寓居人の独言

身の回りのことや日々の出来事の感想そして楽しかった思い出話

思い出話「エアロフロートに乗って4」(20140805)

2014年08月05日 08時21分32秒 | 日記・エッセイ・コラム

 今日は9月3日、このところロンドンは晴天が続いているといって『あなたは運が良い』とホテルの受付の女性が言っていた。それでも朝と夕方は気温が日本より低く上着を着るようであった。ホテルの食堂で朝食を食べて大英博物館に行くことにした。

 ホテルから町中を見物しながらゆっくり歩いて大英博物館へ行った。まるでお上りさんの気分であったが事実だから仕方が無い。

 さて大英博物館に入るとその規模の大きさに驚かされた。

 グーテンベルグの発明した印刷機で印刷した書籍(A3版ほどの大きさだった)が並べられていた。書籍はもちろんガラスケースの中で触ることは出来なかった。触ると紙がぼろぼろと粉になってしまうという話であった。何しろ500年も前の本ですからね。

 次にエジプト文化を展示してあるところへ行った。ここには巨大なエジプトの建造物がずらーっと並べられていた。一瞬エジプトへ来たのかと錯覚してしまった。これほどの遺物を運んできてしまって良いのだろうかと疑問に思った。

 その他文明が初めて築かれた地域や新しく発見された南米の古代遺跡から運ばれたものがこれ見よがしに展示されていた。

 私は疑問になって ”何故これほどまで世界各地域の遺跡からいろんな遺物を集めたのか” と係の方に聞いてみた。彼曰く、

「世界の古代遺跡は盗掘されたり紛争によって破壊されたりします。それを守るには莫大な資金が必要ですね。それを我が国がやり遂げたのです。我が国以外で世界遺産の保存を出来る国はないでしょう」

 彼の自信たっぷりな説明には一応納得させられてしまったが、私の中には納得しがたいものが残っていた。

 その昔、バイキングやスペイン、ポルトガル、フランス、オランダなどと植民地争いをしていた時期に競って集められたという。それが国の強さを示したのかもしれない。

 大英博物館には毎日でも見学に行きたいほどの魅力があった。たった1日だけ見てもその概要すら理解できないと思った。

 売店で大英博物館を紹介する書籍を買ってホテルに戻った。

 


思い出話『エアロフロート機に乗って3』(20140805)

2014年08月04日 23時24分43秒 | 日記・エッセイ・コラム

 前にも書きましたが上空から見るロンドンの夜景は実に美しかった。あたかも真珠とゴールドのネックレスがずらりと縦横に並べられているようであった。
  ヒースロー空港に着くと機内で知り合った龍谷大学の方が同じホテルに行くというので同行させて貰った。空港を出るとあのホイールベースの長い黒色の車が待っていた。それに向かい合って乗ってホテルへ行くことが出来た。この車は彼を迎えに来ていたものらしい。
 翌日同行の彼と別れて私は一人で次のホテルを探しに町へ出た。ピカデリーサーカスの近くのホテルがいろいろな見学場所に近いと教えられたので、その近くの小ぶりなホテルに宿泊することにした。フロントに入ると年配の女性が受付にいた。3泊の予定で宿泊することにして部屋に入った。ローカの至る所に猫がいて猫をあまり好まない私は少し後悔した。
  その日はバッキンガム宮殿へ行くことにした。宮殿の門の前には衛兵が立っており一定時間ごとに別の衛兵と交代した。その際の儀式が格好良く多くの人が見に来ていた。中には衛兵と並んで写真を撮る観光客もいた。しかし衛兵は周囲で何があっても微動だにせずに立っていた。
 その後、ロンドンタワー博物館を見に行った。内部は兵器庫のようにいろんな古式豊かな武器がずらりと展示してあった。それから沢山の宝石をちりばめた王冠やいろんな飾り物がたくさん並んでいた。
 夕食はスナック食堂のようなところで食べてみた。味は何とも言えないくらいひどいものであった。それでフレンチフライを頼んでみた。これが大きな皿に山のようにもられて出てきた。それをテイクアウトにして貰い、繁華街の夜店の果物屋で果物を買ってホテルに帰った。明日は大英博物館に行こうと思う。


思い出話「エアロフロート機に乗って2」(20140804)

2014年08月04日 17時47分32秒 | 日記・エッセイ・コラム

  ロンドンへ着いて数日を過ごした後、列車・連絡船(ドーバーからフランス・カレー間)・列車でパリへ行き滞在しいないで直ぐに乗り換えてインターラーケン経由でウイーンへ行った。ウィーンについてIAEA(国際原子力機関)の会合に出席した。会議の際に日本からの出席者の間がざわついていた。放医研の御園生所長(故人)に何かあったのですかとお聞きすると ”ソ連のパイロットが戦闘機に乗って函館空港へ亡命してきたので大変なことになっている”という話であった。そこでシェレメチボ空港で写真を写したとき外国人に言われたことを思い出してゾッとした。そのときのソ連製戦闘機をアメリカ軍(と自衛隊)が徹底的に調査してソ連に返却したという話だった。
 帰りもエアロフロート機に搭乗した。機内でソ連のお土産などを売りに来たので、ヨーロッパ各国の通貨を使えるかと聞くと、使えるというので小銭も含めて日本円で3000円ほどもトレーに出した。それでキャビアの缶詰数個と他に何かを買った。しばらくすると若いスチュワーデスがきた。その人はにこやかで愛嬌がありとびきりの美人だった。私は早速カメラを出して写しても良いかと聞くと、彼女は機長の許可を貰ってくるので少し待ってくれと言って前方へ行った。直ぐに戻ってきて私の前でポーズを取ったので数枚写させて貰った。思わず機内から拍手が起きた。こんなところにも国の事情があるのだなーと感心させられた。この旅行の途中の出来事は機会を作って書いていきたいと思う。


思い出話「エアロフロート機に乗って」(20140802)

2014年08月02日 17時08分55秒 | 日記・エッセイ・コラム

 1970年代の話です。ドイツミュンヘンで学会があり、そのついでにヨーロッパを約1ヶ月間見学して回る機会に恵まれたときの話です。大学生協の紹介でモスクワ経由ロンドン行きのソ連のエアロフロート機で行くことになった。機内に入ると座席の間隔が非常に狭く足を伸ばすことが出来ないほどであった。トレー台を手前に倒すとお腹がつかえてしまい思わず姿勢を正してしまった。羽田空港を離陸して新潟上空・ウラジオストック上空を過ぎて果てしなく続くタイガ(寒帯林)を眼下に見てその広大さに感動しました。やがて耕作地帯と思われる所にさしかかり、しばらくすると真っ直ぐな未舗装の道が現れた。

 その道はどこまでも続いていた。その道路上を飛ぶこと約4時間、スチュワーデス(当時はこう呼んでいた)に飛行機の速度を聞くと900Km/時と言うことだった。つまり単純計算で3600Kmの長ーい道だった。やがて大きな川が現れてさしもの道が途切れた。その間太陽はずーっと機の左上空にあり太陽を追っていくように飛んでいたことになる。モスクワ近くになったとき下の方を逆方向へ飛んでいる飛行機と交差した。そのとき乱気流が発生し機は大きくゆれた。やがてシェレメチボ空港についてトランジット(寄港)のために空港近くのホテルで1泊することになった。空港の入国手続きの際に異変が発生した。私の数人前の乗客が本人確認が出来ないようでほぼ1時間ほど入れ替わりたち替わり別の係官が来て本人確認をしていたがどうも別人だったようで短剣のついた鉄砲を持った兵士?にどこかへ連れて行かれてしまった。ようやくゲートを過ぎてバスに乗り小さな川の畔にある新築らしいホテルに着いた。日本人6人(内女性1人)が1室に通された。自己紹介をしあって食堂へ行った。一人の人が食券を忘れてしまったがそのまま席に着いた。やがてホテルの食事とも思えないようなものが出てきた。それでも皆で食べてしまった。しばらくすると食堂内が慌ただしくなって配膳所がカーテンで仕切られたしまった。様子を見ていると後から来た人たちの分の食事が足りなくなってしまったらしい。その後何事もなかったように静かになってしまった。結局一人の方が食事を取れなかった。

 部屋に戻って風呂に入ろうとすると湯どころか水も出ない始末であり少し出てきた水は泥水であった。洗面上も同じ状態で泥水しかでなかった。しばらくして薬を飲みたいという人がいて飲料水!を客室係の部屋へ貰いに行った。しかし直ぐ持って行くと言いながらとうとう持ってこなかった。

 翌朝、食事時間になると直ぐに食堂へ行き硬いライ麦パンとかりかりのベーコンとコーヒーで食事を済ませた。部屋に戻り窓から外を見ると川で数人の人たちが釣をしていた。トランジット客はホテルから1歩も外へ出ることが出来ないので周辺の様子は不明であった。

 バスで空港へ引き返し空港内で出発時刻まで待っていた。窓に近づくと搭乗口の下に儀仗兵が並んでいたので写真を撮ろうと思い近くにいた階級が高いような軍人に手振りで写真を写しても良いかと聞くと、頭を上下に振ったので許可を貰ったと思い写真を撮った。そこへ丁度満艦飾に着飾った大きな黒人が来た。儀仗兵がささげ筒の姿勢を取ったのでまた写真を写した。すると一人の外国人が近寄ってきて『空港で写真なんか写すとシベリヤへ連れて行かれるぞ』と言われぞーっとした。空港、港、橋などは軍事施設となる可能性があり写真撮影は危険だと言うことを初めて知った。

 飛行機に搭乗して眼下に浮かぶ雲や地上のきれいな景色を見ながら20時頃にロンドンへ着いた。上空から見るロンドンは真珠の首飾りのように街灯が縦横に走り幻想の世界のような気がした。このこと一つを見ても国の主義主張の違いによってこんなにも違う世界になるのだと言うことを初めての海外旅行で知ることが出来た。