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SAILIN' SHOES

デジタル一眼、ライカ等でのスナップ写真や、カメラ、音楽、鉄道・車、子育ての日々雑感です。

カルメン・マキ&OZ祭り その1(霞 街子&ムスタング77)

2009-12-16 | バンド・音楽
私も出演している新橋ZZはカルメン・マキ&OZカバーバンドの聖地だ。
なぜならオーナーが、カルメン・マキ&OZの曲を作り、録音やコンサートの
一式を手掛けた加治木剛さん、またの名をダディ竹千代さんその人だからだ。

うちのバンドは11/22にカルメン・マキ&OZ(以下、マキオズ)の曲を中心に演奏した。
ライブハウスやSNSで仲良くさせてもらっている方々が
新しくマキオズバンドを結成して出演するという。
名前を「霞 街子&ムスタング77」という。
ダディさんが命名だ。
70年代の日本のロックを表現しているらしい。
それは見に行かなくては。



ギターはHJさん。
初めてお会いした。
シャープで切れの良いギターだった。




ベースのプー・ロバートさんは革兄弟ではギターとボーカル。
ムスタング77ではMCも担当。
とにかく面白い人で、大好きな人。
すごく器用な人だ。
ちなみにキンキラのパンツは、やはりZZで歌うグレースさんのブティックで
買ったとのこと。
そのキンキラにあわせて、髪の毛も1日だけ金髪に染めて、終わったらすぐに
戻すのだそう。「戻さないと明日、会社で怒られちゃうよう。」と。
そういうところがすごい。





鍵盤のmoAiさんは何と三宅島からの参戦。
このライブの後、海が荒れて、翌朝、船は三宅島ではなく八丈島に漂着したのだった。
あらま。




ドラムは最年長のほうだんさん。
リズムはまったく安定そのもので、しかも重量級。
ほうだんさんのリズムであれば、安心して演奏できるだろう。
絶大なる信頼感があるというのはドラマーの究極の目標だ。
お酒が入った時のパワーも、かなりすごいのだった。
人生がパワフル。




ボーカルの☆destiny☆さん。
革兄弟でもボーカル。

マキオズトリビュートのボーカルはどれだけ存在するのかわからない。
やはりボーカルによってバンドのカラーが変わるだろう。
それも楽しみの一つだ。
destinyさんには確立した独自の世界があり、
とてもハートウォームできれいな声質だ。




















































この日は、うちのバンドのボーカルさくらさん、親衛隊ネオさんと一緒に観戦。
用意した「飛びモン」をぶちかましておいた。


新生「霞 街子&ムスタング77」も加わって、
新橋はマキオズが熱い。
(だってやっぱりオジサンの町ですから。)


SONY α900、AF17-35mm/F2.8-4.0(D)

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育った家を探す。

2009-12-14 | スナップ
以前にも書いたのだが、中学から20代まで千葉県流山市に住んでいた。
私の職場から流山まではTXで20分ちょっとで到達する近さだ。
その130km運転を堪能したくもあり、ある日、会社の帰りにTXに乗ってしまった。
TXは130km運転でもスムーズで、豪快な高速走行には思えないほどなのだが、
それでも車窓の風景は飛ぶように後ろへ飛んでいく。
ほどなく「流山おおたかの森」に着いてしまった。
ここは東武野田線の乗り換え新駅である。
ついでに、自分が育った町へ行ってみることにした。
おおたかの森の次の駅だ。
いったい何年ぶりだろう?
15年は行っていないかもしれない。




おおたかの森SCは森に囲まれた場所に忽然とできたのだが、
周りにはだんだんとマンションやビルが立ち始めた。
ここには本物のオオタカが住むのだが、
そんな開発を嫌って、どこかに去ってしまうとすればあまりにも寂しい。




野田線は今は8000系オンリーだ。
釣り掛け式の3000系や5050系の独壇場であったのだが、
さすがに全て引退してしまった。
台車のバラエティーが楽しかった。
それこそ、全ての車両の台車が違っていたと言っても過言ではなかったのだ。
ボールドウィン、ゲルリッツなどの台車もあり、それはそれは楽しかった。

さて8000系は車内もくすんで随分と疲れた車両になってしまっているが、
実は乗り心地は今でも最高だ。
ミンデン式空気バネ台車、発電ブレーキ無し空気ブレーキのみなので停車が
静かだ。(かなり簡素なのだが)
そしてレジンシューの独特な匂いが8000系であることをわからせてくれる。




久しぶりに降りた駅は、さほど変わっていなかったが、何かが違う。
駅前の配置はほとんど変わっていない。
むかしの本屋もスーパーもそのままあった。
それでもなぜか違うのは、埃っぽさが無いせいだ。
日本のどこでもそうだろう。
むかしは風が吹けば砂や埃や葉が舞っていたはずだ。
今はおしなべて道路の路面がきれいだ。

駅から家へ向う。
懐かしい店舗はあまり変わっていなかった。
懐かしい床屋もまだあった。
少しだけマンションが建っているが、
その他はほとんど変化が無いように思えた。
それでもやはり路面はきれいだ。


自宅の前に来た。
どの家も新しく建て替えられていた。
自分の家がどこに建っていたのか判らなかった。
それでも家の前の道路はそのままだ。
確かにこの道を毎日歩いていたのだ。




中学生のときも写真はたくさん撮っていた。
モノクロとカラーが半々だったろうか。
モノクロはお店の人が自分で焼いていたのだ。
だから、いろいろな店で試していた。
写真の店は我が家のすぐ近くだったが、
チョビヒゲを生やしたおじさんぽいお兄さんが居た。
その頃の店は入ると途端に強烈な酢酸カーミンの匂いが襲い掛かるのだが、
それを我慢して、そのチョビヒゲおじさんぽいお兄さんに現像や焼き増しを
頼む。
時々失敗もあるのだが、言えば必ずやり直してくれた。
そのお店がなんとまだ存在していた。
あのおじさんぽいお兄さんは、まだ居るのだろうか?
もう時間は22時頃だったので、とっくに店は閉まっていた。




自分の通った中学校に行ってみた。
その当時は、体育館を除いて、すべて木造だった。
床もすべて板張りだったし、ときどき穴も空いていた。
僕は高校受験の前の日に、廊下で走り回っていて、その穴に足を取られ、
強烈な捻挫をしてしまったのだ。
落ち着きが無い!と担任から往復ビンタをされた。
受験当日、杖とお袋の肩に抱かれて試験会場にようやく到着した。
試験の合間の休憩時間に会場のドアが盛大に開かれて、ビンタした担任が
ドカドカと大股で歩いてきた。
「頑張ってるか!」
それだけ言って去って行った。
その担任は学校にギターを置いていた。
喧嘩や問題が起こると急遽ホームルームになる。
先生は生徒たちを収拾させる名人だった。
収拾後にはギターが登場した。
がなりながら岡林信康を歌う。
みんななぜだか最後には涙を流して、一緒に岡林を歌う。
僕はその頃、ブリティッシュハードロックやJAZZを聞いていた。
「フォークなんて湿っぽいもの歌ってられねえや。ツェッペリンなら歌っても
いいけど。」
そう思っていた。
でも、今でも岡林信康は歌える。


SONY α900、AF17-35mm/F2.8-4.0(D)


追記:
昨晩、新橋ZZへライブを見に行った。
私たちと同じく、カルメン・マキ&OZのトリビュートバンドが出演して
素晴らしい演奏を聞かせてくれた。
初めて見たのだった。

今日、ベーシストさんとメールのやりとりで判明したのだが、
同じ中学校の出身だった。
上の写真の中学校だったのだ。
それが東京の私立中学なら有りそうな話しだ。
「へえ暁星中学だったんですか。」とか「私も中学から慶應です。」ならわかる。
社会に出て、同じ流山の市立中学だった人に会ったのは
二人目だ。



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京王6000系

2009-12-13 | 鉄道・バス
高尾から新宿へは京王線を使う。
6000系を見たかったのだ。

電車の顔(全面)は個性が出るところだ。
日本の電車の顔は世界の中でも最も繊細で上品で細かいデザインだと思う。
世界各国の個性が出る部分だが、例えばアメリカは無骨で大っぴらな顔、
英国は比較的日本に近い感覚を持っているようで、
フランスはいかにも優美でデザイン化された顔・・・といった具合だ。

さて世界で最も真面目にデザインされた日本の主に私鉄の中でも
京王の5000系、6000系は私が10本の指に入れる顔だ。




調布までの高速110km運転を楽しむ。
京王は狭軌と広軌の中間の準広軌である。
都電や主な路面電車が採用していた軌間を歴史的に採用してきて変化が無い。
110km運転は安定した走行感だ。

調布で一旦下車。
ホームで待つ。
運よく、それほど待たない間に6000系がやってきた。
ただし、その6000系には乗らない。
下高井戸で地面の高さから撮りたいと急に思い、
後続追い越しの快速で6000系を追い越し先回りして、
下高井戸で下車、踏切から撮ろうという算段だ。




下高井戸で下車して調布寄り踏切へ急ぐ。
6000系がやってきた。
ここは実は賭けでもある。
下り電車が来れば踏切遮断機が下りてしまう。
運よく、遮断機は下りなかった。


ただしレンズは50mmしか持っていなかったので、
電車が近すぎて、停車中は全体は入らなかった。
走り始めで全体を狙うことにした。




6000系は本当によくまとまった上品で完成度の高いデザインだ。
この6000系ももうすぐ廃止されてしまう。
京王はATC化されるというのもあるのだろうか。


新宿まで向かい、ブログで知り合った方々とお会いした。



SONY α900、AF50mm/F1.4

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JR201系

2009-12-11 | 鉄道・バス


ホームで電車を待っていたら、たまたま201系がやってきた。
あわててカメラを出したが、気づいてから5秒ほど。
とりあえずシャッターを押した。




この日は新宿で人に会う日だったのだが、
時間がかなりあるので、そのまま201系に乗り続けた。
おそらく最後の乗車になるだろうと思ったのだ。

車掌室の風景。
計器類がたくさん並んでいて大袈裟な雰囲気の201系。
いかにも国鉄な感じだ。
ただし、とても見やすくアナログの良さを感じる。










201系の車内。
田形の窓も本当に見なくなった。
それはそれでよかった。
盛大に風を車内に入れることができた。
しかし現代社会では髪が乱れる、とか息狂しいとか、
勝手に開けるな、とか。
とにかく難しい世の中になってしまった。




私の周りにはいつの間にか10人ほどが集まってきていた。
コンデジ、携帯で201系を撮ろうという人だ。
無くなることは意外にも知られているようだ。





長野方面からはこういうカラーの電車も立川まで入ってくる。
113系、115系といった古い近郊型3枚ドア車もどんどん数を減らしている。





連結のこの部分に酔った客がつかまったまま、ずっと走行するという
事件が報道されたことが何回かある。
その後、連結面に進入できないような防護柵をつけるようになった。
ただし、先頭車同士の連結面には無い。
ここに挟まるようにつかまって100km/hで走行された時の恐怖は相当なものだろう。





高尾で下車し、京王で新宿に戻ることにした。



SONY α900、AF50mm/F1.4

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成田ゆめ牧場 その4

2009-12-10 | 旅行
トロッコゾーンでかなりたくさん遊び、次の場所へ移動。
まずはアスレチックコーナーへ。



「竹でできた竹馬だと簡単なんだけど。」と言いながらスチール&プラスチック製の
竹馬に四苦八苦する。
保育園や小学校では必ず運動会で竹馬をやるのが一般的なので、
今の子供は竹馬が上手。
逆に私が小さい頃は竹馬はやらなかったので、うまく乗れない私。




釣堀へ行く。
子供達とママはここが一番真剣であった。




ママが釣った。
次男が掬う。



みんな真剣な顔だ。

(ママの顔出し、この程度ならOKと初許可が出る。)

結局、全員釣った。
楽しかった。
我が家の行事にきっと釣堀が加わるだろう。



次男の最近のお気に入りは「落語」。
先日、落語を見たのだ。
手振りで飯や蕎麦を食べるシーンが印象的だったらしい。









トラクターにも乗った。
とても親切なおじさんが運転。
トロッコの踏み切りも渡る。




トラクターに乗って何をおもふ。




トラクターから軌道のデルタ線を見る。
デルタ線は方向転換に使われる。
むかしのナローの世界ではまま見られた方法。



結局、夕方までゆめ牧場に居た。
「房総のむら」に行くのは次回に持ち越し。

成田に来る前、Mixiでお世話になっているラスタマン「たまぱぱ」「たままま」さんに
メールしていた。
近くに住んでいるのだ。
ところが偶然、東京へ元クリエーションの竹田和夫のコンサートを見に出かけていた。
すれ違いだった。残念。
「たまぱぱ」さんの日記は楽しい。
写真と音楽とお酒、そして一遍の小説を読むような世界。






最後に園内の喫茶店で身体を暖めて(次男はソフトクリームだが)帰ることにした。


成田ゆめ牧場はお勧めだ。



SONY α900、タムロンA09、AF17-35mm/F2.8-4.0(D)






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成田ゆめ牧場 その3

2009-12-08 | 鉄道・バス
前回の記事で「浜中町営軌道」のことを書いた。
昭和47年5月に廃止。
その時に発行された記念切符がここにある。

特に裏面の文言を読むと、往年の風景が蘇る。

浜中町はその後、「ムツゴロウ動物王国」で一躍有名になった。
東京移転に際しては流山市へ移転の計画があったが、反対運動により、
東京サマーランド内に移転。
そのサマーランドは倒産して、現在はまた浜中町と中標津に戻っている。
私も浜中町を訪問した際、町営軌道の廃線跡を探訪したあと、
ムツゴロウ動物王国にも訪問したことがある。









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成田ゆめ牧場 その2

2009-12-08 | 旅行
昭和の中期、北海道の各地、主に道東には簡易軌道がたくさんあった。
開拓に入った集落と集落をナローゲージの軌道で結び、主には
搾乳した牛乳を運搬していた。(ミルク列車と呼んでいたっけ。)
ついでに人間も乗せていた。
多くは村営や町営であった。
このトロッコゾーンの風景が、そんな時代の北海道を思わせたのだ。



(写真はうちの子供達ではありません。)
森林鉄道や鉱山鉄道で使われていた車両が修復を待っているのだろうか。
こういう無造作な置き方もまた、むかしの風景を思い出させる。




うちの次男坊が昭和40年代の私の少年期とかぶる。
こうやって飽きずにトロッコを眺めていたのだ。




未舗装の道路で列車の通り過ぎるのを待つ。
向こうにはサイロが見える。
ここは浜中町なのか??
(昭和47年まで走っていた浜中町営軌道。廃止の時は記念切符を買った。)




みんなでトロッコ列車に乗った。
畑を見ながら走る。
なんだか涙が出そうなくらいだった。



長男は自転車を借りた。




モトクロスのコースが軌道の内側にあり、思いっきり走れる。
山を越えて、細い棒の上を走り。




トロッコ列車はちゃんとアルミのミルク缶も積んでいる。
今ではレイアウトでしか見れない世界がここにはある。



庫の中には台湾の基隆炭鉱から来たSLが動態保存されており、
年に何回か実際に走るのだ。
次に来る時には、走るSLを見たい。


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成田ゆめ牧場 その1

2009-12-07 | 旅行
このところ週末は行事が多く、サッカーの試合等もあり、遠くに出掛けることが
できなかった。
我が家は遠出が好きなので、急遽、千葉方面へ出かけることにした。
急に決めた場所は「成田ゆめ牧場」。
名前はよく聞いていたのだが、行ったことがない。
合わせて「房総のむら」にも行こうということになった。


成田周辺は、山や森や林も多い魅力的な地区だ。
飛行機で成田空港へ降りる際に見える風景でうかがい知ることができるが、
房総半島はかなりの面積を人が行くことのできる山林になっているのが良い。
成田ゆめ牧場もそんな山里の風景の中にあった。



予想していたよりは広く、綺麗で清潔な施設だった。
マザー牧場の小型版という風情だが、遊ぶにはちょうど良い広さで、
歩きつかれるほどではないのが良い。
結論から言えば、子供が居ればかなりのお勧めだ。




さっそく放し飼いの羊やヤギと遊ぶのだが、どちらかといえば、
次男は遊ばれていた。
エサを持った次男は追い詰められていた。




「ああ、怖かったあ~。」
時代だ。園内のあちらこちらに手洗い場と消毒液が配置されている。




いろいろな動物と遊ぶことができるし、犬連れのためにドッグランがあったり、
乗り物では犬と同伴の優先時間が設定されていたりもする。
なかなか気が利いているのだ。




でも私が最も感動したのは、ここから先のゾーン。
「トロッコ列車」の走る一角は私にとっては夢の世界だった。

ちなみに写真に写っているご夫婦は、営林署用の機関車を作っていた大手の
酒井重工業にお勤めだったとのことで、自分が携わっていた機関車そのものが
ここに走っているのを懐かしんでやってきたとのこと。
奥様のほうも私に機関車の話しをする。
旦那さまの仕事に誇りを持っていたんだなあ、とお見受けしたと同時に、
むかしの夫婦像を見たようで、嬉しかった。



さっそく酒井重工業の本物の機関車がやってきた。
これは立山砂防工事専用軌道からやってきたディーゼル機関車だ。

左後方にいらっしゃる英国人は、世界中の保存鉄道を回っている方だそうだ。
分厚い手帳に、細かい観察記録らしきものを書いていた。




なんという懐かしい風景だ。
この風景を見るだけでもここに来る価値はある。
このゾーンは羅須地人鉄道協会(らすちじん てつどうきょうかい RASS)が
運営をしている。
鉄道愛好家の集団で、宮沢賢治が主宰した農民芸術活動団体『羅須地人協会』の名前を拝借しているのだ。
その宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」の情景ともイメージがかぶる。
小さい頃にどこかで見た、そんな風景だ。



踏切があっても、わざわざその横のレールを跨ぐ。
子供の自然な行動だ。
今はなかなかそんなことが許されない時代だ。
(江ノ電ではできたりするが。)

向こうを歩いているのは、今回初登場のママと長男。



向こうに見えるのはトロッコ列車の乗り場だ。
ママと長男は、乗り場方面の視察だ。
私と次男はしばらく2フィート(610mm)軌道と戯れる。



この風景、まさしく北海道の拓殖軌道の風景だ。


SONY α900、タムロンA09

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紅葉

2009-12-04 | ネイチャー
毎年この季節に京都へ行っている。
ちょうど紅葉ですごい賑わいの頃だ。
今年はいろいろ忙しく、京都へ行くことは無かった。
京都へ行くと必然的に紅葉の写真を撮ることになる。
美しい紅葉をあちらこちらで見ることが出来る。
そうなると、もう東京で紅葉の写真を撮る気は失せる。
もうお腹いっぱいになるのだ。

会社では仕事でビデオを使うために自分の三脚を置いている。
年内は使う予定がないので久しぶりに持って帰ることにした。
自宅に到着するすこし前に、急に途中下車した。
せっかく三脚を持っている。
夜も遅いが、まあとにかく一枚ぐらいはどこかで紅葉を撮っておこうと
思ったのだ。
私の場合はデジタルになってから三脚を使うことは無い。
α900でも当然、三脚を使ったことはないので、たまには使ってやろうと
歩き始めた。



以前、昼間に撮ったことのある銀杏の木にたどり着いた。
もう葉はかなり落ちていた。
そして夜はかなり暗い。
でも三脚を立ててみた。
ファインダーを覗いても暗くて、木のてっぺんがどこにあるのかさえも
判らない。
それでもせっかく立てた三脚を何もしないで仕舞うのはもったいないので
シャッターを押した。
シャッターが閉じるまでに2分以上、内部処理に同じ時間。




2分という時間の中で、動いていないように見える雲が動いている。




三脚で遊ぶのも面白いと思った。

でもやはり紅葉は昼間に撮りたいものだ。




紅葉ではないが、違う日の夜に撮った池の写真。
適当な場所にカメラを置いて、シャッターを押した。


SONY α900、タムロンA09
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次男のデビュー戦

2009-12-02 | サッカー・陸上
バンドのライブの日は長男のサッカーの試合と次男のサッカーデビュー戦があった。
リハーサルの時間ギリギリまで次男のサッカーの試合を見に行った。

次男がサッカーを始めたのは半年ぐらい前だったろうか。
平日の夜に隣町の小学校のサッカークラブの未就学生のクラスで練習している。
長男のクラブには未就学生のクラスが無いので、隣町に通っているのだが、
残念ながら平日なので私は見たことがない。
ママからはけっこう上手だと聞かされている。
なので、デビュー戦が私が次男の真剣なサッカーを見る初めての日になったのだ。

場所は夢の島(新木場)の対面にある「江東区夢の島競技場」だ。
たくさんの未就学児童(U6)が集まった。



大きな競技場だった。
本物の大人のサッカー等の試合も行なわれるスタジアムだ。




うちのママは長男の試合の係りになっているので、遅れて来る予定。
私は知り合いのママと一緒に。

参加者の多くは6歳児(年長さん)で、次男は5歳(年中さん)なので、
ひときわ小さい。
この辺の1歳は大きく違う。



ピッチへ移動。
さすがに7つの小さなコートに区切って使う。
1試合は10分。(かわいい)
1チームで3試合行なう。
キーパーの設定は無し。
トーナメント制ではない。



まずは準備体操。
規模の大きなクラブも来ている。
コーチ陣が意外にすごかったりする。



第一試合の始まり。
次男の背番号は7番。
やはりひと際小さい。
他は年長さんだ。

まだ見ぬ次男のプレーは如何に。






ここからは親ばかモードなので注意!!


次男のサッカー試合での動きを始めて見た。
動きが他の子と違うのだ。
小さな子はボールに群がるので、たいがいは団子状態。
一塊になるのだ。
長男だって、最初はそうだった。
でも次男は次にどこにボールが出るのか予想してるような動きだ。
まるでラグビーのスクラムを見ているようだ。




団子状態からちょっとボールが出たら、スッと忍び寄り、ささっとドリブルで
ゴールへ持ち込む。

実は5歳児レベルでは、まだ相手のゴールがどちらだか判らなくなり、
オウンゴールしてしまう子も居る年次だ。



立ち位置がすごくいい。
ボールの行く方向の予想が出来ている。



極めつけはこのシーン。
(親ばか増長中!!!)

キーパーの設定が無いのだが、相手が攻めて来ると、自分のゴール前に
先回りする。
相手のシュートをことごとく阻止する。
手を使っちゃいけないことは重々承知で、思い切り横へ蹴り返すのだ。
何点分も阻止していたので彼自身も快感だろう。



相手ゴール前で団子状態から1点先取した。
小さい子供の試合だがスタンドの親の応援はすごい状態。
エキサイティングな母親の声があちこちから飛ぶ。
ゴールしてからの自陣への戻りも全速で戻る次男。
やはり、まだ理解できていなくて戻らない子も居たりする。



攻められると、いつの間にかゴールを守る。
判断が早い。
さすがに小学生に鍛えられている。



勿論、守るだけでなく、積極的に取りにいく。
もしくはプレッシャーをかける。
大きな年長さんにもお構いなしに行く。



(親ばか炸裂中!!!)

足さばきがすごく上手い。
重心がうまく移動できている。
ドリブルが本当にうまい。



団子に参加せず、ゴールと団子の間の絶妙な場所に居る。
まるで空中から俯瞰しながら試合をしているようだ。
(ついに親ばか噴火か。)




ドリブルで先頭を突っ走る。
相手はキーパー不在。
この時は豪快にシュートするが、2cmずれた。



右端でパスを待つ。
いやあ、本当に読みがイイ。
予想より上手かった。

確かに土曜日などは長男のサッカークラブの2年生や3年生に混じって、一緒に
試合ごっこをしている。
大きなお兄ちゃんの中で自分がどうやったらボールを奪えるか研究してるだろう。
そんな中でも何点もシュートを決めるので、3年生からは「また出た。奇跡の
シュート」とか言われている。
もまれることを喜びとするタイプなので、伸びるかもしれない。

という、すごい親ばか状態での第一試合実況中継でした。

第一試合が終わった頃、ママが到着。(長男は友人宅へ)
私はバンドのライブ会場に向った。

第二試合、第三試合もすごく頑張った次男だそうだが、
帰宅後に発熱。
頑張りすぎたんだなあ。と思っていたら、実は新型インフルエンザだった。

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