monologue
夜明けに向けて
 



 北品川第三病院からリハビリテーションのために11月に転院した国立療養所武蔵村山病院、脊椎損傷病棟は怨嗟と悲嘆の坩堝(るつぼ)だった。そこの入院患者たちはそれぞれ大変な人生に直面していた。若者は将来の夢や希望がこわれ、社会人はこれまでの収入の道が途絶えて頼みの妻からは見放されて離婚され、自分がどうしてこんな目に遭うのかとやけになって、みんな一度は自殺を考えて自殺しようと思うのだが自殺に成功する者は少なくやがて体がまともに動かない状態では自分では自殺できないことに気づいて生きる道を選択することになるのだった。わたしはそれまでそんな世界に生きる人々があることを知らずに生きていた。わたしは今回の生で知識としてではなく一度はその世界を実際に経験しておくべきだったらしい。

 バイクの事故、ラグビーのタックル、運動会での衝突、左官の作業台からの落下、階段からの滑り落ち、アメリカの大学での浅いプールへの飛び込み、などなど様々な原因で頸椎から腰までの脊椎を損傷した人々が比喩ではなく物理的に一生立ち上がることができない悲嘆を胸にいつ終わるともないリハビリに取り組んでいた。みんな自分の事故については饒舌だったがけっして自分の関わったバイク事故のことを話さない美青年もいた。噂によるとその事故で親友が亡くなったらしかった。

 わたしははじめその中にあまりうまくとけこめないままただリハビリテーションに打ち込んだ。ある日曜、食堂のテレビでNHK杯将棋トーナメントを見ていると「将棋やるのかい」と50がらみの苦み走った男性が車椅子で近付いてきた。
fumio



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