monologue
夜明けに向けて
 




一七、 黄泉の裁きを侵すことなかれ
    黄泉の壺を手にすることなかれ
    英知は黄泉にも等しく与えられ
    神の御業に等しく映り その対を
    成す様に 定められたからである

一八、 神の名を呼ぶとき 等しく黄泉をも
    影が呼んでいると 常に
    心に止めおく様に
    天秤の左右 どちらかが重くなった時に
    真に求めている者の名を
    知るということを覚えておく様に

「光の黙示録」より

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    こうして毎日、同じ詩句を見ているとだんだん文章の構造や文字使いによって
作者の意図が透けて見えてくる。まず感じることは「等しく」を三回使用して黄泉と現世の等しさを伝えようとしていること。そして「様に」も三回と意外に多い、これは様(さま)に、とこの宇宙の姿形を感じさせようとしてのこと。
もっとも苦心したのは初めの二行と思われる。
「黄泉の裁きを侵すことなかれ
    黄泉の壺を手にすることなかれ」とあるが、
これは「黄泉の裁きを侵すべからず
    黄泉の壺を手にするべからず」でもいいが口調が気にいらないなら
「黄泉の裁きを侵すなかれ
    黄泉の壺を手にするなかれ」でも意味は通じる。
しかし、それでは伝えようとしたことが伝わらないきらいがある。

決定稿「黄泉の裁きを侵すことなかれ
    黄泉の壺を手にすることなかれ」には最重要な「こと」が入ってその存在を主張している。
「ことなかれ」とは「ひふみ」の数霊(かぞたま)の秘法「九十中零」なのである。
以前、九理 という記事で紹介した意識数学者、佐藤敏夫氏のホームページ神の数学・佐藤 を参照されればその意味が解ける。
fumio

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