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悲しみは駈け足でやってくる というフォーク調の歌がヒットしたことがあった。のちの「ヒデとロザンナ」の前身「ユキとヒデ」のユキであったアン真理子が作詞して歌っていた。
わたしは「明日という字は明るい日と書くのね」という歌詞に衝撃を受けた。そんな見方ができるのかとまさに目からウロコが落ちた。なにに対しても硬直した視点を変えて見ることの大切さを学んだ。
後にわたしが所属した事務所の社長がこの歌と三条アンナの「第一章・涙」 の制作に関わったことをよく自慢していた。それでわたしは続編の「第二章・祈り」 もわたしの敬愛するサトウ・ハチローの詞だったので尋ねるとその曲にも関わったそうだった。
とにかく名作悲しみは駈け足でやってくる に関わったことは確かに自慢するに値することだと思ったものである。「明るいという字は日に月と書くのね。」「日月(ヒツク)の神は明るい神なのね。」
fumio
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「およげ!たいやきくん」という子供番組『ひらけ!ポンキッキ』の歌が爆発的にヒットして一世を風靡したことがあった。それは子供ではなくサラリーマンなど大人の生活の哀感を描く名曲だった。
それまで仮面ライダーの主題歌やコマーシャルソングアニメソングでよく聴いた声の歌手
子門真人(しもん まさと) が歌っていた。当時流行っていたアフロヘアで歌うかれの姿はなぜか歌に似合っていた。どれほどヒットしても一曲5万円の請負仕事だから印税が入らずレコード会社が儲かっただけであったことも歌の内容にふさわしいような気がした。
わたしが所属した事務所の社長は藤川 正治氏(子門真人)と親交が深かったらしく、かれが一緒に働いてくれるといいのにと何度もくり返していた。
しかし、1993年頃かれは「人間嫌いになった」と引退宣言を行った。
「およげ!たいやきくん」そのままに広い海に逃げて行ったのだろうか。
fumio
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このところわたしはよく新谷のり子 のフランシーヌの場合 という歌を口ずさんでいる。それは、1969年3月30日にパリで反戦のため焼身自殺して抗議したフランス女性・フランシーヌ・ルコント (Francine Lecomte)を悼む歌だった。
現在の米軍基地移転先問題の端緒となったのは1951年(昭和26年)9月8日のサンフランシスコ平和条約締結時、主席全権委員吉田茂が、「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約」すなわち「旧日米安全保障条約」に署名したことである。この条約によって日本を占領していた連合国軍のひとつであるアメリカ軍は、「在日米軍」となり、継続して日本に駐留する事が可能となったのだ。
そして1960年(昭和35年)岸信介内閣の時、大統領ドワイト・D・アイゼンハワーが訪日し、6月19日に、それまでの単にアメリカ軍に基地を提供するための旧条約から日米共同防衛を義務づけた新条約へと改正して調印された。
フランシーヌの場合 はその年起きた60年安保闘争と呼ばれる反対運動において、東京大学文学部日本史学研究室学生樺(かんば)美智子さんが圧死した1960年6月15日に因んだ6月15日反安保の日に発売されて大ヒットを記録したのである。
fumio
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