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ケンミジンコのうた

平和な日々の暮らしを綴った日記です

愚痴を言わない

2024-04-14 | 仕事
先日、長く務めた職場を1つ辞めたのだが、挨拶をした際、
「ミジンコさんがいなくなると、毒を吐く相手がいなくなっちゃいますよ」と言われた。
その言葉に、軽く衝撃を受けた。

私はそんな風に捉えられていたんだ…。
思えば、どこの職場でも、不平不満を陰でよく言っていた。
言わなかった職場はない(キリッ!←・・・威張れることではない)

別の職場でも、一番愚痴を吐いているおばさんになっていると思うし、
そろそろ歯止めをかけないと、嫌でダメな人間になってしまう。

理想を言えば、自分からは積極的に愚痴は吐かないけど、
人の愚痴は、うんうんと聞いて受け止めてあげる存在になりたい。
「愚痴ばかり言うネガティブな人からは今すぐ離れろ!」的な情報をよくネット上で見かけるけれど、
愚痴を言う人は、他の誰かから理不尽な攻撃を受けたり、
報われない作業を強いられたりして傷付いている人であり、
その傷の手当は必要だと思うからだ。

愚痴はその人の小さなSOSなのである。
そして、いつも愚痴っている私も、仕事がしんどいのだ。

ただ、愚痴っている人がかっこ悪いのは確かなので、
人に吐き出す以外の方法で解決する方法を考えたいと思う。
「愚痴を言わない」という、意志の力に頼る目標設定はあまり意味がないので、
心の中に不快なガスを溜め込まないようにしたい。

できるだけいつも楽しいことを考えているようにしたい。
その方法を考え中。


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優しい人

2024-02-19 | 仕事
私はずいぶん長い間、「優しい人」と「物腰が柔らかい人」の区別がつかなかった。
もちろん、両者が重なることはあるのだが、
「物腰が柔らかい」が「優しい」人ではない場合、
物腰の柔らかさは、その人がトラブルから身を守るための、単なる防御手段に過ぎないことが多い。
「優しい人」のペルソナを被っているだけで、
優しさが他者に向けられることは少ないのである。

優しさには色々な定義があると思うが、
今のところ、私が考える優しさは、
他人に関わろうとする態度のことだ。

目の前で人がいじめられているときに、
見て見ぬふりをする人は優しくない。
いじめられている人を助けようとする人は優しいし、
いじめっ子を注意する人も優しいと思う。
本当はいじめられている人を守りたかったが、それができなくて悶々としている人も、
上記の二者に比べれば程度は低いが
優しくない訳ではないだろう(勇気がないだけだ)。

それを思うと、粗野な態度でも
人を思いやる行動ができる人は優しいと思う。
優しさのペルソナを被っただけの人より、
ぶっきらぼうに優しい人の方が私は好きだし、
きっとこのタイプの方が人気があると思う
(漫画で人気のキャラにはこのタイプが多いと思う)。

それはなぜかと言うと、
優しさをアピールしてないからではないかと思う。
自分が賞賛されたり好かれたりするための優しさではないから。
無償の優しさだからだ。

なんでこんなことをくどくど書いているかと言うと、
心理職には圧倒的に「物腰の柔らかい人」が多いからなんだな…。
物腰が柔らかいからといって、優しい訳ではないんだよ。
私はとても大切なことを学んでいる…


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下り坂でいいや

2024-01-24 | 仕事
ここ最近、ずっと疲れがとれなくて
自分の生活を見直してみたところ
休むべき時間にきちんと休んでいなかったことに気付いた。

例えば仕事のない土日はぼんやり寝ていたらいいのに
研修を受けたり、英語の勉強をしたり
自分を高める作業をしていた。

向上心が高く勉強好きな人に囲まれてきたから
休みの日は仕込みの時間のように捉えて
努力していた…つもりだった。

で、どこまで自分が高みに登ってきたかというと、
ちっとも高くない。
なんの肩書もないし、地位もない。
吹けば飛ぶようなしがない非常勤でしかない。
 
そしてこれからの人生、
自分がこれ以上、高みに登れる可能性は多分ない。

なら、もう、努力するのをやめようかな。

上り坂ばかり選んで歩くのに疲れた。
休みたい。

土日は何もしない。
通勤時間はボーッと過ごす。
スキマ時間の活用はしない。ボーッとする。

もっと休もう。
疲れを取りたい。

若い頃とは違うんだから。
若い頃に十分頑張ったし。
もういいや。平地を歩こう。下り坂だっていいや。


愛読書

2023-11-13 | 仕事
私は学生さんが愛読している本があると聞けばなるべくその本を読むようにしているし
好きなアーティストがいると知ればその人の曲を探して聴く。

その人を理解しようと思うからだが、
何人も同時並行で見ていることもあり、
なかなか時間が足りない。

先日も休みの日にある学生さんの好きな作家の本を読んでいたら
「ミジンコのやり方はウェット過ぎる。
好きな本や曲があるなら、そのどこが好きなのかを教えてもらえばいい。
今の人はもっと淡々とした関係性を好むのでは?
金八先生じゃあるまいし」
と夫に言われた。

確かにそうかもしれない。
それに私自身、一人一人の世界に深く入っていくのもいいけど、
もっと普遍的な勉強、例えば有名な心理学の先生の本を読んで勉強して、
より広く多くの人に応用できる理論や技術を身に付けることを優先した方がいいのかもしれないとも思う。

時間も体力も有限だから、その使い方を考えないといけない。

おばさんカウンセラーが、
「あなたが好きだと言ってた本、私も読んだよ♥」
と言ったら気持ち悪いかもしれないし…

…でも、苦しかったときに、何度も何度もその本を読んで励まされた、と聞いたら、
やはり読んでおかなければという気になる。

それに、これは私の古い感覚かもしれないが、
自分を理解しようとする人がいることは、
少しだけでもその人の孤独を軽くするのではないかな…

一人一人に向き合うこと、
広く理論や技術を学ぶこと、
きっとどちらも大切なことなのだろうと思う。

私はどちらもやりたい。

フリーレン

2023-11-07 | 仕事
「葬送のフリーレン」を毎回、泣きながら見ている。

私が特に泣けるのは、
フリーレンを愛していたヒンメルについて
「興味を持たず、知ろうともしなかった」ことを
彼の死後にようやく後悔したところだ。

どうしてもカウンセリングをしている自分に重ねて見てしまう。

私は一生懸命に学生さんの話を聞く。
でも学生さんのほとんどは自分の話にしか興味がなく
自分の話を聞いている相手に興味がない。
知ろうともしない。
私の名前を知らないまま、
知ろうともしないまま、
自分の話だけを延々と続けていく。

そしてある日、気まぐれに来なくなる。

仕事とはいえ、私は自分の時間を、
自分が生きる時間を、
もっといえば、自分の生きるエネルギーを、
彼ら、彼女たちに与えている。

愛は見返りを求めないなんて嘘だ。
私は自分を削った分の見返りが欲しい。

関心をもって欲しい。
あなたの話を聞いている人もまた
あなたと同じ血が通っていて
傷付ければ血を流す人間だということに
もう少し気付いてくれたら。

…という思いを封印して
もしかしたらフリーレンがヒンメルを思い出したような日が来るかもしれない、
来ないかもしれないけど、
私はあなたのことを思って話を聞く。