『子供たちにとっての本当の教科書とは何か』 ★学習探偵団の挑戦★

生きているとは学んでいること、環覚と学体力を育てることの大切さ、「今様寺子屋」を実践、フォアグラ受験塾の弊害

石ころと星、宇宙の誕生と死⑮

2017年08月26日 | 学ぶ

「『学体力』指導が成立しない環境」を憂える①
 今週の写真は今年の赤目渓流教室のスナップです。

ファーブル先生の学体力
 「学体力」とは、もう十五年以上前に作った「造語」です。
 塾を開設し子どもたちの『学力』にふれ、指導経験を積みながら学習指導法を考えはじめて、学力や学習指導以前に考えなければいけない材料・条件がたくさんあることがわかりました。そして、それらが等閑視されたままでは、いつまでたっても肝心の学力問題が解決するはずがないこともわかってきたのです。
 なかでも、「学力」とはまったく別に考えるべき、「学力」を論じるうえでもっともたいせつといってもよい「学体力」の重要性です。「学習することを自らの人生や生活に欠かせないものとして認識し、積極的に学習に向かう力」、「学習過程の困難を乗り越える(られる)力」です

 以前ファーブルの弟への手紙を引用したとき、ファーブルが弟を鼓舞していた一節は、いわば「学習する際の学体力の必要性」です。自ら教員生活をしながら自学した経験をもとに、同じ境遇に悩む弟にアドバイスを贈っています。引用が長文になりますが、「学体力」の展開と、そのしくみのより深い理解に供するため、ご寛容に願います。

 はたして彼はどんな方法で代数や化学を修得したのだろうか。その秘訣は?
 ファーブルはのちに、そのことを弟にわかりやすく報告している。当時、弟は兄の後から同じ道をたどり、教職についていた。(ファーブルの生涯 C・V・ルグロ著 平野威馬雄訳 ちくま文庫 p41)

なにかこまることがあっても、けっして他人の力を借りてはいけない。はたのものから助力を受けたのでは、けっして難問は解けないばかりではなく、困難はまた、ちがったかたちでおまえを苦しめるだけだ。大切なことはじっと耐えしのぶこと。そして自分で考えること。さらに、みずからすすんで学びとろうとすること・・・・・・。これほど役に立つことはない。これが理解への遠くて近い道なのだ」(同書 p42 下線は南淵)

  「・・・私はこれだけは忠告しておく。それは特に科学に関しては観察が第一、絶対にほかのものにたよってはならないことだ。一冊の科学書は、これから解かねばならない“なぞ”なのだ。その解明のキーを他人にもらったら、たちまちに解けるだろうが、なんのプラスにもならない。もしも第二のなぞが出てきたらどうする? いぜんとして最初のなぞにぶつかったときと同様、手も足も出ないだろう。それは第一のなぞが、他人の助言でかんたんに解けてしまったからだ。自分の力で解こうとしなかったから進歩がないのだ」(同書p42~43) 

 自力で問題解決を図ることの利点と有効性、つまり定義する「学体力」の必要性です。赤貧の彼が苦学して教員資格を取り、子どもたちを教える道に邁進すべく努力を積み重ねていたとき。未熟な自らの「学体力」を、まず鼓舞していました。
 
 師範学校を卒業したとき、私の数学の知識などじつに貧弱なものであった。せいぜいのところ、平方根を引き出したり、球の面積(原文まま)を証明しながら計算したりすることが、私にとって、この学科の絶頂点であった。偶然、対数表を開いたとき、あの、数字を積み上げたおそろしい表は私にめまいをおこさせた。尊敬まじりの恐怖から、わたしはこの「計算」の前で立ちすくんだ。(同書 p40)
 

 経済的事情で満足に教育を受けられなかったファーブルは、必要とする勉強をほとんどすべて、『学体力』を駆使して自ら克服していきます。ちなみに、これらの学体力はファーブルの場合は教員としての学習でしたが、どんな職業であろうと、真摯に仕事に対して向かう姿勢については大差ないと思います。「学体力」とは、社会で生きる以上、万人に必要とされる力です。
 どんな状況から、彼は学習を始めたのか。次です。

 代数についていうと、なんの知識ももっていなかった。ただ、『代数』という名称だけは聞き知っていた。だが、その話を聞いただけで、頭の中はモヤモヤしてきて、やたらにむずかしいことだという恐怖がわいてくる・・・・・。そして、とても近づきがたいもののような気がするのだ。そんなむずかしいものにはいっさい手をふれるのもいやだった。(同書p41)

 この一節を読む人はすべて、自らの学習経験を顧みれば、同感の記憶があるだろうし、世の中のあらゆる落ちこぼれ君が、おそらく大同小異の状況であろうということが、はっきり想像できるだろうと思います。つまり、こうした状況から脱出できるか否かが、学体力やモチベーションの存在によって決定される、ということなのです。学力が身につくかどうか、基本の力です。「学力!」と単純にひとくくりにはできません
 「学習困難児」や「勉強に身を入れないという学習問題」の原因解明と解決が、こうした視点をとれば、いかに(社会にとって)おおきな意味をもっているか、理解できるのではないでしょうか。見方によれば、それらの方法の現実化で、ファーブルのような偉人が何人も生まれるかもしれません。ぼくたちが相手をしているのは、教員免許をもつようになった大人ではなく、可能性あふれる子どもなのですから
 受験塾や予備校の、中身のあまりない宣伝文句に目くらましされ、自らの子どもたちの現状や問題点を正視せず、解明できない状況が相変わらず続いているのではないでしょうか。それでは、ファーブルの場合は、この「危機!」をどう乗り越えられたのか。続きです。

 それは食わず嫌いのようなもの、いや食べたこともないのに、栄養満点だとほめあげる不消化な食べ物のようだった。だが、とにかく、私は泣いても笑ってもあとには引けない。代数という学科の担任教師にさせられてしまったのだから。(同書p41)

 この一節を読むと、ファーブルは代数の教師にさせられたので仕方なく勉強を始めなければならなかった(!)と誤解を生むかもしれません。しかし、彼の『学体力』の支えは、そんな下世話で打算的なものではありません。学体力を支えるものは生徒たちへの愛そのものだったのです

 わたしの生徒の多くは、いずれもいなかからやってきている。彼らは早晩、いなかへ帰っていくのだ。そして、大地をたがやし、耕作に没頭するのだ。だから、自分の土地がなんでできているのか、そして植物はなんで栄養をとっているかを教えてやらなければならない。
 また、ほかの生徒たちは工業方面の仕事につくだろう。また、なめし革の職人になったり、鋳金の仕事につく者もいるだろう。さらには、アルコールの蒸留工や、石鹸やイワシの樽漬けをあきなう者もいるだろう。そんな連中には、樽漬けの魚粕(魚肥)や石鹸や蒸留道具やタンニンや金属類についてひととおりのことを教えてやろう。(同書p40)

 ファーブルのこれらの一節を前後させ、こう読みとったとき、彼がどういう思いをもって学体力を鼓舞したのか、よくわかります。自らの『学力不足』を、「教える生徒に対する『愛』」で補っていたのです。愛が彼の教員時代の学体力に大きなエネルギーをもたらしていました。子どもたちの指導にたいせつなことは、何よりも「子どもたちの将来を見つめる目」と「愛」だと改めて自戒しました
 ファーブルの時代と現代を同一視することはできませんが、小学校の一部科目に専門指導の先生が動員されているようです。よかれと、あるいは必要性や要請があった結果でしょうが、そうして単純に分化・専任することが、果たして子どもたちの『学体力』を養成するための良い方向かどうか、ぼくは疑問視しています。

 さらに、ファーブルはひとりで学び、引用のようなさまざまな学科や子どもたちへの職業指導に従事できたことを思うとき、はたして現代の方向性はどうなのか? 一部でも専任に任せてしまうことは、当然のことながら、自らの指導力不足を招いてしまう可能性があります。立体授業の指導スライドやテキストを作成しながら、そうした方向性は逆方向ではないのか。分断によって、指導者自らが環境をとらえる目が『曇らないのか?』 そう危惧します。
 可能性にあふれた小学生の学体力の発現・環覚の養成を目指すとすれば、ファインマンのお父さんやエジソンのお母さんの指導例を見ても、環境を総合的にとらえる視点が、より子どもたちがおもしろく興味を広げる、理にかなっている方向ではないのか
 ファーブルのように、専門知識とはいわないまでも、バランスの良い「環(!)性」をもっている先生(指導者)が必要なのではないか。そう思えてなりません。


 そういえば、以前紹介した灘中の橋本先生の「銀の匙」指導も、腱鞘炎を発症するまで、そうした総合的な方向性を狙い、子どもたちに受け入れられ、成長してからも教え子たちに高い能力と強烈な印象を残していました。参考の余地ありだと考えます。
 さて、ファーブルの学体力を顧みて思うのは、かつて「寺子屋」で学んだ子どもたちの学体力です。彼らの存在はファーブルの時代の子どもたちを彷彿させます。

意識の高さ
 学ぶことに対する「意識の高さ」とは? これは「向上する心」、「向上したい心」といってよいと思います。
 江戸時代に「寺小屋」があれほど広まった理由は、商業経済の浸透による「読み・書き・そろばん」の必要性が実感されたからではないのか? 「字も読めない、計算もできない、字も書けない」では、商業化する社会に適応できません。生活(自立)・生きていくことに対する自他共の「意識の高さ」が必要です。子どもたちがあれほど集まったのは、「学習の必要性」からです。
 この必要性は、「学ぶこと」が生活や将来に直接かかわるもの(と感じられるもの)だったからでしょう。現代の「よい学校に入りたい」という目的とは、大きく異なります。「もっと生活と切り離せない切実感」があったはずです
 「読み、書き、計算」ができるというようなことは、(厳しくレベルを問わなければ)誰でもでき、当たり前すぎて、現代では仕事に即適応できる、というような条件ではありません。また、よい学校に入ったからと云って、それが生活を保証してくれる絶対条件ではありません。

 江戸時代の「読み書きそろばん」に匹敵する職業上の必要性は、現代ではもっと高度な専門知識や技術の習得がそれらにあたるでしょう。しかし、職業の雑多な混在や拡散が目標や目的を見えにくくし、その高度性がさらにそれらに対する学習の必要性を感じなく(!)させているわけです。そこが問題です。
 職業(生きていく手段)に関係なく学習しなければならないとすれば、それに代わる必要性がなければなりません。つまり、子どもたちが「学習したくなる」条件が「別に」必要になります。それがないと、「あえて」勉強する必要は見つかりません。現在のように、学校はたくさんあっても、寺子屋に子どもたちがたくさん集ったようにはいかないでしょう。必要がなければ、「元来怠け者の人間」は勉強しません。
 学ぶ必要性が見つからなければ、それに代わるモチベーションがなければ、学体力は身につかず機能しません。受験はどう考えても一過性で、一生の学体力の必要性の補完はできません

 そこで、頼りになる、学体力定着へのもう一つの、というより最大のモチベーションは「学ぶおもしろさの獲得」です。即ち「学ぶことがおもしろい」という状況をいかにつくりあげるか。その時、その大きなきっかけになってくれるのが「環覚」だと、ぼくは思います
 日々生活している「生活空間」のなかで、学習対象や学習内容、つまり自らの生活空間を「学習内容的側面」から見直す、そのなりたちとしくみを究めていく、という行動や姿勢が「学ぶおもしろさ」を大きく引き寄せてくれると思います
 学習(「した」あるいは「する」)内容が生活や生きていく上で、実は身近なこと・欠かせないものだとわかったとき、学習は『異次元』の存在ではなくなります。ファインマンが幼い頃、お父さんに周囲の事象についてさまざまなレクチュアを受け、世界を探求するおもしろさに目覚めたように。逆に、受験に出てくるもの・試験のためのものという意識から抜けられなければ、永遠に学習は人生のパートナーにならないでしょう。

 ファインマンの場合は、日常生活や生活環境がミラクル・ワールドに変わったのです。それを知りたいから調べる・学ぶ・考えるという経過をたどりました。そこには当然それらにかかわる学習内容や学習事項の習得も伴ったはずです。ファインマンら科学者に限らず、心の底から知りたいことが現れれば、そういう経緯をたどります。そして、科学者になったファインマンは、こんな感じでした。

 「ブラックホール」という名高い用語の発案者でもあり、学生時代のファインマンの指導に当たったジョン・ホイーラーは、「大学に学生がいるから先生連中が学生に教えられるってことはあるもんだが、中でもファインマンは最高の学生のひとりだったね。ひょんな巡り合わせで、わたしが彼の指導を任されることになった。単に数学の経験を積んだだけの多くの人には欠けているものを彼は持っていたんだ。世界を物理的に見るという直観だ」("No Ordinary Genius" Christopher  Sykes / W・W・NORTON p44・拙訳)
 
超天才ファインマンの誕生です。

 生活をする上での必要性や学ぶおもしろさの追求も結局、日々に流されない「意識の高さである」ということもできます。裏にあるものは生命や寿命の一回性の確認です。
 日常性だからといって、すべて単なる物知りで終わるわけではありません。何気ないものに目を留めてこそ、そこから科学の大発見も生まれます。ガリレイ・ニュートン・アインシュタインなど、すべてその結果です。
 興味の対象・学習経験が増えていくにつれ、相互の関連により、さらなる高みや深みに足を踏み入れることができ、おもしろさが増してゆく。その過程では、もはや煩わしい計算や予備知識の習得が苦にならない、当然のことと考えるようになる、という姿が学体力の定着だと考えています。


石ころと星、宇宙の誕生と死⑭

2017年08月19日 | 学ぶ

「渓流教室」テキスト作成のアイデア
 先々週、『川の変化と人間の営み』。渓流教室のスライドテキストの前半を一部紹介しました。「川が人間に果たした役割や人間の取り組み、川の変化のようすなど、子どもたちに伝えたいことを、できるだけストーリー化して・・・」という意図でした。

 「川にまつわる学習事項」をいくら詳しく解説紹介しても、実際の川がイメージされるわけではありません。逆です。
 子どもたちがイメージできるのは、自らが飛び込み、泳ぎ、網をもって魚を追いかけた流れ。釣り竿を出して注視した浮子の流れるようすや、釣りあげたときの竿の震えや手応えです。また釣りたいと餌の川虫を探して、ひっくり返した川底の石です

 それら個別の実体験が積み重なり、対象が自らに親しい相手となり、さまざまな学習事項に納得でき、理解が深まります。関連がとらえられる「川の立体(?)イメージ」が脳裏に形成されたとき、その学習スキーマがおそらく他の学習事項や学習内容にも転用されていくのだ、と考えています。
 つまり、ある新しい学習対象を学習・理解するときに、こと『川』に限らず、それらの「過去の学習経験」で培われたノウハウや学習内容が大いに役立つだろう。ひとつの対象について、学んだ関連や深さ・奥行き・広がりが、新しく学ぼうとするそれぞれの学習対象や学習内容とリンクを始め、やがて大きな知の体系に集約する。最近は、そう想像しながらストーリーづくりをしています。
 今回の渓流教室のテキストは昨年までと大きく変わりました。まず始めに「方丈記」の序文を紹介することにしました。

 ちなみに、小学校の授業に古典は出ませんが、団の国語の時間には徒然草の一節も紹介したことがあります。終段です。子どもたちも知っている徒然草の作者、吉田兼好の子ども時代、親とのようす(かけあい)が700年以上前でも今とあまり変わらないと紹介することで、吉田兼好その人・古典や歴史が、少し身近になるだろうと考えました。
 
 八つになりし年、父に問ひていはく、「仏はいかなるものにか候ふらん」といふ。父がいはく、「仏は人の成りたるなり」と。また問ふ、「人は何として仏には成り候ふやらん」と。父また、「仏の教へによりて成るなり」と答ふ。また問ふ、「教へ候ひける仏をば、なにが教へ候ひける」と・・・。

 徒然草と同じく、方丈記もみんながよく知っている対象です。進学すれば、まちがいなく訪れる学習内容です。もちろん、原文のまま紹介すれば、「何のこと?」となりますから、ぼくの訳文を添付し、説明は加えます。川の流れに譬えた無常観は、「川のことをよく知っている団の子どもたちにとっても新鮮な感じではなかったか」と感じています。
 その後前々回アップした、川の流れや川の変化を紹介する拙文「川の変化と人間の営み」が続きました。

 前回武田信玄や加藤清正の治水の話で終わりましたが、その後は「アマゾン川の流域と日本の国土の面積の比較」という、おもしろいイラスト(「川遊びから自然を学ぼう」三輪主彦著 フレーベル館より)を見つけたので、紹介しました。また、前回も紹介した「川はどうしてできるのか」(藤岡換太郎著 講談社ブルーバックス)に「ヒマラヤを乗り越える川」の紹介があったので、それも紹介してあります。ヒマラヤを乗り越える川については、インド付近の地図も添付しました。

 後でシルク・ロードについても触れますが、これらも「自らの学習経験からの振り返り」です。
 学生時代、ぼくがいちばん苦手だった(おもしろくなく、まったく勉強しなかった)科目が地理です。畝傍高校一年のとき、ぼくの担任で後に県の地理学会会長になられたK先生が三者懇談で、「おまえ、他の科目は全部すばらしいのに、なんで担任の俺の地理が欠点やねん。勘弁してくれよ」。それほど嫌いでした。

 つらつら考えるに、山の中で、しかも決して裕福ではない家庭で育った小倅に、行ったことも見たこともない地名・特産物や地勢を並べ、一方的に暗記しろ、という地理の学習指導に興味が湧くはずもなく、「『欠点』もやむを得なかったナ」など勝手なことを今思います。打開策は、できるだけ他の学習内容や学習事項・エピソードとリンクさせ、関連から親しみや興味を引き出しておくこと。すべからく学習事項に関しては、その科目に興味をもてたり、関心を引くようなエピソードを紹介することに心を砕くこと、その回数を増やすことだと思います。それによって、「関係や興味のない暗記事項に対する拒否バリア」も、少しは取り除かれるでしょう。立体授業の指導テキストについては、毎回、それらを意識して作成します。アマゾン・ヒマラヤのスライドも地理的好奇心に寄与すれば、という思いからです。

「渓流教室」テキストの後半
 さて、アマゾン・ヒマラヤのあとは、「子どもたちの遊びと学習事項の融和」をはからねばなりません。

 まず20年以上の「赤目渓流教室」で子どもたちと捕まえた魚を紹介します。それぞれの魚に、ぼく自身も思い出があります。当初は落ち鮎も捕れました。またイワナも釣れたことがあり、今のように、「カワムツやヨシノボリがほとんど」などということはありません。ちなみに、今年は、初めてギギ(アカザ?)が釣れ、知らなかったサポーターのお母さんの指が棘の毒の被害を受けました。

 一連の魚の紹介が終わると、カワムツやオイカワ・アユの「縄張り」や「棲み分け」を紹介します。そこでは、『瀬』や『淵』も出てくるので、川の流れの確認もできます。また、実際に捕まえたカワムツが登場すると、内容に対する興味や関心・理解度が大きく変わります。

 学習内容や学習対象は元々、それらが抽象的に、また単独で存在するわけではありません。すべて、関係や関連の中で存在します。教科書は良くなっていますが、それらをほとんど考慮せず忘れてしまっているのが、今の子どもたちの学習指導ではないでしょうか。
 「エジソンが登校拒否・退校になったときとあまり変わらない」、と言えば言い過ぎかもしれませんが、「指導法についてどれだけ進歩しているのか」という日ごとの振り返りが興味深い授業や学習指導を形成することという自戒と、またできるだけ子どもたちの興味を引くように、という原則は忘れたくありません。


 次は川虫です。水質検査の生物紹介を見ると、「清流の釣り餌」がたくさんいます。カワムツがおもしろいほど釣れる虫たちです。また、「蛍狩り」で、子どもたちがティンカーベールのような光に魅了された「蛍」も出てきます。蛍の餌のカワニナやモノアライガイも登場し、それがゲンジボタルとヘイケボタルの生息環境を露にします。他では後々まで傷が残りかゆさが半端ないブユが、きれいな流れでは、指標のトップランクです。こんな忘れられないことはありません。これら指標生物のほとんどは団の子どもたちにとって身近です。

 「水質が受験に出るか」、って?  受験には出ませんが、学ぶことについての必要性やかけがえのなさ・おもしろさを後押しします。学習初期の子どもたちにとってもっともたいせつな条件です。今の子どもたちや、子どもたちの学習環境に欠けているのは、こうした「おおらかさ」です。「その後『学習が大をなす』ためには欠かせないきっかけである」と考えています
 ぼくは、まず川釣りや川遊びが根底にあり、それらの体験を通じて、自然を自然に(!)学んでほしいと思っていますが、単にそれに終わらず、できるだけ多くの『しがらみ』も伝えたい。その中には、子どもたちが驚くようなものがたくさんあるからです。驚きやハプニングは「学習意欲の着火材!」です

 以前、釣りキチ三平でおなじみの矢口高雄さんの「ぼくの学校は山と川」(講談社文庫)という本を読みました。その中に田舎の少年の様々なおもしろい遊びが載っていたのですが、「クリムシのテグス」という一節に目が止まりました。
 聞いたことはあったのですが、ぼくが育った村には、そんな文化がなく、未知のままだったのです。クリムシ、栗の木(ぼくは楠でよく見ました)に寄生する、白い長い毛が生えた大型の毛虫でテグス(釣り糸)が作れるというものです。

 ぼくがおもしろいと思ったのだから、きっと子どもたちもおもしろいはずだ、運良く毛虫が見つかったら、みんなで作るのもいいな。こんなきっかけで資料を追加する、ということもよくやります。
 このエピソードを入れようと思った理由は、もうひとつあります。クリムシ、というのはクスサンという大型の蛾の幼虫で、この蛾の仲間にはヤママユガという蛾がいます。こやつの蛹は超高級シルクをつくる原料のようで、カイコへと話題も広がります。

 カイコの生態にはエピソードがいっぱいです。長い間人間に飼育され改良を続けられたので、自然のなかで生きていくことができなくなってしまったこと、またカイコから生まれる生糸は、「地理」や「歴史」にも登場します。貿易や特産品の必須テーマです。生糸づくりの手軽な方法もネットで検索し、紹介しておきました。それによって、生糸のイメージが近づきます。


 さらに、子どもたちになじみの三蔵法師のエピソードなど、シルク・ロードへの展開まで広がります。これでテキストの川が川のみで終わりません。また、流れからしても、それほど突飛な展開にならなかったのではないか、と感じました。
 先ほど「地理のおもしろくなさ」を嘆きましたが、こうしたエピソードの積み重ねが、少しずつそれらの退屈さを解消してくれるものと信じています。

 こうして立体授業のテキストは最後のテーマに至ります。「食する」。
 黒川虫やヨシノボリの佃煮、サワガニの素揚げ・カワムツやオイカワ・ムギツクの南蛮漬けです。佃煮や南蛮漬けは、ぼくが事前に割り下などを用意し、宿舎に持ち込みます。子どもたちは小さな板前。自らが捕まえた魚を洗い、ワタをとり、下ごしらえをすませます。その後大人が調理し、バーベキューとともに味見をする、という流れです。その過程では、魚のからだのしくみも彼らの脳裏に焼き付いているはずです。


 この話で思い出したことがあります。小学校二年生のとき、川遊びで捕まえたドンコやオイカワを川原で焼き、悪ガキ仲間と食べたときの、うまかったこと。次の日、それを担任にチクったやつがいて、こっぴどく叱られたこと。ぼくをかわいがってくれた先生の宿直の折、大きな食用蛙を「酒の肴」用に捕まえ、もっていって喜ばれたことを、そのとき黙っていたこと・・・。
 「立体授業の味付け!」は、川原のドンコの醤油味から生まれたのかもしれません。 


石ころと星、宇宙の誕生と死⑬

2017年08月12日 | 学ぶ

渓流教室寸景
 8月4日から6日までの渓流教室。今週の写真は、それらのスナップです。
 今年も、いつもブログで紹介しているOBのK君とM君が手伝ってくれました。よく要領がわかっている彼らの応援と、参加いただいた保護者のみなさんの協力で作業がスムーズに捗り、助かりました。感謝です。

 初日宿舎到着後、すぐ昼食を済ませ、二日間の夕食のバーベキューの準備です。
 コンロや雨よけテントを用意してから、近くの山で女竹を切り、翌日の射的大会の弓用の矢づくり。今回は矢羽用の材料を持ちこんでいなかったので、そのしくみは次回に持ち越しです。
 次は宿舎のバスでキャンプ場下の遊泳場まで。渓流遊びの下見です。飛び込み・川流れ・魚とり・魚釣り・・・初めての子や経験の少ない子に手ほどきして、川遊びを教えます。

 さらに釣りの仕掛け作りから始まり、エサにする川虫捕りからポイントさがし、釣りあげるまでの一連の要領を伝えます。馴れていない子は手先がままならず、仕掛けもなかなかできません。石の裏に潜むカワムシ(黒川虫)の気持ち悪さ(!)も、乗り越えるべき大きな壁です。

 獲物を釣りあげないと、釣りのおもしろさを手にすることはできません。何とか釣りあげられるようになるまで目が離せません。途中、自分でエサを探さないで、人の捕ったものを要領よく使う子もいますが、そういう「手抜き」はきちんと注意します。
 「餌を採る手間の面倒くささ」や「生き物をハリにつける気持ちの揺れ」を乗り越えないと、釣りはできません。それらを乗り越えることで釣り道具さえあれば、日ごろどこへ行っても、気が向けば手軽に棹を出せます。彼らが「環境になじむ=環覚を養う」一助になります

 何かができるようになるには、それに付随する「意に沿わない行動や作業」がつきものです。当たり前のことなのですが、今の子どもたちはすべて「至れり尽くせり」で育っているので、それらの大切さがわかりません。「すべての下ごしらえや準備を自らで知悉してこそ、スキルアップもできること」をもっと教えなければなりません。何事であろうと、用意されたものをほとんど使い方もわからず手にし、工夫もできない状態では、先の進歩も知れたものです
 子どもたちはそれらの過程を通じて、趣味や作業にかかわる一連の流れや約束事も覚えます。さらに、釣りの場合なら、「針がかり」した魚の姿を見ることでも、「ヒトという存在」や「生命の何たるか」を少しずつ理解していきます。もちろん、ことあるごとの言葉でのフォローや口添えは必要ですが。
 「用意されたプール!」で生け簀の腹をすかせた魚を放流し、それを釣りあげたり、歓声をあげて追いかける取り組みと本質的に異なるのは、その過程で手にする「学習内容のみに終わらない、学習以外に学習できることの量」です。

 「石をめくって、カゲロウやカワゲラの幼虫である川虫を捕まえ針につけ」という一連の釣りの流れは、イクラや仕掛けも整った用意万端の釣りとは異質です。「制限なく逃げ隠れする」ヨシノボリやオイカワ・カワムツを、「網をもって追いかける」魚捕りのおもしろさは、「逃げ場を失った養殖魚を手にする」おもしろさの比ではありません。遊びの深さがちがいます。
 さらに、「用意されたイクラ」は釣りの餌に終わりますが、生息する川虫や、釣り場近くに顔を出すサワガニは、「水質の指標」や「生態系の一員」でもある存在です
 行事のスケジュールを企画するとき、「何がどう学習と結びつき、何をどう学ぶかを考え続けること」で、「『単なる遊び!』も絶好の学習指導・授業時間に変化」します。知らぬ間に身につく、学習指導です。

 さて、四時頃まで遊び、川から戻ると風呂に入り、バーベキューの準備にかかります。鶴橋から託送した肉、宿舎で用意してもらった野菜やハム・おにぎり、最後にはスイカのデザートも待っています。
 バーベキュスタイルは、約十五年近く前、現在の宿舎「赤目グリーンビレッジ」さんにお世話になるようになったとき、こちらから提案したので、そのスペースが特別にあるわけではありません。高台の約70平米の駐車場に、先述のように、「不意の雨よけ」テントをしつらえ、周囲の鉄柵に蚊取り線香を大量に巡らせ、「ブユ(蚊はほとんどいません)防止」して、みんなで「木炭の火起こし」からスタートです。

 火起こしの過程では、火つけ材・炭の組み方で、燃焼の学習内容の空気の流通具合も確認しながらすすめます。近くに落ちている、スギやヒノキの枝を拾い集め「火つけ」の一助にする間もエピソードは進み、その燃えやすさ・日本建築・高級木材・間伐・花粉症・フィトンチッド・動物の成育の少なさ・現在『山』が抱えている問題・地滑りや水との関係・・・子どもたちに伝えたいこと、考えてもらいたいことはつきません。それらが日ごろの学習のバックグラウンドになります。立体授業です

「見たことないんか!」の止揚?
 団の日々の課題(宿題)のレベルは、ほとんど基礎的で簡単なものです。その自学方法は「各テキストの見開きページの単元必須事項の紹介・説明を丁寧に三回ずつ読み、確認問題に解答して、答え合わせをしていく」というものです。
すこぶる簡単です。それを指示通り三クールやれば、受験の基礎学力定着は十分です。既習事項ではなく未習の範囲も、まずその要領で進めていきます。

 既習ではなく、未習を先取りする理由は何か? 
 「『わからないこと・新しいもの』に「指示や口添えのないところ」で、「ひとりでもひるまず立ち向かうこと」ができるようになるため」です
 テストや学習で目にする「新しい問題」・「見たこともない問いかけ」に、手をこまねき、音をあげるようでは、「その先はないから」です。とりあえず、書いてあるところ(こと)を、ひとりで丁寧に読んでいけるようになることが、まず目標です。子どもたちが「一通り文字が読めるようになれば、ともかく読むこと(読み進めること)はできるはず」です。どんな学習でも読むことを抜きにしては語れません。前へ進むことができません。

 大学進学に際してまで、予備校の指導を受けなければ合格できず、教えてもらわなければわからない、というような「他力本願?」。依頼心が、社会に出て仕事をする上での様々な弊害の元凶になる、とぼくは考えています。
 小さい頃に「ひとりで学習を進められるようになるかどうか」が、その後の高度な学習を進める上でも、自ら仕事を進めることができるようになるかどうかという意味においても、たいせつな分岐点です

 今回も渓流教室に参加してくれたK君がS学園に合格進学した時、ぼくは、「大切なことを教えてあげるよ、翌日学習するところを教科書で読んでおくこと。それだけでいいから毎日やってごらん」と云いました。
 律儀な彼は6年間、それを続けたようです。その結果が京大から京大大学院、そして就職後神戸大医学部学士入学というわけです。方法には確固とした結果がついています。団のOB諸君の成長の秘密のひとつです。

 未習範囲を先に読んでおくことは、まず「新しいことや難問にひるまず立ち向かえるようになる」ということも大きな理由なのですが、さらなるアドバンテージはわからないところ・新しい学習内容の疑問点がはっきりするということです。それによって授業を受ける心構えや態度が大きく変わってきます。執着度・理解度がまったく異なります。また、その後の記憶の定着度もちがうでしょう

 わからないところを調べておくと、もっと良いのですが、そうでなくてもきちんと続ければ、「先に読むだけ」で大きな効果が生まれます。わからないところ・習っていないところを読むわけです。その習慣によって、「わからない問題でも理解しよう、考えよう、解答しよう」と云うモチベーションが育っていきます。そうした後々役に立つ学習姿勢や態度を身につけてあげたい、というのがもう一つの大きな理由です。

 さて、その宿題ですが、当然のことですが、その遂行具合によって大きな差が出ます。つまり、「日々『指示通り』きちんと解説やまとめにていねいに目を通してから、落ち着いて問題に取り組む子」と、「面倒なので考えないで、右から左に斜め読みし、すぐ答えを写す子」です。それぞれのテキストを、基本三クールやりますから、その記憶や理解・習得レベルは、年を重ねるにつれ大きくなります。その過程でちょっとしたトラブルが生まれます。

 過去のお父さん・お母さんも、「子どもが手抜きしてすぐ答えを写してしまう」という件でよく言い争いになったようです。そんなどこの家庭でも見られるようなタイミングに、「すっかり忘れられている、もっともたいせつなこと」をアドバイスしておきます。
 お母さんは「答えを見ていること」に手厳しく注意し、お父さんは「それを叱ることば」にイライラし、「子どもが見ていることを責める」お母さんを叱る。たとえば、激高して「お前は見たことないんか」、という論理です。

 ちょっと待ってください。
 「お母さんがかつて(小さいころ)答えを見たこと」と、「今子どもが見たこと」はまったく関係ありません。親が襟を正して、子どもをしっかり叱れるように態度を改めることは必要です。しかし、そんな事例を「諍い」に出しても、一向に前には進めません。「子どもを叱れない言い訳」にはできません。そんな行為は厳しく叱るべきですから。
 また、そんな話(論理)のやりとりを子どもが聞いていれば、親の云うことは聞かなくなります。説得力は生まれません。「自分もそうだったから子どもを叱れない」、というのであれば、子どもを叱れる親はいません。そんな基準では躾や教育はできません。「(答えを)見てばかりいる子どもを、永遠に再生産していく結果」になります。

 もう一つ大きな誤謬は、「(正しく)叱ることは、何よりも本人の為である」という認識の徹底、自覚不足です。
 『どこの誰よりも立派に成長してもらいたい(はずの)我が息子や私の娘』が、答えを盗み見るというような『せこいこと』」をしているようでは、一人前になれません。叱って当然のことなのです
 今のお父さんやお母さんと一時代前の親との大きなちがいは、その辺です。「家族単位レベル」の恥ずかしさ・みっともなさの基準が、以前とは大きく変わってきている気がします。核家族になってしまったのが大きな原因でしょう。

 昔は、特に田舎では、「こどものしつけ(『やんちゃ』とはちがいます。もっと「倫理的なレベル」のしつけです)ができていなかったり、手癖が悪かったり」は、何よりも「『親である自ら』や『家』が恥ずかしいことだと云う構え」が生きていました。
 また、そこには、もっと切実な問題が存在します。「頭のトレーニング」という側面の見落としです。団の標語にもありますが、「(『答えを見る』というような)狡をするな」という教えは「狡」をする(本来あるべき姿をごまかす、表面だけ飾る)というような精神構造で育ったときの結果に対する「警鐘」です。そういう精神構造で取り組むパフォーマンスを評価してもらおうというような甘い判断は、きちんとした社会ではあり得ない、と思うからです
 さらに「(『答えを見る』というような)楽をするな」です。「楽をする」という精神構造は、最終的には「手抜きをする」という方向に行きつかざるを得ません。

 ところが、「どんな意味においても、力をつけたり、能力を伸ばすには、少しずつトレーニングの負荷を多くしていかなければなりません」。つまり、「楽をする」のは、「能力を伸ばすこと」と真逆の方向なのです。
 子どもたちは成長を重ね、能力を伸ばすためには、「安易に楽を求めてはいけない」のです。こういう『成長のルール』とでも云うべき原則を自ら考え詰め、納得し、子どもを叱ることがたいせつです。
 単に、「お前が見たとか、見なかった」とか枝葉末節、「揚げ足取り」のような討論では埒があきません。「たいせつな子どもの能力を、より伸ばすためには、何を、どうすることが最善か。どうしなければならないか」という発想と考察が根底になければなりません。感情が勝っている中でも、シビアな原則を忘れると、決して子育ての良い結果は生まれません。堂々巡りです。いつも、何よりも子どもの為である、と自信をもってしっかり叱ってください。「見かけだけ」「形だけ」の叱り方は、百害あって一利(も)なしです。


石ころと星、宇宙の誕生と死⑫

2017年08月05日 | 学ぶ

 今週は、8月4日からの課外授業「赤目渓流教室」の立体授業テキスト内の一章です、すべてではありません。子どもたちに何を伝えるべきか・教えたいのか。ぼくなりの結論から、スライド学習に組み込んだものです。

 内容については、「川はどうしてできるのか」藤岡換太郎著講談社ブルーバックス・「川は生きている」富山和子著講談社から、多くのアイデアをいただきました。厚く御礼申しあげます。なお、内容の不備や誤謬については、もちろんすべて、ぼくの責任です。また有意義な図版を多数引用させていただきました。重ねてお礼申しあげます。

 川の変化と人間の営み
              
 自然の中では、川が突然始まることはない。川の変化が急に起こるわけではない。いずれも長い期間の目に見えない「しくみとはたらき」が関与している。

 たとえば、川をつくる地下水が工場で作られるわけではない。森や山の腐葉土や落ち葉に蓄えられた雨水が少しずつ地中に浸透し、地層の中で長い時間をかけて湧き出たものである。また、川には、たくさんの小川の水や、田んぼが蓄えた水も地下を通り少しずつ流れ込んでいるはずである。

 このように水のサイクルを見てくると、清水が二度目に清水として再生産されるサイクルは決して短期間ではなく、何百年・何千年ということもあるだろう。一滴の清水を獲得するのにも、そうした時間が必要なのだ。地球の歴史では数えきれないほど、繰り返されてきた時間だろう。私たちが現在と未来を考えるうえでもっとも欠けているのは、そんな視点である。
 ところが、私たちは、自分の生きている時間をはるかに越える営みやはたらきの考察は得意ではない。見たことがないからだ。寿命を超えた営みを考えるには、想像力の助けが必要だが、それも思うに任せない。

 なぜか? あえて云えば、馬鹿だからである。
 そのイメージを補えるものが、過去の研究や実績の学習、つまり勉強を要求するからである。「過去を振り返る」・「調べる」・「反省する」・「考える」という努力、つまりは『勉強する・能力を高める』という「労苦」より、まず目の前の欲求や欲望に向かいがちだからである。「勉強?」めんどくさい、というわけで、それこそ「日々の流れ」に任せてしまう。これが私たちの第一の「愚かしさ」である。
 もうひとつの「おろかしさ」。それは、「そうした努力を積み重ね、想像力や創造力を発揮したとき、自分の一時的欲求や欲望の充足を遥かに越え、世界中の人々や未来の人さえ喜ばすことができる、もっとすごい『快感』が得られる」という、「みんながそれぞれもっている可能性の大きさ」に気づかない愚かしさである。君たちには、ぜひ、この二つの「愚かしさの壁」を克服してほしい
 さて、川のはたらきで、まずよく出てくる述語は次の三つで、上流・中流・下流という区別。上流・中流・下流は基本的に、その傾斜が「急・なだらか・ほとんどない」と区別されるが、いろいろな姿の川があるので一概には言えない。平野部を流れる下流はまだその存在をイメージしやすいが、上流と中流の区別は必ずしも明確ではない。多くの場合、山間から盆地に出てくるところで上流と中流を分けていることが多いが、それも便宜的である。

 ところで、「川の流速は上流ほど速く、下流へ下るほど遅くなる」と云われているが、どうして下流へ行くほど遅くなるのだろう? また、湾曲した川では、湾曲の外側の流速が速くなるが、それはどうしてだろう
 不思議ではないだろうか? 「外側が速い」といわれればそのまま覚え、下流に行くほど遅くなるといわれれば、「ああそうか」と納得する。そんな態度が、勉強がいちばんおもしろくならない、頭が良くならない学習態度だ
 これらの何気ない疑問や不思議に目が止まり考え始めると、君たちの将来はすごいことになる。天才科学者も夢ではない

 川の話に戻ろう。「流れの速さ」の区別も含めて、流れる水には三つのはたらきがある。「削る・運ぶ・積もらせる」の三つである。流れが急で速いほど「削るはたらき」は大きく、角張った大きめの岩石から下流に行くほど、石は丸くなり、小さくなり、海に出る頃には、砂さらにシルトと、ごく小さな粒になっていく。
 川が山から運んできた土砂などは傾斜が緩やかになり川の流速が遅くなると運ぶことができなくなり、山間から盆地(平野)に出るところでどんどんたまり、さらに川の流れの働きが続くことで、山際に放射状に広がる。こうした地形を扇状地という。

 この「つもらせるはたらき」で、忘れられがちなことが「川の流路との関係」の考察である。例えば、川の流れ方、「まっすぐ」・「湾曲」との「流れの速さ」の関係からそれぞれのはたらきを見きわめ、その「川のようす」を理解し、蛇行や三日月湖・河岸段丘・天井川などのでき方を考え、説明することができるだろうか? たいせつなことは「結果を覚えること」ではない。学習は決して、「聞いて覚えること」ではない
 「それを考えること・自分で結論まで導くこと」が、勉強(学習)をおもしろくし、頭を良くするためには、もっともたいせつなことだ。自分の頭で、なりたちとしくみまで考え、自ら結論を導くことがたいせつなのだ。その際は、身近なものに例を取ればわかりやすく、理解も速い

 「積もらせる」はたらきで、よく知られている例は河口にできる三角州だが、それほど知られてはいないが、中流から見られる「意外に身近な地形」がある。「中州」である。
 中州は扇状地よりもっと下流の広くなった川にできる地形で、土砂がたまる場所は川の縁や真ん中である。長い間に大きく成長し、地盤も堅く安定した中州は両岸から橋を架けやすいこともあり、その上に都市や市街が発達することもある。

 公園や大阪市庁がある中之島は、その中州である。また繁華街が密集した福岡県の中州もその代表例である。世界的に見ればもっと大規模な中州がある。アメリカのニューヨークがあるマンハッタン島は総面積が約57平方キロメートルもある中州である。
 さて、地形を変える川と川の水のはたらきを見てきた。教科書の学習内容ではあまり出てこないが、川のはたらきよりもさらに大きな地形の変化をもたらすものがある。「風化」である。
 風化は、「風」「雨」による作用だけではない。厳密な定義によれば、「物理的」または「化学的」に岩石が分解したり、崩壊して粉々になっていくすべての作用を云う。
 物理的原因には強い雨や風による影響はもちろん、温度変化や凍結作用があり、化学的には、水や酸素・二酸化炭素の作用などがある。他にも、生物のはたらき、たとえば岩石に植物の根が入り込んだりミミズや微生物の影響もある。

 2000mを超えるような高山では、一日の温度差が激しく、岩石も膨張と収縮を繰り返す。岩石は以前も見たように様々な造岩鉱物の集まっているものが多く、成分が均一ではないので膨張率や収縮率の差が大きく、次第に割れ目や隙間ができる。そこに水が入り氷結したり、温度変化により膨張すると、岩石はさらに壊れてゆく。物理的原因である。柳生十兵衛のおじいちゃん、柳生新陰流の開祖柳生石舟斎が一刀両断したと云われている、写真の大岩の切断原因はその典型である。

 化学的変化は、たとえば鉱山など、何らかの自然にできた溶液に接触して反応すると、その中に岩石の成分が溶け込んでしまって、崩壊するという経緯をたどる。特に雨水よるものが多く、酸性雨が続いたりすると、石灰岩は融ける。長い期間続くと、それによって鍾乳洞ができたりする。

 硬い岩石は、水の流れによる作用ばかりではなく、こうして、礫・砂・シルトや粘土というふうに粒の大きさも変化していく
 さて、川の変化を見てきたが、次は災害と川の変化におけるヒトの取り組みである。私たちは「洪水が起きれば堤防を強く、高くし」というふうに、自然を「抑え」ようと取り組み、「抑えられるもの」と考えてきたが、それは大きなまちがいかもしれない。
 例えば、輪中や天井川の「経緯」を考えてみよう。

 天井川とは水があふれ、堤防を高くし、というやり取りの繰り返しで、やがて川の高さが家より高くなる、というものである。その経過を考えれば終りがなく、ただ堂々巡りである
 あるいは、洪水が起きれば、また堤防を作り直す。すると、その近くがまた壊れ、洪水が起きるということもニュースで報じられることがある。
 その洪水を古くにさかのぼって、ふるまいと人の営みを振り返ってみよう。
 たとえば「エジプトはナイルのたまもの」という言葉がある。これはどういう意味か?

 

ナイル川が氾濫すると上流から養分の多い肥沃な土壌を運んでくれるので作物が豊富にとれる。また、洪水によってその土地の再生のため区画整理が必要になる。つまり幾何学(数学)が発達する。
 さらに氾濫が毎年ほぼ同じ時期に起きるので、その時期を予想するため、星の動きに注目するようになり、暦や天文学が生まれた。治水するには多くの人手が必要になり、それを組織するシステムが発達し、政治や社会・国家が生まれる。つまり、洪水を自分たちの社会が発展したり科学が発達する「手段」や「きっかけ」としてとらえている言葉である。
 こういう事例はエジプトに限らず、四大文明といわれる他のインダス・黄河・メソポタミアでもほぼ同じで、この考え方からも、昔、人々はもっとおおらかで、自然の災害さえも謙虚に、鷹揚に受け止め、それに対する知恵を巡らせていたことがわかる。あらゆる意味において、こせこせしないで、「大きく頭を使っていた」のである。

 日本の戦国時代にも、私たちが参考にしなければならない偉人たちがいる。
 よく知られているのは、信玄堤(かすみ提)を考えた武田信玄と、越流提の加藤清正である。信玄は山梨、清正は熊本と支配地こそ違うが、それぞれ釜無川と白川という、頻繁に大きな洪水が起こる川があった。

 「かすみ提」は、図のようにとぎれとぎれに堤を築き、大雨の時には洪水をとめるのではなく、下流に流れるその勢いをそぎ、川の外にあふれさせるようにするものである。つまり、「洪水を防ぐ」、「洪水をなくす」のではなく、「洪水することを前提として、その被害を最小にする」という意図の建築物である。「洪水をさせる」のである。

 洪水をするところには人を住まわせず、田畑だけにする。人命は助かり、田畑は定期的に客土される。清正の越流提も、人命を救う基本コンセプトは同じで、上流であふれさせ、下流の平野の被害をすくうものであった。
 つまりエジプトのナイルから始まって、日本の「暴れ川」まで、かつての人類は、川に洪水があることが当たり前のことで、その利点を十分承知し、「自然に対抗するのではなく、自然と共存しようという考え方」であったことがわかる
 これが本来の人間の姿かもしれない、いや、おそらくそうだろうと思うが、キミたちの考え方はどうだろうか? 考え方ひとつ、行動ひとつによって何がどう変わるか? それらを「『考え尽くす!』こと」をいつもわたしたちは問われている。