monologue
夜明けに向けて
 



「2001年宇宙の旅」の原作者アーサー・クラーク博士が提唱していた全世界を包む通信衛星網計画の第一弾 初の送受信機を積んだ本格的通信衛星テルスター1号が打ち上げられて世界は宇宙衛星放送時代に入った。

 わたしはその日、1963年(昭和38年)11月23日(土)朝早く起きてどきどきしながらテレビの画面を見守っていた。アメリカから日本への初のテレビ衛星中継が始まるのである。午前5時くらいにテレビをつけて始まるのを待っていた。正確には5時27分42秒、というが5時半くらいにやっとなにかテストパターンのようなものが映りそれから砂漠の風景が映っていたがケネデイ大統領の挨拶があるという噂を聞いてアメリカの大統領が生放送でで見られるのだと興奮していた。

 しかし待っていても大統領の挨拶がないまま午前8時58分「これは輝かしい日米テレビ中継の2回目のテストであります。その電波にのせてこのような悲しいニュースをお送りしなければならないのはまことに残念に思います」そんなナレーションから二回目の実験放送が始まった。なんとその日、米国大統領ジョン・F・ケネディはアメリカ東部標準時間11月22日、午後1時30分、日本時間 23日(土)午前3時30分、テキサス州ダラス空港からオープンカーで演説会場に向かう途中、狙撃され病院ですでに死亡していたのだ。

 生衛星中継は、ケネディ大統領暗殺 を報じ、かれの元気な頃の姿を映し大統領就任演説会の模様などと町の人々の反応、悲しみの表情を伝えていた。わたしはなにがなにかわけがわからないままその20分ほどの放送を見終えた。そんなニュースが世界中で同時に共有 できる時代に入った記念的な日のトピックがケネデイ大統領暗殺というのはあまりにも衝撃的だった。一体だれがこんなシナリオを書いたのだろう…。歴史の変換点ではなにかが用意されているようだ。
fumio


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