『子供たちにとっての本当の教科書とは何か』 ★学習探偵団の挑戦★

生きているとは学んでいること、環覚と学体力を育てることの大切さ、「今様寺子屋」を実践、フォアグラ受験塾の弊害

お父さんとお母さんのための「母親教室」 24

2015年11月28日 | 学ぶ

三人の科学者の問題提起(続)
  ぼくは斜光や木漏れ日が好きです。よく写真に撮りますが、今週のスナップは11月27日午後の近所、30分の切りとりです。

 先週の続き、福井博士の論説からです。
 
 活字によって自然についての知識を増やすことは、もちろん大切である。が、そうした活字性の自然認識が、順序の上で、また量の上で、前に述べた経験による所与性の自然認識に先行すると、自然はその本来の姿とはまったく異なった姿に変容してその人に認識されてしまうに違いない。
 (『学問の創造』 福井謙一著 朝日文庫)
 
 下線部は、わかりやすく言えば、「自然体験で生のままの自然を先入観なしに受けとる機会が少なく、本や知識からの抽象の自然理解が優先すると」、と言い換えることができます。「机上の勉強で抽象から入ってしまう科学」は、「本来の姿とはまったくちがって認識されてしまうことになる」、ということです

 福井博士はこう続けます。「これは少なくとも奥深い自然を科学化しなければならない自然科学者には、好ましいことではない。否、危険でさえある」。
 つまり、ここに引用した三氏の主張は、表現こそ違え、いずれも、「小さいころ、自然に触れ自然に浸ることのたいせつさ・かけがえのなさ」を述べています。子どもが「単なるお客様としての他人行儀な自然体験」ではなく、「感覚的に言えば、『浸る』また『包まれる』自然教育が、心身ともの健やかな成長には欠かせない」、ということでしょう

 受験はたいせつだけれど、成長過程にある子どもたちには、「それだけで終わらない日常が、もっとたいせつ」なのです。受験勉強でも当然「考えること」、「考えるトレーニング」が付随するはずですが、一方で『所与性の自然認識』つまり「豊かな自然体験」がともなっていることが欠かせない、と言い換えることができると思います。福井博士は、その後こう続けています。

 子どもの時からの自然と親しむ生活に加えて中学時代にこうした経験(博物学会や生物同好会で生物の採集やいろいろな山登りやハイキングを繰り返したこと・南淵注)を繰り返した私は、その中で後の人生にいろいろな意味で大きな影響を与える結果となった。(『学問の創造』 福井謙一著 朝日文庫)

 この大きな影響には、ノーベル賞受賞が含まれていることは、もちろんです。子どもたちを指導するぼくたちは、こうした自然体験や活動の研究や強化をもっと重視しなければならないことは、三氏の著書の、これらの一節だけからでも明らかです。

たかが受験、されど受験
 「たかが受験勉強、されど受験・・・」。中学受験にしろ、大学受験にしろ、ぼくに限らず、多くの先生方やお母さん・お父さん方の受験にかける思いも様々でしょう。
 「受験するには受験勉強させなければいけない、だから塾に行かせる・・・」。「受験するには受験勉強させなければならない」まではぼくも同感です。しかし、それ以降が問題です。「受験勉強する」にしても、それは「『考えること』を知り、『考えること』をおこなう絶好のトレーニング機会である」と、ぼくは思っています。

 ところが現実はどうでしょう。たとえば、受験当該校や同レベルの受験問題を大量に集め、その解法を「受験のスペシャリスト」が記述し、それを「各指導レベル!」の先生がそれなりに説明を施し、大量の宿題と演習で解法の習熟を図る、というのが一般的でしょう。その過程で、子どもが何をどう考え、という注意や考察は、ほとんど蚊帳の外です。自ら『考える力』の鍛錬は、一部の指導法をのぞいて目標外です。
 このように、たいていの場合、受験を目標に据えると、「受験勉強」『受験指導』以外は見えない(見えなくなる)ケースが一般的です。目標や目的が「受験合格」で終わり。その『道中』や『それ以降』の姿が意識の外になってしまっています。いつの間にか見えなくなってしまっています。そうではないでしょうか?

 そこで完璧に忘れられていることがあります。子どもたちの学力の養成や能力の育成の最終目的は合格では決してありません。そうあってはならないはずです。それは、当然のことですが、人間としての成長であり、人格の涵養であり、もちろん高い能力の育成です。
 ところが「受験」にとりかかってしまうと、それ以外のことがほとんど見えなくなってしまう(見なくなってしまう)。「とりあえず、受験に合格して…それを続けていけば、教育の役目は十分・・・」。教育機関のなかには、指導内容のみならず、指導者の意識の上でも、そのレベルで指導が続いているところが多数あるのではないでしょうか


 以前のブログで、難関校へ進学した中高生のOBたちに、「おもしろい本あるいは良い本だから読んでみなさい」と本をすすめられた人がいるか、と聞いてみたが20年たっても一人しかいなかった、ということを伝えました。
 これから大きく成長する子どもたちに、自分が読んだ(読んでいる)本の中でどうしても読んでほしい本はないのでしょうか? あるいは、ほとんど本など読まないのでしょうか? 
 先ほどの西澤博士の著書の一節です。
 
 人より抜きん出るための方法や心構えを超えたところで『天才』という言い方を、人はよく使う。天才論、天才教育なる言葉もあるほどだ。おこがましいが、私も人から天才だといわれたことがある。では、本当に天才はいるのか。私は、乱暴に言えば天才はあると思う。ただ、私の言う天才とは、だれでも天才になりうるという意味での天才である。誰もが天才になれると考えることは、教育者としての心の支えでもある。適切な時期に適切な刺激を与えれば、内在する才能が花開き、誰でも天才になれるのである。(「独創教育が日本を救う」西澤潤一著 PHP研究所 文責・背景色は南淵)
 

 自然教育といい、本のすすめといい、適切な時期に適切な刺激をする、そして子供たちの才能の開花を待つ。これができるのは、そしてその楽しみを手にできるのは、お父さん・お母さん、そして先生しかいません。「子育て」の最高の喜びであり、最大の務めです。
 現状はどうでしょうか? 子どもたちの成長を振り返ると、「子どもたちが受験勉強に追いまくられている」間に、「裏面?」では、人間としての成長も進んで《しまって》いるわけです。特に教育熱心なお母さん方・お父さん方と、受験に熱心な先生方で、子どもの能力が高くよくできるほど、たいせつな「裏面」が犠牲になってしまっている、取り返しのつかない事態が続いてはいませんか。

 難関受験用に「英知を絞って」受験指導だけを続け、解法はよく理解し、高い偏差値を維持し、優秀な成績で難関校に合格する。めでたし、めでたし。そして、その成長後の姿です。「与えられた難しい問題」を「教えられた方法でうまく解くこと」は知っているが、「自らが問題点を発見し、その問題を自らの方法で解き始めることはできない」
 「自ら環境にあたり、不思議やなぞに遭遇し、思いを巡らせる」。「問題に向かい、自らのそれまでの経験で、手掛かりから探し始め、もつれた糸を解きほぐすように解答や解決に至る…その喜びを手にして、次の問題に向かう・・・」。
 そんな経験を「受験勉強をしながら」、しっかり積むことができているでしょうか? 子どもたちの才能の開花を夢見、「万難を排し」、ぼくたちはその検討に向かわなければならないのではないでしょうか。その手がかりをもとめなければいけないのではないでしょうか? 

 適切な時期に適切な刺激。才能開花のための指導はできているでしょうか? 方法の検討は始まっているでしょうか? 学校が無理なら、個人でも可能です。
 さて、次週からは『親子で楽しむ立体授業』。
 団の学習のしくみの一例、「石ころはぼくたちと親せきかもしれない!」の立体授業のテキストとスライドの概要を紹介し、家庭や個人でもできる環覚養成の指導について考えてみます。
 


お父さんとお母さんのための「母親教室」 23

2015年11月21日 | 学ぶ

 今週の写真、雨中は『ミカン狩り』の道中のようすです。道も教室です。

 『石ころはぼくたちの親せきかもしれない』のスライド・テキスの内容を紹介をする予定でした。申し訳ありません。後2週待ってください。

 というのは、参考になる自然科学者の論説を紹介し、今一度「立体授業がもっている意味」を、子どもたちの成長には欠かせない「自然環境がもつ意味」を考えてほしいからです。今まで何度も、身近で多くの先生方に(もちろんお父さん・お母さん方にも)伝えてきましたが、きちんと理解してもらえた思われるのは数人です。
 ぼくのように田舎で生まれ育ち、野外で自然遊びに浸った経験のある人はほとんどいないだろう(田舎で育っても、虫や自然を嫌う人はいるでしょう)し、特にここ数十年は、そんな機会がどんどん少なくなってきています。したがって、そのたいせつさや持っている意味が余計わかりにくくなっていると感じています。

 『経験がほとんどない人』に、単に自然体験や立体授業といっても、時たまのハイキングや年一回の臨海・林間授業の「お客さん」を超える感覚はおそらく得られません。それではそれらの体験がもっている根底の「意味」が分かりません
 そのようすを喩えてみれば、図らずも、子どもたちが学習対象や学習内容を、「抽象」から理解しようとしている姿、「勉強のしくみ」とそっくりです。「環覚」の整っていない子どもたちの、学習内容や勉強に対する『手ごたえ』をイメージできれば、そのたいせつさも、より理解してもらえるのではないか。逆説ではなく、そう考えました。

 小さい子どもが目の前にいるお父さん・お母さん、そして先生方。子育てには「待った」がありません。ぜひ、もう一度辿ってみてください。そして、その方法をさらに『洗練した』方法で、子どもたちの指導を始めてください。素晴らしい結果が期待できると思います。
 ぼくがたいせつにしたいと思っている自然体験の意味、そのたいせつさの根拠は、ファインマンやファーブルなど海外の偉人のみならず、湯川博士や益川博士、白川博士や河合(雅夫)博士をはじめとする、日本のノーベル賞受賞者や科学者の『自然体験』の豊富さや『田舎育ち』の貴重な体験を振り返った多くの著書からうかがえますが、ここでは、その中の三人の科学者の著書から、その周辺を紹介します。

三人の科学者の問題提起
 これらの引用は、それぞれ「専門分野のちがう」三人の科学者のものです。つまり「自然体験だから、イコール生物」という短絡の誤解が、ここからもわかると思います。
 これらは言わば『ものを見る目』の養成、『学習対象や学習内容に対する感覚』(つまり「環覚」)という、小さい子どもの成長や学力・能力の育成に大きくかかわってくる例ばかりです。 
 いずれも少し古い書物ですが、子どもたちの学習や指導問題の根源が根深く続いている(解決されていない)現在だからこそ、より貴重な意見だと考えます。

 まず、元東北大学総長で、半導体の研究で世界でも有名な西澤潤一氏の著書からです。
 
 子どもが遊びのなかで、あるいは家庭のなかで得た原体験は、庭で眺めたアリの群れの様子や、花が咲き実がなるという四季のうつろいを通して、自然現象や社会現象のあり方の非常に大事な部分を体得させる(原文まま)。それにも増して、こうした原体験が、子供たちに自己の人間像の芽生えを確認させ、それを形成していくのである。(「独創教育が日本を救う」西澤潤一著 PHP研究所 文責南淵)
 
 日本では、いまや人間教育が教育の中から除かれてしまったかのようだ。有名私立幼稚園に入るために塾に通い・・・・・・、遊ぶ時間はゼロ。遊ばない、遊べないということは、人間としての成長に支障をきたす。実際、私の研究室に入ってくる学生たちをみていても、本当に子供のままという感じがするのが少なくない。明らかに、人間としての正常な成長を遂げていないのだ。(以下も「独創教育が日本を救う」西澤潤一著 PHP研究所 文責南淵)
 
 西澤教授はこう述べて、人間としての成長がない「過度の詰め込み教育」を受けて来た人間は、本当の学問も本当の仕事もできない、と断じています。そして続けて、
 
 ・・・いまの学生たちは、ちぎれちぎれの知識の鎖が、頭の中に散在しているような状態なのではないかと思う。因果関係がわかっていない。自分の学問の中に、思考体系が形成されていないのだ。だから、因果関係を逆さまに考えて、平気でいる。(同上)
 
 さらに、学生たちから耳を疑うような発言を聞かされることは珍しくないが、中でもひどかったのが、実験結果がどうしても教科書通りにならなかった挙句のはてに、「これは自然現象が間違っていますね」といった学生の存在だといいます。自然体験が少なく、観察経験もないので、半ば「狂人」のような若者が育っているのです。現実を基にした論理的な思考ができない「頭でっかち」怪人です。   
 なお、西澤博士の、この著書には子供の環境・指導や先生という生き方(あえて職業とは言いません)へのすばらしい提言が見られます。また。ここでは取りあげていませんが、同じく「修身教授録」(森信三著 致知出版社)も、先生を志す人なら、魂を揺さぶられる著書です。

 次は、先年亡くなった動物学者日高敏隆氏の著書の一節です。気の弱かった氏が小学校をさぼって近くの原っぱで虫たちを眺めていたことを回想しながら
 
 これがどうも生き物に対するぼくの関心の始まりのようである。だれかの話を聞いて感激したとか、何とか先生の本を読んで感銘をうけたとか、そういう高尚なことがきっかけになったわけではけっしてない。本や話はそのあとのことであった。のちにぼくに大きな影響を与えたファーブルの『昆虫記』も、ぼくが虫に関心をもっていたからこそ、すごくおもしろかったのにちがいない。その後もぼくは生物「学」をやろうとは思わなかった。ぼくは生物を「知りたかった」のであり、今もそうである。
(「動物はなぜ動物になったか」日高敏隆著 玉川選書 p112)
 
 『本や話』は「虫に見入ったあと(!)」のことなのです。「ファーブル昆虫記」がすごくおもしろかったのは、虫に関心をもっていたからです
 ゴキブリしか知らず、お母さんがゴキブリを怖がっている子は虫に関心をもたないでしょう。日高氏の場合、対象は『虫』ですが、「本や話という抽象」に対する関心の先にあるものは、多くの場合「具象(自然をふくむ体験)」であることは変わりません
 日高氏はつづけて、次のように述べます。
 
 高校でメンデルの遺伝法則を習って、そのみごとさに感激し、生物学をやろうと志す学生は、今でもあとをたたない。ぼくの偏見によれば、そういう学生がまともに生物学をやってゆくことはむずかしいようである。彼または彼女は、たしかに体系化されたものの美しさを理解できるし、その体系を学んでゆく能力ももちあわせている。つまり、ちょっとした初等数学のテクニックや物理学、化学の初歩知識、機械の扱いかたを身につけており、電気にも強い。
(「動物はなぜ動物になったか」日高敏隆著 玉川選書 p113)
 
 これは、抽象から入った一見よくできる優秀な学生を比喩したものでしょう。そして、日高氏はこう続けます。
 
 したがって、すでに体系化された近代的な生物学の徒になることは十分にできる。そして、先生からも若干の進歩的な仲間からも賞賛される精密な論文ぐらいは書けるのである。(同上)
 
 この一節から思い起こされるのは、先年のスタップ細胞の一件です。地に足のつかない、現実軽視・抽象優先の科学者(?!)の一例です。
 一流の科学者である(と世間ではみられている)地位やプライドや責任を忘れ、社会に及ぼすその影響や事の重大さをよく理解できない姿は、先ほど引用の西澤教授の『自然がまちがっている』発言の『登場人物』の別の(一面の)姿ではないでしょうか。つまり、それぞれ事情はどうあれ、そういう科学者(?!)が増えているのでしょう。
 日高氏の先の引用の最後の言葉、「その後もぼくは生物「学」をやろうとは思わなかった。ぼくは生物を「知りたかった」のであり、今もそうである」(同書p112)。
 日高氏と「一見よくできる学生」の大きなちがいは、「抽象」の先に見えているもの《見たもの》があるか(あったか)どうか、でしょう。「子どもたちにそれらが見える」ようになったとき、彼らの中で、学習に対する駆動力・学体力が全開になり、素晴らしい能力も発揮してくれるようになるのではないでしょうか。日高氏はそれを伝えたいのです。
 さて、この項のまとめ、三人目は1981年、ノーベル化学賞を受賞された福井謙一博士の著書からです。(次回お伝えします)


お父さんとお母さんのための「母親教室」 22

2015年11月14日 | 学ぶ

 今週の合羽を着ている写真は11月8日、ミカン狩りのようすです。
こんなふうに習ったことがない
 子どもたちはみんな、「触れるもの」や「目の前」のものに、興味を惹かれ、「知りたい」が始まる・・・それを有効に活かさなければならない。団をはじめるまえ、ぼくの『カン』と『ひらめき』から生まれたポリシー。「トンボの大好きなキミ! 国語を『昆虫採集』してみないか?」「算数も『手づかみ』できるんだよ!」という表現で思いをこめました。

 自らの経験を振り返り、「ひらめき」から「手探り」ではじめた指導は、OB教室まで学んでくれた卒業生の半数が、すぐれた能力と学体力を発揮してくれたことで、「方向性の正しさ」の確認ができ、これからはその方向の追求です
 「石ころはぼくたちの親戚かもしれない」。
 阿部野橋から橿原神宮前を過ぎると、近鉄電車は単線になります。乗るといつも、30分に一本のローカル線に揺られ満員電車で、毎日家と学校を往復したことを思い出します。

 「下市口」で降りて十数分歩くと、見晴らしがよく広い河川敷。「青空教室」が大きく広がります。
「要点をまとめて覚える」机上とノートと黒板の勉強ではありません。そんな勉強のもっと向こうに、「おもしろいもの」・「知りたいこと」がいっぱいあることに気づいたこどもたちは、見る見る元気があふれてきます。「石ころ・・・」の今日の目的は、「花崗岩」を割ってのガーネット探しと、餅鉄採集です。ガーネットと餅鉄を探しに、磁石やハンマーを抱えて散って行きます。自然に駆け足になり、活動的になっていきます。
 OB諸君も『黒板の向こう』に「知りたいこと」をいっぱい見つけました。「知りたいこと」、その興味や好奇心を満たすには、基礎的な学力や集中力が前提です。それらを追究する意味、学ぶことのたいせつさ・かけがえのなさに気づいてくれたから、現在の「OB諸君の姿」があります
 学ぶことは「やっかいなこと」だが、「その先を知るため」には、欠かせない『段階』であり、「関門」であることがわかってくれたからです。「学体力」の定着です。

「石ころはぼくたちの親戚かもしれない」のきっかけ
 ちなみに、団の課外学習は、次々「おもしろいことを追求している!間に行きついた」企画ばかりです。お仕着せや受け売りのものではありません。ぼく自身がおもしろいことをいつも探しているのです
 「石ころ」も、最初は「でっかいタケノコ堀り」の「動物版」として企画した、『でっかい鯰釣り』がきっかけです。どうして「鯰」が「石」に変わったのか? 
 「ナマズ釣り」をやめたわけではありません。行きつけの川の汚れがひどくなってきたので、新しい川を探しているうちに、小さいころ遊んだことがある吉野川に行きつきました。

 カワウの仕業で魚がほとんど釣れないので、珍しい石ころでもお土産に・・・探っていたら光沢が微妙に違い、明らかに「並の石」より重い小石が見つかりました。
そんなことがなぜわかるか? 比重です。手近なもので遊びほうけた「昔取った杵柄!」です。
持ち帰って磁石にくっつけると、案の定です。仲良く(!)くっついて離れません(笑い)。そこから「もち鉄」がテーマになり、「もち鉄」のことを調べ、みんなの採集のターゲットになりました。課外学習としての独立です

 「知りたいこと」を我慢して、「別に知りたくもないこと」の「学習」を指導・奨励・強制される。自ら納得して(?!)、あるいは素直に言うこと聞いて受験に向かい、机上の学習をつづける・・・。個性の強いエジソンやファインマンではなくても、好奇心旺盛な時期のほとんどの子どもにとって、決しておもしろいはずがありません。「おもしろくないから、次を続けようという気になれない」のです。つまり「学体力」が身につかないのです

 最初から決まりきったことをルーティーン通りにやっても、おもしろいことは生まれません。次の引用で、「おもしろいもの」は「どこ」で、「どうすれば」見つかる?「環覚」のはたらきを養うには?・・・その答えが見つかるかもしれません。たとえば、「うちの学校では実験にもとりくんでいる」という先生は、次の、ファインマンの意見をまず読んでください。

ファインマンのアドバイス
 お父さんに自然体験を中心とする、様々な指導を受けたことを回想しています。

 こうした経験から汲みとれるたいせつなことは、たとえ結論には至らなくとも、観察が光り輝く素晴らしい宝物、最良の結果をもたらしたということなんだよ。それこそかけがえのないことなんだ。もしぼくが「観察をしろ」、「表を作れ」、「記入しろ」、「こうするんだ」、「見ろ」なんていわれたとする。書き終えれば、その表はいつもノートの後ろに挿まれて「ジ・エンド」だろう。学んだことといえば、「観察なんてまったくつまらない、たいしたことなんて何もはじまらない」ということにしかならない。
(The Pleasure of Finding Things Out by Richard P. Feynman PENGUIN BOOKS p182 拙訳)
 
 つまり「『教科書の実験』を通り一遍のマニュアル通りに行い観察して、その結果をノートに記せ」というような実験や作業の推移では、ほとんど感動や感激なんかともなわない。「ルーティーン通りに、『小うるさく』やるほどつまらない」ということでしょう。まして、小さいころから「環覚」が養われず、学習対象や学習内容がノートや黒板のまとめに終わっている日常では、なおさらです
 中にはそれぞれ指導を工夫し実践されている先生方もたくさんいらっしゃるかもしれません。しかし、子どもたちの関心や好奇心を引き出せないまま終わらせる指導では、「ファインマンは育たない」ということです。往々にしてマンネリになりがちな学習指導、自戒も含めて、指導する方は留意すべきアドバイスです(ちなみに、こうした好奇心は経験上、できれば小学生以前の指導で培っておくべきだと感じています。そうでないと難しくなります)。

 ファインマンは次のようにつづけます。

 重要なことは、ぼくにとってはそうだったんだが、観察することを教えようとするなら、少なくとも「観察すればすばらしいものが手に入るんだ」ということを教えてあげるべきなんだよ。ぼくは、そうして、科学がどういうものかわかったんだ。忍耐なんだよ。「見て、観察して、注意を払う」と、それによってかけがえのないご褒美が手に入る、毎度毎度とは、なかなかいかないものだがね。(前掲書 p182 拙訳)

 この「ご褒美」とは、もちろん、「それほどおもしろくもない勉強」をガリガリやらされた後の金銭「報酬」やディズニーランド周遊や「ゲーム機購入イベント」などではありません。「観察すること(見ること)」で「観察することのおもしろさがわかること」。つまり、何気ない日常、生活の中での「学ぶこと・わかることの快感」の定着です。

 これは時々無目的(?)におとずれる「科学博物館(?)」やイレギュラーで「唐突に!」向かう「先端科学」の紹介学習ではありません。「日常生活」の中での「環覚」の機能(はたらき)の強化です。学習内容や学習対象に対するなじみです
 この「おもしろさ」はいきなり身につくものではありません。自然に出会い、触れ、浸り、なじむことで、「観察の扉」が開かれます。それが継続し、「おもしろさや不思議さに出会う」ことができます。時系列や季節による対象の変化・推移を経験する必要もあります
 しかし、そのおもしろさは「学ぶ姿勢を構築(学体力の定着)したり、自らの一生の方向性も左右する」珠玉のおもしろさであることは、ファインマンに限らず、ガリレイやニュートン・ファーブル・アインシュタイン・・・数多の歴史上の人物の経歴を見れば明らかでしょう。

 「机上のみの学習の積み重ね」の比ではありません。机上の学習を「補充する環覚」をどれだけ子どもたちが身につけられるか、それによって学習内容の疎外感をどれだけ少なくし、学習内容に対する距離感を縮められるか
小学生時代(小さいころ)に、自らの環境や周辺の事物・現象に対する「眼」を育てること、存在に気づくこと。スムーズな学習指導を可能にする突破口、最善策のひとつであると、ぼくは信じて疑いません。
 「こんなふうに習ったことがない」。サポーターのお母さんの感想。ぼくたちは、それを目指さなければならない、いつもそう思っています。来週は「石ころ…」のスライドとテキストの概要をご紹介します。


お父さんとお母さんのための「母親教室」 21A

2015年11月07日 | 学ぶ

石ころが教える学ぶおもしろさ
 長くなりましたのでA・Bと続く2ページでアップしています。
 「こんなふうに習ったことがない」。10月24日の課外学習「石ころはぼくたちの親せきかもしれない」を展開中のサポーターのお母さんの一言です。河原での「石拾い」。「石拾いなんか…」。ふつうは、そういう感想をもつ人がほとんどでしょう。「だって、相手は「石ころ!」ですから…。

 しかし、「たかが石ころ、されど石ころ」。街ではアスファルトばかりで目にすることもほとんどなくなりましたが、道端の石ころは、いつもあるものではなく、急に生まれたものでもなく、いつまでもあるものではありません。道端の石ころにも来歴や存在理由があります。


 地球誕生から始まり、今も『岩石サイクル』を通して「輪廻転生」を繰り返しています。ぼくたちが見ているのは、地球規模から見れば、「石ころの人生」のほんの一瞬です。元素レベルに返れば、ぼくたちもそうした存在です。それに気づくようになってもらうこと、目が留まるようになってもらうこと。それがぼくが目指す「環覚」の養成です。科学はそれらに気づくところから始まります。学ぶおもしろさもそこが出発点です。
 「ぼくたちは★の子かもしれない」は、そういう視点からの取り組みです。みんなが夢中になる宝石も、その生成過程を抜きにしては考えることができません。つまり、道端の石ころと宝石とぼくたちと月や星や太陽が・・・親戚!なのです

 「石ころ・・・」の課外学習展開のようすを、「子どもたちの心に返って」精査すれば、今一般的な『学習指導』の問題点が窺え、子どもたちの学習を「おもしろい方向」、少なくとも「忌避される方向ではない方向」に導くためのきっかけをつかむこともできるのではないでしょうか。そのための打開策を生み出すこともできると思います。詳しくは次回紹介します。
 見たこともない岩石の種類や地層をいきなり文字面で展開され、テストされても意味が分からず『ウザい!』だけです。「宝石!」にも「ぼくたちの命!」にも関係しません。

 件のお母さんも、団の指導のようすに触れるまでは、そうだったのかもしれません。そういうふうにした犯人はだれなのか? 子どもを育てる全員です。
 「そういうふうに育って(育てられて)しまった!」からです。そして、子どもたちの「学習がおもしろくない(おもしろくならない)最大の理由はその感覚にある」と、ぼくは考えています。
 「子どもたちの立場に立って見る」、それが、いまだ解決されていない現在行われている学習指導の問題点です。

教科書は見知らぬ卒業写真
 現在の『学習(指導)』は自分が生きている環境や日常とは(意識の上では)ほとんど関係なく、「机上の作業」で、『勉強というくくり』の中で「教科書やノートを対象とするもの」というだけの感覚で終わってしまっています。

 
たとえば小学生の指導者で、道端の石ころや雑草や樹木や太陽・星・月・山・川…に「目を留め、じっくり観察をした人」はどれだけいるでしょう? 『学習内容』『学習対象』を「見たことがあるもの」と思っているものの、実際はよく見ていないし、ほとんど何も知らないことばかりでないでしょうか? 幼児や小学生は、もっとそうなのです。知らないことだらけ・知りたいことだらけです。その混沌の中で学習指導が進んでいます。

 つまり『文字!』では習っているものの、『何の』『どんなこと』を学んでいるのかを「現実(実際)にはわからないことが多い」のです。そのようすをたとえれば、「他人の卒業写真を見ながら、顔と名前を覚え、趣味や性格を教えてもらっている、それを覚えなさいと言われている」といえばわかるでしょうか? そして、教える方もそうした指導で育ってきているので、その理不尽さがよくわからない、というところでしょうか?
 登校拒否をしたエジソンの回想。
 
  書物によってのみ自然の過程を知ったり、アルファベットや算数を機械的に覚えこんだりするのは、かれにはできないことであった。かれが求めていたことは、自分の目で観察し、自分で「ものをすること」と、自分で「ものを作ること」であった。自分でものを見たり、試してみたりすることは、「ほんの一瞬だけであっても、見たことのないものについて二時間も教わるより有益である」と、かれは言っている。
 (「エジソンの生涯」マシュウ・ジョセフソン著 矢野徹・白石佑光・須山静夫訳 新潮社 p26・下線は南淵)
 
 この回想に見られるように、エジソンは一部の教育研究者の判断のような「学習困難」の児童ではなく、「感受性が豊かで観察力が鋭く、そのため好奇心が旺盛で利かん気のクソ坊主(笑い)」という判断が正解だと思います。それが未だに解決されようとはしていないことが大きな問題だと考えます。つまり子どもを指導するぼくたちは、百年以上も前の「エングル先生」の指導から、あんまり進歩できていないということかもしれません。
 

「環覚!(ぼくの造語です)」が鋭かったエジソンは、自らが見たことのあるもの、よく観察したことのあるものの謎や不思議を知りたくて仕方がなかった。こうした「環覚」を育て、大きく展開する学習の駆動力を引き出すことが、子どもたちに向かうぼくたちが取るべき態度ではないでしょうか。もちろん、それ以外の学習に対するルールやしつけの問題も同時に解決を図っていかなければなりませんが。

「ひとりでできたこと」もおもしろさの原点
 こうした視点は小さいころからの「実体験」をふまえてのものです。そして今も「学習がおもしろくならない(!)理由」を考えながら指導をつづけいます。

 ぼくは、公園も遊興施設もショップもお金も(!)、つまり何もない「純粋の」田舎で育ちました。父が長期入院中だったため、ふだんは母も仕事です。経済的にも家庭教師や塾通いなどは考えられない環境です。小さいころは、家に本さえありませんでした。本を読む人がいなかったのです。また『ど田舎』の昔の小学校にはきちんとした図書館もありません。小学校の先生方も一生懸命で人間味はありましたが、それほど優れた指導を受けた記憶はありません。
 ぼくは、ただ朝から晩まで山や川や野ッパラで、日々「いたずら遊び」をしていただけです。今の子の育ち方とは正反対のパターンです。しかし学習に遅れることもなく、嫌いにもならず、大学入試でも困った覚えはありません。

 なぜなのか。もちろん、さまざまな理由が考えられますが、「『田舎遊び』の経験が大きかったのではないか」というひらめきが最初でした。そして、小さいころ「助け」がまったくなかったので、どんなこともひとりではじめた(はじめざるを得なかった)からではないのか・・・

 これは「ひとりでもできる」ということを伝えたいから、あえて書きますが、大学在学中の21歳の頃、ある人から依頼を受け、工事前から喫茶店のデザインや内装・食器類やメニューなど開店まで一連の仕事をやり終えました。昨年紹介した深瀬さんにすすめられた写真も、現像までひとりで(学校にも通わず誰にも教えてもらわず)マスターしました。会社勤めだったころ、高島屋や阿倍野近鉄などデパート相手の催事の原案やイベントの企画書作成・チラシの構成もひとりでやってました。まったく経理の知識がないところから、課内の損益計算書を新たに営業会議用に書式から作成もしました。すべてひとりで本や資料から学んだ結果です。「頭脳労働!」以外に、相当な肉体労働を経験したこともあります。もちろん現在の学習指導も、塾をはじめて20年間、そのすべてを自分ひとりで考え実行してきました。「できること」・「実ること」が前へ進む力になりました。
 (先にアップしている21Bに続きます。)


お父さんとお母さんのための「母親教室」 21B

2015年11月07日 | 学ぶ

田舎遊びのアドバンテージ
 すべて「田舎遊び」がはじまりだと振り返っています。
 経験のない人は(ほとんどそうだと思いますが)、田舎で遊んでいただけで、そんなことが・・・と想像もできないでしょう。しかし、それは「経験がないので、遊びからの『膨らみ』と『展開』・『収穫』がわからないから」です。それらを考えてみましょう。

 田舎で遊ぶには、遊びの季節や天候に気を遣い、場所の選定や設定から始まって、自然とのやりとり、遊ぶ道具づくり・・・と、それぞれに注意力やスキル・工夫が関わってきます。「できあい」で、みんな用意されている『街の遊び場』とはまったくちがいます。自主性と積極性の発現です
 手触り、目配り、匂い・・・日々五感をフルにはたらかせ、「目的」や「目標」に向かう行動や作業をくりかえしていきます。虫とりや魚とりなどは、時に「第六感」をはたらかせる必要さえ出てきます。 
 しかも、競争があり相手よりうまく、という競争意識や上昇志向がともないます。これらを小学校に行く前から経験していきます。つまり、ひとりでに脳のバランスの良い成長がともないます。

 企画・実行・完成もしくは未完成・工夫の連続です。素材。タケや木や金物、蔓・ひも・縄・紙・布・・・いずれも、それぞれの特徴や流用の可能性を「検討」し、頭を巡らせていきます
 素材を『加工する』には道具が必要です。その道具から準備し、用途に応じて手入れも必要です。ちなみに、ぼくの場合、小学校三年生の時には、既に半田ごてを使えた(つくったのは魚用の銛や腕白遊びの、実際に「弾がでる」鉄砲でした)し、家の配電盤のヒューズ取り替えなども当たり前でした。
 刀や弓矢はもちろん、釣り竿づくりや操作・竹とんぼの制作・金槌や鑿・やすりの使い方、つるべやポンプの水くみ、粘土細工・日光写真や鳥もち遊び・・・木登りや上った屋根からの『俯瞰』・川の中のものの見え方・水に潜っての光の動き・・・と、遊びひとつひとつの中に、「イベント感覚ではない」『科学(実験)』がともなっているのがわかるでしょうか。これらを自然に体得していく成長です。

 大気・気温・水の流れ・地勢・・・生物・物理・化学・地学・・・折々の遊びの対象に、いずれも何らかの『学習内容や学習対象』が関係してきます。抽象学習の前に、学習内容の「元(はじめ)」、つまり抽出された「抽象」の「原点」に触れています。それらは教科書での勉強ではありません。遊びの一環です。おもしろさのはじまりです。

 抽象の前の原点や現象が「身につく」ことによって、類推や想像力が強化され、イメージが豊かになっていきます。つまり、教室での抽象的な学習にも、強力な「イメージの応援」がはじまります。それによって理解が進み、好奇心や関心も広がります。次を知りたくなります。ぼくが『勉強』を嫌いにならなかった理由はそうだったのではないか、という回想です。

 そういう視点で考えると、子ども時代のエジソンやファインマンやファーブルなどの「体験」と「すばらしい研究を前に進められた駆動力発揮」の原点もストンと腑に落ちました。伝記から見れば、「抽象の前の具象」、やはり「体験がきっかけ」だと想像できます。
 ぼくはずーっと中途半端のままで、ノーベル賞は「夢の中でも(!)」出てきませんでしたが、これらの発展の行きつく先が先述した「ノーベル街道」の出発点ではないでしょうか。来週は「石ころ・・・」の指導方法を紹介します。