以前にも書いていますが、よく本などでも見る話です。
例えば、食事会で、新品の大好きな洋服にコーヒーをこぼされてしまったとします。
もちろん、最悪な気分ですし、楽しかった気分が台無しに感じるでしょう。
そのこと自体はそのとおりでしょう。多くの人はそこで気分を引きづりながら、
食事会やそのあとのことまで、自ら台無しにしてしまいます。
洋服にコーヒーをこぼされたことは自分の責任ではないし、
災難ではあります。
でもそれまでの食事会での楽しかったことや、アフターの楽しみを台無しにするかどうかは、
自分次第なのです。
多くの人は感情は自然発生的であり、どうにもならないと思っていますが、
感情は自分で選択しているのです。
そうでなければ、あなたの一日を左右する感情を、他人に支配されていることになってしまいます。
そんな恐ろしいことはありません。まるでロボットのようです。
出来事に対して、どう反応し、どのような感情を選択するかは自分次第です。
他人がイライラさせたり、怒るようにけしかけたりすることはできますが、
最終的にどの感情を選ぶかは自分です。
先のコーヒーの例で言えば、感情を引きづることもできるし、切り替えることもできます。
離婚の苦しみは、コーヒーの例のように、すぐに切り替えることは難しいけれども、
自分自身の人生に長期的にどのような影響を与え、意味を与え、これから先、どのような感情で進むのかは
最後は自分で選ぶしかありません。
理屈ではわかる、頭ではわかるけれども、そうはいかない・・・。
それが多くの人の率直なところでしょう。私もずっとそうでしたが、
感情は自分で決めているということが本当の意味で理解できたとき、
もはや感情に長時間を支配されることはなくなり、
たとえ一瞬、少しの時間は支配されたとしても、
自分で感情を選べるようになってくるのです。
例えば、食事会で、新品の大好きな洋服にコーヒーをこぼされてしまったとします。
もちろん、最悪な気分ですし、楽しかった気分が台無しに感じるでしょう。
そのこと自体はそのとおりでしょう。多くの人はそこで気分を引きづりながら、
食事会やそのあとのことまで、自ら台無しにしてしまいます。
洋服にコーヒーをこぼされたことは自分の責任ではないし、
災難ではあります。
でもそれまでの食事会での楽しかったことや、アフターの楽しみを台無しにするかどうかは、
自分次第なのです。
多くの人は感情は自然発生的であり、どうにもならないと思っていますが、
感情は自分で選択しているのです。
そうでなければ、あなたの一日を左右する感情を、他人に支配されていることになってしまいます。
そんな恐ろしいことはありません。まるでロボットのようです。
出来事に対して、どう反応し、どのような感情を選択するかは自分次第です。
他人がイライラさせたり、怒るようにけしかけたりすることはできますが、
最終的にどの感情を選ぶかは自分です。
先のコーヒーの例で言えば、感情を引きづることもできるし、切り替えることもできます。
離婚の苦しみは、コーヒーの例のように、すぐに切り替えることは難しいけれども、
自分自身の人生に長期的にどのような影響を与え、意味を与え、これから先、どのような感情で進むのかは
最後は自分で選ぶしかありません。
理屈ではわかる、頭ではわかるけれども、そうはいかない・・・。
それが多くの人の率直なところでしょう。私もずっとそうでしたが、
感情は自分で決めているということが本当の意味で理解できたとき、
もはや感情に長時間を支配されることはなくなり、
たとえ一瞬、少しの時間は支配されたとしても、
自分で感情を選べるようになってくるのです。
望まない離婚です。今も子どもと暮らせて幸せなのか、面会のために毎週元夫とやりとりする辛さを我慢するべきか、これも悩みですが考えないようにしています。
40代前半に知り合い、お互いの過去の事を色々語り、付き合いだし繋がってると思っていた矢先に、嫁が私の貯金の使い込みからはじまり、嫁のカード借金発覚、その他お金に関してだらしなさ多々あり。それでも嫁を愛していた。大好きだった。前を向いていた。遅いけどマイホームも子供も考えていた。どうにか立て直そうと思っていた。
最後は本当に些細なケンカから、仕事から帰って来たら荷物まとめて出て行ってた。こっちからの連絡は一切無視で、その日の夜に別れて下さい。後は弁護士と話して下さい。とのメールのみ。後は弁護士から調停離婚請求、慰謝料請求、こっちは精神がもたないことから、弁護士立てて多額の慰謝料、協議離婚で決着。同棲3年、籍いれてたった1年。
出ていかれてから5カ月、毎日毎日、頭中がぐるぐる同じ事の...繰り返しで...
著者様のプログ、最初から毎日毎日何度も何度も読み返し心を落ち着けようとしています。
支離滅裂な文章で題名とは違いますが誰かに聞いてもらいたく書き込んでしまいました。
人生、投げ出したくなります。
どうして、あの時、あーできなかったとか。
そしたら今は変わってたのかな?
出勤時とか、帰宅中に、車とかに轢かれないかと願う。
自分でもびっくりするくらい、希望も期待もない。
それなりには、好き勝手生きた人生。
死ぬ前、元妻に会って謝りたいなぁ。
それさえできれば、もういいや。
十分だ。
苦しくなくなる日がほしい。