『子供たちにとっての本当の教科書とは何か』 ★学習探偵団の挑戦★

生きているとは学んでいること、環覚と学体力を育てることの大切さ、「今様寺子屋」を実践、フォアグラ受験塾の弊害

土筆ハイクで伝えたいこと

2012年07月28日 | 学ぶ


 土筆ハイクのスライドと行程をお話ししなければなりません。

 課外学習出発前にスライド内容を編集したテキストが、毎回子どもたちの手に渡ります。そのテキストとスライドを見ながら出発前のオリエンテーションを始めます。

 子どもたちのおもしろさや興味を引き出すためには対象の「経歴」・予想外の一面や「係累」の紹介は欠かせません。それが「生きているもの」の姿だからです。生態系や進化をふくめた、さまざまな成り立ちやしくみへの興味を引き出すきっかけづくりをしなければなりません。

 「ええっ?」・「ああ、そうだったのか!」体験です。それが、子どもたちに「次のなぜ」をもたらし、次のステージへ足をかけるための踏み台になります。

 多方面からひとつの対象を見ることができるようになれば、それだけ、周囲や環境に対する環覚も立ち上がってくる可能性が高いと考えられます。それによって学ぶおもしろさに目覚め、自ら調べる・自ら学ぶという姿勢が育っていくと信じています。

 ツクシを取り上げる大きな理由は、何でもない「季節の雑草」のツクシが、興味深い「経歴」の持ち主だからです。上記の分類の写真を見てください。ツクシ(スギナ)と、料亭の中庭や田舎の家の植え込みでも時々見られるトクサがおどろくほど似ていることがよくわかると思います。

 トクサは、何億年も前に水中から陸上へ進出した古い時代のシダ植物の生き残りです。遠い昔、唯一の生命が生まれてから動物と植物に分かれ、植物も進化が始まります。水中の藻類からコケ植物・シダ植物へと進化は進んでいきます。トクサは恐竜時代よりもっと前のシダ植物のなかまで、原始的な形を残しています。

 

それぞれの写真の左側も比べてください。トクサの花(胞子葉群)はツクシにそっくりです。ここでも子どもたちの「え?」という反応が得られます。

 こうして紹介すれば、ツクシもトクサの仲間であることは子どもたちにもはっきりわかります。土筆は、いわば植物の歴史の生き証人ということになります。身近な植物の予想外の進化の歴史はきっと印象に残ってくれるでしょう。

 胞子による増え方や、土筆の「はかま」は実は「葉」の集まりで、尖っている部分がそれぞれの葉であること。また、「ツクシ誰の子、スギナの子」とよくいわれますが、両者は互いに地下茎でつながっていて、いわば兄弟であること等を話していきます。

 子どもたちの頭の中では、これらの学習内容が知識の断片ではなく、次第に立体的に構成されていくはずです。教科書では写真くらいしか出てこないツクシも、年間を通してさまざまな動植物に触れ、子どもたちの植物への興味を広げるためのスターターには格好の対象だということがわかっていただけるでしょうか。

 春の情緒を醸し出してくれるツクシの地下茎は、実に二メートルもの深さまで広がるようです。農地に生えると農家の人には迷惑この上ない植物であること、またスギナは家畜のエサに混入させると害を与えてしまうことなど、毎年米作りで親しく接する農家の人たちやその日常ともつながっていきます。

 スギナは繁殖力が旺盛で根も深く農家の厄介者ですが、スギナを刈ると鎌の刃の切れ味がすぐ鈍ってしまうようです。ケイ酸の蓄積による植物体の硬化で、鎌の刃が摩耗するからです。スギナを触れば、そのシャリシャリ感がよくわかります。手が傷つくススキの葉の鋭さもケイ酸のせいです。
 この理由はトクサのことを少し調べればもっとよくわかります。

 トクサは漢字では砥草と書きます。「砥石の草」、表皮の細胞壁にケイ酸が蓄積して硬くなり、かつて茎を煮て乾燥させたものを開いて延ばし研磨用に使われました。今でも目の細かい紙ヤスリの代用として高級品であるツゲの櫛の歯や漆器の生地を加工したり木製品の仕上げ加工や鼈甲細工に使われています。さらに歯を磨く歯ブラシの代用としても使われていたことがあるようです。

 このほか植物が水中から上陸し、コケからシダへと進化していったと考えられる植物の特徴にも少し触れます。ツクシに関連するスライドは三十枚近くありますが、スペース等の都合上、すべてを紹介することができません。
 さて、土筆ハイクでの立体授業スライドやテキストで紹介するのは、ツクシのことだけではありません。野外へ出て子どもたちに身につけて欲しいものは自然環境をはじめとする自らの環境に対する興味や好奇心です。養うべきは「環覚」です。誘うべきはおもしろさや不思議さへの入り口です。

 すべてを紹介することは不可能ですが、季節を代表する草花はできるだけ紹介したいと考えています。


 季節は春です。「春の七草を探してみよう」。時期的には少し遅いのですが、春の七草を観察し採取することもサブテーマになります。「芹・ナズナ・ゴギョウ(母子草)・ハコベラ・ホトケノザ・スズナ・スズシロ」。
 「春の七草」の名前を言える子はいます。しかし、名前を全部言えたとしても、それで何かおもしろいことがはじまるでしょうか。「単なる物知り」なだけで意味はありません。

 春先、野辺に出れば、そのほとんどに出会うことができます。
 「ロゼット」で冬を越すのは教科書ではタンポポだけですが、ナズナもゴギョウも、この時期には「ロゼット」が見られます。七草がゆでは、そのロゼットの若葉を食すのです。「ロゼット」が知識で終わりません。「ロゼット」は食べられるのです。

 ハコベラはかつてニワトリのエサや小鳥のエサにもよく利用されました。セリはドクゼリとの対比で話が始まります。ドクゼリは、まちがえて食べてしまった事故のはなしを聞きますが、比べてよく見ると、そのちがいが歴然です。それを例として、子どもたちにはよく見ることのたいせつさとして伝えていきます。

 七草のホトケノザは実はコオニタビラコという名で、現在その名で呼びならわされているホトケノザはまったく別種の植物です。そして現在のホトケノザには、注意しなければほとんど区別がつかないヒメオドリコソウという、同じシソ科の植物がほとんど同じ時期に生えます。近くに生えていることもよくあります。
 その知識は、行程の中で実物を見てフィードバックすることになります。予想以上によく似た姿は子どもたちの注意力をさらに喚起し、周囲の植物の多様性を知ることができます。

 子どもたちは七草を摘みながら、それぞれ存在を主張する植物をこうして手に入れていきます。春の七草が、自分たちのすぐ側にあることがわかってきます。身近な植物へ目を向けるきっかけができ、環境が少しずつ身近になっていきます。

 これで終わりではありません。お母さん方用に、ツクシ料理のレシピもお渡しします。
 摘み取ったツクシが、帰宅後夕食の食卓をかざるのが、「土筆ハイク」立体授業の理想のフィナーレだからです。

 なお、この項でも紹介させていただいた資料の源、子どもたちの環覚を育てるために、いつも素晴らしいヒントやアイデアを提供してくれる図鑑や本、また資料集をご紹介します。
 小学館の図鑑「NEO」シリーズ・「21世紀こども百科」、主婦と生活社「ふしぎ!なぜ?大図鑑」シリーズ、新ポケット版「学研の図鑑」シリーズ、ニュートンプレスの一連の書籍、トンボ出版の「どんぐりの図鑑」他、偕成社の矢島稔著「わたしの昆虫記㈬」、農文協「田んぼの学校」シリーズ、築地書館の「田んぼの生き物」ほか一連の書籍、受験研究社のスーパー理科事典、数研出版「フォトサイエンス生物図録」、実教出版株式会社「サイエンスビュー生物総合資料」、永岡書店「よくわかる樹木大図鑑」平野隆久著など、いずれも子どもたちの興味を引く資料を作成するためにはかけがえのない応援団です。改めて厚く御礼申し上げます。

 

 

 

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課外学習・スライド内容の構成と意味

2012年07月21日 | 学ぶ


 スライド内容は当日の課外学習の関心を高めるテーマや対象に対する予備知識・周辺知識への展開です。子どもたちが興味をもってくれるよう、スライドはその日の対象やテーマに関わることをできるだけ立体的に、「有機的に」組み合わせた内容に仕上げたいといつも思っています。

  「立体授業」と「環覚」。

 環覚が養われれば学習内容に親しみが増し、日々の生活の中でも、それぞれの体験によって内容がさらに肉付けされ、自主学習に進んだり、学ぶ面白さとして育っていく可能性が高くなります。

 学ぶ面白さによって、環覚は、より鋭くなります。快感はくり返すからです。立体授業の目的は、受験のための知識のストックではなく、学ぶ面白さを求める環覚を育てることです。


 受験参考書には必ず出てくる世界遺産の白神山地とブナの原生林。受験する子どもたちならたいてい知っている知識です。しかし、子どもたちは「ブナ」を見たことがあるでしょうか? 

 ほとんど知らないはずです(写真は環覚を育てる資料として素晴らしい著作のひとつ、「ブナの森は自然のダム」文・写真 太田威 あかね書房より)。「ブナを知らずに、たいせつな自然遺産だと暗記だけする」ことに、大きな意味があるでしょうか。

 もちろん受験には、「意味のない暗記」も時に必要な場合があることは経験上よくわかります。しかし、学習を覚えはじめの子どもたちの「先々の学ぶ意欲」をたいせつにしたいのならば、できる限り優先しなければならないのは、「学ぶ面白さ」がともなう学習でしょう。

 何も知らない子どもたちに、経験として先立つべきは、「名称としての世界遺産」ではなく、「原生林の豊かさを肌で感じ、ブナの芽生えや芽吹き、そのなかの多様な生物の存在を知ること」ではないでしょうか。

 できれば、「ブナの優しさ」に触れること。その経験が正常な環覚を育て、養い、それによって世界遺産として保守すべき「ブナ林」のたいせつさも手に取るようにわかるはずです。自然保護に対する問題意識も立ち上がってくるでしょう。(挿入写真はブナではありませんが、子どもたちと行った森での芽生えです)

 小学生の学習内容は本来暗記の対象としてのみ学習されるものではなく、自らの環境について、ぼくたちが生きていく上で、それらがどういう意味をもち、どう役立っているか、あるいは役立てていかねばならないかを学んでいくためのものではないでしょうか。

 


 したがって、教科書や参考書の中に出てくる抽象化された知識を主に暗記の対象として、ただ「収納」していくのではなく、自らの環境にある学習対象の諸々に、日ごろから子どもたちの意識が向かい、また心の中で立ち上がってくる指導こそ目指すべきものだと考えます。それが子どもたちの学ぶ面白さや好奇心を引き寄せる土台になります。

 参考書や問題集の記述は抽象的でも、環境は決して抽象的ではありません。学習項目や学習対象に象徴される属性だけではありません。広葉樹は広葉樹の葉っぱがつき、針葉樹には針葉樹の葉っぱがそれぞれついているだけの存在ではありません。ただの「しょうもない木」でもありません。ぼくたちと同じようにそれぞれ個性があり、生きています。それを子どもたちに伝えること。学ぶ面白さは、そこから始まります。

 クヌギやコナラの木であれば広葉樹で落葉樹、またドングリもできれば、さまざまな虫たちを養っています。どんぐりはおもしろい工作の材料にもうってつけです。あく抜きすれば食べられます。ちなみにクヌギのドングリは二年成りでコナラの方は一年成りです。

 さらに子どもたちの大好きなクワガタやカブトムシが巣くい、木炭の原木となり、しいたけのほた木となる存在です。かつては薪割りの薪となり、そのマキで竈ではご飯が炊きあがり、お風呂が沸きました。


 考えるとわかるように、かつては生活と密着して親しく多くのことを学ぶことができたはずです。小学生の自然の中の学習対象やテーマがまったく変わったわけではないのに、子どもたちから体験だけが削げ落ちていったわけです。

 雑木林がぼくたちの生活に欠かせなかった意味もこうした紹介によってはっきりわかるはずです。近年よく聞かれるようになった里山ということばも身近になるでしょう。校庭のビオトープにさらに興味をもつきっかけができるかもしれません。

 子どもたちの学習する対象の多くは、今生きている子どもたちと、同じ時代に生きているものであり、同じように呼吸をしているものです。本や教科書に書いてあるのはプロフィールです。

 クヌギやコナラの木は単に分断された知識の寄せ集めとして本や頭の中に存在するのではなありません。課外学習の前のスライドの内容や日ごろの授業の構成は、こうした意識での材料探しから始まります。
 郊外に出て側を通れば、その存在が豊かな意味をもって親しく立ち上がってくる授業と指導を目指そうと思っています。「環覚」の育成です。そうして初めて子どもたちの頭の中で、学習内容が「植物としての確かな地位」を築き始めるのではないでしょうか。

 環覚を養い、道を歩いていても、それぞれの対象が、子どもたちの観察の対象になり、おもしろいことの発見や自主的な発展的学習が始まってくれることを願ってやみません。

 OB諸君のことは先にも少しお話ししました(学習探偵団のホームページでも紹介)。

 小学生時から中学進学後OB教室まで進み、京大や阪大へ進んだ多く(小さい規模なので総数は多くはないですが、その割合を考えれば)が大学院を目ざし、医学部へ進む子もたくさん出ました。学ぶおもしろさを伝えるのに、こういうアイデアが少しは力になってくれていたのではないかと、今感じています。

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土筆が「生きている化石」って知ってる?

2012年07月13日 | 学ぶ


 スライドについてお話しするつもりだったのですが、その前にちょっと時間をください。
 大手受験塾で「受験用に要領よく整理された知識」をたくさん身につけ、難関校の受験を「うまく」乗り越えるような「頭のよい子!」の口からよく出てくることば—「知ってる、知ってる!」「そんなん、とっくに習った!」。そんなことばが多いはずです。

 彼らは受験用に組みあげられた知識をたくさんストックし、模擬テストでもそれなりによい成績をあげていますから、多くのことを、実際には見ていなくても、「知ってるつもり」になっています。また「問題」を解く方法論にも精通しています。他の方法では比較する手だてのない「現在」は「頭がよいと認められる(!)子たち」かもしれません。

 しかし、受験を乗り越えるため程度の「机上の」知識のチェックだけで、ほんとうの頭の良さがわかるのでしょうか。受験を乗り越えるための学習を続けているだけで、ほんとうの頭の良さが育っているのでしょうか?

 一方、彼らを育てている教育熱心なお母さん方は、携帯端末を利用して、日々自らの子どもが通う大手受験塾の成績ランクのチェックに余念がないようです。お母さん方はきっと「安心」したいのでしょう。しかし、何の安心が欲しいのでしょう?
 子どもの成長や学力の伸長に対して安心が欲しいのであれば、毎日携帯端末に集中する時間と視線を、我が子に、「より」きちんと振り向けて確認できる安心感ほど、心安らぐ安心感はないはずです。携帯端末の操作で得られるのは、「安心ではなく、いっそうの不安」ではないでしょうか?

 受験塾の近くの喫茶店でコーヒータイムの傍ら、アイパッドで模擬テストの成績をチェックしているお母さんの姿、そして行き帰りの車中で塾の鞄を片手に目の色を変えてゲーム機に向かっている子どもの姿。そんな風景を見ると、ぼくは哀しさと、そして、時に大きな「不安」を覚えます。
 自らの半生を振りかえれば、人生はそれほど長いものではありません。そして命に保証期間があるわけではありません。
 はたして、親子でほんとうに見なくてはならないたいせつなものは見えているでしょうか? いつ途絶えるかわからない寿命に照らし合わせて、見るだけのものをしっかり見ることができているでしょうか。画面ではなく、今生きている自らを振り返り、しっかり「見る」ことができているでしょうか。

 感じる不安が、「本来ヒトとはアナログな存在であることを決して忘れたくない」ぼくの取り越し苦労や老婆心に終わればいいのですが・・・。

 子どもたちは受験用の知識だけをたくさん身につければ、あこがれの難関校の受験はクリアできるかもしれません。しかし「創造性の壁」や「仕事や社会での壁」をも乗り越えられる確証は、どこにもありません。逆に「子どもたちは、ふつうなら作らなくてもよい、将来立ちはだかる障壁を自ら作ってしまっているのではないか」、そう思えてなりません。

 大手の受験塾に通塾した経験のある子どもたちを指導していると、粘りや根気が足りないと感じることがよくあります。「受験用に用意された問題の解決法には長けている」が、手がかりが容易に見つからない初めての問題や身についた知識の枠を越えた問題をじっくり考え続けたり、何とか自力で解決しようとすることが苦手な子です。

 手を拱いてしまって打つ手がなく、安直に答を見つけようとする(見つけたい)子がほとんどです。そういう子が、将来自らの前に立ちはだかるであろう大きな壁に立ち向かい、切り崩したり、苦労して乗り越えたりすることができるでしょうか? 

 いつも「要領よくまとめられた解決方法や『手段』」を次から次へと用意されてきたのでしょう。

 いちばんたいせつな「学ぶ面白さ」を知らないまま、「順位が上がるおもしろさ」だけを道連れに、解決方法や手段を覚えるだけで「事足れり」となってしまっているのではないでしょうか。見慣れない問題を解決する材料や手段を粘り強く自分で探し求め、何とか解決を図ろうと工夫することができません。「学体力」が備わっていません。

 しかし、そういう力こそ大人になってからたいせつになる力だと信じています。そして理想をいえば、それに創造力がともなってくれることでしょう。社会に出れば、残念ながら先生が作っ(てくれ)た問題は出てきません。

 レオナルド・ダ・ヴィンチやガリレイはもちろん、ファーブルやファインマンなど、名だたる科学者の生い立ちや伝記には、学ぶ面白さを身につけるための重要なヒントが見つかります。体験のたいせつさです。そして実際に自分の目で対象を見る経験を通じ、その変化していく推移の観察や思いがけない発見・疑問の中から生まれる『なぜ』や『知りたい心』です。

 まず「なぜ」や「知りたい心」が芽生えて科学は始まり、その追求と解決のおもしろさによって、次の「なぜ」や「次のステージ」が用意されます。その過程で創造と偉業が生まれています。

 学習することについても、かいつまんで言えば、「学ぶ面白さが身につく」とは、こういう姿の小さな再現のことではないか。学ぶ面白さを追求して身につけた力こそ求めるべき学力ではないのか。粘り強く、あきらめず問題を柔軟に解決していける力の原点になるのでしょう。

 そうであれば、先立つべきは周囲や環境のおもしろさに眼を留める「環覚」です。環覚がなければ見るべきものにも気づかず、観察は始まりません。「なぜ」や「知りたい心」は生まれません。
 現在のように部屋の中で受験勉強だけを積み重ねて、要領よくまとめられた知識だけをたくさん蓄えていても、それ以降、よほどの僥倖がなければ、「良い大学へ進んだ」という経歴を手に入れるだけで、その先や次のステージは見えてこないのではないでしょうか?
 塾の鞄を片手に夢中でゲームにいそしむ子どもたちに、ぜひ聞いてみたいことがあります。
  「ツクシが生きている化石って知ってる?」
 おそらく、「そんなの知らない。どうして?」と、聞くと思います。
 そしたら、ぜひ伝えたいことがあります。
 「君のまわりにはおもしろいことがいっぱいあるんだよ!ちゃんと見たことあるかい?」

 

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春一番と土筆ハイク

2012年07月08日 | 学ぶ

 


 課外学習は三月中旬の「土筆ハイク」からスタートします。環境の厳しさや安全面への配慮などの諸条件を考えること、また中学受験をする子がいる場合、十二月から一月は受験指導の最後で冬期講習なども重なり、体験学習は時間的にもむずかしくなります。


 二月になれば新学期です。子どもたちの学力の伸長や将来の成長のことを思えば、もっともたいせつにしなければならない時期です。指導に対する方法や方針の共通理解は欠かせません。

 


 個々の新入生の性格や育ち方(甘やかされ方)・学習姿勢などをよく観察し、保護者の方と思いを共有できるように検討を重ね、その子に適した指導方針や方向性を定めなければなりません。課題が山積みです。何とかそれらが落ち着いたころ、子どもたちは春一番の待つ少し肌寒い飛鳥を目指します。

 「土筆ハイク」という取り組みで最初に「土筆」をとりあげたのはなぜなのか。まずその理由を説明しなければなりません。取り上げているテーマや対象には、それぞれたいせつな意味があるからです。


 一つめ、現在は季節が縁遠くなってしまっています。
 多くの季節の花に季節はなく、季節を代表する野菜・くだものは、手に入らない時期の方が珍しくなりました。

  
 都会だけに限らず、子どもたちの周囲ではどんどん季節感が失せていきます。お正月やお盆などの年中行事の多くも形骸化してるのではないでしょうか。子どもたちは今、そんな中で生まれ、そんな中で育っていきます。

 季節感のなさは子どもたちの季節に対する感覚の鈍磨を招き、それは周辺環境や自然環境に対する「環覚」の喪失をもたらすのではないか。カブトムシやクワガタをデパートで手に入れることに何の違和感もなく、季節の虫や草花にさえ気づかない子どもたちが育っています。
 たとえば、今は一年中見られるキクが秋の花であるということがわからなければ、「長日植物」「短日植物」ということば・電照菊という用語の意味は明確になりません。実感のない暗記の材料にしかなりません。

 ツクシは「春」になくてはならない存在です。何でもない身近な花や草であるからもたらしてくれる季節感。それを忘れることはできません。土筆ハイクやでっかい筍掘り・螢狩り・クワガタ探しは、田植えや稲刈りと連動して、子どもたちに四季を感じさせてくれます。
 これらの体験と課外学習でのオリエンテーションは、子どもたちの環覚を育てるために大きなはたらきをしてくれると信じています。日ごろの授業での意識的なフィードバックがあれば、さらに有効に機能するでしょう。

 現在の子どもたちの学習のようすをわかりやすくたとえてみれば、見知らぬヒトがたくさん写っている『教科書というアルバム』を渡され、「書かれている経歴や交友関係を覚えなさい」と指導されているようなものではないか、と前に触れました。
 昔のものに比べ紙質が良くなり、オールカラーになり、撮影技術や印刷技術も上がって、「アルバム」にはきれいな写真が並んでいます。
 しかし、いくらきれいにつくられ整理されたアルバムを見せられても、出会ったことのない人や、それほど親しくない人のアルバムに興味深く見入ることができるでしょうか?「特徴や経歴」が要領よくまとめられていたとしても、「興味津々」となるでしょうか。何度も見る気が起きるでしょうか?


 見たことがないもの・なじみがないものに、いきなり興味がもてるわけはありません。「特徴や経歴」がうまくまとめられているから、それを教えられたからといって、そんなに簡単に覚えられるわけがありません。また仮にうまく覚えられたからといって、「それから一度も会うことがなければ」その知識が大きく広がり生かされることはありません

 ところが、お母さん・お父さんはもちろん、田舎で会える優しいおじいちゃんやおばあちゃんのアルバムであればどうでしょう。毎日新しいものを紹介してくれる先生や見たこともないものを見せてくれる新入生や隣の家に引っ越してきたきれいな女の子の「アルバム」であれば、子どもたちの気持ちはどう変わるでしょう。

 出会えば「アルバム」を見る機会が生まれるだろうし、逆に、「アルバム」を見れば、また会いたくなるかもしれません。そしておもしろい性格や経歴がさらにわかってくれば、その先をもっと知りたくなるのではないでしょうか。
 学習の「次のステップ」や学びの「次のステージ」も、これと似てはいないでしょうか?日ごろから親しい関係を結ぶことができれば、それだけ「学びの次のステップ」や「次のステージ」が用意される可能性が高くなるのではないでしょうか。学習の深さと学習に対する姿勢が大きく変わってくるはずです。


 学習と親しくなるためには日ごろから自らの環境に対する「環覚」が育っていなければなりません。友だちや親しい人は生まれません。環覚が育っていなければ相手に出会っても気づきません。また、次に訪れる機会が生まれるほど親しくはなれません。


 教科書がフルカラーになってきれいに整っていても、肝心の子どもたちの「環覚」はモノクロームにもどり、どんどんセピアカラーに色あせていく、それが小学生の現状ではないでしょうか。

 季節の変化に対する「敏感さ」を目覚めさせるのは「環覚」を育てる第一歩だと思います。
 課外学習の出発の前、約三十分間のスライド映写が始まります。次回は、そのスライドの内容についてお話しします。

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算数も「手づかみ」できるんだよ

2012年07月03日 | 学ぶ


---もうひとつ、「算数も手づかみできるんだよ」というコピーがあります。国語だけではなく、抽象性の高い算数だからこそ、「外遊び」の経験の有無が理解に大きく関わることがあります。さまざまな野外活動での身のこなしや発見の中から「算数」の実感を身につけてほしいという願い、「手づかみできる算数」です。


 動物たちも得難い授業のアシスタントです。子どもたちは、蛍狩りや渓流教室で夢中になって虫や魚を追います。柄の短い網、柄が伸縮できる長い網をそれぞれ振る感覚の差、ねらったところへ餌を落とすための釣り竿のしなり具合、ゴムの張力と反発を利用する銛、手作りの弓矢。

 


 それぞれに応じて扱い方を習得しなければ、捕獲や遊びの目的は叶いません。それら体験は授業でのさまざまなイメージの喚起に応援の手をさしのべてくれます。
 空中でホバリングしたり、急にスピードを速めたりするオニヤンマ。幻想的な光を点滅させながら優雅に飛ぶ蛍。網をうまく避け、子どもたちよりはるかに速く動き、逃げ去る魚。


 それらの動きを間近に見れば「速さの問題」の乗り物や人の動きのイメージの喚起に大いに役立ちます。みんなで訪れる流れるプールや川に逆らって泳いだ経験は、流水算の理解への格好のサポーターです。


 また「鶴亀算」の指導では、鶴が「アオサギ」や「コサギ」に代わり、亀が沢ガニに代わったりしながら、子どもたちの頭の中で実際に「檻」を出たり入ったりしながら解き方を手助けしてくれます。

ツルを見たことがない子がツルとカメが行き来するやりとりをイメージするのと、いつも川辺でじっと獲物を待っているアオサギやひなたぼっこをしている亀を知っている子がイメージするのとでは、問題に対する集中度や現実感はまったく異なります。

 

 


 山登り。木登り。ぶらさがったり、岩の上から飛び込んだり、もぐったりという外遊びでの活発な動作。
 「くぐる」「こえる」「のぼる」などで経験する視点や視覚は立体図形のイメージづくりにも大いに役立ちます。体感の有無で理解のスピードや度合いはまったくちがうはずです。


 虫を追いかけたり、水に入って魚をすくおうと大きくのばした「網の軌跡」。回転図形のイメージづくりにもってこいです。その手応えは、やがて学ぶ理科の「遠心力」の理解にも関係します。
 彼岸花や猫じゃらし(エノコログサ)が生えている土手での斜面遊び。子どもたちは繰り返し繰り返し、飽きずに遊びます。
 写真は「蛍狩り」の翌日、クワガタを探している途中に、小高い丘から段ボールで斜面を滑りはじめた女子団員です。ほおに当たる心地よい風が髪をなびかせ、小さくジャンプを繰り返しながら勢いよく滑り降ります。

 角度の体感です。おしりが熱いのは「摩擦」。前のめりに止まるのは「慣性」です。ファミコンでは経験できない、全身を血が駆けめぐる遊びで身体に感じた風の記憶は授業の際にも追い風です。

 


 脳のはたらきは小学校高学年から抽象的な思考の段階へと変わるといわれています。しかし抽象的な思考の際も、イメージの補完をするのは、先に見たように、それまでに積み重ねられた実体験であり、それによって養われた感覚です。


 自然体験や外遊びの影響は目には見えず、その効果を数値で測ることもできません。往々にして軽くとらえられがちが、目には見えない力であるからこそ、いつの間にかその積み重ねが取り返しのつかない差になってしまうのではないでしょうか。順調に育ってくれる団のOB諸君が何よりもそのたいせつさを実証してくれているのではないかと感じています。

 


 学習と課外体験をふくんだ学習全体の予定表も紹介しておきます。団の課外学習・自然体験は図(下記リンク)のように年間予定(課外学習年間予定は二〇一一年用)をもとに実施します(毎年、新しい取り組みを導入するように意識しています)。
 課外学習と日ごろの学習指導とによって、子どもたちの周囲に対する目と「環覚」を育て、学習により親近感がもてるように、ひとりでにおもしろい学びが進むように、それぞれの課外学習実施の前後にスライドとテキストを使用した授業も展開していきます。団の「立体授業」とは、それらをすべてふくめた取り組みをいいます。「環覚」と「なぜ」を育てる授業です。
 次に毎年のそれぞれの課外学習と指導のようすやその意図などを順を追って紹介していきます。

 

 

<参考>2012年 5~8月のスケジュール 

  http://www.gakutan.com/schedule.html 


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