私のモーニングルーティーンのひとつである朝ドラ視聴に続き、民放の
報道番組を見たあと、空と雲の様子を見ようと雨上がりの庭に出て見ると
芝生の先端の小さな水滴群が裸足で履いたサンダルの足に軽い刺激を・・・
だが、この冷たさは不快なものではなかった。
雨は深夜に降ったものか、明け方に降ったものか、いずれにしても
地面と芝生の様子から短時間で少量のものだったと思われる。
食事前には出ていなかった太陽の光も降り注ぎ、足のつま先は冷たく、
スキンヘッドの頭のてっぺんは熱いという「頭寒足熱」とは真逆(?)の
状態がなぜか心地よかった。
毎日何度も見るのを楽しみにしている「鬼(獅子)ゆず」と
思いがけず大きく育った「みかん」の色の微妙な変化に満足(?)し、
ふとフェンス(生け垣)に目を遣ると・・そこには、な、な、なんと・・・








昨日の私の記事に呼応した姿を見せるかのように一つ、二つと
開き始めたサザンカの花とその周りの蕾たちのちいさな共演の
始まりが・・・共演?きょうえん?・・と私の頭の中に言葉が
響き渡った。
これは昨日の記事で自分たちのことを気にかけてくれていると
思ったサザンカの木たちが仲間に声を掛け、早速私をもてなして
くれたのだろう・・・
そうだとしたら・・飲食のないささやかな「饗宴」なのかもしれない、
そしてこの蕾たちの様子だとすぐに華やかな「競演」になるかも
しれない・・・と。
近づいて傍で見る開いたばかりのサザンカも今まさに開こうと
待ち構えているような蕾たちも本当にかわいい顔をしている。


山茶花(サザンカ)と柊(ヒイラギ)が交互に植えられた生け垣で
できているマンションの道路側に面したフェンスは長く続いているので
外を歩いても気が付くはずなのだが、昨日までは全く目に入らなかった。
両方の隣家にも咲いているのだろうかと目を向けるとやはり
サザンカたちの気遣いなのか、平等(?)に一輪ずつ咲いていた。
あらためてもう一度顔を近づけると私の耳元で小さな声が・・・
『ありがとう・・、fumi爺も私たちに気づいてくれたんだね』という
まさしくかわいいサザンカの声が・・・
その声はコロナ禍の中、単身メキシコで働いているあの自慢の孫
「エマッチ=瑛舞(エマ)」の声だった。
23歳になった孫娘と私は家族の中で一番気が合っているのだと
信じ切っている私は自己満足。
サザンカは私のことを「fumi爺」と言っていたが、エマッチは
私を「じじ」と呼ぶ、「じいじ」ではなく、「じじ」と・・・
サザンカもそれを弁えて、瑛舞専用の「じじ」とは言わなかったのだろう。
エマッチは妻千恵子選手のことは「あーちゃん」と呼んでいる。
今でも自分の父親将太郎を「しょうちゃん」母親ソニアを「ママ」と
呼ぶエマッチは子供の頃、毎日我が家へ遊びに来ていたが、自分の
両親が先に帰ると両手を挙げて『やったぁ~!』と歓喜の声・・・。
エマッチの母親、ソニアは明るく元気で優しくユーモアたっぷりの
外国人だが言葉遣いや躾に厳しく、エマッチが緊張する場面もしばしば・・
おばあちゃんである千恵子選手「あーちゃん」も優しいのだが私とは違い、
我儘などには厳しい態度であったため、しっかりと育ったエマッチは
唯一力の抜ける場所として「じじ」「じじ」と私との時間を求めて
いたことが懐かしい・・・
ほしいなぁ~というものがあっても我儘は言わず、ねだることなども
ないのだが、「エマッチ」と「じじ」の以心伝心で、先日感想を書いた
あの「西の魔女が死んだ」のおばあちゃんのように私の無言の
「アイ・ノウ」の表情に対し孫の瑛舞は常に・・・
大きな目を輝かせ『やっぱり、じじしかいない・・フフフッ』と
言っていた声が今も聞こえてくるようだ。
その声をサザンカたちにも聞かせたいと思い、みたび近寄ってみた。
開いたばかりで頬を赤く染めたサザンカの笑顔と蕾たちのクスクス笑いと
共に私の耳に聞こえてきたのは親ばかならぬ
『じじ馬鹿ちゃんりん、蕎麦屋の風鈴』の合唱だった。