『子供たちにとっての本当の教科書とは何か』 ★学習探偵団の挑戦★

生きているとは学んでいること、環覚と学体力を育てることの大切さ、「今様寺子屋」を実践、フォアグラ受験塾の弊害

勉強のできる子を育てるには⑳

2017年03月25日 | 学ぶ

 今回紹介するテキストの写真例は、団でも日ごろよく使用しており市販テキストの代表例としての表示で他意はありません。ご理解をお願いします。
理性の時代
 かつて脳内の快感神経の存在から、「学ぶことのおもしろさ」が存在する根拠を考えました。油脂や糖分に対する味覚、「おいしさの感覚」から、生きていくことが出来る方・種の保存の方向に対して「快感神経がもたらす快感」の「対学習」発達可能性でした。

 さて、飢餓状態の長かった僕たちの感覚では、機会損失を防ぐためにエネルギー補給が効率的にできる油脂や糖分に対して、『おいしい』という快感が進化したと考えられています。つまり、油脂や糖分が豊富に含まれた食物があるとき、おいしさを感じるとたくさん食べられるというものです
 ところが、現在(日本)では食物が豊富で、多くの場合「おいしいもの」がたくさん手に入ります。つまり「ほとんど身体を使って探す必要がない」のです。確保する段階で体力やエネルギーはそれほど消費しません。したがって身体が要求する以上の糖分や油脂を「無意識のうちに『味覚』が要求してしまうことになる」というわけです。
 「本来生き延びるための感覚だったもの」によって、逆に「過剰を招き、感覚のままに流されれば、それだけで糖尿病や脂肪肝等の病をもたらす結果になりつつある」のです。ぼくたちが現在抱えているのは、そうした課題です。

 向かう時代は、「(快)楽を追い求める」ことに、より理性的にならなければならない時代。現状にきちんと目を向けよく考えることが必要になる。意識的にセルフコントロールすることが必要になった時代です
 「おいしいものは、確かにおいしいけれど、それはもともと生きていくための感覚が仕込まれてきた(!?笑い)からだ」という理性的な自意識が一方になければ、ドンドン無制限に、野放図になってしまう時代の到来です。「おいしいなあ。おいしいもの食べたいなあ」だけでは済まない、難しい時代です。「デブってしまう我が身」を見ながら、そう反省しました。今後は、こうした発想を多方面に広げることが必要になってきているのではないでしょうか。

土筆ハイクの報告
 19日は2017年度の課外学習第1回。土筆ハイクでした。

 小学校で学習対象になる植物や動物の生態や植生を年間の課外学習を通じて総合的・立体的に紹介したいので、土筆ハイクのスライド学習では、まず土筆(トクサ科)が「生きている化石」であることを紹介します。
生物の陸上への進出、その過程でのシダ植物の位置と特性。石炭紀の話、さらに植物の冬越しから春の芽生え、土筆が春夏秋冬の「口開け」であることも忘れられません。季節に季節の生き物を知る・出会うことで環覚が養われていきます。また、その季節の気温や空気感が対象のバックグラウンドや奥行きになり、存在感や興味を確かなものにしていきます

 飛鳥の駅で降りると、遠くに薄墨色の山並みが広がります。「やさしい緑」の近景から、紺が濃くなり、「薄墨色が空に溶け込む」遠景まで、日本画の濃淡が広がります。「薄墨色」を「文字で覚える」のと、「春の雲と山際の風景で覚える」のでは、子どもたちの印象やその後の感覚・感性の成長展開は大きく異なります


 駅前に目を戻すと菜の花がきれいに咲き、桜のつぼみが膨らみかけています。「菜の花」は理科のテキストの「花のつくり」のイラストでよく見ますが、黄色だと知っている子は居ても、花を手に取り、花弁やガクやおしべ・めしべのしくみにていねいに目を留めた子はほとんどいないでしょう。
 ありふれた道端のタンポポに近寄り、頭状花序の実際を目にした小さな驚き。「よく似たハルノノゲシとオニノノゲシの区別」。「舌状花と筒状花への展開」。それらの観察・学習経験の有無によって多様性の認識や学ぶおもしろさへの道程が大きく異なります

 「タンポポの花のしくみ」のイラストが脳裏にあっても、それは「テストの解答」でしかありません。可憐ではありません。かわいさや健気さ・美しさ・おもしろさ・ぼくたちと同じく生きていることとは何の関係もありません。「生きていることとは何の関係もない学習対象」。果たして子供たちは学ぶ必要を感じるでしょうか? 
 そして、「菜の花は春にきちんと野外で見る」から意味があります。人工照明でない光の強さ・陽の照る長さを感じるようになってはじめて、「植物が光を読んでいること」がわかります。その「新鮮な驚き」によって、興味をもちにくい社会科の促成栽培や抑制栽培・電照菊への理解が行き届きます。

 さらに、まだ咲いていない桜の花の芽と葉の芽を実際に見ます。子どもたちは花の咲いていない木に、ふだん目を向けることなどほとんどないかもしれません。しかし、それぞれの季節にそれぞれの姿で生きていることに気づいてこそ、学習と日々の生活が豊かに推移します。
 「冬芽」も生きている姿の一面です。生命をつなぐための仕業です。その認識を経て春の芽吹きを感じることで、「植物の冬越し」の学習が意味をもち、親近感が立ちあがります。土筆ハイクの存在理由です。こうして何気ない道端のタンポポやスミレが子どもたちの心と「学ぶおもしろさ」を養います。

じゃあ樹木は何? 双子葉植物の草はどうして太くならないの? 
 「発芽のようすと発芽の条件」・「根・茎・葉のつくり」の学習単元では双子葉植物と単子葉植物の区別が顔を出します。団のお母さんやお父さんはお医者さんや学校の先生も多く、小さいころ結構勉強して、「勉強のことをおぼえている方」ばかりです。

 かつて学習した双子葉植物と単子葉植物のありふれた単元。単子葉植物はイネやトウモロコシ、双子葉植物はアサガオやヒマワリが定番です。単子葉植物は「ひげ根」で子葉が一枚、平行脈。双子葉植物には主根と側根があり、形成層に沿って維管束が位置し、形成層では盛んに細胞分裂が行われる・・・というような学習内容を、かんたんなイラストとともに頭に入れていきました。テストに出題されるからです。当時も今も同じです。
 その分類で出てくるのは「『草』ばかり」です。教えられるまま、それらの暗記を繰り返し、「じゃあ木はどうなのか?」「タケはどうなのか?」「大根やニンジンの根のあの太さは、ずいぶんイラストとちがうじゃないか?」というような、子どもが抱いて当然の質問は浮上することなく、封印されたままで解凍されません。疑問や不思議を抱かないまま、「好奇心がはじける」はずの子ども時代が無意味に過ぎていきます。ほとんどみんながそうです。

 「学習対象は本来身のまわりに存在するものばかりで、周囲は無限で永遠のワンダーランドであり、かけがえのないテーマパークである」。それに気づいて「大成」したのがニュートンであり、ファインマンであり、ファーブルであり、エジソンであり、マクスウェル。そして数々の偉人たちです。抽象媒体から「大成」が始まったのではありません。それとは真逆の方向性こそ「偉人への道」でした
 「単子葉植物や双子葉植物を植物全体に導く指導」を先述のお母さんやお父さんに披露すると、いつも返ってくるのは、「そうして習ったことがない、思い浮かばなかった」という驚きです。学習事項がテスト対策に集約されて、イメージや発想の飛躍が小さいころに閉ざされてしまっている何よりの証左です。「当たり前の子ども時代」の喪失です。

 単子葉植物・双子葉植物はともかく「草!」の区別であり、樹木の区別は「蚊帳の外」。これで「環境を総合的に立体的にとらえる」あるいは「逆に抽象できる発想がはたらき、イメージが形成される」でしょうか? 学ぶおもしろさが広がるでしょうか? これらの学習指導では、いつまでたっても学習(勉強)はテストのための道具の地位から脱出できません。

 双子葉植物・単子葉植物という区別の発想が樹木にも広がると、双子葉植物の形成層の存在に疑念が生じます。「なぜ『草』は太くならないの? 」。草本と木本の区別がそうして意味をもち、腑に落ち、植物の見通しがよくなります。次の学習ステージとさらなる飛躍・科学者の道へのいざないです。

 
 このように考えを進めると、「現在の学習スタイルが『多くの天才』を闇に葬ってしまっているかもしれない」という可能性が見えてきませんか? 現状を何とかしなければならない。そう思えてなりません。 
 さて、飛鳥の駅前で、米作りでお世話になっている前川さんのご厚意で自転車を安くレンタルし、飛鳥「土筆ハイク」の周遊も無事終わりました。今回はアスカルビーのいちご園で「いちご狩り」も楽しみました。

 前から気になっている平田の集落横の小川でザリガニとフナ釣りもチャレンジしたのですが、寒かったようで残念ながら釣果はゼロでした。しかし飛鳥川のいつもの遊びポイントで、川底の泥を掘り返し、希少品種の「アジメドジョウ」三匹とドンコ・川エビを捕獲しました。川魚たちの冬越しも少し身近になりました。ザリガニとフナ釣りは、次回「デッカイ筍掘り」の時にリベンジです。


勉強のできる子を育てるには⑲

2017年03月18日 | 学ぶ

立体授業「巣箱づくり」
 四年前に団員諸君と巣箱づくりをして、軒下や植え込みの樫の木につけたら雀が営巣をしたことをお伝えしました。チュン吉とピー子(仮名)の夫婦がやってきて子作りをしたこと、おそらく、その年2回目の営巣だったので卵一個しか生まれなかったこと。
 今年も木材を用意し、それぞれ巣箱を作ることにしました。「巣箱づくり」と聞けば、「おもしろそう?」としか反応しない人がほとんどだと思います。その過程で、「子どもたちはどんなことをおぼえるか、学んでいくか、また教えておかなければならないか」を今日はお伝えします。

 今はぼくらが小さいころふつうに使っていた(使えていた)道具を手にすることもほとんどありません。使い方はもちろん、用途もはっきりわからないでしょう。たとえばノコギリです。あるいは、キリやドリルやドライバーと木ねじです。そして金づちとくぎ。
 巣箱づくりをしようと思えば、これらの道具は用途や使い方を理解し正しく使えなければなりません。ところが、最近は「手がかかること」や「けがをする恐れのあること」から離れ、それらすべて人任せ・店任せです。そこから始めます。すべて自分でできるようにするのが目標です。

 なぜか? 子どもたちはそれらを克服すること、自ら作りあげる(られる)ことで自信やプライドを身につけていくのです。巣箱をつくりたければ、ほしければ自分で考え、苦労しながら手に入れるべきです。それをさせないから、口ばかり達者で、そのくせ一人では何もできない「裸の王様」が育つのです。さらに最近の王様は、裸でさえなく(!?)、きれいな服をたくさん用意してもらっているようなありさま。
 これらの現実に冷静な目を向け、現在の指導や教育の『異常』に気づき、大きく指導方法の転換を図った時、例えば難関校や難関大学への「受験!学習」さえも誰を頼りにすることなく、一人で乗り切れる若者が育ちます。ひとりで乗り切れること。一人で生きていけるように育てること、それが教育の基本です。

設計図から
 まず、巣箱の「設計図」を用意します(写真資料はpref.tottori.lg.jpより)。
 別紙の資料を見せ、用意した板に、鉛筆と定規を使って展開図を書き写すところから始めます。なお、1年生から5年生までですが、ほとんど手伝うことはしません。もちろん説明はしましたが、前回「ゴムでっぽうの製作」で「設計図の型取り」は経験済みです。今回はもう一つ「枷」(ハードル)を用意しました。

 別紙の展開図の板の長さを必要分用意しなかったのです。用意したのは九十センチ。つまり、長さを考え今日はどの板(部分)を切り取るかを考えさせるようにしたのです。出来上がりのどのパーツかというイメージの「呼び起こし」です。算数の授業でよく目につくのですが、最近の子は「立体視」のイメージがわきにくい子が多いからです
 これは外に出て体を使ったり、木登りなどのいたずらや「抜け道遊び」などで、自らのからだを使って、上から下からと「実際に様々な方向からの視点でものを見る経験」が少ないことが大きな原因のひとつでしょう。こうした機会に少しでもそれらの不足を補うしくみが必要です

 現在はコンピューターグラフィックなどで指導補強することも出来るかもしれませんが、実際に自らのからだを使っての視覚や視点という経験がなければ十分とはいえないのではないでしょうか。ともあれ、こうした経験知が一つ一つ、子どもたちの成長のための財産や「力」の源泉になっていくことはまちがいいありません。
 材料に対する「型取り」は、最上級生の五年生はもちろん、四年生・三年生まで、口頭の指導だけで十分対応できました。

ノコギリで切る
 次は、「型取り」した材木の切断です。木工作業は今回が初めてではなく、今までも竹トンボや弓矢づくり等で体験しているので、のこぎりやナイフの使用はすでに経験しています。しかし、まだ回数は少なく、小さい子たちは「ノコギリは押すときにではなく引くときに力を入れる」という要領がまだ身についていません。板に対する刃の角度も大きくとりすぎたり、途中で面倒になって雑に扱うので、刃が引っ掛かって板が割れたりというアクシデントも起きます。

 字面ではなく、実際に手掛ける作業ではハプニングや失敗を通じて多くのことを学べます。ぞんざいに扱って板が割れれば自分だけが作れなくなります。でも、それは誰のせいでもありません。「自己責任」です
 つくりたければ丁寧に、我慢強く作業をしなければいけない。また、割れた板を、どう修復するか。接着剤を使って再生するのか、それとも、もう一度切らなければならないか、あきらめなければならないのかの判断も問われます
 指導で考えなければならないことは、「こうした経験が他ではできない」ということです。バランスの良い成長を考えれば絶対必要なことなのに、多くの子が「塾通い」や「ゲーム狂い」で、たいせつな小さい時期を無駄に過ごしてしまっていることが多い、ということです。
 もう十数年前になりますが、知人が「よい塾はないか」と問われ、「田植えや課外学習なんかを大切にして、子どもたちを育てている良い塾があるわよ」と答えたところ、そのお母さんが「うちの子は勉強だけでいいのよ」と答えたということがありました。
 団が良い塾かどうかはともかく、指導や教育方法、その内容や指導要領について調べもせず、見もせず、よく考えもせず、という選択は、果たしてほんとうに子どものためを思う、考えている行動か。もう一度よく検討する必要があるようです。

 さて、ノコギリを使う作業でうれしかったのは三年生の時に入団した最上級生(5年生)がすばらしく早く終え、下級生を指導したり手伝ってくれたことです。体験入学で見学に来られていたお母さんが「大きな子たちがみんなやさしいのにびっくりした」とおっしゃっていましたが、5年6年になると、団で育った子たちは全員こういうふうに育ってくれます。
 社会に出てリーダーシップが執れるには、「自らのするべきことをきちんと素早くでき、他の人の応援ができる人でなければならない」と考えているので、こうした観察評価がぼくの大きな喜びです。観察力鋭く、客観的で冷静な視点が、「きちんとした子育て」や「より良き成長」には不可欠である、ということが育っていく子どもたちの成長ぶりを見ていると、よくわかります。客観性がなければ指導するポイントがわからないから子どもたちにも反映できません

電動ドリルを使う
 今回は子どもたちの作業の簡便さや使いやすさで輸入物のファルカタ材だったので柔らかく、釘打ちや木ねじで割れる虞がありました。その失敗を防ぐため釘や木ねじを使うところはドリルで穴をあけます。今回これが一番心配な作業でした。しかし団の作業慣れした子どもたちには全く杞憂でした。ぼくが手本を見せると、小学一年生まで、全員上手にできました。

 ケガをしないように使うには、集中力と力の入れ方・抜き方の要領が身に附いて居なければなりません。集中力は、もちろん学習にも必要です。こうした作業を通じても集中力が養われるということは子どもたちを指導するみんなが知っておかなければならないことだと思います
 巣箱づくり。採寸し、ノコギリを使い設計通りにきちんと切り、イメージを追いながら、その部材をそれぞれ角度を合わせ組み立てる。どこに穴をあけ、釘を打ち、ドライバーで丁番を取り付け・・・と、どれだけ想像力や集中力を養えているか。もう一度学習と成長をそういう眼で見直す必要があるのではないでしょうか。
 「まだ何も身についていない子どもたちにとってすべてが学習である」ということが忘れられています。机に座ってする学習は学習の一部です。それ以外にたくさんの体験や経験値があって立体授業が成立します。「田植えなんか」という「上っ面判断」ではなく、模擬テストの点数や偏差値の数値の「隠れた土台」は、「子どもたちの生きていること、日常生活すべてである」という見通しができた時、子どもたちは大きく育ってくれます。

 今、シナリオの手習いをしていることは伝えましたが、その関係で読んでいる本で興味ある一節が目につくことがよくあります。シナリオの学習そのものより、学習指導の方にばかり目が行ってしまうのは因果な性分です。「3年でプロになれる脚本術」(尾崎将也著 河出書房新社 引用はp67~68)、当初タイトルから敬遠していたのですが、創作研究にはなかなか実践的で良い本です。その中の一節。縷々ストーリー作りの説明の後、
 
 ストーリーとはこういうもの、という「知識」をいくら仕入れたところで、なかなかストーリーが作れるようにはならないのです。それは所詮、前に述べた「自転車の構造を説明されても自転車に乗れるようにはならない」とか「自転車に乗っている人が身体を何度傾けている、というようなデータをいくら知っても自転車に乗れるようにはならない」というのと同じことなのです。
 
 抽象的な知識をいくら集めても「走れない」「おもしろいことは始まらない」「使えるようにはならない」。ところが、子どもたちは抽象的な方にばかり埋没するように勧められて、どれも結局使い物にならない知識が多くなってしまっているのです。よく言われる「三角関数使うか? 根の公式が役に立ったか?」というあれです。

 二日間かけて子どもたちは全員巣箱を完成しました。あとは餌台と水飲み場を用意して、小鳥たちがたくさん集まってくれるよう、ぼくが応援します。なお、巣箱を取り付ける位置はみんなでいつもやっている「釘立て」の勝ち抜きで場所取りをしようと思っています。なお、巣箱にはそれぞれ表札をつけることにしました。小鳥たちが営巣してくれたら、また報告します。


勉強のできる子を育てるには⑱

2017年03月11日 | 学ぶ

新学期・新入生に
「三訓」の伝達
 団の新学期は二月です。新学期にはぜひ伝えておきたい(おかなければならない)ことがあります。まず、団のルールです。
 「嘘をつくな・狡をするな・楽をするな」。
 「嘘をつくな」。嘘は「諸悪の根源!」なので、なじみがあり理解しやすいと思いますが、もうひとつ大切な意味があります。それは「身体や健康への影響」です

 ひょんなことから病院の仕事にかかわるようになり、「身体や健康の勉強」を始め、健康維持の根幹である自律神経のはたらき学ぶにつれ、「嘘をついてはいけない」捨て置けない理由に気づきました。「嘘」をつくことが多くなると、それが露呈しないように気づかう、またバレないように嘘に嘘を塗り重ねるという日常になりますから、交感神経の必要以上の緊張が続きます。ストレスです
 「ストレスといえば仕事」と、単純に結びつけられることが多いと思いますが、こうした「日常の精神作用」でストレスをため込み健康を害してしまうことも多いのではないか、とぼくは考えています。今は「澄明な心!」がどうも忘れられがちのようです。
 子どもの時から、そうした「裏表」のある生活を続けていると、心も曇りがちになり表情や容貌にも大きな影響が出てくるようになるでしょう。テレビのニュースやマスコミの報道で、「ああ、この人は嘘多く生きてきたんだなあ」と感じてしまう表情や目つきを見たことはありませんか?
 子どもたちには、『笑っている脳が見える!』ような明るい笑顔とともに大きくなってほしいものです。その笑顔がより良き成長にとどまることなく、夢多い社会もつくっていくだろうと想像しています。

 狡をするな。「狡」は、本来あるべき努力や成果に対して、手抜きをしたり、表面だけを取り繕う仕業です。結果的に、人や社会や組織に対する「裏切り」であり、人間関係を大きく損なうものです。強固な信頼関係も築けません。社会の根幹を揺るがすものです。小さなころからこうした原則はきちんと教えておかなければなりません。
 楽をするな。できるだけ「楽なように」「手がかからないように」というのがおしゃれで正しい方向、「求められるべき未来」というのが昨今の風潮のようです。ぼくはそこが「諸悪の根源」だと考えています。ぼくたちの身体や成長・進化のシステムは、「発達を阻害するもの・敵対するもの」に対して、克服したり駆逐したり凌駕したりすることで生命の存続を可能にしてきました。免疫や廃用萎縮のしくみを考えても、その事実が明らかです

 つまり、「楽をする」方向は、ぼくたちの発達や健康を維持する方向とは真逆の方向になるわけです。逆に、少しずつ負荷をかけることで維持や発達が促されます。これが生きていくことの正しいしくみです
 また、ふだんから「シンドイ想い」や「つらい思い」をしているから、「楽がうれしく」一生懸命努力しているからこそ、たまの遊びや息抜きを心から喜ぶことができます。「楽」から始めれば、「楽」を感じることはできず、それ以上楽になる方向しか進みようがありません。その先に待つのは、さらなる「楽」を求めるための方法、「手抜きとサボること」しかありません。社会の底辺に流れている無意識の風潮になり、子どもたちにそれらが浸透すれば大問題です。団のたいせつな三つのルールです。

 ところでもう一つ、ふだんから子どもたちに注意していること、それは「コソコソ内緒話や隠しごとをしないこと」です。意見や注意をするなら正々堂々とやるべきだし、それに応えるときには正面から反論すべきだ。ということです。そうでない日常の習慣がいじめの温床になっていることも多いのではないでしょうか。

なぜ、勉強するの?
 次にたいせつなこと。子どもたちに「なぜ勉強するの?」と問いかけます。
 当たり前のことを、きちんと考えてほしいからです。多くの子どもたちは、どうして勉強するのか考えないまま、言われるまま「しんどい勉強」をしています。だから、よけい「しんどい」のです。
 ふだん、子どもたちは入試のためや、成績が良くなるため、良い会社に入るため等という理由で勉強(学習)するよう求められているはずです。ところが、これらは決して勉強すること(学習)の最終目的たり得ない、ということに気づきませんか?
 入試のためであれば合格すれば終わりです。成績が良くなるためであれば通知表の評価がよくなれば達成です。よい会社に入るためであれば、運よく就職できればゴールです。いずれも、その先がありません。つまり子どもたちは学習(勉強)する意味・最終目的が分からないまま勉強しているのです。
 ぼくは、そこに、「学習(勉強)に対するモチベーションがあがらない大きな原因」が潜んでいると考えています。まず、子どもたちに「なぜ勉強しなければいけないか」をきちんと考えさせるべきだと思います(もちろん親も先生も)

 考えるきっかけをつくらないと考え(られ)ません。そういうきっかけがないまま、次第にうやむやになって勉強が進んでいるのが実情でしょう。だから、疑問が発生した段階で、とってつけたように、「学校に入るため」だとか、「頭をよくするため」だとかの、中身がなく、説得力のない理由に終始することになっていくのです。
 「なぜ勉強しなければいけないか」を、親子あるいは先生と生徒で問題共有すれば、日常ことあるごとに、それがたいせつな理由が浮かんでくる、見えてくるはずです。「最初は」抽象的な理由でも、自分(たち)なりに、きちんとした理由に結論していくはずです。それが、学習するモチベーションの応援歌になります

 じゃあ、団ではどうしているか。まず「知っていくこと、考えていくことはおもしろいことが増えることだ」と伝えます。どのようにでしょうか。今日はそのしくみを紹介します

生身と人体模型と骸骨
 写真は団の4年生・5年生の指導に使用する国語の教科書です(「白石先生の国語3ステップでわかる文章読解」白石範孝著 学研教育出版)。取り上げられている文章が、子どもたちの興味を引きやすく、すすめ方もオーソドックスでよい教科書で、よく使っています。

 例示の引用部分は、犬の先祖の話、「大昔の犬は、どんな動物だったでしょう」という問いかけで始まります。「それは狼で・・・」という説が簡潔にまとめられているのですが、この文章をそのまま紹介し、問題解答するだけでは、あくまで断片的で、「知ることがおもしろい」まで至りません。納得させられません。そこで、もっとおもしろくなるためにどうするのか?
 僕はサブテキストを自ら作成し、用意し、その事実の奥行きを紹介していきます。何事もおもしろくなるのは「プラスアルファ」によってです。表面だけのおもしろさは底が浅く、その奥にこそおもしろさが隠れています。そのおもしろさが子どもたちを次のステージに誘います

 しかし市販の学習書やテキストの多くは、やむを得ない部分もあるでしょうが、たとえばきれいな洋服や笑顔や表情をはぎ取り、ふくよかな姿をわざわざそぎ落とし、いわば骨格、骸骨を紹介しているだけなのです。その欠落を補わなければなりません。
 表情豊かできれいだから好きになったり、よく知りたい、お友達になりたいと思うのです。骸骨を好きになる人はいません。表情豊かな「姿」や「後姿」も見せなければなりません。魅力ある横顔、おもしろい一面を紹介しなければなりません。
 以下は作成し、使用したサブテキストの全文です。このテキストにスライド映写(紹介は一部)を加え、講義しました。なお、以下のテキストの作成につきましては、次の書籍のアイデアや資料を参考にさせていただきました。心より御礼申しあげます。
 
イヌ J・C・マローリン著 岩波書店・ネコの歴史と奇話 平岩米吉 著 築地書館・動物と人間の歴史 江口保暢 著 築地書館・猫になった山猫 平岩由伎子著 築地書館・人気の犬種図鑑174 佐草一優 著 日東書院・人気の猫種図鑑47 佐草一優 著 日東書院・ネコのこころがわかる本 マイケル・W・フォックス著 朝日文庫・イヌのこころがわかる本 マイケル・W・フォックス著 朝日文庫・イヌはなぜ人間になつくのか 沼田陽一 著 PHP研究所・小学館の図鑑NEO動物・小学館の図鑑NEO大むかしの生物・21世紀こども百科宇宙館他

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イヌとネコは同じ祖先
 イヌとネコはどちらも食肉目に分類されますが、姿形はまったく違います。ところが、実は共通の祖先から生まれたものなのです。恐竜絶滅後、今から約6000万年前頃から4000万年前に棲息していた「ミアキス」という動物です。
 例示の系統進化をごらんいただくとおわかりのように、イヌもネコも、このミアキスから進化したものです。現在の動物では、ジャコウネコ(シベット)がいちばんミアキスの特徴をよく伝えているといいます。ネコ科ではほかにマングース、ハイエナ、もちろんライオンやトラもネコ科です。

 一方イヌ科の方は、やはり約3500万年前からアライグマ科が分かれ、イタチ科がわかれ、当初共通だったキツネやオオカミ・イヌのイヌ科から2500万年くらい前にクマ科が分かれて、今のような動物分類になったといいます。
 約3500万年前のネコ科とイヌ科との分岐点にはアエルロイド(ネコに似たミアキス)とキャノイド(イヌに似たミアキス)という動物がいたのですが、これらの行動の相違がイヌとネコの大きな性格の違いを形づくったのだと考えられます。

 樹上で生活していたミアキスとは異なり、キャノイド(イヌに似たミアキス)は広い草原地帯に出て生活を始め、一方アエルロイドは森林地帯に残って生活をするようになりました。現在のトラを始め、森の中に残ったネコ科の仲間の身体には斑点や縞模様があるものがほとんどです。これは自由に走り回れない森の中で狩りをするには単独で、身を隠してこっそり獲物に近づかなければならなかったからです。また、鋭い爪は、長く走れないネコ科の動物が相手を逃がさずつかまえ、素早く致命的な一撃を加えるために進化したものです。

 左上の写真はトラですが、動物たちは人間のように色がちゃんと見えません。ネコ科の動物たちはすべて、森の中で身を隠すのに絶好の模様になっているのがよく分かります
 また、やがて草原で暮らすようになったライオンを除き、ネコ科の動物たちは単独で狩りをします。森の中で獲物を追うときは「群れ」で走れません。森林の中ではそれほど大きい動物もいませんから、主に自分たちより小さい動物を餌にするようになっていきました。
 ネコ科の動物たちは、こうして長い距離は走らず、走力的にも狩猟方法からも大きく移動できなくなったのです。テリトリーが限られるので、ある程度成長するとすぐ、縄張りを追い出され、自分の縄張りを見つけなければなりません。ネコが独立独歩で、自分のペースで生活するのはこういう進化の過程があるからです。

オオカミはどうしてイヌになったのか
 一方のイヌは、現在キツネやオオカミ・ジャッカルと同じ仲間に分類されていますが、直接の祖先はオオカミの系統だといわれています。かつてはジャッカルもイヌの祖先に数えられていたのですが、オオカミとイヌの雑種には繁殖能力があること、血液の類似性から、今は「オオカミ起源説」が最有力になっています。
 もちろん世界には、地域ごとにさまざまなオオカミの仲間がいます。イヌの祖先は同じオオカミでも、大型のヨーロッパオオカミではなく、中型のアジアオオカミだろうといわれています。

 しかしシベリアンハスキーやシェパードならともかく、チワワやブルドッグ、体高が1メートル近いセントバーナード等、「本当にオオカミが祖先なの?」という声が聞こえてきそうです。
 実は、現在人間の家族の一員として生活しているたくさんのイヌたちは、どの種類も、人間がある目的と意図で8000年から10000年以上をかけて交配・淘汰し、改良してきたものなのです。特徴あるそれぞれのイヌの特質を考え、猟犬・番犬・牧羊犬・愛玩犬など、用途に合わせて何代にもわたって交配しつくりあげたものです。
 ところで数万年前の原始時代、食うか食われるかの関係の中で、オオカミがどうして「イヌ」に馴化されたのか。
 今は絶滅してしまいましたが、この頃は「サーベルタイガー(剣歯虎)」(スミロドンが代表)などの猛獣があちこちに数多く棲息していました。
 彼らにとっては、足が遅く鋭い牙や爪もない人間は格好の獲物だったはずです。火は利用していたものの、いつおそってくるか分からない猛獣たちを恐れて、私たちの祖先はゆっくり眠ることもままならなかったかもしれません。

 一方、オオカミたちにとっては、知恵が発達していて大きな象まで倒してしまう人間の食料の残り物は格好の餌だったにちがいありません。さらに彼らには人間にはない鋭敏な感覚があり、音もなく近づいてくる猛獣たちもすばやく察知することができました。彼らの吠え声によって、人間はその接近を知ることができました。
 また、オオカミたちは愛情深く、集団で狩をし、子どもたちや老犬にも平等に分け前を与えて生活します。原始の人たちは人間とよく似ている彼らの性格に親近感を感じ、またその長所を考え、次第に餌を与えるなどして飼い慣らしていったのでしょう。いわば、イヌの祖先は人に心休まる瞬間をもたらした初めての動物だったといえるかもしれません。

 イスラエルの約一万二千年前と考えられる遺跡から子イヌを抱いて埋葬された人間の骨が出てきていますが、メソポタミア地方だけではなく、その頃までには、世界中のあちらこちらで同様に、イヌが家畜となっていたことが想像できます。
 ここで、ネコとイヌの相違を知る意味からオオカミの習性について、もう少しふれておかなければなりません。先ほどのネコ科とはちがって、オオカミの仲間は集団狩猟をします。集団狩猟の特徴は、自分より大きな獲物も捕まえることができますが、リーダーの統率の元に、意思の疎通を図り、力を合わせなければ獲物に逃げられ、狩は失敗するということです。これが単独で狩りをするネコ科と集団狩猟のイヌ科の大きなちがいです。彼らの性格の本質的な違いはこうして生まれてきたと考えられます

 またオオカミの狩りの方法は、ネコ科のように「待ち伏せ」したり「不意打ちする」のではなく、獲物の群れをじっと観察し、ターゲットを決めたら「群れ」で追いかけ続けます。獲物が疲れたところをかみつき、倒してしまうという方法です。エスキモーの犬ぞりやドッグレースのグレーハウンドなどで見られるイヌたちの走る能力はこうした生態とともに身についたものです。

 ちなみにグレーハウンドは500mを約32秒で駆け抜けることができます。人間のオリンピック選手は100メートルが10秒弱で、その速さで500mも走れるわけがないですから、イヌにはとてもかないません。長距離でも野生のイヌは時速9~10kmで二日間走りきることができるという報告や、2~3kmを時速45kmと人間の約2倍の速さで走りきることができるという報告もあります。

 「猫と犬が親戚だった」という逸話や「『森のなか』と『広い平原』の生活パターンの相違が、それぞれ独特の進化を促した」という話は、「『骸骨』を「きれいな人」に変えてくれたでしょうか。あるいは、子どもたちの学習の「心地よいBGM」になってくれたでしょうか。こうした日々が続いていきます。


勉強のできる子を育てるには⑰

2017年03月04日 | 学ぶ

白いキャンバス 
 年老いた母のようす伺いに、久しぶりに実家に帰りました。シナリオの「手習い」をやっていることは、先日伝えましたが、何か参考になる本を探そうと物置を「ゴソゴソ」やっていると、書いたことさえ忘れていたウン十年前の「習作」が出てきました。

 仕事をする傍ら通信教育で、シナリオの勉強をしていたときの赤茶けたテキスト集、そのなかに、課題実習で提出したシナリオが見つかったのです。最初にして、現在のところ最後の作品です。「ライフワーク 白いキャンバス」。
 今見れば、何とも気恥ずかしいタイトルをつけたものですが、自分は何をするべきか、自分には何ができるのか、何が残せるかと悶々としていたころで、生を表現できる道を一生懸命探していた。そこから生まれたタイトルだった。都合で継続できなくなり、そのあと写真を撮りだして・・・と、にわかに古い記憶がよみがえりました。

 こっぱずかしくて少し読んだだけですが、「映画も満足に見ていない!」時のものですから、観念的も観念的。ただ書くことに憧れて、それらしいものを書き上げた、というだけです。よくこんなものを提出したもんだ(でも記憶によると、きちんと課題提出したのは、ぼくを含めて二人だったようです)と慚愧しきりです。「初心者指導の添削の格好の材料」にしかなりません。
 たとえば、今のぼくが指導教官なら、「勉強不足だよ、まず・・・
 
 シナリオを書くためにはどんな勉強をしたらよいか? 僕はまず、世界の優れた小説や戯曲をよく読むことだ、と言いたい。そしてここで強調しておきたいのは、よく読むというところにある
 寝ころがって、興味本位に読み飛ばしては何にも身につかない。紙背に徹するという言葉があるが、そういう心がけで読むことです。なぜその小説や戯曲が優れているか、それを読んで沸き上がってくる感動は、どこから生まれてくるのか、作中の人物や事件を描くために、作者がどれ程の情熱を持ち、細心の用意をもって臨んでいるか、それが読みとれるまで徹底的に読むことです
(「黒澤明の映画入門」都築政昭著 ポプラ新書 p94 黒澤明の言葉より 下線は南淵)

 

「シナリオを安易に考えすぎだよ、・・・

 第一作から映画化を目ざしてメロドラマを書いたり、映画で見まねの甘っちょろい恋愛などを書くような心がけではシナリオは書けるようにはなりません。すぐれた芸術家のだれもがいっているように、心の底から書きたいと思う情熱が溢れ出ないままには、なにをどう書いても他人を感動さすことは出来ないし真実は書けないのです。(「シナリオの話」 新藤兼人著 現代教養文庫 社会思想社 p13~14)
 

 「登場人物が類型的だよ、キミのは。立ってません・・・
 
 例えば、主人公は幾つで、どういう環境に育ち、学歴はどこまでか。両親兄弟、親戚の人はいるのかいないのか。過去にどういう生活をしていて、今は幾つで何をし、どこに住んで、どういう所で働き、どれくらいの収入を得ているか。奥さんはいるのかいないのか。恋人はどうなのか。子供はどうなのか。上司にはどういう人がいて、友人にはどういう人がいるのか。タバコを吸うのか吸わないのか。酒は強いのか弱いのか。どんな癖があり、一体今は何を考え、したくて、どうしようとしているのか。等々。(「シナリオの設計」国弘威雄著 映人社 p54)
 作者は、求められればその人物について出生より現在に至る履歴書を示すことができるほど、その人物のすべてを熟知していなくてはなりません。外観のイメージにおいても、たとえば、(略)イプセンの言葉の一部のように、「どんな姿勢で立ちどんなふうに歩くか、どんなジェスチュアをしてどんな声をしているか」頭のてっぺんから爪先にいたるまで、明確なイメージをもつ必要があります。そこまで作者は自らの手で創り出した登場人物に対して責任と愛情をもたなければいけないのです。(「シナリオ作法考」その二十講 鬼頭麟兵著 宝文館叢書p113 下線は南淵)

 そして、「シーンの未熟なこと、この上ない」惨状には、 
 
 まず、このシーンはどういうことを書こうとしているのか。どういうことが必要なのか。まずそれを簡単に書け。簡単に書くということは、何を書かなければならないか。何を表現しなければならないかを、掴んでいないから詰まるのであって、それをはっきりさせるためにも、まず簡潔に書いてみろ。それからそのシーンを考え直して、説得力のあるものに書き直せ・・・。(「シナリオの設計」国弘威雄著 映人社 p37) 

 さて、こういうふうにたどっていくと、受動的ではなく、自ら進める「学体力」さえ身に附けば、シナリオの教習書や指導書にも良いものはたくさんあり、それらのノウハウを身につけることで自学も十分可能になることがわかります。他の多くの学習も、良い指導書をじっくり読める学力と根気(学体力の要素)があれば、テクニックや方法面は自家習得も十分可能です
 このように子どもたちの「受験勉強」の機会も、その後の人生の、「自ら道を切り開く」力、学体力もつけられる、よいトレーニングであるという視点と意識で経験はずいぶん変わります。現状の指導を見ていて、それらの視点から見る指導が今後ますます必要になってくるのではないでしょうか。

 「どこか・だれかに頼らなければ何もできない」子になるほど、可能性の道は鎖されます。子どもたちの「白いキャンバス」はどんどん小さくなります。少し厳しくても、指導はすべて「子どもたちの成長」のためです。自ら切り開く学習指導への方向転換。シナリオの習作について、新藤兼人はこう云います。

 一旦書きはじめたら、どんなことがあっても中途でよしたりはしないことです。くせがつくのです。第一作で腰を折ると第二作でも腰を折ります。書いていくうちにつまらなくなってもとに角書くことです。第一作はなんとしても「終」という字を書いてしまわねばダメです。(「シナリオの話」新藤兼人著 現代教養文庫 p16より)

 自学の継続と「挫折」への警告です。これらは、シナリオだけではなく、夢をかなえるための基本中の基本として、子どもたちに伝えようと思っています、自戒とともに。

お母さんとは
 新藤兼人は別の著書(「シナリオの創造」映人社)で、二人のお母さんのことを振り返っています。
 新藤家は彼が子どもの頃は大きな農家で、見渡す限りの広い田んぼの何千株、何万株の田起こしを、次の麦を撒くためにお母さんが一人で、家事の空き時間を利用して、毎日黙々とこなしていたこと、そして、シナリオを書くときにいつも着ている古い「半天」のことに触れます。
 

 その半てんのことなんですけれど、これは私が十歳ぐらいのころ、母がこしらえてくれた久留米絣の着物なんです。その着物は少年の着物ですから、つつっぽの袖なんです。私が十五の時に母が死にましたものですから、(母は私に)袖のヒミツは言わなかったのです。母が死んだころ私の家が倒産しまして、非常に貧しい生活をしなきゃならない事になりまして、その着物をつつっぽのまましばらく着ていたのですが、青年になっても、着物を買うことができなくて、困っているときに、兄の嫁が、その着物に袂が縫いこんであるのを発見したわけです。それでつつっぽから袂が縫いこんであるのを出して、大人が着れる着物にしたわけなんです。母は死ぬ時に、つつっぽの袖には袂が縫いこんであるからいずれ出して着たらいいなんてことはいわなかったんですね。私が十五の時、(自分が・南淵注)死ぬとは思わなかったんでしょう。いずれそのうち袂を出してやろうと思っていたんだろうと思います。(前記書p8)
 

 新藤はこうした想い出に触れながら、
 
 親というのは子供を育てる義務があると思うんです。みんな順ぐりにそうやってきたんだから育てます。子供はただの生き物から人間に育っていく中では、劣情の塊りみたいなもんで、人間形成していく中では、あちこち欠点だらけのものだと思うんです。それがだんだん修正されていくわけなんだけど、それは親が責任を持ってやるんだと思うんです。
 
 「責任」とありますが、ここからは「子どもの人格」云々等という現代風の「観念的な子育て」の姿はまったく見えてきません。ただ子供を気遣い、先行きをねがうだけの奥深い気遣いが見えてくるだけです。新藤兼人も、それを云いたかったはずです。この後新藤は彼が撮った盲目の津軽三味線の名手高橋竹山の映画、「竹山ひとり旅」で竹山を取材して「発見した」彼のお母さんの姿を紹介しています。ここにもひたすら子供のためを思ったお母さんの姿が見られます。
 
 高橋竹山を、どうしてお母さんはボサマ(乞食遊芸人・南淵注)の弟子にしたかといいますと、この子は貧しい農民にもなれない、だからこの子が生涯、食っていけるためにと思ったんです。この子を名人にしたいと思ったわけでもなんでもないんです。お母さんにそういう発想はなかった、お母さんはそういう人ではないんです。お母さんは大地とじかに、冷たい雪や氷や、荒れた自然とたたかっている農民なので、その自分の生活とたたかうことには十分なエネルギーや勇気をもっているけれど、この子を名人に教育したいと思う考えはない。ないけれど、これがすばらしかったと思うんです。お母さんがそういうふうに思ったということがですね。高橋竹山が後になって名人になったというのは、彼が生きた結果であって、名人にならなくてもいいわけです。彼がお母さんのやってくれたことで生きることが出来ればそれでいいんで、名人というのはおまけなんです。彼の生活そのものが充実していたから名人になったわけです。お母さんはひたすら竹山が生きることだけを願ったんです。(前掲書p18~19 下線は南淵)
 
 どちらのお母さんも、子どもが生きていけることに一生懸命思いを凝らし考えていた姿が名映画監督と名人を育てたというところを、現在を生きるぼくたちは考えてみる必要があるのではないか。経済的余裕(金)でもないし、学校でもないわけです。どんな中でも、ひたすら子どものことを想い、願う気持ちが立派に育てあげたのです
 尚、「お父さんではなく、なぜお母さん」という疑念があるかもしれませんが、やはり、子どもにとっていちばん大きな存在はお母さんだという思いが、年を重ねるにつれて、ぼくのなかでは、ますます強くなります。子どもたちにとってのお母さんは、お父さんが束になってもかなわない力がある。指導していてもよく見えてきます。
 そこにともなう大きな喜びと大きな責任の表裏一体を十分味わえる人生を楽しむ、そんな余裕が賢明な子を育てるのではないでしょうか。二人のお母さんの姿を考えて、そう思いました。