『子供たちにとっての本当の教科書とは何か』 ★学習探偵団の挑戦★

生きているとは学んでいること、環覚と学体力を育てることの大切さ、「今様寺子屋」を実践、フォアグラ受験塾の弊害

発想の転換が可能性を開く36

2018年10月27日 | 学ぶ

教科書をしまって、野道を歩こう。
 かつて一世を風靡した寺山修司の「書を捨てよ、町へ出よう」(角川文庫にあり)のイメージからです。単純に「教科書は要らないのか?」と考える人がいるかもしれません。
 しかしこの台詞のもとになったアンドレ・ジッドの作品(「地の糧」)はもちろん、寺山修司の作品からうかがえる教養の深さを見ても、決して『書を捨てた』わけではありません。「『書を捨てよう』と云えるほど多く、『書を読んだ』人たち」です。
 「教科書がまったく要らない」と言っているわけではありません。ただ、「『教科書に書いていることを教科書だけから学ぶ』ことはやめよう」と云いたいのです。おもしろくないからです。
 そういう学習をすれば、教科書どころか、いつのまにか「膨大な書の大海(知の宇宙)」にも乗り出す大きな可能性がある(エジソンは、図書館の本を全部読もうとしました)、学習指導の方法(論)を再考しよう、「新しい学習指導の道に踏み出しましょう」、という提案です。
 「発想の転換」によって、「学習内容・学習対象に対する親近感」や「なじみ」が増し、それらを明確に「イメージ」できます。その前提があって初めて、「考えること」ができます。まず学習対象を『知っている』どうかの確認がたいせつです

「知っている」と「見たことがある」の大きなちがい
 「何も(知ら)ないところから、『言葉で表現されたもの』の代表的特徴・性質・エキスだけ」をできるだけ「うまく」理解し記憶に残してゆく、というスタイルが今の学習です。しかし、「まったく手がかりのないもの」や「類似の対象も知らない、新しく聞いたもの」を想像して「イメージを形成し、理解を進める」などと云うことが、「子どもたち(経験値の少ない学習初心者)」に、そんなに「うまく(!)」できるわけはありません。「知らないこと」を最初から興味深く学べる子は少ないでしょう。特に学習を開始する小学校では大いに問題ありです。
 「何十年も生きてきた成人(私たち)の経験知の積み重ね」と、「高々10年足らずの乏しい経験で抽象(文字や数字)を頼りに学習を進めなければならない子どもたち」の間には、どの科目においても、(学習)対象のひとつひとつについて、「計り知れない認知度のちがい」があることに、指導する側は、もっと注意を払うべきだと思います
 春、孫娘を「筍掘り」に連れていくことに決めて、「筍って知ってる?」と聞くと、娘(お母さん)が「知ってるよ。この間絵本を見てて、『筍や』ゆうてた・・・」。
 これは『知っている』とは言いません。学習するために大切な、「知っている(to know well)」と「見たことがある(to have seen)」の区別がきちんとできていません。このまま学習を進めれば、理解は行き届かず、親近感も持てません。だからおもしろくないのです。子どもたちの大きな「落とし穴」になります。
子どもたちもよく云う、「知ってる!、知ってる!」という返答。その「知っている」はほとんどの場合、「見た
ことがある」だけです。子どもたちは(実は、ぼくたちも)知らないのに、「知っている!」と思って(しまって)います。
「『知っている』を、その程度の『知り方(?!)』でよいもの」と理解し、「実は知らない、ということ」に疑問をいだくまで至りません。「見たことがあって、名前がわかっていれば、知っている」と「思い込んで」います。そういう認識がほとんどです。
 「知っている」をそのレベルで納得してしまうと、「おもしろいこと」は始まらず、「好奇心」は育ちません。追求すべき理想は、「みんなが知っている対象知の『一歩先』」です。おもしろさや学習内容への知的探求心の喚起は、現実・実際の姿からうかがえる、その『奥』に隠れています
 指導者には、たとえば「ほんとかなあ? 知ってるかなあ?」という問いかけから始まる、「知のおもしろさ・深さへ子どもたちを誘導する」さまざまな『指導の工夫』や『仕掛け』が欠かせません。
 「『竹の子(学習対象の「現物」)』については何も知らない、その『知らないこと』を学べばおもしろくなる、そして『奥のある学習』に波及していく・・・」。指導者は、いつも、そのイメージをもたなければならないと思っています。そういう指導を経て、子どもたちは「学習に、『より』おもしろさを感じて」育ちます

環覚を育てられる指導者に
 「子どもたちの感覚」を実感するには、たとえば「日ごろ、自分たちが通勤するときに、実際に周囲の対象にどれだけ目が届いているか、どれだけ対象を見極めているか」をていねいに振り返ることです。
 日々、何か「おもしろいもの」を見つけていますか? ふだんの環境から、何かおもしろいものが立ちあがってきますか? 「みんな知っているもの」と思って、あるいは日々の雑事に追われて、よく見もしないでしょう?
 周囲が雑事に追われていても、少し子どもたちに環境のSOMETHINGに注意を向けるようアドバイスすると、子どもたちはさまざまなものに気づき、目を留めて学ぶものです。「おもしろいものがたくさん見つかる年齢」なのです。そのおもしろいものを見つけるセンスが『環覚』です。
 おとなのぼくたちは、「『知っている』と思ってしまえば、ほぼ見ない」ように育ってしまっています。その環覚が子どもたちに移れば、『おもしろいもの』があっても、『おもしろいものは何もない』という子に育ちます。周囲がおもしろがらなければ、好奇心は育ちません。おもしろいことが始まらず、学びは広がりません。 
 まず対象を「きちんと」見て、色や形、そのしくみや変化・推移に目を向ける、観察する。それが「環覚」を育てる指導者としてのスタートです。
 通勤途上、雲の流れや、いつも見慣れたはずの景色のそれぞれに視線を移してみる。雲の高い低いや、雲が浮かんでいるようすに、はじめて気づいたりします。少し注視するだけで次第に空に溶け込む山並みのグレーのグラデーションが明らかになります。その色の『気づき』を子どもたちに話します。
 「対象」までの大気の層の厚さのちがいに想いが至り、そのかかわりがもたらす「見える色の変化」から、「大気と光のしくみ」というテーマが現れてきます。調べることも出てくるかも知れません。
 「大気はふだん意識せず、見えない」がゆえに、その話題は、子どもたちには新鮮な驚きです。
 陽光・夕焼けから星の光にも指導展開できるでしょう。何万光年という光の旅路から、「宇宙のとんでもない大きさ」と、「地球の過去の歴史や時間」にイメージが広がります。
 夏に捕まえたホタルの発光や、玉虫の発色の秘密。その秘密は、「色が光によって見えている」という事実をはじめて学ぶためには、恰好のテーマです。光の三原色と色の三原色も、彼らには新鮮です。それらは、虫を追いかけ捕まえているから、さらに心に響くのです。光は「ほとんどすべて」にかかわる『切り口』です。あらゆる学習に関係します。葉緑体の緑と光合成と光はそこで結びつきます。
 部屋の外では、街路樹や木立が微妙に色や姿を変え、季節を先取りしていきます。ゲームばかりしている場合ではありません。
 よく使う大阪線では、大阪から奈良への県境で、春から夏にかけ貴重な笹ユリやきれいな雉子を目にします。秋になると、ひときわ早く、ハゼや漆の鮮やかな紅葉が目に止まります。
 自らの日々の発見を子どもたちに伝え、彼らの反応から手応えを探り、次の指導に想いを向ける。子どもたちとの、そうしたやりとりが彼らの「環覚の発達」に大きく貢献します。子どもたちの周囲で、学習対象が少しずつ意味をもち、立ちあがってきます。立体授業の王道です。
 空気感・気温・風の音、途中の植え込みや街路樹・飛び交う小虫や舞う落ち葉・鳥のさえずり、庭石や塀の素材や造り・・・これら「ひとつひとつ」の中に、軽視すべからざる成り立ちとしくみ・それぞれのエピソードや歴史が存在します
 指導する側が、日ごろの自らの、それぞれの対象への視点を転換、また逆転することで、指導の方法は大きく広がります。その「ひと味(!)」を子どもたちは、待っています。
 現在、小学校や中学校では、「理科や算数を、それぞれの『専門家』の先生にゆだねる」方法が一般的のようです。しかし、ぼくは「専門家であるがゆえに、その視点が画一化し、概して抽象的な指導や解説で終わってしまうことが多い、子どもたちも結局そのままディレッタントで終わってしまう。そういう例も多いのではないか」と想像しています。
 「知っているという、その専門性の自覚(自負?)」ゆえに、往々にして、指導の内容が『日常の発想 (ピュアな発想)』ではなく『学習・勉強の範疇』に入ってしまうのではないか。「観察」ではなく、「まとめ」に終わってしまうのではないか。そんな懸念があります。
 指導のイメージは、教科書の学習からではなく、「日常生活からさかのぼって学習内容に至る指導」。そう考えるようになりました。まず、「ものの存在」・「もののありよう」に気づいてから指導、という「逆転の発想」です
 専門家ではなくて、謂わば『素人(!)』の先生が、周囲の(学習)対象や(指導)内容に興味をもち、自らの疑問や不思議を発見・解明していくことでこそ、たいせつではないのか。素人的発想(!)や、単純な疑問の「膨らみ」が、子どもたち(私たち)の「環覚」を養う指導の大きなターニングポイントになるのではないか。「環覚の立ちあがり」を誘い、学習をおもしろく変えていく。そう感じています。
 専門家が専門を教えることで『天才』が生まれるわけではなく、あらゆる『心ある』先生が子どもたちに「『天才』に育つきっかけ」を与える。日ごろ子どもたちにいちばん長く接する機会のある先生たちが、そういう発想と視点をもち指導にあたることで、子どもたちの、「頭一つ越えた成長」への道が開ける、その後彼らは自ら「天才」を育てる。そう考えています。教科書をしまって、野道を歩こう。
 


発想の転換が可能性を開く㉟

2018年10月20日 | 学ぶ

がんばって、と言ってますか?
 かつて、ひとりのお母さんが
 「先生、この子、宿題に時間がかかってしょうがないので、減らしていいですか」。

 また、別の日、同じお母さんが
 「怖がるので、身内の葬儀には連れて行かないし、死に顔も見せたことがない」。
 育てられた男の子は他の子に比べてなかなか成績が上がらず、中学受験した数校すべて不合格でした。ランクを落とした最後に何とか滑り込めたのですが、苦戦の原因はどこにあるかわかりますか?
  団の宿題は、学力や志望校、不得意科目、性格などすべてを考慮し、「必要最小限のもの」を提案しています。受験するにはこれくらいはおさえておかなくてはならないという程度です。大手進学塾や他の受験塾とは比べものにならない少量です。その準備ができないのですから、結果が芳しくないのは当たり前です。
 

 受験に限らず、何か願いを叶えたかったり、目的を達成しようと思ったら、レベルに応じた我慢や努力は欠かせません。他の諸君とおなじように合格したければ、少なくとも彼等と同程度の努力や我慢が必要だということを教えなくてはなりません。まずお母さんがそのことを理解していません。
 「我慢をさせず」ほしいものは何でも与える。「意見を聞いて、すべて子どものいうとおりにする」というように育てた「軟弱さ」が、入学試験など一人でパフォーマンスしなければならないときに、「詰めの甘さ」や「精神的な弱さ」して露呈するのは当然です。

 意見を聞いて自主性に任せるのは中学生になってから。小学生時代に教えるべきことを教え、きちんと判断力や理解力を身につけてから。当然の指導やしつけをしないから中学生になってから、手の打ちようがなくなってしまうのです。指導やしつけの順序が逆です。
  こういう文書があります。(以下はNHK「知るを楽しむ―江戸の教育に学ぶ」のテキスト、河合敦さんのコラムを参考にさせていただきました)

 

   一、年長者の言うことに背いてはなりませぬ。 
    二、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ。
    三、虚言(南淵注 うそ)を言うことはなりませぬ。
    四、卑怯な振る舞いをしてはなりませぬ。
    五、弱いものをいじめてはなりませぬ。
    六、戸外でものを食べてはなりませぬ。
    七、戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ。ならぬことは、ならぬものです。
 
 これは江戸時代、会津藩で子どもたちが唱和した「什の掟」と呼ばれるものです。
 会津藩では六・七歳になると子どもたちは城下の寺子屋や私塾に入りましたが、同時に「什」と称する十名前後のグループに属し、行動をともにしました。そのリーダーは9歳(小学校3~4年生です!)でした。

 毎日遊びを始めるときは仲間(今でいえば幼稚園の年長児(!)から2年生)に向かって、「什の掟」を読み上げ、子どもたちは一条終わるごとに返事をし、お辞儀をしなければならなかったといいます。
 掟を読み終えたリーダーが「昨日より今日まで掟に背いたものはあるか」と尋ね、違反を誰かに告訴されたり告白したものがいたら、みんなの制裁を受け、罰則が待っていました。

 河合さんは、こうした規範があったため、会津藩士は掟を破らず武士らしく行動する習慣が身についたといいます。 また、寺子屋や私塾から戻った子どもたちは、羽織袴姿のままで仏間に入り、「いつ藩主から切腹を申しつかってもいいように」切腹の練習もしました。
 江戸時代には一般の寺子屋で使われている教科書も、三行半と呼ばれる離縁状をはじめ各種の契約書など、日常生活で大人が使用するものを教材にして学んでいました。
 もちろん、こうした例を挙げたからといって「什の掟」や「切腹」がすばらしいという意味ではありません。現在の子どもたちが、年齢よりいかに幼く、「超保護!」に育てられているかの参考にするためです。 
 

 小学校の運動会も、ほとんど個人レベルの競争・競技がなくなりましたが、それが極端に過保護で一面的な考え方だという認識はないようです。足の速い子や遅い子、勉強のできる子できない子、喧嘩の強い子弱い子、力の強い子や弱い子、歌のうまい子、絵のうまい子等、それぞれちがいがあるから人間らしい社会です。
 「こっちで負けたけど、あっちで頑張ろう」という意欲、「その差を克服する努力」が個としての存在を確立し、個性を育み、お互いを尊重し合う結果になります。協力関係が成立します。

 
 正々堂々の競争は自らを鼓舞し、さらに自らのレベルを上げていくための原動力になっていくはずです。いいかげんなレベルでのお互いの「傷のなめあい」ではなく、強さ・弱さを自覚し、それぞれが補い合うことで、より親近感が増し、社会全体のバランスもしっかりとれるようになります。
  いくらオブラートに包んでも、ぼくたちの社会の根底には、いたるところに競争の網があります。動物の進化を考えても、受精や誕生そのものが競争の原理に基づいています。廃用萎縮というからだのしくみは、「それを避けては順調に生き延びられない」ということを表しています。

 また、「健康」状態一つとってみても、身体は日々数多の悪性細胞やウィルス、病原菌と競争しています。「戦って勝ち抜いて」健康でいられるわけです。競争もない無菌状態の中では健康を維持する免疫機能さえ成立しません。
 競い合うことの大切さ、自分が競争できるものを見つけることの大切さ、しっかり目を見開いて、競争に旅立つ子どもたちを勇気づけて送り出してあげましょう。「頑張ってね」と。子どもは、ひとまわりもふたまわりも大きく育つはずです。

死を見つめる目がたいせつなことを教えてくれる
  先に「身内の死を怖がる」という話が出ました。ずっと子どもたちに話してきたことですが、「死」について考えてみます。そこからすべてが始まります。

  有名な秦の始皇帝のエピソードをはじめ、死ぬことを厭い、不老不死を望んだ人はたくさんいます。また、ぼくたちも命の短さを儚みます(この「はかない」という字が人の夢と書くのはほんとうにいいですね)。
 もし、不老不死であれば、この世の中に「愛」や「努力」、「成長」や「進歩」という前向きの姿勢や概念は生まれなかったのではないか、 「いつでもできる」「いつでも手に入る」という前提の下ではこうした行動や概念は生まれません。
  限りある命を意識し、死を見つめることで、生を共にしている人へのいとおしさや愛が生まれます。一人では限りがあり営みを完結できないが故に、ぼくたちは完全なもの・より良きものにあこがれ、目標を決め、努力できます。 つまり「寿命があることで、ぼくたちはかけがえのないものをたくさんもらっている」わけです。

 生命に限りがあるので退屈な日々ではなく、苦しみながらも人生に幅ができ、心豊かな日々を送ることができます
  ところが、高齢社会にもかかわらず、「死を見たくない」ばかりではなく、「できるだけ忘れるように」、病・老・死を表面上はともかく、「できるだけ隠そう、排除しよう」とする社会になってしまっているのではないでしょうか。若い人は死を知らない・考えない。ニュースで報じられる様々な事件は、そうした傾向の典型だと思います。核家族化が進み、少年たちは自らも「年をとること」、「弱くなること」がイメージできず、また「老いること」、「醜くなること(彼等が考える)」、「死ななければならないこと」が分からずに育ってしまった。

 もちろん環境の変化や教育機関、保護者の指導や躾(これもいい字ですね。「しつけ」とは「身」を美しく保つことです)等、様々な原因が輻輳していることは否定できません。しかし、根源にあるのは、「成長の過程で人の死や老いに向き合う環境がなくなってしまったこと」にあると思っています。自然体験の不足も大きな原因のひとつでしょう。
 貧しかった日本では、かつて家で病人を囲い、家族全員で病気の成り行きを見守り、その症状に一喜一憂するということが一般的でした。一人が病気になることで、その人が家族にしめる「重さ」が分かりました。
 子どもたちは「病む苦しみ」を側で見て、「つらさ」を感じながら育ちました。家族の絆を保ちつつ、やさしさを身につけて育ちました。そして、一つの命が終わったとき、「生きること」の確認と「生命のたいせつさ」を考える機会がありました。優しさや思いやり、「人間らしい」感情は、「死」を見つめ、死を考える環境や経験、意識があってこそ豊かに育ちます。
  当時は「生命の限り」が一定の重みと迫力をともない部屋の片隅に鎮座していました。教壇で先生が漏らす「少年老いやすく学成りがたし」という言葉や「人生五十年・・・」という謡、方丈記、平家物語の冒頭・・・卑近な例でも「命短し、恋せよ乙女・・・」と歌われた歌謡曲等、考えてみればきりがありません。

  小さいときから子どもたちに死や老いをしっかり正面から見つめさせること、考えさせることによって、命の大切さを想い、他人を大切に考えられる愛情豊かな子が育っていきます。自らの生命、他人の生命が年とともに衰え、やがては必ず消えてなくなるということが分かったとき、ほんとうに大切なものがはっきり見えてきます。
  ところが、今は「死」も「病」も「日常からなくなった方がいいもの」、「特殊なもの」になってしまいました。「死」を医師や病院にゆだねたことで、「死」は常にぼくたちの元にあるにもかかわらず、意識だけ遠ざかった。「死」は他人事、単に「医療技術上のこと」になりはて、助かりたいという意識ばかりが先行します。きちんと死と向き合い見つめることをしなくなっているため、そのぼんやりした死の不安が逆に増幅し、さらに「病」を生むようになってしまった。「死」はどこかへいってしまいましたか。

 ぼくたちは常に「今ある自分」から出発しなければなりません。病の床にあろうと、年老いていようと、悩みを抱えていようと、事情がどうであろうと、今ある自己、やがては虚空に消える自己が唯一の自己、もとにしなければいけない自己です。逃げることはできません。
 まだ知らないけれど、子どもだって同じです。厳しい現実ですが、みんな平等です。
 人は「死なないこと」を前提にはできません。それができるのは映画のなかだけです。平均寿命が延びようと、医学がいくら発達しようと死は厳然と確実に訪れます。さらに日々身体の中では生と死が繰り返されています。皮膚、内臓では肝臓や腸、酸素をはこんでくれる赤血球など、さまざまな細胞が死んでいき、かつ生まれています。意識をしなくても死は思ったよりも「身近な」存在なのです。
 ノーベル賞受賞の利根川博士のことばです。

 「・・・人間、時間なんて限られているでしょ。自分はあと20年生きるとすると、このあいだに何をするかということさえ、本当なら考えをめぐらすべきでしょう。がんを宣告されて、あと二年しか生きられないと言われた人は、もっとシビアな立場に立つ。この二年間どうやって生きようかと、真剣に考えます。そういう極限の状態にない人は、ずっと生きると思っているから、ゴールがはっきりしない。とくに若い人はそうです。それで、くだらないことでもおもしろいというふうに誤解するのです。やってみれば別にたいしたことでもないことをね。」
( 「私の脳科学講義」利根川進著 岩波書店)

 「死」を見つめることをしないと、「今、命があること」が分からず、「今、生きていること」をたいせつにはできません。「今生きているからこそできること」、「いま生きているうちにしなければならないこと」を忘れ、悩まなくてもいいことや悩んでもしょうがないことを悩む無為な時間が増え、「ほんとうに生きているはずの時間」が大して意味をもたないまま闇に消えていきます。
 「死ぬこと」を忘れると、「生きていること」も忘れます。「人生の先輩」としてこの厳粛な事実は、子どもたちにきちんと伝えなければなりません。「人間は死ぬからね、今が大事なんだよ」という現実です。
  アンチエイジングがブームですが、「いつまでも若く元気で幸福に」というアンチエイジングの考え方の足下を死は容赦なく掬っていきます。アンチエイジングの考え方が悪いのではなくて、もしそういう言葉があるとすれば「ナチュラルエイジング」を忘れてしまっていることが良くないのです。

 死について話す機会、死について考える時間はぼくたちにとっても子どもたちにとっても、とてもたいせつです。そうした経験を経て子どもたちは、人間として身につけなければならないものをしっかり身につけ、心豊かに育ってくれると信じています。
なおTo teachers all over the worldは休載します。


発想の転換が可能性を開く34

2018年10月13日 | 学ぶ

毎週、毎週アップする時間もよくご存じで、待ちかねたように7時になるとブログを読んでいただいている、お二人の方、ご愛読ありがとうございます。

 さて、先日、富田林の逃亡犯が捕まりました。その表情を見ていると、相当な悪玉で、「ノー天気さ」がよく見えます。「悪人のノー天気」だけは手に負えません。実は、罪を罪とも思わない「ノー天気な犯罪者」が社会にとっては一番恐ろしく、そういう顔つきの犯罪者が増えてきたことに、社会の暗雲が見え隠れします。
 ふつうは、「あくどいこと」をしたのに猫をかぶって隠し続けていたり、「人心に悖ること」をして「とぼけ続けている、というような「引け目」があると、「『その非』に納得できない自らの良心」が、心の闇から顔を出します。『罪を償ってすっきりしたい』という深層心理の代償作用です
 「迷惑をかけた人・被害者や世間の動向を探りたい」と、その犯罪を隠し覆そうとする自らの心理とは逆の、犯罪が露呈してしまう行動をとってしまうようになります。頭がよいと思っている犯人、悪人にはなり切れず、まだ少しだけ良心が残っているヒトの行動パターンです

 ちなみに、こういう行動や心理作用は「自らの悪」を暴露し、きちんと償わない限り、解消しません。潜在し、次第に心の闇が深くなり、表情全体には出ませんが、目つきが悪く、顔つきや印象が変わってきます。善からぬ国の政治家を見れば、よくわかるでしょう。
 心の一隅には、いつも「黒い塊」が鎮座し、「汚れた澱」が沈んでいますから、そのうち身体にも変調を来し、大きな病につながります。大病の原因は、自分では気づきませんが、大抵こういうストレスからの免疫力の低下が原因です。善と悪との葛藤が病を呼ぶわけです。
 みなさんもつまらないことに関わらないように、気をつけてください。そこで一句。
 あくどさも調子に乗れば癌になる(松尾馬脚)ハハッ
 さて、団を始めた当時のことを思い出しましょう。

今を生きる学び
 子どもたちを学びに向かわせるために、もっともたいせつなことは、「きみたちの周りには、いつもおもしろいことやふしぎなことがいっぱいある」と教えてあげることで。「現実」に身を浸し、「今を生きる学び」をともに学ぶことによって、教室での学習姿勢にも、より積極性が見られるようになるのがふつうです。
  子どもたちと活動をともにすると、「絶えず学びの中にいる」ということが、誰でも実感できます。町中の公園でも、あるいは家の周りの一区画を散歩してみても、おもしろいことや学べることは数え切れないほどあります。「アンテナ(環覚)」が立っていれば、次から次へ自然に情報が入ってきます。強制ではない、ストレスのない情報です。
 好奇心いっぱいに、自ら「それ」を見つける「目」さえもってくれれば、さらに進んで調べる習慣がつくようになれば、彼らの「立っているところ」が、そのまますばらしい教室になります。ほんとうの「学び」は、教師と子どもたちのこうした関係性と環境の中にこそ存在します。

 「夢の教科書」。それは教師と子どもたちが、時代を超えて日々書きつづける「果てしのない物語」です。「生きていくこと」、それが最高の教科書です

テレビゲームに「風」はあるか

  上の写真は小高い丘から段ボールで斜面を滑る団員です。ほおに当たる心地よい風が髪をなびかせ、小さいジャンプを繰り返しながら勢いよく滑り降ります。
 時代とともに遊びの質が変わっていくのは仕方ないことかもしれませんが、コンピュータゲームで「風」を感じることができるでしょうか。ゴルフのシミュレーションゲームで風速何メートルという表示は出ても風は吹きません。お父さんのドライバーショットのぶれやコースの修正は風速何メートルという表示ではなく、ほおに触れる風が教えてくれるのではないでしょうか。
 身体いっぱいに風を受けてこそ健やかに成長できる子どもたち。室内でテレビゲームをするより野山を駆け回る方が、得るものは比較にならないくらい大きいし、はるかに夢があります
 彼岸花の葉や草が生えている畦で斜面遊びをすると、中学の理科、傾きの差によってスピードがちがうことが身をもってわかります。おしりが熱いのは「摩擦」。前のめりに止まるのは「慣性」です。
 ファミコンでは経験できない、全身を血が駆けめぐる「遊び」です。子どもたちは飽きずに、くり返し遊びつづけます。そのくり返しの中に成長があります。ゆっくり流れている時間があるからです。

  小さいころ、ぼくたちはいつも、何かに「どっぷりつかる」「浸る」という経験をしました。そのとき、隣には仲間がいて「手」や「皮膚」・息づかいや声で相手を感じていたのではないでしょうか。外遊びを通じて、ゆっくり時間が流れている自然の中で学ぶ「人」や「もの」の学習は無限です
  「テレビゲームで遊ぶ時間」はゆっくり流れているでしょうか。一日中テレビゲームをしている子は余裕のない中で『溺れて』はいても、「どっぷりつかったり」「浸ったり」しているとは思えません。   
 ふれあうのは「コントローラー」で、活きている「身体」ではありません。並んで見ているのは「画面」であって、相手の顔ではありません。
 こんな無機的な経験ばかりで、心の微妙な動きを感じたり、相手の気持ちを思いやったりすることができる子に育つのか。ゲームにとられる時間が多ければ多いほど、成長が「いびつ」になってしまうのではないでしょうか
 「風」を感じる子になってほしい、こころからの願いです。

「小さな死」が子どもを育む
  手塚治虫さんの著書に、こんな一節があります。少し長くなりますが引用します。

 自然というものは人の心を癒す不思議な力を宿していて、自然こそ、最高の教師だと僕は思います。生命あるもののすばらしさも、またどんな生き物にも必ず訪れる死についても、自然のふところでのびのび遊びながら、子どもたちは体で知っていくことになるのです。むろん、自然界の残酷な面をも目撃することになるし、ときには子ども自身、ちいさな生き物たちに残酷な仕打ちをして遊ぶことだってあります。
 蛇のしっぽを地面にたたきつけたり、昆虫をちぎったり、かえるに息を吹き込んで破裂させたり―。でもそれは、おなじ生命あるものとして生きていく予行演習のようなものでしょう。そこで様々な生き物たちの生と死に出会って、生きることの喜びの裏側にある悲しみも、知らず知らず体の奥の方で理解していくのです。
 昔、自分の家のすぐ側にある原っぱで、繰り広げられるちいさな地獄の数々は、それでもタフに生き抜くことの喜びを教えてくれました。
(「ガラスの地球を救え」手塚治虫著 光文社より)

 田舎で育った人にとっては、ごくふつうの経験だと思います。その頃、男の子も女の子も筆箱の中には、肥後守や小さい刃のついた鉛筆削りをもっていました。もちろん鉛筆を削るだけではなく竹とんぼや弓矢、釣り竿、スギ鉄砲や紙鉄砲を作るためのたいせつな道具でした。
 堅い竹を切ると、刃物はすぐ切れ味が鈍ります。刃が滑って危ないので、これも当時はどの家にもあった砥石で研いで刃を立てました。そうして刃を立てたときに限って指を切ったり、けがをしました。今のお父さん、おかあさんなら大騒ぎするかもしれません。
 当時は切り傷や擦り傷なんか、ほとんど毎日。当たり前でした。みんな気になりません。ヨモギの葉を揉んで柔らかくしたものを貼ってしばらくすると、痛みを忘れてまた元気よく遊びました。ヨモギが効いたかどうかは定かではありません。時には化膿することもありましたが、身体はそういうとき、見事な回復力を発揮してくれました
  ぼくたちは、こうして遊びに夢中になって、切り出しナイフや肥後守で自らの手や指を傷つけたとき、同時に相手の痛みも学んだような気がします。
 稲刈りの鎌、ナイフ。刃物は使ってみてはじめて威力、便利さ、怖さが分かります。注意力や集中力が要求される安全な使い方は、実際に使ってみないと身につきません。また、道具として使ってみてはじめて威力がわかり、ふざけて使っては危険だということも分かるのです

 ゲームのコントローラーを通じて画面の相手を倒しても、「抹殺」しても、人としての成長にもっともたいせつな相手の「痛み」は分からず快感しかありません。こんな危険な子育てがあるでしょうか。
 ナイフ事件で大騒ぎする大人の人たちは、傷つけても倒しても殺しても「快感」しかないゲームで遊ぶことの恐ろしさを、どうしてもっとアピールし問題にしないのでしょう。
 ニュースなどで見る事件が悲惨な結果になるのは、多くの場合、「ナイフ」や「包丁」を「道具」として実際に使った経験がない場合、「ナイフ」より先に「ゲーム」を覚え、身に及ぶ危険や怖さを知らない場合ではないでしょうか。使った経験がないと、危険さや与えるダメージは想像できません。自らの身に及ばない危険は危険ではありません
 これだけ切ったら、これだけ血が出るんだ、これだけ痛いンだとわかることがどんなにたいせつか、もっとよく考えてみなければなりません。

 手塚さんがいうように、タフに生き抜くこともそうですが、ナイフの使い方も含め、ぼくたちはさまざまな「ちいさな死」を経験して初めて、「生命」のほんとうのたいせつさが分かります。かつてはみんなが毎日「肥後守」を持ちながら、誰も仲間を傷つけませんでした。生命のたいせつさや相手の痛みが、子どもなりにわかっていたからです。
 団では、創設以来、4年生になると男女を問わず一人一人にナイフをプレゼントして課外学習のときに携行します。釣り竿作りや竹細工ばかりではなく、竹の子掘りなど様々に使っていますが、みんな約束を守って、今まで一度も「まちがい」はありません。
 もちろん使い方の説明や諸注意は欠かしませんが、6年生になると安心して見ていられます。子どもたち自身が使い方やルールをきちんと身につけているからです。

「虫さんがかわいそうでしょ?」
  先ほどの手塚さんの言葉にもありましたが、「虫や小動物に対するいたずら」も、子どもたちが成長するためのたいせつな予行演習という部分があります。校外活動などのとき、ことさら、その部分だけを取り上げ禁止する先生も、子どもたちの話を聞いていると、たくさんいるようです。「虫さんがかわいそうでしょ?」。
 しかし、「生き物の命をたいせつに」というテーマは、もっと深いところから掘り起こす必要があります。ぼくたちは、植物・動物に限らず「他の生物を殺して生きていかなければならない」「他の生物を犠牲にしなければ生きていけない」不条理な存在です
 たとえば、ふだん何気なく通り過ぎて、美味しそうかどうかしか考えない、スーパーの食品売り場に並んでいる魚の切り身や牛肉・豚肉・鶏肉は、すべて動物の命を絶った「食品」です。誤解をうむといけないのですが、虫なんかより、もっと大きい動物の命です。人間のために殺されました。日々どれだけ殺されているのでしょう。
  「私は菜食主義者」ですって?
 とんでもない。植物だって生命があります。大根やニンジンの「へた」を切ってお皿に入れ、窓辺におき、毎日水をあげてください。芽が出てどんどん大きくなって茎が伸び、やがて花を咲かせます。一生懸命生きています。食べている野菜にも「生命」はあるのです

 大根を切る、キャベツを切る、生きている魚やエビやカニをさばく。「他の生き物を殺して生きていかなければならない」生物であると同時に、「他の生き物を殺さねば生きていけない」、「『殺している』と考えられる」唯一の動物です。
 「だから~」を考え、「どうしなければならないか」などを、自らに問うことによって、「人を思いやるこころ」や「生命の大切さへの思い、その深さ」が生まれてくるはずです。子どもに、まず教えなければならないのは、そのことです。自然と人間と生命の大切さの指導はそこからスタートです
  好き嫌いで鰯やピーマンを残すのは作ってくれたお母さんや給食のおばさんに悪いのではなく、まず自らの生命を断つことで私たち人間の命を育んでくれている植物や動物に申し訳ないのです
 また、食事の前の「いただききます」や「ごちそうさま」は、お父さんやお母さんにだけでなく、食べ物の生命を育んでくれているお日様や空気・水・土すなわち地球にもしなければならない挨拶です
  「好き嫌い」をやめようとする心、「自然や他の人に対する思いやりやほんとうの優しさ」は、そのように考えて、育てていくことで生まれてくるものではないでしょうか。


発想の転換が可能性を開く㉝

2018年10月06日 | 学ぶ

夢の教科書と学びのリズム
 今ぼくはヘルニアで、立体授業の際はやむを得ず自転車移動していますが、それは決して本意ではないことをご理解の上、読んでください。

  ふだん意識はしませんが、「生きること」は、「見ること」「感じること」「考えること」とともにあります。「環覚」を養うことで、単に「道を歩いていくこと」だけでも、日々「学び」は深くなります。おとなも子どもたちも、感じること、考えること、分かることがもっとあるはずです。それなのに逆にどんどん少なくなってしまっているのではないか
 ・・・その大きな原因。それはからだを自分で移動することがなくなったからではないか? 何百万年も徒歩で移動し、それに適応してきた目の動き、視点や視覚が現在の身体の動きにうまく適応できないのではないか、そんな気がします。ふと立ち止まる瞬間さえなくなってしまいました

 徒歩から自転車、自転車から電車、自動車・・・。身体を運ぶことが自分の足を離れ、動力・機動力に任せることがふつうになりました。ところがまだ高々200年足らずです。豊かな時間をもてるように、充実した時間をすごせるように文明を発達させスピードを求めていったはずですが、スピードを求めたことによって、見たり、それによって感じたりすることがどんどん少なくなり、思いとはまったく逆に、豊かな時間がなくなってしまった・・・「時間」は次第に中身がなく、希薄なものになりつつあるのではないでしょうか
 触れることのない時間、浸る刻のない時間・・・いたずらに過ぎてゆく時間。その反動で子どもたちは次第にエスカレートした刺激に向かうのではないか。
  課外学習でいつも降り立つ飛鳥の駅前には「貸し自転車」が、たくさん並んでいて、呼び込みの人たちがさかんに自転車の利用を勧めています。しかし、自転車に乗って分かることとゆっくり歩きながら分かることは明らかにちがいます。むしろ、自転車に乗っていれば分からないことの方が多いといった方がよいかもしれません。「遺跡巡り」には好都合であっても、「自然と田舎の時間の流れを本当に感じるには自転車でさえ速すぎる」のです。

 ペダルをこぐときの呼吸や心臓の鼓動のリズムは、道ばたの小さいスミレやレンゲソウに戯れるミツバチに見入ったり、綿毛を運ぶ風を感じたりするリズムではありません。「流れるリズム」ではあっても、「振り返るリズム」ではありません。子どもたちの成長に必要なのは、ちょっと立ち止まったり、ふと「振り返るリズム」のはずです。
  子どもたちは、こちらの「問いかけ」やちょっとした動作・目や身体の微妙な動きに鋭く反応します。その「問いかけ」という「撞木の一突き」で、彼等の中に「鐘の音の余韻」が残ったことを、しばしば感じます。そうした「余韻」が、ちょっと立ち止まったり振り返ることによって育まれ、身体いっぱいにため込んだ子が能力高く、優しく育ちます。それらを求めての立体授業です。団の一年は課外学習と立体授業の一年です。
 

 課外学習の「土筆ハイク」や「竹の子掘り」、そして「田植え」をはじめとする一連の「米作り」「蛍狩り」などは、古代の都「飛鳥」中心の活動です。
 まだきれいな飛鳥川の清流に足を浸しながら、キラキラと輝く水面を眺めていると・・・この水温の冷たさを説明しなければ・・・光のことも話せる、梢を抜ける木漏れ日で写真や光合成の話ができる。繪やスギの話もできるな・・・光と色だ! 落ち葉を浮かべ、岩間を抜ける水音は音楽だ・・・川底で白く光る石や雲母。地球の歴史が出て来るな。
 道沿いや清流で時折見つかる瓦のかけらは子どもたちの宝物・・・大化の改新だ。・・・側を流れてい飛鳥川の水が少なくなったのは森林の消失や田んぼの消滅が大きな原因だろう。・・・大和川に連なり、海まで・・・。古代の日本の歴史を、ほとんどたどることができる。
 ・・・と、田んぼの向こうに虹が出ている。水蒸気、水。雲。風だ。空気・天気・・・水の循環、公害・・・甘樫の丘は万葉集、国語を深く話せる・・・。
 「飛鳥川ひとつ」でも、子どもたちの学ぶべき学習内容をほとんどすべて網羅した一冊の教科書です。撞木の一突きは一年を通じて百八つではききません

 気づかず学習対象が「生きていることから遠くなる」につれて「子どもたちの興味をひかなくなる」ことはまちがいありません。自らがいつも「学び」の中心に立っている、子どもたちがそういう意識になれるものを作ろう。
 自分の「立ち位置」でふとふりかえり、そこで感じるもの、考えることから、あらゆる学びが広がっていけば、学ぶことが絶対におもしろくなる・・・「環覚」の概念は、こうしてできあがりました。  
 「子どもたちがいるところ」が「学びの場」になる、自らの立っているところで何を感じるか、何を考えるか、そういう教科書を作ることができれば・・・夢の教科書です。

  立体授業は、まだ風や山の水が冷たい春先3月、春期講習の間に行う「土筆ハイク」から始まります。そして水が温み、桜が舞い、若葉が伸び始める頃、大きな孟宗竹の竹の子と格闘する「でっかい竹の子掘り」は4月の半ば過ぎです。フナたちが「乗っ込み」を始めるころ、頭が人間の赤ちゃんのものほどあるナマズがいる川で「でっかいナマズ釣り」。
 「ナマズ釣り」以外でも、それぞれの活動の際、川での魚とりや魚釣りは課外学習の「デザート」です。4年生になると団員ひとりひとりに一本ずつプレゼントする肥後の守を使い、手頃な竹で釣り竿を造ります。川岸近くで掘ったミミズ、川虫、蜘蛛が格好のえさ。お弁当のおかずの残りを餌にする子もいます。

 6月に入るとすぐ、年間活動の「米作り」が始まり、管理をしてもらっている人に指導を受けながらの「田植え」、それが終わるとすぐティンカーベルのような蛍の乱舞を楽しむ「蛍狩り」が待っています。
 蛍狩りは一泊になりますから、その夜は、クヌギ林で活動を始めたクワガタ探しも楽しみのひとつです。腕白ゼミ(三年生)から入団の諸君にとっては飛鳥や赤目の「蛍狩り」のフィールドも「自分の庭」。翌朝早く団員諸君は自分たちだけで連れ立ってクワガタ探しに再チャレンジです。
  8月はじめ、「赤目渓流教室」。子どもたちの遊びのすべてが凝縮しています。渓流での水遊び、釣り、魚捕り。オオサンショウウオも、よく顔を出します。

 夕方は持ち込んだ牛肉、用意してもらった野菜でバーベキュー。昼に川で釣った魚を団員諸君はナイフで上手にさばき、串に刺します。サポーターのお父さん、お母さん方が炭火の当番です。沢ガニは素揚げで真っ赤に色づき、どちらも頃合いよく、団員の胃袋におさまります。
 楽しい食事の後は花火、カブトムシ、透き通って翡翠のような美しさを見せてくれるアブラゼミやヒグラシの脱皮。「めくるめく」夜はこうして暮れていきます。
 翌朝、今年(2007年)は「ツバメの旅立ち」でした。胸に想い出をいっぱい詰め込んだ団員諸君の二泊三日は夢のように過ぎていきます。

 最終日、料理好きが高じて、おいしいものを食べさせたいと二日間かけてつくる特製「ハゲエモン」カレーが渓流教室の仕上げ。さわやかな谷間の風を名残惜しげに、子どもたちは宿舎のバスに送られ駅に向かいます。
  夏休みの終わり、子どもたちの楽しみはもう一つあります。「わっしょい・プール」。みんなでプールに繰り出します。今年(2007年)は多数決で「赤目へ再チャレンジ(日帰り)」になりました。
   9月はその年によってさまざまな取り組みがあります。今年の予定は石器作り、化石採集。
そして、10月には米作りのクライマックス「稲刈り」が待っています。
 
 めっきり少なくなりましたが、イナゴが飛び交う田んぼで、目に入る汗や独特のかゆさに苦労しながら作業を進めます。よく切れる鎌は、ちょっと注意を怠ると、自分の指や周りの人を傷つけてしまいます。集中力と細かい気配りを忘れることはできません。稲刈りは刈っただけで終わらず、きちんと束ね、干さなくてはなりません。
  作業の最後に田んぼに落ちた穂を丁寧に探していく「落ち穂拾い」。指導を受け経験を重ねた子どもたちは、「落ち穂拾い」の大切さがよく分かっています。「落ち穂」にも、自らの努力と思いが詰まっているからです。踏まれて田の土に「めり込んだ穂」も見逃さず、面倒がらず拾いあげます。
 しんどい仕事が終わると、次は目の色を変えてイナゴとりです。もちろんとることがおもしろくもあるし、たくさんとれれば、「佃煮」にもかわります。イナゴも年々少なくなってしまい、もうすぐ「幻の味」になるでしょう。
 ひとつ忘れていました。本物の車を団員諸君が運転し、教習員付きでコースを走る「君は名ドライバー」も、秋です。小さなコースの周回を三回もすると慣れ、なめらかなドライビング・テクニックは大人顔負けです。教習所の先生たちを驚かせ、それがまた子どもたちの大きな自信になります。


 同時に自動車には手に負えない力があることに気づきます。車の怖さがよくわかり、信号や周りに目を配り注意を怠らないこと、交通ルールを守ることが、いかに大切かよく学ぶことができます
  このほか知人の小料理屋さんに頼んで、生きたままのふぐやスッポン・伊勢エビを、子どもたちに実際に包丁を握らせ、調理し、食べるまでを行い「食」の意味を考える「生きた魚の命をいただくシリーズ」。
 撮影から現像まで、かつてはほとんど自分の全存在をかけていた写真。約50年前のマニュアル作動のカメラ(アサヒペンタックスSP)を使った「古いカメラで世界を見る」という、取り組み(腕白大学)も行いました。「古いカメラ―」は、「ものをじっとよく見ることができなくなった子どもたち」に「きちんとものを見る目」を身につけてほしかったからです

  そして、11月になると干してあった米も乾き、最後の課外学習「脱穀・精米」を経て、いよいよ「新米」に姿を変えます。とれたての新米は土鍋で炊きます。当たり前ですが、自分たちで作った米の味は、やはり格別です。学習探偵団の一年は、そうして終わります。その間、日々教室でしっかり勉強を重ねていたことは、もちろんです。