日ごろの授業の中では、学習することの意味やまとまった考えを子どもたちに話すことはなかなかできません。それは立体授業のテキストやスライド指導の際に補います。
京大へ進んだM君にも、一貫したまとまった話を話すことはできませんでしたが、学体力を整えるために、二年間教室でおりにふれ話したことや、機会を見て都度アドバイスしたエピソードがあります。学習する意味、中でも理科に向かう考え方。少し参考にしてくれたかもしれません。一部をまとめて紹介します。
なお、この部分は立体授業の「でっかい筍掘り」の、子どもたちの新しいテキストで前書きになる予定です。(本表紙の写真は彼に読むことを薦めた本の一部です。理科対象ではありません)
「考えること」がおもしろい
立体授業シリーズ「ヨモギからの科学」で、「生物とは何だろうか?」と考えた。「生物」は基本的に3つのはたらきー特徴(とくちょう)を備えている「らしい」ことがわかった左記参照・写真はニュートン「遺伝のしくみ」2009年11月号から)。
1ー物質交代を行うこと
2ー形が安定していること
3ー子孫を残す機能をもっていること
の3つである。
今の文に「らしい」という「形容動詞」を入れた。それはなぜか。わかるだろうか? 「正しく」考えようとすると、 こういう留保(りゅうほ)(下線のことばは国語辞典で意味を調べてみてください)がどうしても必要になってくるのだ。
どうしてだろうか?
わたしたちは現在のところ、「地球上の」生物しか知らない。他の星の生物の存在は知らない。もっと厳密(げんみつ)に言えば、まだ地球上の生物もすべて知っているわけではない。一部しか知らない。
つまり、生物全体を知っているわけではないのに、生物全体に対して、一般的(いっぱんてき)に答えてしまっているのだ。もっとちがった生物が他の星にもいるかもしれない。だから、「生物すべてがわかってはじめて、ほんとうに正しく答えられる」。
この場合、「現在わかっている地球上の生物とはなんだろうか?」という「問い」であれば、「科学的な正しい答え」なのだ。惑星物理学者松井孝典氏の論説(ろんせつ)―「われわれはどこへいくのか?」ちくまプリマ―新書ほか―参考)。
このように、「考える」ということは際限(さいげん)なく、とても奥が深い。ところが、ふだんぼくたちは、「わかったつもり」・「知っているつもり」になって、それ以上注意しなかったり、考えるのをやめたりたりすることがよくある。
ぼくたちは「ほんとうに知っている」だろうか。何事も「よくわかっている」だろうか。
ふり返って考えてみれば、みんなよく知らないことばかりではないだろうか。「知らないこと」や「ほんとうはわからないこと」がたくさんある。
ぼくは最近、「人間とは永遠に答えを探し求めつづける」動物で、それこそ「人間という動物がこの世に存在するようになった大きな理由」だ、と考えるようになった。
地球にはじめて生まれた太古(たいこ)の生命細胞1つから始まり、生きるためにさまざまな工夫や進化と変化をつづけてきた生物。生きることの工夫や戦いは植物も動物も重ねてきたが、「生物が工夫や戦いを重ねてきたこと」を「考えられる」動物は人間だけだ。
どの生物もみんな生きることに一生懸命で、他の生物のことを考えられる余裕(よゆう)がない。脳の進化で、それらを考える特権(とっけん)を手に入れたのは人間だけで、「人間が生まれた意味」も、人間にしかわからない「おもしろさ」もそこに見つかる。
テレビを見ている君たちは、大ブレイクしても一・二年もすれば見向きもされないタレント(芸能人)がたくさんいることに気づいているだろうか。奇妙(きみょう)な声や言いまわし、珍妙(ちんみょう)な姿のアドリブ・一発(いっぱつ)芸(げい)は、最初見たときはおもしろくてしかたがなくても、何回か見ていると飽(あ)きてしまう。全然おもしろくなくなる。
なぜかわかりますか? 何度見ても「深く考えようがないから」だ。その瞬間(しゅんかん)はおもしろくても、「中身がない」・「考えることができない」おもしろさは、いつまでも続くものではない。
「考えない」、「深く考えられないこと」は、すぐ飽きてしまうのだ。(もっとも、そこで、その後の人間模様(もよう)を考えはじめると、それはそれでとてもおもしろいものだが・・・)。
「考えること」をはじめよう
君たちがしている「勉強」も、頭の中に蓄(たくわ)えた「考える材料」が乏(とぼ)しく、「考えるきっかけがなければ」おもしろくならない。まず「ある一定の考えられる材料」を頭にストックしなければならない。「勉強しなくてはならないほんとうの理由」はここにあると、ぼくは思う。
また、「ただ『暗記』と『練習をくり返す』受験勉強だけでは、勉強がおもしろくない」のも、「考える内容が乏(とぼ)しい」からだ。「考えるきっかけ」が少ないからだ。「なり立ちやしくみを究めるという、考える深さ」が足りないからだ。
だからといって受験勉強をしなくても良いと言うことにはならない。受験勉強は、若い君たちが『考えること』をはじめる良いトレーニングの機会でもあるのだ。だから、少しは我慢(がまん)して、その機会をたいせつにしなければならない。
しかし、勉強が「試験のための受験勉強だけで終わってしまう」と、考えることそのものが嫌いになったり、苦手になったりするので、さまざまな方面の「考えること」もはじめてほしい。勉強したい勉強。考えたい考えること。それを見つけて欲しい。「立体授業」をはじめた理由と目的はそこにある。
君たちの「考えはじめるきっかけ」になってほしい。「知らないこと」や「考えればおもしろいこと」だらけの世の中だ。そして、考えるほど「わからないこと」が増えてくる。つまり「考えれば、考えるほどおもしろいことも増えてくること」がわかってほしいのだ。
実際にものを見る機会がない、「ものを見ても何も考えない」。そういう日々が続くだけでは、おもしろいことは始まらない。「ほんとうにおもしろいこと」は「考えること」から始まる。考える習慣がつくと、次から次へと「知りたいこと」「おもしろいこと」が生まれてくる、だからそれは飽きない。飽(あ)きようがない。だが、学ばなければ、何かを一生懸命学び始めなければ、そういうことがわからない。
たとえば、現在の研究では、137億年前ビッグバンによって宇宙が誕生(たんじょう)し、太陽系(地球も)は46億年前に生まれたと考えられている。「宇宙は137億年前に始まって、地球は46億年前に生まれた」ことを知っていても(記憶《きおく》していてもー知識があっても)それほどおもしろくない。少し「偉(えら)そうに知ったかぶり」できるだけだ。それだけでは、「受験やテストのための知識」だ。
しかし、これらの結論も「さまざまなことを研究し、考え始めた」からわかったことだ。宇宙の起源(きげん)や地球の誕生を考え始めた人は、当初雲をつかむような話で、「むちゃくちゃむずかしかった」にちがいない。
しかし、そのむずかしいことを考え始めたから、おもしろさが生まれた。疑問をもち、考える、解釈(かいしゃく)する、理解できる、納得(なっとく)できる、その過程でおもしろさが始まり、おもしろくて我を忘れたはずだ。
つまり、おもしろさは「あること」や「あるもの」をただ知っているだけでははじまらない。「なぜそうなのか」、「どうしてそうなったか」という原因や理由・成り立ちやしくみを考えること、わかること、つきとめることで「おもしろくなる」。
逆に「考えるきっかけがない」、「考えることをつづけない」ところからは「おもしろいこと」がはじまらないし、おもしろさもわからない。残念ながら、そういう人が世の中にはたくさんいる。
だから、何かが「おもしろくなる」には、まず学び、考えることが始まらなければならない。「勉強」がたいせつなのも、ほんとうはこういう理由だ。「考えるきっかけ」をつかみ、君たちには、ぜひ「おもしろいことを究める」日々や一生を送ってもらいたい。
問い1 ちなみに望遠鏡で遠くを見ることは宇宙の誕生を見ることになるのだが、それはどうしてだろう?