『子供たちにとっての本当の教科書とは何か』 ★学習探偵団の挑戦★

生きているとは学んでいること、環覚と学体力を育てることの大切さ、「今様寺子屋」を実践、フォアグラ受験塾の弊害

OB諸君のエピソード

2012年05月19日 | 学ぶ

 

 

==============第一期生=================================


「ぼくは努力では誰にも負けなかった、と思います」
京大医学部から大学院 K君

 

 

  「先生。京都大学の医学部に合格しました。 先生のおっしゃったこと全部本当でした。

(人生・考え方や諸注意、『努力は嘘をつかない』などのアドバイスのことだと思います—南淵注)

 理数には僕より頭のいい子はいっぱいいたけど、僕は努力では誰にも負けなかったと思います」

 

 

 

 K君には今でもはっきり覚えているエピソードがあります。

 

団では学習の進み具合・定着具合の確認と学習に対する緊張感を維持するため、

充実課程(5年生・特進4年生対象)では、毎月、学力コンクールという名のテストがあります。

 国語と算数の二科目ですが、5年生はじめのテストでK君がとった点数は国語2点、算数19点。団のテストは公立小学校の問題などに比べれば格段に難しいものですが、

それでも以降ののOB諸君との比較から言えば、良い点数とは決して言えません。


 しかし日頃の彼の学習ぶりや学習姿勢を見ていると、そのまじめさと持ち前の負けん気があれば、たいていのことは克服するだろうという確信がありました。

結果はその通りで、中学入試前の学力コンクールの算数の得点95点は、未だに団の学力コンクール最高得点です。

(ちなみに2位は70点台です。)

 もうひとつのエピソードはその負けん気です。


彼は入団前から珠算教室に通っていました。

ところが、団の充実課程に進級すると、授業時間が重なります。


 友だちに負けたくなかった彼は頑固に「3級になるまでやめたくない」といいました。

5年生の授業は週3回(月間十三回)ですが、まるまる抜けてしまう科目ができると、

以降の学習にかなり影響が出ることになります。そこで、ぼくの秘策です。

 

 「よし分かった。それじゃ先生と計算の競争をしよう。先生が勝ったらいうことを聞けよ」と何問かの計算問題を出しました。

負けてしまった彼に、速く計算する考え方やテクニックを説明すると、すっかり素直になって優先してくれました。

 


 ちなみに彼は勉強だけをしたのではなく、熱心なヨット部員としても高校三年間クラブ活動を全うし、

大学ではキャプテンとして十数年ぶりにチームを全国大会に導いたようです。

国公立大へ進学した子の多くは、クラブ活動にも積極的で、決して「勉強オタク」ではありません。

クラブ活動を心から楽しめたことも彼の努力の結晶ではないでしょうか。

 

 

 

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「困ってる患者さんの役に立ちたい」
札幌医科大学 K君

 

 「先生、合格しました。札幌医科大学です」 ニコニコと6年前と同じ笑顔です。
-----「そうか!良かったな。で、何科に行くの?」

 

 「皮膚科に進もうと思ってるんです」
-----「ええっ?珍しいね。何でまた皮膚科なんだ?」
  「僕もアトピーだったでしょ。治りにくいと皮膚病は長くなります。役に立ちたいんです、そういう患者さんの」

 

彼の優しさを失わない姿に心の中で喝采を送りました。
 
K君が塾に来てくれたのは6年生になってからでした。

 

 中学受験を考えるとかなり遅い時期で、しかも受験勉強や塾通いの経験が全くなく、

日本の公立の小学校ではなかったので、国語の学習ボリュームも圧倒的に少ないという、

受験するには大きなハンディでした。

 

 

しかし持ち前の積極性とがんばりで、半年後には見事志望中学に合格してくれました。

 小柄で照れ屋で、はじめて団のドアの前に来たときは、ほとんどお母さんの後ろに隠れていたのですが、

時折キラッとした眼でこちらを伺うのがほほえましく、その姿はいまでもはっきり覚えています。

 

  その後、帰省の報告に来てくれたときに、

  「先生、困ってるんですよ・・・」

  -----「どうした?」
  「提出レポートがたくさんあるときや、テスト前に限って、いつも母親と姉がかわりばんこに 長電話してくるんです・・・」

(彼はおかあさんとお姉さんとの三人家族です)

 


 -----「・・・おかあさんも心配なんだろう?遠く離れているんだし」
  「それだとわかるんですけど・・・」
 しかし、言葉のわりにはそれほど困っている表情ではありません。
  -----「?」


  「親子げんかなんです、それぞれの言い分を聞かなくちゃならないからたいへんなんですよ」

 


 いつの間にか一人前に、そして相変わらずとっておきの優しさを失っていない彼でした。

 

  

 

 

==============第二期生=================================


「カウンセラーの先生にお世話になったので、
          私も精神科の医師を目指します」
佐賀大学医学部 Kさん

 

 「高校のとき、人間関係で悩んでいました。カウンセラーの先生がとても良い先生で、

ほんとうにお世話になったので、私も精神科の医師になります。 佐賀大の医学部です」

と受話器の向こうでうれしそうでした。

 

渓流教室のバーベキューで、男の子も尻込みをした「イタドリの虫」のバター炒めを「おいしい」とニコニコしていた姿、

竹竿でカワムツを釣り上げた嬉しそうな姿が懐かしく、男の子勝りの積極性と威勢の良さ。

 

 

またTさんとのコンビぶりも忘れられません。

行きも帰りも必ず二人一緒、席も隣同士で仲がよく、いつもくっついていました。


 ところが、いざテストとなると、かわいかった二人の目が厳しい闘いのモードに変わります。

 

ライバル意識をもち、正々堂々と行う競争は、結果の勝ち負けを問わず、ぼくたちを大きく成長させてくれる礎です。

 

 


==============第三期生=================================

 

医大合格で「看護師になりたいんです。日本一の看護師に」
奈良県立医大 Yさん

 

 

  「先生、奈良県立医大に合格しました!」
  ----- 「すごいな、良かったね。医者になるのか!」

  「いいえ、先生。看護師になりたいんです。日本一の看護師に!」 (ブラボー!)。
 

 

きらきらと輝くきれいな眼で遠くの夢をしっかりつかんでいました。

負けん気が強く、「頑張りやさん」という意味ではYさんも先の三人人にひけはとりません。

彼女も入団時期が遅く、六年生になって、周りの影響で中学受験を考え始めたのです。

 上のお姉さんに受験をさせてあげられなかったということで、国立大附属しかも一校だけという条件で、

お母さんは彼女の願いを聞き入れました。

 

 もちろん指導に全力は尽くしたのですが、やはり日程的に厳しく、残念ながら不合格で、

地元の公立中学に進学することになりました。

 本来の能力と団への信頼がよくわかっていたので、引き続いてOB教室に来るようにすすめました。

必要になる学習の方法や心構えを、もう少しアドバイスしたかったのです。

二年間通ってくれました。

 

 彼女の真摯な学習姿勢や目の色を見て、高校は絶対大丈夫だという確信はあったのですが、

予想通り天王寺高校と私立は四天王寺という最難関校を突破してくれました。

 

厳しい制限の中で、きちんと課題をクリアしていく彼女のことです、

大きな夢はきっと叶うと僕は信じています。

 

 三期生では他にSさんが大阪大学文学部合格。

 

 


==============第四期生=================================


「先生、せめて袋に入れてくださいよ・・・」
京都大学工学部 K君

 

 優秀でユニークな諸君が多かった第四期生。

 

 

 

 K君はお母さんから託された大きなビールケースを抱えて 合格報告のために団の前で待ってくれていました。

彼には愉快なエピソードがたくさんあります。

 

 入団の面接時、お母さんがほとほと困った顔で、


  「せんせ、この子いたずらばかりするんです!

この間も軽四の屋根に友だちと上って、ピヨン ピヨン跳びはね、屋根ボコボコにして・・・」

 

かつてぼくが写真にのめり込んでいたとき購入した「写真集」を高校生になった彼にプレゼントしたとき

照れながら

   「先生、せめて袋に入れてくださいョ」。

 彼のこの屈託のなさが、僕は大好きです。

 

 大学入学後も顔を見せてくれ
  「おもしろくない講義があるので」というので、
 そんな経験をいやというほどしてきた僕が

 

-----「教養課程やろ?自分で選んだんやろ?(笑い)」
「・・・」

----- 「面白いのもあるんやろ?そっちの授業にとことんのめり込んだら・・・。それと面白い本をどんどん読めよ」

と話しました。大学の講義をさぼり、中庭の芝生に寝転がったり、喫茶店で読みふけった学生時代を懐かしく思い出しながら。

 

 

 彼は今、奨学金と塾講師のアルバイトで生計を立てています。
  「・・・勉強のできない子にわかってもらうのがうれしくて塾のアルバイトをしています・・・」

 やんちゃばかりして軽四の屋根を飛び回った彼は、学生時代にハングライダーに夢中になり、

空を飛びまわっていました。その方がうれしいのはもちろんです。

 

 

 

 


==============第五期生=================================


「行ってよかった、いい学校だよ・・・」
大阪大学文学部哲学科 K君

 

 

 入団したときは本当に小さく、三年生の時の課外学習で、昼食後みんなが出発するころになっても、

まだお弁当を半分も食べられなかった彼。

サポーターで手伝っていただいたお父さんが、側で困っていた姿に思わず笑ってしまったことがありました。

 


 国語が大の得意で真面目だったので、受験も安心でした。

志望校はぼくがアドバイスしたのですが、彼は進学後すぐ身体の調子を壊し、

念願のクラブ活動も十分楽しめないという状態が続きました。

 勉強するにも辛い時期があったのか、お父さんから「何で私立へ行ったのか」と悩んでいると聞き、大きなショックを受けたこともあります。

 

しかし身体が大きくなるとともに、徐々に病も癒え、ESSで楽しく活動しながら、

無事大阪大学の哲学科へ進んでくれました。


 団にきてくれたとき、自らの私立進学校を

  「行ってよかった、いい学校だよ・・・」

 ぼくの長年の重荷がすっかり楽になったうれしい一瞬でした。

 

 学ぶことの意味、日頃の学習習慣の大切さはいまでも強調し続けていることですが、

学ぶ面白さがほんとうにわかり、きちんとした日頃の学習習慣が身につけば、

難関大学突破も、予備校に頼らず十分太刀打ちできます。

 

そして、その経験が後の人生の大きな自信になります。

 

 


==============第七期生=================================


知らない間に畳を蹴って脚が擦り傷だらけ(!!)
京都大学文学部 Y君

 

 

 Y君の負けん気と好奇心、問題を解決することに対するこだわりも特筆ものでした。


 彼には二つ上のお姉さんがいて、彼女も少し塾に通っていてくれました。

ある日、机を並べて勉強していた彼女が、あわててお母さんに言ったそうです。

  「お母さん、Sの足が血だらけ!」
 女の子で、びっくりして少し大げさになったのかもしれませんが、

Y君が算数の問題が解けないので腹が立ち、知らず知らず畳をけり続け、足から血が出ていたようなのです。


 Y君は四年生から高三まで計九年間団に通ってくれました。

 

 

高三のとき、ぼくと二人で「老人と海」を読みましたが、

語義に対する徹底したこだわりからからくる緻密な解釈には感心しきりで、ぼくも教えられることがたくさんあり、

その成長ぶりが嬉しくて仕方がありませんでした。

 


 OB諸君の成長を紹介しましたが、

彼らはすべて「偏差値を超えるもの」を身につけてくれたことが、こうして振り返ってみるとよくわかります。

この項の最終回になる次週は、もう一度、それらをまとめてみます。

 

 

 

 

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1 コメント

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Unknown (4期 kん)
2012-05-20 22:40:21
毎回拝見しています。
自分も忘れていたことを先生が覚えておられたのが、うれしいけど少し恥ずかしいです。
大学では周りと比べるとちょっと落ちこぼれましたが、今年一年研究室で頑張って行きます!
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