134：恭二の手紙

134：恭二の手紙
　恭二の胸にぽっかりと空いた穴は、大きくなるばかりだった。受験勉強に集中しようとしても、気がつくと詩織のことを考えていた。夢にも詩織は、何度も出てきた。苦しげな表情の詩織が、手招きをしている。「恭二、きて！」と呼んでいる。行こうと足を踏み出した瞬間、詩織の姿はかき消えている。
　抗がん剤の副作用で、外向きにウエーブのかかった髪は、失っているかもしれない。激しい嘔吐に、苦しんでいるかもしれない。抗がん剤は、効いていないかもしれない。次々に不吉な思いが、襲いかかってくる。

恭二は詩織宛に、手紙を書くことにした。毎日、一通の手紙を書く。面会謝絶の今、できることはそれしかなかった。

――大好きな詩織へ。病気のことは、お父さんから聞きました。驚いています。でも詩織の方が、もっと驚いたことでしょう。病院のベッドで、病気と闘っている詩織を思うとつらいのですが、ひたすら全快を信じて待ちます。一日も早く、元気な顔を見せてください。おれはしっかりと、受験勉強をがんばります。
詩織、お見舞いの許可が出たら、黄色のストラップのついたスマホで連絡ください。おれも黄色のストラップのついたスマホで、その日を待ちます。
病室の窓から、お月さんは見えますか。うれしいときに歌う「月夜の散歩」をこれから歌ってあげます。耳を澄ましていてください。恭二。

――愛する詩織へ。昨日はよく眠れましたか。昨晩は詩織の夢をみませんでした。だからぐっすりと、眠ってくれたんだと思います。本日、雪虫第一号を発見しました。だんだん寒くなっています。詩織からプレゼントしてもらった、黄色いマフラーが必要な季節が近づいてきました。
詩織、今度のクリスマスプレゼントで欲しいものを考えておいてください。ウォーキング・ラリーの季節が終り、時々親父の調剤を手伝っています。だから少しは、お金持ちになりました。遠慮はいりません。恭二。

――愛する詩織へ。順調に回復していることと思います。何か読んで見たい本はありますか。何か聴いてみたいＣＤはありますか。遠慮なくいってください。
釧路へ行って、探してきます。もちろん往復は受験勉強をしますので、心配しないでください。今朝、登校中に、水たまりの初氷を発見しました。寒さが厳しくなってきました。風邪などひかないように。恭二。

　恭二は受験勉強の区切りのたびに、詩織へ手紙を書き続けた。返信はなかった。読んでもらっているのだろうか、と不安になった。しかしそれしか、詩織と向き合う方法はなかった。

072：米国の営業リーダー（１）

072：米国の営業リーダー（１）
――第６章：威力ある同行
　運動会では、親子二人三脚という競技があります。親はこどもの脚力に合わせて、ゴールを目指します。上司の同行も同じことです。部下のレベルに合わせて、同行指導を実施しなければなりません。あのゴールを目指そうと、肩を組みながら走るのです。

（１）米国ロシュの部下指導

　米国ロシュへ出張したとき、目からウロコが落ちる話を聞きました。営業リーダーの使命は、営業担当者の「採用」「製品教育」「ＯＪＴ」だったのです。

「日本の営業リーダーの使命は違うの？」と質問されました。「営業担当者の採用は人事部がやるし、営業担当者の知識教育は研修部の役割。ＯＪＴだけは営業リーダーの役割だけど……」と答えました。

　青い目が点になりました。
「よい人材を採用し育てるのが、リーダー職のやりがいじゃないか。そこを他人任せでいいのかい？」と食い下がられました。

　部下にいちばんふさわしい、育成計画を作成する。育成計画にしたがって、製品知識の教育を実施する。知識が現場で使えるようになるまで、コツコツと指導を継続する。彼は、それを営業リーダーの「楽しみ」だと語ってくれたのです。
「きみは集合教育を、理想的だと思っているのかい？」ともいわれました。（明日へ続く）

ジョージ・エリオット『サイラス・マーナー』が新訳文庫に

ジョージ・エリオット『サイラス・マーナー』が新訳文庫に
■今日から３連休。16日は敬老の日だそうです。73歳の私は、この日の恩恵にあずかった記憶はまったくありません。どんな国家的イベントがおこなわれているのでしょうか。該当者が思い浮かばないのですから、とってつけたような祝日はなくてもいいと思います。■ジョージ・エリオットは、私の大好きな女流作家です。『ミドルマーチ』（全4巻、講談社文芸文庫）や『サイラス・マーナー』（岩波文庫、「文庫で読む500+α」推薦作）など圧倒される作品を書いています。その『サイラス・マーナー』が新訳で文庫化されました。光文社古典新訳文庫（小尾芙佐訳）です。もちろん期待して読みます。
山本藤光2019.09.14