『いつも、いつでも元気炸裂!』

どんな環境やどんな状況でも、どんな人とでも明るく元気な笑顔で交流するよう心がければ自他ともに更に元気な心が増幅します。

あれから10年・・・

2021-03-11 16:50:19 | 喜怒哀楽をポジティブに
死者、行方不明者、そして震災の関連死を含めると2万2千人以上もの、
犠牲者が出たあの『東日本大震災』発生から10年になる。
最近は連日震災に関する報道がされていたが、避難生活を送る人は
今もなお4万人を超えるという。

被災地のインフラ整備は進んでいるというが帰還困難区域の大部分では
いぜんとして解除の見通しも立っていないようだ。

災害公営住宅や三陸沿岸の「復興道路」の整備はすすんでいるとは
いうものの本当の「復興」にはまだまだほど遠い状況のようだ。

そんな中でも将来の為に懸命に前を向いて進んでいる人達の姿が
報道されると胸が熱くなる。
あの時に生まれた子供(3月生まれ)は今年小学5年生になり、
10歳だった子供は20歳になることを思うと時の流れと遅々として
進まぬ復興に被災地のかたがたの心境も複雑であろう。

既に力強く足を踏ん張って進んでいる人・・・月日の経過と共に徐々に
気持が上向きになりつつある人・・・いまだにふとした瞬間にあの日の
心理状態に戻りそうになる人・・・すっかり気力を失ったような人・・・
私達にはわかっているつもりでもまだまだわからないことがたくさん
あると思う。

日本中が驚き、次々とテレビに映る恐怖の状況に怯え、しばらくの間は
国民の間に緊張感も高まり、防災意識も高まって来つつあったが今は
その感覚も少しずつ薄れそうになっているのではないだろうか・・・

機会ある毎に口では『決して忘れることなく教訓に・・・』と簡単に
言えるが・・・
実は私も被災者の苦労の1%もわかっていないのかもしれない。

我々夫婦も今もなお苦しい現実の中で懸命に戦っている人達のことを
思いながらあの日のことを振り返ってみた。

アップの写真は30年以上も続く妻千恵子の2冊目の10年日記の表紙と
2011年3月11日の中からの抜粋・・・

私はその時(14時45分頃)、午後の「時間指定」の荷物を都内
北区浮間町の物流倉庫に下ろし、フォークリフトを返却しようと
している時だった。
多少足下もふらついたような感じがして『あろう筈もない目眩かな?』と
一瞬思ったが、順番を待つ他のトラックのドライバーたちの少し慌てた
ような様子と大きな声で地震だとわかったのだが・・・ 

当日の納品はそこで終わりだったので急いで帰宅・・・
家の中の被害などはなかったが、その頃飼っていたタナゴやクチボソ
(モツゴ)の水槽の水がかなり外に溢れ出てリビングの床が水浸しに・・・

家族の様子はどうかと電話をするが都内の美術館へ行った妻との電話が
繋がらず、やはり休日で都内へ出かけていた娘とも連絡がつかない状態。

その二人はあらかじめ用事が済んだ後の待ち合わせ場所を決めていたので
同じ場所で食事をしていたようだがその時に発生し、驚いて私に再三再四
連絡を取るもやはり繋がらず双方で困惑状態。

そのうちもう一つの仕事用の携帯電話が時々だが繋がってようやく、
安否の確認と帰宅についての対策を・・・
都内では電車にもバスにもタクシーにも乗れないとのことなので
車で迎えに行くことにしたが埼玉県も道路の混雑が激しく、都内へも
通常の何倍もかかりそうだったので取りあえず上野駅を目指して
歩くように指示して私は車で都内へ向かった。

もともと道路には詳しい方だったが定年後に始めた運送業のお陰で
誰よりもいろんな道を知っていると自負していた私はその頃運送の
仲間からも『ルートshimaスペシャル・・◯◯バージョン』を教えて
欲しいと言われたりもしていたので地道に努力(?)した甲斐があったと
嬉しい気持もしていたのだが・・・

日頃からカーナビはあまり使わず信号も交通量もすくない道路を開拓し、
往路と復路は必ず別の道路を利用していてどんなコースでも自信の
あった私だがあの日は一般の車両も走り出したのか渋滞は激しく
どこの抜け道も抜け道ではなくなっていた。

妻と娘が寒さの中、人並みに揉まれながら手を繋ぎ、徒歩で上野へ
着いたのは夕刻の17時20分頃だった・・・
そして悪戦苦闘の私が上野駅近くの待ち合わせ場所に着いたのが
21時を遙かに過ぎていた。
寒い中、震えながら4時間待っていた二人が車に乗り込んだ時の
安堵した様子は今でも目に浮かぶ。
上野から我が家へ帰るときも依然として渋滞は解消されず、到着したのは
12日午前2時半頃だったと思う。
車内で聞く地震情報・・・時間と共に伝わってくるすさまじい状況に
これからどうなるのだろうか・・・と思うと実に長~い不安なドライブ
だった。

そんなことを話しながらそして東北の人達のことを考えながら、
そして繰り返されるテレビの映像見ているとあっという間に時間が
過ぎてしまった。

いつどこで災害が発生するかもしれない現在・・・緊急時にはお互いが
少しでも危険を回避できるよう、心と共に災害時に必要な物資の準備も
整えておきたいものである。

2冊目の10年日記(東日本大震災の頃)※現在は3冊目


日記の一部分・・2012年分枠へもはみ出して・・)

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8 コメント

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合掌 (yama1411)
2021-03-11 17:50:00
東日本大震災では私の仕事仲間・関係先で甚大な被害をこうむり、未だに行方不明の同僚もいて心を痛めております。余り語りたくない現実にただ合掌することしか。3年ほど前の大阪北部地震ではマンションが大揺れで死ぬ思い、それ以上だったのが阪神淡路大震災でした。この時は当地に単身赴任中の出来事で、社宅が潰れると覚悟したほどでした。また留守宅のことが心配で連絡がとれるまで生きた心地がしませんでした。地震、雷、火事、親父というけれど、やはり地震は最大の恐怖ですね。
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私にも間接的な思い出が・・・ (fumiel-shima)
2021-03-11 18:21:14
yamaさん、こんばんは。

yamaさんも色々と大変な思いをされたのですね。
仰るように私達はせめてもの合掌で・・・

いまだに心癒えぬ人達も多くいらっしゃることでしょう。
神戸市に住む私の姉の家族も「阪神淡路大震災」の
ことをいまだに語り続けています。
姉の家は須磨区の東落合というところで大きな被害はなかったのですが、教師をしていた娘がその後の
長期にわたる活動と心身の疲労なども重なり、35歳という若さでこの世を去りました。
関連死とは言えない状況でしたが各地の災害の度に
強く思い出します。
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辛い想い出が (yama1411)
2021-03-11 18:28:40
お嬢さんのこと辛いことですね。心からご冥福をお祈り申し上げます。
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他人事ながら悲しく・・・ (highdy)
2021-03-11 19:39:40
こんばんは

私は父の病院に見舞いに行っていると時でした。
ベッドの脇へ持参したおいたテレビで報道を始めたばかりでした。翌日から被害状況がどんどん判り、犠牲者が多いことが報道され、他人事ながら悲しくなりました。
災害は忘れたころにやってきます。一応我が家も備えはしていますが、万全というものはなかなかむつかしいものです。
きょうは、下書きも途中までしていましたが、きっとあちこちのブログで沢山話題になるだろうと考え、いまも癒えない悲しみに暮れる方々多い中なので、敢えて取り上げず別の記事にしました。
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あの日… (すず)
2021-03-11 21:48:44
父は大分県宇佐市へ墓参り
母は買い物へ
私は京都へ向かう途中の新幹線の中…
家族3人、バラバラでした。

震災関連ニュースをずっと観たり聞いたりしています。
どうしても沈んでしまいがちですが、千恵子先生からバナナの絵手紙が本日も届き、その力強いバナナさんたちに大いに励まされ…
コメントは控えようかと思っていたのですが、(夕方、配達され、気付くのが遅くなってしまったのですが…)
再び訪問しました。

何も出来ない自分に苛立つこともありますが、復興(こころも)を祈るばかりです…
返信する
被災地のことを思うと・・・ (fumiel-shima)
2021-03-11 22:16:17
highdyさん、再びこんばんは。
いただいたコメント気づかず失礼しました。
誰にも優しいihghdyさんの気持が伝わってくるようです。
どの局でも震災関連のことを伝える一日でしたが被災地の方の心身の苦痛、苦労を思うと何とも言えない気持になりますね。
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千恵子選手から返信は記しないように・・・と (fumiel-shima)
2021-03-11 22:29:10
すずさん、こんばんは。

お疲れのところコメントをいただきありがとうございます。
すずさんの疲労の蓄積が心配です。
連続して御自分のブログのコメント欄を閉じられたのは賢明な対応だったと思います。
私達多くのすずさんファンは疲労困憊のすずさんの状況がわかっていてもついつい・・・ということでコメントを書いてしまいますので今後も無理のないよう適度に調整しながら・・にしていただきたいと思います。

千恵子選手のバナナの絵手紙がもう着いたのですか。あの色で少し元気Ⅱなるといいのですが・・
千恵子選手も言ってますよ。
『私はすずさんが好きだから少しでも気分転換や元気に繋がれば・・・』と。
そして『私は時間があり、自由に書きますが返信は考えないようにしてください・・・』とも。
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mata (fumiel-shima)
2021-03-11 22:30:30
また間違えました。
記しないではなく「気にしない」です。
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