『子供たちにとっての本当の教科書とは何か』 ★学習探偵団の挑戦★

生きているとは学んでいること、環覚と学体力を育てることの大切さ、「今様寺子屋」を実践、フォアグラ受験塾の弊害

難関大学合格にフォアグラ指導や缶詰授業は必要か? 2

2013年02月23日 | 学ぶ


 この「夢の教科書を求めて」では先々週から、子どもたちの現状・特にそこから生まれる学習上の問題点について考えています。
 今後、子どもたちへの今までの学習指導に対する疑問点とその改善案、学ぶ面白さを中心に据える学習指導へのシフトチェンジの可能性などについて、団で順調に育ってくれた子どもたちとの経験をもとに継続的に考えていきます。
 教育界とは無縁の暢気さと気楽さ、「井の中の蛙、大海を知らず」かもしれません。しかし「銀も金も玉も何せむにまされる宝子にしかめやも」。子どもたちの現状を見る限り、憶良に倣って、もう一度「社会にとって、いちばんたいせつなものをたいせつにすること」を、みんなで真剣に考えなければいけませんね。その小さなきっかけにでもなってくれればよいと、前に進みます。

 

 自らの理想から見ても、ぼくの指導法もよちよち歩き始めたばかりです。暗中模索の日々です。

 しかし少なくともフォアグラ指導や缶詰授業で、子どもたちにとって必要のない労力・可能性・時間という無駄遣いだけはしていない、そして「ガス欠」にはしていないことは、ご理解いただけると思います。

 

 こうしている間にも、世の子どもたちはどんどん育っていきます。少しでも「脂肪肝のガチョウ状態」から抜け出せるようなアイデアをともに考えていきませんか。「勉強する子どもたちの学び」が、肝硬変の致命傷状態」にならないように。「学ぶことに対する意識」が崩壊してはよくありません。
 先週はOB諸君の偏差値についてお伝えしました。「偏差値を頼りにフォアグラ指導・缶詰授業をつづけること」に対する問題提起でした。今週と次週は団で過ごした彼らの学習期間・学習時間・学習内容そして指導方法について紹介します。
 さて、右は先に紹介した十三名の団在籍年数のピックアップです。
 左から進学大学・入団時期・小学生時の在籍年数・六ヶ年私立中学進学後のOB教室在籍年数(一名は公立)・合計在籍年数を表示しています。小学生入学時からの団在籍年数が7年以上の諸君の枠をピンクで色づけしてあります。
 団に7年以上在籍して現在まで大学受験を終えたのは右の8名だけです。ごらんのように8名の進学先は京都大学2名、大阪大学3名で、後は広島・神戸の両国立大学と大阪市立大学です。そして、赤い枠の三人は進学先の授業と月四回のOB教室だけ。つまり8名の内5名が京大・阪大で、内京大の2名と阪大の1名は「自学」で合格しました。
 先月ご紹介しましたように、自宅浪人でまったく一人で受験準備をした自らの経験があるので、最近の予備校頼りの風潮を不思議に思い、以前、友人の県立奈良高校や私立一貫校の先生にたずねたことがあります。
  「今は学校の指導だけでは難関大学受験は無理なのか? たとえば、よい参考書で自分だ  けで勉強するという・・・」
 すると答えが
  「ちゃんとした指導ができる学校に行けば大丈夫なんだけど、必要もないのに、わざわざ予 備校に行って、学校に来たら寝てる子がたくさんいる・・・」
 何をか言わんや。何のための中学・高校受験なのか。
 そんなことであれば、中学受験・高校受験、そしてそのためのハードな受験勉強なんか、まったく意味がないと思いませんか? しっかりした指導があり、勉強もできる学校へ行くために受験勉強したのではなかったのか? そういう子に限って、あなた任せのまま、予備校でもきっと「鼻提灯」でしょう。それでは合格できません。

 

 十八歳になっても「学習は自らすすんでするもので、教えてもらうものではない」という意識がもてない本人。それを当然のこととして、「疑問視しない、できない」ようになってしまっている周囲の教育環境。
 その問題点にみんながもっと注意を向けるべきだと思います。学ぶ意味もわからず目的もなく、ただ良い成績をあげるために追いまくられた「なれの果て」が、こういうところにも現れています。
 「自ら学ぶこと」、どんな意味から考えても、それは「生きていくこととは切り離せない」ことです。子どもたちには、小さいころから、かみ砕いてそう伝えておかなければならないと考えています。
 一度しかない自らの人生を大切にするために「学び」はあります。活躍するOB諸君は、そのたいせつさを十分わかってくれたからだと信じています。
 無理をしなくても、すこぶる順調に育ってくれた彼らの学力養成経過を、よりご理解いただけるように、団のクラス編成・指導内容・指導時間・指導方法について、すこし紹介します。

(1) クラス編成
 団には腕白ゼミ(原則三年生)・基礎課程(同四年生)・充実課程(同五年生)・発展課程(同六年生)の四つのクラスがあります(クラス名のあとの「原則」の意味は、他の子より学習が進む子が出ますから、そういう子は特進生として上のクラスに進級するからです)。
 その間、後で述べる卒業生のOB教室もふくめ、指導はすべてぼくひとりです。一人の子どもの成長を一人で6~7年間も見続けることができるわけです。

 

 また課外学習や立体授業等、宿泊や野外での活動もつぶさに見ることができますから、子どもの成長というより、一人の人間としての成長にも関わることができます。ちなみに、そのとき心しているのは、以前米作りのところで紹介しました学探三訓、「嘘をつくな・狡をするな・楽をするな」というシンプルな標語です。シンプルなものほどたいせつで奥が深いものです。
 各クラスそれぞれ一クラスで、今まで多いときでも十名以内にとどめています。それ以上になると目が届きません。課外学習・立体授業の安全面の確保・十分な指導もできません。
 小学校卒業後、また私立中学に進学して、さらに団で学びたいと通ってくれる諸君のために前述のOB教室を用意しています。中学以降の在籍年数は、このOB教室で学んでくれた年数です。
 たとえば7期生の京都大学へ進んだY君は小学校4年生で入団し、高校3年まで、都合9年間団で学んでくれたことになります。次週は指導内容と指導時間等についてお話しします。

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難関大学合格にはフォアグラ指導や缶詰授業が必要なのか?

2013年02月16日 | 学ぶ

 

 先週のつづきです。初めての方はぜひ前回の話もお読みください。

 さてOB諸君の大学進学リストの内容について補足説明します。
 自らの苦い経験を省みれば、大学は、ぼくのように「脳天気な田舎者のあこがれ」だけによるのではなく、「何を学びたいのか、そのためには、どの先生の指導のもと、どういう環境がいいのか」などの条件を十分考慮に入れ決定することが理想です。
 さらに大学合格はあくまでスタートラインにしか過ぎません。したがって、進学する上で必ずしも東大をはじめとする難関大学がベストとは限りませんし、ぼくも難関大学合格だけを価値基準に置いているわけではありません。

 

 しかし、保護者の方たちはOB諸君が進学したような大学を念頭に置いて学校や塾を選択するのでしょう。その果てに問題にしなければならないフォアグラ指導や缶詰授業があります。
 果たして中学受験(小学受験は言わずもがな)からのフォアグラ指導や缶詰授業が、これらの大学合格には欠かせないものなのか? 多くの保護者が考え、子どもに強いているようなハードな『勉強』を続けなければ合格は無理なのか。
 こう問題提起をしようと思えば、その意図を誤解されるようなおそれがあっても、先のリストのように大学名を例示した資料を提示しないわけにはいきません。大学名も挙げずに「そんなにむちゃな勉強をしなくても、すばらしい大学に入れますよ」だけでは、ぼくの言う、フォアグラ指導や缶詰授業の必要性の是非の判断材料になりません。
 閑話休題。説明に進みます。

(1) 京大三名・阪大三名・国公立医科系五名、国公立大計十三名
 (小学校時からOB教室まで学んだ二十六名内・二〇一二年まで)
表の左端の大きな数字は団が学習探偵団としてきちんと教室を構え、指導を始めたときからの卒業期別です。
 平成二十四年までの八年で、京都大学三名(内一名は医学部・薬学科)・大阪大学三名(内一名は歯学部)・神戸大学・広島大学・佐賀大学医学部各一名で国立大学計九名、大阪府立大学・札幌医科大学・奈良県立医科大学・大阪市立大学各一名、公立大学計四名。
 つまり二十六名の内、半数の十三名が国立・公立大学、その内、医学部・医科系が五名です。これは自らの過去の学習経験を振り返って、指導方針や方法にそれなりの見込みをもっていたぼくにとっても、予想をはるかに超える結果でした。

(2)すべて公立小学校出身者、そして進学先もそれぞれであること

 さて、教室は大阪市生野区にあります。記載のOB諸君は、中川・鶴橋・北巽・北鶴橋・舎利寺(以上生野区)・片江(東成区)など、すべて近くの公立小学校で、出身学校に地域の偏りはありません。つまり、私立小学校で進んだ学習指導を受けた等の偏りはありません。ふつうの小学校出身です。

 

 また中学進学先もそれぞれバラエティに富み、上宮一名・近大附属二名・清風二名・明星一名・奈良学園二名・西大和学園二名・大阪女学院一名・四天王寺一名・公立中学進学一名と、異なった中・高を経ての大学進学です。決して難関大学に多数の合格者を送り出している学校の卒業生だけではありません。 これらを考慮に入れていただければ、すべてとは言わないまでも、彼らの学力、そして学び進める力—学体力—の基礎力がどこで養われたのか、理解していただけるのではないでしょうか。

(3) 偏差値で測れないことを整える
 ぼくは偏差値の可能性だけで志望校をアドバイスすることはありません。社会で揉まれた経験から、「人間の力や可能性が数値で測れるものでないこと」が身にしみて分かっているからです。  前掲表から4科目偏差値平均だけを取り出したリストをご覧ください。ちなみに偏差値は、中学受験に関わった近畿地方の人たちなら誰でも知っている模試業者のものです。
 

 

 左側が小学校6年生時の平均で、右側が合格中学に対する合格ライン(当時の)です。わかりやすいように京大・阪大・国公立大の医学部に進んだ諸君の欄をピンクで色づけしてあります。
  赤いマスの成績をご覧ください。阪大の歯学部へ進んだ八期生、同じく阪大に進んだ三期生を除いて、残り十一名の多くは合格圈(六十~八十%)に遠く及びません。

 しかし、彼らに限らず、団から中学受験する子たちはほとんど合格します(表2参照)。偏差値の合格可能性より、過去問に対する対応力や同校へ合格したOB諸君との「共通試験紙上対決」、そして指導経験での手応えがぼくに確実な「情報」を提供してくれます。

 熟考すべきは、「本人の行きたい学校で本人が勉強(パフォーマンス)できるような条件を整える(準備をさせる)ことができたかどうかということ」だと考えています。それがぼくたちの最大の責務です。
 「合格して勉強したい、そのためには何が大切なのか」。落ち着いて考えられる力が育っているか。追い詰める力は身についたか。学ぶ面白さに目覚めているか。
 そういう観点から指導すれば、仮に受験に失敗したとしても(そんな子は団にはほとんどいませんが—表2参照)、その後の「巻き返し」がいくらでも期待できます。偏差値の数値ではなく、「本人と学ぶこと」に対する手応え、そしてOB教室での「さらなる学体力の養成」の確信ができた数年後の姿が彼らなのです。OB教室の間伝え続けるべきは「学ぶことの面白さ」であり、「自らにとって、学ぶことがもっている意味」です。それを考えるようになれば「ガス欠症候群」はおきません。

 

 話が少しそれました。彼らの偏差値について説明します。
 近畿地方以外の人たちは、I社の偏差値レベルの判断がつかないかもしれませんので、ネットで公表されている全国規模の大手塾の偏差値との比較をしました。いずれも二〇一二年受験用のものです(表3)。前記の大学に進学した諸君が進んだ中学の偏差値をピンクの枠で特定してあります。
 左側の全国レベル大手塾と右側のI社の偏差値を比較してください。大手受験塾の選抜クラス、「エリート意識のかたまりのような小学生」なら、「歯牙にもかけない」・「相手にならない」レベルではないでしょうか。ところが、その彼らがOB教室を経て大学受験をするようになると、能力を存分に開花させ、互角以上に戦うこともできるようになるわけです。
 ちなみに、6年生時のI社偏差値が60弱だったY君は、京大に合格した「春」に、一学年下で、その後大阪大学と神戸大学に進学した二人の数学力を見事に判断、分析し、解法のレベルまで指導することができました(団で一緒に学んでいたので気になり自主的に訪問してくれていたのです)。
 今回の資料を見ていただければ、「一時の偏差値だけで能力判断はできないこと」そして「それぞれの子どもたちがもつ可能性の大きさや能力のキャパシティ」をよく理解していただけるのではないでしょうか。
 フォアグラ指導や缶詰授業など、ほんとうに必要なのかどうか。次回は彼らの指導期間・教室での学習指導時間・指導内容等について少し詳しくお伝えします。

  

 

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夢の教科書を求めて 1

2013年02月09日 | 学ぶ

 


学ぶおもしろさを知らない子どもたち
 昨年の二月から毎週土曜日に更新、早いもので一年が過ぎました。その間、いつも悩んでいたことがあります。果たして、僕が考えていること・伝えたいこと・思いが正確に伝わっているか。
 筆力不足(表現力不足)です。日ごろもそうなのですが、子どもたちへの思いが強すぎるあまり、ことば足らずで、誤解されたまま終わってしまっているのではないか。
 たとえば、右の表の提示もそのひとつです。こういう体裁で例示すると、指導力のアピールとしか判断されないのではないか。読む人に、ぼくの真意をほんとうに理解してもらえているだろうか、という懸念です。

 

 学ぶことがほんとうに好きになった、どこに出しても恥ずかしくないような子どもたちを育てたいという夢はありますが、これによって入塾生を多く集めたいという意図はありません。仮に希望者が増えるようなことがあっても、小さな教室一つ、指導者一人では現実問題として対応できません。きちんと目も届きません。今後補助教員を雇うつもりもありませんし、そんなに長くやることはできません(ただ、指導方法や指導方針については、悩んでいる保護者の方々、子どもたちが大好きな意欲ある先生方はいつでも連絡してください)。この表で、ぼくがいちばん伝えたかったことは、自らの人生の反省にも照らし合わせた、子どもたちの学習環境や指導方法に対する問題提起です。
 先週の最後にも触れましたが、受験勉強によるガス欠症候群の解消です。これからも学習を続けていかなければならない子どもたちのために、現状行われているより他に、もっと彼らの生来の可能性を生かせる素晴らしい学習方法・指導方法があるのではないか。
 最近はそれほど問題視もされなくなりましたが、依然として、あまりおもしろくないまま、わからないことをたくさん抱え、それを「頭の隅にしまったまま」の学力不足の小学生。一方、塾通いの子たちは、合格を目標に「学ぶおもしろさ」はひとまず置き、受験用としてやむを得ずエッセンス羅列の暗記中心の学習ばかりを進めている。現状はそういう図式です。
 子どもたちの学習のようす、子どもたちが今置かれている状況を落ち着いてもう一度振り返り、きちんと対策を立てることがもう待ったなしではないのか。そうおもっているからです。
 特別に選抜されたわけでもない子どもたちが受験に「忙殺」されず、ふつうに子どもらしい生活を送ることで、ちゃんと育ってくれたという現実。それをこのリストから読みとっていただき、子どもたちが本来持っている可能性を全開花すべく方法を、子どもたちに関わるみなさんに検討していただければと考えているのです(表の説明と学習のようすについては来週紹介します)。
 

ちなみに、巷では、受験指導がどう行われているか。まだ、中学受験や受験の様子を知らない方のために、少しその様子をお伝えします。

たけし おいらも受験数学はすぐ忘れちゃったね。最近の塾で子どもたちに教えているのは、こういう問題が出たら、何も考えずにこういう公式を使いなさいと、記憶力と反射神経だけで解くやり方なんですよ。これでは発想する力が育たないと思う。

藤原 私の息子の通った塾なんてすごいです。数列の問題の解き方は八種類しかないというので、
それを全部覚えさせて「頭から順に試していけ、それで必ずできる」と教える。本当に反射神経的にやれば簡単にできてしまうんですよ。ところが、大学の先生が自分たちのつくった入試問題を同僚に解かせると、結構、解けないんです(笑)。でも、東大の理に入るような生徒は、それを瞬時に解いてしまう。数列だったら、「八種類のうちのどれかな。あっ、これだ」ってササッと解く。しかし、一番重要なのはそんな解き方を知っていることではなくて、いろいろ問題をひねくったりして考えて、考える喜びや、一生懸命考えた後で発見したときの喜びを得ることでしょう。
(「達人に訊け!」ビートたけし著—藤原正彦 新潮社)

 今から7年くらい前の本ですが、受験業界では現在もこうした方法が先鋭化しています。過去問や試験に出てくる可能性の高い予想問題を要領よくまとめた参考書や受験用問題集を演習し、その正誤を確認し、正答や解法の演習と暗記をつづけるという方法の連続です。また、日ごろ塾から与えられた膨大な課題を、面白さが先立つわけではなく、「受動的」あるいは「事務的」にこなし、小・中・高・大と受験のたびに、ほぼ毎回、上記の引用のような指導が続きます。

 

 子どもたちに学習そのものの面白さを感じさせるような指導、受験の先にあるべき大きな目標に子どもたちが目を向けるような指導方針にシフトされてきているようすはありません。「させられる勉強」ばかりで、「したくなる勉強」が同時に行われているわけではありません。
 子どもたちの意識の中では結局、勉強はすべて暗記中心、そして目的は、いかに問題の正答率を高めるか、それによって合格する可能性を高めるか、という方向に集約されます。
 学習は受験で終わるわけではありません。子どもたちを学習に駆り立てる駆動力は何か。合格目標以外の駆動力を発揮させるように研究を重ねているようすはありません。受験以外に学習そのものがおもしろくなる指導、あるいはおもしろくなる環境を育てる方法が検討されているようすはありません。
 さらに入試前ともなると、受験塾の多くでは相も変わらず「カンヅメ」授業がはじまります。特別クラスに「業界」のエキスパートを結集し、練りあげた「高額」の合格パックを用意し、年末から入試まで学校さえ休ませます。一日じゅう受験知識をガンガン注ぎ込みます。
 学習指導は、有無を言わさずロートでエサを流し込むフォアグラづくりではありません。子どもたちはガチョウではありません。

 

  「学校の先生方は、偏差値の高い学校に何人入れたかということに、血眼になっているが、そ んなことをカウントしたところで何の意味もない。もし、先生方が、偏差値の高い学校に一人で も多くの生徒を合格させることを、自分たちの教育効果であると本気で考えているならば、ま ったく間違っている。本来、教育効果というものは、教えた生徒が、一生のうち自分の天分をど れだけ発揮し、伸ばすことができたかでわかるものだ。要するに、生徒が棺桶に足を突っ込んだ ときはじめて、その人間に関わった教育者たちの教育効果がわかるのである」
(「独創教育が日本を救う」西澤潤一著・PHPブライテスト)

 ぼくたちみんな、親も教師も相変わらず「棺桶判断」のたいせつさは忘れて、偏差値のカウントばかりに気をとられているのです。受験合格だけをターゲットに、勉強にまで簡便さと手軽さ・楽を求める購買意欲。「その購買意欲の掘り起こし」だけが目的の「学習市場」。夢を目標に、学ぶ面白さを手に、目をキラキラ輝かせて、たいせつな人生を歩きはじめる子どもたち、その理想はどこへいってしまったのでしょう。

 

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スタンスは「おじ兄ちゃん」

2013年02月02日 | 学ぶ


 会社勤めの傍ら、塾を始める準備がはじまりました。夢を抱いて教育学部へ入学したものの、筑波移転や学内の混乱に嫌気がさし、大学は終えていません。家庭教師の経験はあるものの教職にも就いたわけではありません。しかし、N学園の入試に失敗した長男も、たった半年足らずの学習で第一志望だったS学園には無事合格してくれました・・・。
 やはりそうなんだ。受験勉強だけなら半年間でもやれるじゃないか。むずかしいことではない。取り立てて意識することなんかまったくない。受験勉強なんかに振り回されないで学習の正道を歩めばいいんだ。そして社会経験なら有り余るほどある。
 ふだんから子どもらしい生活を送り、もっと楽しく学習を進めることだってできるはずだ、「子どもらしく遊んでいるからわかること」だってたくさんあるんだ。勉強が子どもたちに「仲間はずれ」にされているような現状はおかしい・・・当時の世相からの「感想とひらめき」です。

 

 伝を頼って来てくれた子どもたちの様子から、学習や遊び・学校生活のようすが、さらによくわかってきました。勉強のようす・遊びのようす・親子のようす・・・子どもたちや子育てが「いびつ」になっている。いびつはいけない。長男の入試の際のできごとを振りかえると、「ないがしろにされているであろうこと—ぼくたちは人であること」から伝えなければならない・・・伝えたいことが山ほどある・・・。
 ふつうの先生じゃだめだ。ふつうの先生はそんなことまで教えない。それに「先生」呼ばわりは、ぼくの柄じゃない。だけど、やはり先生だから、「おじちゃん」だとまずい。やさしすぎる。鋭さ(!)がなくてはいけない。だからといって「兄ちゃん」だと強欲すぎる。そうだ、子どもたちの「おじ兄ちゃん」—そのスタンスだ。子どもたちの「おじ兄ちゃん」になろう。これなら「おじいちゃん」になっても大丈夫だ。「おじ」までいっしょだ。ニヤッと、そんなことも考えていました。

 

 「蜻蛉を追いかけるのが大好きな君たち!国語を『昆虫採集』してみないか? 算数も『手づかみ』できるんだよ!」。何とか準備が整い、思いを伝える折り込みチラシのコピーが決まりました。高校時代の夢をふくらませ、ほんとうにやりたいことが見つかるまで、とんでもなく長く回り道したものです。友人がサブネームをプレゼントしてくれました—Field work Study 。そして子どもたちがやがて愉快なキャラクターをつくってくれました。

 

・・・こうして始まった子どもたちの「面白い学習」を探す試みが、僕の想い出と子どもたちとの現在を重ね合わせて今も続いています。

 

参考のために
 苦しい受験勉強を何年も続けて、中高一貫難関校へ進み、「ガス欠」になってしまった子はいないでしょうか? 
 団の指導を経て半年で中学受験を乗り越えたのは長男だけではありません。他に半年(六年生の夏休み前入団)で中学受験を乗りこえ私立進学を果たした子が二人(上宮中学・帝塚山中学)います(帝塚山中学合格者はその後の進路の連絡を受けていません)。
 上宮中学進学者は、その後OB教室を経て札幌医大に進み、医師として救急医療に邁進しています。小学生時代半年間在籍したもう一人、国立教育大学附属中学を目指した子は残念ながら中学合格の夢は叶わなかったですが、やはりOB教室を経て天王寺・四天王寺の両高校に合格し、奈良県立医大に進学しました。

 子どもたちが、夢を果たせない、つまらない燃え尽き症候群にならないような指導を、子どもたちに関わるみんなで目指さなければなりませんね。たいせつな子どもたちの一生のために。

(「蘇る夢」の稿はこれで終わります。来週からは「夢の教科書を求めて」第一回・教科書は見知らぬアルバム1です)

 

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