『子供たちにとっての本当の教科書とは何か』 ★学習探偵団の挑戦★

生きているとは学んでいること、環覚と学体力を育てることの大切さ、「今様寺子屋」を実践、フォアグラ受験塾の弊害

発想の転換が可能性を開く⑮

2018年06月02日 | 学ぶ

「京大OB三人衆」と、やすらぎのひととき
 教職に就いている人はすべてそうだと思うのですが、子どもたちを指導していて最大の喜びは教え子の成長した姿を見ること、その手ごたえがわかることです。今回の三人はそうした子たちです。

 4年生のとき入団し、西大和学園から京大、言語学研究に目覚め大学院に進み、ベトナムに単身留学していたY君。おとなしくて、いつもにこにこしているけれど、負けず嫌いです。5年生の頃、宿題の『計算問題の特訓』(学研)の問題ができなくて、腹が立って机の下で畳を蹴り続け、足から血が出たことも気づかなかったほどです。

 K君。京大合格したとき、「ぼくより頭がよい人は一杯いたけれど、ぼくは努力では誰にも負けなかった」と、力強い一言を聞かせてくれました・・・小学校4年で入団して清風中学から京大・京大院に進み就職後、薬品会社で新薬検査の現場に携わりながら臨床同行の医師の姿に触れ、進路を変更、医学部に学士入学しなおした団の一期生です。
 M君は、数年前亡くなった高校時代のぼくの大親友Nの甥っ子です。Nが「奥さんの夢枕」に立ち(だそうです)、「ぼくに指導を任せろ」といったので学びにきてくれたゲームボーイ。その繊細さゆえ、中二で不登校になって数年間ゲームセンター通いをしていましたが、心機一転、団での二年間の学習で、見事京大理学部に合格。

 OB教室を卒業した32名のうち京大に進んだ子は5人いますが、彼ら三人は、よく現状報告や相談・手伝いに来てくれます。成長しているようすもよく分かります。
 成長というのは、能力や学力が優れているのは当然のことで、ぼくが気になるのは「人格的にはどうなのか?」です。彼らはそういう意味でも、何の心配もありません。いずれも、やさしくたくましく(体格ではありません、人間として)、シャープに、クリアに大きく成長しつつある姿にいつも癒され、元気をもらっています。
 卑劣で情けない悪人や浅薄な行動を目にし、人間不信に陥った事件を、ひととき忘れることができました。年を重ねると、「できるだけきれいなものを見たい」と思うのですが、現実はなかなかうまくいきません。  
 さて今回の集合は、ベトナムで自らの研究の方向性の手掛かりをつかんだY君が一年ぶりに帰ってきたことがきっかけです。「申請書類をぼくにチェックしてほしい」という彼の面会を機に、「久しぶりにみんなと会う」ことに決めました。
 かつて医師の卵のK君も「学士入学試験のときの推薦書を書いてほしい」と訪れてくれましたが、今回はY君の「研究費奨学金の申請書」の文章のチェックです。京大に行き大学院まで進んだ彼らですから、錚々たる人たちが周囲にいるはずです。「ぼくみたいな変なおっさん(ハハ)がしゃしゃり出る幕はないはずで、一大事の大役、俺でよいのか」と・・・、こんなときはいつも冷や汗タラタラで、残り少なくなった脳みそチューブを目いっぱい絞ります。もうほとんど残っていません(ひぇーっ)。

 今回のY君の場合は急だったので余裕がなく、前の日に一応読んだのですが、因果な性分で、次の日朝4時に起き(目が覚め)ました。中身の言語学の研究内容はちんぷんかんぷん。研究者が少ないので、選抜チェックする審査の人もあまり馴染みがないだろうから、生硬な文ではなく「内容がよく分かるように、読みやすい方がよいだろう」。そういう感覚で「出だし」と「結末」の、思うところに朱を入れました。
 彼らと、その成長に関わっていると、「人生半ば過ぎまで自らのやるべきことを見いだせず右往左往した」わが身を振り返り、子どもたちの成長には、ちいさいときの周囲の視角の広さや、近くにいる指導者の思いやアドバイスがいかに大事か、必要かを改めて感じた次第です。そして、「心からの思い」は、子どもたちには、まちがいなくきちんと伝わります。今回彼らを見てその確信がまた強くなりました

 若くして彼らのように自ら邁進できる道を見つけられれば、そして究める姿勢も整っていれば(整ってくれました)、どんな分野であろうと一家を成してくれるだろうという期待があります。楽しみです。そのころまで、ぼくの寿命があればいいのですが・・・。
 天王寺の馴染みの居酒屋でのひととき。約束の五時から約3時間、みんな酒を飲めるようになったことがうれしく、ジョッキ片手に話は大いに弾みました。Y君はベトナムで素敵な女性が見つかったようで、うれしそうに恥ずかしそうに話してくれました。帰りぎわに、K君には安保徹の本を、Y君には今後必要になるだろう文章の書き方のアドバイスの本を、M君には興味や視点が広がるように「皮膚と脳」の本を、それぞれ数冊プレゼントして、再会を約しました。 「幸多かれ」。そう祈っています。

ファインマンの学体力から―勉強が先か、「実験?」が先か
 M君に「皮膚」の本をプレゼントした理由です。「傳田光洋」の本はおもしろいのはもちろん、M君は化学専攻ですから、なんかヒントにならないかと…。
 その優れた頭脳と人一倍鋭い感受性ゆえ、また何よりもお母さんに喜んでほしい、という優しい気持ちがゲームセンターへの方向に彼(M君)を誘導してしまったのだろう。(ブログ「夢へのワープ」シリーズ参照)
 おそらく、並外れて頭が良くて、素直で、大好きなお母さんを喜ばそうと一生懸命受験を頑張ってきたが、合格したので目標が見えなくなってしまった。ちょうどタイミングが悪く、おじいちゃんの具合が悪くなって、お母さんがその看護で家を留守がちになってしまった。そのため彼は、心のよりどころを失ってしまったのだ・・・初めて話をしたとき、理由がすぐわかりました受験漬けで育った子、読書や野外遊びなど、関心や好奇心を大きく広くもてなかった子の典型である、という推察です。我が身を見る思いもしました

 指導の上で、現在も一番ポイントにしているところです。そうした学習で、順調に(!?)進学を進めるが、自らの夢や目標がないままなので、何をしてよいかわからない、何をしたいかわからない、何をすべきかわからない…。これが多くの現在の子どもたちの状況でしょう。
 本来なら、大学進学時には、自らの目標の一つや二つ、実感としてもっていてよいはず、あるいは探すための準備ができていてよいはずですが、そういうふうに育っていないので、手近なゲームや目先の楽しみや遊びで時間をつぶしてしまう、そんなうちにすぐ3・4年が過ぎ、結局何をしてよいかわからないうちに、卒業し、こじんまりと落ち着いて(?)しまう。彼の人生のためにはもちろん、社会のためにも、能力をこのまま埋もれさせるのは惜しい、そう思いました。そういう寂しい人生を送ってほしくないと、ぼくはそもそも子どもたちの指導をはじめたのです。

 小学校のときの指導だけでは、まだ無理ですが、OB教室に来てくれた子たちの多くは、その間の指導の過程で、自らの「方向性の意識」が芽生えます。M君の場合小学校から関われなかったので、今後何年かは、彼のそういう「目覚め」に協力しなければ・・・。「皮膚」の本のプレゼントは、その一環です。
 受験勉強という「抽象学習」を「追い追われ」していると、発想の貧困から、広い視野は持てないし、一生をかけるべきおもしろさに出会うことは難しくなる、経験からも、そう思っています。「受験のために勉強する」のではなく、「自らどうしてもなしとげたいことがあるから勉強する」(必ずしも、医者になりたい、弁護士になりたい、という意味ではありません)という姿勢が正当です

 以前もファインマンをこのブログで紹介しましたが、いまその成長の過程をもう一度辿っています。参考になるだろう一節を拙訳で紹介します。“THE PLEASURE OF FINDING THINGS OUT”(BASIC BOOKS RICHARD P. FEYNMAN p227~228)。
 
 子どものころ、ぼくが実験室と呼んでいたものは、単にごちゃごちゃいたずらをする場所だった。ラジオや自作の工具や、光電池など、そんなものをつくるところさ。大学で実験室と呼ばれているところを見て、びっくりしたよ。みんなクソ真面目に、測定したり結果を判断したりすることを要求される場所だったから。ぼくの実験室では、つまらん測定なんか関係なく、いたずらしたり、工作したりだったからね
 

 ファインマンは、こうした自らの遊びの一環、ラジオを修理する・つくるという遊びのなかで、どうしても解決しなければいけない「電流や電圧の関係」にぶつかります。彼はそこで、抵抗器の間の関係や電気の公式が書いてある本を友人に借ります。電流や抵抗・電圧の関係の公式は数あっても、それぞれが独立しているわけではなく関連があって、学校で習った代数の知識を使えば、それぞれをそれぞれから導き出せることに気づきます。
 

 そうこうして、ごちゃごちゃいたずらをしているなかで、学校で習っていた代数で計算のやり方を理解した。そんなことで、ぼくがやっていることにはどうも数学がたいせつらしいなとわかった。そうして、ぼくは物理学に関係する数学にどんどん興味をもつようになった。さらに、数学そのものにも大いに興味を惹かれるようにもなったんだ。人生を通してね…。(背景色は南淵)
 
 一読すればわかるように、「ファインマンが数学に大いに興味をひかれるようになったのは、自らの遊びや工作の中から、です」。「受験から」では、決してありません。

 数学だけではなく、彼は小さいころからお父さんに引率された森の中で、その森の生業を見て、科学(自然)のおもしろさに目覚めました。それらが彼をさらなるステージに誘い、彼に「超天才」をもたらしたのです。
 つまり、自らの周囲や環境、そこでの「遊び(意識が)」のなかで、まず面白いものやおもしろいことに出会う、見つける。それが始まりです。それらを続けたければ、知っておかなくてはならないことがあるんだ(学習内容にある)、という道程です。この仕組みの検討が、心ある、賢明な指導者の最優先事項であるべきです
 勉強が先か、「実験?(遊び)」が先か? そう問われれば、もちろん「遊び」が先です。天才とは云わずとも、大秀才を育てるために、ぼくたちが一刻も早く追求すべき学習指導は、このスタイルです。
 
ものの聲 ひとの聲―基本的な人間の条件
 表題は映画にもなった「五番町夕霧楼」や「飢餓海峡」を書かれた水上勉さんの「自伝的教育論」(小学館ライブラリー)の書名です。これを読むと、幼いときから相当苦労されたことがよくわかります。

 以前、自ら読んだものの中から、子どもたちにぜひ読ませたい一節を国語の学力コンクールや学習資料の問題文に仕あげる、と言いました。塾や小・中の先生方、同書の78p~82pの少年時代の描写(計 約2400字)は、読解力の格好のテスト問題・よい学習資料になると思います
 水上勉が9才の頃、京都の寺で住み込み小僧になった時の心情描写です。「ああ、あの汽車に乗れば、生家のある若狭へ帰れるのだな」にはじまる一節です。一度目を通されたらいかがでしょうか。
 さて、水上勉は大戦末期の子どもたちのようすとの比較から、執筆当時―1980年前後の子どもたちの変化の具合を嘆きます。

 不思議なことに、記憶は抜群であって、数学や地理歴史の点数のいい子が善いことをするのに勇気がない。善いことは進んでして、悪いことはやらない、というのが基本的な人間の条件だが、その大事なことを空白にして、実は、記憶ばかり植えつけられてきた教育の欠陥だろう。不思議に町で見かける子供らが、何か咄嗟にことが起きてもさっと手をさしのべたり、悪に向かって力を発揮する景色を見たことがない。どっちつかずの勇気のない傍観者として、大人のようなしょぼついた顔で、倒れた老人を見ている子を目撃したことがあった―(中略)今日の文明爛熟の東京で、無数の視聴覚教材や、参考書と教師に取り囲まれながら、親から管理されている子が、人間であることの基本的な、善いことは進んでやり、悪いことはやらないという生活の第一条件を、空白にしていないか。つまり、人間が自立するということは、この一つのことを知ったことからはじまらねばならない。(前記書 p206~207 下線・背景色は南淵) 

 
 こういう引用をしてアドバイスを重ねるのは「年寄りの冷や水だ」という考えがあるかもしれません。しかし、「年齢を重ねている」ということは、「どういうことがあって、どういうふうに環境が変わって」等という変化の具合や推移も年齢とともに数多く経験しています。分かっていることが多いわけです。もちろん、しっかり経験をわがものとしていることが前提ですが。
 ふつうアドバイスされている側は、「自分が物心つく頃から年配者が推移を見守った、その環境の中」で、「その環境を当たり前として育っている(その環境しか知らない)」のですから、変化や推移は、まだ分かりようがありません。比較ができません。ものごとは比較ができてこそ、選択が可能になります

 そういう現実をよく認識して事にあたれば、自分の「懐と頭」に先輩のアドバイスを入れて判断の材料や指針にすることができます。それが「賢人」の生き方だと思います。
 傍線部(傍線は南淵)のような、「『人間であることの基本的な善悪』がわからない、『善いことは進んでやり、悪いことはやらないという(人間としての・南淵 注)生活の第一条件』がわからない、件の教員夫婦のような保護者も出てきていることを考えれば、水上勉の言葉を借りれば、「人間はこの一つのこと(善悪)を知ったところから始まるのに、それさえ判断できなければ、人間としての自立にさえ至らない」。つまり、子どもを育て指導するべく、最低限の条件さえ整っていないと云うことです。現状、その気味はありませんか?
 水上勉がこの本を書いたのは、先述のように1980年前後です。「人間としての自立に至らない指導やしつけの不備は教員がカバーしなければならない」のに、その不備が肝心の教員にまで浸透してきた、それが今日の現実です
 水上勉はこの後、子どものしつけについて、次のように書いています。
 
 体験から血にならないことには子供も大人も、あてになるものではない。子どもは一度ぐらいは盗みをやって非を悟る。ガラスを割ってみて、ガラスの前は静かに歩くようになるものだが、いまの親たちは、のっけからガラスは割れると知識で教えて、わきを通るときは静かに歩けと監視している。何のために静かに歩かねばならぬか。ガラスを割ってみたことのない子には分からないだろう。(前記書 p207~208 下線は南淵)
 
 「体験から血にならないことは子どもも大人も、あてになるものではない」という下線部は、もちろん「血を流す」という意味ではありません。先週のメイヤー(マクドナルド)の『鳥殺し』事件を思い起こさせます。「『血にならない』体験や指導の『蔓延』に対する嘆き」です。「血になること!」で行動が変わります。(ちなみに、この年齢は自説のくりかえしになりますが、どうも小学4~5年生くらいがそのリミットのような気がします。)

 この、水上勉の執筆当時は、まだ親たちが「ガラスは割れるから静かに歩け」と教えていました。つまり、「躾」の「痕跡(?)」が「依然として」残っていたということです。1980年代。
 ところが38年たってしまった今、近隣では、先日紹介したように「盗みをしても知らんぷりなさい」、「お金を拾ったら黙ってポケットに入れなさい」という仕業を「実践する(!)」嘆かわしい先生(?)さえ出てきました

 「子どもは一度ぐらい盗みをやって非を悟る」。この文から読みとれることは、当時「とんでもないことをやってしまった」ということを「自ら分かる子」さえいた、それはもちろん親に「手厳しくしかられる」という経験があったからでしょう。
 今は「非を悟る」どころか、『自分が親に叱られたからと厳しく叱りさえしない』さらに「親も同じようなことをして平気で猫をかぶっている」、だから「窃盗の善と悪が分からない」「責任が取れない」という塩梅です。この例も教師です。
 水上勉がこの事実を知ったら「腰を抜かす」のではないでしょうか。再録。
 人間であることの基本的な、善いことは進んでやり、悪いことはやらないという生活の第一条件を、空白にしていないか。つまり、人間が自立するということは、この一つのことを知ったことからはじまらねばならない
 あたりまえが当たり前じゃなくなっている現実。銘戒です。
 「ものの聲 ひとの聲」というタイトルは、いかにも意味深で、今「聞くに聞けないもの、聞こうとしないもの」を表現している。そう思います。


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