『子供たちにとっての本当の教科書とは何か』 ★学習探偵団の挑戦★

生きているとは学んでいること、環覚と学体力を育てることの大切さ、「今様寺子屋」を実践、フォアグラ受験塾の弊害

発想の転換が可能性を開く⑨

2018年04月21日 | 学ぶ

スティーブン・キング“On Writing”の教え

備えあって、憂いなし『どこへ旅行に行くねん?!』

 団では、3・4年生のときの準備は時間割通りのテキストや筆記用具の用意だけです。が、学年が上がるにつれて子どもたちの通塾カバンが大きくなります。
 これは、「団の伝統ともいうべきスタイル」で、学習が進むにつれて、「国語の読解」の授業中に、例えば昆虫や動物や天体が現れたり、地理の内容が現れたり、歴史事項が現れたりすることもよくあります。そういうとき、ぼくは「流さず」、理科や社会のテキストで学習項目や学習内容に触れます。算数の「割合」の授業中に理科の水溶液の問題に展開することもあります。このように5~6年生になると、どの授業中にも他科目の学習内容に触れたりすることが間々あるので、その要領がわかってくると、みんな「自分から」それらのテキストも用意してくるようになります。


 もうずいぶん前になりますが、ある団員が6年生の時、ちょうど通塾時間に、家庭訪問の小学校の先生がお見えになり、玄関でバッタリ鉢合わせしたことがあったようです。大きなボストンバックを持って出るのを見た先生が、『どこかへ旅行に行くの?』と云ったと聞きました。
 お母さんとの笑い話ですが、飛鳥へ課外学習に行くときも、当時は全行程「徒歩」でした。つまり一日8~10㎞ぐらい歩きます。間に田植えや稲刈りの作業もありますから、かなりハードです。3・4年生で入団したばかりの子たちは、最初相当きつかったと思います。たいていの子が「まだ?」「まだ、着かんの?」の繰り返し。 
 しかし、年間10回以上ありますから、一年を過ぎると子どもたちは、かなり体力もついて、ペースにも慣れてきます。実は、その経験で『つく』のは「体力」だけではありません。同時に「我慢」も身についているわけです
 「勉強がおもしろくなる前」、どうしても、ある程度の「我慢」は欠かせません。「今の子どもたちに、もっとも欠けているもの」です。「学体力」の養成・定着には、一方で、日ごろのこういう指導や習慣も大切になってきます。団の子どもたちが、「ゆるぎない力をつけてくる過程」です


 ぼくは先日、「自らの学習のようす」も子どもたちに紹介すると云いましたが、読んでいる本の内容を、その都度子どもたちの指導に役立てることがよくあります。今回の「万全の準備」という意味で云えば、今読んでいるスティーブン・キングの“On Writing A Memoir of the Craft”(STEPHEN KING POCKETBOOKS 邦訳「小説作法」 池央耿訳 アーティストハウス)に、こういう一節があります。
 キングが小さいころ、おじさんが何か作業をするとき、いつもさまざまな道具が入った両手で抱えられないような道具箱を大切に持ち運ぶのを見ていました。「壊れた網戸の付け替え」がドライバー1本で済んだので、キングが、「これなら作業ズボンのポケットに、ドライバーを一本入れて来ればいいじゃん」といった時、おじさんが返答する件です
 


 「まあ。そうなんだが、スティービー」、おじさんは腰をかがめて、道具箱の持ち手をつかみながら言った。「一旦家に帰らなければならないようなものが必要になるかも、わからんだろう? だから道具はみんな一緒に持って来たほうがいいんだよ。持ってこないときに限って、予想もしなかったことに出会って、落ち込むことになることが多いんだよ」(前記“On Writing” p106より 拙訳)
 
 キングは、この比喩を使って、「作家志望者」に、「力を十分発揮するには、自分の道具箱をこしらえて、どんな場面にも対処できるように力をつけなさい」とアドバイスします。つまり、「備えあって憂いなし」を教えるわけです今どきのお父さん・お母さんはできるだけ荷物を軽くと教えます(考えます)が、いつだって「万全の備えほど頼りになるものはありません」。それが子どもたちへの正しい指導です。      この本では、他にも日ごろの子どもたちへの指導内容を補完してくれる部分がありました。ぼくが云ってるというだけではなく、「キャリー」や「ミザリー」の作者で、アメリカの世界的ベストセラー作家のスティーブン・キングの助言を得た方が説得力と真実性が増します(笑い)。
 
ぼくは、塾を始めて以来、ほとんどテレビを見ないようになりました。それは、やること・やりたいこと・考えること・考えたいことがたくさんあって、「おもしろいと思えないものを惰性で見る時間がもったいない」からです。ぼくのように「若いころからの壮大な無駄」を年をとってから後悔しても始まらないので、いつも子どもたちに、その大切さを伝えたいと思っています。
 キングは作家を志す人に、「何はさておき実践しなければならないことが二つある。それはたくさん読み、たくさん書くことだ。これ以外に近道はない」と云います。そしてあらゆる時間を有効に利用することを説いて、テレビの弊害に話が及びます。現在はスポーツジムをはじめ、あらゆるところにテレビは氾濫しているが、作家になる夢をもつものには一番必要のないものだ、と云います
 
 一旦つかの間のテレビ飢餓状態から抜け出すと、たいていの人が読書をする時間を楽しめるようになる。際限なくガアガアがなり立てる箱のスイッチを切ると、人生の質だけではなく、書くことの質も向上することが大いに期待できる。テレビを消したからといって、どれだけの犠牲が生まれるものか? (前記“On Writing”  p143より 拙訳)
 


 テレビだけではなく、ゲームの弊害を子どもたちに伝えるとき、単に「やるな!」というのと、「君たちが夢を抱いて何かに取り組もうと思えば」といって、そのアンチテーゼを出すのとでは、説得力に大きなちがいが生まれます。ぼくは、「自分が読んでいる本」や「学んでいるもの」から、こうした例を「応援歌」に、現在まで指導を続けています
 
殺人犯はタブレット⑧
 さて、ぼく宛に来た水谷の6通の手紙。最後の一通です。保護者宛てのものです。以下にそのまま掲載します。

退塾した保護者への手紙―盗聴する必要はありましたか?
 
 古田 佐知子 様
 
 新学期が始まりました。大悟君は元気に通学していますか? 
 もっと清々しく、明るい気持ちで門出のお祝いをしたかったのですが、塾開設以来24年で、もっとも憂鬱な新学期になりました。 


 大悟君が入塾してくれたのはちょうど丸4年前。あなたのお母さんの紹介でしたね。
お母さんの家からほど近いところ、大悟君が今散髪に行っている床屋さんの隣が開設時の教室でした。あなたは床屋さんとも顔なじみですね。
床屋さんは塾のことをよくご存じです。「木造建築の隣同士」でしたから、声が大きいぼくの、授業のようすもよく聞こえていたでしょう。すべて「筒抜け」だったと思います。そういう教室と授業で、コソコソしたことはない「筒抜けの授業」で毎年素晴らしいOB諸君たちが育ってくれました
 また、教室の前には広いスペースがあり、大きな道を挟んだ向こう側は、今はマンションになっていますが、以前は「お米屋さん」でした。顔見知りだった「米屋さん」のご主人は、身体を悪くされてから、よく店の前で丸椅子に腰かけ、終日こちらを眺めておいででした。


 そのころは広かった教室の前の道路で子どもたちを指導する機会もよくあり、厳しく指示や指摘をしたり、大声で叱ったり、という授業のようすも、そのままご覧になっていました。ご主人がなくなられてしばらくして、店の前で掃除をされていた奥さんに、前の道路でお会いしました。
 挨拶をすると、にこやかに
「センセ~。主人がね、亡くなる前ね、センセが前で指導をされていたのを見て、よう、ゆうてましてん・・・あんなセンセがいるなら、まだ日本はすくわれるなア・・・いつも、そう、ゆうてました・・・」。
 身に余り過ぎる「光栄」でした。感激で胸が詰まり、返す言葉もなく、ただ「ありがとうございます…」としか言えませんでした。その言葉が、今までの指導の、大きな心の支えになっていました。。


 そしてあなたのお母さんにも、「前を通るたび、指導ぶりを見聞きして、孫(大悟君)が大きくなったら通わせようと思った」とおっしゃっていただきました。あなたも、よくご存知ですね。玉川夫婦の今回のしわざ。それに対して、あなたのお母さんを含む、これらの人々との人間性のちがい。この感覚が、あなたや菅原さんに引き継いでほしい日本の感覚です。正しいものの見方です。 
 幸いなことに、ぼくはこうして周囲の心ある人たちによく理解していただいて、今まで指導を続けてきたわけです。ひとりでの指導で同じ人間ですから、当時と今と指導方針や指導方法がそんなに変わるわけではありません
 一つだけ変わったものがあるとすれば、ぼく自身はあまりうれしくないのですが、「受験指導(!)」のレベルです。相当レベルアップしたのではないでしょうか。たとえば、大悟君の「理Ⅲ合格」と隆二君の「理Ⅰ合格」は想定以上で、かなり「びっくり」でした。つまり、ぼくが考えているより、受験については一段(相当)上の力がついていた、という意味です。


 「『受験指導レベル』が良い方に変わっているのに嬉しくない」。その理由は、本来の力不足で、なお学習姿勢・日常学習習慣もきちんと整っていないのに、実力以上のレベルの学校に入ってしまうと、結果が良くない場合が多いからです。学習習慣もきちんと整わず「間に合わせの受験対応のままの学習」しか知らず進学すれば、結果は「悪い方と、明らか」だからです間に合わせではなく、真に実力を蓄えることが、第一です。
 「最近あなたのお母さんに聞いて」たいへん残念に思ったのは、「試験前、大悟君に学校を休ませてまで受験勉強させてしまったこと」です。そのあたりの、ぼくの指導に対する「信頼不足」が気になります。案内で配布している指導の歴史は、他塾とは違って「全く掛け値のないもの」です。よく見て考察していただければ一目瞭然だと思いますが、他塾に行って、果たして現在のような成長を遂げたかと云うと、おそらく今のようにはいかなかっただろうという自負があります。もう一度二十年を超える、毎年の実績に虚心に目を向けてください



 目標の理Ⅱは、今までの大悟君に対する指導経験と手ごたえから十分間に合うだろうと思っていたので、そんな必要はまったくありませんでした。また、従来から「学校を休んでの直前受験学習」は原則禁止していました。
 その理由です。
 ぼくは「大学までの受験学習」を、「『受験だけのための受験勉強』ではなく『日ごろからの学習の総合学力でクリアする』」というスタイルに育てたい。それを最大目標としています


 つまり、『付け焼刃』の「一時しのぎ」ではない「本物の学力」。同業の友人「学習探偵団」の南淵君が提唱する「『学体力』の充実と定着」の優先です。今までのOB諸君も、傍目には見えないその力、『学力以上の学力』を発揮でき、それが以降の成長にも大きく寄与しました
 仮に「一時の詰め込み」で合格できても、次もまた「詰め込み」で大丈夫という「受験から離れられない学習意識」で進学することになります。決して「一生役に立つ学力には熟成しない」と思います。「受験勉強を乗り越える勉強」にはなりません
 そうではなくて、いわば『空気のように学習する』ようになってほしい。「合格すればよい」ではなく、「『合格してあたりまえ』のように勉強がすすめられなくてはいけない」ということです。


 仮に、受験で希望の理Ⅱが理Ⅰになったとしても、それによって「本人の意識(覚悟)不足」という反省の念を喚起すべきです常に最善・最高の努力と結果を出せるように指導はしますが、人生もトータルに考えて、失敗したら、そこで奮起しなければ(させなければ)」というのが、ぼくの「こどもたちが成人するまでの指導スタンス」です
 「受験で終わる学習」ではなく「自らを向上させる学習」まで考えた場合、それが最善ではありませんか? 身近な手本は、神戸大学の医学部に進んだ金山君の成長スタイルです
 「勉強を受験勉強とイコールにしか考えられず、その意識から脱却できない人」は、結局「終生、学習がおもしろいものとはわからず、方便や手段のまま終わってしまう」結果になります。「学習によって自らが向上する喜び」という、すべての学習が成就する「たいせつな形や感覚」を手に入れられないまま・・・
 そういうことになれば、若ければ特に「自らの可能性の大きな損失」だと思うのです。大悟君には、もう少し付き合って、そこまで教えたいと思っていました。ところが、こういう結果になってしまい、とても残念に思っています。
 
 水谷は、退塾した大悟君の保護者に子どもの指導と成長について、こう考えを述べた後、疑問を呈します。

盗聴の必要はありましたか?

 さて、「お母さんを介して」という入団の経緯もあり、先日、今回の件についてお母さんの理解を得たいと思い、再度お母さんのご自宅に伺いました。以前の「事件の経緯の説明」の感想から聞きたかったので、「資料を読んで、何があったか、わかっていただけたでしょう?」と尋ねると、「ええ、まあ・・・」。
 ぼくは事件の流れは、読めばきちんとわかるはずだと思っていたので、「タブレットを使って、あの通りの推移だったでしょう?」。お母さんの態度と返事のようすから、「少し…」(だけちがう)という、微妙なニュアンスを受け取りました
 「・・・相手には話しましたか?」と尋ねられたので、「こういう行動、こういう汚いやり口の相手に、何を話せるのですか? 話したいことがありますか? まず、窃盗は犯罪ですよ。その認識も出来ていません。ぼくに対する信頼も見られません。」。そして「これまで、真実を話せるように、何度か持ち掛けたはずだし、『盗聴して内容を第三者に話すことが、さらに厳とした犯罪』ですから。タブレット盗聴も犯罪ですよ。ふつうの人がやれることですか?・・・」と云うと、お母さんは急に動揺し、落ち着きがなくなりました


 つまり、「『盗聴が犯罪であること』に対する心配」です。「あなたのことを心配された」のでしょう
 正直な方ですから(あなたもですが)、ああ『(ぼくの想像を超えていたが)これは、他にも、同じように盗聴した人がいるという意味だな・・・』」とすぐわかりました。そうですね? 古田さん。


 3年生の時から2年間、大悟君と菅原君と同じ教室で、北海道大学に進んだK君と京大に進んだM君とが、ずーと一緒に勉強していたことは覚えていますか? 菅原さんとあなたは、覚えていらっしゃるはずです。優秀な彼らが、大悟君や菅原君を指導しているぼくのようすを間近で、一挙手一投足まで、つぶさに見ていたことに想いは及びませんか? 「全部」見ていたんですよ彼らは。「2年間」も。 もう大人ですよ。ぼくの指導ぶりも、すべて分かるでしょう? あなた方が盗聴する必要はありましたか? 彼らのことは信頼できなかったのですか? よくご存じなのに・・・
 おそらく、「捏造音声で、玉川夫婦(?)に『怖いとゆう』などと教唆されて、バタバタやってしまった」というのが、きっかけだと思います。


 「心にやましさ」はなかったですか? 「やましいこと」を人はやってはいけません。人倫の基本です。それが既にわからなくなってしまっているのが、玉川夫妻です。 そういうことをしなければいけなくなった理由や原因を、どうして直接話していただけなかったのでしょうか。その間も、「信頼してもらっていると思い、ぼくは大悟君の指導に心底、力を尽くしていた」のですが・・・
 ぼくの指導は、そういうこと(盗聴)をしなければならないほど「悪質」でしたか? 信用の置けないものでしたか? 3~6年まで、3年間以上見ても、わからなかったですか? 指導の結果が子どもたちにきちんと現れていなかったですか? 大悟君の性格が正しく整ってきませんでしたか? 菅原さんも、もちろんそうですが・・・。
 あなた(方)に何か疑惑をいだかせるようなことがありましたか? 「調べられなければいけないこと」が。玉川夫妻の作り話より、子どもの成長が何よりの証拠ではないですか? 大悟君はちゃんと成長しましたね? 満足いく(以上の)合格ができましたね? 「都合のよいように、犯人たちに丸め込まれてしまった」と、まだ思えませんか? 


 彼らの今回のやり口は、当人の意識・無意識は別として、結果的に「相手を同じ犯行仲間に入れてしまうと訴追ができなくなるという「詐欺師特有」、典型的な犯罪者のやり口」です。「自分も結局仲間にみられるようなこと」をしてしまったので、「非難」も「批判」も「訴え」もできなくなる(法的にも精神的にも)というしくみです
 青二才(まだ20代でした)のころ、ぼくが新宿で騙されてしまった詐欺師のやりくちもそうでした。「お金をだまされたのに、とりもどすことができない」というスタイルです。
 やましいことに、一旦足を踏み入れると、結果的にこういうふうに「ズブズブ」になって抜け出せなくなります。「自分たちも、結局一枚かんでいるから、正しいとわかっても、正しいことに協力できない」という「パターン」です。犯人の2人が、そこまで考えたかどうかは「謎」ですが、結果的には「ぼくにはとても不都合、犯人には都合がよい」という結果になりました。 


 「あなたのお母さんや亡くなった米屋のご主人にほめていただいた指導」も、結局今回こんな方向、結果になってしまいました。それが残念で仕方がありません。人間関係でもっとも大切なものは『相互信頼』です。この上なく貴重なものです。それだけでも、玉川夫妻の仕業を「水に流す」ことはできません。流してはいけないと思います。社会の根幹が崩れます。彼らは教師なのに、そういう判断もできないわけです
 それについては、どう思われますか? まだ、その経緯と結果の正誤・善悪は判断できませんか? 音声データが捏造してあったということに得心はできましたか? 


 古田さん。今回の事件の推移を振り返っていただくとわかるように、こういうことがすべてわかるから、子どもたちがきちんと育ってくれるんですよ。大悟君もそのうちの一人ですが…。「嘘をつけなくなる」のです。「正直がいちばんだ」と悟るんです。それによって、みんなきちんと、どこに出しても恥ずかしくないように育ってくれます
 その指導の効果が、今回の一連のできごとで大悟君の中で壊れてしまわないように、と心から願っています。また、最後になりましたが、大悟君のさらなる精進と成長を心よりお祈りして、筆をおきます。
 なお、大悟君と同窓の隆二君は、すこぶる積極的な学習姿勢を見せてくれるようになりました。合格した後は、このように大きく変わってくれるのが、ぼくの指導です。そのために、小学校時代に厳しく指導するのです。 
                                                                                             水谷 豊川


発想の転換が可能性を開く⑧

2018年04月14日 | 学ぶ

殺人犯はタブレット⓻

退塾した生徒たちへの手紙ー「見栄」や「ええかっこ」は成長の妨げ 
 水谷が送ってきた封書には子どもたちへの手紙のコピーも含まれていました。塾を辞めざるを得なかった彼らに事件の真実を伝えようとする心が覗えました。
 一通は、3年生の時から4年間指導し、今年あこがれの中学校に合格した二人の生徒、古田君と菅原君宛のもの。もうひとつは、今回の卑劣な策謀で一年弱の指導でやめざるを得なかったものの、水谷の指導にきちんと取り組み、学力はもちろん、すべてにバランスよく育ちつつあった、高見かれんちゃんに宛てたものです。

 
春、中学生になる君たちへー「かっこよくなれ」


 古田大悟 様
 菅原龍生 様
 
 君たちと「釘立て」をした公園の桜も咲きました。元気ですか? あこがれの中学への通学、雰囲気はいかがですか? 楽しいことがいっぱい待っている学園生活になることを、心から祈ります。

 課外学習やさまざまな作業・学習指導と、君たちとは4年間行動をともにし、たいせつなことを伝えてきたので、もう心配ないと思いますが、これからも気を抜かないように努力をつづけてください。
 「がり勉」は必要ないからね。勉強のしかたをもう一度伝えておきます。
「教科書の次の日に習うところを、できれば2回ずつ読んでおく」。その後今まで通り集中して、一定時間学校の課題と「学習したことの確認」をしていけば、最初は十分
 あとは、本を読むこと。おもしろいと思った本は何でも良い。本を読むことが生活の一部にならなければね

 入塾当時、課外授業で勝手に稲渕の棚田のまわりをウロウロして、同行の大悟君のおじいちゃんが大声で名前を呼びながら後をついて廻ったことをほほえましく思い出します。
 また、赤目の宿舎でテグスを結ぶことができず、川釣りの仕掛けを作るのに1時間以上かかったり、菅原君のヨシノボリを網で上手に掬う名人芸や、釘立て大会の「変則投げ」などもありました。懐かしい思い出です。
 「集中力が途切れがち」で、「見栄っ張り」が治らなかった大悟君には、入試前まで声を荒げて厳しく指導することもありました。それは、生きていく基本にかかわること、君たちの将来のことを思ってだと理解してください。


 「見栄っ張り」や「ええかっこしー」は、たいてい中身がともなってくることなく、たいした結果にはなりません。大きく育ちません。    「見かけ」ではなく、ふだんの行動や会話・しぐさが、『意識せずともええかっこになる』よう成長してください
 OB教室に来てくれれば、いろいろ話せ、時々に教える機会もあったのだけれど、かなわなかったので、二人には「見栄を張らないようにと」とアドバイスしておきます。
 「『できないのに、できたふり』をしたり、『わからないのにわかった振り』をする姿勢や態度」は、「学習」と「まじめに生きようとする人生」には無縁です。「自分に嘘をついたり、格好(カッコ)だけつけるの」は、みっともない。男らしくない。
 格好よくなりたければ、「『能ある鷹は、爪を隠さず、ちょっとだけ見せる』」ことができるようになること」。その姿を目指してください。どんなことでも、きちんと実力がともなわなければ、「ええかっこ」はできません

 「中身がともなっていないのに、ともなっているように見せる」という「虚飾」や「虚栄」は、「賢人」にはすぐ見抜かれ、信用されません。「信用を失う」だけではありません。時にバカにされ、軽蔑されます。「格好をつけるだけ」は「成長の大きな妨げ」です
 「偽っている・できないのに嘘をついている」という「余計な心の負担」によって、「ふつうであれば集中し、無心で向かう『心の構え』は崩れます。もっとも能力を発揮でき成長できる、「全力集中」という態勢がとれません。「陰ひなたのない努力がともなえばいいですが、『見かけだけを飾らないように』と厳しくしかった」のは、こういうわけです。
 また、「『頭がよい』とうぬぼれるな。謙虚になれ」、「君たちより頭がいい奴は、腐るほどいる」ともいいました。「『俺はできる』とか『頭がよい』とうぬぼれていた人」のその後は、あまり「たいしたこと」になっていません。きわめてふつうの「おっちゃん・おばちゃん」です。『おごり』が、学習や成長の『足を引っ張る』からです。真の実力が付きません
 君たちの先輩、夏休みの宿泊授業でも手伝ってくれるOB金山君の姿を参考にしてください。

 彼が、今回古田君が合格した中学の理数科に受かったとき周囲の同級生を見た「『「第一印象』と『その後』」。京大へ入ったとき教えてくれました。
 京大合格の挨拶に来てくれて、「先生、清明中学に入学したとき、ぼくより頭がよい人がたくさんいました。・・・でもぼくは努力では誰にも負けなかった・・・」。結果も出て、それが云えることがすごいと思います。
 金山君は、その後大学院に進み、就職して、出会った「医師や医療体制」の現況に疑問を抱き、会社を退職、再度勉強をすすめ神戸大学の医学部に学士入学をしました。決して現在の自分に満足することなく、だからといって自分のことだけを考えているわけではありません。

 もう一つ偉大だったのは、余裕がある経済環境ではなかったということです。自らの貯金の中でやりとげました。お父さんやお母さんに助けてもらったわけではありません。神戸大合格後も、それだけでは満足せず、自分を医師として高めるため、ケニヤに飛んだり、英語で診察応対をできる病院を探したり、努力と前進を欠かしていません。
 先生が「4年間君たちに云ったことと同じことを云って指導した」金山君の成長参考に、君たちもぜひ大きく育ってください。
 
 水谷は、こう励ました後、今回の玉川夫妻の犯行について触れます。
 
君たちが塾を辞めさせられた理由
 さて、「今回君たちが塾やめなければならなかった理由と原因」を明らかにしておきます。
 真実を知らないはずだろうし、お母さんたちはくわしいことは話していないでしょう。4年間指導して、順調に育ってくれていた君たちに誤解をされたくないので、きちんと真相を話しておきます。「信頼できない人に受けた指導」では、君たちの心に残らないからね。一生懸命教えた君たちがそんな状態になったら困ります。

 
 まず経緯。君たちも知っている夏前の「エアガン窃盗事件」が始まりです
 あのエアガンに、「どれだけ、先輩の温かい心と思いやりが詰まっているか」話したね。なくなったこと、その後の行動で「犯人が分かっていること」も伝えました。
 みんなが集まる授業の時には、『先輩の気持ちがこもった想い出の品を黙って持って帰るなんてとんでもないこと』、『嘘をついてばかりいたり、悪いことをしたことを黙っていると、身体や健康にも良くないこと』と話したね。君たちは先生の話を、よく理解してくれました。そうだったね
 「犯人が正直に言ってくれたら、すべてが丸く収まる」とも話しましたね。また何度も、「もし、どうしても云えないなら、先生が知らないうちに、黙って返しておくように」とも

 ところが、「その事件を闇に葬り、分からないようにしよう」と企んだ人がいたのが、今回の事件です。 
 「君たちのお母さんやお父さんと、家が近くなので顔を合わせる機会がある」し、「自分たちの仕事柄、そういう事件が公になると立場や近所や周辺にも見栄や体裁が悪くなると考えたこと」がその理由です
 どういう方法を採ったか。
 子どもに携帯を持たせ、「授業中の先生の声」を自分たちのタブレットに全部録音しました。それで、まず、先生が「エアガンの窃盗」のことを知っているか、犯人が分かっているかを探ったわけです。

 そして、「犯人を知られている」とわかってからは、「自分たち(の子ども)の責任にならないように、自分たちは関係ないとみられるように、塾をうまく辞めるにはと考えた」わけだ。
 今度は、そのための理由をつくらなくてはいけない考えた方法が、「とんでもなくひどい先生」だから、「しょうがないから塾を辞めた」という結果になるような策略だった。
 しかし、自分たち(の子ども)がやめても、「君たち」や「かれんちゃん」が塾に残っていると、「ほんとうのことが、やがてお母さんたちにばれてしまう」。「ばれないようにする」には、「君たちのお母さんにも、先生を『ひどい奴だ』と思わせて、「君たちにもやめてもらって、もう塾とは関係なくなる」ようにしなくてはならない」。つまり、「先生と君たちのお母さんが顔を合わさないようにする、また先生のいうことなんか聞かない」ようにしなければならない。

 そこで、次にどうしたか。
 窃盗事件の後、去年の夏過ぎから自分の子どもたちに持たせた「携帯」を通じて自分たちのタブレットに先生の授業のようすを録音する。その「先生の肉声」をつぎはぎし、編集して、「いかにも極悪人の教師がしゃべっているように聞こえる音声データ」を捏造した。それを君たちのお母さんに、課外学習などの機会を通じて、どんどん聞かせつづけたわけだ
 一般の人たちは、「そんな汚い編集や捏造が行われている音声だとは考えもしない」。しかし、君たちも知っている「女」の方が勤務する学校で、そんな目にあった同僚の先生がいたから、その「犯人」のやり方を真似したわけだ。盗聴録音した声だから、タブレットから聞こえるのは、「紛れもない先生の声」だ。というわけで、「君たちのお母さん・お父さんが、それらをすっかり信用し、君たちをやめさせてしまった」というわけです
 君たちも知っているように、卑劣な策略を実行した今回の二人は学校の先生だ。そんなことをやってもいいと思うか? よくそんなことができると思わないか? 
 この犯行の推理ができたのは、君たちのお父さんやお母さんから聞いた、それぞれの一言がヒントになったからだ
 まず、菅原君のお父さん・お母さん。
 菅原君とお父さん・お母さんが塾を辞める挨拶に来たとき、最後、塾の入り口で、先生が、「龍生君は阪大か京大に行けると思って期待していたんですが・・・」というと、まず菅原君のお父さんが、「先のことより、今の方が大事だ・・・」と云った。お母さんが言ったことはもっとひどかった。「梢ちゃん(先生の孫)に、期待したらどうですか?」。
 その一言にはびっくりした。4年間子どもがお世話になった人に、そんなひどい言いぐさはない。「おそろしいことが起こっているな、何か裏で」。そう思った
 次は「挨拶」に来たかれんちゃんのお母さんから、「『こんなところがあるんや』と思った」、とか「(かれんちゃんを先生と)離さないと・・・」という、とんでもない一言を聞いた。
 「先生と離さないと…」というセリフから、誰かが「注射をした」とすぐわかった。この「注射をする」というのは、『偽情報などを流して、相手をその気にさせたり、混乱させたりすること』だ。あまり、良い言葉ではないからね。今回の相手のやったことが、あまりにもひどいので、この言葉を使うことにする。

 さらに、それまでの経緯を考え、「君たち二人の合格のときのお母さんの態度が感激など一切なく変だった」疑惑などを考えると、「かなり以前から仕組まれていた謀略」だということが想像できた
 最後に「タブレット盗聴で音声録音して、捏造データが使われた、と決定できた」のは、大悟君のお母さんに電話して、「携帯で盗聴されたとしか思えない」と先生が云ったとき(これを「鎌をかけた」という。辞書で調べるように)の、お母さんの「返事のしかた・否定する慌てぶり」が、ふつうじゃなかったから、だ。

 以前聞いた犯人からの、「二年前勤務先の多津美H小学校で『保護者によるタブレット盗聴事件』で同僚の先生がとても困っていた」という話と、大悟君のお母さんの「驚きよう・あわてぶり」、そして、それぞれの「お母さん方の一言」が組み合わさって、今回の事件の判断・推理ができたというわけだ。君たちなら、嘘をついても見抜かれる先生のことをよく知っているから、そんなもので騙されるわけがないと思ったけれど、犯人夫婦は「うぬぼれて」先生のことを甘く見たわけだ。
 とんでもなく「卑劣な手段」だ。それも、先生が一番嫌いな「汚い!」方法だ。こんなことで、君たちとの信頼関係が崩れてはいけないので、事実関係をきちんと報告しておくことにする。君たちがよく知っている先輩と同じく、後輩思いの学力・人格ともにすぐれた、すばらしい大人に育ってもらいたいからね。
 以上です。誤解しないようにね。これからも頑張ってください。
  
                                                                                                       水谷 豊川

 
 もうひとり退塾する羽目になった、4月から5年生になった女の子への手紙です。

ポン酢、送るよ
 
 高見かれん 様

 元気で頑張っていますか? ちょうど桜が咲く頃、お母さんに手伝ってもらいながら、スズメの巣箱づくりをしていた去年の君を思い出しています。注意をよく聞いて、すばらしく勉強もできるようになったね、一年間ですくすく育ってくれました。「学習は、まず読んで、分からなければもう一度読んで、考える、ということ」が基本だからね。

 最後の挨拶に来てくれたとき、「もう渡す機会がないから」と思って用意した「ポン酢」をうれしそうに受けとってくれたので、手紙と一緒に送ります。
 塾をやめる前、「君も順調に育っていたし、先生とは何もトラブルはないはず」なのに、「先生に対するお母さんの態度」がどんどん悪くなっていました。君の気持ちを知りたかったので、「かれんは『先生のいうこと』わかるよな?」と聞きましたね。そのとき、君は「・・・わたしはわかるけど・・・お母さんは・・・」と漏らしました。

 そのときは意味が分からなかったけど、今はホントによく分かります。おかあさんは、もう、長いこと、そういう「捏造(ねつぞう、意味は調べてね)データ」で、「とんでもない悪人に聞こえてしまう先生の『声』」や「つくり話」を、犯人たちに聞かされ続けていたのだろう、と。渓流教室くらいからだろう。お母さんは、まんまと、その「ひどい策略」に騙されてしまったわけです
 「夏休みの大石君のお兄ちゃん事件」や「モデルガンの窃盗」のことも、君たちには、ひとつひとつ何が起きたか分かるように事実や証拠・考え方を全部説明して、「やってはいけないこと」を話しました。お母さんたちは、「話を全部聞かされるわけではなく、『都合の良いように、先生が悪人に見えるように切り貼り』された「つくり話」を聞かされていたからね
 「君と一緒に勉強していた自分の子どもたち」に携帯を持たせて授業のようすを盗聴し、「犯人たち」が自分のタブレットに録音した「先生の声の一部(!)」。だから『みんなは先生が言った』と思う。携帯をもたせて、我が子にそんなことをさせることが既に、ふつうのお母さん・お父さんがすることじゃないということが、君もわかるだろう。さらに、前後もちゃんと聞くと、先生は全然「別のことをいっていた」のに、「自分たちの都合の良いところだけ」を「切り取って」、「全然ちがうことを云ってるように変えてしまった。お母さんたちは、それを聞かされた

 つまり、「実際の先生の声」を使って、「いかにも先生が言ってるような『データ』をつくる」。それに自分がつくった「作り話」をくわえて、君のお母さんや菅原君らのお母さんを騙して、君たちをやめさせた、というわけだ。そういう「ひどいこと」をやった。「先生の声」だから信じるのもしかたがないと思うけど、もっと信頼されていると思っていたので、ほんとうに残念です。
 さっき、『犯人』と書いたが、彼らがやったことは5つの罪を犯した『犯罪』です。訴えれば逮捕されます

 まず、『エアガンを盗んだ』、これは『窃盗罪』。裁判をすれば、10年以下の懲役、または50万円以下の罰金。次に『盗聴』、これは『電波法違反』。そして、「捏造音声」を使って、みんなに先生のことを、いかにも悪人に見せ、みんなが塾を辞めるように仕向けた。これは、『名誉毀損』と『営業妨害』。さらに、ひどいことをしてみんなをやめさせてから、コソッとマンションに無断で入ってきたのは、『住居不法侵入罪』。
 細かく云えば、まだ罪を犯しているけれど、これだけでも「とんでもないことだ」ということが分かると思う。「一旦悪いことに手を染めてしまうと、その罪を隠すために、人はドンドン悪いことを重ねてしまうようになる」んだ。これも君たちに、いつも注意していたことだね。

 彼らは、君も知っているように、近くの小学校・市内の中学校に勤めている。どんな仕事であろうと、そんなことは決してやってはいけないことはもちろんだ。だけど、「これから『正義』や『正しいこと』・『善悪』を覚えなければならない小さな子どもたち」を教える学校に、そんな先生がいてもよいと思いますか?
 ぼくは気持ちを見抜けます。昔からどういうわけか、『口だけの人』・『口の上手い人』の『心』がよく分かります。『気持ち』を見抜けます。「本当に心から思っている人」は、大抵、おべっかを口に出しません。話さなくても「心と心で」通じます
 彼らと話をしていて「なんかちがうんだよな~」と、いつも感じていました。言葉に「ほんとうの心」がこもっているように感じられなかったのです。

 人数が少なかったので、君は、友だち・話をする相手の選択ができません。『一緒に勉強していた子』の性格がよく分からなかったと思うけど、その前一年間、彼女の行動や仕草を見ていて、「かなり問題が多い子であること」が見てとれました。たとえば、「ホタル狩り」で、網を貸してくれという他の人に、なかなか回さないで、一人でずっと使っていたことを覚えているでしょう? 彼女が。また、君は行かなかったときですが、「クワガタ探し」では、先生の指導を聞いて、目的の場所を目指して、みんな自分たちで探し始めます。

 君も知っている「稲刈り」にも来た、さつきちゃんは5才なのに、先生の云うとおり、いっしょうけんめいさがして、その晩一人でクワガタを二匹捕まえました。
 ところが、姉弟二人だけは先生の周りを離れないで、「先生が見つけたら何とか、それを自分たちのものにしようとする」ばかり。注意しても、なかなか直りません。
 塾の標語にあるように、そういう自分勝手な「せこい」態度や行動は、まず治すべき目標です。「そんな子にならないように指導しています」。そうでないと、人のことを考えられる感覚や姿勢は育ちません。そんなことが、ふだんたくさんありました
 少ない人数です。いつもそういう子と遊んでいたら、影響を受けないことはありません。選択の余地がある状態で、もう少し大きくなれば、善悪や正邪の判断もそれなりにできるけど、君たちの年齢では未だ無理です。「冷静に相手を見るように」とアドバイスしたのは、「すくすく育っている君」には、「その影響を最小限にと願ったからです」です

 「君のおばあちゃんの判断」は、よく理解ができるし、嘘の情報や捏造テープを聴かされる前、お母さんには「久しぶりにものすごく塾を理解してくれている人が来た」と期待していました。「今のまま大きく育てたい、育ってほしい」と思ったわけです。だからアドバイスしました。
 今回、「何があって塾を辞めなくてはいけなかったか」は、一緒に送った古田君・菅原君宛の手紙にも書いています。しっかり読んでください。もう分かると思うから。
 君のお母さんや、菅原君のお母さんが、君たちが退塾するドタバタのとき、大石君の「ワオワオワオ、耳ダンボ」事件について、「やめてから、大石君の悪口や、お父さんの(?!)を云うのはよくない」と、云ったことがありました。だから、彼らが、その時の指導のテープを「捏造編集して」聞かせたことはわかっています。「大石君がやめた事件」について、その一部始終をもう一度書いておきます。ここからは、お母さんにもしっかり読んでもらってください。

 「捏造データの存在発覚のきっかけ」になった「大石事件」の真相を、水谷は、「かれんちゃんのお母さん宛て」に、続けます。

ワオ、ワオ、ワオ、耳ダンボ事件の真相
 「大石君事件」については、「みんなが集まる授業」で、「事件のことについて最初から最後まで経緯をたどり」、「なぜよくないか」を子どもたちにもわかるように度々話しました。
 「悪口を言うため」じゃなく、「君たちもお父さんやお母さんになったとき、こういう判断をしてはいけないから」と「前置きして」です。「なぜ、大石君とお父さんの行動がよくないか」もわかりやすく説明をしました。小さいころは、身近な問題・現実感がある問題で考え、倫理観やものごとの判断基準・善悪や正邪の感覚をもたせることが大切だと考えているからです


 菅原さんや北見さんから、「『大石君のことをやめてからどう』とか、『お父さんのことを云うなんてひどい』」とか云う判断を聞きました。もし、「ぼくが話した『大石事件に対するコメント』を、きちんと全部聞いたら、子どもたちと同じように、お母さん方も、云ってることがよくわかったはず」です
 「『子どもでも分かった話』が・・・」と、後から考えるとすぐ、ああこれは、『みんなの、ぼくに対する価値感を転覆させるために、勤務先のTH小で同僚が保護者に携帯端末とタブレットを使ってひどい目にあったと、2年前に云っていた方法を『パクった!』」と見当がつきました

 また、あなた方三人とも「自分のところは、他の家とは関係ない」と「退塾の理由の区別」を、わざわざ強調する弁解も不自然でした。同じだったら「バレる」ということを確認したのでしょう。どういう理由でも同じです。わかる人にはわかります。それによって、「ストーリーを描いた者がいるな、三人はそれにうまく乗せられただけ」と分かりました
 そうして考えると、ドアの前で「男の方」が「古田さんとぼくの話」を聞こうとしていたことも、「あなたが、そのとき後ろに残っていたこと」も、2月になってから「女の方」がドアを開けて偵察に来たことも、すべて「つじつま」が合いました。「これだけ手をかける犯行は、一人ではできない」、だが相手は二人だ。一人は国語の先生だ。これぐらいのシナリオは描けるだろう。

 その後、課外学習に参加していたときの二人の「数々の不自然な態度」や、「あなた方のぼくに対する態度の変化の推移」を思い出し考え合わせると、X線撮影を見るように、すべてが明らかになったわけです「教職にあるのに、これだけ卑劣な手段をとれる」ということだけは、ぼくの経験の想像を超えていたし、信じたくなかったですが・・・
 また、北見さん、「『大石君の弟をやめさせた』のは、可哀そうだ」とか云いましたが、「とんでもない誤解」です。「わっしょいプール」の帰りの特急の中でも、たしか同じようなことを云ったはずですが、康之君に「兄ちゃんは先生の信頼を裏切ったし、お父さんにも先生の指導方針をよく理解してもらえなかったので、こういうことになったが、康之は来たかったら、来ていいんだよ。続けておいでね」。やめる前日まで、そう言っていました。 
 もちろん、子どもなので親の云うことを聞かなければなりませんが、泰之君をやめさせたわけでは決してありません。泰之君のお父さん(おそらく、お母さんではありません。性格も知っているし、ぼくのこともご存知ですから)の判断です
 さて、大石事件の真相です。
 夏期講習の終盤、都合で授業時間が二時間延びることになりました。ごはんの用意をしてこなかった子もいるので、「おなかがすくと思う人たちは何か買ってきてもいいよ、もしお金をもってきてなければ、貸してあげるよ」とぼく。
 「夏期講習の期間、教室で勉強してもよいですか」と言っていた兄の浩之君と弟の泰之君が、「何かお腹の足しになるもの」を買いに行くことになって、「ぼくが千円でいいかな」と渡しました。そのとき、講習を受講している6年生と5年生ら全員が傍にいました。

 近くのコンビニに行っておにぎりを買ってきた兄が、おつりとレシートをぼくに渡そうとするので、「小銭をもらっても、ややこしいから、そのまま持って帰ってお母さんに話して。千円持ってきてくれたらいいやん」とぼく。兄の方が弟に、なぜか、「お前が持って帰ってくれ」と云いましたが、弟が拒否したので、彼はみんなの前で左のポケットに入れました
 約一週間たってもお金が返ってこないので、4年生の弟に、「この間の千円、お母さんにゆうた?」と聞くと、「まだです」。「じゃあ、お母さんにゆっといてな」とぼく。
 次の日です。
 4年生の弟が、「お母さんがこれもって行って、って」と、レシートとレシート記載分の小銭をもってきました。「あれ、ちがうやん、兄ちゃんに、小銭ややこしいから、お母さんにおつり全部渡して、千円持ってきてくれたらええやん、あの時、そうゆうたやろ」とぼく。彼は「はい」と、そのまま持って帰りました。
 次の日、今度はお母さんが来て、「浩之がそれでいい、ゆうた」と云って、小銭とレシートを渡すので、「それはちがう。そのやりとりは6年生の子どもたちも、みんなと見てるから、まちがいない」と、返事をしました。すると、お母さんが『そうだったんですか』と千円を出しました
 ぼくは4年間一生懸命教えて、難関校に行くことができるようになるまで(おそらく他の塾では、うまくいかなかっただろうという自負があります)学力を上げることができた浩之君に、そういう「不実な行動」はとってほしくありません。ぼくの「願っている理想と正反対」です。だから「注意をしておかなければ」と、「じゃあ、浩之君に、はっきりさせます」と預かり、千円札を自分の机の端に置いておきました。
 ちょうどその日は木曜日で、浩之君の学習の日です。7時前に彼が来て、『これ、この間借りていたやつです』と千円札を出します。昼間のお母さんとの話と考え合わせて、「やっぱり」と、内幕が予想通りはっきりしました。 
 「昼間お母さんが来たぞ。お母さんには、おにぎり代だけでええゆうたやろ。何でそんな嘘つくん? そこにおいてある千円札、お母さんがもってきたやつや」。

 浩之君は動転して、「エエッ、いつ来たんですか?」と、バカなことを聞きます。
 「だから、今日や!って」。そのとき、もう一人のOB、同学年の平田君もいて、そのやりとりの一部始終を聞いていました
 「この千円どこから、もって来たん?」
 「えっ、お母さんにもらいました」(きっと嘘はないんでしょうが、『理由』は別だったはずです)
 「そんなはず、ないやろ、お母さん今日来たのに」
 「ええっ? ぼくがもらいました、今日!」と大慌てです。
 「じゃあ、お母さん、なんでもってくるん?」
 「・・・」彼の動揺はおさまりません。
 事情の判断は付きましたが、「云っておかなければならないこと」があります。「仲間や身内との信頼関係の問題」です。おとなへの第一関門、中学生です。信義の基本です。誠実さのやり取りです。金額ではありません。
 「・・・浩之な、失敗やまちがいや、ふとした出来心なんて、誰にでもあるんや。・・・だいじなことはそこでそれを認めて、これからの糧にすることや」心を抑えながら云いました、4年以上面倒をみてきた子です。
 「・・・センセは、基本的に悪人はいない思てる。嘘ついたままやったらナ、それが一生心の澱になって、顔つきが変わってくるんや。写真やってるから、ようわかんねん。・・・目がちがうんや。顔が変わってくる。君たちには、できればそんな顔にはなってほしいない。そんな人増やしたないから、塾はじめたんやで」
 「だから、やってませんて・・・」
 「そんなら、置いといたんか? 他の誰かが盗ったんか? あの時、他にやり取り見てた子、いっぱいいるんやで、菅原も古田もみんなおったやん。みんな見てたで。正直に言わなあかん」。
 いきなり、「ワオ、ワオ、ワオ~。ダカラヤッテマセンって!」大泣きです。中学生の姿とは思えません。。埒があきません。何日か反省すれば、きっと気づいてくれるだろうと、その場は収めました。
 数日後、彼のお父さんから電話があり、話があるということ。ぼくは授業後、来てもらえるように、時間を指定しました。そのとき、当日授業が終わってからも学習を続けている6年生がいたので、ぼくはその子たちに、「時間があったら、もう少し残っとき。ようすを見といてもええか分からん』と伝えました。古田君と菅原君です。もうすぐ中学ですから、「彼らに正しいことを覚えてもらいたい」、という気持ちがありました。
 来られたお父さんは、「型通りのあいさつ」のあと、
いきなり、「浩之は、あの時のこと覚えてない、記憶にないというんです。『記憶にない』というのでは叱れません。先生、それを認めてください、覚えてないというんですから

 まるで、質の悪い政治家や官僚の答弁です。ぼくにすれば、予想外です
「お母さんの話も聞いたでしょ。ここにいる子たちも傍にいて、ずっと見てたんですよ。じゃあ、そのお金は、どこへいったんですか? ぼくが嘘をついてるんですか?」
「いや、そうは言ってません」と、訳の分からない返答です。
「それじゃあ、他の子が盗ったことになるんですか? みんなの見てる前で」。
おとうさん「・・・。いや、彼が盗ってはいない、と云うことをわかってほしいんです」。
「それは無理ですよ(どうやって、分かれっていうの?)、他の誰かの責任になりますから・・・」。
「でも、浩之は覚えてない、記憶にない、というんですから・・・」と、お父さん。
延々、その繰り返しです

 このままでは、「子どもと同じで埒があかない」、そして、「子どもに責任をもって指導もできない」と思ったので
「じゃあ、こうしましょう。神様がいるか、いないかわかりませんが、神様が知っているから、もういいじゃないですか。ぼくのことを神様も見てるし、浩之君も、もし自分がやっていなかったら、神様が知ってるからそれでいいよね。だから、それで卒業してください」。(ぼくは、神様はそれぞれの『心の中にいる』と思っています。)
 浩之君が団に通っていた4年半、お父さんは、一度も懇談には顔を出したことがありません。
子どもの指導や教育は、保護者と指導者の共通理解がないと、うまくいきません。教師が適当に育てるつもりなら、それでもいいのでしょうが、ぼくはそういうつもりはありません。これが、大石事件の真相です

 こういう「事件」があった時は、ちょうど良い機会だから、『その事件の推移を知っている子どもたちには、判断基準・倫理基準等をきちんと考える機会をもってほしい』とぼくは考えています。さまざまな判断基準を子どもたちが覚える機会は、そんなに多くありません。
 そのための「何度かのぼくの指導のようす」を、つぎはぎして、大石君がやめてから「悪口を云っている」ように誤解をさせ、「自分たちの窃盗事件隠蔽の防護線にしようとしていたこと」が、これでよくわかっていただけるのではないでしょうか
 彼らが、どうしてそういう「優秀な」知力や精力を、子どもの教育や指導に使わないのか? 使えないのか? また、「2年間、自分たちの子どもたちも、自分の同僚も、自分の親戚も行動をともにし、みんな世話になったのに、どうして、こういう『卑劣な仕業』ができるのか」。ぼくは驚くとともに、不思議でなりません。 正しい判断基準がともなっていれば、「ちゃちな窃盗事件」は起こらなかっただろうし、起こっても、もっとスマートに片付いていたはずです。

  これまでの事件の経緯、日ごろの子どもたちに対する今回の当事者自らの行動・態度・躾・教育に対する、客観的で冷静な視点があれば、今回の事件が起こるべくして起こったという判断ができる思いますお金を拾った時の判断と行動・他人の(公共の)道具などに対する判断と行動、日ごろの子どもたちに対する「観察と教育・躾の不備」。小さいころから子どもたちは、こうした親の行動や習慣を「無批判」に受け入れていきます。
 「親が他人のものと自分のもの」という峻別・判断がきちんとできなければ、子どもが他人のものに手を伸ばして自分のものにしてしまうようなことは、ない方が不思議です。保護者が社会人・大人として自らを律すべき、子育てにフィードバックすべきたいせつなところであり、難しいところです。
 もっとも考えなくてはならないことは、自分の子が他の人に迷惑をかけてしまうかもしれない、そうなったら申し訳ない、という視点です。それが、古来から、日本人の多くが子育てに持ちこむことができた、世界に誇るべき感覚です。どうも、大阪では、こうした「日本人」という歴史的感覚が希薄なように思うのですが、これは地域性の故でしょうか? 子どもの指導やしつけは、その子の性格や育ち方・状況を見て、時に厳しすぎると思えるような指導も必要になることがあります。ふだん保護者がきちんとできていれば、そんな必要はありませんが。
 賢明なあなたのことですから、かれんちゃんとの退塾のあいさつのとき、「どれだけ酷いことが起っていたか」、「それを感じた僕が如何に驚きと怒りでいっぱいだったか」、わかっていただけたと思います。
 まだお若いし、一般社会で社会経験を積むことも少なかったと思います。世の中には、こういう「とんでもないことを画策する」輩もいるということを、後学のために覚えておいていただければ・・・
 最後になりましたが、かれんちゃんの、さらなる、素晴らしい成長を念じながら。
                                                                                                       水谷 豊川


発想の転換が可能性を開く⓻

2018年04月07日 | 学ぶ

  ブログを読んでいただいているみなさんへ。
 
「殺人犯はタブレット」について、さまざまなご意見をいただきます。しかし、真剣に子どもたちの現状を見据え教育に携わっているひとりとして、今回のような「教師側の『精神性の根幹』や『倫理観』にかかわる事件」は、やはり捨て置けません。
 政界の隠ぺい問題の論議が喧しいですが、今回はそれどころではありません
。子どものときからの「隠蔽教育」です。子どもたちの成長後の姿・社会を考えてください。「すべて最悪の事件が起きる背景には、その『最悪』を生み出す『くさった現実』が、既に根深く浸潤していること」が通例です。不幸にも友が遭遇してしまった事件の経緯を、もう一度ていねいに辿ってください。


 「小学校低学年で思わず手を初めてしまった『窃盗』」に対して、親が「その犯人である自らの子どもの『指導』や『立ち直り』、『行く末」に、まず目を留めることなく、『保護責任』という『社会に対するけじめ』も果たすことなく』、『自らの保身や体裁のみ』を頭に「事件の隠蔽と責任逃れを図る」。
 しかも、その手段として、自分たちのみならず、自らの同僚や子どもも含め2年間世話になった「窃盗された当の被害者」に、「子どもを使って盗聴して捏造したテープ」を聞かせ、「相手の人格を否定する言辞」を弄し、自分たちの「逃亡」と「責任放棄」の「スケープゴート」にする。
 
それによって「他の保護者がだまされ誤解」し、水谷が「4年以上手塩にかけて育て上げた生徒たちが、事情も知らずやめる」羽目になる。これが一連の流れです。
 画策・実行した犯人は教職です。この事件に潜む、果てしなく重大な意味が、心ある先生方には、よく分っていただけると思います。
子どもたちを教育・指導する「環境」「資質」「感覚」が、死に瀕しています。目をつむっては通れません。教育は次代を担う「地球の後輩」たちの「成長の総て」にかかわります。「他人事」ではありません。「たいせつな子どもたちが、現にその中で今育ちつつある」わけですから、見過ごすわけにはいきません。


 ぼくたちのころには考えられない、「教育界の倫理観の破綻、善悪基準判断の問題点」が露呈しているわけです。心ある先生方、そして子どもたちの教育に「生命」をかけている先生方、指導者のみなさん、周囲を見回し、指導する側の「適性」と「必要条件」に、もう一度厳しい目を向けてください。
 水谷の身に起きた「この上もなく卑劣なできごと」に対する抗議です。未来ある、多くの子どもたちの指導と教育に携わるべき公教育界の「まぎれもない現状」であることを、ぜひ正しく認識・判断してください。この重要性は何度云っても言い足りないことはありません。理解していただける人が、まだまだ、たくさんいることを信じています。
 ほんとうに、これで指導や教育が成立するのか? 子どもたちの心身ともの健やかな成長が持続可能なのか? ぼくにとってはフィクションですが、水谷にとっては「紛れもない現実」です
 
4月21日のブログから、こんな汚い現実や詐欺まがいの捏造画策事件に背を向け、子どもたちとの明るい学習指導・発展的な指導の探索に邁進しましょう。
 
ぼく宛に来た水谷の手紙。先週の続き(後半)を掲載します。なお、「付箋番号②とは、『許せない順・2番目』という意味だ」という水谷の言葉は、先日お伝えしました。

殺人犯はタブレット

付箋番号②玉川 海への手紙Ⅱ
 
守るべきこと
 薄っぺらな、自分たちの体裁や見栄のためだけに企てられた、とんでもない策謀。そうですね、玉川さん
 しつけや教育の整っていなかった自らの子どもの窃盗事件を、何とかごまかして「なかったことにしたい」(無理です、そんなことは。その時点で一般常識人、良識人とは言えません。倫理感ゼロです)。だから、その迷惑をかけてしまった「当の盗まれた被害者」に罪をかぶせるその時点で既に、「あなた方に身についていない」一般常識から考えて、「ふつうの人」ではありません。わかってますか?
 良識人なら、「子どもとともに心の底から謝り、自らの子育ての失態と子どもの罪の許しを乞う」ものですそれが「常識があり、子どもを思う日本の親」です。しかも、あなた方は親であるだけではありません。二人とも「子どもを教えなければならない責任ある立場」です。


 その方法が、また。勉強に行かせている小学生の子どもに「タブレット端末」を持たせ授業のようすを「盗聴録音」する。しかも、その中から録音した相手のセリフを、自分たちの都合のよいように切り貼り、編集する。その編集目的は、「いかに相手が人」であるかの「証明になるような創作」。さすが、ご主人は「素晴らしい国語力!」です。しかし、「力の使い道」を完全にまちがっています。
 半年近くを、高々「エアガンの窃盗」といった「いたずらの隠蔽(!)」捏造に使ったその時点で既に、子どもたちのことを思い、指導する責任と情熱を、きれいに忘れています。ほんとうの先生なら、子どもたちの国語の指導の、さらなる向上を目指し考察と努力を続けています。それが「正しい」先生です。指導者として、あってはならない「努力?!」はまだ続きます。
 捏造音声を、今度は一緒に塾に通っていた子どもの保護者たちに聞かせ、自分たちがやめざるを得なくなった理由がわからないように、そして罪がばれないように、その音声の拡散とともにデマ情報を流し、「彼女らに塾をやさせめるように」仕向ける最後には、成否確認のために、こっそり立ち聞きしたり、不法侵入して、結果や様子を探りに来る。いやはや、何をか云わんや。
 犯行を脚色したテレビドラマでも見られないほど、ひどい話です。さらに、こうして事件の経緯をたどる度に思うのは、「ふだん、相手と顔を合わせているのに、当たり前の顔をして画策していた凶悪さ」、これも尋常ではありません。あなた方も人生もう半ば、20年近く教員生活をしているはずです。 子どもに厳しくするのが『苦手』であろうと、市内の中学校で担任をもち役職にもつくようになった。しっかり指導計画も立てなければいけないのに、長時間かけて立てたのは、何の計画ですか?


 「こうした教育界・教育者の変質」自体が、いくら考えてもまだ理解できないし、教育界の行く末・子どもたちの成長に、今回ほど寒気を感じたことはありません。「市の学力低下問題」以前の、「人を育てるための指導・人間教育に対する根本的な破綻」です。
 「卑劣で情けない人間にならないように長年子どもたちを育て築き上げてきた『信頼』と、半生をかけた『夢と努力の証』」、「その思い」を、こんな理不尽な凶行で、ふいにするわけにはいきません。あなた方に仕掛けられた、それも「後ろから切りかかる」というような卑怯な冤罪に対する自らの「無実」の証明のために、確認できる「どえりゃあややこしい」事実を積みあげる度に、これらの解明が終わったら、『粉砕器にでもかけ、二度と姿を見ないように粉々にしないと、たまらんな』。そう思い続けてきましたしかし逆に、解明が終った今、あなた方に邪魔されてしまった、ささやかながら「正当な子育ての牙城」を絶対崩してはいけないという思いの方が強くなりました
 同じ職業でも、あなた方の指導ではそんなことは関係がありませんか? 頭に浮かびませんか? 「ヒトを育てている」という自覚より、「生計の資」が優先? それが当たり前? それでは、子どもたちがかわいそうです。それなら、他の「銭儲け」、もっと儲かる仕事をなさい。 ぼくが今の指導をはじめた理由は、「生計の資」ではなく、「死ぬまで、どう生きるか」です。「自分の生まれてきた意味は?」です。あなた方は、考えたことがありますか? わかりますか、その差が? その塾に、今回、思いもかけぬ「汚泥」をかけられたわけです。

 「優れた学力には『ふさわしい人格』がともなわないと、『クソ』」だ。「あなた方に『切り貼り』され、上手に「ぼくの『人格否定』のために利用された捏造データ」の言葉遣いで云えば、ぼくの考えは、こうなります。「人格・学力ともに優れた子どもたちを育てよう」と、強く心に決め、開設した塾と学習指導です
 ぼくの指導スタイルや方法は、「あなた方がわかろうとわかるまい」と、すべて、その信念から発しています。ぼくの「信念」で、ぼくの「生命」ですから、「卑劣な悪意と手段で、汚水まみれにされ、糞尿や汚泥で汚され、そのまま固まるのを、黙って見過ごすわけにはいきません。糞尿や汚泥の中にまぎれてしまった「磨けば光る玉」を、もう一度みんなに、発見してもらわなければなりません
 「共犯のご主人(あなた方のやったことは、れっきとした犯罪です。わかってますか? 罪状5件)」宛の手紙にも書いたように、昨年の夏、彼が親せきの店で缶ビール片手にテレビを見ていたとき、リラックスしたようすだったので、「あなた方の子ども」の話にふれました。ぼくは、わざわざ、「姉(長女)の方の問題点」を挙げ、逆に、弟に対する『正直な告白』を期待したのですが、「なしのつぶて」でした。その後、夏の終わり、あなたにも「何か、ご相談していただくことはないですか?」と答えを振りました
 ふたりのうちの一人でも「正常な感覚」をもち、「いや~、実は、この間、エアガンを持って帰ってしまって・・・」という正直さがあれば、次の「生活指導」や、「より大きく子どもが成長するたいせつな階段」を、一歩一歩しっかり前に進めることができたのではありませんか? それが教育で、教育者が採るべき姿勢です。 

 根っからのスポーツウーマンのはずですね、子どもを教える立場ですね
 子どもたちの未来に対する義務、教育者としてのプライドと責任感は、どこへ行ってしまったのですか?
 「天の与うるを取らざれば反って其の咎めを受く」ということわざがあります。「好機を逃してしまうと、かえって災いを招く」。ことわざは「人倫の鏡」です。
 ぼくは、窃盗犯罪の確証をつかんでから、「どうすべきか」を考えました。そして、まず「あなた(方)の誠意」に期待しました。
 なぜか? あなたがたは「意識・無意識は別として」人間だからです。 職業柄、「当然もっていなければならない正しい倫理観をもっているだろう」と想像したからです。
 そうした「『正常な(というより、ぼくに云わせれば、それがふつうの)倫理観』が身についていなければ、どこの子どもであろうと、子どもを正しく指導したり教育することはできない」と考えているからです

 玉川さん。先生や親が守るべきものは何でしょう? 「犯した罪を隠す」ことですか? 「臭い物にふたをする」ことですか? それが「無垢の子ども」を育てる倫理なのですか? 「一人前の社会人を育てなければならない責任ある」先生の指導なのですか?
 そうではないでしょう。罪は罪です。だから、犯してはいけない。犯したら償うべきです。被害者がいるわけですから。
 自分だけの問題じゃないんです。それが、われわれが生きている社会です。これからも続いていく社会です。
 あなたたちが、その「指導の最後の砦」とも云うべき、「わが子の指導判断」でそれができていなかった。とすれば、おそらく勤務先でも、それらを徹底させていることは考えられません。それが、教育や子育ての現状、教育界の「今」ですか? あなたがたが通った最高学府の教えなのですか?
 親が、それぞれ自分の子どもをしつけ、きちんと指導し教育さえできれば、世の中で問題は起こりません。ところが、なかなかそうはいきません。人間はまちがいを犯すし、失敗もします。だから「次はしないように、指導し教育すること」が基本原則です。保護者と先生のつとめです


 他に誰ができますか? しなければ、犯罪者か犯罪者予備軍の拡大再生産です。欠かせないもの、守るべきは「再発防止の指導と教育」です。
 「事件の後、まずやるべき」は、「その現実をきちんと受け止め、子どもの指導に正しく関与できなかったという反省に頭を巡らせ、今後わが息子が二度と過ちを犯さないような教育と指導を、どう徹底していくか」に、最大限の精力と努力を傾注すること」でした。それが、ほんとうに『子どもの未来』を守る先生や親の義務であり、責任です
 「隠すこと」ではありません。ましてや、「人に罪をかぶせること」では決してありません。わかりますか? 自らが責任を取らないで、どうして子どもが「責任をとる人」に育つのですか

水谷は、この後、相手二人が、まだ自らの子どものような年頃であることを思い出したのか、冷静に説得を進めています。
 
天は高きに処(お)って卑(ひく)きに聴く
 『自分たちの罪を隠すために、人を罪に陥れる』というのは、最も卑劣な行為です。そういうとき、「天は高きに処(お)って卑(ひく)きに聴く」という判断を下します。
 「天帝は高いところに居ながら、下界の人の言葉を聴き、人間の善悪に対して厳正な判断を下す」ということです。よくかみしめてください。
 「邪悪さを排除することができない」僕たちは、「必ずそういうイメージをよりどころとして」、正しい判断を下さなければなりません。それが「ヒトの成長」です。まず、それを教えることがたいせつです。それが「心ある親」のしつけです
 これらのことわざが伝えるのは「受験知識」ではありません。賢明な先人たちが、「人間の愚かしさ」に出会い、それらを目にし、「おそらく後世にも、こうした愚行を繰り返す『バカ』が出てくるだろうから、注意してあげよう」という思いやりです。

 ことわざや慣用句、漢文・古文・歴史、いや「学習するものはすべて、先例に学んで、より良き人生、より良き社会、より良き未来を創造するために存在」します。先生であれば、受験用の暗記を教える前に、まずその意味をしっかり考え、きちんと伝えてくださいあなた方が育てているのは「人間」です。「受験生」ではありません
 今回の「鼬の最後っ屁」のような、「悪意ある情報の拡散」がもたらすものは、畢竟、自身の「カタストロフィー」です。また、「自らの良心に恥じるような行為」は精神衛生だけではなく、自らの健康も大きく損ないます。
 人間には良心があります。ありますね。

 「良心にそぐわない行為や行動」に対しては、やがて良心が激しく抵抗します。その行為や行動が心の中で「黒く大きく」育ち、心のゆがみはもちろん、身体の不調や病気の原因になります、「生まれつきの悪魔」でなければ
 交感神経の緊張です。交感神経の極度の緊張がつづくと、自律神経の不調が慢性化・常態化し、それが病気のもとになります。人間の生命活動は、交感神経と副交感神経のバランスが保たれることで正常に行われます。これは健康維持のイロハです。
 思い出しませんか? 夏以降。後半は窃盗事件の隠蔽と捏造データの制作と拡散に奔走していましたが、最初は、よく途中で具合悪くなって、どこかに姿を隠し、休憩(?)をしなければなりませんでしたね。夏前の「窃盗の事実」を「隠しきる」のがしんどく、「長い時間、顔を合わせられなかった」のでしょう。

 そうです。それが、決して無くしてはいけなかった、あなたの「かけがえのない良心」です。そのときこそ、その「人間らしい心の訴え」にしたがうべきなのです。それが、「一番楽で、楽しく、まっとうな生き方」です
 ところが、あなた方二人のやったことは、『窃盗の隠蔽』と『退塾の見かけの理由』づくり。自分たちの「見え」や「立場」を守るために、何とも手の込んだ、「タブレット盗聴による『でっち上げ人』肉声捏造データの拡散」と「そのデータによる『デマ退塾教唆』」でした
 「良心の行動」・「正義に基づく行動」には、『齟齬』は起きません。起きようがありません。「心の揺れ」もなく、態度も堂々としたものです。
 懇意にしている、「あなた方が教唆した」保護者のお母さん(生徒のおばあちゃん)に、今回のぼくに対する誤解を解くために、事件の経緯を説明しました。「『何があったのか』、娘さんから盗聴のこともお聞きになっていた」お母さんに、「盗聴は犯罪です。盗聴した文言を第三者にばらすと、犯罪になります!」と伝えました。正直なお母さんは、急に落ち着きがなくなりウロウロ、じっとしていられないようでした。それが普通の人です。常識人です先生であるあなたは、同僚が「卑劣な方法」に困惑し、困っていたことを知りながら、その同じ手を使った、自分たちの保身だけのために。正常な倫理感とは云えません。


 「悪意ある犯罪」や「嘘」、「捏造」は、やがて「中身」が現れます。「ほころび」や「ぼろ」が出ます。政界や実業界の数々のスキャンダルをごらんなさい。思い出しなさい。犯人たちは、それらの露呈を恐れ、さらにバレてしまうような、「余計な行動」に出る。あるいは『頭隠して、尻隠さず』状態になる。
 身近な例。「『でっちあげ話や悪意のある音声捏造情報』を振りまいたことがばれるかも」という心配から、話を『立ち聞き』しようとした(あなたのご主人、古田さんの合格のお礼あいさつのとき)。塾と「関係を絶ってからまで、防犯カメラの付いている『二重の扉』を抜けて、『様子を窺いに』来なければならなかった(あなた。「高見かれんちゃん」の退塾如何の偵察)。
 ふたりとも、その「『不自然さがわからないほど」、『策略の結果』が気になり、周囲が見えなくなってしまっていること」・「悪意によるいびつな判断や行動がそうさせること」に、早く気づきなさい。子どものころ、親にその「人倫のしくみ」をきちんと教えられないと、今回のようなことが起きます。そして、その後も連鎖します。覚えさせるべきは、「天は高きに処(お)って卑(ひく)きに聴く」です。

 水谷は、玉川 海への手紙の最後を、次のように結んでいます。

天は自ら助くるものを助く
 ともあれ、
 「天は自ら助くるものを助く」ということわざがあります。意味が正確には理解されていない場合も多々ありますが、「独立独行、依頼心なく、奮闘努力するものを、天は助けて幸福を与える(「広辞苑」より)」という意味です。ぼくも、「独立独行、依頼心なく、一生懸命奮闘努力してきた」のですが、今回のような「理不尽」や「悪意のデータ捏造画策」が、これ以上まかり通ると、友人の教員連中やあちこちの仲間たちに助けを求めなければならないことも出てきます。大事(おおごと)です。既に「犯罪」だからです。それほど馬鹿じゃないと思いますが、捏造した卑劣な情報拡散は、「天に唾する行為」であることを自覚するように。あなた方の行動を知らないわけではありません。


 戦うときは、「戦う相手」や「敵」をまちがえないようにしなさい。玉川さん。あなた方が戦わなければならないのは、まず、「自分たちの邪悪な心」です。それにきちんと目を向けなさい。それが教育者としてのプライドであり、職責であり、正しい指導の実践です。

 「優秀で、人格も優れた子どもたちを育てよう、たくさん増やしたい」という思いは、ぼくの中で未だ燃え尽きていません。「自ら責任がとれる行動」ならともかく、自分が関与しない、「事実を捻じ曲げた悪意の火の粉」は、降りかかれば、やはり、きれいに払っておかなくてはなりません。「会社を辞め、生命をかけて20数年続けてきたかけがえのない指導や職業」に泥を被せる、これ以上の「悪意の捏造情報の拡散」は絶対しないように。


 世の中のことをわからない人(世間知らず)もたくさんいますが、まじめに一生懸命生きている人には、「ちゃちな」ごまかしは利きません。社会や人生を見る目の鋭さ・深さが、まったくちがうからです。つまらない行為や行動に早く終止符を打って、『正しい素直な心』をとりもどしてください。後悔のない、「お二人の」仕事と人生のために
 「天を怨みず人をとがめず」(論語)ということわざもあります。「目をつぶること」も、やぶさかではありませんが、良心が残っているなら、まず菅原・古田・高見さんの三人の保護者に、事実を正直にきちんと説明し、状況を原状に復しなさい。話せば、おそらく相手は分かってくれるでしょう。その方が、「わけのわからないうちにこうなってしまった」相手方も「心の処理」が容易です。
 それが、あなた方が今抱えている「黒いわだかまり」や「心の澱」が溶け、平安とカタルシスを手にできる、唯一の方法です。