monologue
夜明けに向けて
 




「カリフォルニアサンシャイン」その9
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授業で自己紹介の時自分の星座を言わなければならないのでアクエリアス と言った。蟹座はキャンサーと教わった。ホームステイの話題が出た時、ユダヤの家庭だけには入りたくないという人が多かった。ユダヤの家に入るとこき使われるぞ、という。ユダヤについての知識はそういえばシェークスピアの「ベニスの商人」の強欲な商人がユダヤ人だったな、とか「アンネの日記」に代表される第二次世界大戦中のホロコーストの被害者ということぐらいだった。入りたくないといってもだれがユダヤ人かという見分け方も知らないし、わたしは漠然とそんなものかと思っていた。

 毎朝、6時頃起きて、裏のハリウッドサインを見上げると、たまになにか飛行機のようでそうでないような飛行体が上昇していった。この裏あたりがUFOの基地になっているのかも…、と思ったりした。黒かった壁に白いペンキを塗っていると奥さんがハズバンドはキャンサーという。初めは授業で習った蟹座のことかと思った。しかしそれは癌のことだった。かかっているのではなくUCLAの癌科の医師だったのだ。大変な職業だと思った。
可愛い息子がふたりいて食事中、叫び声が絶えなかった。夜、わたしが疲れて椅子にもたれて眠っていると足に小便してゆく。それに気づいた奥さんが「オー・マイ・ロード」と嘆声をあげる。いつもなにかあると「オー・マイ・ロード」だった。テレビや街では「オー・マイ・ゴッド」を聞くことが多かったので不思議だった。訊いてみると「うちはジューイッシュなので、『オー・マイ・ロード』というのよ」という。それでこの家はユダヤ人家庭なのだ、と初めてわかった。医師夫婦は仲が良くて子供達との喧噪の夕食後、わたしにギターの弾き語りを所望する。最近の曲がいいか、と訊くと「ラヴ・ミー・テンダー」がいい、という。それでギターを抱えて歌い始めると、抱き合って踊りだした。西洋人の年はわかりにくいがまだ30代前半で恋人気分が残っているらしかった。そしてある日奥さんが日本の歌も聴かせてよ、という。それで日本のカラオケのレコードをバックにしてわたしが歌ったカセットテープをかけた。ふーん、これが日本の音楽、とやはりあまり反応はかんばしくなかったがカスバの女 に大きく反応した。「これはジューイッシュ・メロデイよ。聴いたことがあるわ、どうして日本にユダヤの歌があるの」と訊く。わたしは返事のしようがなかった。ただなぜか最後の「外人部隊の白い服」という歌詞で映像が浮かんできて胸が迫る思いがするので選んで歌ってみただけだったから。この曲のもつ切ないともエキゾチックともやるせないともなんとも表現のしにくい雰囲気はジューイッシュ・メロデイだからなのか、と思った。
fumio


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