『子供たちにとっての本当の教科書とは何か』 ★学習探偵団の挑戦★

生きているとは学んでいること、環覚と学体力を育てることの大切さ、「今様寺子屋」を実践、フォアグラ受験塾の弊害

発想の転換が可能性を開く⑧

2018年04月14日 | 学ぶ

殺人犯はタブレット⓻

退塾した生徒たちへの手紙ー「見栄」や「ええかっこ」は成長の妨げ 
 水谷が送ってきた封書には子どもたちへの手紙のコピーも含まれていました。塾を辞めざるを得なかった彼らに事件の真実を伝えようとする心が覗えました。
 一通は、3年生の時から4年間指導し、今年あこがれの中学校に合格した二人の生徒、古田君と菅原君宛のもの。もうひとつは、今回の卑劣な策謀で一年弱の指導でやめざるを得なかったものの、水谷の指導にきちんと取り組み、学力はもちろん、すべてにバランスよく育ちつつあった、高見かれんちゃんに宛てたものです。

 
春、中学生になる君たちへー「かっこよくなれ」


 古田大悟 様
 菅原龍生 様
 
 君たちと「釘立て」をした公園の桜も咲きました。元気ですか? あこがれの中学への通学、雰囲気はいかがですか? 楽しいことがいっぱい待っている学園生活になることを、心から祈ります。

 課外学習やさまざまな作業・学習指導と、君たちとは4年間行動をともにし、たいせつなことを伝えてきたので、もう心配ないと思いますが、これからも気を抜かないように努力をつづけてください。
 「がり勉」は必要ないからね。勉強のしかたをもう一度伝えておきます。
「教科書の次の日に習うところを、できれば2回ずつ読んでおく」。その後今まで通り集中して、一定時間学校の課題と「学習したことの確認」をしていけば、最初は十分
 あとは、本を読むこと。おもしろいと思った本は何でも良い。本を読むことが生活の一部にならなければね

 入塾当時、課外授業で勝手に稲渕の棚田のまわりをウロウロして、同行の大悟君のおじいちゃんが大声で名前を呼びながら後をついて廻ったことをほほえましく思い出します。
 また、赤目の宿舎でテグスを結ぶことができず、川釣りの仕掛けを作るのに1時間以上かかったり、菅原君のヨシノボリを網で上手に掬う名人芸や、釘立て大会の「変則投げ」などもありました。懐かしい思い出です。
 「集中力が途切れがち」で、「見栄っ張り」が治らなかった大悟君には、入試前まで声を荒げて厳しく指導することもありました。それは、生きていく基本にかかわること、君たちの将来のことを思ってだと理解してください。


 「見栄っ張り」や「ええかっこしー」は、たいてい中身がともなってくることなく、たいした結果にはなりません。大きく育ちません。    「見かけ」ではなく、ふだんの行動や会話・しぐさが、『意識せずともええかっこになる』よう成長してください
 OB教室に来てくれれば、いろいろ話せ、時々に教える機会もあったのだけれど、かなわなかったので、二人には「見栄を張らないようにと」とアドバイスしておきます。
 「『できないのに、できたふり』をしたり、『わからないのにわかった振り』をする姿勢や態度」は、「学習」と「まじめに生きようとする人生」には無縁です。「自分に嘘をついたり、格好(カッコ)だけつけるの」は、みっともない。男らしくない。
 格好よくなりたければ、「『能ある鷹は、爪を隠さず、ちょっとだけ見せる』」ことができるようになること」。その姿を目指してください。どんなことでも、きちんと実力がともなわなければ、「ええかっこ」はできません

 「中身がともなっていないのに、ともなっているように見せる」という「虚飾」や「虚栄」は、「賢人」にはすぐ見抜かれ、信用されません。「信用を失う」だけではありません。時にバカにされ、軽蔑されます。「格好をつけるだけ」は「成長の大きな妨げ」です
 「偽っている・できないのに嘘をついている」という「余計な心の負担」によって、「ふつうであれば集中し、無心で向かう『心の構え』は崩れます。もっとも能力を発揮でき成長できる、「全力集中」という態勢がとれません。「陰ひなたのない努力がともなえばいいですが、『見かけだけを飾らないように』と厳しくしかった」のは、こういうわけです。
 また、「『頭がよい』とうぬぼれるな。謙虚になれ」、「君たちより頭がいい奴は、腐るほどいる」ともいいました。「『俺はできる』とか『頭がよい』とうぬぼれていた人」のその後は、あまり「たいしたこと」になっていません。きわめてふつうの「おっちゃん・おばちゃん」です。『おごり』が、学習や成長の『足を引っ張る』からです。真の実力が付きません
 君たちの先輩、夏休みの宿泊授業でも手伝ってくれるOB金山君の姿を参考にしてください。

 彼が、今回古田君が合格した中学の理数科に受かったとき周囲の同級生を見た「『「第一印象』と『その後』」。京大へ入ったとき教えてくれました。
 京大合格の挨拶に来てくれて、「先生、清明中学に入学したとき、ぼくより頭がよい人がたくさんいました。・・・でもぼくは努力では誰にも負けなかった・・・」。結果も出て、それが云えることがすごいと思います。
 金山君は、その後大学院に進み、就職して、出会った「医師や医療体制」の現況に疑問を抱き、会社を退職、再度勉強をすすめ神戸大学の医学部に学士入学をしました。決して現在の自分に満足することなく、だからといって自分のことだけを考えているわけではありません。

 もう一つ偉大だったのは、余裕がある経済環境ではなかったということです。自らの貯金の中でやりとげました。お父さんやお母さんに助けてもらったわけではありません。神戸大合格後も、それだけでは満足せず、自分を医師として高めるため、ケニヤに飛んだり、英語で診察応対をできる病院を探したり、努力と前進を欠かしていません。
 先生が「4年間君たちに云ったことと同じことを云って指導した」金山君の成長参考に、君たちもぜひ大きく育ってください。
 
 水谷は、こう励ました後、今回の玉川夫妻の犯行について触れます。
 
君たちが塾を辞めさせられた理由
 さて、「今回君たちが塾やめなければならなかった理由と原因」を明らかにしておきます。
 真実を知らないはずだろうし、お母さんたちはくわしいことは話していないでしょう。4年間指導して、順調に育ってくれていた君たちに誤解をされたくないので、きちんと真相を話しておきます。「信頼できない人に受けた指導」では、君たちの心に残らないからね。一生懸命教えた君たちがそんな状態になったら困ります。

 
 まず経緯。君たちも知っている夏前の「エアガン窃盗事件」が始まりです
 あのエアガンに、「どれだけ、先輩の温かい心と思いやりが詰まっているか」話したね。なくなったこと、その後の行動で「犯人が分かっていること」も伝えました。
 みんなが集まる授業の時には、『先輩の気持ちがこもった想い出の品を黙って持って帰るなんてとんでもないこと』、『嘘をついてばかりいたり、悪いことをしたことを黙っていると、身体や健康にも良くないこと』と話したね。君たちは先生の話を、よく理解してくれました。そうだったね
 「犯人が正直に言ってくれたら、すべてが丸く収まる」とも話しましたね。また何度も、「もし、どうしても云えないなら、先生が知らないうちに、黙って返しておくように」とも

 ところが、「その事件を闇に葬り、分からないようにしよう」と企んだ人がいたのが、今回の事件です。 
 「君たちのお母さんやお父さんと、家が近くなので顔を合わせる機会がある」し、「自分たちの仕事柄、そういう事件が公になると立場や近所や周辺にも見栄や体裁が悪くなると考えたこと」がその理由です
 どういう方法を採ったか。
 子どもに携帯を持たせ、「授業中の先生の声」を自分たちのタブレットに全部録音しました。それで、まず、先生が「エアガンの窃盗」のことを知っているか、犯人が分かっているかを探ったわけです。

 そして、「犯人を知られている」とわかってからは、「自分たち(の子ども)の責任にならないように、自分たちは関係ないとみられるように、塾をうまく辞めるにはと考えた」わけだ。
 今度は、そのための理由をつくらなくてはいけない考えた方法が、「とんでもなくひどい先生」だから、「しょうがないから塾を辞めた」という結果になるような策略だった。
 しかし、自分たち(の子ども)がやめても、「君たち」や「かれんちゃん」が塾に残っていると、「ほんとうのことが、やがてお母さんたちにばれてしまう」。「ばれないようにする」には、「君たちのお母さんにも、先生を『ひどい奴だ』と思わせて、「君たちにもやめてもらって、もう塾とは関係なくなる」ようにしなくてはならない」。つまり、「先生と君たちのお母さんが顔を合わさないようにする、また先生のいうことなんか聞かない」ようにしなければならない。

 そこで、次にどうしたか。
 窃盗事件の後、去年の夏過ぎから自分の子どもたちに持たせた「携帯」を通じて自分たちのタブレットに先生の授業のようすを録音する。その「先生の肉声」をつぎはぎし、編集して、「いかにも極悪人の教師がしゃべっているように聞こえる音声データ」を捏造した。それを君たちのお母さんに、課外学習などの機会を通じて、どんどん聞かせつづけたわけだ
 一般の人たちは、「そんな汚い編集や捏造が行われている音声だとは考えもしない」。しかし、君たちも知っている「女」の方が勤務する学校で、そんな目にあった同僚の先生がいたから、その「犯人」のやり方を真似したわけだ。盗聴録音した声だから、タブレットから聞こえるのは、「紛れもない先生の声」だ。というわけで、「君たちのお母さん・お父さんが、それらをすっかり信用し、君たちをやめさせてしまった」というわけです
 君たちも知っているように、卑劣な策略を実行した今回の二人は学校の先生だ。そんなことをやってもいいと思うか? よくそんなことができると思わないか? 
 この犯行の推理ができたのは、君たちのお父さんやお母さんから聞いた、それぞれの一言がヒントになったからだ
 まず、菅原君のお父さん・お母さん。
 菅原君とお父さん・お母さんが塾を辞める挨拶に来たとき、最後、塾の入り口で、先生が、「龍生君は阪大か京大に行けると思って期待していたんですが・・・」というと、まず菅原君のお父さんが、「先のことより、今の方が大事だ・・・」と云った。お母さんが言ったことはもっとひどかった。「梢ちゃん(先生の孫)に、期待したらどうですか?」。
 その一言にはびっくりした。4年間子どもがお世話になった人に、そんなひどい言いぐさはない。「おそろしいことが起こっているな、何か裏で」。そう思った
 次は「挨拶」に来たかれんちゃんのお母さんから、「『こんなところがあるんや』と思った」、とか「(かれんちゃんを先生と)離さないと・・・」という、とんでもない一言を聞いた。
 「先生と離さないと…」というセリフから、誰かが「注射をした」とすぐわかった。この「注射をする」というのは、『偽情報などを流して、相手をその気にさせたり、混乱させたりすること』だ。あまり、良い言葉ではないからね。今回の相手のやったことが、あまりにもひどいので、この言葉を使うことにする。

 さらに、それまでの経緯を考え、「君たち二人の合格のときのお母さんの態度が感激など一切なく変だった」疑惑などを考えると、「かなり以前から仕組まれていた謀略」だということが想像できた
 最後に「タブレット盗聴で音声録音して、捏造データが使われた、と決定できた」のは、大悟君のお母さんに電話して、「携帯で盗聴されたとしか思えない」と先生が云ったとき(これを「鎌をかけた」という。辞書で調べるように)の、お母さんの「返事のしかた・否定する慌てぶり」が、ふつうじゃなかったから、だ。

 以前聞いた犯人からの、「二年前勤務先の多津美H小学校で『保護者によるタブレット盗聴事件』で同僚の先生がとても困っていた」という話と、大悟君のお母さんの「驚きよう・あわてぶり」、そして、それぞれの「お母さん方の一言」が組み合わさって、今回の事件の判断・推理ができたというわけだ。君たちなら、嘘をついても見抜かれる先生のことをよく知っているから、そんなもので騙されるわけがないと思ったけれど、犯人夫婦は「うぬぼれて」先生のことを甘く見たわけだ。
 とんでもなく「卑劣な手段」だ。それも、先生が一番嫌いな「汚い!」方法だ。こんなことで、君たちとの信頼関係が崩れてはいけないので、事実関係をきちんと報告しておくことにする。君たちがよく知っている先輩と同じく、後輩思いの学力・人格ともにすぐれた、すばらしい大人に育ってもらいたいからね。
 以上です。誤解しないようにね。これからも頑張ってください。
  
                                                                                                       水谷 豊川

 
 もうひとり退塾する羽目になった、4月から5年生になった女の子への手紙です。

ポン酢、送るよ
 
 高見かれん 様

 元気で頑張っていますか? ちょうど桜が咲く頃、お母さんに手伝ってもらいながら、スズメの巣箱づくりをしていた去年の君を思い出しています。注意をよく聞いて、すばらしく勉強もできるようになったね、一年間ですくすく育ってくれました。「学習は、まず読んで、分からなければもう一度読んで、考える、ということ」が基本だからね。

 最後の挨拶に来てくれたとき、「もう渡す機会がないから」と思って用意した「ポン酢」をうれしそうに受けとってくれたので、手紙と一緒に送ります。
 塾をやめる前、「君も順調に育っていたし、先生とは何もトラブルはないはず」なのに、「先生に対するお母さんの態度」がどんどん悪くなっていました。君の気持ちを知りたかったので、「かれんは『先生のいうこと』わかるよな?」と聞きましたね。そのとき、君は「・・・わたしはわかるけど・・・お母さんは・・・」と漏らしました。

 そのときは意味が分からなかったけど、今はホントによく分かります。おかあさんは、もう、長いこと、そういう「捏造(ねつぞう、意味は調べてね)データ」で、「とんでもない悪人に聞こえてしまう先生の『声』」や「つくり話」を、犯人たちに聞かされ続けていたのだろう、と。渓流教室くらいからだろう。お母さんは、まんまと、その「ひどい策略」に騙されてしまったわけです
 「夏休みの大石君のお兄ちゃん事件」や「モデルガンの窃盗」のことも、君たちには、ひとつひとつ何が起きたか分かるように事実や証拠・考え方を全部説明して、「やってはいけないこと」を話しました。お母さんたちは、「話を全部聞かされるわけではなく、『都合の良いように、先生が悪人に見えるように切り貼り』された「つくり話」を聞かされていたからね
 「君と一緒に勉強していた自分の子どもたち」に携帯を持たせて授業のようすを盗聴し、「犯人たち」が自分のタブレットに録音した「先生の声の一部(!)」。だから『みんなは先生が言った』と思う。携帯をもたせて、我が子にそんなことをさせることが既に、ふつうのお母さん・お父さんがすることじゃないということが、君もわかるだろう。さらに、前後もちゃんと聞くと、先生は全然「別のことをいっていた」のに、「自分たちの都合の良いところだけ」を「切り取って」、「全然ちがうことを云ってるように変えてしまった。お母さんたちは、それを聞かされた

 つまり、「実際の先生の声」を使って、「いかにも先生が言ってるような『データ』をつくる」。それに自分がつくった「作り話」をくわえて、君のお母さんや菅原君らのお母さんを騙して、君たちをやめさせた、というわけだ。そういう「ひどいこと」をやった。「先生の声」だから信じるのもしかたがないと思うけど、もっと信頼されていると思っていたので、ほんとうに残念です。
 さっき、『犯人』と書いたが、彼らがやったことは5つの罪を犯した『犯罪』です。訴えれば逮捕されます

 まず、『エアガンを盗んだ』、これは『窃盗罪』。裁判をすれば、10年以下の懲役、または50万円以下の罰金。次に『盗聴』、これは『電波法違反』。そして、「捏造音声」を使って、みんなに先生のことを、いかにも悪人に見せ、みんなが塾を辞めるように仕向けた。これは、『名誉毀損』と『営業妨害』。さらに、ひどいことをしてみんなをやめさせてから、コソッとマンションに無断で入ってきたのは、『住居不法侵入罪』。
 細かく云えば、まだ罪を犯しているけれど、これだけでも「とんでもないことだ」ということが分かると思う。「一旦悪いことに手を染めてしまうと、その罪を隠すために、人はドンドン悪いことを重ねてしまうようになる」んだ。これも君たちに、いつも注意していたことだね。

 彼らは、君も知っているように、近くの小学校・市内の中学校に勤めている。どんな仕事であろうと、そんなことは決してやってはいけないことはもちろんだ。だけど、「これから『正義』や『正しいこと』・『善悪』を覚えなければならない小さな子どもたち」を教える学校に、そんな先生がいてもよいと思いますか?
 ぼくは気持ちを見抜けます。昔からどういうわけか、『口だけの人』・『口の上手い人』の『心』がよく分かります。『気持ち』を見抜けます。「本当に心から思っている人」は、大抵、おべっかを口に出しません。話さなくても「心と心で」通じます
 彼らと話をしていて「なんかちがうんだよな~」と、いつも感じていました。言葉に「ほんとうの心」がこもっているように感じられなかったのです。

 人数が少なかったので、君は、友だち・話をする相手の選択ができません。『一緒に勉強していた子』の性格がよく分からなかったと思うけど、その前一年間、彼女の行動や仕草を見ていて、「かなり問題が多い子であること」が見てとれました。たとえば、「ホタル狩り」で、網を貸してくれという他の人に、なかなか回さないで、一人でずっと使っていたことを覚えているでしょう? 彼女が。また、君は行かなかったときですが、「クワガタ探し」では、先生の指導を聞いて、目的の場所を目指して、みんな自分たちで探し始めます。

 君も知っている「稲刈り」にも来た、さつきちゃんは5才なのに、先生の云うとおり、いっしょうけんめいさがして、その晩一人でクワガタを二匹捕まえました。
 ところが、姉弟二人だけは先生の周りを離れないで、「先生が見つけたら何とか、それを自分たちのものにしようとする」ばかり。注意しても、なかなか直りません。
 塾の標語にあるように、そういう自分勝手な「せこい」態度や行動は、まず治すべき目標です。「そんな子にならないように指導しています」。そうでないと、人のことを考えられる感覚や姿勢は育ちません。そんなことが、ふだんたくさんありました
 少ない人数です。いつもそういう子と遊んでいたら、影響を受けないことはありません。選択の余地がある状態で、もう少し大きくなれば、善悪や正邪の判断もそれなりにできるけど、君たちの年齢では未だ無理です。「冷静に相手を見るように」とアドバイスしたのは、「すくすく育っている君」には、「その影響を最小限にと願ったからです」です

 「君のおばあちゃんの判断」は、よく理解ができるし、嘘の情報や捏造テープを聴かされる前、お母さんには「久しぶりにものすごく塾を理解してくれている人が来た」と期待していました。「今のまま大きく育てたい、育ってほしい」と思ったわけです。だからアドバイスしました。
 今回、「何があって塾を辞めなくてはいけなかったか」は、一緒に送った古田君・菅原君宛の手紙にも書いています。しっかり読んでください。もう分かると思うから。
 君のお母さんや、菅原君のお母さんが、君たちが退塾するドタバタのとき、大石君の「ワオワオワオ、耳ダンボ」事件について、「やめてから、大石君の悪口や、お父さんの(?!)を云うのはよくない」と、云ったことがありました。だから、彼らが、その時の指導のテープを「捏造編集して」聞かせたことはわかっています。「大石君がやめた事件」について、その一部始終をもう一度書いておきます。ここからは、お母さんにもしっかり読んでもらってください。

 「捏造データの存在発覚のきっかけ」になった「大石事件」の真相を、水谷は、「かれんちゃんのお母さん宛て」に、続けます。

ワオ、ワオ、ワオ、耳ダンボ事件の真相
 「大石君事件」については、「みんなが集まる授業」で、「事件のことについて最初から最後まで経緯をたどり」、「なぜよくないか」を子どもたちにもわかるように度々話しました。
 「悪口を言うため」じゃなく、「君たちもお父さんやお母さんになったとき、こういう判断をしてはいけないから」と「前置きして」です。「なぜ、大石君とお父さんの行動がよくないか」もわかりやすく説明をしました。小さいころは、身近な問題・現実感がある問題で考え、倫理観やものごとの判断基準・善悪や正邪の感覚をもたせることが大切だと考えているからです


 菅原さんや北見さんから、「『大石君のことをやめてからどう』とか、『お父さんのことを云うなんてひどい』」とか云う判断を聞きました。もし、「ぼくが話した『大石事件に対するコメント』を、きちんと全部聞いたら、子どもたちと同じように、お母さん方も、云ってることがよくわかったはず」です
 「『子どもでも分かった話』が・・・」と、後から考えるとすぐ、ああこれは、『みんなの、ぼくに対する価値感を転覆させるために、勤務先のTH小で同僚が保護者に携帯端末とタブレットを使ってひどい目にあったと、2年前に云っていた方法を『パクった!』」と見当がつきました

 また、あなた方三人とも「自分のところは、他の家とは関係ない」と「退塾の理由の区別」を、わざわざ強調する弁解も不自然でした。同じだったら「バレる」ということを確認したのでしょう。どういう理由でも同じです。わかる人にはわかります。それによって、「ストーリーを描いた者がいるな、三人はそれにうまく乗せられただけ」と分かりました
 そうして考えると、ドアの前で「男の方」が「古田さんとぼくの話」を聞こうとしていたことも、「あなたが、そのとき後ろに残っていたこと」も、2月になってから「女の方」がドアを開けて偵察に来たことも、すべて「つじつま」が合いました。「これだけ手をかける犯行は、一人ではできない」、だが相手は二人だ。一人は国語の先生だ。これぐらいのシナリオは描けるだろう。

 その後、課外学習に参加していたときの二人の「数々の不自然な態度」や、「あなた方のぼくに対する態度の変化の推移」を思い出し考え合わせると、X線撮影を見るように、すべてが明らかになったわけです「教職にあるのに、これだけ卑劣な手段をとれる」ということだけは、ぼくの経験の想像を超えていたし、信じたくなかったですが・・・
 また、北見さん、「『大石君の弟をやめさせた』のは、可哀そうだ」とか云いましたが、「とんでもない誤解」です。「わっしょいプール」の帰りの特急の中でも、たしか同じようなことを云ったはずですが、康之君に「兄ちゃんは先生の信頼を裏切ったし、お父さんにも先生の指導方針をよく理解してもらえなかったので、こういうことになったが、康之は来たかったら、来ていいんだよ。続けておいでね」。やめる前日まで、そう言っていました。 
 もちろん、子どもなので親の云うことを聞かなければなりませんが、泰之君をやめさせたわけでは決してありません。泰之君のお父さん(おそらく、お母さんではありません。性格も知っているし、ぼくのこともご存知ですから)の判断です
 さて、大石事件の真相です。
 夏期講習の終盤、都合で授業時間が二時間延びることになりました。ごはんの用意をしてこなかった子もいるので、「おなかがすくと思う人たちは何か買ってきてもいいよ、もしお金をもってきてなければ、貸してあげるよ」とぼく。
 「夏期講習の期間、教室で勉強してもよいですか」と言っていた兄の浩之君と弟の泰之君が、「何かお腹の足しになるもの」を買いに行くことになって、「ぼくが千円でいいかな」と渡しました。そのとき、講習を受講している6年生と5年生ら全員が傍にいました。

 近くのコンビニに行っておにぎりを買ってきた兄が、おつりとレシートをぼくに渡そうとするので、「小銭をもらっても、ややこしいから、そのまま持って帰ってお母さんに話して。千円持ってきてくれたらいいやん」とぼく。兄の方が弟に、なぜか、「お前が持って帰ってくれ」と云いましたが、弟が拒否したので、彼はみんなの前で左のポケットに入れました
 約一週間たってもお金が返ってこないので、4年生の弟に、「この間の千円、お母さんにゆうた?」と聞くと、「まだです」。「じゃあ、お母さんにゆっといてな」とぼく。
 次の日です。
 4年生の弟が、「お母さんがこれもって行って、って」と、レシートとレシート記載分の小銭をもってきました。「あれ、ちがうやん、兄ちゃんに、小銭ややこしいから、お母さんにおつり全部渡して、千円持ってきてくれたらええやん、あの時、そうゆうたやろ」とぼく。彼は「はい」と、そのまま持って帰りました。
 次の日、今度はお母さんが来て、「浩之がそれでいい、ゆうた」と云って、小銭とレシートを渡すので、「それはちがう。そのやりとりは6年生の子どもたちも、みんなと見てるから、まちがいない」と、返事をしました。すると、お母さんが『そうだったんですか』と千円を出しました
 ぼくは4年間一生懸命教えて、難関校に行くことができるようになるまで(おそらく他の塾では、うまくいかなかっただろうという自負があります)学力を上げることができた浩之君に、そういう「不実な行動」はとってほしくありません。ぼくの「願っている理想と正反対」です。だから「注意をしておかなければ」と、「じゃあ、浩之君に、はっきりさせます」と預かり、千円札を自分の机の端に置いておきました。
 ちょうどその日は木曜日で、浩之君の学習の日です。7時前に彼が来て、『これ、この間借りていたやつです』と千円札を出します。昼間のお母さんとの話と考え合わせて、「やっぱり」と、内幕が予想通りはっきりしました。 
 「昼間お母さんが来たぞ。お母さんには、おにぎり代だけでええゆうたやろ。何でそんな嘘つくん? そこにおいてある千円札、お母さんがもってきたやつや」。

 浩之君は動転して、「エエッ、いつ来たんですか?」と、バカなことを聞きます。
 「だから、今日や!って」。そのとき、もう一人のOB、同学年の平田君もいて、そのやりとりの一部始終を聞いていました
 「この千円どこから、もって来たん?」
 「えっ、お母さんにもらいました」(きっと嘘はないんでしょうが、『理由』は別だったはずです)
 「そんなはず、ないやろ、お母さん今日来たのに」
 「ええっ? ぼくがもらいました、今日!」と大慌てです。
 「じゃあ、お母さん、なんでもってくるん?」
 「・・・」彼の動揺はおさまりません。
 事情の判断は付きましたが、「云っておかなければならないこと」があります。「仲間や身内との信頼関係の問題」です。おとなへの第一関門、中学生です。信義の基本です。誠実さのやり取りです。金額ではありません。
 「・・・浩之な、失敗やまちがいや、ふとした出来心なんて、誰にでもあるんや。・・・だいじなことはそこでそれを認めて、これからの糧にすることや」心を抑えながら云いました、4年以上面倒をみてきた子です。
 「・・・センセは、基本的に悪人はいない思てる。嘘ついたままやったらナ、それが一生心の澱になって、顔つきが変わってくるんや。写真やってるから、ようわかんねん。・・・目がちがうんや。顔が変わってくる。君たちには、できればそんな顔にはなってほしいない。そんな人増やしたないから、塾はじめたんやで」
 「だから、やってませんて・・・」
 「そんなら、置いといたんか? 他の誰かが盗ったんか? あの時、他にやり取り見てた子、いっぱいいるんやで、菅原も古田もみんなおったやん。みんな見てたで。正直に言わなあかん」。
 いきなり、「ワオ、ワオ、ワオ~。ダカラヤッテマセンって!」大泣きです。中学生の姿とは思えません。。埒があきません。何日か反省すれば、きっと気づいてくれるだろうと、その場は収めました。
 数日後、彼のお父さんから電話があり、話があるということ。ぼくは授業後、来てもらえるように、時間を指定しました。そのとき、当日授業が終わってからも学習を続けている6年生がいたので、ぼくはその子たちに、「時間があったら、もう少し残っとき。ようすを見といてもええか分からん』と伝えました。古田君と菅原君です。もうすぐ中学ですから、「彼らに正しいことを覚えてもらいたい」、という気持ちがありました。
 来られたお父さんは、「型通りのあいさつ」のあと、
いきなり、「浩之は、あの時のこと覚えてない、記憶にないというんです。『記憶にない』というのでは叱れません。先生、それを認めてください、覚えてないというんですから

 まるで、質の悪い政治家や官僚の答弁です。ぼくにすれば、予想外です
「お母さんの話も聞いたでしょ。ここにいる子たちも傍にいて、ずっと見てたんですよ。じゃあ、そのお金は、どこへいったんですか? ぼくが嘘をついてるんですか?」
「いや、そうは言ってません」と、訳の分からない返答です。
「それじゃあ、他の子が盗ったことになるんですか? みんなの見てる前で」。
おとうさん「・・・。いや、彼が盗ってはいない、と云うことをわかってほしいんです」。
「それは無理ですよ(どうやって、分かれっていうの?)、他の誰かの責任になりますから・・・」。
「でも、浩之は覚えてない、記憶にない、というんですから・・・」と、お父さん。
延々、その繰り返しです

 このままでは、「子どもと同じで埒があかない」、そして、「子どもに責任をもって指導もできない」と思ったので
「じゃあ、こうしましょう。神様がいるか、いないかわかりませんが、神様が知っているから、もういいじゃないですか。ぼくのことを神様も見てるし、浩之君も、もし自分がやっていなかったら、神様が知ってるからそれでいいよね。だから、それで卒業してください」。(ぼくは、神様はそれぞれの『心の中にいる』と思っています。)
 浩之君が団に通っていた4年半、お父さんは、一度も懇談には顔を出したことがありません。
子どもの指導や教育は、保護者と指導者の共通理解がないと、うまくいきません。教師が適当に育てるつもりなら、それでもいいのでしょうが、ぼくはそういうつもりはありません。これが、大石事件の真相です

 こういう「事件」があった時は、ちょうど良い機会だから、『その事件の推移を知っている子どもたちには、判断基準・倫理基準等をきちんと考える機会をもってほしい』とぼくは考えています。さまざまな判断基準を子どもたちが覚える機会は、そんなに多くありません。
 そのための「何度かのぼくの指導のようす」を、つぎはぎして、大石君がやめてから「悪口を云っている」ように誤解をさせ、「自分たちの窃盗事件隠蔽の防護線にしようとしていたこと」が、これでよくわかっていただけるのではないでしょうか
 彼らが、どうしてそういう「優秀な」知力や精力を、子どもの教育や指導に使わないのか? 使えないのか? また、「2年間、自分たちの子どもたちも、自分の同僚も、自分の親戚も行動をともにし、みんな世話になったのに、どうして、こういう『卑劣な仕業』ができるのか」。ぼくは驚くとともに、不思議でなりません。 正しい判断基準がともなっていれば、「ちゃちな窃盗事件」は起こらなかっただろうし、起こっても、もっとスマートに片付いていたはずです。

  これまでの事件の経緯、日ごろの子どもたちに対する今回の当事者自らの行動・態度・躾・教育に対する、客観的で冷静な視点があれば、今回の事件が起こるべくして起こったという判断ができる思いますお金を拾った時の判断と行動・他人の(公共の)道具などに対する判断と行動、日ごろの子どもたちに対する「観察と教育・躾の不備」。小さいころから子どもたちは、こうした親の行動や習慣を「無批判」に受け入れていきます。
 「親が他人のものと自分のもの」という峻別・判断がきちんとできなければ、子どもが他人のものに手を伸ばして自分のものにしてしまうようなことは、ない方が不思議です。保護者が社会人・大人として自らを律すべき、子育てにフィードバックすべきたいせつなところであり、難しいところです。
 もっとも考えなくてはならないことは、自分の子が他の人に迷惑をかけてしまうかもしれない、そうなったら申し訳ない、という視点です。それが、古来から、日本人の多くが子育てに持ちこむことができた、世界に誇るべき感覚です。どうも、大阪では、こうした「日本人」という歴史的感覚が希薄なように思うのですが、これは地域性の故でしょうか? 子どもの指導やしつけは、その子の性格や育ち方・状況を見て、時に厳しすぎると思えるような指導も必要になることがあります。ふだん保護者がきちんとできていれば、そんな必要はありませんが。
 賢明なあなたのことですから、かれんちゃんとの退塾のあいさつのとき、「どれだけ酷いことが起っていたか」、「それを感じた僕が如何に驚きと怒りでいっぱいだったか」、わかっていただけたと思います。
 まだお若いし、一般社会で社会経験を積むことも少なかったと思います。世の中には、こういう「とんでもないことを画策する」輩もいるということを、後学のために覚えておいていただければ・・・
 最後になりましたが、かれんちゃんの、さらなる、素晴らしい成長を念じながら。
                                                                                                       水谷 豊川


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