主義』は、多数の文献から植民地主義や差別についての優れた内容の文章を丹念に引いていて、大変参考になります。高橋哲哉氏もこの著作からかなり影響を受けていたことがうかがわれます。
 現在の日本に植民地はないと思われていますが、「ポストコロニアリズム」として指摘されているように、沖縄の琉球民族や北海道のアイヌなどと〝日本人〟との関係は現在でも植民者と非植民者の関係にあることです。引用されている「植民者はそこに居住するのではなく君臨する」というフランツ・ファノンの言葉は象徴的で、アジア・太平洋戦争中の「満州国」はまさにその通りであったことが知られています。日本中の米軍基地の74パーセントが集中する沖縄は、安保条約のもとに〝日本人〟が沖縄に君臨していると考えて不思議はありません。〝日本人〟が沖縄を差別し、沖縄を〝植民地〟として君臨しているからアメリカの基地があるわけです。その証拠に、〝日本〟の都道府県で沖縄にある基地のいくつかを引き受けてもいいという自治体はないのですから。
 ぜひとも復刊してほしい本ですがその予定がないということで、図書館から借りてきたものをやむを得ずコピーして手元に置くことにしました。
 
 『分割された領土』(新藤榮一 岩波現代新書)もやはりプレミアムもので入手が困難です。北方領土や沖縄の取り扱いについて、天皇や外務省はどう対応してきたのか。天皇メッセージやサンフランシスコ講和条約による領土の分割を軸に、日本外交の失敗の歴史が書かれています。
 『無意識の植民地主義』と同時に図書館から借りてきましたが、返却期日まで読み終わりそうにありません。
 『ことばと国家』(田中克彦 岩波新書)は、自身で選ぶことのできない母国語を野卑な言語と差別されたり、植民地化を進めるための言語崩壊に対する非植民地、あるいは無国籍言語を持つ人々のたたかいを描いています。
 『精神の非植民地化』(グギ・ワ・ジオンゴ 第三書館)もケニア生まれの著者が白人の植民地化政策で自らの言語が否定され、破壊されつつある固有の文化を守るための抵抗を描いています。
 「ケニアでは英語はたんなる言語以上のものとなった。(中略)その結果学校付近でギクユ語をしゃべっているのを見つかることがもっとも屈辱的な体験となった。罪人は体罰(中略)もしくは「私は馬鹿者です」とか「私はロバです」と書き込まれた金属札をまわりにつるされた。」
 沖縄では戦前戦中、方言を使った罰として方言札というのを首に掛けられたということは以前に書きましたが、似たようなことがアフリカの植民地政策でも行われていたことをここで知りました。
 
 僕は「国益」という言葉が好きでありません。国家単位のエゴイズムの臭いがするからです。いま、竹島や尖閣諸島の問題でマスコミが賑わっていますが、どのテレビ局も必ず「日本固有の領土である」という接頭語をつけています。あの「赤旗」もそう主張しています。本来自然界には、毛利衛さんが言うように国境などありません。国境線とは人間が欲と差別を目的に描いたものです。国境ができた原因は、歴史的に古来から一定の民族が居住していた区域を囲ったもの、あるいは戦争などの力によって民族や土地を奪い、併合し、「実行支配」しているなどの場合があります。
 竹島や尖閣諸島の領土問題は、実行支配しているのは日本であるとされていますが、歴史的に見ると必ずしも当初から日本の領土であったかどうかといえば疑わしいものです(参考=井上清『尖閣列島』第三書館)。歴史的な観点から見ただけですと、沖縄も北海道も日本ではなくなります。実行支配していることを領土の理由とするならば、そこに居住している人々が領土を主張する国の国民であることを納得していることが一つ、もう一つは、その土地を活用している事実があることです。
 問題は、竹島や尖閣諸島も現在、そこに誰も住んでいないことです。つまり、歴史的にも実質的にも、それぞれが主張するだけで明確な証拠に乏しいことなのです。
 問題が大きくなったのは、1960年代頃からそれぞれの海域に豊富な地下資源が見込まれるとわかってから、韓国や中国が歴史的な背景を盾に領土を主張してからです。これは、アジア・太平洋戦争中、日本が朝鮮半島や中国大陸を植民地として占領していたことが、竹島や尖閣諸島も日本の不法占拠であるという根拠の一つとしているようです。
 僕自身、竹島も尖閣諸島もどこの国の領土であるという結論は出ていません。おそらく今後もわからないでしょう。
 昔から日本には「諍いの種は摘むべし」という言い伝えがあります。そうです、諍いの種は摘んでしまえばいいのです。乱暴かもしれませんが、竹島や尖閣諸島近くの海底を震源とする大地震でも発生して、島が沈没してしまえばその瞬間にこの問題は解決します。満潮時に海面から沈んでしまうと、それは島とはいえなくなるからです。
 どうでしょうか。
 
 いま社会的な問題になっている「いじめ」は、「差別」や「植民地主義」ととても深い関係があると思います。いじめとは、「自分がいじめられないための〝差別〟」であり、また、いじめられる側に対して〝君臨〟する植民地政策だからです。つまり、〝日本人〟の中に、学校の先生にも親たちにも存在する、ポストコロニアリズム的な思考を直視し解決していかなければ、子どもたちのいじめはなくならないのではないでしょうか。つまり現在学校で起きているいじめとは、自然発生的に現れたのではなく、子どもたちが大人たちからいつの間にか学んだことだといえるのです。
 
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まず、道具から揃える

2012年08月12日 | 日記・エッセイ・コラム
 クソ暑い日が続くと読書をしていても集中力が持続しなくて、仕事で仕方なしに原稿を読むのが精一杯だ。たいしたブログネタもなくて、仕事が途切れる来週あたりどこかに出かけようかと思っていたら、仕事の依頼が入って出かけられなくなった。
 そんな折、友人S氏のブログで、この暑さに彼も似たような状況にあるらしく、モノの本を「読み散らかし」たと言っていて、そういえばと思いたち、こんな本をひっぱり出してみた。

Mono1
 
 父親が出版人であった関係で、父の遺品も含めて十数本の万年筆がある。コレクターではない。使うためにある。
 パソコンもワープロもなかった時代、万年筆は物書きの必需品だった。夏目漱石も芥川龍之介も、それぞれ愛用の万年筆があって、一本の万年筆をそれこそ自分の身体の一部のように使っていたようだ。
 上の写真の2冊は、いずれも1970年代に出版されたもので、著者の梅田晴夫氏は文筆家であると同時に万年筆やパイプのコレクターとしても知られた人だ。
 箱入りの大冊『万年筆』(青土社)は万年筆の歴史がその構造上の発展も含めて詳細に書かれている。新書判の『万年筆』(平凡社カラー新書)には、梅田氏のコレクションがカラー写真で掲載されている。その本から、宇野浩二や菊池寛ら文豪の多くが愛用していたというオノトという英国製の万年筆の存在を知った。
 文豪に愛用されていた万年筆とはどんな書き味なのか、試してみたくなった。しかしすでにオノトという万年筆メーカーは存在していなくて新品を購入することはできない。たまたま、当時原宿にあった万年筆やパイプなどの骨董品を専門に扱っている店を訪れたときに何本かのオノトを見つけ、その中からできるだけ状態の良いオノトを入手した。
 書き味は大変宜しく、文豪が好んだというのも納得できた。
 梅田氏は万年筆の書き味について、「書く」と同時に「掻く」感じがいいという。するすると抵抗なく紙の上を滑るのでなく、紙の表面に掻きつける少しのザラザラ感が万年筆の存在感たる所以だそうだ。
 その意見にはまったく同意したい。僕は鉛筆も愛用しているが、日本製のUNIやMONOなどではなく、いくぶんザラザラと指先に感覚が伝わってくるカステル9000がいい。UNIやMONOは滑らかすぎて書いているという実感が薄いのだ。これは、梅田氏の言う「掻く」という感覚に似ているのではないか。
 ところがこのオノト、書き味は実にいいのだが、いかにせんインクを補充するのに一苦労だ。ペン先部分を外していちいちスポイトを使ってインクを入れ、こぼれないように気をつけながらペン先を戻す。しかもしっかりねじ込まないと隙間からインクがにじみ出して手を汚す。これしかなければ「こんなもんか」とあきらめもつくのだろうけれど、最近の性能のいい万年筆を知っていると、とても使えたものではない。
 もともと万年筆というものは、買ってすぐに使いやすくなるものではない。使い込んでいるうちに書きやすくなる。また、同じメーカーの同じ型のものでも、微妙に異なり、当たり外れもある。すなわち、使いこなすにはそれなりの努力とスキルが必要なのだ。
 
 ボールペンやマーカーの手軽さ、そしてパソコンやワープロに押されて、万年筆人口は一気に減ったが、最近はまた見なおされてきていて、丸善などではショウケースに見入る客が結構増えているという。
 
Mono2
 
 万年筆だのパイプだのといったモノにこだわるのはおおかた男だ。僕はゴルフはやらないが、ゴルフを始める友人の多くはまず道具から揃えている。それもとりあえず使えればいいものではない。クラブはもとより靴からウェアまですべて本格的なものを、まず揃える。これがそもそも女性の大半には納得がいかないらしい。「やってみなければ続けられるかどうかわからないのだから、安いのでいい」と考えるのが普通の女性である。
 僕が釣りを始めたとき、やはり道具から入った。ベテランの友人から助言を受けたが、まず言われたことは「続けたいと思ったら安物は買うな」だった。
 釣り人なら常識だが、困ったことに釣り道具は、魚の種類だけ存在するといって過言でない。対象魚が異なる度に、新しい釣り竿やリールを揃えなければならないのだ。万能竿というのがあって、魚を大きさで分類して、一定範囲内をカバーできるのもある。鮪や鰤などの超大物を釣るのでなければ、それでたいていの釣りは対応できる。しかし、そんな道具を使っていたのでは「初心者でございます」という札をぶら下げているようなもので、やはり鯵には鯵の、鯛には鯛の竿を使いたくなるのが人情というものだ。
 しかし、専用の竿を使ったからといってよく釣れるのかといえば、それは保証の限りではない。たまたま隣で釣っているベテランが万能竿で釣っていて、そっちの方がよっぽどよく釣れていたりする。つまり、結局は「道具より腕」なのだけれど、かといって実用一点張りにはできないのが、男というものらしい。
 そのうち、いい竿やリールを見る度に欲しくなる。美術品のような美しい手作りの竹竿で、沙魚なんかを釣ってみたいと思うのだ。
 ちなみに、沙魚や鮎釣りなどは、そうした芸術的な道具を使っている人が多い。美しい竿が並んだ光景はなかなか壮観である。
 そうして揃えているうちに、何十本もの竿が自宅を狭くする結果になる。女性から見れば「ばっかじゃなかろか」と思うのだけれど男にとってはこの上ないロマンなのだ。使った道具は収納する前に必ず手入れをする。そのときの表情は恐らく愛猫家が猫を愛でるときの表情に似ているかもしれない。他人に見せられたものではないだろう。
 カメラ、パイプ、LPレコード、時計などなど、あるいはそれらすべて、持っているだけで嬉しいものなのだ。世の奥様方は目くじらたてず、経済的に余裕があるのなら温かく見守ってあげてほしい。
 念のために断っておけば、フィギュアやキン消しのコレクターと一緒にされては困る。ここで言うモノとは、必ず使えるものでなければならず、基本的に使うことを前提としている。ただ並べて見るだけの物とはわけが違う。
 
 さて、上の写真は何かといえば、クラシックな木製のリールである。ストッパーもガイドもない、ただの糸巻きに近い。横浜の釣り道具店で見つけて、珍しいと思って買ったのだけれど、釣りのあいだ中、糸が勝手に出ないように指で押さえていなければならないのだから、どう考えても使いにくい。
 結局、一度使っただけで書棚の飾りになっている。
 
 釣り仲間がさまざまな理由からまわりにいなくなって、釣りに行く機会はめっきり減った。子どもを連れてボート沙魚に出かけるくらいだ。海での大物釣りはここ何年にも行っていない。仕掛けの作り方も忘れかけている。かといって、自分一人で出かけようとも思わない。だれか誘ってくれないだろうか、と、最近は思い始めている。
 
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初物自家製ゴーヤ

2012年07月25日 | 日記・エッセイ・コラム
Gohya1
 
 ようやく今年1本目のゴーヤが食べられそうな状態になった。
 もう一日二日待とうかと思ったのだけれど、収穫のタイミングを失すると元も子もない。
 手に取るとそこそこの大きさだった。
 
Gohya2
 
 とりあえず、ゴーヤチャンプル。
 「1本だから材料少なめでいいよ」といったのに、豆腐ももやしも多すぎる。それにやたら水分が多い。
 長女が食べてみて「あれ、素材の味しかしない」。
 「ほんとだ、味付けした?」
 「したよ」
 味付けは塩と醤油とカツオ出汁。
 「全部入れたよ」
 「どのくらい?」
 「粉末出汁サラサラ、醤油シャッ、塩はちょぼ」
 「それじゃわかんないじゃない!」と長女。
 出汁と醤油を足して味を整えなおし、完食。
 原因は豆腐の水抜きが十分でないのに全体的に薄味にしてしまったこと。それと、風邪をひいて鼻炎になり、においや味がわからなかったらしい。やれやれ。
 
 東京ではなかなか大きく育たないけれど、あと何本かは食べられると思うので、ぬか漬けやナムルなんかも作ってみようと思う。
 
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プレ天体ショウ、サークルレインボー

2012年05月20日 | 日記・エッセイ・コラム
Circle_rainbow_plane
 
 明日の金環食は天候がいまいちで見られるかどうかわからないが、今日、サークルレインボーが現れた。
 昨年5月31日に現れたときにはちょっとしたさわぎになったけれど、2度目となるとあまり騒ぎにはならないようだ。金環食の前座かともみえるが、めったにないサークルレインボーが今年も現れたということには、何か自然現象的な意味があるのだろうか。昨年は大震災から81日後だった。
 
 昨年の記事はこちら→http://blog.goo.ne.jp/gallap6880/d/20110531
 
 サークルレインボウの中をちょうど飛行機が通過した。(写真クリックで拡大)
 飛行機の中からはどう見えているのだろう。
 
 明日の金環食は東京がもっともきれいに見えるはず。(天候次第だが)
 金環食は午前7時31分57秒からは始まって、34分29秒がピーク、37分1秒に終る。わずか5分ほどである。その間曇っていたらアウト。
 ほぼま東の地平線から高さ35度ほどのところに見える。したがって、その方向にビルや高い木立があると見えない。
 我が家の二階ベランダからは、電線や住宅がかなり障害になっているが、近くの十字路まで出ていけばたぶん見ることができる。
 
 一応観測眼鏡を用意し、カメラには変更フィルターを装着して準備万端なのだが、あとはその時間、太陽が雲間からのぞくのを祈るのみ。
 
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■2011・6・7 中村哲医師講演会■
~ケシュマンド山系に記録的集中豪雨 緊急報告~

主 催/ペシャワール会現地報告会実行委員会
後 援/杉並区教育委員会

 2011年6月7日、アフガニスタンで活躍する中村哲医師の講演会を実施いたします。
 後援へのご参加と、ご賛同をお願いいたします。
 
 〔日時〕2012年 6月7日(木)18時20分 開場 18時40分 開演
〔会場〕セシオン杉並大ホール(地下鉄丸ノ内線東高円寺下車5分)
〔料金〕前売り 1,200円/当日 1,500円(高校生以下無料)
 
◆詳しくは以下にアクセス
 http://blog.goo.ne.jp/gallap6880/d/20120503


3年ぶりの辺野古

2012年05月16日 | 日記・エッセイ・コラム
Henoko1
 3年ぶりに辺野古を訪れた。
 海岸のキャンプシュワブとの境界が、有刺鉄線からフェンスに変わっていた。リボンで魚などの形に彩られて、まさに平和のアートだ。しかし、この直後にリボンはすべて米軍によって撤去されてしまったという。
 「またすぐにつけるけどね」と安次富浩さん。
 
Henoko2
 この日は「復帰40周年」の平和行進に参加する人々が辺野古を訪れ、さらにマスコミの取材もあって安次富さんは大忙しで、あまり相手をしてもらえなかった。
 「ひさしぶりー!」
 「やあ」
 「ワシントンはどうでした?」
 「アメリカ人は日本人よりわかりやすくていいよ」
 「あいまいなところがなくてはっきりしてるからねえ」
 「日本の政治家はダメだね」
 「じゃまたあとで」
 と言いつつそれっきり。
 
Henoko3
 たくさんの人でざわざわしているのに、愛犬ポチはのんびりとひなたぼっこ。平和そうに昼寝をしてしまった。 
 
 Henoko4
 海岸では子どもたちが真っ黒になって遊んでいた。この子たちが大人になるときには基地のない沖縄であってほしい。
 
Henoko5
 小さな貝殻がたくさん落ちていると思ったら、突然動き出す。みんなヤドカリだった。こんな自然豊かなリーフを、米軍の水陸両用車が踏みつぶしていく。
 
Henoko6
 夕食は、牧志公設市場の2階で夜行貝の刺身とブダイの刺身で一杯やった。写真を撮り忘れ、殻だけになってしまったが、実にうまかった。アワビのような食感で、同行した7人全員を満足させた。
 夜光貝の殻は、沖縄では螺鈿細工に使われる。磨くと美しい光を放つのだ。真っ先につばを付けて持って帰った。
 
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■2011・6・7 中村哲医師講演会■
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本日満開!

2012年04月08日 | 日記・エッセイ・コラム
2012hanami1
 
 好天に恵まれた今日、けしば・新城両区議後援会主催の花見に参加した。去年も一昨年も参加しなかったので、久しぶりである。
 区内、いや都内でも有数の花の名所になった善福寺川公園は、杉並区内だけでなく、近郊から車や電車バスを使って人が集まってくる。混雑を避けて午前中からはじめたが、すでに相当数の花見客が集まり、近くの道路は渋滞が起きていた。
 今年は暖かくなるのが遅かったために、平年より5日ほど遅れたが、その分一気に満開になって、これ以上ないという見事さだった。
 
2012hanami2
 
 善福寺川の川面にせり出して咲く桜が美しい。散り始めると、川に花びらが敷き詰められて、まさに花筏になる。
 
2012hanami3
 
 桜というのは、太い幹にも直接花が咲く。なんだかものすごくがんばってる感じがして愛おしい。
 
2012hanami4
 
 両議員が型通りの挨拶をしたが、「越の寒梅」が気になって、あまり聞いていなかった。
 
 3時前にはお開きとなったが、ますます人出は増えて、トイレには長い行列ができ、近くのコンビニはレジを通過するのにディズニーランド並みの順番待ちだった。
 ピークは火曜日頃までだろうか。次の週末は葉桜になっていると思う。
 
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青山の桜

2012年04月01日 | 日記・エッセイ・コラム
1204011
 
 半月遅れで墓参りに行く。
 例年この時期は見事な桜のトンネルができているのだが、今年はまだほとんど咲いていない。
 今年の開花宣言は昨日、例年よりも5日遅いそうだ。満開になるにはあと一週間ほど、見頃はつぎの週末というところか。
 
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 探してやっと見つけたいくつか。
 
 1204013
 ウチの墓の近くにせっかちな一本があった。ほとんどの木がつぼみなのに、この木だけが八分咲きだった。
 コンサートで曲が終らないうちにひとりだけ立っちゃったみたいな、そそっかしいやつだ。他に迎合しないところがいい、といえばいい。
 
1204014
 
 青山墓地は共有スペースの整備が行われていて、通路がずいぶんきれいになっている。通りがかりに集合墓地を見つけた。墓地のアパートである。この整備の一環で造ったものだろう。
 かつて青山墓地は移転する計画があった。100年計画で、新規の申し込みは受け付けず、自然に半分くらいに減らしたところで移転する予定だと聞いた。ところが、なかなか計画通りに減らない。はかがいかない、とはこのことだ。
 東京都としては、青山墓地が東京のど真ん中の一等地にあるために、移転させて商業施設でも造り、一儲けしようともくろんでいたのだ。それができそうもないとわかったとき、一転して空いている区画を販売しようと考えた。もともと公営の墓地なので安い管理費でまかなわれていたものだから、販売が決まったとたんに希望者が殺到した。青山に墓地、などといえばちょっとしたステイタスを覚えるからだろう。
 もっとも、ウチがこの墓地を手に入れたのは明治の初めで、親戚一同が揃って何区画かをまとめて購入して分けた。そのころの青山はステイタスどころか狸やイタチが跋扈していたそうである。江戸時代は大名屋敷がならんでいたあたりで、都会ではあったが決して賑やかではなかった。
 それが、(六本木とか原宿もそうなのだが)時代の最先端を行くファッショナブルな街にいつの間にか変わっていって、地価はうなぎ上りに上昇していった。バブル期にいっそう拍車がかかって、青山は一等地の代表のようになってなってしまった。
 だもので、売り出した墓地の価格も、ウチが入手したときの何百倍(貨幣価値が違うので感覚的ではある)にもなった。どの区画か知らないが、1区画(3.3平方メートル)4000万円と聞いたときには空いた口が塞がらなかった。そんな値段で山ほど売れたのだから、当然墓地を整備するカネもできた、というわけだ。
 そんな高価な墓地をフツーの人は買えないだろう。そこで考えたのが墓地のアパートを造って安く売り、さらに儲けようという魂胆だ。
 「死んでからもマンション住まいかよ」と亡くなった人がぼやきそうだ。
 で、銘板を見るとまだ無地のままのところが目立つ。共同墓地とはいえ青山ということで高いのか、共同墓地が敬遠されたのか、どうやら完売はしていないらしい。
 
 さて、次は盆か秋の彼岸か。
 
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「定義集」終る

2012年03月21日 | 日記・エッセイ・コラム
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 朝日新聞に月1回連載されていた大江健三郎さんの『定義集』が、6年間の幕を閉じた。6年も続いていたのか! とおどろいたと同時に、その連載の前半3年間は目に留めていなかったという悔しさもある。(なんで気づかなかったのかは不明)
 まさに「沖縄『集団自決』裁判」と共に歩んで来た連載で、さまざまな文学評論や若い人に伝える言葉とともに、裁判の節目ごとの思いが綴られてきた。
 昨年、裁判は大江さんら被告側の勝訴で結審して、岩波書店からは『記録・沖縄「集団自決」裁判』が出版され、この事件の終結を見たことで、大江さんはこの連載の役割は終えたと考えたのだろう。
 
 「定義集」を通じて、ずいぶん勉強させてもらった。エドワード・サイード、加藤周一、井上ひさし、渡辺一夫、最近ではミラン・クンデラ、などなど、未知の名著が引用とともに紹介され、読書の枠が広がった。
 最終回は沖縄問題とともに歩んで来たこの連載の思い出を、登場した人々や福田美蘭さんの挿絵への感想とともに語られる。(福田さんの挿絵について「シンプルで力強く」とあるが、「力強い」ことは理解できるがシンプルとは?)
 
 6年間にわたって、「文字面からは落ち着いた女性に思える読者から、毎月、不思議な記号つきの短評が寄せられ」たそうである。30/124とか69/124。そのうち記号の意味が解けたとき、それが124行の文章全体に比する引用の行数の割合だったそうだ。「投書家は、私のエッセイの引用癖が不満なのです」と解釈したうえで、それは大江さんが文章を学び始めたときからの書き写しの習慣からきていることを述べる。
 僕にとってはこの引用がとても役に立った。ノーベル賞作家は他人の著作のどんなところに注目していて、それを自身の作品のどこに生かしているかが垣間みられるからだ。この最終回でも、大江さんは自分の文章にその影響が少なからずあることを告白している。
 
 そして最後、
 「いま晩年の自分が出会っている(そして時代のものである)大きい危機について、修練してきた小説の言葉で自前の定義を、と最後の試みを始めています。」
 と、恐らくこれが最後の小説になるだろうと予感しながら、今ひとつの仕事に立ち向かっていることを読者に伝えることで連載を締めくくった。
 
 朝日新聞の連載はこれで終る。もう少し続けてほしかったと思う反面、「おつかれさま」と述べたい気持ちも強い。ところで、自分の手元にある切り抜きは後半の3年分弱である。できるだけ早い時期に、単行本化されることを望む。
 
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訃報 吉本隆明氏

2012年03月17日 | 日記・エッセイ・コラム
Yoshimoto
 
 吉本隆明氏が亡くなった。死因は肺炎、87歳だそうだ。あと一年辛抱すれば米寿なのにおしいことをした。
 煙草を1日50本も60本も吸うヘビースモーカーで、肺がんにならなくても年をとれば肺炎で亡くなることが多いらしい。やはりヘビースモーカーだった佐世保の祖父も肺炎で亡くなった。
 全共闘世代に絶大な人気があった吉本隆明氏だが、今の若い人には次女の吉本ばななのほうが有名で、すでに数十年前から「吉本隆明」の名を知らない人が増えていた。話が通じずにジェネレーションギャップを感じたものだ。
 
 正しい呼び名は「たかあき」である。しかし多くは「りゅうめい」と通称していて、「よしもと たかあき」ではなんとなく権威が感じられなくて、いまでも「よしもと りゅうめい」と呼んでいる。
 最初の出会いは、1968年に発行された『共同幻想論』だった。出版と同時に話題になり、早速購入して読み始めたものの、さっぱりわからない。最初の数ページを読むのにまる半日かかった覚えがある。
 帰宅した父親が、読みかけて伏せてあった本を取り上げて、ササッと数ページ目を通し。
 「くだらん……」
 必死になって理解しようと思っていた本を、一目見るなり「くだらん」といわれて正直むっとしたが、くだらんもくだらなくないも、難解でチンプンカンプンだったから返す言葉もない。
 そしてこうもいった。
 「おまえ、これをわかりやすく書き直してみろ。半分ぐらいの文章量ですむはずだ」
 そのころは時間もあったしやってみることにした。
 数十ページをリライトして、半分とまではいかなかったが、確かにかなり短くなった。しかもそのおかげで、かなりのことが解明できた。吉本隆明という人は、独自の言葉を創作して、それには何の説明もなく普通に使っている。また、書名の「共同幻想」という言葉もマルクスのいう「上部構造」と同じ意味で、そういってくれればいいものをここですでにわかりにくくしている。
 マルクス・レーニン主義・毛沢東思想の支持者だった父親は、それにあまり肯定的とはいえない吉本隆明に「くだらん」といったのだろう。
 苦労しながら一通り読んで、「くだらん」ことはなかったが、ことさら得るものがあった記憶もない。
 しかし、ものの考え方にはたいへん興味があったので、それから雑誌に論文が掲載されたり新刊が出れば、面白そうなものを断続的に読んだ。
 ちょうどそのころ、、勁草書房から『吉本隆明全著作集』15巻の刊行が始まり、有名な『言語にとって美とは何か』もそれで読んだ。
 わざわざ難解にしているのではないかと思われる余分な言い回しや、独特の言葉の意味付などに慣れれば、内容はそんなに難しいものではなく、哲学・思想書としてはむしろわかりやすい。
 埴谷雄高がそういっていたと聞いたが、この時代は難しく書いた方が本が売れたのだ。難解な書物を解読することにステータスがあったのである。
 
 著作集は続いて『吉本隆明全著作集(続)』15巻も刊行される筈だった。しかしこれは3冊が出版されただけで中絶。それから40年、今でも完結を望んでいる。
 
 最後にまとまった著作を読んだのは、『「ならずもの国家」異論』(2004年)。残念ながら当時のような感動は得られず、それからは新刊が出ても読んでいない。
 
 吉本隆明氏が60~70年代に残した功績は大きい。思考のヒントにしていた活動家は少なくなかった。
 反面、マルクスを持ち上げたり批判したり、「転向」したと開き直ったり、「『言語にとって美とは何か』はだれにもほんとうに読まれていない気がする」とか「自分の手から離れて一人歩きしている」などと傲慢とも思える発言をしたり、ニヒルな面も時おり見せたりする、なんともよくわからない人物だった。
 それでも、本人の中ではしっかりと筋が通っていたのだろう。「他人がわかろうとわかるまいと、そんなことは自分と関係ない」といわれそうだった。
 
 さまざまな思い出を残してなくなった吉本隆明氏、これこそまさに「一つの時代の終り」である。
 ご冥福を祈る。
 
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「あれから1年……」とはなにか

2012年03月12日 | 日記・エッセイ・コラム
 2012年3月11日は、ほとんどのテレビ局が終日「東日本大震災」特集になった。もういいかげん「絆」という文字にも言葉にも嫌気がさしていたので、「みんなでがんばろう」的な番組ではなく、ここ数日「NHKスペシャル」でやっていたような情報番組、とくに原発関連を見たいと思ってチャンネルをまわした。
 ところが、どこをまわしても「復興!復興!」で被災地の人々の生の声を紹介するような内容がほとんどだった。
 それがいけないといっているのではない。それはそれで重要だ。しかし、どの局も横並びで似たような番組を作ることはないのではないか。
 
 それでも、少数だがなかなかいい番組もあった。TOKYO-MXで放送された映画「子どもたちの夏 チェルノブイリと福島」は荒削りだがなかなかいい内容だった。それぞれの母親が子どもたちを放射能汚染から守るために努力している姿を描いたものだ。
 共通しているのは、チェルノブイリの母親も福島の母親も、政府のやることはあてにできないと考えていることである。とくに印象的だったのは、福島の母親が語った言葉である。
 「政府の安全基準は子どもを守るという考えで決められたものではない」
 つまり、政府が守りたいのは政治・経済であって人ではないことに福島の母親たちは気づいているのだ。

 被災地で脱・原発は語れないと聞いた。あれほどの被害を受けていながら、原発マネーを切り捨てられない過疎の自治体の実情がある。
 「このまま原発が止まるようなことになったら、村はやっていかれない」
 歳入の半分近くを原発三法交付金や電力会社からの寄付金に頼っている自治体もあるほどなのだ。(NHKスペシャル)
 いちど原発マネーに手を染めてしまうと抜けられなくなる。
 原発マネーの目的は過疎の自治体のほっぺたを札束でひっぱたいて、滞りなく原発を完成させることにある。ということは、電力会社は、〝完成してしまえばこっちのもの〟ということなのだ。だから、原発マネーは計画から完成までで、稼働するともらえなくなる。「釣った魚に餌をやらない」のである。したがって原発マネーに頼る自治体は、収入を確保するために次々に原発を誘致することになる。福島県や福井県に多数の原発が集中しているのはそのためで、まさに毒まんじゅうたる所以である。
 
 周知の通り、東日本大震災は三つの災害が複合して起きている。地震そのものに加え、津波と原発事故である。そして、おおかた地震そのものよりも二次災害の方が被害が大きい。
 1923年の関東大震災では、11時58分という時間も相まって、昼餉の火が崩れた家屋に燃え広がり、大火になった。建物の倒壊で道が塞がれ、消火活動が捗らなかったためと聞く。火災による惨状で、死者行方不明者あわせて14万人以上が犠牲になった。
 東日本大震災もやはり、被害の多くは二次災害の津波だった。そしてもう一つの二次災害である原発事故は、放射能汚染でこれからどれだけの被害が出るか不明である。チェルノブイリ原発事故では5年経ってから子どもの甲状腺がんが多発するようになった。
 そして、皆が叫ぶ「復興!」を妨げているのはほかでもない、東京電力福島第一原子力発電所の爆発事故に起因する放射能汚染である。
 津波で破壊された建物の瓦礫の山は、放射能汚染が恐れられ引き取り手がないために、1年を経過した現在でも被災地に積み上げられたままで、復興が進まない最大の障害になっている。多くの人々が被曝を恐れて関西や沖縄などに移住し、福島県の人口は減り続けているそうだ。
 二次災害の少なかった阪神淡路大震災がそうであったように、もし原発事故がなかったなら、いかに津波で家が流されようと、人々は住みなれた土地に戻って1年経った現在ではかなり復興が進んでいたことだろう。
 「原発事故さえなかったら……」多くの被災者がそう思っているに違いない。なのに、被災地で「原発はいらない!」と声を高くして叫べない現状はだれに責任があるのだろうか。
 
 地震や津波は如何ともし難い。しかし、原発事故は防ぐことのできた災害である。原発など造るべきではなかったのだから。中曽根康弘や読売新聞の正力松太郎が原発推進を決め、原子力の平和利用を旗印にマスメディアも諸手を上げて賛成していた頃、それを時期尚早と疑問を呈していた新聞記者がいた。「朝日新聞」の特派員、田中慎次郎である。
 田中は1955年10月にジュネーヴで開かれた国連主催の第一回原子力平和利用会議を取材し、次のように自身の連載記事で主張した。
 「人類の遺伝におよぼす放射能の影響の問題はきわめて重要で、(略)この問題を、結論がまだ出ていないのを理由に全く無視して、原子力工業や原子力発電所を大規模に広めていくことは理性に反する。これは原始力時代への入口で提出された最も新しい、最も未開拓な、最も大きな問題である」
 しかしこの警告が、朝日新聞の社説に生かされることはなかった。(朝日新聞連載「原発とメディア」)
 もしあのとき、原子力以外の手段を真剣に考える力が働いていたら……、と過去を振り返ってもしかたがないが、間違った道を修正することは十分可能な筈である。
 
 原子力マネーは覚せい剤と同じである。それに侵された自治体を立ち直らせるには、それぞれの自治体まかせではなく、国家レベルの支援が必要なのだ。孤立させてはならないのである。
 しかし、日本の政府は米軍への思いやり予算には気前よくても、貧しい自治体への支援にカネを使おうとしない。
 
 「人間は忘れる動物である。忘れる以上に覚えることである」と、かつて「豆単」と呼ばれた旺文社の英単語集の扉にこう書かれていた。当時の社長、赤尾好夫の言葉である。
 アジア・太平洋戦争がそうであるように、人はすぐに忘れて同じ間違いを繰り返そうとする。「福岡第一原発事故」を忘れないためには、「忘れる以上に語り続ける」しかないのである。
 
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