四半世紀も前のこと。学んでいた田舎の進学高校に赴任してきた先生がいました。神田生まれ、東京教育大学出身。独文専攻でカフカの研究者という噂でもちきりです。
教科書掲載文の作者を「~さん」づけで進める授業。読書の大切さ・ものの見方・考え方、毎日図書館の事務室で、本を読んでいた先生にはずいぶん影響を受けました。東京へ戻られるときの講堂での挨拶。「君たちは伝統ある高校だと思っているかもしれない。しかし伝統はあるものではなく、君たちがつくっていくものだ」。
すべてそんな調子で田舎もののぼくには新鮮この上なく、最後にはあごひげまでならっていたのです。この人が学んだ大学へ行って教師になろう。型破りの教師になろう。金だらいこそかぶらなかったものの、今思えばその勢いたるや、まるでドンキホーテです。
しかし、家には上京できる経済的余裕などまったくありません。長年の闘病生活の末、父がなくなり、幼稚園の先生だった母ひとり、祖母と妹をふくめた家族四人、奨学金を受けてのギリギリの家計です。困惑する母に、「アルバイトをしながら何とか頑張るから」と、無茶を押しとおしました。
ところが、入試間際に、また問題が起きました。「安田講堂」の一件です。学生運動の激化で東大と教育大の入試は延期になりました。他の大学は眼中になく、即座に浪人決定です。
「一年間だけ。ご飯は食べさせるが予備校など学費の余裕は一切ないので」。
許してくれた母に感謝しながらも、先が見えない一年間が残りました。あるのは「どうしても教育大へ行きたい」という望みだけです。「考えていても仕方がない」。
若いことはすばらしいことです。言われなくても、見る前に飛んでしまっているのですから・・・(僕だけかもしれませんが)。ともかく、前に進まなければなりません。やらなければならないことがたくさんあります。
まず使用参考書の選択・年間の学習計画・曜日ごとの学習予定です。一年間を三期に分け、曜日の予定を決めました。
大学受験の雰囲気を保ち続けるために、当時放送されていた「旺文社の大学受験ラジオ講座」を利用することにしました。受験該当科目を必ず聴くことです。ひとりで机に向かっているとき、ラジオから聞こえる講師の声は、やはりよい刺激になってくれました。
参考書選びは高校時代のものもふくめ、受験雑誌の合格体験記が手がかりでした。もちろん購入は現物と解説を見てからです。要を得ない、また、曖昧さを残す不親切な解説では前に進むことができません。ちなみに、現在勉強中の諸君も、参考書や問題集は自らでしっかり見極め選ぶことがたいせつです。自分が勉強するのですから。
新塔社の高田瑞穂著「新釈現代文」、中央図書「現代文解釈の方法」、洛陽社「古文研究法」・「漢文研究法」、岩波全書「漢文入門」、文建書房「和文英訳の修業」、研究社の「英文法急所シリーズ」、旺文社「英文標準問題精講」、数学は数研出版の高校生用教科書をとりよせ、「青チャート」と科学新興社の「モノグラム」シリーズ、世界史・日本史は当時から定評あった山川出版の精説シリーズなど・・・心に残る本がたくさんあります。多くは、読んでいて著者の肉声が聞こえるような親しみがもてるものでした。
また、副読本として岩波新書も勉強の合間に数十冊読んだでしょう。
井上清著「日本の歴史」(全三巻)、家永三郎著「日本文化史」、吉川幸次郎・三好達治著「新唐詩選」、中村光夫著「日本の近代小説」、E・H・カー著「歴史とは何か」清水幾太郎著「論文の書き方」梅棹忠夫著「知的生産の技術」斎藤茂吉著「万葉秀歌」(上・下)、湯川秀樹著「本の中の世界」、加藤周一著「羊の歌」など・・・これらは当時の受験生の常識を身につけるには最適でした(写真はいずれも最近の版です。辞書は当時愛用した旺文社のエッセンシャル英和辞典)。
中公新書では山本健吉・池田弥三郎著「万葉百歌」をよく覚えています。他では家にあった集英社の廉価で赤い日本文学全集。近代・現代小説についてはほとんど読みました。
模擬テストも一切受験できなかったのですが、翌年、運良く合格できました。そして一年間の「ひとりっきりの自宅浪人」で心の底から納得できたことがありました。
奇をてらわず、手抜きをせず、「勉強」は正攻法でやるのがいちばんだということ。意志と情熱さえあれば大学受験もまちがいなくひとりで乗り切れるということ。余計な情報に惑わされず、定評ある参考書を繰り返し学習し、きちんとマスターすれば十分合格できるということ。そして、「努力は嘘をつかない」という、極めて当たり前のことでした・・・。
「・・・そうだった、ぼくは教職に就くために東京へ行ったんだ」。いつの間にか、そんなことをすっかり忘れていました。目標を見失い、ただ生きていくための右往左往をつづけていた僕の背中を、昔のぼくが思いっきり蹴飛ばしてくれました。濃い霧の中を迷って、なかなか見つからなくて、いつの間にか探していたことさえ忘れてしまっていたとき、泊まりたかった宿の光が遠くに見えた。そんな気がしました。
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