以前の投稿記事にも書いたが私はよく夢を見る。
昨夜も寝入りばなに・・・そして今朝の明け方近くにはっきりと覚えている夢を・・・。
この時間はやはり、体は寝ているが脳は起きているというレム睡眠の状態だから
感情や記憶の中で気になったものや願望なども含め、心の奥底に感じたものなどが
それとなく夢となって現れるのかもしれない。
夢の中に出てくる人物もいろいろで、家族や過去の仕事で巡り合った人などが
でてくることが多いような気がする。
最近私の母と義母の命日を迎えたが墓参りを延期し、まもなく義父の命日が
やってくるのでその時に一緒に・・・ということにし、妻と二人でそれぞれの
両親との思い出を話したりしたことが夢に繋がったのか・・・。
いつも母の夢を見ることは多いが今回は珍しく父が現れた。
一般的に母と息子は無意識のうちに強い絆となって後々まで影響する・・・と
言われるようだが、我が家も他の兄弟も含めそうだったのかもしれない。
父を避けたり特別嫌いだったわけではなく、父は厳格ではあったが私たち五人の
子供には当然のことながら分け隔てなく接していたと思う。
かつて父が夢の中に登場しないことを何故だろうと考えたことはなかったが
何故か今朝はそれを不思議に思った。
夢の中の父はやっぱりあの黒く丸いフレームの度の強い眼鏡をかけていて
あの頃と同じように自転車に乗って私に近づくと『罫紙を持ってきてくれ』といい、
急いで鞄に入れるとす~っと消えていった。
『この罫紙を持ってきてくれ・・・』が私にとって父との会話の中で一番大きく、
またある意味では懐かしく今も忘れられない思い出となっている。
それは小学6年生の夏休み、父が文章を清書するためだったのだろうか
私に『机の脇から罫紙を持ってきてくれ』と言った。
『罫紙』を見たことがあるがそのころその名称を知らなかった私は『罫紙って何?』
と聞き返すと『罫紙を知らないなどと嘘をついて怠けようと思っているのか!』と
叱られ、目の前に罫紙をたたきつけられたので私は本当に知らなかったというと
父は『口答えするなっ!』と最初で最大の怒りの表情をみせたのだ。
普段はあまり大声も出さず、小学校の校長という立場からもまあまあ穏やかな父が
思いもかけぬ大声で怒鳴るとは?
父は時々厳格な面は見せたが威厳のようなものを感じさせるタイプではなく、
特に怖い怖い存在ではなかったが忙しかったのか母に比べて子供たちと
談笑するような機会はそれほど多くはなかった。
今考えると父は市の「市史編纂委員」などもやっており、その為の作業中で
進捗状況も思うようにはかどらず、イライラが高じてよく言われる例のように
よっぽど「虫の居所」が悪かったのかもしれない。
私にとっては理不尽な叱られ方だったので何とかわかってもらおうとしたのが
火に油を注いだような状態になり私は始めて父の激高した姿を見たという
懐かしくもあり、忘れられない一日となったのである。
その後の父は何事もなかったようにいつもと変わりなく優しい面を見せてくれて
いたが私は時々この時のことを思い出す。
自分が知らなかったことが原因だったので決して不快な気分や恨みがましく
などとは思っていないのだがあまりにも強烈だったので・・・。
さて、なぜこんな夢を見たのか?・・・についてだが・・・。
それはたぶん・・・その前の日に私が最初に勤めた会社の先輩が転職後起業し、
その発明品がテレビで放送されたのを見て古いアルバムを何冊も開いて
子供の頃の写真を何枚もみて懐かしんだからではないかと思う。
私の小学生時代の写真は父が撮ってくれたものも多く、中学生時代の写真の
中には学芸会で「菊池寛」の「父帰る」で次男の新二郎を演じた時の写真(添附)も
あり、大人になってからも真面目な顔の父と一緒に写っているものもあり、
それらを長時間見ていたことが頭の中に残っていて夢となったのかもしれない。
父を避け、特別嫌いだったわけではなく、父は厳格ではあったが私たち五人の
子供には当然のことながら分け隔てなく接していたと思う。
かつて父が夢の中に登場しないことを何故だろうと考えたことはなかったが
何故か今朝はそれを不思議に思った。
夢の中の父はやっぱりあの黒く丸いフレームの度の強い眼鏡をかけていて
あの頃と同じように自転車に乗って私に近づくと『罫紙を持ってきてくれ』といい、
急いで鞄に入れるとす~っと消えていった。
『この罫紙を持ってきてくれ・・・』が私にとって父との会話の中で一番大きく、
またある意味では懐かしく今も忘れられない思い出となっている。
それは小学6年生の夏休み、父が文章を清書するためだったのだろうか
私に『机の脇から罫紙を持ってきてくれ』と言った。
『罫紙』を見たことがあるがそのころその名称を知らなかった私は『罫紙って何?』
と聞き返すと『罫紙を知らないなどと嘘をついて怠けようと思っているのか!』と
叱られ、目の前に罫紙をたたきつけられたので私は本当に知らなかったというと
父は『口答えするなっ!』と最初で最大の怒りの表情をみせたのだ。
普段はあまり大声も出さず、小学校の校長という立場からもまあまあ穏やかな父が
思いもかけぬ大声で怒鳴るとは?
私の父は『父帰る』の父とは全く違う至って真面目な人間だったが定年退職後
上京し、私の近くで済むようになってからの晩年は本当に穏やかで、母を
大事にする暮らしを続けたが、現在では早すぎる64歳で忙しかった生涯を閉じたが
もう少し親孝行ができたのではないかと思うと残念・・・。
下の写真(父帰る)の上段、左側から演劇を指導された松谷先生、父宗太郎の余川君、
長男賢一郎の山崎君、母おたかの寺脇さん、下段がおたねの余川さん、そして私。
部活の合間を縫っての稽古や放課後遅くまで稽古を続けたことが懐かしい。
あれから62年、当時中学3年生だった私たちは77歳になったがみんな元気で
いるのだろうか?
昨夜も寝入りばなに・・・そして今朝の明け方近くにはっきりと覚えている夢を・・・。
この時間はやはり、体は寝ているが脳は起きているというレム睡眠の状態だから
感情や記憶の中で気になったものや願望なども含め、心の奥底に感じたものなどが
それとなく夢となって現れるのかもしれない。
夢の中に出てくる人物もいろいろで、家族や過去の仕事で巡り合った人などが
でてくることが多いような気がする。
最近私の母と義母の命日を迎えたが墓参りを延期し、まもなく義父の命日が
やってくるのでその時に一緒に・・・ということにし、妻と二人でそれぞれの
両親との思い出を話したりしたことが夢に繋がったのか・・・。
いつも母の夢を見ることは多いが今回は珍しく父が現れた。
一般的に母と息子は無意識のうちに強い絆となって後々まで影響する・・・と
言われるようだが、我が家も他の兄弟も含めそうだったのかもしれない。
父を避けたり特別嫌いだったわけではなく、父は厳格ではあったが私たち五人の
子供には当然のことながら分け隔てなく接していたと思う。
かつて父が夢の中に登場しないことを何故だろうと考えたことはなかったが
何故か今朝はそれを不思議に思った。
夢の中の父はやっぱりあの黒く丸いフレームの度の強い眼鏡をかけていて
あの頃と同じように自転車に乗って私に近づくと『罫紙を持ってきてくれ』といい、
急いで鞄に入れるとす~っと消えていった。
『この罫紙を持ってきてくれ・・・』が私にとって父との会話の中で一番大きく、
またある意味では懐かしく今も忘れられない思い出となっている。
それは小学6年生の夏休み、父が文章を清書するためだったのだろうか
私に『机の脇から罫紙を持ってきてくれ』と言った。
『罫紙』を見たことがあるがそのころその名称を知らなかった私は『罫紙って何?』
と聞き返すと『罫紙を知らないなどと嘘をついて怠けようと思っているのか!』と
叱られ、目の前に罫紙をたたきつけられたので私は本当に知らなかったというと
父は『口答えするなっ!』と最初で最大の怒りの表情をみせたのだ。
普段はあまり大声も出さず、小学校の校長という立場からもまあまあ穏やかな父が
思いもかけぬ大声で怒鳴るとは?
父は時々厳格な面は見せたが威厳のようなものを感じさせるタイプではなく、
特に怖い怖い存在ではなかったが忙しかったのか母に比べて子供たちと
談笑するような機会はそれほど多くはなかった。
今考えると父は市の「市史編纂委員」などもやっており、その為の作業中で
進捗状況も思うようにはかどらず、イライラが高じてよく言われる例のように
よっぽど「虫の居所」が悪かったのかもしれない。
私にとっては理不尽な叱られ方だったので何とかわかってもらおうとしたのが
火に油を注いだような状態になり私は始めて父の激高した姿を見たという
懐かしくもあり、忘れられない一日となったのである。
その後の父は何事もなかったようにいつもと変わりなく優しい面を見せてくれて
いたが私は時々この時のことを思い出す。
自分が知らなかったことが原因だったので決して不快な気分や恨みがましく
などとは思っていないのだがあまりにも強烈だったので・・・。
さて、なぜこんな夢を見たのか?・・・についてだが・・・。
それはたぶん・・・その前の日に私が最初に勤めた会社の先輩が転職後起業し、
その発明品がテレビで放送されたのを見て古いアルバムを何冊も開いて
子供の頃の写真を何枚もみて懐かしんだからではないかと思う。
私の小学生時代の写真は父が撮ってくれたものも多く、中学生時代の写真の
中には学芸会で「菊池寛」の「父帰る」で次男の新二郎を演じた時の写真(添附)も
あり、大人になってからも真面目な顔の父と一緒に写っているものもあり、
それらを長時間見ていたことが頭の中に残っていて夢となったのかもしれない。
父を避け、特別嫌いだったわけではなく、父は厳格ではあったが私たち五人の
子供には当然のことながら分け隔てなく接していたと思う。
かつて父が夢の中に登場しないことを何故だろうと考えたことはなかったが
何故か今朝はそれを不思議に思った。
夢の中の父はやっぱりあの黒く丸いフレームの度の強い眼鏡をかけていて
あの頃と同じように自転車に乗って私に近づくと『罫紙を持ってきてくれ』といい、
急いで鞄に入れるとす~っと消えていった。
『この罫紙を持ってきてくれ・・・』が私にとって父との会話の中で一番大きく、
またある意味では懐かしく今も忘れられない思い出となっている。
それは小学6年生の夏休み、父が文章を清書するためだったのだろうか
私に『机の脇から罫紙を持ってきてくれ』と言った。
『罫紙』を見たことがあるがそのころその名称を知らなかった私は『罫紙って何?』
と聞き返すと『罫紙を知らないなどと嘘をついて怠けようと思っているのか!』と
叱られ、目の前に罫紙をたたきつけられたので私は本当に知らなかったというと
父は『口答えするなっ!』と最初で最大の怒りの表情をみせたのだ。
普段はあまり大声も出さず、小学校の校長という立場からもまあまあ穏やかな父が
思いもかけぬ大声で怒鳴るとは?
私の父は『父帰る』の父とは全く違う至って真面目な人間だったが定年退職後
上京し、私の近くで済むようになってからの晩年は本当に穏やかで、母を
大事にする暮らしを続けたが、現在では早すぎる64歳で忙しかった生涯を閉じたが
もう少し親孝行ができたのではないかと思うと残念・・・。
下の写真(父帰る)の上段、左側から演劇を指導された松谷先生、父宗太郎の余川君、
長男賢一郎の山崎君、母おたかの寺脇さん、下段がおたねの余川さん、そして私。
部活の合間を縫っての稽古や放課後遅くまで稽古を続けたことが懐かしい。
あれから62年、当時中学3年生だった私たちは77歳になったがみんな元気で
いるのだろうか?
