『子供たちにとっての本当の教科書とは何か』 ★学習探偵団の挑戦★

生きているとは学んでいること、環覚と学体力を育てることの大切さ、「今様寺子屋」を実践、フォアグラ受験塾の弊害

立体授業「でっかい鯰釣り」のテキストと指導②

2016年05月28日 | 学ぶ

 いつも、子どもたちに「学ぶことのたいせつさ」をわかってほしいと願いながら授業をすすめます。学習は受験に特化した学習に止まらず、「学習することのおもしろさ」や「学ぶことのたいせつさ」を確認できてこそ、以後の人生が充実します。

 人生の深さや奥行きを味わうには、学習する、机に向かい、本を手に取り、専門書をひらき、というステップは欠かせません。それができることが、より良い人生と健やかな成長の何よりの糧になります
 ところが、たいていの人が「勉強=おもしろくない受験勉強」という意識から抜け出せないのが実情です。「勉強はもうええ!」というスタンスです。多くの場合、おもしろくない勉強をただ合格目的で、いやいや積み重ねてきたのが原因です
 それでも、かつては「少年老い易く学成り難し」あるいは『光陰矢の如し』などと、故事やことわざを使って時間のたいせつさや学習のたいせつさを指導されることが日常的にありました。50年だった平均寿命が75年・80年と延びていくとともに、そういう指導・教育もずいぶん少なくなってきてしまったような気がします。

 寿命が延びるのは大いに喜ばしいことです。しかし寿命は延びたけれど、人生の充実が水っぽく拡散してしまったとなれば喜びも帳消しです。「ただ生きている」というだけではなく、日々や人生の充実があってこそ、延びた寿命が意味をもちます。
 「いのちの限り」や「人生の有限」を伝えず、意識から遠ざかると、人間にとってほんとうにたいせつなものが見えなくなります。たいせつさが霞みます。かけがえのないものも「かけがえなく」見えません
 いつもあるもの、いつまでもあるものをたいせつにしようとは思えないからです。この「しくみ」も、子どもたちを指導する人たちはきちんと心にとどめておかなくてはならないことだと思います。

 そんな指導の一例です。中学受験では古典は必要ありませんが、みんなが知っている徒然草の一節を授業でとりあげて指導することがあります。今から約700年前に生きた兼好法師も、学習や教養のたいせつさを力説していることを伝えます(下記)。
 そういう機会を増やすことで、「子どもたちの勉強や人生に対する視点」が変わってくれることを期待しています。立体授業の指導もそうですが、こうした指導を根気よく積み重ねることで、大学入学前後になると、学力とともに子どもたちの人格がきちんと整ってくるのが見えてきます。人格のともなわない学力はあまり意味がないのではないかとぼくは考えています。それによって他の迷惑になってしまうことが多いはずです。

徒然草から学ぶこと(学問のすすめ)

 品かたちこそ生まれつきたらめ、心はなどか賢きより賢きにも移さば移らざらむ。かたち心ざまよき人も、才なくなりぬれば、品くだり、顔にくさげなる人にも立ちまじりて、かけずけおさるるこそ、ほいなきわざなれ
 ありたきことは、まことしき文の道、作文・和歌・管弦の道、また有職に公事の方、人の鏡ならむこそいみじかるべけれ。(「徒然草」第一段・訳は南淵)
 
 氏育ちや容貌の美醜などというものは生まれつきのものだろうが、賢さは、より上を目指そうと思えばかなわぬことはないだろう。見場よく、端正で心根の美しい人であっても、年齢を重ねて頭のはたらきも衰えてしまえば、氏素性が低く見た目もよろしくない人の中でも、取り立てて存在感が感じられなくなるのは残念至極である
 望むらくは、真の学問を身につけ、文学や詩歌・音楽の教養があり、伝統や一流の礼儀作法にも通じ、人の手本とされるような存在になることである。
 
 なお、ぼくは前後の文脈から判断して、下線部を上記のように訳しました。市販の書籍から他の方の訳をいくつか取りあげておきます。ぼくは古典の研究者ではありませんので誤解をしているかもしれません。識者のご意見をいただければ光栄です

今泉忠義訳注 「改訂 徒然草 角川ソフィア文庫」より
 容貌や気だてのいい人でも、学才がないとなると、氏種性(原文まま)が劣っていて、いやらしい顔つきをした人々の仲間にはいっても、ひとたまりもなくみんなから圧倒せられるのは、何と心外なことではないか。

佐藤春夫訳 「現代語訳 徒然草 河出文庫」より
 風采や性質の良い人でも、才気がないというのは、品位も落ち、風采のいやな人にさえ無視されるようでは生きがいもない。

山崎正和著 「徒然草・方丈記 学研文庫」より
 容貌も美しく、気だての良い人であっても、学才がないということになると、人品が低く、見るからにいやしい顔立ちの人と交わっても、それにもろくも圧倒されるのは、まことに残念なことである。

保坂弘司著 「声で読む徒然草 学灯社」より
 容貌や気立てのよい人も、学問がないという段になると、自分より家柄の低い、容貌の醜い人たちの間にいても、たわいなく圧倒されるのは、どうも不本意なことである。

 紹介する碩学の訳は以上ですが、どうでしょうか?

でっかいナマズ釣りのテキストと指導
 さて、「でっかいナマズ釣り」のスライドとテキストの指導です。

 学習対象は、興味や好奇心を呼ぶために、それぞれの立体授業(課外学習)の中でできるだけ親しみをもてるような紹介をしなければなりません。それらは環境の中で、さまざまなかかわりをもって実在します。野遊びや腕白遊びの対象であったり、生活用品や食料品としての一面があるものもあります。学習対象はそれらの全体の中で捕えて初めて、生き生きとした学習内容として立ちあがってくるはずです
 まず課外学習で行動を共にする子どもたちに紹介する立体授業のストーリー作りをすること。それがたいせつです。遊びとの関連の中で様々な学習対象が立ちあがってくれば、おもしろさや興味が一層膨らむでしょう
 いつ行くのか、どこへ行くのかからはじまり、道中や遊び、その時のテーマの関連からテキストとスライドのストーリーを考えること。もちろん、そこには実施する季節も関係します。テキスト表紙(スライドタイトル画面)から順を追って紹介します。

 

1p 目的地までの地図(「中学校社会科地図 初訂版 帝国書院より」
 授業中地図を開くことはよくあると思いますが、「自らの在住地から目的地まで」という見方や、「大きな地域の中での自らの移動を地図帳で見て」という経験は少ないと思います。
 自分がこれから移動する、あるいはいつも移動している場所を、ふだん勉強で使っている地図の上で見ることによって、「地図や地理が身近になること」、あるいは「自らの移動を頭の中で地図をもとにイメージできるように」という狙い。子どもたちやお母さん・お父さん、ふだん目に付くところに大きめの日本地図を飾っておくことをお勧めします。テレビや会話の中で、地名や地方が出てくることがよくありますが、それらの場所を地図上で意識することで、無味乾燥な(!?)地理の勉強に対する感覚が少しずつ変わってくることが期待できます。

2p 細胞の大きさと原核生物から多細胞生物への進化
(資料が散逸して出典が不明です。関係者の方、ご教示またご寛恕を心より)
 生物の学習に細胞のしくみやはたらきがたいせつになってきますが、小さな子たちには「見えないもの」のイメージはなかなかつかめません。手近にあるもの、身近にあるものでイメージの不足を補う、よい資料が必要です。「太古の海の一つの生命から」という流れをそれなりに理解していくのはもちろん、原核生物から多細胞生物へという進化の道のりでも、細胞のイメージが明確化したほうが理解が深まります。
 また、ぼくたちのからだの様々な細胞やゾウリムシやアメーバ―等の単細胞生物の大きさを比べることで、新鮮さや意外性が生まれる。そうした気づきが学習(内容)が身近になるための礎です。学習知識として定着することもたいせつですが、情報が子どもたちの身近になること・増えていくことがたいせつです。それが学習に対する「なじみ」になり、「学習する」意欲を誘う。これは先週も見たように小さいころが最適です

3p 多様化する生物たち(「小学館の図鑑NEO大むかしの生物」より)
 生物愛護や環境保全が声高に叫ばれますが、それらの大切さを観念的ではなく理解・認識していくには、前頁の、細胞や生命の誕生からはじまる生物の進化を一目瞭然にイメージできることが重要だと考えます。一つの細胞から生物が多様化してきたことをイメージすることで、同じ生命としての親近感が芽生え、やさしい気持ちが育まれていくきっかけにもなるはずです。そういう経験を経ずして、人工的な人形に囲まれ、無機的な構造物の中で育つ子どもたちに、「生物愛護や環境保全の心」が生まれるでしょうか。

4p 生物の系統と分類(「生物総合資料」実教出版《株》より)
5p 生物の系統と分類の仕方(「フォトサイエンス生物図録」数研出版より)
 進化の過程で多様化してきた生物たちが、現在どういうふうに分類されているかの確認です。綱や目をたどれることで、進化の過程や仲間分けができるようになります。また気の遠くなるような地球と生命の歴史も、子どもたちの脳の片隅に居場所ができます。次に「ものに出会ったとき」、ものの見方や感じ方が変わる一助になります。

6p カンブリア大爆発(「ニュートン別冊 『生命』とは何か いかに進化してきたのか」より)
 子どもたちには結構なじみ深いカンブリア紀の紹介です。ここでは「カンブリア紀に急激に生物の種類が増えた謎」を問いかけておきます。答えは誰も出せていません。謎が子どもたちの心に残れば、ぼくはそれで十分だと思います。それがやがて好奇心や学習や研究の核となるからです
 ファインマンの項で紹介しましたが、彼はお父さんの膝に座って恐竜絶滅の話を読んでもらったとき、不思議でおもしろくてしょうがなかったと思い出を語っていました。結果や知識の伝達だけではなく、大きな謎を問いかけることもたいせつだと考えています。

 以下次回。


立体授業「でっかい鯰釣り」のテキストと指導①

2016年05月21日 | 学ぶ

「チツ」か「ツチ」かー立体授業指導開始時期は?
 「乙に澄まして格好をつける」というタイプでもないし、そういう類の「取り繕い」が好きではありません。すべてできるだけストレートに、「ざっくばらん」に、わかりやすく(?!)話すことにしています。時に(だけじゃない!反省)「顰蹙を買う」こともあるのですが、「『チツ』か『ツチ』か」という先掲タイトルは、市内の一貫校の友人先生方と飲んでいて、「マンネリ指導」にショック(!)を与えたいと「ぶちかました」ものです。それは植物や岩石や天気等の学習指導開始時期に対する疑問からでした。
 たとえば学生時代に体験済みだと思いますが、植物や動物、地層・天気・天体など、理科の「くわしい学習」は中学校から行います。少しくわしい学習におもしろいことがいっぱい含まれているのに、小学校の時には受験対応で満足な自然体験も経ず、実際のモノを知らないまま、多くの場合興味や関心なんか「蚊帳の外」で、いきなり見たこともない「火山岩」や「火成岩」を、たいていの場合、写真やイラストあるいは「どこからとってきたかもわからない石のサンプル」で「くわしく勉強する」よう促されるわけです

 学習の下地づくりや関心の掘り起こしなんかどこにもありません。「どんなところ」にあって、「どんなもの」か、あるいは「ぼくたちが生きていることの、何とどう関係している」か。そういう「学習する意味と大切さ」を感じさせる材料や経緯はどこにもありません。それらが手にできないまま、簡略化された「まとめ問題集」での学習と問題演習が現在までの学習指導(勉強)です。
 ぼくは男なので女性のことはわかりませんが、みなさんも少年時代を振り返ればわかるように、中学・高校といえば、「女の子」に対して「燃えるような気持」を抱き始めるときです。そんな時に、たとえばいきなり「火成岩」や「火山岩」を持ち出されるわけです

 「チツ」の方に興味や好奇心が爆発しているときに、小さいころからきちんと見たこともなく、いきなり出てくる「ツチ」や「イワ」のことに興味が向きますか? 「なんじゃ、コリャ」となりませんか。「なんでやねん」。「やってられるか!」と思いませんか? 
 ほとんどの男の子は授業中でも、教室の気になる異性や憧れの同級生の方をぼんやり見つめていたり、通学途中の他校の女学生やきれいな女性のことを思い返している時期です。「ツチ」や「イワ」や「カザン」どころではありません。それより自分が爆発しそうな時です。

 つまり、「効果的に」あるいは「実り多い」学習指導(勉強)を続けるためには、それ以前に、少なくとも、そうした学習対象の実物や存在に目が向き、何らかの興味や好奇心、積極的になれる「心の構え」が醸成されていなくてはなりません。多くの優れた先生がすばらしい授業で指導展開されていることは重々承知していますが、子どもたちのそういう実情が考慮に入れられず、厳しい言葉で言えば、「どうせ石や岩の勉強なんか、進んでするやつがいない。受験知識のためだけに適当な指導をしておけばよい」かのように、流されていることも多いのが、現状の「勉強」ではないでしょうか。
 しかし、「学習」は本来、「受験のため」のみならず、「学ぶこと」のおもしろさを手に入れ、その大切さを認識する(させる)ことが大きな目標でなければならないはずです。つまり、「土」や「石」や「岩」のことは学んでいるが、それに止まらず、その経験によって「学習することそのもののおもしろさ」を身につけられることが理想です

 愚にもつかないクイズに「どや顔」ができる「ざっぱな知識」の習得に止まらず、知ることやわかることが、どんな意味においても生きていくことにおいて、大いに役立ってくれること。それがわかることがすべての学習の基本であるべきではないでしょうか。「『ツチ』だって、『チツ』と同じくらい、いやもっとおもしろいかもしれないものなんだよ」という状況を作っておかなければ、「現状の学習指導を打破する」夢は叶いません。つまり、学習することそのものの意味さえ手に入りにくくなります。そして多くの子にその可能性が大きく開いているのは、これまでたどってきたように小学生時代だと思います。「チツ」の前に「ツチ」です。



立体授業の目標と目的
 さて、子どもたちの指導をしてるとよくわかりますが、土や石や岩や植物に興味をもち、もっとも身を乗り出して聴くのは、小学3年生くらいから5年生くらいの間です学習対象のさまざまな関連や興味深い奥行きをとりあげ、対象がぼくたちの生活環境と切っても切りはなせないつながり・歴史があることを伝えておくには最適の時期です。ふさわしい時期に学習対象(理想を言えば環境全体)に想いをはせ、興味を掘り起こしておかなければ、子どもたちが、以降で「学ぶおもしろさ」を手に入れることもかなり難しくなります。ファインマンやファーブル・ニュートン・エジソン・マクスウェル…思い起こす人たちはすべて、幼いころ自らの(自然)環境に目を開かれ、そのおもしろさに目覚め、やがて素晴らしい発見や偉大な発明にむすびつきました。
 

こういう話題になると、『うちの子は学者や研究者にはならんから』、『そんなに頭がよくないから』とかいう「反論」が返ってきそうですが、重要なことは、そうした「おもしろさに触れられること」で、「学ぶこと」「考えを進めること」そして「続けること」が『我がもの』となることです。受験はもちろん、一生を通じて、こんなに役に立つ『学習』は他にありません。やがて「環覚(造語)」から「学体力(造語)」への道も開けていくと信じてぼくは指導しています。

 さらに幼いころの体験のたいせつさを付け加えます。今までは理科の話ですが、これらに限らず、「季節感のある自然環境の中で感じ、考える」という体験がなければ、以前万葉集や芭蕉の例を出して考えたように、イメージの助けもなく、「文学の鑑賞」にも大きな影響があります。また、季節による空や山並みの微妙な変化を見ず、生物に会わずして、芸術的感覚・絵画的感覚は育つでしょうか? せせらぎや風の音がからだの奥でメロディを奏でる機会は生まれるでしょうか? これらすべてがわからず、環境保護の意識が芽生えるでしょうか?
  こうして、細かくあれこれをたどっていくと、子どもたちにとって自然体験を中心とする野外学習がいかに大きな意味をもっているか、成長の糧になりうるか、容易に想像できるのではないでしょうか。「環覚から学体力へのきっかけづくり」、立体授業の大きな目標と目的もそこにあります。

立体授業のテキストとスライド構成を考える
 以下は「本はどう読むか」(清水幾太郎著 講談社現代新書)からの引用です。なお、この機会に。
 東大生がよく読んでいる本として外山滋比古氏の「思考の整理学」(ちくま文庫)が有名ですが、ぼくはこの「本はどう読むか」も、「真剣に学ぶことを考えたい」学生諸君に是非読んでほしい本です。「読書」について評価が高いのは「本を読む本」(M.J.アドラー、C.V.ドーレン著 講談社学術文庫)ですが、ぼくは初年級にもわかりやすく、中身が濃くおもしろい、この本をまず読むべきだと思います。

 花という文字は、本物の花に似たところはない。植物の或る部分を花という言葉で指示するという約束によるものである。色や匂いがなくても、せめて形だけでも本物に似ていれば、と思うがそうは行かない。いよいよ、頼りなくなる・・・水や花は、まだ頼りがある方で、真理とか、実在とかいう抽象的な言葉になると、もっと頼りなくなる。なぜなら、水や花のようなものであれば、実物を眼で見ることも出来るし、手で触れることも出来る。これに反して、真理や実在を初めとする抽象的な言葉では、それが指示する実物自身、私たちの感覚器官で捕えることが出来ないものである。(同書170~171p文責は南淵)
 
 子どもたちが抽象的な学習能力を発揮し始めるのは、個人差はありますが、小学4年生ごろと言われています。エジソンが登校拒否をしたのは「『知らないもの(つまり抽象)』の学習に対する嫌悪感から」だったのですが、「小学校二年生」です。これらは、指導経験上ぼく自身もすこぶる納得のいく説であり、結果です。エジソンはそれ以降幸運にも、身の回りの不思議を百科事典等で次々学習することができました。
 しかし、ほとんど自然体験や環境に対する気づき(「環覚」)のない子どもたちの現状では、学習は初めから「抽象の学習」として始まります。一部の理解ある両親や恵まれた環境という稀有な幸運に恵まれた子を除き、ほとんどの子は勉強が終わる最後までそのままです(実は勉強は終わるべきではないはずなんですが)。ちなみに、この「抽象の学習」は、きれいに撮られた写真やイラストがあっても、学習の初めからそれがつづいていけば、「抽象学習」に変わりがありません。エジソン曰く、「見たことないもの」「知らないもの」を学習し続けるのですから

 「花」という名の『花』がないように、「単子葉植物」という草や「淡水魚」という魚が道端や川で見られるわけではありません。そこではススキや狗尾草が風になびき、フナやコイやナマズが泳いでいるわけです。
 ところが、「実際にはいないもの」を「見たことのないまま」、つまり「抽象」を「抽象のまま」、抽象能力が育っていない子たちが、「抽象そのもの」のようすや特徴をおぼえるわけです。こどもたちが「学習が面白くならない」最大の原因が少しわかっていただけたでしょうか。
 指導が従来のまま、子どもたちの学習に対する考え方が現在のままであれば、いつまでたっても子どもたちの『おもしろさ』が始まりません。その壁を乗り越え、少しでも学習対象や学習内容を子どもたちの『手の届くもの』にしなければなりません。

 「環覚」が養成されれば、日ごろからの学習や学習対象に対する考え方が変われば、この「学習停滞」の状況に「風穴」があくはずです。「学習」という「子どもを育てる『酸素』が十分ふくまれた空気」が行きかうはずです。個人塾で指導した人数は少ないのですが、OB教室まで指導をつづけた諸君の実績は、こうした日常指導から生まれたものです。
 そして立体授業は今言ったような学習と学習指導上の問題点を少しでも解消できれば、という目標を掲げ、試行錯誤しながら続けてきたものです。他塾に比べれば、課外学習の時間なども含め、子どもたちと接触できる時間は多くありますが、それでも指導したいことが無限に出てきます。したがって、一つの立体授業に対する指導の充実が最大の課題です。また、一回の授業(指導)ではなかなか身につくものではないので、一年間を通じた各課外学習においての立体授業の総合と積み重ねも考慮に入れなければなりません。テキストとスライドづくりのテーマです。

 一例を挙げれば、先ほどのススキや狗尾草、フナやコイ・ナマズはそれぞれ個別に存在しているとともに、それぞれの環境の中で、さまざまなかかわりをもって実在します。その中には当然人間との関係も含まれます。野遊びや腕白遊びの対象であったり、生活用品や食料品としての一面もあります。つまり、学習対象をそれらの全体の中で捕えて初めて、生き生きとした学習内容が立ち上がってくるのではないでしょうか
 なお、岩石関連の写真は他立体授業のスライドの一部です。次回から、「でっかい鯰釣り」のスライドとテキストのストーリーを流れにそって紹介します。


親父の一分

2016年05月14日 | 学ぶ

 写真は「でっかい鯰釣り(5月8日)」のスナップ、そして久しぶりに撮った「ある日」のシリーズです。
 まず。今週の映画は「心地よく」見られました。特に「招かれざる客」は「正統派」で、気心の知れた「常識のある人たち」と座り心地の良いソファーで、人生のあれこれについて落ち着いた会話を交わしているような気分になりました。

 それにしてもキャサリン・ヘップバーン。「男おんな(?)のような声」としゃべり方、「彫りの深すぎる顔」も決して美人女優とは言えません。しかし、彼女の前では「美人という基準」がまったく意味をもたなくなります。「キャサリン・ヘップバーンという飛び切りの美人は彼女だけ」だからです。やはり「とてつもない」女優です。「アフリカの女王」、「旅情」そして「招かれざる客」。いい年をして、顔に泥がついていようと、涙でくしゃくしゃになろうと、また「取り立てて」なまめかしいシーンがあるわけではないのに、いつも「知性にあふれた女性のエロチシズム」が漂っています。こういう色気を出せる人は日本にはいません。

親父の一分
 子どもたち! 「おやじのいっぷん」ではないよ、「いちぶん」と読んでくださいね。
 「でっかい鯰釣り」の途中、サポーターのお母さんと、「おとうさん」の話になりました。若いお父さん(お母さん)たちの間に、「男らしさ」「女らしさ」という話題や意識が少なくなってきたのではないか、という懸念については以前も話しました。
 この話は「そのとき」、また「やんちゃとヤンキー」の時にも話そうと思っていたのですが、タイミングを逃してしまったので、今週話しておきます。

 実は、ぼくは親父との接触はあまりありません。というのは、生まれて間もなく重度の結核で長期入院がつづき、ぼくが15歳の時に亡くなってしまったからです(享年42歳)。
 写真は2~3歳のころだと思いますが、母と尋ねていった病院の庭でのスナップです。「禁断(!)のぼくのおやじ」です。退院して仕事に就き、酒を飲み、タバコを吸い、しばらく働くと、また入院し、の繰り返しでした。

 肺を手術したのに、退院して家に帰ると「酒を飲み、タバコを吸い」と今書きました。大人になった今なら、「ちょっと節制せえや!」とでも言いたいところです。しかし、彼の「破天荒」はそんな柔なところに止まりません。
 ぼくが3~4歳のころだと思います。久しぶりに親父が帰ってきたというのでトコトコ2階の部屋に上がっていくと、きれいな若い女性が座っていました。若い女性がぼくに「ブリキでできた亀のおもちゃ」をくれました。「お土産だ」というのです。

 ぼくが喜んで階段を下りると、母が何も言わずそのカメを取り上げて、思いっきり土間に投げつけました。首とシッポと胴体部分にきれいに分かれたカメ。ゼンマイが弱弱しく戻っていく音がむなしく、ぼくは母のあまりの剣幕に唖然として、泣くこともできませんでした。
「どうしたんや?」。親父は「肺が半分なくなった」のに、「看護師の彼女」を連れて帰ったというわけです。それにしても、母がいるのに、どんな言葉を交わして連れて来たのでしょう?
 まもなく病院へ戻った親父は、ぼくが幼稚園のころ、少し良くなったのか、また戻ってきました。
 夏休みです。ぼくはそのころ結婚したおば(父の妹)の嫁ぎ先に遊びに行くことになりました。経済条件が許さず、ふだんどこへも行けなかったので、新しい「おじ」が気をきかせてくれたのだと思います。

おじの実家は奥吉野の川上村ですから、きれいな川があり、子どもが遊ぶには絶好です。ただし、そのころは道路の整備も進んでおらず、曲がりくねった山道を何時間もかけてバスに揺られなければなりません。
 着いて間もなくです。従兄に川遊びに誘われ清流に降りて行った途中でぼくの記憶は消えています。熱射病です。山奥で大きな病院もなく、一番近い町から診療所の医師に来てもらったようです。朦朧とした中、ぼんやりした灯りが次第に大きくなって、誰かの呼ぶ声が聞こえてきたことを覚えています。
 次の日気がつくと枕元に親父が座って、ぼくの顔を心配そうにのぞき込んでいました。来るときは親父が一緒ではなかったので、慌てて駆け付けたのでしょう(といっても、当時の交通事情ですから、乗り継ぎで3~4時間は十分かかります)。「心配したんやぞ。危なかったんやぞ・・・だいじょうぶか?」

 そのままお世話になっているわけにはいかないので、もう一日休んだ次の日、親父とおじさんに連れられ、家に帰ることになりました。暑いさなかです。現在のように冷房もない中、おんぼろバスは曲がりくねった山道を進んでいきます。今地図で調べてみても、直線距離でも25㎞以上あります。健康な人でも気分が悪くなるような時間と行程ですから、熱射病で倒れていた幼児に耐えられるわけはありません。
 途中、あまりにも車酔いと吐き戻しが続くので、おじさんと父は相談して、ぼくをおぶって山道を帰ることに決めたようです。おじと交互でしたが、肺のないおやじの荒い息遣いと汗まみれのシャツの背中が強烈に印象に残っています。

 次は、小学校低学年だと思います。彼はそんなおやじらしい振る舞いをまったく忘れて、その次の職場(電電公社・現NTT)で、また若い恋人を見つけました。細かい部分が抜け落ちてつまびらかではないのですが、あるとき親父は全く知らない人の家にぼくを連れて行きました。当時親父が務めていた電電公社の支店があったG市だったと思います。
 夕食をごちそうになって、初対面のおじいさん(に見えました)と娘らしい女の子と親父が酒を酌み交わし、ひとしきり話し合った後、確かぼくだけ、以前紹介した「腕白遊びの師匠」のいとこ(T和君)の家に連れていかれました。従兄の家もG市だったのです。
 その食事後、親父がどこへ行ったのか定かではないのですが、その恋人と一緒だったのは想像に難くありません。親父は次の日迎えに来たのですが、ぼくが諍いをする父母を見たくないので帰るのを嫌がると、烈火のごとく怒り、引きずりながら連れて帰られたことを覚えています。

 こうした「華々しい恋愛がらみ?」の間に、一緒に釣りに行ったり、大きな声では言えませんが(違反ですよ)、メジロを「とり餅」で捕まえに行ったり、という数回がぼくとおやじの交流の記憶です。
 そうそう、もう一つあります。
 親父は小さいころから運動神経は抜群で、足の速さは群を抜いていたようです。小康状態で家に帰っていたころ、小学校の運動会で、一度「お父さんだけの徒競走」に出たことがありました。
 ふだん顔を合わさないぼくに、少しでも良いところを見せたかったのか、はたまた「贖罪」の気持ちからか、自信たっぷりの顔で参加しました。なんと「下駄ばき(!)」です。ピストルが鳴って飛び出したその速いこと、ぐんぐん引き離して、ゴールテープを切る直前です。勢いよく倒れたまま立ち上がれません。アキレス腱断裂。ったく、もう。たいがいにしろって。

 ぼくが小さく、親父が生きていた当時は、夫婦喧嘩や貧乏暮らし、どこにも遊びに行けない境遇など、親父を恨んでののしっていたことも一度や二度ではありません。しかし、親父の享年(42歳)から振り返ってみれば、こうした一連の「オチ話(!)」は彼が未だ三十前から三十半ばのころです。
 肺がなくても、若さにあふれ、燃やしきれない情熱や生きる力が渦を巻いていたのでしょう。この後、親父は咳や痰がひどくなったのに、相変わらず酒もたばこもやめず、長期入院と回復を求めての転院が続きました。

 高校入試直前でした。母が理由も言わず「親父のところへ行く」といって、入試当日になっても帰ってきません。入試二日目。体育の実技テストが終わった後、受験校の校長から「妹さんとおじさんが待っているから、すぐ支度をして京都に向かうように」との伝言がありました。入試一日目に亡くなっていたのです。母が行ったのはそのためでした。何とも人騒がせで自分勝手、やりたい放題のおやじでした。

 その親父の行状をすべて許せる一言を母から聞いたのは初七日が済んだ、思い出話の中でした。難関といわれていた高校入試の合否を心配する母に、息も絶え絶えになっていた親父が、「大丈夫やて、あいつのことやから・・・」とつぶやいたと言うのです。
 ちなみに、ぼくは塾に行っていたわけではなく、大学入試まで、学校以外はすべて自宅学習でした。病気を抱え、女性に忙しかった親父。毎日家で勉強ぶりを見、成績表を覗いていたわけではありません。死に向かうという「最大の悩み」を抱えていた親父が言ったのです。

 いい加減な返事だと思う人もいるかもしれません。しかし、ぼくは子どもを指導している経験からよくわかります。子どもたちの生活全般をきちんと見、環境を見、指導の過程での問答から想像、判断すると、100パーセントに近い確率で合否がわかります。
 その経験から、親父が短い間にぼくをどれだけきちんと見、判断をくりかえしていたかが想像できます。さらに、それに基づいたわが子に対する見極めの正確さと信頼の強さも、たいしたものです。


 経済的に負担をかけず何不自由なく子どもを育てるお父さんも素晴らしいかもしれません。しかし、ぼくは短い接触の間にわが子の学力(能力)を見抜いた親父の眼力と子どもに対する信頼の厚さもなかなかできるものではない。「親父の一分」だ。そう評価しています。山道での荒い息遣いと温かい背中とともに、かけがえのない思い出です。
 親父の年をかなり超えた今、「よくがんばったね」と肩でもたたいて励ましてやりたい気持ちでいっぱいです。彼は何と答えるでしょうか?

 今週は、予告を裏切ることになってしまい、申し訳ありません。
 来週は巻頭から「でっかい鯰釣り」の立体授業のスライドとテキストの製作意図とストリーを展開します。