『子供たちにとっての本当の教科書とは何か』 ★学習探偵団の挑戦★

生きているとは学んでいること、環覚と学体力を育てることの大切さ、「今様寺子屋」を実践、フォアグラ受験塾の弊害

発想の転換が可能性を開く⑲

2018年06月30日 | 学ぶ

今回は十年近く前のノートの一節を紹介します。「環覚」や「学体力」という発想が生まれたころです。
 
 ・・・ファインマンの場合は、自然あるいは日々の生活の中で、動植物の生態や自然現象の観察から、「ふしぎや謎を追究するおもしろさ」をお父さんに開示されたこと。それによって「環覚」が養われ、周囲に潜む「ふしぎ」や「謎」の「おもしろさ」に目覚めました
 益川博士のお父さんも、「ものの成り立ちやしくみ(月の動きや自動扉の原理など)」や「科学が応用されている現実」に目を開かせ、子どもの「科学への興味」を喚起しました
 ファインマンのお父さんは、動植物の生態や自然現象の観察から、それらの「成り立ちとしくみ」を問いかけ・考察・反証・再考察・・・という問答で子どもの理解をはかりました。それによってファインマンは自然現象のふしぎや奥行きを追求していく姿勢を身につけました。加えて、小さいころから、超一流の筆者が執筆する大英百科事典を身近に、「科学する」際に欠かせない「調べ、考える習慣」も準備しました
 その結果、ファインマンは「環境を科学すれば、いつもとは限らないが『かけがえのない宝物・ご褒美』を手に入れることができるという実感」を手にしました。同時に、「がまんして努力をつづければ、やがて努力やがまんは報われるのだという確信」が手に入りました(「学体力」の定着)。

 こうして僕はその後の人生を決定づけられ、あらゆる科学に興味をもつようになった。物理が得意なのは偶々なんだ。小さいころにすばらしいものをもらった人が、もう一度それを見つけたいと探しつづけているかのように、僕は科学に魅了されてしまった。まるで子どものように、いつもすてきなものを探しつづけているんだ。探しても、必ず見つかるとは限らないだろうな、きっと時々だろうなということをわかりながらも、ね」 
(“What Do You Care What Other People Think?” R.P. Feynman  W.W.NORTON 拙訳)

優先すべき「学ぶおもしろさ」
 注目すべきは、ファインマンの発言「ぼくはその後の人生を決定づけられ、あらゆる科学に興味をもつようになった。物理が得意なのは偶々なんだ(下線部)」のなかの、「あらゆる科学に興味をもった」というひと言、「ここから環境に対する興味や好奇心を喚起したお父さんの指導方法」の正しさ・たいせつさを感じとることができます。名称や知識・事項の記憶に終わるのではなく現実世界の対象の「成り立ちやしくみ」の考察や追究をつづけることで、あらゆる科学への興味、つまり「『学ぶおもしろさ』を手に入れることができたのです
 さらに、「学ぶことをつづけていく力(学体力)・好奇心の行方またその延長線上にある科学者(スペシャリスト)」は、「教室での『テキストを使った抽象学習』からではなく、興味をもった対象のおもしろさを追求するところから生まれる」という、「ごくわかりやすい経過と結果」を見ることができます
 エジソンやアインシュタインまた益川博士などの回想から、学校での勉強に対して「肯定的な感じ」はあまり見えてきません。歴史に残る偉人たちに、その無二の業績をもたらしたのは、残念なことに「学校の授業や指導・教育環境であるとは決していえないこと」に注意が必要です。
 現状は、経営的にも成果的にも「教育熱心な(?!)」保護者の願望や希望に添い、それらを「頼りにする(せざるを得ない)」システムが目指す指導方法は、目先が少し変わっても「受験というシステムを乗りきるためだけの学習指導のバリエーション」にすぎません。
 「『学体力』をつけるための、『学ぶおもしろさ』の習得に心を砕く」のではなく、「受験学習の『手順』や『テクニック』を伝えること」に、多くの時間と神経が使われている現状から、現在はさらに否定的な事態が進んでいるのではないでしょうか? 「いや、うちの学校では『先端科学』や『宇宙工学』だって取り入れている」。そういう方々には、ぼくより説得力がある益川博士の次のコメントに注目してください。

 科学教室などで、目を引く実験をしているところもあります(南淵・今は花盛りです!)が、単に見せ物だけで終わってしまっては意味がありません。そこから自然のどんな性質や現象がわかるのか、というところまでつきつめていくのが大切です。それが「手品」と「科学」の違いだと思います。       
(「益川博士のロマンあふれる特別授業」益川敏英著 朝日学生新聞社 p37)

 これは、偶に「手品や目玉イベントで集客をはかる『学習遊園地(?)』へ連れて行くだけではだめだ」ということでしょう? 子どもたちとその学習観・学習環境の改善を心から願うのであれば・・・。
 『自然や環境の、身近なふしぎやおもしろさに気づくことも(でき)ない子どもたち』に、さらに「受験以外の」学習しなければならない意味や「何のための勉強か」も伝えないまま、「抽象的な受験学習を抽象的に詰めこみ」、受験学力と「大学進学実績」を誇るだけの現状とシステム
 そこでは眼をキラキラと輝かせ、「次のおもしろい学び」や「大きくなったときの自らの夢」に夢中になる子どもの姿・そういう子どもたちに育てることを目標にする姿勢はほとんど見えてきません。早急に、子どもたちへの指導方法・指導内容をもう一度振り返り、教育本来の目的を現実化する方向に指導をシフトするべきだと考えます。

ほんとうに教育熱心な親の行動は
 この課題の解決には、学校や教育機関ばかりではなく、「子どもの成長にもっとも夢を抱くべき、そして責任がある」保護者の「意識の変化」が欠かせません。それがなければ永遠に変わりません。
 多くの保護者は「勉強する(させる)のは有名進学塾で、有名中高一貫校で」という認識です。それがうまくいかなければ、塾を変える、あるいは学校にねじ込む(?)というスタイルです。
 もちろん、信用するに足りない塾や学校も数多くあるでしょう。しかし、そこで忘れ去られているのは、そうであれば「自分自身で」、という選択肢ではないでしょうか
 敢えてその方法を選択したのがファインマンやエジソンなど数々の偉人たちの親です。子どもが生まれたときの嬉しさは「万人共通」だと信じていますが、「成績がよくなってほしい」や「元気に育ってくれればよい」という自らの願いや思いの「絵空事」で終わるのはなく、「自らの責任と努力の必要性の自覚」が子どもの能力の発揮と成長をしっかり「後押し」したのだとぼくは考えます。
 親はみんな、子どもに「賢くなってほしい!」ものですが、自覚しなければいけないことは、そうであれば、まず「今自分が何をすべきか」です。ファインマンのお父さんもエジソンのお母さんも、自らそれを実践しました
 どちらも、もちろん最初は手探りだったことでしょう。しかし、最後まで(実るまで)やり遂げました。「なってほしい」のに「あなた任せ」はそぐいません。親が「実らせる努力」を続けたから実りました。
 ファインマンのお父さんは「子どもが科学者になる夢」を描き、エジソンのお母さんは「子どもの可能性を信じ、立派な人に育ってほしい」という大きな夢がありました。そのために二人が、まず始めたことはなにか?
 エジソンのお母さんは、好奇心旺盛だったエジソンが「抽象学習」やエングル先生の指導方法に嫌悪感を抱いたので、退学させました。学校や塾をはしごしたのではありません。「他人の」指導方法に見切りをつけたのです。そして子どもが自然や環境で見つけてきた謎やふしぎ(「環覚」の発現です)を「こどもと二人で」解決することに心を砕きました
 ファインマンのお父さんは、まず自然環境や周囲に関心をもたせ、観察をさせて、そのおもしろさを知らせ、成り立ちとしくみの考察や追究を日々つづけました。もちろん、これら二人の指導は日ごろの生活の雑事もあるでしょうから、『できるだけ心がけた』ということでしょう。ところが、当の子どもはうれしくて、いつも「そうしてもらっていた」ような回想になっています。一人のときでも、そうしたことが続けられるようになっていたのでしょう。
 いずれも「学習すること」「学ぶこと」の正統です。それによって「考え、理解することのおもしろさ」と「わかることでの自信」という「人生でかけがえのないもの」を手に入れました。もう一度ファインマンとエジソンのお母さんの指導方法をたどって参考にしてください(旧ブログ「ファインマンの父とエジソンの母~参照」)。
 おそらく現在でも、彼らは同じような指導を優先したのではないかと考えます。「他からの、半ば強制的に与えられるもの」では得られない、「自らに身についていく『力の自覚』」が、子どもにとっては何よりの喜びです。「自らが使って生きていかなければならない力だから」です
 もうひとつ注目すべきは、ファインマンのお父さんは小さいころから、またエジソンのお母さんはエジソンの退学後、ブリタニカなどの定評ある本を手元に、「子どもたちに生まれた謎」の解明を進めています。正確な知識と「学問」の奥行きや広がりを小さいころから伝えているわけです。
 「知らないことだらけの子どもたち」に、まず「知らないことに気づかせる、発見させる」。それが『環覚育成へのきっかけ』ですそこで発見した「謎を解明していくおもしろさ」によって、自らの環境こそ「とっておきの遊園地」「ワンダーランド」であることがわかってきます。子どもたちは「自らの周囲は『おもしろいことだらけ』であること」に気づいていったのです。自らのまわりが「夢の教科書」であることに・・・。ニュートンの云う、「真理の大海」の別名です
 好奇心を刺激してやまない日々、知りたくてたまらない日々こそ、「学体力」の発動です。「学体力」が機能すれば、「受験学力」「受験勉強」もその一部分として必要(悪?)であるという状況判断が成立します。「学ぶこと」の重要性と展望が開けるからです。これは、現在の多くの子どもたちのように、すべて「抽象から入る」という「本末転倒」の学習とは真逆の方法です。
 先ほどの益川博士の引用のコメントの前に、こういう一節があります。「教科書に書かれていることをそのまま理解するだけではなく、おもしろいなと思ったことやふしぎだなと感じたことについて、ちょっと背伸びをして、自分なりに考えたり調べたりするのもいいでしょう」。
 偉人や先達のアドバイスで注意をすべき点は、引用の下線部です
 たいせつなことは、まず、「教科書に書かれていることを『おもしろいな』と思ったり、『ふしぎだな』と感じることができるかどうか」という点です。偉人や天才たちの多くは、「おもしろいな」「ふしぎだな」と感じることが「ふつうだった」ので、そこに至るまでのアドバイスは、たいてい抜けています。「一般の子どもたちが一般ではなくなるきっかけ」についてのアドバイスや条件までは考慮(感覚)の外です
 たとえば「不思議を感じるようになるには、どれだけよく現実を見ているかによる」はずです。教科書に「書かれている内容」に対して、「興味をもったり、ふしぎに感じたりする感覚」、つまり、それらが「現実のもの」としての「思い」・「なじみ」が、日ごろからどれだけ手に入っているか。そうでなければ「あたりまえ」と「ふしぎ」の比較も区別もできません。比較判断する材料がありません
 今の子どもたちの生活環境の諸々は、テレビであったり、ゲームであったり、つまり「加工されて」、「作られているもの」がほとんどです。さらに悪いことに、それらの中身はほとんどすべて「ブラックボックス化」されていて、「興味をもつチャンス」が生まれにくくなっています。
 また今、「周囲のsomethingにふしぎを感じる視点や考えるきっかけが生まれる環境・日常がどれだけあるか」。つまり以前考察した「振りかえリズム」や「ゆっくリズム」があるか? そういう環境であることを周囲がどれだけ意識しているか。
 それらを強く意識しないと、「環覚の育成はなされにくい」ということを忘れることはできません。そのためにたいせつである条件の一つが、「振りかえリズム」と「ゆっくリズム」です。旧ブログの一部を再録します。

「ゆっくリズム」と「振りかえリズム」
 最近課外学習の移動で自転車を利用することが多くなり、その「スピードと快適さ」の一方で、「たいせつなもの」が失われてしまう(見過ごしてしまうだろう?)懸念も増えました。『ゆっくリズム』と『振りかえリズム』の喪失です。『ゆっくリズム』は「周りを見ながらゆっくり歩く」という、身体を移動させるときのリズム。そして通り過ぎてからも、ふと振り返ってみる『振りかえリズム』。
 さまざまな変化や推移に気づき、不思議を見つけ、その謎から子どもたちが「成り立ちやしくみ」をたどっていけるためには、『ゆっくリズム』や『振りかえリズム』がかかせません。

 日々の生活でも、交通手段の発達につれ、「移動」は足を離れました。夏休み・春休み、「渋滞でのイライラ」は経験しても、道すがら、目敏く自然に気づき、興味をもつこと、興味をもったものに、ふと手を伸ばすというような体験はほとんどできません
 目的地への直行。外出時に見るものといえば、高速道路や混雑した車の列と見慣れた車内。「ゆっくり道端のものを愛でる」体験はほとんどなくなりました。「スローウォッチング」・「スローシンキング」が、お父さんとファインマンが避暑地で繰り返した体験です
 身体が移動する速さはどんどん増していきますが、視力や感覚はそれにともなって発達したでしょうか? 逆に「視力も感覚もかえって減退(!)」が実態です(眼鏡やエアコンの使用等)。つまり『鈍感』になってきているのです
 自然を知らず、「ゆっくリズム」や「振りかえリズム」のペースを知らなければ、「気づき(finding things out)」は生まれません。周囲に「思いを馳せ」、「気づき」「見て」、そして「考える」という「ゆとりの時間」・「体験の喪失」によって、子どもたちは「おもしろいものを感じるアンテナ(環覚)」を育てる機会・「ものに感じる、子どもだからこその時間」を奪われていきます。ファインマンのお父さんの指導とは正反対です。
 自然の諸相に気づかず、その微妙な変化も見る(感じる)ことができない。そのため「自らの周り、自然や社会環境を学習するはずの学習内容」に現実感が乏しく、親近感を次第にもてなくなってしまっている・・・最近の子どもたちを見ていると、そんな気がします。
 「自然の『ゆっくリズム』にあわせ、百様に生きているさまざまな植物・動物に触れられる時間」と、車内でお父さんやお母さんと『成績の日常会話』に終始する『移動だけが目的の時間』。それぞれについて『環覚の育成』という点から振り返れば、比較にさえなりません。
 次は、「ゆっくリズム」と「振りかえリズム」の典型、「かつては当たり前だった道草」の効用です。

道草の効用
 高度経済成長の前までは、子どもたちが車で移動する機会は少なく、遠足も電車と徒歩が中心でした。あちこちにまだ自然の景観が残り、その中を歩く機会がありました。ファインマンがお父さんと森を歩いて観察したような「おもしろいことども」はひとりでも見つけられるような環境と時間の豊かさがありました。
 通学路でも自然のありさまや動植物に興味をもつ(つまり、授業の復習になったり、逆に教科書で再発見したりする)きっかけになる「道草」という極上の機会もありました。帰り道の、一跨ぎできる川幅でも、豊かな自然の中を流れる季節の変化や近辺でくりかえされる生物の営み(生死の営み)、自らもその中に位置する五感からの膨大な情報は、至高の学習情報です。「生ける博物館」です。総合的に考えれば、それらの体験は商業ベースで運営されているエアコンの効いたけばけばしい装飾のイベントとは比較にならない貴重なものでした。
 今、そういう体験をできる子がほとんどいなくなりました。さまざまな表情・百様の姿も見せてくれる生物たちも、「テレビに出る虫」と「ゴキブリ」にわかれ、植物などは「ただの木」や「名もない草」に『分類(!)』されていきます。いずれにしろ、「動物や植物とともに生きているという感覚」は鈍麻してしまったようです。周囲の街路樹も今では、ほとんど「落ち葉でやっかいな存在」になってしまったのではないでしょうか。
 生きている樹木が季節を通して教えてくれる冬芽・新緑・紅葉・落葉・・・身近で気づくその変化は、ぼくたちの人生のあり様も示唆してくれました。生活していれば「やむを得ず」取り組まなければならない「片づけ」や「掃除」。そうした日々の「習慣」さえ、落ち葉は教えてくれました
 「たき火の灰」は鉢植えや庭木の肥料になることを知り、小さな「消し炭」は木炭の生成のイメージを容易にします。お手伝いや体を動かしたあとの、ご褒美の焼き芋の「おいしさ」は格別です。グルメツアーでは手に入れようのない「味わい」です。
 たき火と焼き芋は消えてしまっても、「季節の移ろい」で覚える「命の姿」や「生きていくこと」は永遠に子どもたちには伝えなければなりません
 都会の風景・「瞬時に通り抜ける景色」ばかりでは、環境(自らの立ち位置)に眼を留めて観察する子どもたちのアンテナは立ちようがありません。「気づくもの」の損失・「気づく機会」の紛失です。
 街中でひっそりと生えている「見知らぬ花」に気づくことができる。「学ぶおもしろさ」を手にできる子はそんな小さな積み重ねをつづけていける子です。自らの立ち位置で環境に興味をもつことができなければ、それだけ学習に対する親近感や「学ぶおもしろさ」の成立はむずかしくなります
 子どもたちの学習はふつう、文字や簡単なイラストだけのテキストを使って学習事項の再構成やイメージの再現をおこなうわけですから、体験・知悉感に応じて理解の深さ・イメージの広がりは大きく変わってきます。「見たことのあるもの」・「通ったことのある場所」・「触れたことのある対象」という条件は、記憶の定着にはもちろん、「学習がおもしろくなるためのかけがえのない条件」のひとつです。ちがいがわかるようになるからです。「身近」への「入り口」です。
 たまには、子どもと「道草をする」機会をつくってみてはいかがでしょう。こちらがおもしろくなることで、子どもたちは感応します。それが、ファインマンのお父さんやエジソンのお母さん、レイチェル・カーソンへの第一歩です。


発想の転換が可能性を開く⑱

2018年06月23日 | 学ぶ

「世界をこんなふうに見てごらん」
 前回紹介した「世界を、こんなふうに見てごらん」(日高敏隆著 集英社)の一節です。

 子どものころ、ぼくは虫と話がしたかった。
 おまえどこにいくの。何を探しているの。
 虫は答えないけれど、いっしょうけんめい歩いていって、
 その先の葉っぱを食べはじめた。
 そう、おまえ、これが食べたかったの。
 言葉の代わりに、見て気がついていくことで、
 その虫の気持ちがわかる気がした。
 するとかわいくなる。うれしくなる。
 ・・・(省略)
 

  これを読むと、幼い子は「だれでも」虫を見れば、この日高少年のように夢中になると誤解をしそうですが、それは誤りです。さまざまな子がいます。ファインマンは、環境のさまざまなsomethingに対して、当初お父さんの助言と指導があったことはお伝えしました。
 また、ぼくのいう『環覚』の発現は決して「虫」に限るものではありません。自然環境を中心としたすべて、周囲のsomethingに対するsence of wonderのことです
 以前も何度か展開しましたが、「子どもたちの多くは『本来』潜在的な好奇心にあふれているはずだ」と考えています。時にはわずらわしくなるほどの、周囲の「もの」や「こと」に対する『なぜなに攻撃』は、その発露の『確証』です。自らの周辺環境をできるだけ多く、早く知る(学ぶ)ために備わった本能なのでしょう。一生そこ(つまり地球)で生きていかなければならないからです

 ところが、多くの場合、大人たちはいつの間にかその必要性とおもしろさを忘れ、日々の生活や目の前の欲望に「忙殺」されてしまっているので、その問いや疑問を無視してしまう。子どもたちは心の底からわき出てくる「学習するモチベーション」を握りつぶされてしまい、さらに「理不尽(!)」なことに、すべて「テキスト」や『抽象』から「学ぶこと」を半ば「強制(?!)」されてしまう、という『学校や塾でのお勉強』の流れがはじまるのでしょう。そんな「学ぶおもしろさ」に「逆行する」例が少なくないと、ぼくは考えています。
 邦訳では省略されていますが、先週紹介したTHE SENCE OF WONDERにLinda Learの序言があります。拙訳で紹介します。
 
 レイチェル・カーソンのセンス・オブ・ワンダーはわたしたちみんなが覚えている幼心への贈り物である。彼女は、この短い章句の中で、子どもたちの不思議と謎に満ちあふれた世界の本質を生き生きと表現し、私たちが長年憧れてつづけてきた生きとし生けるものとのつながりを思い出させてくれる。(前記原書p9 下線は南淵)


 

 レイチェル・カーソンの幼い頃は不勉強にして詳らかではありませんが、周囲の自然環境に対して驚くべき『環覚』を備えるようになりました。日高少年の場合はこうでした。
 
 ぼくは、小学校のころ学校に行かなかった。戦時教育下に、いわば登校拒否のぼくが過ごした場所は、まだ東京のそこかしこに残る原っぱだった。(これは、エジソンと似ていますね。二人とも、子ども心に訴える環境と時間が十分整っていた、ということです。注 南淵)
 あるとき、枝をいっしょうけんめいはっている芋虫に思わず話しかけたことがある。
 「おまえどこに行くの? 何を探しているの?」
 芋虫は答えなかったけど、ぼくにとって、それは大切な原点だったかも知れない
 「世界を、こんなふうに見てごらん」日高敏隆著 集英社 p10)

 もうひとつ日高少年とエジソンの幼い頃が似ているのは、自然と遊んでいるとき、同年代の仲閒たちとは別行動で、自分の目で「よく見て」考えられる(考えてしまう)時間と余裕があったということです。観察をし、ゆっくりした時間の流れの中で、その推移を見守り、自分の考えを取り出す余裕がありました。ファインマンの場合も、お父さんが他のお母さん方の『子どもの同行』依頼を断り、親子二人だけで「なぜ」の追究がはじまりました。ただ自然の中に連れて行けばよいとは限りません。落ち着いて「自然に浸る」時間がなくてはなりません
 日高さんは、先の引用の節の見出しに、「『なぜ』をあたため続けよう」と書いています。ところが現在も、こどもたちには、知らなければならない「身の回りの『なぜ』」や、少し目を留めれば『心から知りたい』『知りたいことはたくさんある』はずなのに、「別に知りたくもないこと」から「勉強をはじめなければならない」のが現状なのです。
 エジソンがエングル先生に「ノータリン」あつかいされ、登校拒否したときの『感想』です。

 エングル夫妻の教育はたまらなく「いや」だった。あらゆることが無理に強いられた。書物によってのみ自然の過程を知ったり、アルファベットや算数を機械的に覚えこんだりするのは、かれにはできないことであった。かれが求めていたことは、自分の目で観察し、自分で「ものをすること」と、自分で「ものをつくること」であった。自分でものを見たり、試してみたりすることは、「ほんの一瞬だけであっても、見たことのないものについて二時間も教わるより有益である」と、かれは言っている。(「エジソンの生涯」マシュウ・ジョセフソン著 矢野・白石・須山訳 新潮社 p26より)

 エジソンも日高少年も、世間から見れば、謂わば「落ちこぼれ」の典型でしたが、彼らは「落ちこぼれている」間に、かけがえのない「一生の学び(研究すること)」に対する、無限の「モチベーション」を手にすることができました。ファインマンは落ちこぼれではありませんが、結果は同じです。

 これらの事例から現状の教育システムや学習指導を振り返ってみたとき、このブログで展開していますが、高々中学受験・大学受験のために、ただその目的(だけ)のために、こどもたちの「それ以外の可能性」や、抱ける「夢」をすべて握りつぶしてしまっている、という発想に思いが届きませんか?
 通り一遍の「自然活動」しか知らない指導者が、子どもたちを自然に「浸らせる」ことはできません。受験勉強しか知らない保護者が自然の大切さやおもしろさ・奥行きを伝えることはできません。ものすごい可能性を秘めている自然は、相変わらず「手つかず」のままです。
 巷間、自然観察や自然体験があまりにも表面的・皮相で捉えられていること、その感覚で野外活動が展開されていることがほとんどであることが残念です。ぼくの取り組みも、ご存じのように中年以降からはじめましたので、残念ながら道半ばなのですが、こうした方向に日本の教育がシフトチェンジされたとき、ノーベル賞の受賞者が飛躍的に増えるだろうという夢も抱いています。

 大きな発見や偉大な発明のコアは、周囲のsomethingであり、それがモチベーションになるのであって、けっしてtextbooksがきっかけではありません。textbookは、本来のモチベーションに追随するものであり、それらを補完するものです
 みなさん、みんなで大きな教育改革の流れをつくり出しましょう。完成の暁には、少子化に、もっとも歯止めがかかる取り組みになるのではないでしょうか。「大きな夢が生まれる」わけですから…。

いろいろなことをやってみたからよかった
 日高さんは、別のページで、こう述べています。
 
 ちゃんとした生物学のみを勉強したのではなく、進化論の概念が横から入ってきたり、実際のいきものも好きだからフィールドに出たりして、いろいろなことをやってみたからよかったのだろう。正当な学問の道筋だけ学んだのでは分類学の権威にはなれたかも知れないが、新しい考え方にはいたらなかったかもしれない。それも知って、さらにいろいろな外国語も知って、というのがとてもよかったのだろうと思う。(「世界を、こんなふうに見てごらん」日高敏隆著 集英社 p25)
 
 「いろいろなことをやってみた」のが先なのです。「その過程で、いろいろな外国語も知って」というのが、とてもよかったのです
 また、日高さんは別の著書(「動物はなぜ動物になったか」日高敏隆著 玉川大学出版部 p112)で、こういうことを言っています。
 

 気の弱いぼくは学校から逃げるほかなかった。ぼくは朝から学校をさぼって、近くの原っぱへゆき、そこで虫たちを眺めることになった。これがどうも生きものに対するぼくの関心の始まりのようである。だれかの話を聞いて感激したとか、何とか先生の本を読んで感銘をうけたとか、そういう高尚なことがきっかけになったわけではけっしてない。本や話はそのあとのことであった。のちにぼくに大きな影響を与えたファーブルの『昆虫記』も、ぼくが虫に関心をもっていたからこそ、すごくおもしろかったのにちがいない
 その後も、ぼくは生物「学」をやろうとは思わなかった。ぼくは生物を「知りたかった」のであり、今でもそうである。(下線は南淵)

 これを読むと自明のように、「学びを進めるモチベーションは」まずsomethingを知ることであり、環覚に目覚めることなのです。おもしろいものがあって「学ぶ」がはじまり、知りたくなるのです

 ファーブルの『昆虫記』が先にあるのではなく、「虫になじむことが先」にある、「または同時」にないと「すごくおもしろく」はならないのです。みなさんの発想は後先が逆ではありませんか? ファーブルの『昆虫記』を先に与えて満足していませんか? 虫といえば、お母さんがスリッパをもって追っかけ回したり、キャッキャッと逃げ惑っているゴキブリしか知らないうちに・・・。
 まずその発想を逆転しないとNO ORDINARY GENIUSは生まれないのでしょう。「ぼくは生物『学』をやろうとは思わなかった。ぼくは『生物を知りたかった』のであり、今でもそうである」なのです。
 NO ORDINARY GENIUSのファインマンは、次のように言います。

 わからないのは、科学をつまらない、むずかしいものだと思ったり、簡単でおもしろいと思ったりする人がいることなんだよ。ぼくには(科学をすることで 南淵・注)すばらしくおもしろいご褒美があるということしかないし、この世界が実際はどうなっているのかを究めようと思えば、相当の想像力が要るってことさ。ぼくは、四六時中、あらゆることを想像しようとしている。ランナーが走って汗を出すことに喜びを感じるのと同じように、ぼくはいろんなことを考えることによって快感を得るのさ。(No Ordinary Genius Christopher  Sykes  W・W・NORTON p126 拙訳)

 両者とも、モチベーションは「快感」なのです。「知りたい心」です。この身体の奥からわき起こる『快感』を掘り出す手伝いをすることこそ、教師(指導者)の役割です
 エジソンやファーブルやニュートン・アインシュタイン等、偉人たちの仕事や伝記や発明・発見の概略を指導することで天才が生まれ、学習のモチベーションが発動するのではありません。それらの従来の教育システムや指導方法を根本的に見直すべき時期に来ているのではないでしょうか。

 日高少年やエジソンの時代は、まだ子どもたちが『一人ででも環覚に目覚める環境が健在』でした。ところが、今は自然環境のみならず、あらゆる環境がこどもたちの『環覚』育成に敵対しています。その障害を排除できる有効な指導こそ「立体授業」だと考えています。
 ブログを読んでいただいているみなさん、せこい「自己顕示欲」や「収入増大」の、さらに先にある大きな夢と目標、つまり「子どもたちへの貢献」に向かって力を合わせましょうよ。
 最後に、日高さんが、学生やぼくたちに投げかけている問題(少し古いですが、科学全般にわたってその骨子は健在です、今、逆に加速していないでしょうか?)を紹介しておきます。

 高校で、メンデルの遺伝法則を習って、その見事さに感激し、生物学をやろうとする学生は、今でも後をたたない。ぼくの偏見によれば、そういう学生がまともに生物学をやってゆくことはむずかしいようである。彼または彼女は、たしかに体系化されたものの美しさを理解できるし、その体系を学んでゆく能力ももちあわせている。つまり、ちょっとした初等数学のテクニックや物理学、化学の初歩知識、機会の扱いかたを身につけており、電気にも強い。したがって、すでに体系化された近代的な生物学の徒となることは十分にできる。そして、先生からも若干の進歩的な仲間からも賞賛される精密な論文ぐらいは書けるのである。
 けれど、こういう近代的なアプローチがもたらすものはなんであろうか? 生きものの中から近代生物学的に扱える部分だけをぬきだして、それを解析し、そのことだけから生物学を作りあげるという、きわめて一面的な結果のみがふえてくるのではなかろうか?
 (「動物はなぜ動物になったか」日高敏隆著 玉川大学出版部 p113)

 「世界を、こんなふうに見てごらん」も「センス・オブ・ワンダー」もいずれも、それぞれの作者がなくなる前や病床での作品です。「透徹した目」で子どもたちと未来を思い、本質を生き生きと伝えている。読みとったこれらの真実と「読む心」を、いかに子どもたちに伝えることができるか、それがぼくたちに課せられた課題です。

子どもを幼く見過ぎ
 さて少し、子育てのアドバイスです。最近のお父さん・お母さんは、とにかく子どもを幼く見過ぎです。
 見るところ、実年齢より三才くらい幼い子に接するような態度です。子どもは、その境遇に甘んじてしまい、なかなか一人前に、自立の方向に向かい(向かえ)ません。小学校3年生なら年長児くらい、小学校6年であれば、3年生に対するような態度で接しています。
 お父さんは、少し自分の中学進学前後のことを思いだしてみてください。〇ンコに毛が生えてくるようになった自分を、そんなに幼い存在だと考えていましたか? もっと、いろいろ考えていたでしょう? 
 自分の子どもを指導する基準がわからなかったら、一緒に仕事をする仲間として、あるいは友人として、こうあってほしいという理想をぶつけるべきだと思います。一流の人はこうあるべきだという理想であれば、もっと良いでしょう

 「自分がそうでないから言えない」、というのであれば、もうその時点で「子育て失格」です。一流の人の親がすべて一流だったわけではありません。子どもに「自分より立派になってほしいと厳しく接する」のは、「この上なく立派な親の務め」です。件の悪行を企んだ中学校の男性教師はそういう意味でも「父親」失格です。


発想の転換が可能性を開く⑰

2018年06月16日 | 学ぶ

レイチェル・カーソンの応援-THE SENCE OF WONDER
 久しぶりに古本屋巡りをしていて、シックなグリーンの表紙の小ぶりな本に魅せられました。レイチェル・カーソン、センス・オブ・ワンダー。上遠恵子訳・新潮社です。「線引きあり」で、格安です。

 線引き部分を読みました。線引きされた人、「ポイント」の感覚、ぼくとそっくりです。どんな方なんでしょう? お会いしたいですね。
 さて、
 
 寝る時間がおそくなるからとか、服がぬれて着替えをしなければならないからとか、じゅうたんを泥んこにするからといった理由で、ふつうの親たちが子どもから取りあげてしまう楽しみを、わたしたち家族はみなロジャー(カーソンの甥っ子)にゆるしていましたし、ともに分かち合っていました。(上記書p15)
 
 (「ム、ム」ぼくの頭の中)

・・・月はゆっくりと湾のむこうにかたむいてゆき、海はいちめん銀色の炎に包まれました。その炎が、海岸の岩に埋まっている雲母のかけらを照らすと、無数のダイヤモンドをちりばめたような光景があらわれました。(上記書p15)

 (「ファーブルも小さいころ、近くの森の泉で黒雲母の粒を砂金とまちがえてポケットが破れるくらい詰め込んだっけ・・・」ぼくの頭の中)
 

 このようにして、毎年、毎年、幼い心に焼きつけられてゆくすばらしい光景の記憶は、彼(ロジャー・南淵 注)が失った睡眠時間をおぎなってあまりあるはるかにたいせつな影響を、彼の人間性にあたえているはずだとわたしたちは感じていました。(上記書p15)
 
 (「ウウン?」「そうだ、そうだ、ゲームの夜更かししか知らない子たちとは、比較にもならない」・・・「『センス・オブ・ワンダー』とは、ヒョッとして「環覚」とほぼ『同義語』ちゃうんか?」ぼくの頭の中) 
 知らんかったなあ・・・レイチェル・カーソンの執筆意図は・・・と読み進めると、自然に対する開眼、子どもの「環覚(THE  SENCE  OF  WONDER)」を育成することの意味と重要性が全編を通じてちりばめられています。ちなみに、この本は病に冒されたレイチェルが亡くなるまで、病床で手を加えていた本のようです(没後出版)。

  いつものように原書(“THE SENCE OF WONDER” RACHEL CARSON HAPER Collins PUBLISHERS)を手に入れました。副題が「親子に贈る自然賛歌」(A CELEBRATION OF NATURE FOR PARENTS AND CHILDREN 原副題・拙訳)。
 新潮社の邦訳版に「副題」は入っていませんが、子どものセンス・オブ・ワンダーを掘り起こしたい彼女の執筆意図から考えると、この副題はあっても良かったかも知れません。「SENCE OF WONDER不思議の出会い―親子に贈る自然賛歌」では、あまりにも『ズブ』でしょうか?(笑い) 
 SENCE OF WONDERは、実際に「『SENCE OF WONDER』に目覚めている人」ではないと分からないと思うので・・・そこが最大の問題です。その『感覚』が分からないと、価値や意味や手応えが理解できないのです

 「自然に対する『環覚』が掘り起こせないまま大人になること」の『不幸』と、子どもの『環覚』育成の必要性を、カーソンはこう述べています。この書に関しては、上遠恵子さんの訳がすばらしく、少し長いですがそのまま引用します。
 
 子どもたちの世界は、いつも生き生きとして新鮮で美しく、驚きと感激にみちあふれています。残念なことに、わたしたちの多くは大人になるまえに澄みきった洞察力や、美しいもの、畏敬すべきものへの直感力をにぶらせ、あるときはまったく失ってしまいます。(新潮社版 p23 背景色は南淵)

 この部分を読むと拙文下線部の意味がよく分かっていただけるのではないでしょうか? このブログでも何回か触れた例ですが、「大人になるまえに澄みきった洞察力や、美しいもの、畏敬すべきものへの直感力をにぶらせ、あるときはまったく失った例」をもう一度挙げます。
 団開設当時、『いい塾よ、田植えなんかもして・・・』と、友人がぼくの塾を紹介してくれた(そうです)ときの、あるお母さんの一言。「田植えなんかいいのよ、勉強を教えてくれれば・・・」(!)。
 あるいは、ある有名中高一貫校の校長の言。
 田舎で田んぼを借りて授業の一環として、米づくりの作業を折々取り入れることの意義をアドバイスしたぼくの恩師に返した(ようです)返事、「いいんですよ、うちは。『校庭』に田んぼをつくって『田植え』をしますから・・・」。子どもたちが『田植えのロケーション』や『田んぼへの道程』で感じられるもの、覚えられるものの「すばらしさ」「大きさ」『かけがえのなさ』が分からない・・・

 カーソンは、先の文章に続いて、こう述べます。
 
 もしもわたしが、すべての子どもの成長を見守る善良な妖精に話しかける力をもっているとしたら、世界中の子どもに、生涯消えることのない「センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目を見はる感性」を授けてほしいとお願いする(「たのむ」を「お願いする」に変えました)でしょう。
 この感性は、やがて大人になってくるとやってくる倦怠と幻滅、わたしたちが自然という力の源泉から遠ざかること、つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する、かわらぬ解毒剤になってくれます。(「なるのです」を「なってくれます」に変えました)
(新潮社版 p23 背景色は南淵)
 
 「ひとりの人間の人生そのものにさえ自然がもたらす力」、この視点のなんとすばらしいことか。大いに力を得ました。わかるひとには、わかるんや~。それもとっておきのナチュラリスト、科学者や。

「環覚」を育てるヒント
 ブログを読んでいただいているみなさん、ファインマンやエジソンの子ども時代から約100年、カーソンの死から約60年、今この自然に対する視点や『環覚』の指導の導入を取り逃がすと、「科学や技術の発展・発達ぶり(!?)」から考えて、「そもそもの基盤のない科学者」「生き物(!)を知らない科学者」つまり数式や人工物からしか考えられない科学者ばかりが育ってしまうような気がします
 さらに、これらの指導は、持論ですが、おそらく小学4~5年生までが、『身体の底から、そのたいせつさ・おもしろさが分かるための』リミットです。過ぎてしまえば、「自然を見て心は和む」が、どうしても「とってつけた感」の否めない「存在」になってしまうことでしょう。5~6年生以降では、今までの子どもたちの入団時期とその成長を見ていると、「自然に触れる喜びに身体がふるえる(!)までにはいかない」ような感じがあります
 カーソンは、そのあたりについて、こう述べています。
 
・・・生まれつきそなわっている子どもの「センス・オブ・ワンダー」をいつも新鮮にたもちつづけるためには、わたしたちが住んでいる世界のよろこび、感激、神秘などを子どもといっしょに再発見し、感動を分かち合ってくれる大人が、すくなくともひとり、そばにいる必要があります。(新潮社版 p24 背景色は南淵)

 少なくとも「ひとり」は必要なのに、「わたしは虫は怖いし、自然のことは何にも知らない・・・」。そんなことばかり思っていても、「何も知らないあなたの二の舞(!)」になるだけです
 騒々しい街中を離れ、そしてバーベキューや缶ビール目的ではなく、木漏れ日の朝、草花の葉先の水滴に目を留め、鳥や生き物のようすに注意を向け、きれいな沢につかり、自然に浸り・・・という経験によって、対象があなたの目を見開かせてくれます。続ければ子どもも目を見開くようになります。カーソンは、こう云います。

 多くの親は、熱心で繊細な子どもの好奇心にふれるたびに、さまざまな生きものたちが住む複雑な自然界について自分がなにも知らないことに気づき、しばしば、どうしてよいかわからなくなります。
そして、
「自分の子どもに自然のことをおしえるなんて、どうしたらできるというのでしょう。わたしは、そこにいる鳥の名前すら知らないのに!」
と嘆きの声をあげるのです。
 わたしは、子どもにとっても、どのようにして子どもを教育すべきか頭をなやませている親にとっても、
「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではないと固く信じています
 子どもたちがであう事実のひとつひとつが、やがて知識や知恵を生みだす種子だとしたら、さまざまな情緒やゆたかな感受性は、この種子をはぐくむ肥沃な土壌です。幼い子ども時代は、この土壌を耕すときです。(新潮社版 p24 下線・背景色は南淵)

  
 カーソンの云う「この土壌を耕す」は、「『環覚』を育てること、そのものです」。この本のなかには環覚を育てるためのヒントが満載です子どもたちは、その「環覚」によって「学習(勉強)のモチベーション」を手に入れていくことは、何度も説明しました。「子どもたちが学習する大きなパワー」を生み出すための「後先」をまちがえてはいけません。
 カーソンは幼いロジャーの面倒をみながら、気づいたことをこう記しています。
 

 ロジャーがここにやってくると、わたしはいつも森に散歩に出かけます(南淵・ファインマンのお父さんと同じですね!)。そんなときわたしは、動物や植物の名前を意識的に教えたり説明したりはしません(南淵・これも、名前に終わらないファインマンのお父さんと同じです)。ただ、わたしはなにかおもしろいものを見つけるたびに、無意識のうちによろこびの声をあげるので、彼もいつのまにかいろいろなものに注意を向けるようになっていきます。(新潮社版 p12 背景色は南淵)

 おもしろいものやふしぎなものに「歓声をあげる」「おどろく」。「それでいいのか?」と思うかもしれません。それで十分です。「ワクワク感は伝染ります)
 幼いロジャーと、そんな日々を送ったあと、カーソンは次のような日を迎えます。
  

 植物のカラースライドを見せると、ロジャーは、
「あっ、あれはレイチェルおばちゃんの好きなゴゼンタチバナだよ」とか、
「あれはバクシン(ビャクシン)だね。この緑色の実は、リスさんのだからたべちゃいけないんだよ」
などといったものです。いろいろな生きものの名前をしっかり心にきざみこむということにかけては、友だち同士で森へ探検に出かけ、発見のよろこびに胸をときめかせることほどいい方法はない、とわたしは確信しています。(新潮社版 p13~14 背景色は南淵)

 もちろん、「名前」を憶えて終わるわけではありません。このカーソンの言葉から思い出すのは、時々紹介しているKAEDEのことです。三歳の時、渓流教室の宿泊ホテルの広場で、ぼくが団の子どもたちから「小石」について質問を受けているようすを見て、それ以降、彼女はぼくといっしょにいると、さかんに小石を拾ってきて名前を聞くようになりました。幼子たちは、「道に落ちている石に種類や名前があることなど考えられない」ことです。そういう「感覚」を指導する側が持ち続けられるかどうかで、子どもたちの『環覚』の育成は左右されます
 カーソンは名前を教えたかったのではありません。また、ファインマンのお父さんのように、取り立てて「自然界のなりたちとしくみを教えた(教えたかった)わけではない」ようです。幼い甥っ子に、「生きとし生けるもの」の「深いつながり」と「愛」に目覚めてほしかったのでしょう。
 そして、「やがて大人になってくるとやってくる倦怠と幻滅、わたしたちが自然という力の源泉から遠ざかること、つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する、かわらぬ解毒剤にしてほしかった」のでしょう。

 ファインマンのお父さんやカーソンの、小さな子どもたちへの触れ合い方に想いを至すと、子どもたちが「自ら積極的に知力を働かせるようになるしくみ」や、「人間存在」特に「自然内人間存在」という意識に目覚めるようすがよくわかります。
 それらはいずれも「環覚」を育成することで可能になる、ということがわかっていただけたでしょうか? 子どもたちへの指導は、決して抽象からはじまるのではありません。

 この本には、子どもたちの「環覚」育成をするためのカーソンからの贈り物―お父さん・お母さんへのヒントが満載です。なお、「環覚」の育成は何度もいっていますが、ただ科学者を育てるためだけの指導方法ではありません。「『豊かな感性』や『生きとし生けるもの』に対する愛情を育む指導」でもあります。学力や知力・能力の成長だけに終わらない、人間存在の本質にもかかわるものです
 先日、水谷に対して人倫に悖る悪行を働いた大阪市内の卑劣な教員夫婦のような感覚(他者に対する思いの欠落・自己責任の放棄等々、人は社会的存在・自然内存在であるという意識や認識がない)で子どもの指導に向かうことは、窃盗・横領をはじめとするすべての犯罪の種子の発芽に培養土や苗床を与えるようなものです。
 「とんでもない子が育つ、バランスがよくない子どもが育つ」のには相応の理由があります。鈍感か無責任によって「その理由が見えない、その理由を見ようとしない、あるいは見たくない」だけです。
 カーソンの本は、その本質を突いています。こうした「当たり前の感覚」を、小さな子を育てている先生や保護者には、強く持ち続けてほしいものです。それによって、「文字が読める」だけではなく「本」や「人の心」がわかる子が育ちます。

立体授業のアイデア
 「子どもたちへの指導は、決して抽象からはじまるのではない(はじまってはいけない)」とわかっていただいたところで、立体授業の指導ヒントです。
 立体授業では、子どもたちと金づちで釘を打ったり、ノコギリで木や竹を切ったり、やすりやサンドペーパーで何かをみがいたり、という機会が、よくあります。また、電動グラインダーで釘立ての釘をとがらせたり、アウトドアナイフの刃こぼれを直すこともあります。
 ふつう子どもたちと何かをするときは、その工作によってつくるもの・できあがるもの、つまり目標や目的のみに目を奪われがちになりますが、立体授業ではそれだけではありません。そういう作業や何気ない行動の中にこそ、伝えるべき学習(内容)が隠れています。視点を広げるヒントが潜んでいます。少しファインマンの著書を覗きましょう。
 

 

 現実は見えている通りだなんてありえないんだよ。たとえば、ぼくらは「熱い」、「冷たい」ってことなんかは当たり前だと思っている、だけど、「熱い」と「冷たい」は原子がふるえている速さのことだ、より多くふるえれば、それは熱くなるってことだし、ふるえ方が少なくなると、つめたくなるってことさ。まあ、原子のひと塊、たとえばテーブルの上にカップに入ったコーヒーがあるとする、その原子たちはものすごくふるえていて、カップに跳ね返る、すると今度はカップがふるえるようになる。カップの原子たちがふるえ、今度は皿に跳ね返る。こうして「熱いもの」は、ささいな接触によって他のものにその熱を伝えていく。
(No Ordinary Genius Christopher  Sykes  W・W・NORTON p126 拙訳)

 ここには、日常生活で「当たり前」の温かいもの・冷たいものに対する「見かけ」からは分からない「原子のヒミツ」が出ていますこうした「身近なもの」に対する(この場合は熱の移動)新しい見方やなりたちとしくみを開示した時に、子どもたちは「科学(この場合は物理)」という大きな空に飛び立ちます
 つまり、「原子」をただ「教科書という抽象」で教えるのではなく、「コーヒーという身近なもの」に目を留め展開することによって、「子どもたちの興味を引き出せる指導」、「えっ、そうなんや」という指導が成立します。

 「『原子からコーヒーに行き着くことはありません』が、こうして『コーヒーから原子に向かうこと』で、子どもたちは「環覚」というアンテナを立てる(子どもたちに「環覚」というアンテナが立つ)ようになります
 先のノコギリや金づちやヤスリの場合。作業中、子どもたちにその部分を触らせ熱をもってくることを感じさせます。「ノコギリを使って工作している自分」が「目には見えない『原子』をふるわせたから熱が出た」、ノコギリは「切る」だけじゃない、「原子」でできあがっているものだ・・・これによって、子どもたちに「原子」が少し身近になります。「環覚」を育てる授業は、こうして成立します。
 少し頭を振り向ければ、周囲にヒントはあふれているのではないでしょうか? 「リトルファインマン」を育てるために、頑張りましょう。みなさん。

 なお、もうお亡くなりになりましたが、ぼくが好きな日高敏隆さんの本を、最後に一冊紹介しておきます。おもしろいです。


発想の転換が可能性を開く⑯

2018年06月09日 | 学ぶ

「自分で知っている」と云うことさえ、知らないんだよ

 MITの学生の頃だったが、みんなを煙に巻くのがおもしろくて、よくやったんだよ。いつだったか、機械製図の授業だったと思うんだが、お調子者が雲形定規―プラスチック製でなめらかな曲線を描くとき使うものだ、曲線ばかりで見かけが珍妙なやつだ―をもちあげていうんだ。「こいつの曲線には、何か特別な定則でもあるんだろうか?」。
 ぼくはしばらく考えて、「もちろん、あるさ。それらの曲線は特別な曲線だよ。見てろよ。」と云って、ぼくは自分の雲形定規を取りあげ、ゆっくり回しはじめた。「雲形定規は、どのように回転させようと、それぞれの曲線の最も低い点で、接線が水平になるようにつくられている」。
 クラスのやつらは自分の雲形定規をさまざまな角度にもち、それぞれの曲線にそって最も低い点に鉛筆をあて、接線が水平であるという事実を確認した。みんなこの「発見」に大興奮だったよ。だれもが既に微積分をかなりなところまでやって、「どんな曲線であっても、極小点(最低点)の導関数(接線)はゼロ(水平である)ということを知っているはずなんだよ。事実から関連を捉え類推することができないんだ。つまり、知っていることだって、実は知らないんだよ。(SURELY  YOU’RE  JOKING MR. FEYNMAN!  RICHARD  P. FEYNMAN  VINTAGE  BOOKS  p36 拙訳)

 
 ファインマンは当たり前のことを言っているだけなのですが、MITに行けるような学生が、自らの学習内容を「現実に即して」理解をしていない。「勉強(学習)はあくまで勉強」で、「日常生活に基本をおいて、つまり学習とはまったく関係のない(と思われる)ところで、その事象のしくみや成り立ちとの相互了解・共通理解がはかれていない、その能力が発達していない」ということです
 つまり「日ごろの生活はあくまで生活」であって勉強ではない。関連がとれない。「学習内容がそれらのあらゆるところから抽象され、そこに端を発していること」がまったく分からない、気づいていない―環覚が育っていない―というところが現在の学習問題の、比喩が適当かどうかわかりませんが、「大きなブラックホール」なのです

 勉強が『絵に描いた餅』にしかならず、その後の発展性がまったく見られず、自らを次のステージの研究や発明・発見に導く『栄養(!)分』にはならない。「とってつけた勉強」なのです。MITに合格できるほど頭脳が優れ、相当勉強した学生が、「抽象論」では分かっていても、「目の前の現象を自らが勉強した、その理論で『解釈』できない、表現できない」ということです
 ファインマンは、こう言います。
 

 みんな、どうしちゃったんだか。かみ砕いて理解して学んだのではない。何かほかのやり方、成り立ちやしくみをよく理解するのではなく、ただ「くり返すやり方」で学んでいるのさ。そんな知識は「絵に描いた餅」さ。(SURELY  YOU’RE  JOKING MR. FEYNMAN!  RICHARD  P. FEYNMAN  VINTAGE  BOOKS  p36~37 拙訳 なお、これらのファインマンの説は、岩波現代文庫の大貫昌子訳で読むことができます)
 
 つまり、地に足のつかない、「現物や対象」をイメージしない「勉強のための勉強」で育ってきた、そして育てようとしていることが、現状の学習指導を見ていると、ファインマンやエジソンの時代から約100年もたって尚、相変わらず続いて(しまって)いるということです
 ファインマンの著書を読む度、ぼくは「学習指導のしくみ」の持論に対する『精神的応援(!)』を得てはいますが、もともと、『環覚』や「学体力」という発想は、小さいころから貧乏な家庭で育ち、本も家庭教師も塾もほとんど関係ない中で、どうして『勉強をそれほど嫌いにならず』スムーズに進学できたか、とくに生物なんか先生を困らせるほどの質問ができたか? という単純な疑問から発したものです。今(もう約二十年前ですが)のこどもたちは、どうしてこんなに勉強(今思えば、ファインマン曰く、絵に描いた餅)をしなくてはならないのだろう。
 そこで得た(感じた―当時)結論は、ぼくは学習内容や学習対象について、特に生物や地学関連については、たいていの「もの」や「こと」に、まず自ら出遭っていることが多かった。なんせ、朝から晩まで裏山や近所の小川で遊びほうけていたので。
 「まず遊びの対象」としてその存在や生育や実態が身近で、工作や遊び(つまり触り、手をかけること)を通じてその性質や特性を知悉していた。教室でそれらが学習として出てきたとき、よく分かるのはもちろん、それらの対象の関連や抽象が即座にイメージできた。理解が行き届き、それが学習をすすめるモチベーションになったのではないか、という想像でした
 さらに成人後、教育界ではなく、まったくちがう仕事をさまざまに経験できたことも、「形」や変な「しがらみ」にとらわれない発想の助けになっているような気がします。

 ファインマンのような天才には足下にもつま先にも及ばない、アメーバーのような「おっさん」が子どもたちの学習と頭脳の成長を何とかできるだけよくしたいと頑張った試行錯誤と紆余曲折。その結果として「周囲のものごとに対する『環覚』が、子どもたちの学習や学習に対するおもしろさ・その発現のきっかけになる可能性が高い」という、「ファインマンやエジソンという実在の成長モデル」に出遭ったということになります。
 ニュートンやファーブルやマクスウェル・エジソンなどの成長過程をたどってみると、すべて自らの環境(多くは自然環境)に対して、その成り立ちやしくみのおもしろさに目覚めたので、それ以降の爆発的な学習量と能力発揮が実現したと想像できました。かく云う発想は、まず抽象から学習(勉強)に入った人には、なかなかなじみがない(わかりにくい)と思いますが・・・。そして大きな問題の根源もそこです。

 MITに入学できるような人たちは相当能力が高く、やがて科学者になったり専門分野で優れた活躍する人なのでしょう。「みんなどうしちゃったんだか。よくかみ砕いて理解して学んだのではない。何かほかのやり方、成り立ちやしくみをよく理解するのではなく、ただ『くり返すやり方(つまり理解ではなく、ほぼ暗記)』で学んでいるのさ。そんな知識は『絵に描いた餅』さ。ファインマンが云うと、一般のエリートは、先述のように、こうなります。
 一方で、一般的な人たちはどうでしょう? 
 
 まあ、みなさんも経験からよくご存じだと思いますが、人々、平均的な人々つまり大多数の人々は哀しいことに、また残念なことですが、自分たちが生きているこの世界の科学というものについてまったく知らないのですが、そんなふうであっても生きていくことができるわけです。(The Pleasure of Finding Things Out RICHARD  P. FEYNMAN p102 拙訳)
 

 そして、
 
 ともあれ、ぼくはどうして人々がそんなにも情けないほど無知なままでいることができ、現代社会の難題の真相を究められなくても生きていけるのか、という質問に答えたいと思います。
 その答えは科学が取るに足りないものだからです。どういう意味かはすぐ説明しますが、「そうであってよい」と言ってるわけではなく、わたしたち科学者が、社会にとって(科学を)取るに足りないものにしてしまっているのです。この問題については後で戻るつもりです。(The Pleasure of Finding Things Out RICHARD  P. FEYNMAN p103 拙訳)
 
 一般人の多くは、科学なんぞに「脇目もふらず」日々の生活に邁進し、一方『勉強をする人たち』は「抽象の教科書で抽象を頭に入れていく」ということでの『上っ面科学の輪廻転生(?)』が延々と続いている、というのは言い過ぎでしょうか。
 科学は決して「とるに足りないもの」ではありません。「(科学は)考えると、おもしろく夢中になれるもの」、MITの学生たちのような「『知っている』という誤解」ではなく、ほんとうに知ること・わかることで「名実ともに」計り知れない恵みを人生に対してもたらしてくれるものなのに・・・というファインマンの裏の気持ちを、彼の発言から読みとらなければなりません
 「一般人」はほとんどテレビ番組のクイズの答えとしての『科学の些末な結果や現象の映像』に驚き、「エリート」は抽象と数字を操作して理解と暗記を進めている。ごく単純に要約すれば、これが科学と科学教育の現状のアウトラインです。いずれにしろ、『社会』では一般人やエリートともども、『現象や現物』とは直接関係のない(関連が読みとれない)科学(指導)に終わっている。
 学習対象や学習内容を周囲や環境のあれこれになぞらえる機会はなく、解釈したり、理解したりすることはほとんどありません(できません)。一部の意識の高い家庭や指導者に恵まれた環境でしか、「科学(教育)が成立していないということなのでしょう。この感覚のギャップをとらえなおし、指導の方法や内容を精査すれば、もっとすごい子どもたちの成長がはじまる(見られる)のではないか。そう考えます

 


「自分で知っている」、「分かる」とはどういうことか

 先の雲形定規のファインマンの説明にもあったように、曲線と接線の関係を机上やテキストや受験問題で知っていても、ふだん実際にその学習内容が内在する現物を見たときにも、学んだ学習内容で対象を解釈・理解できなければ、それでイメージできなければ応用が利かず、発展もありません。
 つまり、「結局はわかっていないし、知らない」ということになります。受験指導で、いくら知識や要領を難関レベルに積みあげても、所詮ファインマン例示のMIT学生の「接線どまり(!)」というわけです。今、多くの子どもたちの学習指導は、この「接線(!)」までで、それ以上の指導や方法論が、教える側の脳裏に浮かぶことはないのではないか?
 ファインマンの曰く「『知っていること』を『知っている』」レベルまであげるにはどうすればよいのか、つまり、どう教えればよいのか? ぼくの実践する立体授業や課外学習も、同種の発想から問題を解決しようとしたものです。

 ファインマンが小さいころ、森での散歩で一羽の鳥を見てその生態を考えさせるお父さんが言った問いかけ、『名前を知ったからと言って、おまえは何も知ったわけじゃない』『それより、もっとよく見てみようや』から、子どもたちへの指導のヒントを読みとりましょう。
 ファインマン一家はよくニューヨーク近郊の人たちの避暑地になっているキャッツキル山地に出かけたようです。家族連れの大賑わいで、お父さんたちはウィークデイには勤めに戻り、週末にまた家族と合流するというパターンでした。  以下、拙訳で紹介します。

 親父はやってくると、ぼくを森での散歩に連れだし、森で起こるさまざまな興味深いできごとを教えてくれるんだ。それを見ていた他の母親連中は、もちろんすばらしいことだと思うわけだ。だから父親たちに子どもたちを散歩に連れ出すよう働きかけるのだが、どうも協力的ではない。だから、ぼくの親父にみんなを一緒に連れて行ってくれるように頼みにきたんだ。だけど、親父はぼくと特別な関係を続けたかったので、ウンと言わない。ぼくと親父の個人的なやりとり(質疑応答・注南淵)があったからね。(The Pleasure of Finding Things Out  by Richard P. Feynman PENGUIN BOOKS  p4  拙訳)
 ファインマンのお父さんに子どもたちの同行を断られた母親たちは、結局父親たちを説得して子どもたちを連れ出させます。そして翌月曜日、子どもたちみんなが野原で遊んでいると、その中のひとりが、見つけた鳥を指さしファインマンに、「何という鳥か答えてみろ」とたずねます。
 ファインマンは「いやまったくわからない」と答えます。すると、彼は「茶首ツグミだ」とか何とかいいながら、「何だよ、お前の親父は何にも教えてないんだな」と毒づきました。
 だけど、実際はまったく逆だったんだよ。ぼくの親父はちゃんと教えてくれていた。
 何が「逆!」だったのか? どう教えていたのか? そこがたいせつです。
 以下、“What Do You Care What Other People Think?”(Richard P Feynman as told to Ralph Leighton  W.W.Norton & Company,Incp13~)の拙訳で紹介します。
 

 ファインマンのお父さんは鳥を見て、あの鳥は「スペンサー虫食い」(ここでファインマンはお父さんが実際の名前を知らなかったのだろうが、とコメントしています)っていうんだ、まぁイタリア語で何とか、ポルトガル語で、中国語で、そして何と日本語まで持ち出して「でたらめの名前」を並べて、最後にファインマンに言います。
 これでお前は、あの鳥の名前を世界中のことばで知ったわけだ。だけどそれが済んだからといって、お前はまだあの鳥について何にも知っちゃいない。ただ世界のあちこちに人がいて、あの鳥のことを何て呼んでいるのかがわかっただけだろう。だから、まずあいつをよく見ようや、奴が何をしているのかを見よう。たいせつなことは、そのことなんだよ。
 親父は言うんだ。「たとえばだ、見ろよあの鳥を(例のスペンサー虫食いが、しきりに羽をつついていたんだよ)。あの鳥、歩きまわって、羽をつついているだろう?」
 「あぁ」
 「どうして羽をつついていると思う?」(前掲書・14p 拙訳)

 お父さんに鳥が羽をつついている理由を聞かれたファインマンは、
 
 「そうだね、たぶん、飛んだとき羽がぐちゃぐちゃになったんだよ、だからまっすぐに整えるためにつっついてるんだよ」
 「わかった、もしそうなら、飛んでいたすぐ後、何度もつっつくはずだな。それに、しばらく地面にいた後は、そんなにつつかないことになるな・・・言ってることはわかるだろう?」
 「わかるよ」                            
 「じゃあ、着地したときに、何度もつつくかどうか、よく見てみよう」
 言うまでもないことだが、歩きまわった後と、着地したすぐ後では、たいしたちがいがなかった。 だから、ぼくは言ったんだ。
 「まいったするよ。どうしてあの鳥は羽をつつくんだい?」(前掲書14p 拙訳)

 世界中のことばで鳥の名前を知ったからといって何もわかったことにならない、といったお父さんは、まず「対象」に注目することを教えます。「(ちゃんと)見たこともないものの名前や名辞、つまり「抽象」を子どもたちに詰め込んでも、興味が立ちあがり、おもしろさが始まることは期待できない」ということをお父さんはよく知っていたのです。
 ここからがお父さんの真価です。お父さんは、こう「なぞ解き」をします。

 「それはなあ、毛ジラミが悩ますからさ」。親父はいうんだ、「毛ジラミたちが羽からはがれ落ちる蛋白質のクズを食べるんだ」。親父はつづけて「毛ジラミたちは脚にロウのようなものがついてるから、今度は小さなダニたちがそれを食べるんだ。ダニたちはそれを消化しきれないので、ケツから糖のような物質を出す。それでバクテリアが育つんだ」。
 そして、最後に、「これでわかっただろうが、食べ物になるものがあるところには、それを見つけ出す何らかの生きものがいるんだよ」なんて、付け加える。
 まあ今思えば、ほんとうは毛ジラミなんかではなかったかもしれないし、毛ジラミが脚にダニを飼っているなんてこともないかもしれない。あの話は細部にこだわれば正しくなかったかもわからんが、話していたことの原理は正しいんだよ」。(前掲書14~15p 拙訳)

 「食物連鎖」が先にあるのではありません。子どもたちが動物園を喜ぶのはなぜですか? 鳥たちの生態が先にあるのです。生物たちの弱肉強食の姿が先にあるのです。子どもたちにはクワガタやカブト虫の戦いやカマキリがバッタを捕まえるようすが先にあるのです。光の三原色や色の三原色が先にあるのではありません。虹や夕焼けが先なのです
 また、ファインマンのお父さんの子どもに対する問いかけは、子どもの思考や関連をとらえるはたらき、イメージを導入する頭のはたらきに大きなアドバンテージをもたらします。
 「なぜ」「どうして」という不思議の喚起は、子どもたちの「考える」という行動を促します。質問をぶつけることで、相手の考えるきっかけを育みます。問題や観察に対して、主体的・能動的・積極的になります
 しかし、こうした問いかけは、中・高になってしまうとうまく機能しなくなって(しま)います。現状中高生を「良心的に」指導している先生方には同時に悩みの種でしょう。
 そうです、こういう習慣は経験上少なくとも4・5年生までの学習指導で身につけておかなければなりません。だから小学校中学年前の体験授業や立体授業が、とても大切なのです。そういう学習姿勢は、年齢を重ねる度に形成されにくくなります。鉄は熱いうちに打て、です。
 問題を提示し、相手の答え(考え)を要求すること(「なんでやとおもう?」)で主体的・積極的な頭のはたらきを促します(何も科学者への道筋ではありません。頭のはたらきの強化という意味です)。
 発言や発表を求めることは、自分の考えをまとめる、つまり考えを整理するので、理解が整います。さらに、その発言や発表に対して、謎や疑問点を問いかけることで、考察の深化がともない関連の拡大イメージが広がります。
 考える、ということはこういう経緯を経て発達するはずで、ファインマンのお父さんは、自然現象や周囲の事象に対して、こういう「意識せぬ(おそらく)」強化指導を日々繰り返していたことになるわけです。 
 雲形定規に対するMITの(一見)エリート学生の反応とは全く異なる、ファインマンの現実に即した超天才は、実は、これらの「何気ない(!)日々のトレーニング」に拠って築きあげられたものだと考えられます。
 「自分で知っている」、「分かる」とはどういうことか。ファインマンは、それこそ「知らない間に」「知っているということ」が身をもってわかっていたということです。そういう発想・学習・研究スタイルの人として育っていたのです。
 ぼくは子どもたちに、日々「それは結局どういうことなん?」「なんでや?」と問いかけることを「日課(?)」としています。

 さいごに、ファインマンの妹、物理学者のジョーン・ファインマンのことばを紹介しておきます。
 
 わたしは長い間、物理学の世界では誰もが物理学を兄のように理解しているものだと思っていたの、わたし以外はね。リチャードは、何といったらいいか、物理学がからだの一部になっているの。ちょうどわたしたちがここに椅子があるってわかるのと同じように、物理法則やそのはたらきがわかっていたのね。そう、からだの底からの、総合的で深いわかり方なのよ。他の人たちもそうだと思っていたんだけど、今までそんな人にあったことがないわ。他の人にもこのことについて話してみたの。電気とか磁気の方程式のように、何かを説明する方程式のことはわかるのよ。でも何かがどう振る舞うかを理解するために彼らにはその解が必要なの。リチャードは直観力が発達していたので、解が何であるのかすぐわかったの。("No Ordinary Genius" Christopher  Sykes  W・W・NORTON p126拙訳)
 
 リトルファインマンをたくさん育てましょうね、みなさん。


発想の転換が可能性を開く⑮

2018年06月02日 | 学ぶ

「京大OB三人衆」と、やすらぎのひととき
 教職に就いている人はすべてそうだと思うのですが、子どもたちを指導していて最大の喜びは教え子の成長した姿を見ること、その手ごたえがわかることです。今回の三人はそうした子たちです。

 4年生のとき入団し、西大和学園から京大、言語学研究に目覚め大学院に進み、ベトナムに単身留学していたY君。おとなしくて、いつもにこにこしているけれど、負けず嫌いです。5年生の頃、宿題の『計算問題の特訓』(学研)の問題ができなくて、腹が立って机の下で畳を蹴り続け、足から血が出たことも気づかなかったほどです。

 K君。京大合格したとき、「ぼくより頭がよい人は一杯いたけれど、ぼくは努力では誰にも負けなかった」と、力強い一言を聞かせてくれました・・・小学校4年で入団して清風中学から京大・京大院に進み就職後、薬品会社で新薬検査の現場に携わりながら臨床同行の医師の姿に触れ、進路を変更、医学部に学士入学しなおした団の一期生です。
 M君は、数年前亡くなった高校時代のぼくの大親友Nの甥っ子です。Nが「奥さんの夢枕」に立ち(だそうです)、「ぼくに指導を任せろ」といったので学びにきてくれたゲームボーイ。その繊細さゆえ、中二で不登校になって数年間ゲームセンター通いをしていましたが、心機一転、団での二年間の学習で、見事京大理学部に合格。

 OB教室を卒業した32名のうち京大に進んだ子は5人いますが、彼ら三人は、よく現状報告や相談・手伝いに来てくれます。成長しているようすもよく分かります。
 成長というのは、能力や学力が優れているのは当然のことで、ぼくが気になるのは「人格的にはどうなのか?」です。彼らはそういう意味でも、何の心配もありません。いずれも、やさしくたくましく(体格ではありません、人間として)、シャープに、クリアに大きく成長しつつある姿にいつも癒され、元気をもらっています。
 卑劣で情けない悪人や浅薄な行動を目にし、人間不信に陥った事件を、ひととき忘れることができました。年を重ねると、「できるだけきれいなものを見たい」と思うのですが、現実はなかなかうまくいきません。  
 さて今回の集合は、ベトナムで自らの研究の方向性の手掛かりをつかんだY君が一年ぶりに帰ってきたことがきっかけです。「申請書類をぼくにチェックしてほしい」という彼の面会を機に、「久しぶりにみんなと会う」ことに決めました。
 かつて医師の卵のK君も「学士入学試験のときの推薦書を書いてほしい」と訪れてくれましたが、今回はY君の「研究費奨学金の申請書」の文章のチェックです。京大に行き大学院まで進んだ彼らですから、錚々たる人たちが周囲にいるはずです。「ぼくみたいな変なおっさん(ハハ)がしゃしゃり出る幕はないはずで、一大事の大役、俺でよいのか」と・・・、こんなときはいつも冷や汗タラタラで、残り少なくなった脳みそチューブを目いっぱい絞ります。もうほとんど残っていません(ひぇーっ)。

 今回のY君の場合は急だったので余裕がなく、前の日に一応読んだのですが、因果な性分で、次の日朝4時に起き(目が覚め)ました。中身の言語学の研究内容はちんぷんかんぷん。研究者が少ないので、選抜チェックする審査の人もあまり馴染みがないだろうから、生硬な文ではなく「内容がよく分かるように、読みやすい方がよいだろう」。そういう感覚で「出だし」と「結末」の、思うところに朱を入れました。
 彼らと、その成長に関わっていると、「人生半ば過ぎまで自らのやるべきことを見いだせず右往左往した」わが身を振り返り、子どもたちの成長には、ちいさいときの周囲の視角の広さや、近くにいる指導者の思いやアドバイスがいかに大事か、必要かを改めて感じた次第です。そして、「心からの思い」は、子どもたちには、まちがいなくきちんと伝わります。今回彼らを見てその確信がまた強くなりました

 若くして彼らのように自ら邁進できる道を見つけられれば、そして究める姿勢も整っていれば(整ってくれました)、どんな分野であろうと一家を成してくれるだろうという期待があります。楽しみです。そのころまで、ぼくの寿命があればいいのですが・・・。
 天王寺の馴染みの居酒屋でのひととき。約束の五時から約3時間、みんな酒を飲めるようになったことがうれしく、ジョッキ片手に話は大いに弾みました。Y君はベトナムで素敵な女性が見つかったようで、うれしそうに恥ずかしそうに話してくれました。帰りぎわに、K君には安保徹の本を、Y君には今後必要になるだろう文章の書き方のアドバイスの本を、M君には興味や視点が広がるように「皮膚と脳」の本を、それぞれ数冊プレゼントして、再会を約しました。 「幸多かれ」。そう祈っています。

ファインマンの学体力から―勉強が先か、「実験?」が先か
 M君に「皮膚」の本をプレゼントした理由です。「傳田光洋」の本はおもしろいのはもちろん、M君は化学専攻ですから、なんかヒントにならないかと…。
 その優れた頭脳と人一倍鋭い感受性ゆえ、また何よりもお母さんに喜んでほしい、という優しい気持ちがゲームセンターへの方向に彼(M君)を誘導してしまったのだろう。(ブログ「夢へのワープ」シリーズ参照)
 おそらく、並外れて頭が良くて、素直で、大好きなお母さんを喜ばそうと一生懸命受験を頑張ってきたが、合格したので目標が見えなくなってしまった。ちょうどタイミングが悪く、おじいちゃんの具合が悪くなって、お母さんがその看護で家を留守がちになってしまった。そのため彼は、心のよりどころを失ってしまったのだ・・・初めて話をしたとき、理由がすぐわかりました受験漬けで育った子、読書や野外遊びなど、関心や好奇心を大きく広くもてなかった子の典型である、という推察です。我が身を見る思いもしました

 指導の上で、現在も一番ポイントにしているところです。そうした学習で、順調に(!?)進学を進めるが、自らの夢や目標がないままなので、何をしてよいかわからない、何をしたいかわからない、何をすべきかわからない…。これが多くの現在の子どもたちの状況でしょう。
 本来なら、大学進学時には、自らの目標の一つや二つ、実感としてもっていてよいはず、あるいは探すための準備ができていてよいはずですが、そういうふうに育っていないので、手近なゲームや目先の楽しみや遊びで時間をつぶしてしまう、そんなうちにすぐ3・4年が過ぎ、結局何をしてよいかわからないうちに、卒業し、こじんまりと落ち着いて(?)しまう。彼の人生のためにはもちろん、社会のためにも、能力をこのまま埋もれさせるのは惜しい、そう思いました。そういう寂しい人生を送ってほしくないと、ぼくはそもそも子どもたちの指導をはじめたのです。

 小学校のときの指導だけでは、まだ無理ですが、OB教室に来てくれた子たちの多くは、その間の指導の過程で、自らの「方向性の意識」が芽生えます。M君の場合小学校から関われなかったので、今後何年かは、彼のそういう「目覚め」に協力しなければ・・・。「皮膚」の本のプレゼントは、その一環です。
 受験勉強という「抽象学習」を「追い追われ」していると、発想の貧困から、広い視野は持てないし、一生をかけるべきおもしろさに出会うことは難しくなる、経験からも、そう思っています。「受験のために勉強する」のではなく、「自らどうしてもなしとげたいことがあるから勉強する」(必ずしも、医者になりたい、弁護士になりたい、という意味ではありません)という姿勢が正当です

 以前もファインマンをこのブログで紹介しましたが、いまその成長の過程をもう一度辿っています。参考になるだろう一節を拙訳で紹介します。“THE PLEASURE OF FINDING THINGS OUT”(BASIC BOOKS RICHARD P. FEYNMAN p227~228)。
 
 子どものころ、ぼくが実験室と呼んでいたものは、単にごちゃごちゃいたずらをする場所だった。ラジオや自作の工具や、光電池など、そんなものをつくるところさ。大学で実験室と呼ばれているところを見て、びっくりしたよ。みんなクソ真面目に、測定したり結果を判断したりすることを要求される場所だったから。ぼくの実験室では、つまらん測定なんか関係なく、いたずらしたり、工作したりだったからね
 

 ファインマンは、こうした自らの遊びの一環、ラジオを修理する・つくるという遊びのなかで、どうしても解決しなければいけない「電流や電圧の関係」にぶつかります。彼はそこで、抵抗器の間の関係や電気の公式が書いてある本を友人に借ります。電流や抵抗・電圧の関係の公式は数あっても、それぞれが独立しているわけではなく関連があって、学校で習った代数の知識を使えば、それぞれをそれぞれから導き出せることに気づきます。
 

 そうこうして、ごちゃごちゃいたずらをしているなかで、学校で習っていた代数で計算のやり方を理解した。そんなことで、ぼくがやっていることにはどうも数学がたいせつらしいなとわかった。そうして、ぼくは物理学に関係する数学にどんどん興味をもつようになった。さらに、数学そのものにも大いに興味を惹かれるようにもなったんだ。人生を通してね…。(背景色は南淵)
 
 一読すればわかるように、「ファインマンが数学に大いに興味をひかれるようになったのは、自らの遊びや工作の中から、です」。「受験から」では、決してありません。

 数学だけではなく、彼は小さいころからお父さんに引率された森の中で、その森の生業を見て、科学(自然)のおもしろさに目覚めました。それらが彼をさらなるステージに誘い、彼に「超天才」をもたらしたのです。
 つまり、自らの周囲や環境、そこでの「遊び(意識が)」のなかで、まず面白いものやおもしろいことに出会う、見つける。それが始まりです。それらを続けたければ、知っておかなくてはならないことがあるんだ(学習内容にある)、という道程です。この仕組みの検討が、心ある、賢明な指導者の最優先事項であるべきです
 勉強が先か、「実験?(遊び)」が先か? そう問われれば、もちろん「遊び」が先です。天才とは云わずとも、大秀才を育てるために、ぼくたちが一刻も早く追求すべき学習指導は、このスタイルです。
 
ものの聲 ひとの聲―基本的な人間の条件
 表題は映画にもなった「五番町夕霧楼」や「飢餓海峡」を書かれた水上勉さんの「自伝的教育論」(小学館ライブラリー)の書名です。これを読むと、幼いときから相当苦労されたことがよくわかります。

 以前、自ら読んだものの中から、子どもたちにぜひ読ませたい一節を国語の学力コンクールや学習資料の問題文に仕あげる、と言いました。塾や小・中の先生方、同書の78p~82pの少年時代の描写(計 約2400字)は、読解力の格好のテスト問題・よい学習資料になると思います
 水上勉が9才の頃、京都の寺で住み込み小僧になった時の心情描写です。「ああ、あの汽車に乗れば、生家のある若狭へ帰れるのだな」にはじまる一節です。一度目を通されたらいかがでしょうか。
 さて、水上勉は大戦末期の子どもたちのようすとの比較から、執筆当時―1980年前後の子どもたちの変化の具合を嘆きます。

 不思議なことに、記憶は抜群であって、数学や地理歴史の点数のいい子が善いことをするのに勇気がない。善いことは進んでして、悪いことはやらない、というのが基本的な人間の条件だが、その大事なことを空白にして、実は、記憶ばかり植えつけられてきた教育の欠陥だろう。不思議に町で見かける子供らが、何か咄嗟にことが起きてもさっと手をさしのべたり、悪に向かって力を発揮する景色を見たことがない。どっちつかずの勇気のない傍観者として、大人のようなしょぼついた顔で、倒れた老人を見ている子を目撃したことがあった―(中略)今日の文明爛熟の東京で、無数の視聴覚教材や、参考書と教師に取り囲まれながら、親から管理されている子が、人間であることの基本的な、善いことは進んでやり、悪いことはやらないという生活の第一条件を、空白にしていないか。つまり、人間が自立するということは、この一つのことを知ったことからはじまらねばならない。(前記書 p206~207 下線・背景色は南淵) 

 
 こういう引用をしてアドバイスを重ねるのは「年寄りの冷や水だ」という考えがあるかもしれません。しかし、「年齢を重ねている」ということは、「どういうことがあって、どういうふうに環境が変わって」等という変化の具合や推移も年齢とともに数多く経験しています。分かっていることが多いわけです。もちろん、しっかり経験をわがものとしていることが前提ですが。
 ふつうアドバイスされている側は、「自分が物心つく頃から年配者が推移を見守った、その環境の中」で、「その環境を当たり前として育っている(その環境しか知らない)」のですから、変化や推移は、まだ分かりようがありません。比較ができません。ものごとは比較ができてこそ、選択が可能になります

 そういう現実をよく認識して事にあたれば、自分の「懐と頭」に先輩のアドバイスを入れて判断の材料や指針にすることができます。それが「賢人」の生き方だと思います。
 傍線部(傍線は南淵)のような、「『人間であることの基本的な善悪』がわからない、『善いことは進んでやり、悪いことはやらないという(人間としての・南淵 注)生活の第一条件』がわからない、件の教員夫婦のような保護者も出てきていることを考えれば、水上勉の言葉を借りれば、「人間はこの一つのこと(善悪)を知ったところから始まるのに、それさえ判断できなければ、人間としての自立にさえ至らない」。つまり、子どもを育て指導するべく、最低限の条件さえ整っていないと云うことです。現状、その気味はありませんか?
 水上勉がこの本を書いたのは、先述のように1980年前後です。「人間としての自立に至らない指導やしつけの不備は教員がカバーしなければならない」のに、その不備が肝心の教員にまで浸透してきた、それが今日の現実です
 水上勉はこの後、子どものしつけについて、次のように書いています。
 
 体験から血にならないことには子供も大人も、あてになるものではない。子どもは一度ぐらいは盗みをやって非を悟る。ガラスを割ってみて、ガラスの前は静かに歩くようになるものだが、いまの親たちは、のっけからガラスは割れると知識で教えて、わきを通るときは静かに歩けと監視している。何のために静かに歩かねばならぬか。ガラスを割ってみたことのない子には分からないだろう。(前記書 p207~208 下線は南淵)
 
 「体験から血にならないことは子どもも大人も、あてになるものではない」という下線部は、もちろん「血を流す」という意味ではありません。先週のメイヤー(マクドナルド)の『鳥殺し』事件を思い起こさせます。「『血にならない』体験や指導の『蔓延』に対する嘆き」です。「血になること!」で行動が変わります。(ちなみに、この年齢は自説のくりかえしになりますが、どうも小学4~5年生くらいがそのリミットのような気がします。)

 この、水上勉の執筆当時は、まだ親たちが「ガラスは割れるから静かに歩け」と教えていました。つまり、「躾」の「痕跡(?)」が「依然として」残っていたということです。1980年代。
 ところが38年たってしまった今、近隣では、先日紹介したように「盗みをしても知らんぷりなさい」、「お金を拾ったら黙ってポケットに入れなさい」という仕業を「実践する(!)」嘆かわしい先生(?)さえ出てきました

 「子どもは一度ぐらい盗みをやって非を悟る」。この文から読みとれることは、当時「とんでもないことをやってしまった」ということを「自ら分かる子」さえいた、それはもちろん親に「手厳しくしかられる」という経験があったからでしょう。
 今は「非を悟る」どころか、『自分が親に叱られたからと厳しく叱りさえしない』さらに「親も同じようなことをして平気で猫をかぶっている」、だから「窃盗の善と悪が分からない」「責任が取れない」という塩梅です。この例も教師です。
 水上勉がこの事実を知ったら「腰を抜かす」のではないでしょうか。再録。
 人間であることの基本的な、善いことは進んでやり、悪いことはやらないという生活の第一条件を、空白にしていないか。つまり、人間が自立するということは、この一つのことを知ったことからはじまらねばならない
 あたりまえが当たり前じゃなくなっている現実。銘戒です。
 「ものの聲 ひとの聲」というタイトルは、いかにも意味深で、今「聞くに聞けないもの、聞こうとしないもの」を表現している。そう思います。