monologue
夜明けに向けて
 



<夏休み料理講座第五回>
  献立「したきりすずめ」
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 これは『宇治拾遺物語』の「雀報恩の事」の二人の老婦人の話しで雀を助ける婦人のひょうたんからは米がたくさん出て怪我をさせる婦人のひょうたんからは蜂、むかで、とかげ、蛇などが出てきて刺され、死ぬという説話が元になったというのだがまず、以下にその「したきりすずめ」のあらすじを載せておく。
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 ある老夫婦の夫が山で、柴刈りをして弁当を食べようとすると雀がすでに食べて寝ていた。おじいさんは雀に「ちょん」と名づけてかわいがる。
 「おじいさんが家に「ちょん」をおいて山へでかけたとき、おばあさんは洗濯のりを「ちょん」に番させて洗濯に行く。帰るとのりが舐められてなくなっていたので、かの女は「ちょん」の舌を切り、追い出した。
おじいさんは「ちょん」を探しに出る。川で牛洗いにたずねると「牛の洗い水を七杯のまないと教えない。」と言われ飲む。そして馬洗いに「馬の洗い水を七杯のまないと教えない。」と言われ飲むと「竹やぶに行けば、雀の宿がある。」と教えられ竹やぶでついに「ちょん」に出会う。おみやげに大きな葛籠(つづら)か小さな葛籠(つづら)か、どちらかを「ちょん」に選ばせられ小さいほうを選んで帰宅して葛籠(つづら)を空けると宝が詰まっていた。
おばあさんはそれを聞いて大きい葛籠(つづら)を貰うために出かける。途中出会った牛洗いのいうことも馬洗いのいうこともせず竹やぶに入って「ちょん」に会う。おみやげには大きな葛籠(つづら)を選び帰りの道中で葛籠(つづら)をあけると、蛇や百足や化け物が出てくる。
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 まず老夫婦には特定の名前はなく「おじいさん、おばあさん」であるのに対して主人公の雀に名前がついているのが面白い。「花咲爺」の愛犬も不特定の犬ではなく「ボチ」という名前があった。もちろんそれは意味があるからに違いない。この雀の名前は「ちょん」である。なぜか「ボチ」と似ている。金銀財宝や化け物をコントロールする力を持つことなどをみてもこれは神の仮の姿としか思えない。その神の名前が「ちょん」だったのだ。老人は「ちょん」の神探しの旅に出る。それは艱難辛苦を乗り越えて進むわたしたち人類の姿のようだ。
雀が舐めた「のり」とはなにか。他のバージョンでは障子の「糊」の場合もあるようにそれは「のり」と読めなければならなかった。結論をいえばそれは「法」であった。おばあさんは法を「ちょん」に番させて洗濯に出かけた。すなわち「ちょん」は法の番人になって国を治めたのだ。しかしかの女はそれが気に入らず「ちょん」の舌を切り、追い出した。食べたことに腹を立てたのならくちばしを壊すはずだが舌を切ったのは政治への発言を封じたということ。
「雀」とはなにか。「素主目」であったり主皇(スメ)であり、「雀」をそのまま解字すれば「少」と「隹」で少名彦名の「フルトリ」である。フルは出雲族の後継者、饒速日(ニギハヤヒ)の幼名であるからやはり時の権力集団日向族が饒速日の影響を排除した裏の歴史が浮かび上がってきた。為政者に正しい法による支配を奨める勧善説話のようだ。
fumio

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