『子供たちにとっての本当の教科書とは何か』 ★学習探偵団の挑戦★

生きているとは学んでいること、環覚と学体力を育てることの大切さ、「今様寺子屋」を実践、フォアグラ受験塾の弊害

発想の転換が可能性を開く23

2018年07月28日 | 学ぶ

息子がJRに就職できました!
 自転車で所用の途中、向こうの方からニコニコ笑って挨拶をしてくれる女性がいます。年の頃から生徒の保護者の誰かだと思ったのですが、サングラスで表情がわからず、どなただったかなと考えていると、元気よく「Kです」。ああ、そうだったのか!「覚えていらっしゃいますか?」。
 もちろん覚えています。お父さんも、よく立体授業にも同行されていました。10年くらい前になりますが、みんなで行った「餅鉄探し」の吉野川で、同行されていたお父さんがでっかいウグイを釣りあげられたことも、よく覚えています。
 「・・・お見かけしたら、ぜひお礼を申しあげなければ、と思っていました。その節は・・・。息子は22歳になり、おかげさまでJRに就職できました。ありがとうございました」。

 こうして古くからの団員のお母さんにお会いすると、たいてい心から笑ってお話しできます。いっしょうけんめい大切に子どもを育てられている保護者との、開設以来の関係です。人と人との思いやり、人間関係は、やはりこうでなくてはいけませんね。
 大阪市の「教職員」でありながら、子どもの「ちゃちな窃盗」をごまかすための、何とも手の込んだ盗聴の捏造テープと陰謀をめぐらし、社会でもっともたいせつな人間関係を根底から「破壊する」悪人も、今は身近で出てきました。何ともはや・・・。
 人を人とも思わない卑劣な犯行は、やはり教育委員会に問題提起するのが最善の方法かも知れません。今後の大阪の教育界や、彼らに接するこどもたちの成長を考えれば。いずれにしろ「野放しの犯罪教師」は、今回の二人で終わって欲しいものです。

「環覚」を育てるために
 さて、子どもの『環覚』を育てるための提言です。
 こどもたちの指導について、たとえば、ぼくが四六時中こどもたちの傍にいて、彼らの見るもの聞くものすべてについて、その対象に対する好奇心や関心を掘り起こす指導ができればいちばんよいのですが、現実問題として、今の受験体制と教育環境の抜本的改革がなされなければ、それは不可能です。
 また、一方で受験という目的をもつ子どもたちがいる以上、本意ではなくとも、それにも沿うように指導をしなければならないという縛りがあります。二律背反に近い状況ですが、彼らが勉強を進める意味やたいせつさは、どんな状況にあっても、まず伝えなければと、いつも考えています。

 そうでないと、彼らの人生において、もっともたいせつな行動の一つであるはずの、『学習』や『学習すること』が、人生ではあまり意味をもたないという、まちがった認識を身につけてしまいます。今もそんな子がたくさんいるでしょう
 コメ作りやクワガタ探し・渓流教室等で田舎の自然に触れた時、遊びの対象としてテーマに夢中になるのはもちろんですが、それぞれの活動のなかで、日ごろの生活と切り離すことができない、生活の一部になっているsomething(もちろん、対象はあらゆるジャンル、あらゆるものです)に気づくこと、そうした日々の生活や行動の背景には、春があり、夏があり、秋があり、冬があること。そしてそこでは、たとえば生物の生死があり弱肉強食があり、かれらとぼくたちの関係があり、さらにぼくたちのさまざまな生業があること。それらをはじめとする、環境の成り立ちとしくみは、ぜひ目を留め、考えるようになってほしい、そう思っています

 生活や人生は、テレビのバラエティやニュースに目を奪われるなかにはありません。そうしている間にも、ぼくたちが生きている状態は続き、雲の流れに目を留め、風の音を聞き、雨や雪や飛ぶ鳥にも想いが広がる一人の人間がいるはずです。
 植え込みには、けなげに咲く露草の数輪、あじさいの葉に伏すアマガエル、水たまりに飛翔するアオスジアゲハ、そんなシーンに目を留められるようになることが、こどもたちの「環覚」の定着のスタートです。そうした習慣のなかで見つかる小さな不思議や謎が、「学ぶおもしろさ」への大きなきっかけになります。
 こどもたちの生活と人生のなかで、団の一連の課外学習のそれぞれが、その一部として組みあがり、こどもたちの『環覚』が整っていきます。これは当然のことで、僕たちの日常生活そのもの、生きている環境そのものが、すべてつながりの中に存在するからです

 できるだけこうした「つながり感」「総合的視点(つまり環境・対象の成り立ちとしくみへの視点)」を育てていきたいと意図しながら立体授業の内容・指導方法の検討を続けています。毎年、課外学習などの指導により、子どもたちがそれらの体験を一つ一つ積みあげていくことで、学習の裏づけが取れ、学習対象・学習内容に「カン」が働くようになり、科目間の関連にも目覚めます
 これらの細かい指導(方法)の重要性に周辺の理解がともなわないことに切歯扼腕する日々も多いのですが、「団の子どもたちの成長」に目を留め、指導方法を披露していけばきっと同調し参考にしてくれる方もたくさんあらわれるだろうという期待とともに、ぼくの指導が続いてきました。
 「受験合格のための勉強は、本来『生きるための学習』のごく一部」であり、単に手段であり、それ以上では決してないこと」に気づいて指導の検討と改善を重ねていく人が、一人でも増えることを願ってやみません。

 後日展開しますが、学習は『生きることと決して切り離せない行動』であり、そのなかに学ぶおもしろさも存在します。つまり学習は、『受験学習』とイコールではないのです。時代とともに、文字「学習(?)」の浸透によって、文字情報やそれらの知識に対して比重の偏重がおこり、テストによる評価基準が固定化するようになった。それに応じて、対象の情報過剰から、既視感・既知感がぼくたちのなかに蔓延するようになった。そうした環境が、子どもたち(ぼくたち)の本来の学習や学習に対するモチベーション駆動、能力の発揮に対して大きな障害になってしまっている・・・

 そこで忘れられている、たいせつな「戒め」は、古くはソクラテスの『無知の知』が有名ですが、論語の為政篇にも「子曰、由誨汝知之乎、知之為す知之、不知為不知、之知為」とあります。これは、ご存知の方もたくさんいらっしゃると思いますが、孔子が弟子にソクラテスと同じような意を伝えようとしたものです。「知らないということを悟りなさい」。いずれも、自らを振り返り、その無知あるいは認識不足から、その「学習」をはじめること、あるいは進めることを諭しました。すべてそこから始まります。
 先に紹介した、窃盗した我が子に、その成長を見込んだしっかりした教育を施さないで、学校の指導も片手間に「窃盗の隠蔽」と「責任逃れ」のために、陰謀と盗聴テープの編集・捏造に半年間も明け暮れる教師。中学校の国語の教員であれば、まず、自らこういうことから勉強して、考察を深め、指導能力を高め、未来ある子どもに向かうべきではありませんか? 
 孔子の教えは、わが国よりあなたの母国のほうにしっかり根付いていると去年まで考えていたのですが、あなた方だけに関しては誤解だったようです。しっかり勉強しなさいよ、T先生、孔子の教えも。大阪市の教育委員会の先生方。指導者に人倫を指導する時間を増やさなければならない事態が、現場で頻繁に起こっていることがわかっていますか? そんなことは我関せずでしょうか?  

 閑話休題。そういう認識の元で、ファインマンのお父さんの質問例にあるように、周辺の対象に対する観察を進めるとともに、こどもたちの学習や学習内容に対する関心・おもしろさの発掘に向かい、質問や謎への問いかけ方の研究・技術を研究しなければならない。それが心ある先生の、今起きている学習問題を解決しようとする最善の姿勢です。その姿勢によって「環覚」が掘り起こされ、こどもたちの学習に対する脳の機能が大きく変化します。立体授業がもっている意味は、まず、こどもたちの周辺の事物に対する興味や好奇心を掘り起こすことにあります。
 「そのものの存在」、特にふだん見馴れている『身近な存在』が、ぼくたちの生活にもっている意味や歴史的なつながり、関係のあり方を伝え、あるいは、対象に対する謎をあぶり出し、こどもたちの考察のきっかけが生まれます。子どもたちは意外性とハプニングが大好きです。「天才を超えた天才」ファインマンと、一般の科学者も含めた一般の人との視点や考察の大きな相違は、次の、花の美しさに対するファインマンと画家との比較でも明らかです。
 

 ぼくには画家の友人がいるんだが、時々納得しがたい見方をするんだ。たとえば、花を一輪手に持って、「見ろよ、なんてきれいなんだ」、ぼくもそう思うから、同意しようとする。すると、奴は、ぼくは絵描きだからこの花がどんなに美しいかわかるが、君は科学者だから、この花をばらばらにして、てんでつまらんものにしちまうんだろうな」。
 聞いてる僕は、こいつ頭がおかしいんじゃないだろうか、と思うわけだ。まず、みんなにわかる美しさなんてものは、ぼくだってわかるはずだ。彼のように芸術的に洗練されてはいないかもわからんが、花の美しさくらい鑑賞できるさ。それより、同時にぼくは彼の見る以上の花の美しさを見ているのさ。
 ( “THE PLEASURE OF FINDING THINGS OUT” RICHRD P. FEYNMAN BASIC BOOKS p2 拙訳)
 
 ファインマンはこの後、ぼくにはみんなが見るふつうの大きさでわかる美だけではなく、もっと微細な花の細胞やその内側の複雑な動きだってわかるし、そこにも美がある・・・というふうに反論します。ぼくは画家には見えない美しさがわかるのさというわけです。
 

 こうした視点やイメージのひろがり、これらの発想・考察の視点の深さのちがい、「見かけ」のみに終わらず深く探る想像力は、幼少時からのさまざまな謎や問いかけに対する、数知れない考察のくりかえしによって身についたものなのでしょう
 子どもの環覚の育成、あるいはそれによる学ぶおもしろさの獲得を願うのであれば、まずふだん頭の中にある受験参考書や受験知識のことから離れて、指導内容・指導方法を考えましょう。その指導によって『受験』のことは心配しなくとも、子どもたちはやがて自分で、自らの学ぶべきこと・知りたいこと・考えたいことを見つけて、その後ひとつの「必要悪」として、あるいは自分の『やりたいこと』をやる『場』を確保したいために、周囲が驚くほどのモチベーションを身につけ、受験合格に向かうことでしょう
 「受験の先に目標がある」というスタイルではなくて、「『彼らが決めた、あるいは憧れた目標』をかなえるには、受験もクリアしなければ」というのが、子どもが大きく育っていくための視点であり、正しい成長過程だと考えます。
 その学習内容や指導方法を企画したり考えたりする際に参考になる資料の一つが、偉人たちの回想からの提言や、子ども時代のエピソードです。偉人たちの伝記や回想はたくさんあると思いますが、そういう視点をまじえてよく読めば、子どもを指導するためのすばらしい手がかりが、たくさん見つかるでしょう。
 

 それでは、10年以上前、ぼくが『環覚』と『学体力』というアイデアに目覚めたときのノート、英文の先週の続きです。

To teacers all over the wolld3

 I’m sure, you understand, that the strong motivation to study about our surroundings creates a need for scientists and specialists. We can understand easily,that not only by abstract learning with text books but by exploring interesting things around us. This way, children become scientists and specialists.
 I would imagine that Thomas Edison or Albert Einstein or Masukawa Tosihide was probably not very interested in traditional textbook teaching of that day. The traditional teaching system was not reasonable for the many profound advances and inventions throughout history.
That’s such a pity and we must not overlook that.
All of those parents are earnest about the progress that their children make in schools so they continue to focus on entrance examinations to stay in business.
 

We,as teachers,usually spend much labor and many hours, not worrying about the joy of studying and strong motivation but to teach the process and technical methods for passing entrance examinations. I doubt this problem will be overcome any time so on.
 There may be some teachers who say “We teach the most advanced science and space engineering in our school”, but such teachers must carefully read Dr. Masukawa’s words.
 Some science schools show attractive experiments, but they are not useful for children, it is done only to gain attention. They must lead them to find out the phenomena of nature for themselves. It’s not magic but science.(“Masukawa Hakase No Roman Ahureru Tokubetsu Zyugyo; Dr. Masukawa’s special class of so many dreams” written by Masukawa Tosihide The Asahi Gakusei Shinbun  translated by Minamibuti)
 
 He says that it is useless for children to be taken to attractive learning events such as magic shows, doesn’t he?  If we hope sincerely that the children’s learning environments get improve and their view of studying is continuously enhanced, his advice will guide us as we think about these problems.
These problems are found among children who cannot find anything of interest in their surroundings, further more, their only concept of study is to pass the entrance examinations, and this leaves them with the question: Why must we study?
 
 

They have to do focus on abstract study for examinations by textbook, as cram schools take great pride in the number of students that qualify for elite schools and universities.
 The residue left by this system answers why there are so few children with that twinkle in their eyes for more interesting and advanced study that fulfils their many dreams. Few schools have the aim of bringing up such lovely children. We have to look over our methods and the contents of children’s learning and studying once again, and we must achieve our goals of education in the best way.


発想の転換が可能性を開く22

2018年07月21日 | 学ぶ

通常の学習指導とファインマンのお父さんの大きなちがい
 ぼくは、いままで立体授業の指導について、多くは触れてきませんでした。「環覚を育てること」については、その大きな意味とたいせつさが、子どもたちの大きな成長を考え、ブログをきちんと読んでいただいているみなさんにはよくわかっていただけたと思いますが、その指導法については、一部資料の紹介等はしましたが、あえてくわしくは触れませんでした。

 それはカッコだけ猿真似をしようとする情けない教師、人としての成長や社会常識の形成等については一切考えの及ばない愚かな玉川夫妻のような教育者としての資質のない教員に、表面的な剽窃だけされては、子どもの成長や社会にとって百害あって一利もなしと考えたからです。つまらない盗用によって、成長の方向をまちがえたり、思わぬ誤解を生んでしまうのは望むところではありません。
 優れた頭脳や能力は素晴らしい人間性がきちんとともなってこそ、大きな意味をもちます。その方向で指導をしてこそ教師です。心ある先生たちは、そんな思いいっぱいで日々子どもたちを育てようとしているはずです。そんな先生たちの力にこそなりたい、そう思って指導を続けています。教師の役目は犯罪を教えることではなく、それらを撲滅することであり、犯罪者を育てるのは、そうしたまがい物の教員を野にはなってしまった社会です。

 教師として最も大切であるはずの、その指導前提にまで考えが至らない愚かさ、見つからなければ何でもやり放題という、まがい物サッカーで身につけた「情けないアンフェアプレー精神」で、人間としての中身を全く考えない指導では、ぼくの願いや指導は到底わかりません。
 さて、今回は、少数かもしれませんが、生計の資としてではなく、そうした教育に対してあふれる情熱を持って日々過ごしていらっしゃる先生方に、指導の一端をお話しします。
 ふつう自然体験や学校での観察や実験では、既にわかっている、あるいは、結果がすぐわかるものでの、結果の確認や照合に終わる場合がほとんどではないでしょうか? その過程での大きな変化やハプニングが仮にあっても、「びっくりさせるだけ」で、自らの考察するにいたるまで彼らを指導することは、あまり行われません
 つまり、いずれにしろ、教科書の学習内容の定着や記憶材料の域を出ません。自らが主体となって、「新しいことを始める」、「未知の結果に挑む」わけではありません。これが、こうした指導の限界・「おもしろさが頭打ちする原因」です。学習のおもしろさはハプニングに始まり、その解明にこそ存在します

 ここで、ファインマンのお父さんの指導例を、もう一度振り返りましょう。
 ファインマンのお父さんは彼を森に連れ出し、別に美しくも特異でもない、「ふつうの鳥」のしぐさに彼の注意をひきます。「おい、あの鳥は何をしているんだ?」とたずねます。特別な鳥ではなく、森へ行けば、どこの森にでもいるような、ごく普通の鳥です。
 「ふつうの親なら、何か珍しいものを探して、見つければ大騒ぎ」というのがパターンでしょうが、それによって子どもたちが覚えるものは、せいぜい「その珍しい鳥と、その鳥がいた」ということだけです。そのままでは、友だち同士の「会話の種」にはなっても、「考察」の材料ではありません。「会話の種」で、子どもの頭はよくなりません。対象についての考察や、関与の試行錯誤を繰り返して、脳は発達します。対象を観察して、考察をする。くりかえす。自分の頭を使う。積極的に考える機会を増やすことがたいせつです。

 お父さんの質問に対して、鳥のそんな様子について、それまで考えもしなかったファインマンは、自分なりに、「羽をつついていた」から、飛んでいるうちに羽が乱れたので、くちばしで整えているんだ、と答えます。すると、お父さんは、「それじゃあ、飛んでいて、地上に降りた時に、もっともつつく動作が多くなるはずだな」と問いかけます。彼が出した結論に対して、自らの正誤の確認を求めるのです
 もう一度よく観察したファインマンは、地上に降りてすぐでも、しばらく地上を歩いていても、羽をつつく回数に大きな違いがないので、答えに窮します。ファインマンのお父さんは、そこから、「科学的な見方」の指導を始めるのです。
 あの鳥は、かゆくてしかたがないんだ、というわけです。羽にはそのたんぱく質を餌にする小さなシラミがいるんだが、そのシラミにたかる虫もいれば、その虫にたかるバクテリアもいる。何か食うものがあれば、そこには必ず生物がいる。鳥はそのシラミのせいでかゆくなる。だから羽をつつくんだ、というわけです。

 ファインマンも自ら言っていますが、お父さんのこの説の正誤は明らかではありません。しかし、自然界の初めて出会った、思いもしなかった対象から、「意外な食物連鎖」について学んだわけです。小学校や中学受験で、三角形のイラストから学ぶ食物連鎖との、子どもたちの「環覚」に訴えるであろう計り知れないイメージのちがいが想像できるでしょう
 三角形のイラストによって、食物連鎖を提示されても、おもしろさが生まれますか? 食物連鎖という、大きな枠組みに考えが及び、そのイメージが拡大しますか? その面白さのない知識を、ただ頭に入れていくのが、現在のほとんどの学習指導です。食物連鎖は、教室の机の上や、テキストの写真やイラストの中にあるのではありません。自然界、この地球上のあらゆるところで起こっている現象です。これを考えた時に、ファーブルがファーブルになったわけがわかるんではないでしょうか?それらが、ニュートンの云う、「真理の大海」のすべすべした石やきれいな貝殻に変わるのです。 
 ぼくの場合は、食物連鎖の指導については、各課外学習の立体授業の際の、スライド映写とテキストでさまざまに存在する食物連鎖に触れ、そのしくみを子どもたちに伝えます。子どもたちは、渓流教室や蛍狩り、でっかい鯰釣りなどで、それらの現象をリアルに体験してゆくわけです。現地ではテキストやスライドで表現しきれない、食物連鎖のさまざまなハプニングと出会いが生まれます。それが、子どもたちの学体力を刺激します。
 ファインマンのお父さんのような問いかけに向かって、どんどん研究と検討を重ねることが、ぼくの次の課題です。
 
To teachers all over the world 2

 This week, I will show you some notes  of my thinking on “the sense about things of surroundings and the strong motivation for studying”, that inspired me about ten years ago.
 This is the case about Richard Feynman. In nature and his daily life, his father wanted his boy to think about life forms of animals,plants and other things in nature by their observations.And so he experienced the joy of thinking about life’s wonders and questions pertaining to them,and was given a sense about things in his surroundings.I named this sense KANKAKU,it’s “環 覚”written in Chinese characters.“the環(KAN)” means “Our surroundings or environments”, and “the覚(KAKU)” means “awareness about something”.

 In another example, Dr. Masukawa, Nobel Prize winning man in Japan, was interested in science taught to him by his father. This included the mechanisms and make-up of things. As examples the movement of the moon or the mechanisms of automatic doors and so on and so forth.
 In almost all of great men’s and Novelists’ childhood in their biographies or in the words of their memoirs of the childhood of Novelists and other great people. We can often find such similar examples by looking a little more carefully at the biographies.
 But we are apt to overlook entirely the important meanings of their words, because their biographies are usually written about their honorable achievements attained in adulthood and with little or nothing about their childhood.

 Feynman’s father, with his observations on biology of plants and animals and natural phenomena together questioned his son about the mechanisms and make-up. After listening to boy’s answers, he then informed him about his misconceptions with the intention for his son to rethink his answers deeply.  Those questions and answers led him to more deeply understand his surroundings.
 So Feynman had developed the habit of finding out about wonders and the depth of natural phenomena.
 In addition, his father prepared his child by using the Encyclopedia Britannica that had written articles by many famous leading scientists. They usually reviewed and thought about their wonders and questions together. That’s the most necessary habit to develop in order to do science and to be a good specialist.
 

And in his childhood, as he studied his surroundings and making constant efforts with patience, Feynman was assured that he got valuable things and rewards, from time to time.
He got GAKUTAIRYOKU, it’s “学体力” in Chinese characters. “学” means “Learning and studying”,“体力” usually means “Power to do something”, but in this case, I mean “Strong motivations to study“.
 Richard recollected like this.

 That’s the way I was educated by my father, with those kind of examples and discussions: no pressure-just lovely interesting discussions. It has motivated me for the rest of my life, and makes me interested in all the sciences. (It just happens I do physics better.)
 I’ve been caught, so to speak-like someone who was given something wonderful when he was a child, and he’s always looking for it again. I’m always looking, like a child, for the wonders I know I’m going to find ?maybe not every time, but every once in a while. (“What Do You Care What Other People Think? ” R. P. Feynman W.W.NORTON p16)

Giving priority to the joy of learning for a little child but lesser priority to study
 Look back Feynman’s saying that;It has motivated me for the rest of my life, and makes me interested in all the sciences. (It just happens I do physics better.)
 
 Reading his words “makes me interested in all the sciences”, you can understand his father’s education to be proper for small children and most important for them.
 Not learning only terms and knowledge of things by textbooks only, but by thinking more about mechanisms of things in the real world. It is the way that Feynman could attain the very interest of the sciences. And it is “the joy of studying” that gave him the power to maintain the interest of science.
 来週、この続きを掲載します。


発想の転換が可能性を開く21

2018年07月14日 | 学ぶ

 ふつう、子どもたちが本格的に教科書を使って学習を始めるのは小学校からです。そして学習するに当たって使用するのは、もちろん教科書です。
 科目によって差はありますが、「始めて教科書を使って学習する子どもたちにとっての教科書とは何か(どうあるべきか)?」、そして「教科書がもたざるを得ない一般的限界」。それらの根本的な問題についてほとんど振り返りもせず、疑いもされず、それ以外の指導方法など考慮に置かず、教育と学習指導は流されていきます。
 人間の歴史を概括すれば、地球と人間を教材に、先人たちの功績や失敗を糧に、発見・発明・創造を重ね続けてきた歴史だといえます。そしてぼくたちが学び、今も子どもたちが学んでいる教科書の学習内容はすべて、長い月日をかけて先達が獲得してきた英知の結晶やその成果の紹介・集約です。
 ごく簡単に言えば、教科書はそれらの概要・要点、いや、さらに「かいつまんで」説明するものです。そして指導の量的・時間的制約から、現状のままを考えれば、どうしてもマニュアル記述的な束縛から逃れることはできません。いわば、子どもたちにとっては実感のない「カス」みたいなものです
 今の教科書のように、写真が多用され、理解に供するように多少の工夫はできたとしても、目的・利用の方法など、どうしても形式的・抽象的になりがちです。形式的・抽象的なものは、子どもたちにとって決しておもしろいものではありません。
 そして教科書の内容は、敢えて言いますが「所詮!」、テストでその記憶や理解を点数で「判定」されるものです。それを、何の疑いもなく、あるいは諦念の上で、継続されるばかりです
 本来なら、こどもたちの一生を左右する「学びへの強大なモチベーションに変化するべき環境の宝物」がそのまま消滅したり、不完全燃焼するばかりです。
 教科書の前に、子どもたちがきちんと見つけ、知っておくべき「存在」がある。彼らの周りにある環境です。ゲームのことについては、子どもたちは教えられなくても学んでいくのですから、本来環境を学ぶべく生まれついてるはずの(これについては、後日展開します)子どもたちが、それらに夢中になれないはずはありません
 ずーっと、このブログで、こうした考察を展開してきましたが、どうも受験作戦以上の発想に結びつくような反応が見られないので、英文で紹介しようと、今指導を受けながら英語の学習を進めています。次は、その一回目の全文です。ぜひ、英語圏の方々にも読んでいただきたいと思います。

To teachers all over the world

What is the best textbook for small children?
 A challenge for Learning of F.W.S(FIELD WORK STUDY)
Living is learning, the importance of training“環覚(the sense about surroundings)”and “学体力(the strong motivation to study) ” “Modernized Terakoya School”,The negative influences of cram school learning for children.

Learning from Richard Feynman’s father and Thomas Edison’s mother vol.3

 What is it that children want to know?
 That will answer many of their questions.
 I guess that many people are annoyed or troubled with questions from little children and their many wonders while bringing them up. But did you carefully reflect on their questions or wonders?  What are the things that these kids wanted to know?  You’ll be able to find them in these books.
Two books entitled KINDER FRAGEN, NOBELPREISTRAGER ANTWORTEN by Bettina Stiekel, and THE ANSWERS FOR KINDER WONDERS (KODOMO NO NAZE NI KOTAERU HON)by Nakamura Keiko.
 

Let’s examine some children’s questions.
 These questions may be effected by the idea of publishers who are anxious about book sales. But from my life long experience of teaching, all these questions are likely to be in these form.
 “Why is the sky blue?” “Why is custard pudding soft, but is stone hard? ” “Why don’t I eat fried potatoes every day?”  “Why does war break out? ” “How can we hear each other on the telephone?”  “What is air?” “What is wind?” “What makes rain or snow fall?” “What makes leaves turn green into red or yellow in autumn?” “Why do apples or persimmons have seeds?” “Why am I sleepy at night?” and so on. These are the kinds of questions children want to truly know.
 But, as I said before, most of us misunderstand learning as working in a room only, or listening and taking notes of a lecture, and we tend never to reflect on children’s questions or they only use their imaginations carefully. They usually overlook what children want to really know, as a textbook a course of study and summarize or give an interpretation. They teach on letter or by textbook only. Is this their ordinary style?
 However, children want to know these types of things before studying for entrance examinations.

 Remember Edison and his teacher Mr.Engle. Mr.Engle was angry at little Edison’s foolish questions, so as a result Edison left school. He remembered learning for two hours about things that he had never seen before.
 Is making light of what children want to really know how to teach pupils currently. They don’t teach what children want to know but simply prepare to pass entrance examinations.
 It is interesting to understand what you think about, but usually you must study things that you have little or no interest in by using textbooks. It’s not for you to explore what you want to know. You must study something that is not of interest.
 There seems to be little hope for young children to receive motivation and the way to convey the true joy of learning anywhere, neither at home or school or the rest of society. 
 

 Now, look back at those two books of children’s questions. Most of all those questions, you see, are the subject matters of learning, aren’t they?  In other words, they should feel interested and want to know more, but in reality they feel uninspired dull, and bored. What changes their feeling and motivation for learning?  That’s such a pity.
 To such children, you must tell them to first, “Watch more carefully and better, feel more.”That way , they will find something interesting that they want to know more about. This  motivates children to learn more and study with enthusiasm. They must be aching to know and learn more and more. It’s “ 学体力(GAKUTAIRYOKU)”( I mean, the strong motivation to study).

 

環覚the sense about somethings of circumstances ”brings “学体力 the strong motivation to study ”
 Many people usually think that book learning is the only way to understand. We must change this historical system to teach natural ways to learn, and think about the meaning of the educational environments where Edison and Feynman were brought up in. That is the subject of this blog.
 First of all, it is important that we always give children a sense about circumstances. We must tell them to watch and feel things around them, and make them understand what they study at school is their real circumstances.
 They are learning about things such as the earth, air, plants, animals, stars, and human beings. Those are things are that all around us. They can’t be found in books. We often forget that, don’t we?  We, just like children want to know about somethings of the neighborhood, don’t you? 
 

These are the things, that we usually learn at school in textbooks, these things must be felt and known naturally in the mountains or in other environments full of nature. But in the cities full of commercialism we are apt to lose such sensitivity. Therefore if you intend to train children about the sense of circumstances, you must actively create interest in something without force to inspire them its curiosity.
 When introducing the circumstances of a subject or topic to children will increase their interest to watch more carefully and think more deeply. This will bring them closer to their studies both intellectually and emotionally.
 Most people have little or no concern about the process of learning for children. Children should gradually get bits of information with some real life interaction in order for them to comprehend more fully. Edison in his childhood disliked studying things unknown for two hours, but this method will make their dislike of learning vanish quickly.

 When children are small, they know very little of their environment; As they grow they accumulate more knowledge which drives their imagination and interest in the world around them. This teaching way is more effective than learning first by textbook for small children who have different sensitivities than adults.
 This is the best method for early child learning rather than preparing them fully for examinations.

To increase their knowledge and experience, small children will get a clearer image of the learning matter, and as a result investigate them more often, and care about the things that they are studying, each day. As the wonders and questions that they encounter increases their interests about their surroundings becomes more active.
 These many experiences are the building blocks of knowledge as things in their environment become bigger. That’s the only way to get KANKAKU for children, and GAKUTAIRYOKU.
 With the solid building of knowledge, your understanding will enable them to capture the relation or reference of one thing to another. That will be more conducive influence much better for children to study the other subjects and matters of learning.

 With the growth of KANKAKU ( the sense about surroundings), children will be able to get a clear image of learning correctly and understand more easily and accurately. This deep understanding gives the joy of learning for children. And that’s the very road to absorb GAKUTAIRYOKU?学体力” for children.
 When they find wonders and questions about the environment, you are willing to give them explanations and answers immediately. You should have a Britannica and other resources at your disposal. Those are the methods used by Edison’s mother and Feynman’s father.
I‘ll give are particular account of the matter next Saturday.


発想の転換が可能性を開く⑳

2018年07月07日 | 学ぶ

「抽象学習」の愚かしさ
 こどもたちの現在の学習のようすを、ぼくは、よく『抽象学習』と呼びます。「学習なんて、全部『抽象』学習ではないか」という人がいると困る(おそらく、たくさんいるでしょうが)ので、わかりやすいように、その意味について少し考えます。次は「脳は出会いで育つ「脳科学と教育」入門」(小泉 英明著 青灯社)の一節です。

 私たちは外界の世界を見ているとき、意識下の世界まで入れると、かなりたくさんの信号を処理している。情報全部がそこにあるわけではないが、最初に入ってくる生の情報はそのまま入るから意識下をふくめて多くの神経が活動したことに変わりはない。そのあたりが、抽象化された情報、スクリーン上や文字・話を聞いた場合と実体験との大きな差が出るところではないかと思う。実体験とそれ以外では、脳のはたらき自身が本質的にちがうということになる。そういう意味から最初に実体験するということが極めて大切で、実体験をしておけば、かなりな情報量を取り込んでいるので、抽象化されたものが再提示されたときには内部世界で肉付けして本物が再構築されやすい。しかし、実体験がなかったら再構築できない。  (前記書p150~151 要約 下線・文責/南淵)

 わたしたちは「もの」を見るとき、あるいは「なにか」に出遭うとき、視覚や聴覚など、わたしたちの「五感すべて」でその情報の全容(「意識の有無」は別として、ほぼ本来の姿)を受けとり、情報はすべて脳内にインプットされる。ところが、文字化あるいは映像化された情報、端的に言えば、たとえば画面や教科書からの情報は、対象本来のすべての感覚器官による情報が、そこに反映されているわけではない。
 分かりやすいところで云えば、実在のものを、文字化もしくは映像化された何かで見たとき、「それを見ている雨に濡れている自分がいる」とか、「見ているものの後ろに雲がのんびりと浮かんでいた」とか、「聞こえた虫の声」とかは再現されていない。経由する媒体によって表現できる以上の、「実在」が発した本来の五感で受けとれるすべての情報が表現されているわけではない、ということです。

 要素の多寡により、情報によってそれほど影響を受けない対象も中にはあるかも知れませんが、そんな対象に関わる情報でも、「実際に体験する」のと「媒体を通じて」とでは、その積み重ねによって、「次の情報をとらえるときのスキーマの量や質に考えられないほど大きな差ができる」ということは想定できるでしょう(想定してください)。その差は拡大しこそすれ、縮まることはありません。
 そういう実体験を経て積みあげられたスキーマをもつ子どもと、たとえば、ただ文字化された教科書だけを通した感覚による、対象の再構成(つまり初見の脳内イメージ)を比べてみたとき、当初の理解力にも、その後の発達にも、どれだけ大きな差が生まれるかは、容易に想像できるのではないでしょうか。小さな子どもたち、つまり学習初心者や、未学習児童の、対象に対する親近感や認知度が、こうした経験の積み重ねを繰り返す成長の相違によって、計り知れない差になってくるだろうことは明らかです。

 ところが、現在、小さな子たちが学校で指導される学習内容や学習対象は、都市化など学習環境の激変によって、「あまり見たことのないもの・知っていると思っているもの」がますます増大しています。ところが、学習スタイルは百年一律で現在も変わらず、どこでも日々「ほとんど教科書だけによる学習」の連続です子どもたちが、「そのものをよく知っているか、よく観察したことがあるか」という、学習するためのたいせつな前提は、指導者の意識の外です

 今の学習システムや学習指導方法は、数百年以上にわたって、子どもたちにその「理解困難」という「しわ寄せ」を押しつけつづけているのではないでしょうか。多くの人々はその指導の、子どもたちにとっての「えげつなさ」に気づかず、また反省もなく、問題を軽視しすぎです。エジソンが、エングル先生の指導に反抗的になって、『知らないものを何時間も勉強させられた』と文句を言ったのは、そういう意味だったと理解できます(してください)。
 そんな彼のことを「バカな質問をする」子だ、多動症だとか、低脳児という判断を下す人がいたら、その人たちは小さな子どもたちの教育や指導にかかわらないほうがよいと思います。さらに、それらの学習姿勢に対して何ら対策を立てようとしないのなら、その人は先生とは言えません。

  「イメージができない」。わかりやすく言えば、子どもたちは、依然として「見たこともないものをわかりなさい、おぼえなさい」と言われ続けているわけです。そのうえ、そんなものを『勉強する意味さえわからないまま』なのです。自己主張が強いエジソンのような子どもだから反抗しましたが、素直な子たちの多くは、今も、これからもやる気をなくすか、ふてくされるか、あるいは勉強そのものが嫌になってしまう子が増えていくことでしょう
 この現実を、指導する側はきちんと心に落として日々指導しないと大きな成果を手にすることができず、学習環境の抜本的改革は永遠にできません。この本質的な問題に対する、反省や改善策を何ら成されないまま続いているのが、現状の多くの学習指導です。

 こうした学習指導の原因となる問題点は、小さいころから自然にどっぷり浸かり、野外での遊びや体験をくさるほど重ねている(いた)人でないと、よくわからないでしょう。「自分自身も学習事項や学習対象をよく知らないまま、馴染みがないところから出発した(せざるを得なかった)」からです。そうした指導しか知らないわけですから、それこそ「ほとんどイメージの及ばないところ」なのです。『イメージの及ばない人』が「イメージの及ばない子どもたちにイメージの及ぶ指導をすること」はできません。

 現在のように、よく見たこともなく、触れたこともなく、「知らない」のに、「名前は知っている・なんか見たことある」と、その対象がこどもたちの「知っている!」の範疇に入っている限り、また本来貴重である「自然体験」が、誤解された取り組みと指導のまま、ただの遠足やキャンプで終わっている限り、この大問題は解決できません。解決の糸口さえ見つかりません
 みんな同じ大きさのプラスチックケースに入れられ、工場から運ばれてきたゴム粘土と、鳥がさえずり、虫が飛び、魚がはねる川岸や山際で掘り出した、到底自然のものとは思えない驚くほどきれいな青色や白色の粘土でつくった、それぞれの粘土細工によるこどもたちの経験値の差が、小泉氏の言う「イメージの再構築の差になるのだ」と考えてみれば、その本質をさらによく理解できるでしょう。

 「抽象的学習指導」の愚かしさは、ほんとうに子どもたちのことを考えようとする機関・組織や個人がその気になれば、いくらでも改善でき、すぐ解決する問題であると、ぼくは考えます。「こどもたちの学習の元になる」スキーマは、ぼくが伝えようとしている「環覚」養成の指導、日ごろ実践している立体授業によって広く、大きく発達し、すばらしく成長を遂げる子どもたちが生まれます。ぼくが25年以上の子どもたちへの指導でしっかり確認済みです。

偉人や天才が生まれる秘密
 さらに、子どもたちが現在学習する内容の多くは、歴史上の発明や発見や研究・調査の、単に結果や結論であり、まとめです。しかし、その成果を獲得したのは、その時々に生きていた感情や悩みをもっているぼくたちと同じ人間であり、その彼らが生活していた日常の中からです

 ですから、その成長の過程、また偉業達成までの間には、いつも困惑や挫折や大きな感動や感激もともなっていたはずです。いずれにしろ、忘れようとしても忘れられない胸躍る体験の連続だったでしょう
 つまり、今文字や歴史を覚えなければならない子どもたちのように、意識して暗記しようとしなくても覚えられるものばかりだったことでしょう。ぼくたち指導者は、この仕組みを、現在の子どもたちの学習過程にできるだけたくさん導入を図るべきなのです
 ところが現状、子どもたちは、喜びも感激もほとんどなく、「テストの点数をアップするための理解と暗記の努力を続ける日々」ばかりです。手に入るのは「点数アップ」という一瞬の小さな心の動きだけです。それだけでは、学習過程において本来手に入れ、生きていく糧とすべき大きな成長や生きていく自信という、「感動」や「感激」を手に入れることはほとんど期待できません。
 
 人類が獲得してきた知識や技術が抽象化され、学習内容に昇華するまでの長い歴史は、一方で、困ったことを解決し、不思議なことに気づき、おもしろいことに出遭った感動の歴史です。いずれも自然・環境の変化と自分たち人間の絶えざるハプニングにおどろき、問題に困惑し、生きていくためにやむを得ず、あるいはそのおもしろさに嬉々として、その研究や追究によって問題や困難を克服し、歓喜した歴史のはずです。すべて、生きることとともにあったのです。「なぜ」や「何」という疑問や原因や理由を解明する必要が生まれ、研究を重ね、克服と解決を重ねてきたものです。それによって、生きていく自信が生まれ、前に進む意欲が生まれます。生きていく力が身につきます。
 そういう子どもたちにとっての学習本来のもつ意味や人間の教育・学習過程の現実が、現在はとてもわかりにくくなってしまっています。成績の向上目的だけでは、「生きていく力」の獲得という、しっかりした手応えは感じられません。職人の技量の向上による手応えなら、少し話は別ですが・・・。

 子どもたちは、ものを触り、ものをつくり、ものを壊し、成長する人種です。文字を読み、文字を書くだけの「サル」ではありません。現実的にその必要が感じられない、意味がわからない中で、「見たことがないもの(!)」の抽象学習だけを進めるようになってしまっているわけです。それが、学校教育の現状です。そんな中にいて「学ぶおもしろさ」を感じられる子がたくさん出てくる方が不思議です。ぼくたちは、この現実を何とかしなければなりません。
 たとえば、子どもたちが日ごろつくるものは「『できあいのセットされた』商品」ではなく、自ら自然のなかで見つけた木やタケを自ら切り出し、削ってつくったおもちゃであってほしい。その方が、こどもたちの成長にとってはるかに貴重で、かけがえのない体験になると思います。

 この方法は団の『立体授業』の大きなテーマのひとつでもあります。弓や吹き矢、釣り竿、竹とんぼなどを、団では子どもたちと一緒につくります。そして完成すれば、子どもたちがみんなとの競技に使う、自分の道具でもあるのです
 これらの作業は、こどもたちの『環覚』を身につけるのにも、とても役立ちます。良い材料を探すこと、自ら製作することによって周囲の自然や自らの環境に対する「注意深い目」が育つのです
 自らがつくった弓矢で的当てを競い、自らが切った竹竿で川魚を釣り、竹とんぼを空高く飛ばします。こうした行動を通じて、彼らの『環覚』は大きく育っていくのです。

 自然体験が乏しくイメージがともなわないので理解がむずかしい学習、さらに「感動する過程」がなくなってしまった「知識」という「抜け殻」を暗記させられるだけの学習であれば、子どもたちにとって、つまらないのは当然です。彼らが覚えるべきは、学習がほんとうは身近なことを学んでいくものだということ、それらは自らの日々の生活にも大きく関わっていることがわかること。それらを子どもたちに少しずつでも知らせなければなりません。それによって、学習することや学習過程が身近になります
 大きくは、地球から始まり、周辺環境と自らの学習内容が、いかに身近で切り離せないものであるかを「さまざまな体験」を通じて伝え、それに自ら気づけるように指導する積み重ねです。さらに身近になった環境との「交流」を通じて・おもしろいことや不思議なことを見つけられれば、子どもたちは、自らもっと先を知りたくなります。それが偉人たちの経験した成長過程です。

 そのためには、まずさまざまな活動を通じて、こどもたちが「自然環境のようす」に気づき、「彼らの」声を聞き、「会話」ができるようになること、そうです、『友だち』にならなければなりません。そうした経験によって、環境の切なる願いを聞くことができるようになった人がレイチェル・カーソンであり、ゴア副大統領なのです。こうした経験が、こどもたちの学習や成長の大きな礎になるだろうことは、もうおわかりでしょう。
 ここで、少し、逆の学習過程を経た子どもはどうなるかを考えてみましょう。ゲームや情報機器に翻弄され、文字媒体による学習しか知らない子です。
 自然や周囲に対する彼らの「環覚」は上手く育たず、おもしろさにあふれた自然も、気づく環境・機会がほとんどなければ、成長とともに、ただの草やしょうもない樹の集まりであり、気持ち悪い虫や変な鳥の集合でしかありません。現実感のない断片的知識のストックは、仮に入学試験には役だつことがあっても、多くの場合、結局すべて「絵に描いたもち」で、使うことも、役立つことも、それによって心が躍ることもありません。

 「入口の狭い環覚」しかなければ、入ってくる情報も少なく、次第に変化のないマンネリ化した日々を送るようになってしまうことになります。環覚が育たずネットワークの小さいスキーマしか成立しなければ、興味や好奇心をもつ範囲も限られてしまいます。大抵の大人はそうではないでしょうか? 
 「環覚」が大きく育つことによってこそ、周辺情報に対する気づきがはじまり、気づきが始まることによって、周囲のサムシングに対する不思議や問いが生まれます。ほんとうの学びが進むのはそこからです。それによって、こどもたちの学びの『正のサイクル』がはじまり、やがて、偉人や天才もその中から誕生します。

子どもたちが「夢の教科書」を手に入れる指導法―学びの正のサイクル
 さて、それでは偉人の親たちの指導法からわかる、子どもたちが「夢の教科書」と「学びの正のサイクルを手に入れる方法をまとめてみましょう。ぼくが団で追求し、これからもずっと追求したい指導法です。

①  「えっ? これはなに?」

バランスのよい「環覚」の育成。まず自然や環境に気づく目を育てること

 ファインマンがファインマンに、エジソンがエジソンになれたのは、まず彼らの周囲の自然や環境のおもしろいもの、不思議なことに気づく目―「環覚」を育ててもらったことでしょう。この「環覚」がなければ、勉強は、ただ教室内の特別なもの、試験にパスするためだけのもので、自分が生きていること、また生きていくこととは関係のないもので終わってしまいます。自分に関係がなければ積極的に学ぼうという気は起きません。
 「学習が『ただ受験や試験の点数にだけ関わりあるもの』という感覚に終わってしまわないように育てること」がたいせつです。自らの環境や生活の中で「おもしろさやおもしろいものを見つける目」ができ、その不思議や謎を知りたいという欲求が生まれる状況をつくることです。それがすべてのきっかけになります。
  

②  「ああ、そうやったんか!」

そして、なりたちやしくみ・因果関係を考えさせ、世界を解釈できることのたいせつさ、あるいは解明することのおもしろさに気づかせること

 環境や周囲のものなりたちやしくみのおもしろさ・不思議さに気づき、その合理性・有意性・意外性などがわかるようになったとき、学ぶおもしろさがはじまります。学ぶことでそれらが解明できる、勉強することには、実はそのおもしろさも含まれているということがわかることがたいせつです。
 ファインマンは気づいた謎や不思議を自らが解明する、あるいは発見するおもしろさを知ったことで、「学びの正のサイクル」―その後の人生を通じて科学のあらゆる分野に興味を持ち、研究を続けることになった―を手に入れました。学体力の定着です

③   「本はおもしろい!」

自らが見つけた不思議や謎を調べるべく、定評ある本に親しませること(一緒に読んであげること)
 
 調べれば、謎がすっきり解明できる、あるいは本を読めば、たくさんおもしろいことが見つかるというきっかけを用意すること。
 子どもに本を読んであげる場合も、「おもしろいものだという感じを抱かせる」くふうをすること。たとえば、ファインマンの場合は、小さいころ、お父さんに知らない・見たことがないものにも現実感をもてるように、それがイメージできるような読み方をしてもらっていました。それによって頭の中でイメージが明確になり、本の内容の再構成が容易になり、本がおもしろく、身近な存在になったということです
 この本のおもしろさに目を向ける、ということは、とても大切なことなので、過去のぼくのブログで、そのことについて詳しく展開しているところを、もう一度紹介します(「ファインマンの父とエジソンの母に学ぶ」7)。

 我が家にはブリタニカがあってね。まだぼくが小さいころ親父が膝にすわらせて、よく読み聞かせてくれたんだ。たとえば恐竜の項目なんかだと、プロントザウルスか、あるいはティラノザウルスだったかもわからんが、こんなふうにね。
 「これは全長25フィートで、頭の幅は6フィートある・・・」てな具合の記事だと、一端そこで読むのをやめ。こういうんだ。
 「これがどういう意味か、ちょっと考えてみようや。もし、こいつが我が家の前庭にいたら、背の高さは(窓まで)十分だが、首をつっこもうとしてもうまくいかない。頭の幅がちょっとばかり広すぎて、窓をこわさないと近寄れない
(The Pleasure of Finding Things Out  by Richard P. Feynman PENGUIN BOOKS  p3  拙訳 下線は南淵)

 このファインマンの回想をていねいに読めば、子どもに関わるべく心を砕くお父さんに役立つ大きなヒントが見つかります。
 まず一つめ。「子どもを膝にすわらせて」ということですから、おそらく3~4才のころでしょう。その頃に「本格的な一流の事典」である『ブリタニカ』に既に触れ、馴染ませ、その存在の意義やたいせつさ・使い方を伝え、「知の探索」への導入を図っているということです。小さな子どもだからといって、「適当な返事」や「いい加減な答え」でごまかしていません。一流の百科事典で、その正確な知識を伝えるようにした。ふだんからこうした習慣(すぐ調べる。いっしょに調べられる習慣)がつづいていったことになります。
 二つめ。その本格的で難しい内容を、まだ経験の浅い子どもが十分想像力の枝葉をのばし理解できるように読み解いていった賢明さです。ファインマンにとっては、本格的で難解な知識も現実感をともない、イメージが豊かに飛翔し、おもしろくて仕方がなかったことでしょう。こう振り返っています。

 どんなものを読んだときも、できるだけ現実感をもてるように言いかえられたんだ。ぼくはこうして、どんなものを読んでも「実際はどういう意味か、本当はどういうことを言おうとしているか」を、言いかえたりしながらね、究めていくことを教えられたのさ。(笑い)小さいころブリタニカをよく読んだがそれは言いかえてもらってね。でも、おもしろくてワクワクしたよ。そんなにでっかい生きものがいたんだからね。
 (The Pleasure of Finding Things Out  by Richard P. Feynman PENGUIN BOOKS  p3  拙訳)

 ファインマンが「周囲の物理的事象に対しても、イメージ豊かにとらえることができた」大きなきっかけをここに見ることができます。こうした経験を積み重ねれば、ブリタニカという「知を切り開くブルドーザー」を自由に動かせるようになるのも時間の問題です。それによって、以前にもふれましたが、子どもたちが小さいころの「なぜ・何攻撃」をたいせつにし、解決するべく準備も十分整っていたことです。
 子どもたちが疑問に思い、不思議に感じることを、好奇心の冷めないうちに、あるいはあきらめないうちに、忘れてしまわないうちに、さらにどんどん増幅させる環境がありました。それらを速やかに解決していけるということ。それによって『知ること・考えることのおもしろさのビッグバン』が始まったことでしょう。学ぶべきは「恐竜が庭にいる」です。


  
④  「きっといいことがある!」

がまんをすれば、最後にすばらしいことが待っている・すてきなものが手に入る・発見できるということを数多く経験させること

 我慢して努力すればおもしろいことやすばらしい結果が待っているという経験を重ねること。
 これは日頃の習慣やしつけにも関係してくることです。よく見られるゲームソフトやお小遣いを、ご褒美にあげるようなことでは、決してありません。
 子どもたち自らが、周囲の環境に対し興味をもち不思議やなぞに気づき、その解明に向かうようになること、それらを解決する経験は積み重ねれば積み重ねるほど、この世界で生きていくことができる糧、自信になります。それが、この場合の「素晴らしいもの」・「すてきなこと」です
 自ら、このしくみがわかったとき、子どもたちは、たとえば積極的にブリタニカや広辞苑を開き、自らで自らの謎を解明するという姿勢がはじまります。それが、子どもたちにとっての「夢の教科書」と「学びの正のサイクルの獲得」です。


発想の転換が可能性を開く⑲

2018年06月30日 | 学ぶ

今回は十年近く前のノートの一節を紹介します。「環覚」や「学体力」という発想が生まれたころです。
 
 ・・・ファインマンの場合は、自然あるいは日々の生活の中で、動植物の生態や自然現象の観察から、「ふしぎや謎を追究するおもしろさ」をお父さんに開示されたこと。それによって「環覚」が養われ、周囲に潜む「ふしぎ」や「謎」の「おもしろさ」に目覚めました
 益川博士のお父さんも、「ものの成り立ちやしくみ(月の動きや自動扉の原理など)」や「科学が応用されている現実」に目を開かせ、子どもの「科学への興味」を喚起しました
 ファインマンのお父さんは、動植物の生態や自然現象の観察から、それらの「成り立ちとしくみ」を問いかけ・考察・反証・再考察・・・という問答で子どもの理解をはかりました。それによってファインマンは自然現象のふしぎや奥行きを追求していく姿勢を身につけました。加えて、小さいころから、超一流の筆者が執筆する大英百科事典を身近に、「科学する」際に欠かせない「調べ、考える習慣」も準備しました
 その結果、ファインマンは「環境を科学すれば、いつもとは限らないが『かけがえのない宝物・ご褒美』を手に入れることができるという実感」を手にしました。同時に、「がまんして努力をつづければ、やがて努力やがまんは報われるのだという確信」が手に入りました(「学体力」の定着)。

 こうして僕はその後の人生を決定づけられ、あらゆる科学に興味をもつようになった。物理が得意なのは偶々なんだ。小さいころにすばらしいものをもらった人が、もう一度それを見つけたいと探しつづけているかのように、僕は科学に魅了されてしまった。まるで子どものように、いつもすてきなものを探しつづけているんだ。探しても、必ず見つかるとは限らないだろうな、きっと時々だろうなということをわかりながらも、ね」 
(“What Do You Care What Other People Think?” R.P. Feynman  W.W.NORTON 拙訳)

優先すべき「学ぶおもしろさ」
 注目すべきは、ファインマンの発言「ぼくはその後の人生を決定づけられ、あらゆる科学に興味をもつようになった。物理が得意なのは偶々なんだ(下線部)」のなかの、「あらゆる科学に興味をもった」というひと言、「ここから環境に対する興味や好奇心を喚起したお父さんの指導方法」の正しさ・たいせつさを感じとることができます。名称や知識・事項の記憶に終わるのではなく現実世界の対象の「成り立ちやしくみ」の考察や追究をつづけることで、あらゆる科学への興味、つまり「『学ぶおもしろさ』を手に入れることができたのです
 さらに、「学ぶことをつづけていく力(学体力)・好奇心の行方またその延長線上にある科学者(スペシャリスト)」は、「教室での『テキストを使った抽象学習』からではなく、興味をもった対象のおもしろさを追求するところから生まれる」という、「ごくわかりやすい経過と結果」を見ることができます
 エジソンやアインシュタインまた益川博士などの回想から、学校での勉強に対して「肯定的な感じ」はあまり見えてきません。歴史に残る偉人たちに、その無二の業績をもたらしたのは、残念なことに「学校の授業や指導・教育環境であるとは決していえないこと」に注意が必要です。
 現状は、経営的にも成果的にも「教育熱心な(?!)」保護者の願望や希望に添い、それらを「頼りにする(せざるを得ない)」システムが目指す指導方法は、目先が少し変わっても「受験というシステムを乗りきるためだけの学習指導のバリエーション」にすぎません。
 「『学体力』をつけるための、『学ぶおもしろさ』の習得に心を砕く」のではなく、「受験学習の『手順』や『テクニック』を伝えること」に、多くの時間と神経が使われている現状から、現在はさらに否定的な事態が進んでいるのではないでしょうか? 「いや、うちの学校では『先端科学』や『宇宙工学』だって取り入れている」。そういう方々には、ぼくより説得力がある益川博士の次のコメントに注目してください。

 科学教室などで、目を引く実験をしているところもあります(南淵・今は花盛りです!)が、単に見せ物だけで終わってしまっては意味がありません。そこから自然のどんな性質や現象がわかるのか、というところまでつきつめていくのが大切です。それが「手品」と「科学」の違いだと思います。       
(「益川博士のロマンあふれる特別授業」益川敏英著 朝日学生新聞社 p37)

 これは、偶に「手品や目玉イベントで集客をはかる『学習遊園地(?)』へ連れて行くだけではだめだ」ということでしょう? 子どもたちとその学習観・学習環境の改善を心から願うのであれば・・・。
 『自然や環境の、身近なふしぎやおもしろさに気づくことも(でき)ない子どもたち』に、さらに「受験以外の」学習しなければならない意味や「何のための勉強か」も伝えないまま、「抽象的な受験学習を抽象的に詰めこみ」、受験学力と「大学進学実績」を誇るだけの現状とシステム
 そこでは眼をキラキラと輝かせ、「次のおもしろい学び」や「大きくなったときの自らの夢」に夢中になる子どもの姿・そういう子どもたちに育てることを目標にする姿勢はほとんど見えてきません。早急に、子どもたちへの指導方法・指導内容をもう一度振り返り、教育本来の目的を現実化する方向に指導をシフトするべきだと考えます。

ほんとうに教育熱心な親の行動は
 この課題の解決には、学校や教育機関ばかりではなく、「子どもの成長にもっとも夢を抱くべき、そして責任がある」保護者の「意識の変化」が欠かせません。それがなければ永遠に変わりません。
 多くの保護者は「勉強する(させる)のは有名進学塾で、有名中高一貫校で」という認識です。それがうまくいかなければ、塾を変える、あるいは学校にねじ込む(?)というスタイルです。
 もちろん、信用するに足りない塾や学校も数多くあるでしょう。しかし、そこで忘れ去られているのは、そうであれば「自分自身で」、という選択肢ではないでしょうか
 敢えてその方法を選択したのがファインマンやエジソンなど数々の偉人たちの親です。子どもが生まれたときの嬉しさは「万人共通」だと信じていますが、「成績がよくなってほしい」や「元気に育ってくれればよい」という自らの願いや思いの「絵空事」で終わるのはなく、「自らの責任と努力の必要性の自覚」が子どもの能力の発揮と成長をしっかり「後押し」したのだとぼくは考えます。
 親はみんな、子どもに「賢くなってほしい!」ものですが、自覚しなければいけないことは、そうであれば、まず「今自分が何をすべきか」です。ファインマンのお父さんもエジソンのお母さんも、自らそれを実践しました
 どちらも、もちろん最初は手探りだったことでしょう。しかし、最後まで(実るまで)やり遂げました。「なってほしい」のに「あなた任せ」はそぐいません。親が「実らせる努力」を続けたから実りました。
 ファインマンのお父さんは「子どもが科学者になる夢」を描き、エジソンのお母さんは「子どもの可能性を信じ、立派な人に育ってほしい」という大きな夢がありました。そのために二人が、まず始めたことはなにか?
 エジソンのお母さんは、好奇心旺盛だったエジソンが「抽象学習」やエングル先生の指導方法に嫌悪感を抱いたので、退学させました。学校や塾をはしごしたのではありません。「他人の」指導方法に見切りをつけたのです。そして子どもが自然や環境で見つけてきた謎やふしぎ(「環覚」の発現です)を「こどもと二人で」解決することに心を砕きました
 ファインマンのお父さんは、まず自然環境や周囲に関心をもたせ、観察をさせて、そのおもしろさを知らせ、成り立ちとしくみの考察や追究を日々つづけました。もちろん、これら二人の指導は日ごろの生活の雑事もあるでしょうから、『できるだけ心がけた』ということでしょう。ところが、当の子どもはうれしくて、いつも「そうしてもらっていた」ような回想になっています。一人のときでも、そうしたことが続けられるようになっていたのでしょう。
 いずれも「学習すること」「学ぶこと」の正統です。それによって「考え、理解することのおもしろさ」と「わかることでの自信」という「人生でかけがえのないもの」を手に入れました。もう一度ファインマンとエジソンのお母さんの指導方法をたどって参考にしてください(旧ブログ「ファインマンの父とエジソンの母~参照」)。
 おそらく現在でも、彼らは同じような指導を優先したのではないかと考えます。「他からの、半ば強制的に与えられるもの」では得られない、「自らに身についていく『力の自覚』」が、子どもにとっては何よりの喜びです。「自らが使って生きていかなければならない力だから」です
 もうひとつ注目すべきは、ファインマンのお父さんは小さいころから、またエジソンのお母さんはエジソンの退学後、ブリタニカなどの定評ある本を手元に、「子どもたちに生まれた謎」の解明を進めています。正確な知識と「学問」の奥行きや広がりを小さいころから伝えているわけです。
 「知らないことだらけの子どもたち」に、まず「知らないことに気づかせる、発見させる」。それが『環覚育成へのきっかけ』ですそこで発見した「謎を解明していくおもしろさ」によって、自らの環境こそ「とっておきの遊園地」「ワンダーランド」であることがわかってきます。子どもたちは「自らの周囲は『おもしろいことだらけ』であること」に気づいていったのです。自らのまわりが「夢の教科書」であることに・・・。ニュートンの云う、「真理の大海」の別名です
 好奇心を刺激してやまない日々、知りたくてたまらない日々こそ、「学体力」の発動です。「学体力」が機能すれば、「受験学力」「受験勉強」もその一部分として必要(悪?)であるという状況判断が成立します。「学ぶこと」の重要性と展望が開けるからです。これは、現在の多くの子どもたちのように、すべて「抽象から入る」という「本末転倒」の学習とは真逆の方法です。
 先ほどの益川博士の引用のコメントの前に、こういう一節があります。「教科書に書かれていることをそのまま理解するだけではなく、おもしろいなと思ったことやふしぎだなと感じたことについて、ちょっと背伸びをして、自分なりに考えたり調べたりするのもいいでしょう」。
 偉人や先達のアドバイスで注意をすべき点は、引用の下線部です
 たいせつなことは、まず、「教科書に書かれていることを『おもしろいな』と思ったり、『ふしぎだな』と感じることができるかどうか」という点です。偉人や天才たちの多くは、「おもしろいな」「ふしぎだな」と感じることが「ふつうだった」ので、そこに至るまでのアドバイスは、たいてい抜けています。「一般の子どもたちが一般ではなくなるきっかけ」についてのアドバイスや条件までは考慮(感覚)の外です
 たとえば「不思議を感じるようになるには、どれだけよく現実を見ているかによる」はずです。教科書に「書かれている内容」に対して、「興味をもったり、ふしぎに感じたりする感覚」、つまり、それらが「現実のもの」としての「思い」・「なじみ」が、日ごろからどれだけ手に入っているか。そうでなければ「あたりまえ」と「ふしぎ」の比較も区別もできません。比較判断する材料がありません
 今の子どもたちの生活環境の諸々は、テレビであったり、ゲームであったり、つまり「加工されて」、「作られているもの」がほとんどです。さらに悪いことに、それらの中身はほとんどすべて「ブラックボックス化」されていて、「興味をもつチャンス」が生まれにくくなっています。
 また今、「周囲のsomethingにふしぎを感じる視点や考えるきっかけが生まれる環境・日常がどれだけあるか」。つまり以前考察した「振りかえリズム」や「ゆっくリズム」があるか? そういう環境であることを周囲がどれだけ意識しているか。
 それらを強く意識しないと、「環覚の育成はなされにくい」ということを忘れることはできません。そのためにたいせつである条件の一つが、「振りかえリズム」と「ゆっくリズム」です。旧ブログの一部を再録します。

「ゆっくリズム」と「振りかえリズム」
 最近課外学習の移動で自転車を利用することが多くなり、その「スピードと快適さ」の一方で、「たいせつなもの」が失われてしまう(見過ごしてしまうだろう?)懸念も増えました。『ゆっくリズム』と『振りかえリズム』の喪失です。『ゆっくリズム』は「周りを見ながらゆっくり歩く」という、身体を移動させるときのリズム。そして通り過ぎてからも、ふと振り返ってみる『振りかえリズム』。
 さまざまな変化や推移に気づき、不思議を見つけ、その謎から子どもたちが「成り立ちやしくみ」をたどっていけるためには、『ゆっくリズム』や『振りかえリズム』がかかせません。

 日々の生活でも、交通手段の発達につれ、「移動」は足を離れました。夏休み・春休み、「渋滞でのイライラ」は経験しても、道すがら、目敏く自然に気づき、興味をもつこと、興味をもったものに、ふと手を伸ばすというような体験はほとんどできません
 目的地への直行。外出時に見るものといえば、高速道路や混雑した車の列と見慣れた車内。「ゆっくり道端のものを愛でる」体験はほとんどなくなりました。「スローウォッチング」・「スローシンキング」が、お父さんとファインマンが避暑地で繰り返した体験です
 身体が移動する速さはどんどん増していきますが、視力や感覚はそれにともなって発達したでしょうか? 逆に「視力も感覚もかえって減退(!)」が実態です(眼鏡やエアコンの使用等)。つまり『鈍感』になってきているのです
 自然を知らず、「ゆっくリズム」や「振りかえリズム」のペースを知らなければ、「気づき(finding things out)」は生まれません。周囲に「思いを馳せ」、「気づき」「見て」、そして「考える」という「ゆとりの時間」・「体験の喪失」によって、子どもたちは「おもしろいものを感じるアンテナ(環覚)」を育てる機会・「ものに感じる、子どもだからこその時間」を奪われていきます。ファインマンのお父さんの指導とは正反対です。
 自然の諸相に気づかず、その微妙な変化も見る(感じる)ことができない。そのため「自らの周り、自然や社会環境を学習するはずの学習内容」に現実感が乏しく、親近感を次第にもてなくなってしまっている・・・最近の子どもたちを見ていると、そんな気がします。
 「自然の『ゆっくリズム』にあわせ、百様に生きているさまざまな植物・動物に触れられる時間」と、車内でお父さんやお母さんと『成績の日常会話』に終始する『移動だけが目的の時間』。それぞれについて『環覚の育成』という点から振り返れば、比較にさえなりません。
 次は、「ゆっくリズム」と「振りかえリズム」の典型、「かつては当たり前だった道草」の効用です。

道草の効用
 高度経済成長の前までは、子どもたちが車で移動する機会は少なく、遠足も電車と徒歩が中心でした。あちこちにまだ自然の景観が残り、その中を歩く機会がありました。ファインマンがお父さんと森を歩いて観察したような「おもしろいことども」はひとりでも見つけられるような環境と時間の豊かさがありました。
 通学路でも自然のありさまや動植物に興味をもつ(つまり、授業の復習になったり、逆に教科書で再発見したりする)きっかけになる「道草」という極上の機会もありました。帰り道の、一跨ぎできる川幅でも、豊かな自然の中を流れる季節の変化や近辺でくりかえされる生物の営み(生死の営み)、自らもその中に位置する五感からの膨大な情報は、至高の学習情報です。「生ける博物館」です。総合的に考えれば、それらの体験は商業ベースで運営されているエアコンの効いたけばけばしい装飾のイベントとは比較にならない貴重なものでした。
 今、そういう体験をできる子がほとんどいなくなりました。さまざまな表情・百様の姿も見せてくれる生物たちも、「テレビに出る虫」と「ゴキブリ」にわかれ、植物などは「ただの木」や「名もない草」に『分類(!)』されていきます。いずれにしろ、「動物や植物とともに生きているという感覚」は鈍麻してしまったようです。周囲の街路樹も今では、ほとんど「落ち葉でやっかいな存在」になってしまったのではないでしょうか。
 生きている樹木が季節を通して教えてくれる冬芽・新緑・紅葉・落葉・・・身近で気づくその変化は、ぼくたちの人生のあり様も示唆してくれました。生活していれば「やむを得ず」取り組まなければならない「片づけ」や「掃除」。そうした日々の「習慣」さえ、落ち葉は教えてくれました
 「たき火の灰」は鉢植えや庭木の肥料になることを知り、小さな「消し炭」は木炭の生成のイメージを容易にします。お手伝いや体を動かしたあとの、ご褒美の焼き芋の「おいしさ」は格別です。グルメツアーでは手に入れようのない「味わい」です。
 たき火と焼き芋は消えてしまっても、「季節の移ろい」で覚える「命の姿」や「生きていくこと」は永遠に子どもたちには伝えなければなりません
 都会の風景・「瞬時に通り抜ける景色」ばかりでは、環境(自らの立ち位置)に眼を留めて観察する子どもたちのアンテナは立ちようがありません。「気づくもの」の損失・「気づく機会」の紛失です。
 街中でひっそりと生えている「見知らぬ花」に気づくことができる。「学ぶおもしろさ」を手にできる子はそんな小さな積み重ねをつづけていける子です。自らの立ち位置で環境に興味をもつことができなければ、それだけ学習に対する親近感や「学ぶおもしろさ」の成立はむずかしくなります
 子どもたちの学習はふつう、文字や簡単なイラストだけのテキストを使って学習事項の再構成やイメージの再現をおこなうわけですから、体験・知悉感に応じて理解の深さ・イメージの広がりは大きく変わってきます。「見たことのあるもの」・「通ったことのある場所」・「触れたことのある対象」という条件は、記憶の定着にはもちろん、「学習がおもしろくなるためのかけがえのない条件」のひとつです。ちがいがわかるようになるからです。「身近」への「入り口」です。
 たまには、子どもと「道草をする」機会をつくってみてはいかがでしょう。こちらがおもしろくなることで、子どもたちは感応します。それが、ファインマンのお父さんやエジソンのお母さん、レイチェル・カーソンへの第一歩です。


発想の転換が可能性を開く⑱

2018年06月23日 | 学ぶ

「世界をこんなふうに見てごらん」
 前回紹介した「世界を、こんなふうに見てごらん」(日高敏隆著 集英社)の一節です。

 子どものころ、ぼくは虫と話がしたかった。
 おまえどこにいくの。何を探しているの。
 虫は答えないけれど、いっしょうけんめい歩いていって、
 その先の葉っぱを食べはじめた。
 そう、おまえ、これが食べたかったの。
 言葉の代わりに、見て気がついていくことで、
 その虫の気持ちがわかる気がした。
 するとかわいくなる。うれしくなる。
 ・・・(省略)
 

  これを読むと、幼い子は「だれでも」虫を見れば、この日高少年のように夢中になると誤解をしそうですが、それは誤りです。さまざまな子がいます。ファインマンは、環境のさまざまなsomethingに対して、当初お父さんの助言と指導があったことはお伝えしました。
 また、ぼくのいう『環覚』の発現は決して「虫」に限るものではありません。自然環境を中心としたすべて、周囲のsomethingに対するsence of wonderのことです
 以前も何度か展開しましたが、「子どもたちの多くは『本来』潜在的な好奇心にあふれているはずだ」と考えています。時にはわずらわしくなるほどの、周囲の「もの」や「こと」に対する『なぜなに攻撃』は、その発露の『確証』です。自らの周辺環境をできるだけ多く、早く知る(学ぶ)ために備わった本能なのでしょう。一生そこ(つまり地球)で生きていかなければならないからです

 ところが、多くの場合、大人たちはいつの間にかその必要性とおもしろさを忘れ、日々の生活や目の前の欲望に「忙殺」されてしまっているので、その問いや疑問を無視してしまう。子どもたちは心の底からわき出てくる「学習するモチベーション」を握りつぶされてしまい、さらに「理不尽(!)」なことに、すべて「テキスト」や『抽象』から「学ぶこと」を半ば「強制(?!)」されてしまう、という『学校や塾でのお勉強』の流れがはじまるのでしょう。そんな「学ぶおもしろさ」に「逆行する」例が少なくないと、ぼくは考えています。
 邦訳では省略されていますが、先週紹介したTHE SENCE OF WONDERにLinda Learの序言があります。拙訳で紹介します。
 
 レイチェル・カーソンのセンス・オブ・ワンダーはわたしたちみんなが覚えている幼心への贈り物である。彼女は、この短い章句の中で、子どもたちの不思議と謎に満ちあふれた世界の本質を生き生きと表現し、私たちが長年憧れてつづけてきた生きとし生けるものとのつながりを思い出させてくれる。(前記原書p9 下線は南淵)


 

 レイチェル・カーソンの幼い頃は不勉強にして詳らかではありませんが、周囲の自然環境に対して驚くべき『環覚』を備えるようになりました。日高少年の場合はこうでした。
 
 ぼくは、小学校のころ学校に行かなかった。戦時教育下に、いわば登校拒否のぼくが過ごした場所は、まだ東京のそこかしこに残る原っぱだった。(これは、エジソンと似ていますね。二人とも、子ども心に訴える環境と時間が十分整っていた、ということです。注 南淵)
 あるとき、枝をいっしょうけんめいはっている芋虫に思わず話しかけたことがある。
 「おまえどこに行くの? 何を探しているの?」
 芋虫は答えなかったけど、ぼくにとって、それは大切な原点だったかも知れない
 「世界を、こんなふうに見てごらん」日高敏隆著 集英社 p10)

 もうひとつ日高少年とエジソンの幼い頃が似ているのは、自然と遊んでいるとき、同年代の仲閒たちとは別行動で、自分の目で「よく見て」考えられる(考えてしまう)時間と余裕があったということです。観察をし、ゆっくりした時間の流れの中で、その推移を見守り、自分の考えを取り出す余裕がありました。ファインマンの場合も、お父さんが他のお母さん方の『子どもの同行』依頼を断り、親子二人だけで「なぜ」の追究がはじまりました。ただ自然の中に連れて行けばよいとは限りません。落ち着いて「自然に浸る」時間がなくてはなりません
 日高さんは、先の引用の節の見出しに、「『なぜ』をあたため続けよう」と書いています。ところが現在も、こどもたちには、知らなければならない「身の回りの『なぜ』」や、少し目を留めれば『心から知りたい』『知りたいことはたくさんある』はずなのに、「別に知りたくもないこと」から「勉強をはじめなければならない」のが現状なのです。
 エジソンがエングル先生に「ノータリン」あつかいされ、登校拒否したときの『感想』です。

 エングル夫妻の教育はたまらなく「いや」だった。あらゆることが無理に強いられた。書物によってのみ自然の過程を知ったり、アルファベットや算数を機械的に覚えこんだりするのは、かれにはできないことであった。かれが求めていたことは、自分の目で観察し、自分で「ものをすること」と、自分で「ものをつくること」であった。自分でものを見たり、試してみたりすることは、「ほんの一瞬だけであっても、見たことのないものについて二時間も教わるより有益である」と、かれは言っている。(「エジソンの生涯」マシュウ・ジョセフソン著 矢野・白石・須山訳 新潮社 p26より)

 エジソンも日高少年も、世間から見れば、謂わば「落ちこぼれ」の典型でしたが、彼らは「落ちこぼれている」間に、かけがえのない「一生の学び(研究すること)」に対する、無限の「モチベーション」を手にすることができました。ファインマンは落ちこぼれではありませんが、結果は同じです。

 これらの事例から現状の教育システムや学習指導を振り返ってみたとき、このブログで展開していますが、高々中学受験・大学受験のために、ただその目的(だけ)のために、こどもたちの「それ以外の可能性」や、抱ける「夢」をすべて握りつぶしてしまっている、という発想に思いが届きませんか?
 通り一遍の「自然活動」しか知らない指導者が、子どもたちを自然に「浸らせる」ことはできません。受験勉強しか知らない保護者が自然の大切さやおもしろさ・奥行きを伝えることはできません。ものすごい可能性を秘めている自然は、相変わらず「手つかず」のままです。
 巷間、自然観察や自然体験があまりにも表面的・皮相で捉えられていること、その感覚で野外活動が展開されていることがほとんどであることが残念です。ぼくの取り組みも、ご存じのように中年以降からはじめましたので、残念ながら道半ばなのですが、こうした方向に日本の教育がシフトチェンジされたとき、ノーベル賞の受賞者が飛躍的に増えるだろうという夢も抱いています。

 大きな発見や偉大な発明のコアは、周囲のsomethingであり、それがモチベーションになるのであって、けっしてtextbooksがきっかけではありません。textbookは、本来のモチベーションに追随するものであり、それらを補完するものです
 みなさん、みんなで大きな教育改革の流れをつくり出しましょう。完成の暁には、少子化に、もっとも歯止めがかかる取り組みになるのではないでしょうか。「大きな夢が生まれる」わけですから…。

いろいろなことをやってみたからよかった
 日高さんは、別のページで、こう述べています。
 
 ちゃんとした生物学のみを勉強したのではなく、進化論の概念が横から入ってきたり、実際のいきものも好きだからフィールドに出たりして、いろいろなことをやってみたからよかったのだろう。正当な学問の道筋だけ学んだのでは分類学の権威にはなれたかも知れないが、新しい考え方にはいたらなかったかもしれない。それも知って、さらにいろいろな外国語も知って、というのがとてもよかったのだろうと思う。(「世界を、こんなふうに見てごらん」日高敏隆著 集英社 p25)
 
 「いろいろなことをやってみた」のが先なのです。「その過程で、いろいろな外国語も知って」というのが、とてもよかったのです
 また、日高さんは別の著書(「動物はなぜ動物になったか」日高敏隆著 玉川大学出版部 p112)で、こういうことを言っています。
 

 気の弱いぼくは学校から逃げるほかなかった。ぼくは朝から学校をさぼって、近くの原っぱへゆき、そこで虫たちを眺めることになった。これがどうも生きものに対するぼくの関心の始まりのようである。だれかの話を聞いて感激したとか、何とか先生の本を読んで感銘をうけたとか、そういう高尚なことがきっかけになったわけではけっしてない。本や話はそのあとのことであった。のちにぼくに大きな影響を与えたファーブルの『昆虫記』も、ぼくが虫に関心をもっていたからこそ、すごくおもしろかったのにちがいない
 その後も、ぼくは生物「学」をやろうとは思わなかった。ぼくは生物を「知りたかった」のであり、今でもそうである。(下線は南淵)

 これを読むと自明のように、「学びを進めるモチベーションは」まずsomethingを知ることであり、環覚に目覚めることなのです。おもしろいものがあって「学ぶ」がはじまり、知りたくなるのです

 ファーブルの『昆虫記』が先にあるのではなく、「虫になじむことが先」にある、「または同時」にないと「すごくおもしろく」はならないのです。みなさんの発想は後先が逆ではありませんか? ファーブルの『昆虫記』を先に与えて満足していませんか? 虫といえば、お母さんがスリッパをもって追っかけ回したり、キャッキャッと逃げ惑っているゴキブリしか知らないうちに・・・。
 まずその発想を逆転しないとNO ORDINARY GENIUSは生まれないのでしょう。「ぼくは生物『学』をやろうとは思わなかった。ぼくは『生物を知りたかった』のであり、今でもそうである」なのです。
 NO ORDINARY GENIUSのファインマンは、次のように言います。

 わからないのは、科学をつまらない、むずかしいものだと思ったり、簡単でおもしろいと思ったりする人がいることなんだよ。ぼくには(科学をすることで 南淵・注)すばらしくおもしろいご褒美があるということしかないし、この世界が実際はどうなっているのかを究めようと思えば、相当の想像力が要るってことさ。ぼくは、四六時中、あらゆることを想像しようとしている。ランナーが走って汗を出すことに喜びを感じるのと同じように、ぼくはいろんなことを考えることによって快感を得るのさ。(No Ordinary Genius Christopher  Sykes  W・W・NORTON p126 拙訳)

 両者とも、モチベーションは「快感」なのです。「知りたい心」です。この身体の奥からわき起こる『快感』を掘り出す手伝いをすることこそ、教師(指導者)の役割です
 エジソンやファーブルやニュートン・アインシュタイン等、偉人たちの仕事や伝記や発明・発見の概略を指導することで天才が生まれ、学習のモチベーションが発動するのではありません。それらの従来の教育システムや指導方法を根本的に見直すべき時期に来ているのではないでしょうか。

 日高少年やエジソンの時代は、まだ子どもたちが『一人ででも環覚に目覚める環境が健在』でした。ところが、今は自然環境のみならず、あらゆる環境がこどもたちの『環覚』育成に敵対しています。その障害を排除できる有効な指導こそ「立体授業」だと考えています。
 ブログを読んでいただいているみなさん、せこい「自己顕示欲」や「収入増大」の、さらに先にある大きな夢と目標、つまり「子どもたちへの貢献」に向かって力を合わせましょうよ。
 最後に、日高さんが、学生やぼくたちに投げかけている問題(少し古いですが、科学全般にわたってその骨子は健在です、今、逆に加速していないでしょうか?)を紹介しておきます。

 高校で、メンデルの遺伝法則を習って、その見事さに感激し、生物学をやろうとする学生は、今でも後をたたない。ぼくの偏見によれば、そういう学生がまともに生物学をやってゆくことはむずかしいようである。彼または彼女は、たしかに体系化されたものの美しさを理解できるし、その体系を学んでゆく能力ももちあわせている。つまり、ちょっとした初等数学のテクニックや物理学、化学の初歩知識、機会の扱いかたを身につけており、電気にも強い。したがって、すでに体系化された近代的な生物学の徒となることは十分にできる。そして、先生からも若干の進歩的な仲間からも賞賛される精密な論文ぐらいは書けるのである。
 けれど、こういう近代的なアプローチがもたらすものはなんであろうか? 生きものの中から近代生物学的に扱える部分だけをぬきだして、それを解析し、そのことだけから生物学を作りあげるという、きわめて一面的な結果のみがふえてくるのではなかろうか?
 (「動物はなぜ動物になったか」日高敏隆著 玉川大学出版部 p113)

 「世界を、こんなふうに見てごらん」も「センス・オブ・ワンダー」もいずれも、それぞれの作者がなくなる前や病床での作品です。「透徹した目」で子どもたちと未来を思い、本質を生き生きと伝えている。読みとったこれらの真実と「読む心」を、いかに子どもたちに伝えることができるか、それがぼくたちに課せられた課題です。

子どもを幼く見過ぎ
 さて少し、子育てのアドバイスです。最近のお父さん・お母さんは、とにかく子どもを幼く見過ぎです。
 見るところ、実年齢より三才くらい幼い子に接するような態度です。子どもは、その境遇に甘んじてしまい、なかなか一人前に、自立の方向に向かい(向かえ)ません。小学校3年生なら年長児くらい、小学校6年であれば、3年生に対するような態度で接しています。
 お父さんは、少し自分の中学進学前後のことを思いだしてみてください。〇ンコに毛が生えてくるようになった自分を、そんなに幼い存在だと考えていましたか? もっと、いろいろ考えていたでしょう? 
 自分の子どもを指導する基準がわからなかったら、一緒に仕事をする仲間として、あるいは友人として、こうあってほしいという理想をぶつけるべきだと思います。一流の人はこうあるべきだという理想であれば、もっと良いでしょう

 「自分がそうでないから言えない」、というのであれば、もうその時点で「子育て失格」です。一流の人の親がすべて一流だったわけではありません。子どもに「自分より立派になってほしいと厳しく接する」のは、「この上なく立派な親の務め」です。件の悪行を企んだ中学校の男性教師はそういう意味でも「父親」失格です。


発想の転換が可能性を開く⑰

2018年06月16日 | 学ぶ

レイチェル・カーソンの応援-THE SENCE OF WONDER
 久しぶりに古本屋巡りをしていて、シックなグリーンの表紙の小ぶりな本に魅せられました。レイチェル・カーソン、センス・オブ・ワンダー。上遠恵子訳・新潮社です。「線引きあり」で、格安です。

 線引き部分を読みました。線引きされた人、「ポイント」の感覚、ぼくとそっくりです。どんな方なんでしょう? お会いしたいですね。
 さて、
 
 寝る時間がおそくなるからとか、服がぬれて着替えをしなければならないからとか、じゅうたんを泥んこにするからといった理由で、ふつうの親たちが子どもから取りあげてしまう楽しみを、わたしたち家族はみなロジャー(カーソンの甥っ子)にゆるしていましたし、ともに分かち合っていました。(上記書p15)
 
 (「ム、ム」ぼくの頭の中)

・・・月はゆっくりと湾のむこうにかたむいてゆき、海はいちめん銀色の炎に包まれました。その炎が、海岸の岩に埋まっている雲母のかけらを照らすと、無数のダイヤモンドをちりばめたような光景があらわれました。(上記書p15)

 (「ファーブルも小さいころ、近くの森の泉で黒雲母の粒を砂金とまちがえてポケットが破れるくらい詰め込んだっけ・・・」ぼくの頭の中)
 

 このようにして、毎年、毎年、幼い心に焼きつけられてゆくすばらしい光景の記憶は、彼(ロジャー・南淵 注)が失った睡眠時間をおぎなってあまりあるはるかにたいせつな影響を、彼の人間性にあたえているはずだとわたしたちは感じていました。(上記書p15)
 
 (「ウウン?」「そうだ、そうだ、ゲームの夜更かししか知らない子たちとは、比較にもならない」・・・「『センス・オブ・ワンダー』とは、ヒョッとして「環覚」とほぼ『同義語』ちゃうんか?」ぼくの頭の中) 
 知らんかったなあ・・・レイチェル・カーソンの執筆意図は・・・と読み進めると、自然に対する開眼、子どもの「環覚(THE  SENCE  OF  WONDER)」を育成することの意味と重要性が全編を通じてちりばめられています。ちなみに、この本は病に冒されたレイチェルが亡くなるまで、病床で手を加えていた本のようです(没後出版)。

  いつものように原書(“THE SENCE OF WONDER” RACHEL CARSON HAPER Collins PUBLISHERS)を手に入れました。副題が「親子に贈る自然賛歌」(A CELEBRATION OF NATURE FOR PARENTS AND CHILDREN 原副題・拙訳)。
 新潮社の邦訳版に「副題」は入っていませんが、子どものセンス・オブ・ワンダーを掘り起こしたい彼女の執筆意図から考えると、この副題はあっても良かったかも知れません。「SENCE OF WONDER不思議の出会い―親子に贈る自然賛歌」では、あまりにも『ズブ』でしょうか?(笑い) 
 SENCE OF WONDERは、実際に「『SENCE OF WONDER』に目覚めている人」ではないと分からないと思うので・・・そこが最大の問題です。その『感覚』が分からないと、価値や意味や手応えが理解できないのです

 「自然に対する『環覚』が掘り起こせないまま大人になること」の『不幸』と、子どもの『環覚』育成の必要性を、カーソンはこう述べています。この書に関しては、上遠恵子さんの訳がすばらしく、少し長いですがそのまま引用します。
 
 子どもたちの世界は、いつも生き生きとして新鮮で美しく、驚きと感激にみちあふれています。残念なことに、わたしたちの多くは大人になるまえに澄みきった洞察力や、美しいもの、畏敬すべきものへの直感力をにぶらせ、あるときはまったく失ってしまいます。(新潮社版 p23 背景色は南淵)

 この部分を読むと拙文下線部の意味がよく分かっていただけるのではないでしょうか? このブログでも何回か触れた例ですが、「大人になるまえに澄みきった洞察力や、美しいもの、畏敬すべきものへの直感力をにぶらせ、あるときはまったく失った例」をもう一度挙げます。
 団開設当時、『いい塾よ、田植えなんかもして・・・』と、友人がぼくの塾を紹介してくれた(そうです)ときの、あるお母さんの一言。「田植えなんかいいのよ、勉強を教えてくれれば・・・」(!)。
 あるいは、ある有名中高一貫校の校長の言。
 田舎で田んぼを借りて授業の一環として、米づくりの作業を折々取り入れることの意義をアドバイスしたぼくの恩師に返した(ようです)返事、「いいんですよ、うちは。『校庭』に田んぼをつくって『田植え』をしますから・・・」。子どもたちが『田植えのロケーション』や『田んぼへの道程』で感じられるもの、覚えられるものの「すばらしさ」「大きさ」『かけがえのなさ』が分からない・・・

 カーソンは、先の文章に続いて、こう述べます。
 
 もしもわたしが、すべての子どもの成長を見守る善良な妖精に話しかける力をもっているとしたら、世界中の子どもに、生涯消えることのない「センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目を見はる感性」を授けてほしいとお願いする(「たのむ」を「お願いする」に変えました)でしょう。
 この感性は、やがて大人になってくるとやってくる倦怠と幻滅、わたしたちが自然という力の源泉から遠ざかること、つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する、かわらぬ解毒剤になってくれます。(「なるのです」を「なってくれます」に変えました)
(新潮社版 p23 背景色は南淵)
 
 「ひとりの人間の人生そのものにさえ自然がもたらす力」、この視点のなんとすばらしいことか。大いに力を得ました。わかるひとには、わかるんや~。それもとっておきのナチュラリスト、科学者や。

「環覚」を育てるヒント
 ブログを読んでいただいているみなさん、ファインマンやエジソンの子ども時代から約100年、カーソンの死から約60年、今この自然に対する視点や『環覚』の指導の導入を取り逃がすと、「科学や技術の発展・発達ぶり(!?)」から考えて、「そもそもの基盤のない科学者」「生き物(!)を知らない科学者」つまり数式や人工物からしか考えられない科学者ばかりが育ってしまうような気がします
 さらに、これらの指導は、持論ですが、おそらく小学4~5年生までが、『身体の底から、そのたいせつさ・おもしろさが分かるための』リミットです。過ぎてしまえば、「自然を見て心は和む」が、どうしても「とってつけた感」の否めない「存在」になってしまうことでしょう。5~6年生以降では、今までの子どもたちの入団時期とその成長を見ていると、「自然に触れる喜びに身体がふるえる(!)までにはいかない」ような感じがあります
 カーソンは、そのあたりについて、こう述べています。
 
・・・生まれつきそなわっている子どもの「センス・オブ・ワンダー」をいつも新鮮にたもちつづけるためには、わたしたちが住んでいる世界のよろこび、感激、神秘などを子どもといっしょに再発見し、感動を分かち合ってくれる大人が、すくなくともひとり、そばにいる必要があります。(新潮社版 p24 背景色は南淵)

 少なくとも「ひとり」は必要なのに、「わたしは虫は怖いし、自然のことは何にも知らない・・・」。そんなことばかり思っていても、「何も知らないあなたの二の舞(!)」になるだけです
 騒々しい街中を離れ、そしてバーベキューや缶ビール目的ではなく、木漏れ日の朝、草花の葉先の水滴に目を留め、鳥や生き物のようすに注意を向け、きれいな沢につかり、自然に浸り・・・という経験によって、対象があなたの目を見開かせてくれます。続ければ子どもも目を見開くようになります。カーソンは、こう云います。

 多くの親は、熱心で繊細な子どもの好奇心にふれるたびに、さまざまな生きものたちが住む複雑な自然界について自分がなにも知らないことに気づき、しばしば、どうしてよいかわからなくなります。
そして、
「自分の子どもに自然のことをおしえるなんて、どうしたらできるというのでしょう。わたしは、そこにいる鳥の名前すら知らないのに!」
と嘆きの声をあげるのです。
 わたしは、子どもにとっても、どのようにして子どもを教育すべきか頭をなやませている親にとっても、
「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではないと固く信じています
 子どもたちがであう事実のひとつひとつが、やがて知識や知恵を生みだす種子だとしたら、さまざまな情緒やゆたかな感受性は、この種子をはぐくむ肥沃な土壌です。幼い子ども時代は、この土壌を耕すときです。(新潮社版 p24 下線・背景色は南淵)

  
 カーソンの云う「この土壌を耕す」は、「『環覚』を育てること、そのものです」。この本のなかには環覚を育てるためのヒントが満載です子どもたちは、その「環覚」によって「学習(勉強)のモチベーション」を手に入れていくことは、何度も説明しました。「子どもたちが学習する大きなパワー」を生み出すための「後先」をまちがえてはいけません。
 カーソンは幼いロジャーの面倒をみながら、気づいたことをこう記しています。
 

 ロジャーがここにやってくると、わたしはいつも森に散歩に出かけます(南淵・ファインマンのお父さんと同じですね!)。そんなときわたしは、動物や植物の名前を意識的に教えたり説明したりはしません(南淵・これも、名前に終わらないファインマンのお父さんと同じです)。ただ、わたしはなにかおもしろいものを見つけるたびに、無意識のうちによろこびの声をあげるので、彼もいつのまにかいろいろなものに注意を向けるようになっていきます。(新潮社版 p12 背景色は南淵)

 おもしろいものやふしぎなものに「歓声をあげる」「おどろく」。「それでいいのか?」と思うかもしれません。それで十分です。「ワクワク感は伝染ります)
 幼いロジャーと、そんな日々を送ったあと、カーソンは次のような日を迎えます。
  

 植物のカラースライドを見せると、ロジャーは、
「あっ、あれはレイチェルおばちゃんの好きなゴゼンタチバナだよ」とか、
「あれはバクシン(ビャクシン)だね。この緑色の実は、リスさんのだからたべちゃいけないんだよ」
などといったものです。いろいろな生きものの名前をしっかり心にきざみこむということにかけては、友だち同士で森へ探検に出かけ、発見のよろこびに胸をときめかせることほどいい方法はない、とわたしは確信しています。(新潮社版 p13~14 背景色は南淵)

 もちろん、「名前」を憶えて終わるわけではありません。このカーソンの言葉から思い出すのは、時々紹介しているKAEDEのことです。三歳の時、渓流教室の宿泊ホテルの広場で、ぼくが団の子どもたちから「小石」について質問を受けているようすを見て、それ以降、彼女はぼくといっしょにいると、さかんに小石を拾ってきて名前を聞くようになりました。幼子たちは、「道に落ちている石に種類や名前があることなど考えられない」ことです。そういう「感覚」を指導する側が持ち続けられるかどうかで、子どもたちの『環覚』の育成は左右されます
 カーソンは名前を教えたかったのではありません。また、ファインマンのお父さんのように、取り立てて「自然界のなりたちとしくみを教えた(教えたかった)わけではない」ようです。幼い甥っ子に、「生きとし生けるもの」の「深いつながり」と「愛」に目覚めてほしかったのでしょう。
 そして、「やがて大人になってくるとやってくる倦怠と幻滅、わたしたちが自然という力の源泉から遠ざかること、つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する、かわらぬ解毒剤にしてほしかった」のでしょう。

 ファインマンのお父さんやカーソンの、小さな子どもたちへの触れ合い方に想いを至すと、子どもたちが「自ら積極的に知力を働かせるようになるしくみ」や、「人間存在」特に「自然内人間存在」という意識に目覚めるようすがよくわかります。
 それらはいずれも「環覚」を育成することで可能になる、ということがわかっていただけたでしょうか? 子どもたちへの指導は、決して抽象からはじまるのではありません。

 この本には、子どもたちの「環覚」育成をするためのカーソンからの贈り物―お父さん・お母さんへのヒントが満載です。なお、「環覚」の育成は何度もいっていますが、ただ科学者を育てるためだけの指導方法ではありません。「『豊かな感性』や『生きとし生けるもの』に対する愛情を育む指導」でもあります。学力や知力・能力の成長だけに終わらない、人間存在の本質にもかかわるものです
 先日、水谷に対して人倫に悖る悪行を働いた大阪市内の卑劣な教員夫婦のような感覚(他者に対する思いの欠落・自己責任の放棄等々、人は社会的存在・自然内存在であるという意識や認識がない)で子どもの指導に向かうことは、窃盗・横領をはじめとするすべての犯罪の種子の発芽に培養土や苗床を与えるようなものです。
 「とんでもない子が育つ、バランスがよくない子どもが育つ」のには相応の理由があります。鈍感か無責任によって「その理由が見えない、その理由を見ようとしない、あるいは見たくない」だけです。
 カーソンの本は、その本質を突いています。こうした「当たり前の感覚」を、小さな子を育てている先生や保護者には、強く持ち続けてほしいものです。それによって、「文字が読める」だけではなく「本」や「人の心」がわかる子が育ちます。

立体授業のアイデア
 「子どもたちへの指導は、決して抽象からはじまるのではない(はじまってはいけない)」とわかっていただいたところで、立体授業の指導ヒントです。
 立体授業では、子どもたちと金づちで釘を打ったり、ノコギリで木や竹を切ったり、やすりやサンドペーパーで何かをみがいたり、という機会が、よくあります。また、電動グラインダーで釘立ての釘をとがらせたり、アウトドアナイフの刃こぼれを直すこともあります。
 ふつう子どもたちと何かをするときは、その工作によってつくるもの・できあがるもの、つまり目標や目的のみに目を奪われがちになりますが、立体授業ではそれだけではありません。そういう作業や何気ない行動の中にこそ、伝えるべき学習(内容)が隠れています。視点を広げるヒントが潜んでいます。少しファインマンの著書を覗きましょう。
 

 

 現実は見えている通りだなんてありえないんだよ。たとえば、ぼくらは「熱い」、「冷たい」ってことなんかは当たり前だと思っている、だけど、「熱い」と「冷たい」は原子がふるえている速さのことだ、より多くふるえれば、それは熱くなるってことだし、ふるえ方が少なくなると、つめたくなるってことさ。まあ、原子のひと塊、たとえばテーブルの上にカップに入ったコーヒーがあるとする、その原子たちはものすごくふるえていて、カップに跳ね返る、すると今度はカップがふるえるようになる。カップの原子たちがふるえ、今度は皿に跳ね返る。こうして「熱いもの」は、ささいな接触によって他のものにその熱を伝えていく。
(No Ordinary Genius Christopher  Sykes  W・W・NORTON p126 拙訳)

 ここには、日常生活で「当たり前」の温かいもの・冷たいものに対する「見かけ」からは分からない「原子のヒミツ」が出ていますこうした「身近なもの」に対する(この場合は熱の移動)新しい見方やなりたちとしくみを開示した時に、子どもたちは「科学(この場合は物理)」という大きな空に飛び立ちます
 つまり、「原子」をただ「教科書という抽象」で教えるのではなく、「コーヒーという身近なもの」に目を留め展開することによって、「子どもたちの興味を引き出せる指導」、「えっ、そうなんや」という指導が成立します。

 「『原子からコーヒーに行き着くことはありません』が、こうして『コーヒーから原子に向かうこと』で、子どもたちは「環覚」というアンテナを立てる(子どもたちに「環覚」というアンテナが立つ)ようになります
 先のノコギリや金づちやヤスリの場合。作業中、子どもたちにその部分を触らせ熱をもってくることを感じさせます。「ノコギリを使って工作している自分」が「目には見えない『原子』をふるわせたから熱が出た」、ノコギリは「切る」だけじゃない、「原子」でできあがっているものだ・・・これによって、子どもたちに「原子」が少し身近になります。「環覚」を育てる授業は、こうして成立します。
 少し頭を振り向ければ、周囲にヒントはあふれているのではないでしょうか? 「リトルファインマン」を育てるために、頑張りましょう。みなさん。

 なお、もうお亡くなりになりましたが、ぼくが好きな日高敏隆さんの本を、最後に一冊紹介しておきます。おもしろいです。


発想の転換が可能性を開く⑯

2018年06月09日 | 学ぶ

「自分で知っている」と云うことさえ、知らないんだよ

 MITの学生の頃だったが、みんなを煙に巻くのがおもしろくて、よくやったんだよ。いつだったか、機械製図の授業だったと思うんだが、お調子者が雲形定規―プラスチック製でなめらかな曲線を描くとき使うものだ、曲線ばかりで見かけが珍妙なやつだ―をもちあげていうんだ。「こいつの曲線には、何か特別な定則でもあるんだろうか?」。
 ぼくはしばらく考えて、「もちろん、あるさ。それらの曲線は特別な曲線だよ。見てろよ。」と云って、ぼくは自分の雲形定規を取りあげ、ゆっくり回しはじめた。「雲形定規は、どのように回転させようと、それぞれの曲線の最も低い点で、接線が水平になるようにつくられている」。
 クラスのやつらは自分の雲形定規をさまざまな角度にもち、それぞれの曲線にそって最も低い点に鉛筆をあて、接線が水平であるという事実を確認した。みんなこの「発見」に大興奮だったよ。だれもが既に微積分をかなりなところまでやって、「どんな曲線であっても、極小点(最低点)の導関数(接線)はゼロ(水平である)ということを知っているはずなんだよ。事実から関連を捉え類推することができないんだ。つまり、知っていることだって、実は知らないんだよ。(SURELY  YOU’RE  JOKING MR. FEYNMAN!  RICHARD  P. FEYNMAN  VINTAGE  BOOKS  p36 拙訳)

 
 ファインマンは当たり前のことを言っているだけなのですが、MITに行けるような学生が、自らの学習内容を「現実に即して」理解をしていない。「勉強(学習)はあくまで勉強」で、「日常生活に基本をおいて、つまり学習とはまったく関係のない(と思われる)ところで、その事象のしくみや成り立ちとの相互了解・共通理解がはかれていない、その能力が発達していない」ということです
 つまり「日ごろの生活はあくまで生活」であって勉強ではない。関連がとれない。「学習内容がそれらのあらゆるところから抽象され、そこに端を発していること」がまったく分からない、気づいていない―環覚が育っていない―というところが現在の学習問題の、比喩が適当かどうかわかりませんが、「大きなブラックホール」なのです

 勉強が『絵に描いた餅』にしかならず、その後の発展性がまったく見られず、自らを次のステージの研究や発明・発見に導く『栄養(!)分』にはならない。「とってつけた勉強」なのです。MITに合格できるほど頭脳が優れ、相当勉強した学生が、「抽象論」では分かっていても、「目の前の現象を自らが勉強した、その理論で『解釈』できない、表現できない」ということです
 ファインマンは、こう言います。
 

 みんな、どうしちゃったんだか。かみ砕いて理解して学んだのではない。何かほかのやり方、成り立ちやしくみをよく理解するのではなく、ただ「くり返すやり方」で学んでいるのさ。そんな知識は「絵に描いた餅」さ。(SURELY  YOU’RE  JOKING MR. FEYNMAN!  RICHARD  P. FEYNMAN  VINTAGE  BOOKS  p36~37 拙訳 なお、これらのファインマンの説は、岩波現代文庫の大貫昌子訳で読むことができます)
 
 つまり、地に足のつかない、「現物や対象」をイメージしない「勉強のための勉強」で育ってきた、そして育てようとしていることが、現状の学習指導を見ていると、ファインマンやエジソンの時代から約100年もたって尚、相変わらず続いて(しまって)いるということです
 ファインマンの著書を読む度、ぼくは「学習指導のしくみ」の持論に対する『精神的応援(!)』を得てはいますが、もともと、『環覚』や「学体力」という発想は、小さいころから貧乏な家庭で育ち、本も家庭教師も塾もほとんど関係ない中で、どうして『勉強をそれほど嫌いにならず』スムーズに進学できたか、とくに生物なんか先生を困らせるほどの質問ができたか? という単純な疑問から発したものです。今(もう約二十年前ですが)のこどもたちは、どうしてこんなに勉強(今思えば、ファインマン曰く、絵に描いた餅)をしなくてはならないのだろう。
 そこで得た(感じた―当時)結論は、ぼくは学習内容や学習対象について、特に生物や地学関連については、たいていの「もの」や「こと」に、まず自ら出遭っていることが多かった。なんせ、朝から晩まで裏山や近所の小川で遊びほうけていたので。
 「まず遊びの対象」としてその存在や生育や実態が身近で、工作や遊び(つまり触り、手をかけること)を通じてその性質や特性を知悉していた。教室でそれらが学習として出てきたとき、よく分かるのはもちろん、それらの対象の関連や抽象が即座にイメージできた。理解が行き届き、それが学習をすすめるモチベーションになったのではないか、という想像でした
 さらに成人後、教育界ではなく、まったくちがう仕事をさまざまに経験できたことも、「形」や変な「しがらみ」にとらわれない発想の助けになっているような気がします。

 ファインマンのような天才には足下にもつま先にも及ばない、アメーバーのような「おっさん」が子どもたちの学習と頭脳の成長を何とかできるだけよくしたいと頑張った試行錯誤と紆余曲折。その結果として「周囲のものごとに対する『環覚』が、子どもたちの学習や学習に対するおもしろさ・その発現のきっかけになる可能性が高い」という、「ファインマンやエジソンという実在の成長モデル」に出遭ったということになります。
 ニュートンやファーブルやマクスウェル・エジソンなどの成長過程をたどってみると、すべて自らの環境(多くは自然環境)に対して、その成り立ちやしくみのおもしろさに目覚めたので、それ以降の爆発的な学習量と能力発揮が実現したと想像できました。かく云う発想は、まず抽象から学習(勉強)に入った人には、なかなかなじみがない(わかりにくい)と思いますが・・・。そして大きな問題の根源もそこです。

 MITに入学できるような人たちは相当能力が高く、やがて科学者になったり専門分野で優れた活躍する人なのでしょう。「みんなどうしちゃったんだか。よくかみ砕いて理解して学んだのではない。何かほかのやり方、成り立ちやしくみをよく理解するのではなく、ただ『くり返すやり方(つまり理解ではなく、ほぼ暗記)』で学んでいるのさ。そんな知識は『絵に描いた餅』さ。ファインマンが云うと、一般のエリートは、先述のように、こうなります。
 一方で、一般的な人たちはどうでしょう? 
 
 まあ、みなさんも経験からよくご存じだと思いますが、人々、平均的な人々つまり大多数の人々は哀しいことに、また残念なことですが、自分たちが生きているこの世界の科学というものについてまったく知らないのですが、そんなふうであっても生きていくことができるわけです。(The Pleasure of Finding Things Out RICHARD  P. FEYNMAN p102 拙訳)
 

 そして、
 
 ともあれ、ぼくはどうして人々がそんなにも情けないほど無知なままでいることができ、現代社会の難題の真相を究められなくても生きていけるのか、という質問に答えたいと思います。
 その答えは科学が取るに足りないものだからです。どういう意味かはすぐ説明しますが、「そうであってよい」と言ってるわけではなく、わたしたち科学者が、社会にとって(科学を)取るに足りないものにしてしまっているのです。この問題については後で戻るつもりです。(The Pleasure of Finding Things Out RICHARD  P. FEYNMAN p103 拙訳)
 
 一般人の多くは、科学なんぞに「脇目もふらず」日々の生活に邁進し、一方『勉強をする人たち』は「抽象の教科書で抽象を頭に入れていく」ということでの『上っ面科学の輪廻転生(?)』が延々と続いている、というのは言い過ぎでしょうか。
 科学は決して「とるに足りないもの」ではありません。「(科学は)考えると、おもしろく夢中になれるもの」、MITの学生たちのような「『知っている』という誤解」ではなく、ほんとうに知ること・わかることで「名実ともに」計り知れない恵みを人生に対してもたらしてくれるものなのに・・・というファインマンの裏の気持ちを、彼の発言から読みとらなければなりません
 「一般人」はほとんどテレビ番組のクイズの答えとしての『科学の些末な結果や現象の映像』に驚き、「エリート」は抽象と数字を操作して理解と暗記を進めている。ごく単純に要約すれば、これが科学と科学教育の現状のアウトラインです。いずれにしろ、『社会』では一般人やエリートともども、『現象や現物』とは直接関係のない(関連が読みとれない)科学(指導)に終わっている。
 学習対象や学習内容を周囲や環境のあれこれになぞらえる機会はなく、解釈したり、理解したりすることはほとんどありません(できません)。一部の意識の高い家庭や指導者に恵まれた環境でしか、「科学(教育)が成立していないということなのでしょう。この感覚のギャップをとらえなおし、指導の方法や内容を精査すれば、もっとすごい子どもたちの成長がはじまる(見られる)のではないか。そう考えます

 


「自分で知っている」、「分かる」とはどういうことか

 先の雲形定規のファインマンの説明にもあったように、曲線と接線の関係を机上やテキストや受験問題で知っていても、ふだん実際にその学習内容が内在する現物を見たときにも、学んだ学習内容で対象を解釈・理解できなければ、それでイメージできなければ応用が利かず、発展もありません。
 つまり、「結局はわかっていないし、知らない」ということになります。受験指導で、いくら知識や要領を難関レベルに積みあげても、所詮ファインマン例示のMIT学生の「接線どまり(!)」というわけです。今、多くの子どもたちの学習指導は、この「接線(!)」までで、それ以上の指導や方法論が、教える側の脳裏に浮かぶことはないのではないか?
 ファインマンの曰く「『知っていること』を『知っている』」レベルまであげるにはどうすればよいのか、つまり、どう教えればよいのか? ぼくの実践する立体授業や課外学習も、同種の発想から問題を解決しようとしたものです。

 ファインマンが小さいころ、森での散歩で一羽の鳥を見てその生態を考えさせるお父さんが言った問いかけ、『名前を知ったからと言って、おまえは何も知ったわけじゃない』『それより、もっとよく見てみようや』から、子どもたちへの指導のヒントを読みとりましょう。
 ファインマン一家はよくニューヨーク近郊の人たちの避暑地になっているキャッツキル山地に出かけたようです。家族連れの大賑わいで、お父さんたちはウィークデイには勤めに戻り、週末にまた家族と合流するというパターンでした。  以下、拙訳で紹介します。

 親父はやってくると、ぼくを森での散歩に連れだし、森で起こるさまざまな興味深いできごとを教えてくれるんだ。それを見ていた他の母親連中は、もちろんすばらしいことだと思うわけだ。だから父親たちに子どもたちを散歩に連れ出すよう働きかけるのだが、どうも協力的ではない。だから、ぼくの親父にみんなを一緒に連れて行ってくれるように頼みにきたんだ。だけど、親父はぼくと特別な関係を続けたかったので、ウンと言わない。ぼくと親父の個人的なやりとり(質疑応答・注南淵)があったからね。(The Pleasure of Finding Things Out  by Richard P. Feynman PENGUIN BOOKS  p4  拙訳)
 ファインマンのお父さんに子どもたちの同行を断られた母親たちは、結局父親たちを説得して子どもたちを連れ出させます。そして翌月曜日、子どもたちみんなが野原で遊んでいると、その中のひとりが、見つけた鳥を指さしファインマンに、「何という鳥か答えてみろ」とたずねます。
 ファインマンは「いやまったくわからない」と答えます。すると、彼は「茶首ツグミだ」とか何とかいいながら、「何だよ、お前の親父は何にも教えてないんだな」と毒づきました。
 だけど、実際はまったく逆だったんだよ。ぼくの親父はちゃんと教えてくれていた。
 何が「逆!」だったのか? どう教えていたのか? そこがたいせつです。
 以下、“What Do You Care What Other People Think?”(Richard P Feynman as told to Ralph Leighton  W.W.Norton & Company,Incp13~)の拙訳で紹介します。
 

 ファインマンのお父さんは鳥を見て、あの鳥は「スペンサー虫食い」(ここでファインマンはお父さんが実際の名前を知らなかったのだろうが、とコメントしています)っていうんだ、まぁイタリア語で何とか、ポルトガル語で、中国語で、そして何と日本語まで持ち出して「でたらめの名前」を並べて、最後にファインマンに言います。
 これでお前は、あの鳥の名前を世界中のことばで知ったわけだ。だけどそれが済んだからといって、お前はまだあの鳥について何にも知っちゃいない。ただ世界のあちこちに人がいて、あの鳥のことを何て呼んでいるのかがわかっただけだろう。だから、まずあいつをよく見ようや、奴が何をしているのかを見よう。たいせつなことは、そのことなんだよ。
 親父は言うんだ。「たとえばだ、見ろよあの鳥を(例のスペンサー虫食いが、しきりに羽をつついていたんだよ)。あの鳥、歩きまわって、羽をつついているだろう?」
 「あぁ」
 「どうして羽をつついていると思う?」(前掲書・14p 拙訳)

 お父さんに鳥が羽をつついている理由を聞かれたファインマンは、
 
 「そうだね、たぶん、飛んだとき羽がぐちゃぐちゃになったんだよ、だからまっすぐに整えるためにつっついてるんだよ」
 「わかった、もしそうなら、飛んでいたすぐ後、何度もつっつくはずだな。それに、しばらく地面にいた後は、そんなにつつかないことになるな・・・言ってることはわかるだろう?」
 「わかるよ」                            
 「じゃあ、着地したときに、何度もつつくかどうか、よく見てみよう」
 言うまでもないことだが、歩きまわった後と、着地したすぐ後では、たいしたちがいがなかった。 だから、ぼくは言ったんだ。
 「まいったするよ。どうしてあの鳥は羽をつつくんだい?」(前掲書14p 拙訳)

 世界中のことばで鳥の名前を知ったからといって何もわかったことにならない、といったお父さんは、まず「対象」に注目することを教えます。「(ちゃんと)見たこともないものの名前や名辞、つまり「抽象」を子どもたちに詰め込んでも、興味が立ちあがり、おもしろさが始まることは期待できない」ということをお父さんはよく知っていたのです。
 ここからがお父さんの真価です。お父さんは、こう「なぞ解き」をします。

 「それはなあ、毛ジラミが悩ますからさ」。親父はいうんだ、「毛ジラミたちが羽からはがれ落ちる蛋白質のクズを食べるんだ」。親父はつづけて「毛ジラミたちは脚にロウのようなものがついてるから、今度は小さなダニたちがそれを食べるんだ。ダニたちはそれを消化しきれないので、ケツから糖のような物質を出す。それでバクテリアが育つんだ」。
 そして、最後に、「これでわかっただろうが、食べ物になるものがあるところには、それを見つけ出す何らかの生きものがいるんだよ」なんて、付け加える。
 まあ今思えば、ほんとうは毛ジラミなんかではなかったかもしれないし、毛ジラミが脚にダニを飼っているなんてこともないかもしれない。あの話は細部にこだわれば正しくなかったかもわからんが、話していたことの原理は正しいんだよ」。(前掲書14~15p 拙訳)

 「食物連鎖」が先にあるのではありません。子どもたちが動物園を喜ぶのはなぜですか? 鳥たちの生態が先にあるのです。生物たちの弱肉強食の姿が先にあるのです。子どもたちにはクワガタやカブト虫の戦いやカマキリがバッタを捕まえるようすが先にあるのです。光の三原色や色の三原色が先にあるのではありません。虹や夕焼けが先なのです
 また、ファインマンのお父さんの子どもに対する問いかけは、子どもの思考や関連をとらえるはたらき、イメージを導入する頭のはたらきに大きなアドバンテージをもたらします。
 「なぜ」「どうして」という不思議の喚起は、子どもたちの「考える」という行動を促します。質問をぶつけることで、相手の考えるきっかけを育みます。問題や観察に対して、主体的・能動的・積極的になります
 しかし、こうした問いかけは、中・高になってしまうとうまく機能しなくなって(しま)います。現状中高生を「良心的に」指導している先生方には同時に悩みの種でしょう。
 そうです、こういう習慣は経験上少なくとも4・5年生までの学習指導で身につけておかなければなりません。だから小学校中学年前の体験授業や立体授業が、とても大切なのです。そういう学習姿勢は、年齢を重ねる度に形成されにくくなります。鉄は熱いうちに打て、です。
 問題を提示し、相手の答え(考え)を要求すること(「なんでやとおもう?」)で主体的・積極的な頭のはたらきを促します(何も科学者への道筋ではありません。頭のはたらきの強化という意味です)。
 発言や発表を求めることは、自分の考えをまとめる、つまり考えを整理するので、理解が整います。さらに、その発言や発表に対して、謎や疑問点を問いかけることで、考察の深化がともない関連の拡大イメージが広がります。
 考える、ということはこういう経緯を経て発達するはずで、ファインマンのお父さんは、自然現象や周囲の事象に対して、こういう「意識せぬ(おそらく)」強化指導を日々繰り返していたことになるわけです。 
 雲形定規に対するMITの(一見)エリート学生の反応とは全く異なる、ファインマンの現実に即した超天才は、実は、これらの「何気ない(!)日々のトレーニング」に拠って築きあげられたものだと考えられます。
 「自分で知っている」、「分かる」とはどういうことか。ファインマンは、それこそ「知らない間に」「知っているということ」が身をもってわかっていたということです。そういう発想・学習・研究スタイルの人として育っていたのです。
 ぼくは子どもたちに、日々「それは結局どういうことなん?」「なんでや?」と問いかけることを「日課(?)」としています。

 さいごに、ファインマンの妹、物理学者のジョーン・ファインマンのことばを紹介しておきます。
 
 わたしは長い間、物理学の世界では誰もが物理学を兄のように理解しているものだと思っていたの、わたし以外はね。リチャードは、何といったらいいか、物理学がからだの一部になっているの。ちょうどわたしたちがここに椅子があるってわかるのと同じように、物理法則やそのはたらきがわかっていたのね。そう、からだの底からの、総合的で深いわかり方なのよ。他の人たちもそうだと思っていたんだけど、今までそんな人にあったことがないわ。他の人にもこのことについて話してみたの。電気とか磁気の方程式のように、何かを説明する方程式のことはわかるのよ。でも何かがどう振る舞うかを理解するために彼らにはその解が必要なの。リチャードは直観力が発達していたので、解が何であるのかすぐわかったの。("No Ordinary Genius" Christopher  Sykes  W・W・NORTON p126拙訳)
 
 リトルファインマンをたくさん育てましょうね、みなさん。


発想の転換が可能性を開く⑮

2018年06月02日 | 学ぶ

「京大OB三人衆」と、やすらぎのひととき
 教職に就いている人はすべてそうだと思うのですが、子どもたちを指導していて最大の喜びは教え子の成長した姿を見ること、その手ごたえがわかることです。今回の三人はそうした子たちです。

 4年生のとき入団し、西大和学園から京大、言語学研究に目覚め大学院に進み、ベトナムに単身留学していたY君。おとなしくて、いつもにこにこしているけれど、負けず嫌いです。5年生の頃、宿題の『計算問題の特訓』(学研)の問題ができなくて、腹が立って机の下で畳を蹴り続け、足から血が出たことも気づかなかったほどです。

 K君。京大合格したとき、「ぼくより頭がよい人は一杯いたけれど、ぼくは努力では誰にも負けなかった」と、力強い一言を聞かせてくれました・・・小学校4年で入団して清風中学から京大・京大院に進み就職後、薬品会社で新薬検査の現場に携わりながら臨床同行の医師の姿に触れ、進路を変更、医学部に学士入学しなおした団の一期生です。
 M君は、数年前亡くなった高校時代のぼくの大親友Nの甥っ子です。Nが「奥さんの夢枕」に立ち(だそうです)、「ぼくに指導を任せろ」といったので学びにきてくれたゲームボーイ。その繊細さゆえ、中二で不登校になって数年間ゲームセンター通いをしていましたが、心機一転、団での二年間の学習で、見事京大理学部に合格。

 OB教室を卒業した32名のうち京大に進んだ子は5人いますが、彼ら三人は、よく現状報告や相談・手伝いに来てくれます。成長しているようすもよく分かります。
 成長というのは、能力や学力が優れているのは当然のことで、ぼくが気になるのは「人格的にはどうなのか?」です。彼らはそういう意味でも、何の心配もありません。いずれも、やさしくたくましく(体格ではありません、人間として)、シャープに、クリアに大きく成長しつつある姿にいつも癒され、元気をもらっています。
 卑劣で情けない悪人や浅薄な行動を目にし、人間不信に陥った事件を、ひととき忘れることができました。年を重ねると、「できるだけきれいなものを見たい」と思うのですが、現実はなかなかうまくいきません。  
 さて今回の集合は、ベトナムで自らの研究の方向性の手掛かりをつかんだY君が一年ぶりに帰ってきたことがきっかけです。「申請書類をぼくにチェックしてほしい」という彼の面会を機に、「久しぶりにみんなと会う」ことに決めました。
 かつて医師の卵のK君も「学士入学試験のときの推薦書を書いてほしい」と訪れてくれましたが、今回はY君の「研究費奨学金の申請書」の文章のチェックです。京大に行き大学院まで進んだ彼らですから、錚々たる人たちが周囲にいるはずです。「ぼくみたいな変なおっさん(ハハ)がしゃしゃり出る幕はないはずで、一大事の大役、俺でよいのか」と・・・、こんなときはいつも冷や汗タラタラで、残り少なくなった脳みそチューブを目いっぱい絞ります。もうほとんど残っていません(ひぇーっ)。

 今回のY君の場合は急だったので余裕がなく、前の日に一応読んだのですが、因果な性分で、次の日朝4時に起き(目が覚め)ました。中身の言語学の研究内容はちんぷんかんぷん。研究者が少ないので、選抜チェックする審査の人もあまり馴染みがないだろうから、生硬な文ではなく「内容がよく分かるように、読みやすい方がよいだろう」。そういう感覚で「出だし」と「結末」の、思うところに朱を入れました。
 彼らと、その成長に関わっていると、「人生半ば過ぎまで自らのやるべきことを見いだせず右往左往した」わが身を振り返り、子どもたちの成長には、ちいさいときの周囲の視角の広さや、近くにいる指導者の思いやアドバイスがいかに大事か、必要かを改めて感じた次第です。そして、「心からの思い」は、子どもたちには、まちがいなくきちんと伝わります。今回彼らを見てその確信がまた強くなりました

 若くして彼らのように自ら邁進できる道を見つけられれば、そして究める姿勢も整っていれば(整ってくれました)、どんな分野であろうと一家を成してくれるだろうという期待があります。楽しみです。そのころまで、ぼくの寿命があればいいのですが・・・。
 天王寺の馴染みの居酒屋でのひととき。約束の五時から約3時間、みんな酒を飲めるようになったことがうれしく、ジョッキ片手に話は大いに弾みました。Y君はベトナムで素敵な女性が見つかったようで、うれしそうに恥ずかしそうに話してくれました。帰りぎわに、K君には安保徹の本を、Y君には今後必要になるだろう文章の書き方のアドバイスの本を、M君には興味や視点が広がるように「皮膚と脳」の本を、それぞれ数冊プレゼントして、再会を約しました。 「幸多かれ」。そう祈っています。

ファインマンの学体力から―勉強が先か、「実験?」が先か
 M君に「皮膚」の本をプレゼントした理由です。「傳田光洋」の本はおもしろいのはもちろん、M君は化学専攻ですから、なんかヒントにならないかと…。
 その優れた頭脳と人一倍鋭い感受性ゆえ、また何よりもお母さんに喜んでほしい、という優しい気持ちがゲームセンターへの方向に彼(M君)を誘導してしまったのだろう。(ブログ「夢へのワープ」シリーズ参照)
 おそらく、並外れて頭が良くて、素直で、大好きなお母さんを喜ばそうと一生懸命受験を頑張ってきたが、合格したので目標が見えなくなってしまった。ちょうどタイミングが悪く、おじいちゃんの具合が悪くなって、お母さんがその看護で家を留守がちになってしまった。そのため彼は、心のよりどころを失ってしまったのだ・・・初めて話をしたとき、理由がすぐわかりました受験漬けで育った子、読書や野外遊びなど、関心や好奇心を大きく広くもてなかった子の典型である、という推察です。我が身を見る思いもしました

 指導の上で、現在も一番ポイントにしているところです。そうした学習で、順調に(!?)進学を進めるが、自らの夢や目標がないままなので、何をしてよいかわからない、何をしたいかわからない、何をすべきかわからない…。これが多くの現在の子どもたちの状況でしょう。
 本来なら、大学進学時には、自らの目標の一つや二つ、実感としてもっていてよいはず、あるいは探すための準備ができていてよいはずですが、そういうふうに育っていないので、手近なゲームや目先の楽しみや遊びで時間をつぶしてしまう、そんなうちにすぐ3・4年が過ぎ、結局何をしてよいかわからないうちに、卒業し、こじんまりと落ち着いて(?)しまう。彼の人生のためにはもちろん、社会のためにも、能力をこのまま埋もれさせるのは惜しい、そう思いました。そういう寂しい人生を送ってほしくないと、ぼくはそもそも子どもたちの指導をはじめたのです。

 小学校のときの指導だけでは、まだ無理ですが、OB教室に来てくれた子たちの多くは、その間の指導の過程で、自らの「方向性の意識」が芽生えます。M君の場合小学校から関われなかったので、今後何年かは、彼のそういう「目覚め」に協力しなければ・・・。「皮膚」の本のプレゼントは、その一環です。
 受験勉強という「抽象学習」を「追い追われ」していると、発想の貧困から、広い視野は持てないし、一生をかけるべきおもしろさに出会うことは難しくなる、経験からも、そう思っています。「受験のために勉強する」のではなく、「自らどうしてもなしとげたいことがあるから勉強する」(必ずしも、医者になりたい、弁護士になりたい、という意味ではありません)という姿勢が正当です

 以前もファインマンをこのブログで紹介しましたが、いまその成長の過程をもう一度辿っています。参考になるだろう一節を拙訳で紹介します。“THE PLEASURE OF FINDING THINGS OUT”(BASIC BOOKS RICHARD P. FEYNMAN p227~228)。
 
 子どものころ、ぼくが実験室と呼んでいたものは、単にごちゃごちゃいたずらをする場所だった。ラジオや自作の工具や、光電池など、そんなものをつくるところさ。大学で実験室と呼ばれているところを見て、びっくりしたよ。みんなクソ真面目に、測定したり結果を判断したりすることを要求される場所だったから。ぼくの実験室では、つまらん測定なんか関係なく、いたずらしたり、工作したりだったからね
 

 ファインマンは、こうした自らの遊びの一環、ラジオを修理する・つくるという遊びのなかで、どうしても解決しなければいけない「電流や電圧の関係」にぶつかります。彼はそこで、抵抗器の間の関係や電気の公式が書いてある本を友人に借ります。電流や抵抗・電圧の関係の公式は数あっても、それぞれが独立しているわけではなく関連があって、学校で習った代数の知識を使えば、それぞれをそれぞれから導き出せることに気づきます。
 

 そうこうして、ごちゃごちゃいたずらをしているなかで、学校で習っていた代数で計算のやり方を理解した。そんなことで、ぼくがやっていることにはどうも数学がたいせつらしいなとわかった。そうして、ぼくは物理学に関係する数学にどんどん興味をもつようになった。さらに、数学そのものにも大いに興味を惹かれるようにもなったんだ。人生を通してね…。(背景色は南淵)
 
 一読すればわかるように、「ファインマンが数学に大いに興味をひかれるようになったのは、自らの遊びや工作の中から、です」。「受験から」では、決してありません。

 数学だけではなく、彼は小さいころからお父さんに引率された森の中で、その森の生業を見て、科学(自然)のおもしろさに目覚めました。それらが彼をさらなるステージに誘い、彼に「超天才」をもたらしたのです。
 つまり、自らの周囲や環境、そこでの「遊び(意識が)」のなかで、まず面白いものやおもしろいことに出会う、見つける。それが始まりです。それらを続けたければ、知っておかなくてはならないことがあるんだ(学習内容にある)、という道程です。この仕組みの検討が、心ある、賢明な指導者の最優先事項であるべきです
 勉強が先か、「実験?(遊び)」が先か? そう問われれば、もちろん「遊び」が先です。天才とは云わずとも、大秀才を育てるために、ぼくたちが一刻も早く追求すべき学習指導は、このスタイルです。
 
ものの聲 ひとの聲―基本的な人間の条件
 表題は映画にもなった「五番町夕霧楼」や「飢餓海峡」を書かれた水上勉さんの「自伝的教育論」(小学館ライブラリー)の書名です。これを読むと、幼いときから相当苦労されたことがよくわかります。

 以前、自ら読んだものの中から、子どもたちにぜひ読ませたい一節を国語の学力コンクールや学習資料の問題文に仕あげる、と言いました。塾や小・中の先生方、同書の78p~82pの少年時代の描写(計 約2400字)は、読解力の格好のテスト問題・よい学習資料になると思います
 水上勉が9才の頃、京都の寺で住み込み小僧になった時の心情描写です。「ああ、あの汽車に乗れば、生家のある若狭へ帰れるのだな」にはじまる一節です。一度目を通されたらいかがでしょうか。
 さて、水上勉は大戦末期の子どもたちのようすとの比較から、執筆当時―1980年前後の子どもたちの変化の具合を嘆きます。

 不思議なことに、記憶は抜群であって、数学や地理歴史の点数のいい子が善いことをするのに勇気がない。善いことは進んでして、悪いことはやらない、というのが基本的な人間の条件だが、その大事なことを空白にして、実は、記憶ばかり植えつけられてきた教育の欠陥だろう。不思議に町で見かける子供らが、何か咄嗟にことが起きてもさっと手をさしのべたり、悪に向かって力を発揮する景色を見たことがない。どっちつかずの勇気のない傍観者として、大人のようなしょぼついた顔で、倒れた老人を見ている子を目撃したことがあった―(中略)今日の文明爛熟の東京で、無数の視聴覚教材や、参考書と教師に取り囲まれながら、親から管理されている子が、人間であることの基本的な、善いことは進んでやり、悪いことはやらないという生活の第一条件を、空白にしていないか。つまり、人間が自立するということは、この一つのことを知ったことからはじまらねばならない。(前記書 p206~207 下線・背景色は南淵) 

 
 こういう引用をしてアドバイスを重ねるのは「年寄りの冷や水だ」という考えがあるかもしれません。しかし、「年齢を重ねている」ということは、「どういうことがあって、どういうふうに環境が変わって」等という変化の具合や推移も年齢とともに数多く経験しています。分かっていることが多いわけです。もちろん、しっかり経験をわがものとしていることが前提ですが。
 ふつうアドバイスされている側は、「自分が物心つく頃から年配者が推移を見守った、その環境の中」で、「その環境を当たり前として育っている(その環境しか知らない)」のですから、変化や推移は、まだ分かりようがありません。比較ができません。ものごとは比較ができてこそ、選択が可能になります

 そういう現実をよく認識して事にあたれば、自分の「懐と頭」に先輩のアドバイスを入れて判断の材料や指針にすることができます。それが「賢人」の生き方だと思います。
 傍線部(傍線は南淵)のような、「『人間であることの基本的な善悪』がわからない、『善いことは進んでやり、悪いことはやらないという(人間としての・南淵 注)生活の第一条件』がわからない、件の教員夫婦のような保護者も出てきていることを考えれば、水上勉の言葉を借りれば、「人間はこの一つのこと(善悪)を知ったところから始まるのに、それさえ判断できなければ、人間としての自立にさえ至らない」。つまり、子どもを育て指導するべく、最低限の条件さえ整っていないと云うことです。現状、その気味はありませんか?
 水上勉がこの本を書いたのは、先述のように1980年前後です。「人間としての自立に至らない指導やしつけの不備は教員がカバーしなければならない」のに、その不備が肝心の教員にまで浸透してきた、それが今日の現実です
 水上勉はこの後、子どものしつけについて、次のように書いています。
 
 体験から血にならないことには子供も大人も、あてになるものではない。子どもは一度ぐらいは盗みをやって非を悟る。ガラスを割ってみて、ガラスの前は静かに歩くようになるものだが、いまの親たちは、のっけからガラスは割れると知識で教えて、わきを通るときは静かに歩けと監視している。何のために静かに歩かねばならぬか。ガラスを割ってみたことのない子には分からないだろう。(前記書 p207~208 下線は南淵)
 
 「体験から血にならないことは子どもも大人も、あてになるものではない」という下線部は、もちろん「血を流す」という意味ではありません。先週のメイヤー(マクドナルド)の『鳥殺し』事件を思い起こさせます。「『血にならない』体験や指導の『蔓延』に対する嘆き」です。「血になること!」で行動が変わります。(ちなみに、この年齢は自説のくりかえしになりますが、どうも小学4~5年生くらいがそのリミットのような気がします。)

 この、水上勉の執筆当時は、まだ親たちが「ガラスは割れるから静かに歩け」と教えていました。つまり、「躾」の「痕跡(?)」が「依然として」残っていたということです。1980年代。
 ところが38年たってしまった今、近隣では、先日紹介したように「盗みをしても知らんぷりなさい」、「お金を拾ったら黙ってポケットに入れなさい」という仕業を「実践する(!)」嘆かわしい先生(?)さえ出てきました

 「子どもは一度ぐらい盗みをやって非を悟る」。この文から読みとれることは、当時「とんでもないことをやってしまった」ということを「自ら分かる子」さえいた、それはもちろん親に「手厳しくしかられる」という経験があったからでしょう。
 今は「非を悟る」どころか、『自分が親に叱られたからと厳しく叱りさえしない』さらに「親も同じようなことをして平気で猫をかぶっている」、だから「窃盗の善と悪が分からない」「責任が取れない」という塩梅です。この例も教師です。
 水上勉がこの事実を知ったら「腰を抜かす」のではないでしょうか。再録。
 人間であることの基本的な、善いことは進んでやり、悪いことはやらないという生活の第一条件を、空白にしていないか。つまり、人間が自立するということは、この一つのことを知ったことからはじまらねばならない
 あたりまえが当たり前じゃなくなっている現実。銘戒です。
 「ものの聲 ひとの聲」というタイトルは、いかにも意味深で、今「聞くに聞けないもの、聞こうとしないもの」を表現している。そう思います。


発想の転換が可能性を開く⑭

2018年05月26日 | 学ぶ

「夜と霧」の向こうに見えるもの
 先々週、筑摩書房の「高校生のための文章読本」について触れました。「モーパッサンが師匠フローベールから受けたアドバイス」を読んで、子どもたちの『環覚』を育てるための「ものの見方」の参考にしてほしい、という思いでした。「高校生~」では、この後に開高健の文章が掲載されています。その一節です。
 

 「・・・・・・おいでなさい。」
 案内のスラヴ顔のおばさんが岸辺におりてゆくのでついてゆくと、彼女は水のなかをだまって指さした。水はにごって黄いろく、底は見透かすすべもないが、日光の射している部分は水底がいちめんに貝ガラをちりばめたように真っ白になり、それが冬陽のなかでキラキラ輝いていた。(前記書 p6 「“夜と霧”の爪痕を行く」より) 
 

 この部分だけを読むと、顔見知りになったやさしいおばさんに、一般にはあまり知られていない「絶景スポット」でも紹介されたのかな、と想像する人がいるかも知れません。そうではありません。
 
 いうまでもなかった。その白いものはすべて人間の骨の破片であった。ほかの焼却穴はすべて埋められ、あたりは草むらとなって、何食わぬ顔で日光をうけていたが、その草むらの土を靴先でほじると、たちまち骨の破片がぞくぞくあらわれてきた。目を近づけて見ると、ほとんど、骨のなかに土がまじっているというぐらいに骨片が散乱していた。(同書 p7)
 
 キラキラ輝いていた白いもの。それは、人間の骨でした。この文章は、『夜と霧(!)』の報告です。

 この文を読む人の中には、「『え~、いや~、こわい~』等と、口では云うものの、そのまま深く考えることなく過ぎてしまう、日々すぐ忘れてしまう感覚」があり、一方では、それとはまったく異なる「人間のこころの闇の深さに、背筋に冷たさを感じ、次を知りたい・もっと読んでみたい・はっきり確認したいと思う好奇心」があるはずです。
 その差が、前回のブログで取りあげたマクドナルド(メイヤー)が話題にしたイメージの奥行き、想像力の広がりの差です。「現実と『写真』の区別ができない―現実に鈍感で無感動、当然写真を見ての実感イメージはともなわない」、「原因と結果の関連が分からず、イメージできない」。「発砲したヤンキー」とメイヤーの感覚の大きな差です。
 子どもたちを指導するためのすべてのスタートはここからはじまります。「本がわかる子」と、「ただ字が読める!子」の大きなちがいもここがスタートです。「教師がこの差を認識しているかどうか」が小さい子を指導する際の大きなポイントになると考えます。

 現実を現実として感じ、捉え、その広がりのイメージを追いながら、対象を自分の視野のなかに取り込むことができるかどうか? ぼくはもちろん、知りあった限り「後者の反応を見せる子ども」に育ってほしい、そう指導したいと思っています。
 「水谷が被った捏造事件の犯人たち」のような「人の心がわからない」人間性や倫理観がそのまま「子どもたちの間にも広まってしまうこと」こそ、もっとも憂慮すべき事態です。感性の鈍麻と想像力の枯渇が、「潤いのない子どもたち」を、字は読めるが「本や心がわからない」子どもたちを育てます。子どもたちの思いやりや社会的責任を育てる土壌の「砂漠化」です

「変なおっさん」が、『夜と霧』を読んでみる
 最近ボクシングの村田選手をはじめとして、「夜と霧」(ビクトール・E・フランクル著 みすず書房)に感動したというようなエピソードをチラホラ眼にします。どの世界に限らず、一定の高みに至り、世の中や人生に対する視点が変わった人は、こういうテーマにも思いを馳せ、自らの糧とすることはもちろん、それによって日々、真摯に生きることを感じたり、考えたりする深さが大きくちがってくるのでしょう

 「夜と霧」は以前旧版で読みましたが改めて読みたくなりました。ドイツ語では荷が重いので、英語版“MAN’S SEARCH FOR MEANING”(VIKTOR E.FRANKL TRANSLATED BY ILSE LASCH BEACON PRESS,BOSTON)を読み始めています。
 このタイトルをそのまま邦訳すると、「人が生きる意味を求めて」とでもなるでしょうか、中でも次の引用は、ぼくたちが「たいせつなもの」を、毎日いかに「ロス」し続けているかを改めて知らしめてくれる一節です。
 フランクルは、強制収容所の中で、自分たちと同じ立場の被収容者から選ばれた監視者が、同輩である自分たちに日々SSや監視兵より手ひどい振る舞いをするような極限状態の、人間のやりとり、その行動を考えます。
 

 たとえ最大最悪の過酷な環境のもとにあっても、人が自らの運命や、そこで待ち受けるあらゆる苦難を受け入れ、それに耐え抜く生き方は、自らの人生をより深く、意味あるものにしてくれる。勇敢で、博愛精神にあふれ、尊敬に値する人生であるといえよう。
 一方には、自分を守るためだけの苦々しい戦いのなかで、人間としての尊厳さえ忘れ、獣に等しい存在になりはてる人がいるかもしれない。
 困難な状況にあるからこそ可能になる優れた倫理観を身につける機会を活かせるか、それとも無駄にしてしまうか、択一の機会がそこにある。その選択如何によって、「自らの苦悩」が「意味のあるもの」に昇華するかどうかが決まる。

 こうした考えを現実離れしたものであるとか、実人生とは無縁のものであるとか考えてはいけない。このような高い倫理基準を手にできるのはごく限られた人だけであるというのは疑いようのない事実である。収容者の中でも精神的自由を持ち続け自らの苦悩によってこうした倫理基準を獲得できた人は、ごく少ない。
 だが、そうした例が仮に一例でもあるとすれば、運命を乗り越え、自らを高邁な境地に導くことができる精神の強靱さを証明する証拠としては十分である。(前記書67~68p 拙訳)
 
 ぼくたちに迫り来る運命とその苦難には、自らを人間としてさらに高潔に、また人生をより意味あるものにするチャンスが潜んでいる。どんな苦難にも耐え、人としての高い倫理観を手にできる精神的強靱さは誰にもあるはずなのだが、一方では『獣に等しい存在』になりはてる「人たち」もいる。その彼我の差、その原因をフランクルは次のように挙げています。
 
 何も強制収容所に限らずどこでも、避けられぬ運命に出会い、自らの苦悩を通してたいせつなものを手に入れる機会は訪れる。
 ここでは病人の運命、特に回復の見込みのないひとりの青年の例をあげよう。
 私はかつて、病気になった青年が友人に宛てた手紙を読んだことがある。手紙の中で彼は自分がもう長くは生きられないだろうこと、手術をしても、もはや何の役にも立たないことを伝えていた。さらに青年は、かつて見た映画で、登場人物が勇敢に冷静に穏やかに死を迎えようとしていたことを思い出していた。そうした態度こそ、死に臨むにふさわしい尊敬すべき境地だと感動したようだ。彼は、今、自分にも同じような機会を運命が用意してくれたと綴っていた。(前記書 p68 拙訳)
 

 死ぬときのことなんか誰が分かるか、と鼻で笑う人がいるかも知れません。しかし、心底分からなくても考えることはできます。若い頃から、思考がその方向に向かうかどうかで、オンリーワンの人生が送れるかどうかが決まってくるような気がします。先の村田選手もそのことが、よくわかっているのでしょう。一流の選手は能力も感受性も素晴らしく、またそうでないと一流には上り詰めることができないだろうとぼくは想像しています。
 
 さて、次の拙訳個所の英語版原文です。
 Those of who saw the film called Resurrectionーtaken from by Tolstoyーyears ago, may have had similar thoughts. Here were great destinies and great men. For us, at that time, there was no great fate, there was no chance to achieve such greatness. After the picture we went to the nearest cafe, and over a cup of coffee and a sandwich We forgot the strange metaphysical thoughts which for one moment had crossed our minds. But when we ourselves were confronted with a great destiny and faced with the decision of meeting it with equal spiritual greatness, by then we had forgotten our youthful resolutions of long ago, and we failed.(前記書 p68)

 まず、世評の高いすばらしい翻訳、ドイツ語原本からの新版「夜と霧」(池田香代子訳 みすず書房)では、次のようになっています。
 
 またかなり以前、トルストイ原作の『復活』という映画があったが、わたしたちはこれを観て、同じような感慨をもたなかっただろうか。じつに偉大な運命だ、じつに偉大な人間たちだ。だが、わたしたちのようなとるに足りない者に、こんな偉大な運命は巡ってこない、だからこんな偉大な人間になれる好機も訪れない・・・・・・。そして映画が終わると、近くの自販機スタンドに行き、サンドイッチとコーヒーをとって、今しがた束の間意識をよぎったあやしげな形而上的想念を忘れたのだ。ところが、いざ偉大な運命の前に立たされ、決断を迫られ、内面の力だけで運命に立ち向かわされると、かつてたわむれに思い描いたことなどすっかり忘れて、諦めてしまう・・・・・・。(新版「夜と霧」池田香代子訳 みすず書房p115・下線背景色は南淵)
 

 この名訳に対する、英語原文からの「変なおっさん(つまり、ワシ)」の訳が下記です。ぼくの訳は英語版からですから、そもそも自らの訳を併置することなど、おこがましくも図々しい『戯言』に過ぎませんが、以前、徒然草の一節の解釈を提案(ブログ「立体授業『でっかい鯰釣り』のテキストと指導2」参照)したら、予想外に多数の方々に読んでもらえたようで(きっと、このおっさん、バッカじゃないの!という理由だったのでしょう、ハハ)、恐れ多くも、掲載しておきます。また『おっさん、バッカじゃないの』とお読みください。それでは、上記原文の拙訳です。

 何年か前に、トルストイの小説を脚色したその映画を見たことがある人たちのなかにも、同じような感慨をもった人はいたかも知れない。映画の中では、偉大な運命が描かれ、偉大な人たちがいた。だが、わたしたちはといえば、そのときは偉大な運命などさらさら縁がなく、そんな偉大さを自らのものとできる機会もまったくなかった。映画の後、最寄りの喫茶店に立ち寄り、サンドイッチをつまみコーヒーを飲みながら、映画を鑑賞した際に頭をよぎった、ふだん意識することのなかった、哲学的思念を忘れてしまったのだ。
 わたしたちは、若者と同じように崇高な精神とともに偉大な運命に臨み、自らの判断が問われる事態に直面することはあっても、それまでに、長い年月を経た若い頃の固い決意の数々などすっかり忘れてしまっているのだ、だからその出会いが実ることもなかった。(上記原文 拙訳・下線部分が、みすず書房版と対応)
 
 トルストイの「復活」という映画のことが話題になりましたが、フランクルが「夜と霧」を書くまでに、「復活」はたしか三・四回映画化されているので、文脈から、「青年が観た映画」と「フランクルたちが観た映画」は、同じ『復活』だと考える方がよいと思うのですが、いかがでしょうか。池田訳では青年の観た映画が『復活』だとはなっていませんが。いや池田訳では、文脈からも同一映画だと読み取ることはむずかしいと思います。

 また映画を見た後の、カフェも、これは「一番近いところ」ですから、やはり最寄りの「カフェ」に座ってのひとときと考える方が自然だと思います。下線部のstrangeは「怪しげな」ではなく、ふだんから『身近ではない、意識することがあまりない』という意味だろうと思いました。
 また、わたしたちが偉大な運命や偉大な人生に縁がないのは、わたしたちが「取るに足りない」からではなくて、「出会っても機会損失してしまっている(そのことに気をつけなければ、という主張)」という文脈で、これ以降も論理展開しています。そう解釈しないと、その前の次の意味が生きてきません。
 
 こうした考えを現実離れしたものであるとか、実人生とは無縁のものであるとか考えてはいけない。このような高い倫理基準を手にできるのはごく限られた人だけであるというのは疑いようのない事実である。収容者の中でも精神的自由を持ち続け自らの苦悩によってこうした倫理基準を獲得できた人は、ごく少ない。
 だが、そうした例が仮に一例でもあるとすれば、運命を乗り越え自らを高邁な境地に導くことができる精神の強靱さを証明する証拠としては十分である
。(前記書67~68p 拙訳)
 
 英訳の、この原文は次の通りです(前記英訳本 p67~68)
 Do not think that these considerations are unworldly and too far removed from real life. It is true that only a few people are capable of reaching such high moral standards. Of the prisoners only a few kept their full inner liberty and obtained those values which their suffering afforded, but even one such example is sufficient proof that man's inner strength may raise him above his outward fate.  
 みすず書房版でも、すぐ前のパラグラフで、人間の内面は外的な運命(?・?は南淵)より強靱であるという可能性に触れ、「それはなにも強制収容所にはかぎらない。人間はどこにいても運命と対峙させられ、ただもう苦しいという状況から精神的になにかをなしとげるかどうか、という決断を迫られるのだ。」とあります。
 
 次の原文を見てみましょう。
 Perhaps there came a day for some of us when we saw the same film, or a similar one. But by then other pictures may have simultaneously unrolled before one's inner eye; pictures of people who attained much more in their lives than a sentimental film could show. Some details of a particular man's inner greatness may have come to one's mind, like the story of the young woman whose death I witnessed in a concentration camp. it is a simple story. There is little to tell and it may sound as if I had invented it; but to me it seems like poem.(前記書 p68~69)

 おそらく、われわれはその後も同じ映画をもう一度見たり、類似の映画を見たこともあっただろう。だが、心の目に蘇るのは、そのときまでに見た、ほかの映画だったかも知れない。一篇の感傷的な映画が表現できるものよりも、日ごろの生活において、より実の多いものを手に入れることができた人々の映画だ。ひとりの選りすぐられた人間の偉大な精神性でわたしたちが心に浮かべるイメージに似ているところがあるのは、強制収容所で私がそのターミナルステージを眼にした若い女性の物語である。分かりやすい話、言葉を尽くす必要のない話で、私の作り話のように聞こえるかも知れない。だが、今も一編の詩のように私の心に残っている。(上記原文 拙訳)
 
 もちろん、みすず書房の訳は原本からで、ぼくの訳は英語版からです。重ねて、名訳なのはよく分かっていますが、「変なおっさん」が「めくら、蛇に怖じず」(「差別用語なんやかや」という、悪罵はやめましょうね)と蛮勇をふるって、そちらの池田訳も引用しておきます。同じパラグラフだと思われるところです。
 
 なかには、ふたたび映画館で似たり寄ったりの映画を目の当たりにする日を迎える人もいるだろう。そのとき、彼の中では記憶のフィルムが回りはじめ、その心の目は、感傷をこととする映画製作者が描きうるよりもはるかに偉大なことをその人生でなしとげた人びとの記憶を追うことだろう。
 たとえば、強制収容所で亡くなった若い女性のこんな物語を。これは、わたし自身が経験した物語だ。単純でごく短いのに、完成した詩のような趣があり、わたしはこころをゆさぶられずにはいられない。
(「夜と霧 新版」池田香代子訳 みすず書房 p115~116より)
 
 ふう~。やっぱりよう分からんな~。「おっさん」になって、頭が悪なったんやろか? ボケが始まったかな? それやったら、たいへんや~ァ
 
 このあと、フランクルが強制収容所で出会ったこの若い女性のターミナルステージでのようすを紹介します。それを拙訳、さらに要約して紹介します。
 「数日で死ぬことが自分でわかっている若い女性」に話しかけたとき、フランクルはその事実がわかっているにもかかわらず、彼女があまりにも穏やかな態度でにこやかであることに驚きます。

 彼女は、「こんなにも厳しい運命が私に与えられたことに感謝している、今までの人生はまったくいい加減で霊的な境地のことなど、真面目に考えたことがなかった」と答えました。
 そして、自分が寝ているみすぼらしい小屋の窓の向こうを指さし、そこにある樹が孤独をかこつ私のかけがえのない友だちだと云いました。窓の向こうには、花を二つつけているクリの木の枝が一本見えるだけでした。
 「わたしは、よくこの樹に話しかけるんです」と彼女が云ったとき、フランクルはそのことばの意味を計りかね、精神錯乱でもおこし、時々幻覚でも見るのではないかと疑いました。心配になって、樹が返事をしてくれるのかどうかを尋ねます。
 すると彼女は「ええ、もちろん」と返事をし、「ここに私はいるよ。ここにいるんだよ。私が生命だよ、永遠の生命なんだよ」とこたえてくれたと教えてくれました
 有名なO・ヘンリーの「最後の一葉」を想いおこさせますが、こうしたターミナルステージの心の安らぎに思いを馳せると、やはり仏教の教え(根本思想)が、人間としての倫理観確立の糸口になれる可能性をいちばん秘めているのではないか。そう思います。

 初めて話しますが、24・5年前、実家の近く、今「でっかい鯰釣り」で訪れる耳成山のふもとの竹藪の一角に、ぼくにも「櫟の友人!」がいました(掲示の写真)。プライベートで「厳しい」できごとがあって、しばらく近隣を散歩する習慣がありました。「緑」が心地よかったのです。
 先の竹藪の近くの井戸で喉を潤そうと近づくと、「こちらですよ」というような、強い存在感を感じました。櫟の樹でした。直径25㎝ぐらいで、おそらく僕より少し「年上!?」だったと思いますが、ハグすると温かささえ感じ、とてもリラックスできました。

 その時以来、近くを通るときは、必ず「彼の」樹皮に触れてあいさつし、都度、元気をもらったことを思いだします。何百万年の遠い昔、樹々を渡り歩いていた当時のぼくたちの「感覚」が身体のどこかに残っているのかもしれませんね。残念なことに、その櫟は十数年前切られてしまいました。

 さて、子どもたちの指導でも、よく「オンリーワン」を目指してほしいと伝えます。その始まりは「『字が読める子』ではなく、『本を読め、人の心がわかる子』を育てたい」という指導者の熱い思いがあってこそ可能になるのでしょう
 たとえ「夜と霧」を読んでも、「『夜と霧』の向こう側」がわからなくては(見えなくては)ダメです。そうした視点から教育界の現状を考察すること、たとえば先日の水谷が被った非道な事件の犯人が「教師であったこと」とその理由や原因を追究することが、よりたいせつになる時代がきたようです。
 今までは、アマチュアスポーツを指導している人こそ、倫理観や善悪を何よりも尊重する人たちだと思っていましたが、N大のアメフト部の監督や、水谷の今回の事件(大学までサッカー部!)の犯人たちの言動を見ていると、その牙城も跡形もなく崩れつつあります
 N大の事件や事件後の応対に関して疑問と不信をいだいたN大を除く(!)関東学生アメリカンフットボール連盟に所属する15大学が発表した2018共同宣言の骨子の部分を抜粋して紹介します。フットボールが危険なスポーツであるという今回の事件による誤認識を防ぐために出されたものです。
 「(今回の事件によって・注 南淵)日本のフットボールが将来も存続しうるのか、私たちは極めて強い危機感を持っています。対戦相手へのリスペクトや最高のスポーツマンシップ・フェアプレー精神をもつことが大前提となります。より高いレベルの精神を備えることができるよう謙虚に取り組んでいく所存です」。大学のなかではまだ意識の高い人たちもいるようですが、子供の成長や指導に対しては、その時期では間に合いません。
 子どものしつけに対する無知・無責任、教師としての判断力の不在。今回の水谷の事件のように、日ごろの親の意識、拾得物横領というれっきとした犯罪を重ねることが、日ごろ自分たちの行動を見ている子どもたちにも伝播することに気づかない。「一人の人間としての自負や責任感・自覚の不在」が最大の原因です。
 周りがコソ泥であれば、日ごろその善悪を教えなければ、何も知らない子どもたちは悪いこととは思いません(思えません)。その先にある他人に対する思いやりや迷惑など、まったく意識しない、思いも浮かばない、善悪の基準がない子に育ちます。人のものも欲しければ「自分のもの」として、何の不思議もためらいも持ちません。その潮流に流されるのは、フットボールだけの将来ではなく、日本そのものの将来です。

 さて、来週は、一年ぶりに研究先のベトナムから戻ってきて会いに来てくれたY君、ケニヤへ行った医者の卵K君、ゲームボーイの後(!)団の二年の学習で京大へ進んだM君、京大三人衆とぼくとの「やすらぎのひととき」を紹介します。


発想の転換が可能性を開く⑬

2018年05月19日 | 学ぶ

マクドナルド讃
 ビッグマックじゃありません。マックシェイクでもありません。John D.MacDonaldのことです。
 アメリカでの高評価に比べ、日本ではそれほど人気が出なかったようですが(たとえば、チャンドラーやスピレインのように)、読んでみれば素晴らしい作家でした。不人気だったせいか、原書の一部を除けば、ほとんど「高い」古本でしか手に入りませんが、手にとってみる価値大いにありだと思います。ぼくも、何十年も前に出版された古本をアマゾンや古書店で見つけながら、ポツポツ読んでいます。今日は彼の作品から考えます。


 中・高生当時、田舎で品ぞろえの多い書店は一軒もなく、今のようにテレビやインターネットが普及していたわけでもありません。読書傾向が、どうしても以前紹介したK先生の影響や教科書に出てくる作家の作品に限られてしまいました。さらに、純文学と大衆文学という区別が当時は未だ幅を利かしていて、「大衆文学というくくり」にあった推理小説などは、田舎の受験校では一段低く見られていました。なかなか手を出しにくかった覚えがあります。「読むことの入り口」が当時は極端に狭かったのです。二十代まで、そんな傾向が続いていました。

 シナリオの勉強をまた始めようと思った関係で、DVDを見続けていたのですが、見たいものを一渡り見終わって次のステップに進む前に、先日例に挙げたクーンツの「ベストセラー小説の書き方」を読み、その「激賞」ぶりで興味をもちました。最近の作家ではないので、ミステリーやクライム・ノベルの愛好者には、「今更」という人もいると思いますが、これがおもしろい。会話の妙と云い、筋の運びのおもしろさと云い、素晴らしい作家です。
 若いころ、教科書に出てくるような「有名?」作家や「定評ある名作(?!)」ばかりではなく、こうした作品も読みたかったと今切実に思います。読んでいれば、スティーブン・キングが云ったように、テレビ番組なんか見るのは、ほんとうにバカバカしくなったはずです。
 学校や先生が訳知り顔で薦める本は、どうも堅苦しく、夢中でのめり込める本は少なく、「わかったような、わからないような、結局おもしろくない」という読後感の生徒が多いのが現状ではないでしょうか?(ぼく自身がそうでした) それでは読書には嵌れません。「対象は何でもいいから、おもしろいと思ったもの」の読後感を「聞いてみたり」、みんなで「話し合ったり」する方が「読書好き」が増えると思います。まあ、「わかったようなふりをして古典を読めるのも、若さの特権」だとは思いますが・・・。

 学校の先生が「肩ひじ張らず」、今回のマクドナルドやアリステア・マクリーン、マイクル・クライトンなどを読んで、そのおもしろさを伝え、みんなで原書にもあたり、できれば英英辞典を使い翻訳のまちがいさがし・誤訳を大討論する方が、「国語と英語の力が、どんだけつくねん、読解力がなんぼのびるねん」と思います。あきまへんか?
 「文学史に載っている、自分も読んでいない、考えたこともない・考えたくない(!)作品のアンチョコ解説でお茶を濁す授業」では、「説得力」と「心」はついてきません。ほんとのほんとの、「抽象」そのものです。おもしろくなくて、国語が好き、読解力も備わった子は育ちません。 
 さて、「ナイフを子どもたちに渡す意味」を先日もお伝えしました。自分で使ってみなければ、その「危険度」や「使ってはいけないこと」を実感できないから、と。また、今思えば「おおらかな時代」でしたが、中学1年のころ「やんちゃ」だった従兄の空気銃を借りて撃っていた話もしました。

 そのときの「痛い」思い出。ただ『茫漠としたイメージと好奇心』で、「当たること」や「死」という心得もなく、鶯を撃ってしまったのです。ぼくはその「痛み」で空気銃を従兄に返しました。
 ほとんど同じ経験が、先述のマクドナルドの“THE DREADFUL LEMON SKY”(J.B.Lippincott Company 邦訳名「レモン色の戦慄」篠原慎訳 角川書店)に出てきます。4~5ページを使っての展開です。引用が長いのですが、あまりにもよく似ている事件と感覚なので見逃しがたく、子どもたちへの指導の参考にしていただきたいと思います。少し端折って拙訳で紹介します。
 この作品の角川文庫版は未だ手に入りやすい方でした。古本でぼくが手に入れた、マクドナルドの他の邦訳分も写真掲示で紹介しておきます。(なお、写真のナイフはジャックナイフではありません)

俺のと同じ、赤い血さ
 マクドナルド作品の代表的な主人公トラビス・マッギーが、住まいにしている自らのボートで、相棒のメイヤーと酒盛りの準備をしているとき、傍らを通ったバカなヤンキーたちのボートから銃撃を受けたことが、このエピソードのきっかけです。ヤンキーたちが嬌声をあげて走り去ったあと、「なんであんなことをするんだ?」というメイヤーに、トラビスは
 
 「気持ちの昂りだけさ。他に何もない。自己顕示欲のみだ。ド田舎のバカなお調子者が、このクソおもしろくもない世の中を許せない小金持ち(つまり「トラビスたち」・南淵注)、いけ好かないやつらに、目にモノを見せたというわけだ。使ったのは拳銃で、距離もあった、一発でも当たったのは偶々さ」。(前記THE DREADFUL LEMON SKY p34 拙訳)
 

 トラビスの、この解釈を聞いたメイヤーは、12歳の誕生日のときに買ってもらったライフルをおもしろがって撃っていた自分の経験を話します。よく遊びに行った森の中にいた、玉虫色に輝くムクドリモドキという鳥と自らのエピソードです。
 
 「狙いをつけて引き金を引いた。鳥はさっき自分が水浴びをしていた、同じ水たまりにそのまま落ちた。羽をバタバタさせ、やがておとなしくなった。近づいてみると、水面近くで、まだくちばしをパクパクさせている。もう意味がないのに、俺は何も考えられず、溺れないようにしてあげたいと水から救いあげた。手の上で、最後のけいれんをし、鳥は静かになった。忘れられず、耐えられないくらい、静かに・・・石や、枯れ枝や、フェンスの支柱のように、ぴくりともしなかった」。(前記書 p35 拙訳)
 
 マクドナルドは、おそらく子ども時代の実体験だった「鳥殺し」の瞬間を、登場人物の台詞に託して、こういうふうに描いています。しかし、改めてぼく自身の経験から振り返ると、この「経験」だけではまだ不足でした。もうひとつたいせつなものあります。「痛みがわかる経験」です。

 マクドナルドも、経験値としてこのままでは「片手落ち」だと思ったのでしょう。(マクドナルドの代役である)メイヤーは、トラビス相手に話を続けます。
 
 「この部分は、何とかうまく説明したいんだが、トラビス。 親指の先の、この傷痕がわかるか? 板っ切れの舟にジャックナイフでマストをつける穴をあけようとしていたんだ。調子が外れて、ナイフの刃が閉じた。結構血が出たよ。刃が爪にまで食い込んでしまったからな。痛かった。それまで経験したことがない痛みだった。そのムクドリモドキを殺した2カ月ほど前のことだ」(前記書 p36 拙訳)
 

 このふたつの事件によって、メイヤー(マクドナルド)は「死」というもののイメージを子ども時代ににつかみます。
 
 「そのムクドリモドキは俺の手の上で横になり、きれいだった玉虫色はすっかり色あせてしまっていた。泥で羽は薄汚く、びしょぬれだった。どうしていいかわからず、俺は濡れた草の上に屍骸をおろした。放ってしまうなんてできなかった。ていねいに置いたが、手には血がついていた。鳥の血だ。けがをしたときの俺のと同じ色の、赤い血だった。俺と同じように痛みもひどかったろう、そう思った。目を背けたい、触れたくない、残酷な思い出さ」。
 
「拳銃だって弾だって『絵空事』なんだ」
 その経験をもとに、メイヤー(マクドナルド)は、銃撃したヤンキーたちに解釈を加えます。続きを読んでいただければ、実体験がなく育った子ども(半大人)たちの成長のようすが思い浮かぶのではないでしょうか?
 しばしの沈黙の後、メイヤーは
 「(この記憶と・南淵注)奴らの仕業との関係を正確に言い表すにはどう云えばいいのか考えているんだが、トラビス。 奴らにとっちゃ、拳銃も弾も絵空事なんだよ。死ぬことだって絵空事さ。指先の一瞬。パン!。薬莢の匂い。やつらにわかるのはそれだけだ。
 俺は、あの鳥が死んではじめて拳銃と弾と死がわかった。唯一無二で確実なものだと明らかになったんだ。鳥の死に手を下したのは俺だ、死は汚いものだ。小鳥には苦痛を与え、俺の手には血糊がついた。
 どうしていいか分からなかった。小鳥を殺す前の自分に戻りたくて逃げだしたかったが、どうすることもできない。はじめて自分というものを意識した経験から逃れたかった。
 すべてが実体をともない、厳粛そのものだった。現実がもっている本質の恐ろしさでいっぱいだった。俺はそれから鳥を殺していないし、これからだって殺すことはない。断末魔で救いのない苦しい目に遭っているような奴に出あわない限りはね」(前期書 p36 拙訳)
 
 そんな経験をした自分に対して、ヤンキーたちはどうなのか。メイヤー(マクドナルド)の判断です。

 「あのボートに乗っていたヤンキーたちは、俺のような、ムクドリモドキを殺してしまった経験なんてまったくないんだろう。実際に血で汚れちまった経験なんてないのさ。現実にはあり得ない西部の殺人劇を思い描くだけだ。やつらは「ゴッドファーザー」で噴き出す血をポカンと大口を開けて見ていただけ、「俺たちに明日はない」でボニーとクライドの「死のバレエ」を見たことがあるだけだ。

 テレビの「ガンスモーク」で、マット・ディロン保安官が管理する街の大通りの砂塵の中に「麗しく」倒れて消えた男、そのシャツの胸元の血の痕を見たことがあるだけなのさ。
 そんなものは、あの森の中に入った俺が、死んだムクドリモドキの写真を拾ったようなものだ。やつらは現実というものの本質をよくわかっちゃいないのさ。よく分かっちゃいないし、死というものがどんなものか、これからも分からないだろうよ。どうしょうもなく醜いものだってこともな」。(前記書p36~37 拙訳)
 

 ゲームで相手を倒したり殺したり、消したりするという「愉快」の感覚のまま、自らの痛みを知らずに育つことの怖さを以前述べましたが、このマクドナルドの感覚をたどれば、よく理解できるのではないでしょうか。イメージや感覚の未成熟の怖さが…。
 むやみに動物をいじめたり、殺したりするわけではなく、「現実に生きている自然」に出あえば、生死を目にする機会はふんだんにあります。ふとしたきっかけでそういう体験にあって学べば、そういうことは「あえてしなくなる」のがヒトであり、ヒトとしての成長だと思います。「人は現実を見て、出会って、失敗を通じて学ぶもの」ですから。

 紹介した隠蔽事件の愚かさも、そう考えていけばよく分かるのではないでしょうか。イメージの貧困です。生身の人間がわからない。現実も見ず、失敗を通じて学ぼうともせず、「シミュレーションプレー」や「テレビゲーム」しか知らない。そのあたりの感性や想像力の不足にも、メイヤー(マクドナルド)は触れています。
 
 「(発砲した 南淵注)やつらにとっちゃ、誰かが魚籠の中から取りだした拳銃は、現実じゃないんだよ。引き金を引くことが、おぞましい悪臭を放つ死への最初の一歩なんだという関係性なんか、分かっちゃいないのさ。一見関連が見えないところにも、原因や結果がともなっているもんだ、という感覚が欠落している」。(前記書 p37 拙訳
 
 これに付け足す台詞はありません。「体験がともなわないゆえの感受性や想像力の乏しさ」がもたらすやりきれない状況が、今回水谷が被害を受けた事件でも、そこここに顔をのぞかせています。
 

想像力の欠如がもたらす軽佻浮薄と、信頼なき社会
 小さいころ肥後の守で指先を傷つけたとき、ぼくも「自らの流れる血や痛みとともに、相手(自分以外)の痛みと存在が分かった」と、かつて述べました。心配する母を思う気持ちや、自分と同じ傷を与えてはいけないという訓えです。さまざまな自然体験・外遊びの経験によって、子どもたちが覚えること・学べるものは無限で、かけがえがありません。説明のように、身体だけではなく、こころも養えます。
 街。「虫が怖い」や人工物の環境の中「だけ」で育ってしまうと、生命と死は縁遠くなります。「絵空事」です。ガリガリの受験勉強漬けで過ごせば、それを考える暇もなくなります。

 能力が相当程度高ければよいですが、能力が高くもなく、学習姿勢や学習態度も整っていないうえに、受験に特化したタイトな日常生活では、「生きている相手の存在を認識する力」、「自分と同じく生命があり、生きている人間である」と感じる力・想像力・メタ認知・判断力を身につける余裕はなくなります。本は読めるけど、字はわかるけど、書いてある「情(こころ)」は読めない、中身はわからない、わかろうとしないという成長です
 テレビや媒体を通して見る生命も死も、あくまでも抽象の域を出ません。スイッチを消せば消えます。「傍で触る温かさ」や「いのちが消えた冷たさ」を実際に感じとったわけではありません。
 子どもの窃盗事件の隠蔽工作で、水谷に卑劣な犯行を重ねつづけている玉川夫妻も、思いが及んだのは自分(たち)のことだけです。犯行を振り返ると、彼らの視角には同じ人間である他者の存在は入っていません。想像力の欠落です。自分以外の相手が見えないのです。だからシンパシーやリスペクトが存在しないのでしょう
 その結果。貧弱な想像力で犯した「罪の隠蔽」で、もっともたいせつなものさえなくしました。「軌道修正をきちんと図れたら手に入れられた、わが子の健やかな成長と将来」です。
 「罪と現実にきちんと目を留め、その責任を果たし償ってこそ、子どもは正しい倫理観と人間性を身につけることができました」。「子どもの将来の糧」でした。先述の「痛みがわかる経験」を自らがスルーし、子どもにもさせていません。

 いくら隠そうとしても、「悪」そのものは隠しおおせません。いつまでも本人たちの心の隅で生き続けています。教訓になるべき経験が、最悪の判断によって、もつ必要のなかった二面性をもたせてしまう(もたざるを得ない)方向の成長に子どもたちを加速させてしまった。
 自らの子どもに携帯端末を持たせ、それによって不法な盗聴をつづけるという『方法』の是非や倫理性に何の疑いもはさまず(はさめず)、小さな子どもたちがその感覚と習慣を自然に身につけていったとき、その子どもたちの精神作用やこころのはたらきはどうなっていくか。そのイメージが見えないことが、つまり想像力の欠落が、今回の事件の大きな原因です

 「信頼の置ける人間関係」や「信頼できる社会」という、「社会生活をしていく上でもっともたいせつな、根幹部分」が壊れていく、ということにも考えが及ばない。
 自らの子どもたちだけをそうした判断力・倫理観で育てるなら、口出しすることはできません。しかし、小学校の教師・中学校の『国語(!)』の教師ということですから、反省もないまま虚偽と陰謀と、相変わらずの悪意をまき散らして、これから何千人ものピュアな子どもたちを、その判断力や倫理観を元に指導していくわけです。その現実は見過ごせません。


 さて、巷間、疑問も抱かれず一般的になりつつある、底の浅い倫理観や想像力の不足の問題はまだ根深いものがあります。子どもの指導という点から考えて、早急に指導方針の再検討がはかられなければならないもの、それは危険に対する考え方と、安全の担保です。
 たとえば「ナイフをもってはいけない」、「危ないから~をやってはいけない」という『今様の』視点・指導方法は、冷静に考えれば、その非は自明だと思いますが、これこそ無責任きわまりない短絡指導です。「危ないものはもたせない、近づけない」という処置によって、逆に『危険を知らない、危険が分からない人と社会』を続々生みだしてしまうからです
 なぜか? そういう対処法によって、みんな逆に「危険というものがどういうものかわからなくなる」わけです。それがマクドナルドの書いている、「森の中の写真」です。写真に写っている死んだ鳥は、生きていた時から、殺してしまうまで、さらにその後まで、逐一感じた「自らの実感」とともにあったわけではありません。手の中で温かかった生命が冷たくなる感覚とともにあったものではありません。他人事です

 ひとりひとりが安全に過ごすことができるのは、危険や使い方が分かり、危険度を自覚し、それぞれが正しく自己判断・セルフコントロールをできるようになってこそ、です。危ないものや悪いものを隠しても、それがなくなるわけではありません。危ないものは無限にあります。永遠に出てきます
 実際に取り返しのつかない、危ないことをしてしまう前の、いわば「プチ危険!」の体験(存在)が、その後の行動を大きく左右します。「プチ危険」をどうするか?

 自然体験や外遊びは、意識せぬ間にも、その体験補助をしてくれます。そうした方向性の指導法の考案や授業がポイントになるわけで、「持ったらダメ、近寄っちゃダメ、やったらダメ」だけでは、自他ともに危険度が減ることは望み薄ではないでしょうか。
 さて、日本が諸外国と比べ安全なのは(だといわれるのは)、伝統的にも歴史的にも未だ、個人の自覚と倫理観・信頼関係が社会で整っているから」という判断に異を唱える日本人は少ないと思います。「正しく判断できる人、正しく行動できる人が多い」から、「外国人が称揚する安全や道徳が社会で担保されます」。
 水谷の事件の当事者の行動など、さまざま考えてみると、その内部からほころびが見えてきているようです。問題山積の教育環境ですね。マクドナルドにも学びましょう。


発想の転換が可能性を開く⑫

2018年05月12日 | 学ぶ

「楽をするな」の、もうひとつのたいせつな意味
 ぼくは炊飯器を使わないで土釜で米を炊きます。中国からの旅行客が日本の優秀な電気炊飯器を挙って買っていくようですが、その理由は「簡単で便利」「手間いらず」「手軽においしく炊ける」・・・などという理由でしょう。自らの関与は必要なく、その間に他のことができる・・・。その時間を創造的に、有効に使っていれば結構なことですが、果たしてどうでしょうか?
 特に子どもたちの教育や指導・成長について考えてみると、そこには、等閑視できない「頭を悪くする!」現実が隠れています。

 以前も伝えましたが、ぼくたちの身体には廃用萎縮という、使わない器官は退化もしくは能力の減退・消滅に向かうという原則があります。これはスポーツ選手の引退後や、年とった人の入院時の筋力の衰え、あるいは使わなくなった学習能力を考えても、自明です。
 逆に子どもの成長・能力の発達は鍛えなければ実りません。肉体に限らず学習面についても、日ごろ如何に練習やトレーニングを続けるかが発達と成長の礎です。これも自明でしょう。つまり使うこと、体験することによって、人は習得したり、考察と発達を重ねるのです。便利や楽の方向、時代の『進化』は、人の個々の能力の発達とは逆行するのです
 さて、ぼくは玄米と白米を半々ぐらいの割合で炊飯します。昨日、少し多めに米を炊く必要があって、いつもの小振りの土釜にお米を多めに入れて、それに見合うようにと水を増やして炊きました。誰に習ったわけでもなく独習なので、今まで失敗したことも数多くありますが、十年くらい前からは、定量であればほとんど失敗なく仕上がるようになっていました。ところが昨日は、いつも通りのつもりで中蓋を開けると、米粒が異様に大きく、粒も柔らかめです。

 「うまく炊くには炊飯の容量を守らなければ」ということをいまさら学んだわけですが、問題は初めて経験した「表面のコメ粒の大きさ」です。表面はゆるくても、なべ底が黒く焦げています。水が多ければ焦げないはずです。
 それから推察できたことは、コメの上面は、分量が多かったので、増やした水の水蒸気が噴き出し、上面には多量に必要以上に当たってしまったこと、一方なべ底が焦げているのは、吹きこぼれや蒸気のようすをいつもと同じように判断していたので、小さい釜の底の方の水分が足りなくなってしまった、のでしょう。このように体験すること、失敗することによって、さらに考えを進めるきっかけが生まれます。
 竈でお釜で米を炊いたり、薪でお風呂を沸かしたり・・・という経験は、50年以上前だったら、田舎の小学生や中学生の日常生活の一部でした。子どもたちは日々家族の一員としてお手伝いをすることのたいせつさと、叱られながら「日々の業務(?!)」に慣れ、仕事を完遂させることによって、意識せぬうちに大切なことをたくさん学ぶことができました

 まず、お米を炊くことを考えれば、今のように経済的に余裕があるわけではなくギリギリの生活で、お米そのものが貴重品でしたから、適当に作業して失敗するわけにはいきません。無駄にはできません。その失敗によって、お父さんやお母さん、家族にどれだけ経済的や時間的にも迷惑をかけるか実感できます。自らの責任が自覚できます(自覚しなければなりません)。そしてうまくいけば自信が湧きます。これも大切なことです。
 また、責任あるがゆえに、次は失敗しないように、その経過の推移や失敗の原因・理由を自ら確認・考察しなければなりません。わからなければ誰かに聞いて解決しなければなりません。推移を厳しく振り返り、失敗や不具合の原因究明・推理・関連をたどり問題解決に向かわなければなりません。
 たとえば、今回のぼくの失敗であれば、次は大きなお釜を使うのか、火加減で解決するのか、水をどうするのか、という多岐にわたる問題に、日々の観察を通じてそれぞれ判断を下し、解答を求める日常が続くわけです。それらによって鍛えられるメタ認知や問題解決能力・想像力たるや、もはや日々「すごい頭のトレーニング」だとは思いませんか? すべて、体験が始まりです。 
 わかると思いますが、現在は子どもたちのこうした「隠れたトレーニング」「無意識のうちの頭脳鍛錬」、また「体験から学ぶしくみ」が、日常生活で全く欠落しているのです「環覚」は、これらの欠落を補い、子どもたちの「豊かな日々」をとりもどす仕組みです。さて、次はノーベル化学賞受賞の白川英樹博士の著書の一節です。
 白川博士も、小さいころ「ご飯炊きと風呂を沸かす」のが私の分担であった、と書かれています。

 (ご飯炊きと違って・南淵注)ふろ焚きは火をつけさえすればあとは燃えるにまかせるだけで、時間がたっぷりあった。その暇つぶしにいろいろないたずらができて、それが楽しかった。
 新聞紙に食塩水を染み込ませてくべると黄色い炎がでて、教科書かなにかで読んだ〈炎色反応〉が体験できた。父が開業医をしていたので空になった注射液のアンプルが手近にあった。この中にマッチの軸を詰め込んで火の中に置くとはじめは水蒸気が白い煙となって噴き出すが、まもなくオレンジ色の炎が勢いよく噴き出してくる。これも飽かずに眺めて退屈することはなかった。冷えたアンプルをこわすと、中からマッチの軸の形もそのままで真っ黒い炭と化している。それぞれが興味深いいたずらであった。多分これが私にとっての「化学のことはじめ」であり、ファラデーの『ロウソクの科学』に代わる科学の実験材料であった
(「私の歩んだ道」白川英樹著 朝日選書 p8より・下線は南淵)
 

 「注意」「観察」「考察」。「手間がかかるお手伝い」で、こういうことを覚える日常があったのです。学習が目前で成立しているのです。豊かな日々のイメージがつかめたでしょうか? 昔のお手伝いやお使いは、図らずも、一方では子どもたちにとっての「頭の格好のトレーニングの場」になっていたとぼくは考えています
 それでは当時、どうしてノーベル賞学者や優秀な科学者が輩出しなかったのか? ぼくは、まだ日本が貧しくて、また世界から孤立していた長い歴史があり(「江戸時代の解剖図」を見ても明らかでしょう)、科学教育指導の土壌が育っていなかった、環境が整っていなかった、と思うのです。

 ところが現在は市販の書籍の数々や教育環境を見ても十分そのレベルにはあるが、今度は子どもたちの日常が大きく変わってしまった。「楽」や「快」ばかり追うようになってしまった。「学習が受験勉強主体に特化」してしまって、「すべてそれに集約するしくみ」になってしまった、そう考えています。
 そうではない、子どもたちの豊かな日常生活・生活体験を切り開くこと。それが立体授業の一面です。団の「楽をするな」のポリシーも、子どもたちを大きく育て成長させる突破口になる、と考えています。
 「今は『ご飯炊き』も『お風呂沸かし』も必要ありません!」。 そういう人もいるでしょう。だからこそ「環覚」を養成する必要があります。ひとりで環境や周囲に目を向けられるようになるまで、自分で気づくようになるようには、子どもたちをどう育てるか? 
 現在の環境ではファインマンのお父さんがやったように、自らの立ち位置・周囲の成り立ちとしくみ、そのおもしろさをできるだけ紹介する。最善の方法はそれにつきると思います

「環覚」のヒント
 学習指導なんか考えたこともなかったずいぶん昔、塾を始める何十年も前に、今思えば不思議ですが、筑摩書房の「高校生のための文章読本」を購入していました。経理の本からデザインまで、さまざまな本を読んでいたころです。

 「高校生~」に掲載されている第一作品は、以前発展課程の学力コンクールの問題作成で取りあげたことがありましたが、今回改めて手に取って読み直してみると、実に奥深い一節です。もう忘れましたが、当時も「感覚的に」そのことをつかんで、子どもたちに読んでもらいたく、テスト問題として採用したのでしょう。

 現在もそうですが、国語のテスト問題を作成するときは、「ぼく自身が読んで」、子どもたちにぜひ読んでほしいと思った作品・一節に限ります。以前もスポーツ新聞の囚人の記事からつくったテスト問題を紹介しましたが、誤解を恐れずに云えば、仏陀の言葉のマンガからAV(!)まで。「子どもたちにどうしても知ってほしい、考えてほしいこと」がひらめけば、ジャンルを問う気はまったくありません。AVを見せると云ってるわけではありませんよ、もちろん(笑い)。
 今回の、水谷に対する、唾棄すべき卑劣さをあらわにした『見かけだけ繕う仮面教師たち』から学ばせなければならないものはありませんが、少なくとも「身体を張って世の中を生きている人たち」からは真剣に学ぶべきものは見つかるし、学んで「財産」にできることもたくさんあります。

 さて、「文章読本」の第一作品の一節です(「『ピエールとジャン』序文―小説について」モーパッサン著 稲田三吉訳 高校生のための文章読本 p3)。モーパッサンが、『書くこと』について師匠のフローベールから聞いた教えを紹介しています。
 
 ―才能とは、長い期間にわたっての忍耐に他ならない。―大事なことは、表現したいと思うものは何でも、じっくりと、十分な注意をはらって見つめ、まだ誰からも見られず、言われもしなかった一面を、そこから見つけ出すことである。どんなものにも、未開拓の部分は必ずあるものだ。なぜならわれわれは、周囲のものを眺める場合に、自分たち以前にだれかが考えたことを思いだしながらでなければ、自分たちの目を使わないように習慣づけられているからである。どんなに些細なもののなかにも、未知の部分が少しはあるものだ。それを見つけ出そうではないか。燃えている炎や、野原のなかの一本の木を描くにしても、その炎や木が、われわれの目には、もはや他のいかなる炎、いかなる木とも似ても似つかないものに見えてくるまで、じっとその前に立っていようではないか
 こんなふうにして人は、独創性を身につけるのである。(傍線は南淵)
 

 これは表現者としての心構えや行動を説いたものですが、「『環覚』の養成」にも、とても参考になるアドバイスです
 ぼくたちは「ものを見る」場合、「虚心」に見ないで、それまでの経験によって身について(しまって)いる、「その名前から考え及ぶ特徴」だけを、それも「実際の目」ではなく、「心の目(!)」で見てしまう・・・。特に大人はその傾向が大で、そういう日常では「新しいもの」・その対象が持っている「他の要素」や「例外」は見えません。対象の時間的経過・推移とその変化にも気づきません。
 つまり「何も知らないまま、『他人の目』を頼りに見ているつもりになっている」ということです。観察と発見は生まれません。それでは独創も生まれません。
 「知っているものを、知っていると思い込んで、知っている通りに、『心の目』で見てしまっている・表象する」だけです。これが大多数の「ものの見方」です。
 当然「既に知っていることばかり(!)」で終始しますから、「おや?」とか「ふしぎ!」には至らないわけです。この壁を乗り越えてはじめて、『おもしろさ』が機能します。特に小さい子の「おもしろさ」は、多くの場合、抽象からは始まりません

 先ほどの白川博士の著書のなかにも、日ごろの、このブログの主張を補完してくれるアイデアが見つかりました。
 
 ビデオにしろ、テレビにしろ、あるいは最近だんだん普及しはじめたインターネットにしろ、利用の仕方によっては、きわめて有用です。それは、私も十分に認めます。
 しかし、実際に接していない人にとっては、それは虚像でしかないでしょう。ものごとの仕組みや成り立ちには、実物を見たり、本物にさわったりしなくては分からない種類のことが、たくさんあります。実物、あるいは実像と言い換えてもいいけれども、実像を学んでから、教材を使う。そうすれば効果があるのに、まず、虚像で多くを学んでいるものだから、知識は増えても好奇心につながらず、単なる知識にとどまってしまう、という結果になるのだと思います。(前記書p60~61傍線は南淵 )
 

 これらの壁を破るには、前回も伝えましたが、「教科書から入るのではなく、現物・対象から入ること」、特に最初は課外活動や野外活動において、「子どもたちの感覚が新鮮なとき」に、「観察・考察する機会を増やすこと」がたいせつになってきます。(小さい子の)学習は教科書がスタートではない、「逆転の発想」のたいせつさです。


発想の転換が可能性を開く⑪

2018年05月05日 | 学ぶ

「『練習』という概念の意味がなくなる」 スティ―ブン・キング
 スティーブン・キングの“On Writing”に、次のような件があります。これも、作家志望者に対するアドバイスの一環として例示されたものですが・・・。どんなアドバイスか?
 人は、ほんとうに好きなことをやっていれば、「練習している・稽古している」という意識(感じ)がなくなる・・・というものです。「理想」です。

 彼の息子、オーエンが7歳くらいの時、ブルース・スプリングスティーンのでっかいサックス奏者クラレンス・クレモンズに夢中になり、「彼のような演奏をしてみたい」といいだしました。キング夫妻はその願いを聞いてとても喜びました。
 世の親の例に漏れず、「ひょっとしてすごい才能があるかも・・・」と、クリスマス・プレゼントにテナーサックスを買い与え、地元のミュージシャンのところに習いに行かせました。
 7ヶ月経ちました。それなりに上達はしていたけれど、オーエンは先生に指示された時間、週四日30分ずつと週末の一時間しか練習しなかったようです。7ヶ月間練習して「『クレモンズにあこがれても、サックスは自分に向いていない』と云うことがわかったんだ」とキングは斟酌し、子どもの意見も聞いてサックスの習いごとを辞めさせました。流れから、子どもの返事はおそらく、『どちらでもよい』ということだったのでしょう。それについてキングは次のようにつづけます。
 

 この一件が私にアドバイスしてくれたことは、息子のサックス演奏は決して日の目を見ないだろう。どこまでいっても「お稽古ごと」に過ぎない。それではよくない。もっと才能を発揮でき興味が湧く、何か他の分野に投資する方がはるかによい。
 才能があれば、「練習」という概念そのものの意味はなくなる。自分に何か才能があると分かれば、その才能がどんなものであろうと、練習で指先から血が出たり、眠くて目が落っこちそうになるまでやり続けるものだ。(“On Writing A MEMOIR OF THE CRAFT” POKET BOOKS p144~p145 拙訳)
 
 キングは「才能があれば、我を忘れて没頭するはずだ(つまり、才能がなければ、他の道を探した方がよい)」ということを云いたいのでしょう。しかし、ぼくは、この考え方は「才能にあふれ、その才能が運良く早い段階で見つかった人の考え方(言い分)」だと思います。7ヶ月やそこらで、成長期の子どもの才能は判断できません。継続することにより、何かのきっかけで才能の発現を促す、という可能性を捨て去ることはできません

 また練習する過程で、「真剣に、一生懸命やるという努力をほんとうにかさねることができたか」という疑問も残っています。見ていて「あれもやりたい、これもやりたい」というのは多くの子どもの常で(理由・以前も仮説を立てたように、子どもは自らがこの世で生きていくための方策、幅広く可能性を探るという好奇心がインプットされていて不思議はない、と思うからです)、練習をさせてもらったからといって、すべて自ら進んでやるとは限りませんすぐおもしろくてしかたがなくなる子もいれば、性格・能力や運動神経、手先の器用さ等、さまざまな条件に制限され、なかなか「おもしろさ」を感じることができない子もいます

 たとえば伝統工芸や民芸品にかかわる人たちを思い出してください。「才能にあふれていて、すぐ開花するという例」は、稀でしょう。年期で開花する方がふつうです。「半ば『義務的』に続けざるを得なかった・つづけてきたが、その継続によって、いつのまにか、周囲から見れば『とんでもない高み』にのぼって(しまって)いた」・「できるようになってからおもしろくなった」という人たちの方が一般的でしょう
 海外に住んだことがないので一概には言えませんが、日本では、そういう例の方が多いのではないでしょうか。つまり、逆に「我慢強く続けられる才能が天才を生む」というスタイルです。

 そしてここには、「『お稽古ごと』や『技術の習得』『勉強』をはじめとする、あらゆる『学習』問題」について、「ないがしろにされたままだが、くわしく追及し大いに考えるべきポイント」が含まれています。学ぶおもしろさや、学習の継続、その結果としての才能の開花等、すべての学習の原則です。
 それらの問題点、「何が必要か」「どうしなければならないか」を個別にもっと意識化し、クリアにすることによって子どもたちの学習や成長、またその指導方法とその効果に大きな変化が現れるだろうと推測します。つまり教える側や指導する側(教師や保護者)は、そういう、実は『この上ない重要事』について思い巡らす日々はほとんどなく、事態は「安易(!)」に進んでしまっているのではないか
 かいつまんで云えば、「まずは少し我慢して、まじめに一生懸命、眼前のものごとに向かう。有無を言わさず誠心誠意努力させる」という「しつけ」のたいせつさです。「習いごと」すべてに、この態度は欠かせません

 「一生懸命向かうこと」によって、「自分に向いているかどうか」、「ほんとうにやりたいのかどうか」が見えてくるのであって、キング(の息子の場合)のように、「一生懸命やれない(やらない)うちに、『才能がない』と見限ったり、『向いていない』とあきらめさせる(あきらめる)のは、『学習』指導者がいちばんやってはいけないことだ」と、ぼくは思っています。
 一度も一生懸命やったことがなければ、できなければ、何をやっても『形になることはない』『身につくはずはない』というのが、指導経験から割り出した結論です。一定期間のその努力継続を実践させるのが、保護者であり、指導者のもっともたいせつな役目でしょう。一生懸命努力もせず、「向いてない」とか「才能がない」とか云って結論づけるのは、「何ごともなしえない人の、楽ないいわけ」に過ぎません
 一生懸命やれば、人からいわれるまでもなく、自分で能力の有無や向き・不向きを判断することができます。そして自分に向いていること、自分にとってほんとうにおもしろいことも見えてきます。「一生懸命が先」です

 「そういう努力を重ねられる人が、何ごとかを成し遂げる人」ではないのか。年齢を重ねた今、その真実が当たり前に明らかになってきたような気がします。この認識は、いつも子どもにも伝えています。
 「どうせやらなければならないことをやっているのであれば、できるだけ一生懸命やらなければ結果も残らず、力も身につかず、自分の人生のたいせつな時間を無駄にしていることになる」とも、よく云います。
 好きではないこと、やらなくてもいいことがわかることが、ほんとうに人生をたいせつにすることだ、とも伝えます。一生懸命やり続けてそれらが分かることによって、キングの云う『練習という概念がなくなる瞬間に出会える』のでしょう。「無意識にやって(しまって)いる状況に入る」のだと思います。
 7カ月は短い。キングは自分の能力についてはそのことが分かっていたのだけれど、息子を教える立場には立てなかったのでしょう。教えることについては、ファインマンのお父さんやエジソンのお母さんの方が上です。子どもの有り余る可能性を信じて、自ら「子どもたちが、『おもしろく、ものごとに向かう』ようになる指導応援』に神経を使いました

「文字の勉強」と『情(こころ)の学習』 
 本は読めるけど、計算はできるけど、勉強はできるけど、「情(こころ)」は読めない、わからない。
 お母さんやお父さんの「知的レベル」がそれなりに高く(たとえば先生)、教育にも「関心(!)」がある…。そんな場合に多い、子どもたちの「いびつな」成長の「一例」です

 字は読めるから本を読むのも速いし、(表面的な)意味も分かる。漢字はできるし、(受験)問題は解ける。だけど、わがまま・自分勝手・人の「情(こころ)」は分からない。物語の『心』は分からない。感じられない。そんな子がどんどん増えてきているような気がします。
 受験勉強しかせず、まず、問題を解くこと。解ければよい。勉強はそれだけでよい。本もほとんど読まない、特に小説なんか読んだことはない。教育界にもそんな経験・考えの人が増えてきているのではないでしょうか。『情(こころ)』はどうしたのですか?
 かつての国語の先生には、本を読むのが好きで、自分が読んだすばらしい本や作家に対して一家言をもった人が数多くいました。今の四十才前後からは、本なんかそっちのけで、ゲームが爆発的に流行し始めた年代ですね。

 高校時代、ぼくが東京教育大学を目指すきっかけになったK先生のことについては以前触れました。ぼくの問いかけに対する返事、「ヘミングウェイなんて…」という一言。それによって若いときに、ぼくは「ヘミングウェイ」を読む気がしなかった、という例です。信頼する先生の一言が、「生徒、少年期の読書志向や価値観にいかに大きな影響を及ぼしてしまうか」と振り返りました。それだけ影響力が大きい。
 当時のK先生は30代の前半、その若さゆえ「ヘミングウェイの『老人と海』なんかは、先生自身が『手ごたえとともには(!)』わからなかったのだろう、ということ」、そして「『若さゆえの勢い』が余って」の、指導セリフだったのだろうということが、現在ではよくわかります。

 K先生は「シャープで感性の優れた人」でしたから、今の僕の年齢の指導なら、「老人と海」で「年をとることの寂しさ、さらに肉体の衰えから始まる自らの可能性や夢が次第に潰えていくことを直視しなければならない過酷さ」、その時期(年齢)が来たからこそよく見える真実、「若いということの純粋さや美しさ」。そこから生まれる永遠・生命や人間存在・その意味を考察する授業にも展開したはずです
 さらに、ヘミングウェイに限らず、同じノーベル賞作家の川端康成ら、「少なくはない」数の作家が年老いて自死(自殺)する理由にも、「思い(話)」は及んだでしょう。「高み」にのぼったがゆえの人生の残酷さ、年老いて分かる自らの能力の衰退や感受性の摩耗に、繊細な神経が耐えられなかった、ということも・・・。自らの年齢や実体験とともに明らかになります。

 このように、「何かを」、「ほんとうに大切な『もの』や『こと』を伝えたい」と思えば、生命(寿命)のリミットを頭から除けることはできません。これらのテーマを30代や40代に「わかりなさい」と云っても、おそらくむずかしいでしょう。それらを考えれば、「ヘミングウェイなんて・・・」という一言も「まあ、しょうがないこと」です。
 K先生がヘミングウェイを否定したからと云って、彼の指導がぼくの大きな力になってくれていることに変わりはありません。ぼくがこのように自分なりに「自分の考え」を進められるようになったのは、指導用の虎の巻ではなく、K先生が実際に自ら本を読んで「その感想や考察を基本に指導してくれたからだろう」と考えています。前後の先生、両者では「子どもたちのわかり方」がまったく異なります。「伝える心の有無・力の入り方の、比較にならない差」です。読んでもいなければ心は伝わりません。
 国語の先生には特に、中学生以下の小さい子たちには、「『本を読んで感激する情(こころ)』を、『文法の指導』より先に教える力」が、何より必要ではないのか、と思っています。「ただ字を読む」ことなら、どの科目の先生でもそれなりに教えられるが、「深く読むこと」は、感受性に富み読書経験の豊富な先生でないと無理でしょう。
 「小説や物語の読解」まで、実際に『読むことなく』、「あんちょこ」や「虎の巻」の受け売りを「配達」するのでは、情操教育にはなりません。子どもたちのお父さんやお母さんに、もし、そういう人がいれば必要ないですが、20年以上の指導経験でも、そういうお母さんやお父さんにほとんど巡り会ったことはないので、やはり国語の先生の力が必要と云うことなのです。
 先日の、「友人の水谷が災難にあった事件の犯人」のひとりも中学校の国語の教師のようですが、自分の子どもに対する指導やしつけ、また犯行の経緯を考える限りでは、「情操教育」どころか、子どもに教えるような「善悪の判断基準」「義務・責任の意味」さえ、いい年になってもわかっていないようです。

 おそらく「本に感激したり、小説に手に汗を握り涙を流し・・・という経験」など皆無で、身体は成長したが「こころ」は忘れて育ってしまったのでしょう。行動や判断から「心」は見えてきません
 涙ではなくスポーツで汗だけ流し、シミュレーションプレーを覚え、受験勉強も予備校で教えてもらって「教員」になることはできた、「元気に育った」が、人間として、そして「自らの子育て」や『子どもの指導』にもいちばん大切になる「心」を涵養することはできなかった・・・。「人の物も自分のもの」「自分さえよければいい、他人のことなど知ったことか。人は関係ない」という、今回の犯行の裏側や経緯と経過が証明しています。こうして「次の世代が再生産されていく」ことに、もっと強い危機感をぼくたちはもたなければいけないのではないでしょうか?
 報道では、数週前刑務所を脱走して逃げ回っていた犯人がつかまり、逃亡の理由を聞かれて、「刑務官との人間関係が嫌になった(いじめられた?)」と言ったようです。温泉旅行や行楽に行ってるわけではありません
 「自ら(他人に被害を与え迷惑をかけた)犯罪によって、(その罪を償うための)『刑務所』に入っているのに、『刑務官が嫌だ』などという馬鹿馬鹿しい、笑い話にもならない身勝手な理由」、その理由の「とんでもなさ」や「判断」を、一向に問題視しない報道や世間。聞いても何とも思わない人、その感覚のズレが犯罪の温床を準備する、ということが分かりますか?

 「窃盗を犯した息子をかばい、その罪を隠蔽するという『愚かな教員』の行動」は、この犯人の発想と、根源がきっちりリンクしています。少なくとも、小さな子どもたちを教える教員の間で、こういう判断や行動が蔓延することは絶対避けなければなりません。学習以前の、人間としての成長に大きく関わります。きちんとした躾や指導が、世間を不必要に停滞させずスムースに機能させる潤滑油です
 「受験までのテクニックや知識は多少教えられても、人としての成長に対する指導やしつけはまったくできない。できていない」という恐ろしさに、ぼくたちはもっと目を開かなくてはいけないのではないか。そう思います。
 子どものために、(受験)勉強だけではなく、「『こころ』を教えられる先生」をもっと育てなくてはなりません。教員養成大学や養成学部はきちんと機能しているでしょうか。その役目を十分果たしているのでしょうか。そうした環境にあるでしょうか。問題意識は存在しているでしょうか?
なお、使用したイラストは、いつもの「かわいいカット・イラスト2000 亀山利明著日本文芸社」より。


発想の転換が可能性を開く⑨

2018年04月21日 | 学ぶ

スティーブン・キング“On Writing”の教え

備えあって、憂いなし『どこへ旅行に行くねん?!』

 団では、3・4年生のときの準備は時間割通りのテキストや筆記用具の用意だけです。が、学年が上がるにつれて子どもたちの通塾カバンが大きくなります。
 これは、「団の伝統ともいうべきスタイル」で、学習が進むにつれて、「国語の読解」の授業中に、例えば昆虫や動物や天体が現れたり、地理の内容が現れたり、歴史事項が現れたりすることもよくあります。そういうとき、ぼくは「流さず」、理科や社会のテキストで学習項目や学習内容に触れます。算数の「割合」の授業中に理科の水溶液の問題に展開することもあります。このように5~6年生になると、どの授業中にも他科目の学習内容に触れたりすることが間々あるので、その要領がわかってくると、みんな「自分から」それらのテキストも用意してくるようになります。


 もうずいぶん前になりますが、ある団員が6年生の時、ちょうど通塾時間に、家庭訪問の小学校の先生がお見えになり、玄関でバッタリ鉢合わせしたことがあったようです。大きなボストンバックを持って出るのを見た先生が、『どこかへ旅行に行くの?』と云ったと聞きました。
 お母さんとの笑い話ですが、飛鳥へ課外学習に行くときも、当時は全行程「徒歩」でした。つまり一日8~10㎞ぐらい歩きます。間に田植えや稲刈りの作業もありますから、かなりハードです。3・4年生で入団したばかりの子たちは、最初相当きつかったと思います。たいていの子が「まだ?」「まだ、着かんの?」の繰り返し。 
 しかし、年間10回以上ありますから、一年を過ぎると子どもたちは、かなり体力もついて、ペースにも慣れてきます。実は、その経験で『つく』のは「体力」だけではありません。同時に「我慢」も身についているわけです
 「勉強がおもしろくなる前」、どうしても、ある程度の「我慢」は欠かせません。「今の子どもたちに、もっとも欠けているもの」です。「学体力」の養成・定着には、一方で、日ごろのこういう指導や習慣も大切になってきます。団の子どもたちが、「ゆるぎない力をつけてくる過程」です


 ぼくは先日、「自らの学習のようす」も子どもたちに紹介すると云いましたが、読んでいる本の内容を、その都度子どもたちの指導に役立てることがよくあります。今回の「万全の準備」という意味で云えば、今読んでいるスティーブン・キングの“On Writing A Memoir of the Craft”(STEPHEN KING POCKETBOOKS 邦訳「小説作法」 池央耿訳 アーティストハウス)に、こういう一節があります。
 キングが小さいころ、おじさんが何か作業をするとき、いつもさまざまな道具が入った両手で抱えられないような道具箱を大切に持ち運ぶのを見ていました。「壊れた網戸の付け替え」がドライバー1本で済んだので、キングが、「これなら作業ズボンのポケットに、ドライバーを一本入れて来ればいいじゃん」といった時、おじさんが返答する件です
 


 「まあ。そうなんだが、スティービー」、おじさんは腰をかがめて、道具箱の持ち手をつかみながら言った。「一旦家に帰らなければならないようなものが必要になるかも、わからんだろう? だから道具はみんな一緒に持って来たほうがいいんだよ。持ってこないときに限って、予想もしなかったことに出会って、落ち込むことになることが多いんだよ」(前記“On Writing” p106より 拙訳)
 
 キングは、この比喩を使って、「作家志望者」に、「力を十分発揮するには、自分の道具箱をこしらえて、どんな場面にも対処できるように力をつけなさい」とアドバイスします。つまり、「備えあって憂いなし」を教えるわけです今どきのお父さん・お母さんはできるだけ荷物を軽くと教えます(考えます)が、いつだって「万全の備えほど頼りになるものはありません」。それが子どもたちへの正しい指導です。      この本では、他にも日ごろの子どもたちへの指導内容を補完してくれる部分がありました。ぼくが云ってるというだけではなく、「キャリー」や「ミザリー」の作者で、アメリカの世界的ベストセラー作家のスティーブン・キングの助言を得た方が説得力と真実性が増します(笑い)。
 
ぼくは、塾を始めて以来、ほとんどテレビを見ないようになりました。それは、やること・やりたいこと・考えること・考えたいことがたくさんあって、「おもしろいと思えないものを惰性で見る時間がもったいない」からです。ぼくのように「若いころからの壮大な無駄」を年をとってから後悔しても始まらないので、いつも子どもたちに、その大切さを伝えたいと思っています。
 キングは作家を志す人に、「何はさておき実践しなければならないことが二つある。それはたくさん読み、たくさん書くことだ。これ以外に近道はない」と云います。そしてあらゆる時間を有効に利用することを説いて、テレビの弊害に話が及びます。現在はスポーツジムをはじめ、あらゆるところにテレビは氾濫しているが、作家になる夢をもつものには一番必要のないものだ、と云います
 
 一旦つかの間のテレビ飢餓状態から抜け出すと、たいていの人が読書をする時間を楽しめるようになる。際限なくガアガアがなり立てる箱のスイッチを切ると、人生の質だけではなく、書くことの質も向上することが大いに期待できる。テレビを消したからといって、どれだけの犠牲が生まれるものか? (前記“On Writing”  p143より 拙訳)
 


 テレビだけではなく、ゲームの弊害を子どもたちに伝えるとき、単に「やるな!」というのと、「君たちが夢を抱いて何かに取り組もうと思えば」といって、そのアンチテーゼを出すのとでは、説得力に大きなちがいが生まれます。ぼくは、「自分が読んでいる本」や「学んでいるもの」から、こうした例を「応援歌」に、現在まで指導を続けています
 
殺人犯はタブレット⑧
 さて、ぼく宛に来た水谷の6通の手紙。最後の一通です。保護者宛てのものです。以下にそのまま掲載します。

退塾した保護者への手紙―盗聴する必要はありましたか?
 
 古田 佐知子 様
 
 新学期が始まりました。大悟君は元気に通学していますか? 
 もっと清々しく、明るい気持ちで門出のお祝いをしたかったのですが、塾開設以来24年で、もっとも憂鬱な新学期になりました。 


 大悟君が入塾してくれたのはちょうど丸4年前。あなたのお母さんの紹介でしたね。
お母さんの家からほど近いところ、大悟君が今散髪に行っている床屋さんの隣が開設時の教室でした。あなたは床屋さんとも顔なじみですね。
床屋さんは塾のことをよくご存じです。「木造建築の隣同士」でしたから、声が大きいぼくの、授業のようすもよく聞こえていたでしょう。すべて「筒抜け」だったと思います。そういう教室と授業で、コソコソしたことはない「筒抜けの授業」で毎年素晴らしいOB諸君たちが育ってくれました
 また、教室の前には広いスペースがあり、大きな道を挟んだ向こう側は、今はマンションになっていますが、以前は「お米屋さん」でした。顔見知りだった「米屋さん」のご主人は、身体を悪くされてから、よく店の前で丸椅子に腰かけ、終日こちらを眺めておいででした。


 そのころは広かった教室の前の道路で子どもたちを指導する機会もよくあり、厳しく指示や指摘をしたり、大声で叱ったり、という授業のようすも、そのままご覧になっていました。ご主人がなくなられてしばらくして、店の前で掃除をされていた奥さんに、前の道路でお会いしました。
 挨拶をすると、にこやかに
「センセ~。主人がね、亡くなる前ね、センセが前で指導をされていたのを見て、よう、ゆうてましてん・・・あんなセンセがいるなら、まだ日本はすくわれるなア・・・いつも、そう、ゆうてました・・・」。
 身に余り過ぎる「光栄」でした。感激で胸が詰まり、返す言葉もなく、ただ「ありがとうございます…」としか言えませんでした。その言葉が、今までの指導の、大きな心の支えになっていました。。


 そしてあなたのお母さんにも、「前を通るたび、指導ぶりを見聞きして、孫(大悟君)が大きくなったら通わせようと思った」とおっしゃっていただきました。あなたも、よくご存知ですね。玉川夫婦の今回のしわざ。それに対して、あなたのお母さんを含む、これらの人々との人間性のちがい。この感覚が、あなたや菅原さんに引き継いでほしい日本の感覚です。正しいものの見方です。 
 幸いなことに、ぼくはこうして周囲の心ある人たちによく理解していただいて、今まで指導を続けてきたわけです。ひとりでの指導で同じ人間ですから、当時と今と指導方針や指導方法がそんなに変わるわけではありません
 一つだけ変わったものがあるとすれば、ぼく自身はあまりうれしくないのですが、「受験指導(!)」のレベルです。相当レベルアップしたのではないでしょうか。たとえば、大悟君の「理Ⅲ合格」と隆二君の「理Ⅰ合格」は想定以上で、かなり「びっくり」でした。つまり、ぼくが考えているより、受験については一段(相当)上の力がついていた、という意味です。


 「『受験指導レベル』が良い方に変わっているのに嬉しくない」。その理由は、本来の力不足で、なお学習姿勢・日常学習習慣もきちんと整っていないのに、実力以上のレベルの学校に入ってしまうと、結果が良くない場合が多いからです。学習習慣もきちんと整わず「間に合わせの受験対応のままの学習」しか知らず進学すれば、結果は「悪い方と、明らか」だからです間に合わせではなく、真に実力を蓄えることが、第一です。
 「最近あなたのお母さんに聞いて」たいへん残念に思ったのは、「試験前、大悟君に学校を休ませてまで受験勉強させてしまったこと」です。そのあたりの、ぼくの指導に対する「信頼不足」が気になります。案内で配布している指導の歴史は、他塾とは違って「全く掛け値のないもの」です。よく見て考察していただければ一目瞭然だと思いますが、他塾に行って、果たして現在のような成長を遂げたかと云うと、おそらく今のようにはいかなかっただろうという自負があります。もう一度二十年を超える、毎年の実績に虚心に目を向けてください



 目標の理Ⅱは、今までの大悟君に対する指導経験と手ごたえから十分間に合うだろうと思っていたので、そんな必要はまったくありませんでした。また、従来から「学校を休んでの直前受験学習」は原則禁止していました。
 その理由です。
 ぼくは「大学までの受験学習」を、「『受験だけのための受験勉強』ではなく『日ごろからの学習の総合学力でクリアする』」というスタイルに育てたい。それを最大目標としています


 つまり、『付け焼刃』の「一時しのぎ」ではない「本物の学力」。同業の友人「学習探偵団」の南淵君が提唱する「『学体力』の充実と定着」の優先です。今までのOB諸君も、傍目には見えないその力、『学力以上の学力』を発揮でき、それが以降の成長にも大きく寄与しました
 仮に「一時の詰め込み」で合格できても、次もまた「詰め込み」で大丈夫という「受験から離れられない学習意識」で進学することになります。決して「一生役に立つ学力には熟成しない」と思います。「受験勉強を乗り越える勉強」にはなりません
 そうではなくて、いわば『空気のように学習する』ようになってほしい。「合格すればよい」ではなく、「『合格してあたりまえ』のように勉強がすすめられなくてはいけない」ということです。


 仮に、受験で希望の理Ⅱが理Ⅰになったとしても、それによって「本人の意識(覚悟)不足」という反省の念を喚起すべきです常に最善・最高の努力と結果を出せるように指導はしますが、人生もトータルに考えて、失敗したら、そこで奮起しなければ(させなければ)」というのが、ぼくの「こどもたちが成人するまでの指導スタンス」です
 「受験で終わる学習」ではなく「自らを向上させる学習」まで考えた場合、それが最善ではありませんか? 身近な手本は、神戸大学の医学部に進んだ金山君の成長スタイルです
 「勉強を受験勉強とイコールにしか考えられず、その意識から脱却できない人」は、結局「終生、学習がおもしろいものとはわからず、方便や手段のまま終わってしまう」結果になります。「学習によって自らが向上する喜び」という、すべての学習が成就する「たいせつな形や感覚」を手に入れられないまま・・・
 そういうことになれば、若ければ特に「自らの可能性の大きな損失」だと思うのです。大悟君には、もう少し付き合って、そこまで教えたいと思っていました。ところが、こういう結果になってしまい、とても残念に思っています。
 
 水谷は、退塾した大悟君の保護者に子どもの指導と成長について、こう考えを述べた後、疑問を呈します。

盗聴の必要はありましたか?

 さて、「お母さんを介して」という入団の経緯もあり、先日、今回の件についてお母さんの理解を得たいと思い、再度お母さんのご自宅に伺いました。以前の「事件の経緯の説明」の感想から聞きたかったので、「資料を読んで、何があったか、わかっていただけたでしょう?」と尋ねると、「ええ、まあ・・・」。
 ぼくは事件の流れは、読めばきちんとわかるはずだと思っていたので、「タブレットを使って、あの通りの推移だったでしょう?」。お母さんの態度と返事のようすから、「少し…」(だけちがう)という、微妙なニュアンスを受け取りました
 「・・・相手には話しましたか?」と尋ねられたので、「こういう行動、こういう汚いやり口の相手に、何を話せるのですか? 話したいことがありますか? まず、窃盗は犯罪ですよ。その認識も出来ていません。ぼくに対する信頼も見られません。」。そして「これまで、真実を話せるように、何度か持ち掛けたはずだし、『盗聴して内容を第三者に話すことが、さらに厳とした犯罪』ですから。タブレット盗聴も犯罪ですよ。ふつうの人がやれることですか?・・・」と云うと、お母さんは急に動揺し、落ち着きがなくなりました


 つまり、「『盗聴が犯罪であること』に対する心配」です。「あなたのことを心配された」のでしょう
 正直な方ですから(あなたもですが)、ああ『(ぼくの想像を超えていたが)これは、他にも、同じように盗聴した人がいるという意味だな・・・』」とすぐわかりました。そうですね? 古田さん。


 3年生の時から2年間、大悟君と菅原君と同じ教室で、北海道大学に進んだK君と京大に進んだM君とが、ずーと一緒に勉強していたことは覚えていますか? 菅原さんとあなたは、覚えていらっしゃるはずです。優秀な彼らが、大悟君や菅原君を指導しているぼくのようすを間近で、一挙手一投足まで、つぶさに見ていたことに想いは及びませんか? 「全部」見ていたんですよ彼らは。「2年間」も。 もう大人ですよ。ぼくの指導ぶりも、すべて分かるでしょう? あなた方が盗聴する必要はありましたか? 彼らのことは信頼できなかったのですか? よくご存じなのに・・・
 おそらく、「捏造音声で、玉川夫婦(?)に『怖いとゆう』などと教唆されて、バタバタやってしまった」というのが、きっかけだと思います。


 「心にやましさ」はなかったですか? 「やましいこと」を人はやってはいけません。人倫の基本です。それが既にわからなくなってしまっているのが、玉川夫妻です。 そういうことをしなければいけなくなった理由や原因を、どうして直接話していただけなかったのでしょうか。その間も、「信頼してもらっていると思い、ぼくは大悟君の指導に心底、力を尽くしていた」のですが・・・
 ぼくの指導は、そういうこと(盗聴)をしなければならないほど「悪質」でしたか? 信用の置けないものでしたか? 3~6年まで、3年間以上見ても、わからなかったですか? 指導の結果が子どもたちにきちんと現れていなかったですか? 大悟君の性格が正しく整ってきませんでしたか? 菅原さんも、もちろんそうですが・・・。
 あなた(方)に何か疑惑をいだかせるようなことがありましたか? 「調べられなければいけないこと」が。玉川夫妻の作り話より、子どもの成長が何よりの証拠ではないですか? 大悟君はちゃんと成長しましたね? 満足いく(以上の)合格ができましたね? 「都合のよいように、犯人たちに丸め込まれてしまった」と、まだ思えませんか? 


 彼らの今回のやり口は、当人の意識・無意識は別として、結果的に「相手を同じ犯行仲間に入れてしまうと訴追ができなくなるという「詐欺師特有」、典型的な犯罪者のやり口」です。「自分も結局仲間にみられるようなこと」をしてしまったので、「非難」も「批判」も「訴え」もできなくなる(法的にも精神的にも)というしくみです
 青二才(まだ20代でした)のころ、ぼくが新宿で騙されてしまった詐欺師のやりくちもそうでした。「お金をだまされたのに、とりもどすことができない」というスタイルです。
 やましいことに、一旦足を踏み入れると、結果的にこういうふうに「ズブズブ」になって抜け出せなくなります。「自分たちも、結局一枚かんでいるから、正しいとわかっても、正しいことに協力できない」という「パターン」です。犯人の2人が、そこまで考えたかどうかは「謎」ですが、結果的には「ぼくにはとても不都合、犯人には都合がよい」という結果になりました。 


 「あなたのお母さんや亡くなった米屋のご主人にほめていただいた指導」も、結局今回こんな方向、結果になってしまいました。それが残念で仕方がありません。人間関係でもっとも大切なものは『相互信頼』です。この上なく貴重なものです。それだけでも、玉川夫妻の仕業を「水に流す」ことはできません。流してはいけないと思います。社会の根幹が崩れます。彼らは教師なのに、そういう判断もできないわけです
 それについては、どう思われますか? まだ、その経緯と結果の正誤・善悪は判断できませんか? 音声データが捏造してあったということに得心はできましたか? 


 古田さん。今回の事件の推移を振り返っていただくとわかるように、こういうことがすべてわかるから、子どもたちがきちんと育ってくれるんですよ。大悟君もそのうちの一人ですが…。「嘘をつけなくなる」のです。「正直がいちばんだ」と悟るんです。それによって、みんなきちんと、どこに出しても恥ずかしくないように育ってくれます
 その指導の効果が、今回の一連のできごとで大悟君の中で壊れてしまわないように、と心から願っています。また、最後になりましたが、大悟君のさらなる精進と成長を心よりお祈りして、筆をおきます。
 なお、大悟君と同窓の隆二君は、すこぶる積極的な学習姿勢を見せてくれるようになりました。合格した後は、このように大きく変わってくれるのが、ぼくの指導です。そのために、小学校時代に厳しく指導するのです。 
                                                                                             水谷 豊川


発想の転換が可能性を開く⑧

2018年04月14日 | 学ぶ

殺人犯はタブレット⓻

退塾した生徒たちへの手紙ー「見栄」や「ええかっこ」は成長の妨げ 
 水谷が送ってきた封書には子どもたちへの手紙のコピーも含まれていました。塾を辞めざるを得なかった彼らに事件の真実を伝えようとする心が覗えました。
 一通は、3年生の時から4年間指導し、今年あこがれの中学校に合格した二人の生徒、古田君と菅原君宛のもの。もうひとつは、今回の卑劣な策謀で一年弱の指導でやめざるを得なかったものの、水谷の指導にきちんと取り組み、学力はもちろん、すべてにバランスよく育ちつつあった、高見かれんちゃんに宛てたものです。

 
春、中学生になる君たちへー「かっこよくなれ」


 古田大悟 様
 菅原龍生 様
 
 君たちと「釘立て」をした公園の桜も咲きました。元気ですか? あこがれの中学への通学、雰囲気はいかがですか? 楽しいことがいっぱい待っている学園生活になることを、心から祈ります。

 課外学習やさまざまな作業・学習指導と、君たちとは4年間行動をともにし、たいせつなことを伝えてきたので、もう心配ないと思いますが、これからも気を抜かないように努力をつづけてください。
 「がり勉」は必要ないからね。勉強のしかたをもう一度伝えておきます。
「教科書の次の日に習うところを、できれば2回ずつ読んでおく」。その後今まで通り集中して、一定時間学校の課題と「学習したことの確認」をしていけば、最初は十分
 あとは、本を読むこと。おもしろいと思った本は何でも良い。本を読むことが生活の一部にならなければね

 入塾当時、課外授業で勝手に稲渕の棚田のまわりをウロウロして、同行の大悟君のおじいちゃんが大声で名前を呼びながら後をついて廻ったことをほほえましく思い出します。
 また、赤目の宿舎でテグスを結ぶことができず、川釣りの仕掛けを作るのに1時間以上かかったり、菅原君のヨシノボリを網で上手に掬う名人芸や、釘立て大会の「変則投げ」などもありました。懐かしい思い出です。
 「集中力が途切れがち」で、「見栄っ張り」が治らなかった大悟君には、入試前まで声を荒げて厳しく指導することもありました。それは、生きていく基本にかかわること、君たちの将来のことを思ってだと理解してください。


 「見栄っ張り」や「ええかっこしー」は、たいてい中身がともなってくることなく、たいした結果にはなりません。大きく育ちません。    「見かけ」ではなく、ふだんの行動や会話・しぐさが、『意識せずともええかっこになる』よう成長してください
 OB教室に来てくれれば、いろいろ話せ、時々に教える機会もあったのだけれど、かなわなかったので、二人には「見栄を張らないようにと」とアドバイスしておきます。
 「『できないのに、できたふり』をしたり、『わからないのにわかった振り』をする姿勢や態度」は、「学習」と「まじめに生きようとする人生」には無縁です。「自分に嘘をついたり、格好(カッコ)だけつけるの」は、みっともない。男らしくない。
 格好よくなりたければ、「『能ある鷹は、爪を隠さず、ちょっとだけ見せる』」ことができるようになること」。その姿を目指してください。どんなことでも、きちんと実力がともなわなければ、「ええかっこ」はできません

 「中身がともなっていないのに、ともなっているように見せる」という「虚飾」や「虚栄」は、「賢人」にはすぐ見抜かれ、信用されません。「信用を失う」だけではありません。時にバカにされ、軽蔑されます。「格好をつけるだけ」は「成長の大きな妨げ」です
 「偽っている・できないのに嘘をついている」という「余計な心の負担」によって、「ふつうであれば集中し、無心で向かう『心の構え』は崩れます。もっとも能力を発揮でき成長できる、「全力集中」という態勢がとれません。「陰ひなたのない努力がともなえばいいですが、『見かけだけを飾らないように』と厳しくしかった」のは、こういうわけです。
 また、「『頭がよい』とうぬぼれるな。謙虚になれ」、「君たちより頭がいい奴は、腐るほどいる」ともいいました。「『俺はできる』とか『頭がよい』とうぬぼれていた人」のその後は、あまり「たいしたこと」になっていません。きわめてふつうの「おっちゃん・おばちゃん」です。『おごり』が、学習や成長の『足を引っ張る』からです。真の実力が付きません
 君たちの先輩、夏休みの宿泊授業でも手伝ってくれるOB金山君の姿を参考にしてください。

 彼が、今回古田君が合格した中学の理数科に受かったとき周囲の同級生を見た「『「第一印象』と『その後』」。京大へ入ったとき教えてくれました。
 京大合格の挨拶に来てくれて、「先生、清明中学に入学したとき、ぼくより頭がよい人がたくさんいました。・・・でもぼくは努力では誰にも負けなかった・・・」。結果も出て、それが云えることがすごいと思います。
 金山君は、その後大学院に進み、就職して、出会った「医師や医療体制」の現況に疑問を抱き、会社を退職、再度勉強をすすめ神戸大学の医学部に学士入学をしました。決して現在の自分に満足することなく、だからといって自分のことだけを考えているわけではありません。

 もう一つ偉大だったのは、余裕がある経済環境ではなかったということです。自らの貯金の中でやりとげました。お父さんやお母さんに助けてもらったわけではありません。神戸大合格後も、それだけでは満足せず、自分を医師として高めるため、ケニヤに飛んだり、英語で診察応対をできる病院を探したり、努力と前進を欠かしていません。
 先生が「4年間君たちに云ったことと同じことを云って指導した」金山君の成長参考に、君たちもぜひ大きく育ってください。
 
 水谷は、こう励ました後、今回の玉川夫妻の犯行について触れます。
 
君たちが塾を辞めさせられた理由
 さて、「今回君たちが塾やめなければならなかった理由と原因」を明らかにしておきます。
 真実を知らないはずだろうし、お母さんたちはくわしいことは話していないでしょう。4年間指導して、順調に育ってくれていた君たちに誤解をされたくないので、きちんと真相を話しておきます。「信頼できない人に受けた指導」では、君たちの心に残らないからね。一生懸命教えた君たちがそんな状態になったら困ります。

 
 まず経緯。君たちも知っている夏前の「エアガン窃盗事件」が始まりです
 あのエアガンに、「どれだけ、先輩の温かい心と思いやりが詰まっているか」話したね。なくなったこと、その後の行動で「犯人が分かっていること」も伝えました。
 みんなが集まる授業の時には、『先輩の気持ちがこもった想い出の品を黙って持って帰るなんてとんでもないこと』、『嘘をついてばかりいたり、悪いことをしたことを黙っていると、身体や健康にも良くないこと』と話したね。君たちは先生の話を、よく理解してくれました。そうだったね
 「犯人が正直に言ってくれたら、すべてが丸く収まる」とも話しましたね。また何度も、「もし、どうしても云えないなら、先生が知らないうちに、黙って返しておくように」とも

 ところが、「その事件を闇に葬り、分からないようにしよう」と企んだ人がいたのが、今回の事件です。 
 「君たちのお母さんやお父さんと、家が近くなので顔を合わせる機会がある」し、「自分たちの仕事柄、そういう事件が公になると立場や近所や周辺にも見栄や体裁が悪くなると考えたこと」がその理由です
 どういう方法を採ったか。
 子どもに携帯を持たせ、「授業中の先生の声」を自分たちのタブレットに全部録音しました。それで、まず、先生が「エアガンの窃盗」のことを知っているか、犯人が分かっているかを探ったわけです。

 そして、「犯人を知られている」とわかってからは、「自分たち(の子ども)の責任にならないように、自分たちは関係ないとみられるように、塾をうまく辞めるにはと考えた」わけだ。
 今度は、そのための理由をつくらなくてはいけない考えた方法が、「とんでもなくひどい先生」だから、「しょうがないから塾を辞めた」という結果になるような策略だった。
 しかし、自分たち(の子ども)がやめても、「君たち」や「かれんちゃん」が塾に残っていると、「ほんとうのことが、やがてお母さんたちにばれてしまう」。「ばれないようにする」には、「君たちのお母さんにも、先生を『ひどい奴だ』と思わせて、「君たちにもやめてもらって、もう塾とは関係なくなる」ようにしなくてはならない」。つまり、「先生と君たちのお母さんが顔を合わさないようにする、また先生のいうことなんか聞かない」ようにしなければならない。

 そこで、次にどうしたか。
 窃盗事件の後、去年の夏過ぎから自分の子どもたちに持たせた「携帯」を通じて自分たちのタブレットに先生の授業のようすを録音する。その「先生の肉声」をつぎはぎし、編集して、「いかにも極悪人の教師がしゃべっているように聞こえる音声データ」を捏造した。それを君たちのお母さんに、課外学習などの機会を通じて、どんどん聞かせつづけたわけだ
 一般の人たちは、「そんな汚い編集や捏造が行われている音声だとは考えもしない」。しかし、君たちも知っている「女」の方が勤務する学校で、そんな目にあった同僚の先生がいたから、その「犯人」のやり方を真似したわけだ。盗聴録音した声だから、タブレットから聞こえるのは、「紛れもない先生の声」だ。というわけで、「君たちのお母さん・お父さんが、それらをすっかり信用し、君たちをやめさせてしまった」というわけです
 君たちも知っているように、卑劣な策略を実行した今回の二人は学校の先生だ。そんなことをやってもいいと思うか? よくそんなことができると思わないか? 
 この犯行の推理ができたのは、君たちのお父さんやお母さんから聞いた、それぞれの一言がヒントになったからだ
 まず、菅原君のお父さん・お母さん。
 菅原君とお父さん・お母さんが塾を辞める挨拶に来たとき、最後、塾の入り口で、先生が、「龍生君は阪大か京大に行けると思って期待していたんですが・・・」というと、まず菅原君のお父さんが、「先のことより、今の方が大事だ・・・」と云った。お母さんが言ったことはもっとひどかった。「梢ちゃん(先生の孫)に、期待したらどうですか?」。
 その一言にはびっくりした。4年間子どもがお世話になった人に、そんなひどい言いぐさはない。「おそろしいことが起こっているな、何か裏で」。そう思った
 次は「挨拶」に来たかれんちゃんのお母さんから、「『こんなところがあるんや』と思った」、とか「(かれんちゃんを先生と)離さないと・・・」という、とんでもない一言を聞いた。
 「先生と離さないと…」というセリフから、誰かが「注射をした」とすぐわかった。この「注射をする」というのは、『偽情報などを流して、相手をその気にさせたり、混乱させたりすること』だ。あまり、良い言葉ではないからね。今回の相手のやったことが、あまりにもひどいので、この言葉を使うことにする。

 さらに、それまでの経緯を考え、「君たち二人の合格のときのお母さんの態度が感激など一切なく変だった」疑惑などを考えると、「かなり以前から仕組まれていた謀略」だということが想像できた
 最後に「タブレット盗聴で音声録音して、捏造データが使われた、と決定できた」のは、大悟君のお母さんに電話して、「携帯で盗聴されたとしか思えない」と先生が云ったとき(これを「鎌をかけた」という。辞書で調べるように)の、お母さんの「返事のしかた・否定する慌てぶり」が、ふつうじゃなかったから、だ。

 以前聞いた犯人からの、「二年前勤務先の多津美H小学校で『保護者によるタブレット盗聴事件』で同僚の先生がとても困っていた」という話と、大悟君のお母さんの「驚きよう・あわてぶり」、そして、それぞれの「お母さん方の一言」が組み合わさって、今回の事件の判断・推理ができたというわけだ。君たちなら、嘘をついても見抜かれる先生のことをよく知っているから、そんなもので騙されるわけがないと思ったけれど、犯人夫婦は「うぬぼれて」先生のことを甘く見たわけだ。
 とんでもなく「卑劣な手段」だ。それも、先生が一番嫌いな「汚い!」方法だ。こんなことで、君たちとの信頼関係が崩れてはいけないので、事実関係をきちんと報告しておくことにする。君たちがよく知っている先輩と同じく、後輩思いの学力・人格ともにすぐれた、すばらしい大人に育ってもらいたいからね。
 以上です。誤解しないようにね。これからも頑張ってください。
  
                                                                                                       水谷 豊川

 
 もうひとり退塾する羽目になった、4月から5年生になった女の子への手紙です。

ポン酢、送るよ
 
 高見かれん 様

 元気で頑張っていますか? ちょうど桜が咲く頃、お母さんに手伝ってもらいながら、スズメの巣箱づくりをしていた去年の君を思い出しています。注意をよく聞いて、すばらしく勉強もできるようになったね、一年間ですくすく育ってくれました。「学習は、まず読んで、分からなければもう一度読んで、考える、ということ」が基本だからね。

 最後の挨拶に来てくれたとき、「もう渡す機会がないから」と思って用意した「ポン酢」をうれしそうに受けとってくれたので、手紙と一緒に送ります。
 塾をやめる前、「君も順調に育っていたし、先生とは何もトラブルはないはず」なのに、「先生に対するお母さんの態度」がどんどん悪くなっていました。君の気持ちを知りたかったので、「かれんは『先生のいうこと』わかるよな?」と聞きましたね。そのとき、君は「・・・わたしはわかるけど・・・お母さんは・・・」と漏らしました。

 そのときは意味が分からなかったけど、今はホントによく分かります。おかあさんは、もう、長いこと、そういう「捏造(ねつぞう、意味は調べてね)データ」で、「とんでもない悪人に聞こえてしまう先生の『声』」や「つくり話」を、犯人たちに聞かされ続けていたのだろう、と。渓流教室くらいからだろう。お母さんは、まんまと、その「ひどい策略」に騙されてしまったわけです
 「夏休みの大石君のお兄ちゃん事件」や「モデルガンの窃盗」のことも、君たちには、ひとつひとつ何が起きたか分かるように事実や証拠・考え方を全部説明して、「やってはいけないこと」を話しました。お母さんたちは、「話を全部聞かされるわけではなく、『都合の良いように、先生が悪人に見えるように切り貼り』された「つくり話」を聞かされていたからね
 「君と一緒に勉強していた自分の子どもたち」に携帯を持たせて授業のようすを盗聴し、「犯人たち」が自分のタブレットに録音した「先生の声の一部(!)」。だから『みんなは先生が言った』と思う。携帯をもたせて、我が子にそんなことをさせることが既に、ふつうのお母さん・お父さんがすることじゃないということが、君もわかるだろう。さらに、前後もちゃんと聞くと、先生は全然「別のことをいっていた」のに、「自分たちの都合の良いところだけ」を「切り取って」、「全然ちがうことを云ってるように変えてしまった。お母さんたちは、それを聞かされた

 つまり、「実際の先生の声」を使って、「いかにも先生が言ってるような『データ』をつくる」。それに自分がつくった「作り話」をくわえて、君のお母さんや菅原君らのお母さんを騙して、君たちをやめさせた、というわけだ。そういう「ひどいこと」をやった。「先生の声」だから信じるのもしかたがないと思うけど、もっと信頼されていると思っていたので、ほんとうに残念です。
 さっき、『犯人』と書いたが、彼らがやったことは5つの罪を犯した『犯罪』です。訴えれば逮捕されます

 まず、『エアガンを盗んだ』、これは『窃盗罪』。裁判をすれば、10年以下の懲役、または50万円以下の罰金。次に『盗聴』、これは『電波法違反』。そして、「捏造音声」を使って、みんなに先生のことを、いかにも悪人に見せ、みんなが塾を辞めるように仕向けた。これは、『名誉毀損』と『営業妨害』。さらに、ひどいことをしてみんなをやめさせてから、コソッとマンションに無断で入ってきたのは、『住居不法侵入罪』。
 細かく云えば、まだ罪を犯しているけれど、これだけでも「とんでもないことだ」ということが分かると思う。「一旦悪いことに手を染めてしまうと、その罪を隠すために、人はドンドン悪いことを重ねてしまうようになる」んだ。これも君たちに、いつも注意していたことだね。

 彼らは、君も知っているように、近くの小学校・市内の中学校に勤めている。どんな仕事であろうと、そんなことは決してやってはいけないことはもちろんだ。だけど、「これから『正義』や『正しいこと』・『善悪』を覚えなければならない小さな子どもたち」を教える学校に、そんな先生がいてもよいと思いますか?
 ぼくは気持ちを見抜けます。昔からどういうわけか、『口だけの人』・『口の上手い人』の『心』がよく分かります。『気持ち』を見抜けます。「本当に心から思っている人」は、大抵、おべっかを口に出しません。話さなくても「心と心で」通じます
 彼らと話をしていて「なんかちがうんだよな~」と、いつも感じていました。言葉に「ほんとうの心」がこもっているように感じられなかったのです。

 人数が少なかったので、君は、友だち・話をする相手の選択ができません。『一緒に勉強していた子』の性格がよく分からなかったと思うけど、その前一年間、彼女の行動や仕草を見ていて、「かなり問題が多い子であること」が見てとれました。たとえば、「ホタル狩り」で、網を貸してくれという他の人に、なかなか回さないで、一人でずっと使っていたことを覚えているでしょう? 彼女が。また、君は行かなかったときですが、「クワガタ探し」では、先生の指導を聞いて、目的の場所を目指して、みんな自分たちで探し始めます。

 君も知っている「稲刈り」にも来た、さつきちゃんは5才なのに、先生の云うとおり、いっしょうけんめいさがして、その晩一人でクワガタを二匹捕まえました。
 ところが、姉弟二人だけは先生の周りを離れないで、「先生が見つけたら何とか、それを自分たちのものにしようとする」ばかり。注意しても、なかなか直りません。
 塾の標語にあるように、そういう自分勝手な「せこい」態度や行動は、まず治すべき目標です。「そんな子にならないように指導しています」。そうでないと、人のことを考えられる感覚や姿勢は育ちません。そんなことが、ふだんたくさんありました
 少ない人数です。いつもそういう子と遊んでいたら、影響を受けないことはありません。選択の余地がある状態で、もう少し大きくなれば、善悪や正邪の判断もそれなりにできるけど、君たちの年齢では未だ無理です。「冷静に相手を見るように」とアドバイスしたのは、「すくすく育っている君」には、「その影響を最小限にと願ったからです」です

 「君のおばあちゃんの判断」は、よく理解ができるし、嘘の情報や捏造テープを聴かされる前、お母さんには「久しぶりにものすごく塾を理解してくれている人が来た」と期待していました。「今のまま大きく育てたい、育ってほしい」と思ったわけです。だからアドバイスしました。
 今回、「何があって塾を辞めなくてはいけなかったか」は、一緒に送った古田君・菅原君宛の手紙にも書いています。しっかり読んでください。もう分かると思うから。
 君のお母さんや、菅原君のお母さんが、君たちが退塾するドタバタのとき、大石君の「ワオワオワオ、耳ダンボ」事件について、「やめてから、大石君の悪口や、お父さんの(?!)を云うのはよくない」と、云ったことがありました。だから、彼らが、その時の指導のテープを「捏造編集して」聞かせたことはわかっています。「大石君がやめた事件」について、その一部始終をもう一度書いておきます。ここからは、お母さんにもしっかり読んでもらってください。

 「捏造データの存在発覚のきっかけ」になった「大石事件」の真相を、水谷は、「かれんちゃんのお母さん宛て」に、続けます。

ワオ、ワオ、ワオ、耳ダンボ事件の真相
 「大石君事件」については、「みんなが集まる授業」で、「事件のことについて最初から最後まで経緯をたどり」、「なぜよくないか」を子どもたちにもわかるように度々話しました。
 「悪口を言うため」じゃなく、「君たちもお父さんやお母さんになったとき、こういう判断をしてはいけないから」と「前置きして」です。「なぜ、大石君とお父さんの行動がよくないか」もわかりやすく説明をしました。小さいころは、身近な問題・現実感がある問題で考え、倫理観やものごとの判断基準・善悪や正邪の感覚をもたせることが大切だと考えているからです


 菅原さんや北見さんから、「『大石君のことをやめてからどう』とか、『お父さんのことを云うなんてひどい』」とか云う判断を聞きました。もし、「ぼくが話した『大石事件に対するコメント』を、きちんと全部聞いたら、子どもたちと同じように、お母さん方も、云ってることがよくわかったはず」です
 「『子どもでも分かった話』が・・・」と、後から考えるとすぐ、ああこれは、『みんなの、ぼくに対する価値感を転覆させるために、勤務先のTH小で同僚が保護者に携帯端末とタブレットを使ってひどい目にあったと、2年前に云っていた方法を『パクった!』」と見当がつきました

 また、あなた方三人とも「自分のところは、他の家とは関係ない」と「退塾の理由の区別」を、わざわざ強調する弁解も不自然でした。同じだったら「バレる」ということを確認したのでしょう。どういう理由でも同じです。わかる人にはわかります。それによって、「ストーリーを描いた者がいるな、三人はそれにうまく乗せられただけ」と分かりました
 そうして考えると、ドアの前で「男の方」が「古田さんとぼくの話」を聞こうとしていたことも、「あなたが、そのとき後ろに残っていたこと」も、2月になってから「女の方」がドアを開けて偵察に来たことも、すべて「つじつま」が合いました。「これだけ手をかける犯行は、一人ではできない」、だが相手は二人だ。一人は国語の先生だ。これぐらいのシナリオは描けるだろう。

 その後、課外学習に参加していたときの二人の「数々の不自然な態度」や、「あなた方のぼくに対する態度の変化の推移」を思い出し考え合わせると、X線撮影を見るように、すべてが明らかになったわけです「教職にあるのに、これだけ卑劣な手段をとれる」ということだけは、ぼくの経験の想像を超えていたし、信じたくなかったですが・・・
 また、北見さん、「『大石君の弟をやめさせた』のは、可哀そうだ」とか云いましたが、「とんでもない誤解」です。「わっしょいプール」の帰りの特急の中でも、たしか同じようなことを云ったはずですが、康之君に「兄ちゃんは先生の信頼を裏切ったし、お父さんにも先生の指導方針をよく理解してもらえなかったので、こういうことになったが、康之は来たかったら、来ていいんだよ。続けておいでね」。やめる前日まで、そう言っていました。 
 もちろん、子どもなので親の云うことを聞かなければなりませんが、泰之君をやめさせたわけでは決してありません。泰之君のお父さん(おそらく、お母さんではありません。性格も知っているし、ぼくのこともご存知ですから)の判断です
 さて、大石事件の真相です。
 夏期講習の終盤、都合で授業時間が二時間延びることになりました。ごはんの用意をしてこなかった子もいるので、「おなかがすくと思う人たちは何か買ってきてもいいよ、もしお金をもってきてなければ、貸してあげるよ」とぼく。
 「夏期講習の期間、教室で勉強してもよいですか」と言っていた兄の浩之君と弟の泰之君が、「何かお腹の足しになるもの」を買いに行くことになって、「ぼくが千円でいいかな」と渡しました。そのとき、講習を受講している6年生と5年生ら全員が傍にいました。

 近くのコンビニに行っておにぎりを買ってきた兄が、おつりとレシートをぼくに渡そうとするので、「小銭をもらっても、ややこしいから、そのまま持って帰ってお母さんに話して。千円持ってきてくれたらいいやん」とぼく。兄の方が弟に、なぜか、「お前が持って帰ってくれ」と云いましたが、弟が拒否したので、彼はみんなの前で左のポケットに入れました
 約一週間たってもお金が返ってこないので、4年生の弟に、「この間の千円、お母さんにゆうた?」と聞くと、「まだです」。「じゃあ、お母さんにゆっといてな」とぼく。
 次の日です。
 4年生の弟が、「お母さんがこれもって行って、って」と、レシートとレシート記載分の小銭をもってきました。「あれ、ちがうやん、兄ちゃんに、小銭ややこしいから、お母さんにおつり全部渡して、千円持ってきてくれたらええやん、あの時、そうゆうたやろ」とぼく。彼は「はい」と、そのまま持って帰りました。
 次の日、今度はお母さんが来て、「浩之がそれでいい、ゆうた」と云って、小銭とレシートを渡すので、「それはちがう。そのやりとりは6年生の子どもたちも、みんなと見てるから、まちがいない」と、返事をしました。すると、お母さんが『そうだったんですか』と千円を出しました
 ぼくは4年間一生懸命教えて、難関校に行くことができるようになるまで(おそらく他の塾では、うまくいかなかっただろうという自負があります)学力を上げることができた浩之君に、そういう「不実な行動」はとってほしくありません。ぼくの「願っている理想と正反対」です。だから「注意をしておかなければ」と、「じゃあ、浩之君に、はっきりさせます」と預かり、千円札を自分の机の端に置いておきました。
 ちょうどその日は木曜日で、浩之君の学習の日です。7時前に彼が来て、『これ、この間借りていたやつです』と千円札を出します。昼間のお母さんとの話と考え合わせて、「やっぱり」と、内幕が予想通りはっきりしました。 
 「昼間お母さんが来たぞ。お母さんには、おにぎり代だけでええゆうたやろ。何でそんな嘘つくん? そこにおいてある千円札、お母さんがもってきたやつや」。

 浩之君は動転して、「エエッ、いつ来たんですか?」と、バカなことを聞きます。
 「だから、今日や!って」。そのとき、もう一人のOB、同学年の平田君もいて、そのやりとりの一部始終を聞いていました
 「この千円どこから、もって来たん?」
 「えっ、お母さんにもらいました」(きっと嘘はないんでしょうが、『理由』は別だったはずです)
 「そんなはず、ないやろ、お母さん今日来たのに」
 「ええっ? ぼくがもらいました、今日!」と大慌てです。
 「じゃあ、お母さん、なんでもってくるん?」
 「・・・」彼の動揺はおさまりません。
 事情の判断は付きましたが、「云っておかなければならないこと」があります。「仲間や身内との信頼関係の問題」です。おとなへの第一関門、中学生です。信義の基本です。誠実さのやり取りです。金額ではありません。
 「・・・浩之な、失敗やまちがいや、ふとした出来心なんて、誰にでもあるんや。・・・だいじなことはそこでそれを認めて、これからの糧にすることや」心を抑えながら云いました、4年以上面倒をみてきた子です。
 「・・・センセは、基本的に悪人はいない思てる。嘘ついたままやったらナ、それが一生心の澱になって、顔つきが変わってくるんや。写真やってるから、ようわかんねん。・・・目がちがうんや。顔が変わってくる。君たちには、できればそんな顔にはなってほしいない。そんな人増やしたないから、塾はじめたんやで」
 「だから、やってませんて・・・」
 「そんなら、置いといたんか? 他の誰かが盗ったんか? あの時、他にやり取り見てた子、いっぱいいるんやで、菅原も古田もみんなおったやん。みんな見てたで。正直に言わなあかん」。
 いきなり、「ワオ、ワオ、ワオ~。ダカラヤッテマセンって!」大泣きです。中学生の姿とは思えません。。埒があきません。何日か反省すれば、きっと気づいてくれるだろうと、その場は収めました。
 数日後、彼のお父さんから電話があり、話があるということ。ぼくは授業後、来てもらえるように、時間を指定しました。そのとき、当日授業が終わってからも学習を続けている6年生がいたので、ぼくはその子たちに、「時間があったら、もう少し残っとき。ようすを見といてもええか分からん』と伝えました。古田君と菅原君です。もうすぐ中学ですから、「彼らに正しいことを覚えてもらいたい」、という気持ちがありました。
 来られたお父さんは、「型通りのあいさつ」のあと、
いきなり、「浩之は、あの時のこと覚えてない、記憶にないというんです。『記憶にない』というのでは叱れません。先生、それを認めてください、覚えてないというんですから

 まるで、質の悪い政治家や官僚の答弁です。ぼくにすれば、予想外です
「お母さんの話も聞いたでしょ。ここにいる子たちも傍にいて、ずっと見てたんですよ。じゃあ、そのお金は、どこへいったんですか? ぼくが嘘をついてるんですか?」
「いや、そうは言ってません」と、訳の分からない返答です。
「それじゃあ、他の子が盗ったことになるんですか? みんなの見てる前で」。
おとうさん「・・・。いや、彼が盗ってはいない、と云うことをわかってほしいんです」。
「それは無理ですよ(どうやって、分かれっていうの?)、他の誰かの責任になりますから・・・」。
「でも、浩之は覚えてない、記憶にない、というんですから・・・」と、お父さん。
延々、その繰り返しです

 このままでは、「子どもと同じで埒があかない」、そして、「子どもに責任をもって指導もできない」と思ったので
「じゃあ、こうしましょう。神様がいるか、いないかわかりませんが、神様が知っているから、もういいじゃないですか。ぼくのことを神様も見てるし、浩之君も、もし自分がやっていなかったら、神様が知ってるからそれでいいよね。だから、それで卒業してください」。(ぼくは、神様はそれぞれの『心の中にいる』と思っています。)
 浩之君が団に通っていた4年半、お父さんは、一度も懇談には顔を出したことがありません。
子どもの指導や教育は、保護者と指導者の共通理解がないと、うまくいきません。教師が適当に育てるつもりなら、それでもいいのでしょうが、ぼくはそういうつもりはありません。これが、大石事件の真相です

 こういう「事件」があった時は、ちょうど良い機会だから、『その事件の推移を知っている子どもたちには、判断基準・倫理基準等をきちんと考える機会をもってほしい』とぼくは考えています。さまざまな判断基準を子どもたちが覚える機会は、そんなに多くありません。
 そのための「何度かのぼくの指導のようす」を、つぎはぎして、大石君がやめてから「悪口を云っている」ように誤解をさせ、「自分たちの窃盗事件隠蔽の防護線にしようとしていたこと」が、これでよくわかっていただけるのではないでしょうか
 彼らが、どうしてそういう「優秀な」知力や精力を、子どもの教育や指導に使わないのか? 使えないのか? また、「2年間、自分たちの子どもたちも、自分の同僚も、自分の親戚も行動をともにし、みんな世話になったのに、どうして、こういう『卑劣な仕業』ができるのか」。ぼくは驚くとともに、不思議でなりません。 正しい判断基準がともなっていれば、「ちゃちな窃盗事件」は起こらなかっただろうし、起こっても、もっとスマートに片付いていたはずです。

  これまでの事件の経緯、日ごろの子どもたちに対する今回の当事者自らの行動・態度・躾・教育に対する、客観的で冷静な視点があれば、今回の事件が起こるべくして起こったという判断ができる思いますお金を拾った時の判断と行動・他人の(公共の)道具などに対する判断と行動、日ごろの子どもたちに対する「観察と教育・躾の不備」。小さいころから子どもたちは、こうした親の行動や習慣を「無批判」に受け入れていきます。
 「親が他人のものと自分のもの」という峻別・判断がきちんとできなければ、子どもが他人のものに手を伸ばして自分のものにしてしまうようなことは、ない方が不思議です。保護者が社会人・大人として自らを律すべき、子育てにフィードバックすべきたいせつなところであり、難しいところです。
 もっとも考えなくてはならないことは、自分の子が他の人に迷惑をかけてしまうかもしれない、そうなったら申し訳ない、という視点です。それが、古来から、日本人の多くが子育てに持ちこむことができた、世界に誇るべき感覚です。どうも、大阪では、こうした「日本人」という歴史的感覚が希薄なように思うのですが、これは地域性の故でしょうか? 子どもの指導やしつけは、その子の性格や育ち方・状況を見て、時に厳しすぎると思えるような指導も必要になることがあります。ふだん保護者がきちんとできていれば、そんな必要はありませんが。
 賢明なあなたのことですから、かれんちゃんとの退塾のあいさつのとき、「どれだけ酷いことが起っていたか」、「それを感じた僕が如何に驚きと怒りでいっぱいだったか」、わかっていただけたと思います。
 まだお若いし、一般社会で社会経験を積むことも少なかったと思います。世の中には、こういう「とんでもないことを画策する」輩もいるということを、後学のために覚えておいていただければ・・・
 最後になりましたが、かれんちゃんの、さらなる、素晴らしい成長を念じながら。
                                                                                                       水谷 豊川