monologue
夜明けに向けて
 




阿鼻の冠を受けた者よ 聞くが良い
お前の待ち望んでいた力は 狭い井戸には無い
黄泉のかまどにも無い
日々 お前の足下に虐げられて 涙を落としている
お前の言う「忌むべき者達」の中にある

「光の黙示録」より


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 「阿鼻」は普通「叫喚」をつけて「阿鼻叫喚」で地獄のような苦しみに堪えきれず、わめき叫ぶこと」だが「阿鼻」だけの意味は救いの無い意の梵語の音訳で絶え間なしに苦しむことともいわれる。そんな冠を受けた者とは、なにかに苦しむ人を指している。「狭い井戸」で思い出すのは大神(おおみわ)神社の摂社、狭井神社(さいじんじゃ)である。ここには拝殿の左後ろにいろいろな病気が治る薬水が湧き出る井戸、狭井がある。
「黄泉のかまど」の「かまど」を漢字 にすると「竃」である。大修館の漢和辞典によると「竃」は「1かまど、へっつい、かまどの神またその祭り。
旧暦十二月二十三日に上天の上帝にその家のことを告げ除夜に降りるといわれ家ごとに送迎の祭りを行う、竃君。」とある。
竃君(そうくん)は中国の道教の竃(かまど)の神で1年ごとに玉皇にそれぞれの家の行いを報告する神。 「竃」はソウと読みこの字をよく見ると玄亀によく似ている。玄亀といえば黄泉大神となったイザナミで「黄泉のかまど」にはイザナミがかまどでなにかを煮炊きしているようなイメージがあるがかの女は伊邪那岐命が迎えに来たとき黄泉の国の食べ物を食べたから帰れないと拒否した。そしてイザナギが地上に戻って「上つ瀬は瀬速し、下つ瀬は瀬弱し」と言い、中の瀬に下りて禊祓いをして八十禍津日神(瀬織津姫)が誕生した。この瀬織(ソウ)津姫が「竃(ソウ)神」イザナミの新たに生まれ変わった姿であった。つまり「黄泉のかまど」とはイザナミということになる。
「お前の待ち望んでいた力」とは「狭い井戸」が大神(おおみわ)神社の摂社、狭井神社(さいじんじゃ)の薬水が湧き出る井戸、狭井であれば狭井神すなわちニギハヤヒの病を癒す霊力。そして「黄泉のかまど」はイザナミで、さまざまな名前に隠れてわたしたちを苦難から守ろうとするイザナミの母なる力ということになる。そういう力を否定してその力は「忌むべき者達」の中にある、というのだ。
 その「忌むべき者達」とは「己の心」。それは、日々 お前の足下に虐げられて 涙を落としている、という。
  結論としては「阿鼻の冠を受けた者」はその辛さを逃れようと狭井の薬水に頼ったり弁天や姫神、瀬織津姫と名前を替えるイザナミに詣ったりするが、苦難にうち勝つ力は己自身の心にある。艱難辛苦にあっても神仏や他者にばかり頼らず己自身にかえり自立せよというメッセージであった。
fumio






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コメント
 
 
 
解けました。 (ariona)
2008-09-13 23:22:11
「阿鼻の冠を受けた者」苦のなかにあるMONO 苦はクサカンムリをつけたフル=ニギハヤヒ そして九のなかにある大物主 ですね。クサカンムリ 日下の冠、ニギハヤヒの降りた場所。
大神神社には、ニギハヤヒの形跡は消され、撫で兎として宇佐の気を逆撫でされてます。
すぐ近くに、神武天皇を祭る神社があり、かろうじて天の羽羽矢の存在を解く鳥の姿が残されているだけ。苦しいでしょうね、9841でしょうねニギハヤヒさま・・。 
 
 
 
9841 (fumio)
2008-09-14 19:03:41
arionaさん、こんにちは。
たしかにそうですね。苦はクサカンムリをつけたフル=ニギハヤヒですか。気づきませんでした。「阿鼻」の鼻では素戔嗚尊(ルシフェル)の存在も感じます。9841は「ニギハヤヒスサノオしい」のようにみえてしまいます。 



 
 
 
深いシンクロ (ariona)
2008-09-14 23:14:51
確かに阿鼻の鼻の文字にスサノヲの気配を感じました。

これは夢で神のメッセージを受け取る礒部自適氏の今日のブログです。

http://blog.livedoor.jp/jiteki129/

共通の意識存在が、メッセージを放っていると感じます。アリオン&ルシフェルのハタラキを感じる人たちが増えてきているように思います。
地球内部にブラックホールを作る計画と実行がなされている今、覚悟を持って生きる感覚がどんどん必要になっているようですね。今日のアリオンのメッセエージは、ずばっ!とアヤヤのように感じ入りました。
 
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