137:タウン誌のドキュメンタリー
受験が終わった。発表になる前に、結果は歴然としていた。学校から帰ると、母が一冊の雑誌を手渡してくれた。『タウン誌くしろ』だった。
「役場の北村課長が、届けてくれたの。ウォーキング・ラリーのことが、出ているって」
恭二は部屋で、さっそく読みはじめる。タイトルは「子どもと大人の知恵が融合/標茶町のウォーキング・ラリー誕生秘話」となっていた。
第一話:空振りだった大人の企画
標茶町は地方再生予算一億円で、二つのプロジェクトを同時進行させた。狙いは、観光客の誘致にあった。標茶町は年々人口が減少しており、今では人の数よりも牛の方が多い。
そんな危機感から、考え出されてのが、一つは「会社の博物館」であった。この施設は企業の社員研修を意識したもので、三階には大小五つの研修室があった。そして二階は会社の歴史を伝えるべく、懐かしい会社の備品を集めた展示室になっていた。ところがこの施設は、ほとんど利用されることはなかった。
もう一つの企画は、「日本三大がっかり名所」の再現であった。高知県のはりまや橋、長崎県のオランダ坂、札幌市の時計台を町に建設して、観光客を待った。しかしこちらも、期待外れに終わってしまった。
第二話:子どもたちからの提案
こうした状況を憂いた「標高新聞」は、「私たちもいわせて」という特集を組んだ。ぽつねんと建っている「日本三大がっかり名所」を、魅力的な観光スポットに変身させる。閑古鳥の鳴いている「会社の博物館」を、町民の憩いの場に改修する。
この新聞は、大人の領域に子どもが入りこんできた、と猛烈なパッシングを受けた。結局、新聞は全数回収され、新聞部には活動禁止の処分が科された。
しかし「標高新聞」は騒動になる以前に、学習研究社主催の全国高校新聞コンクールに応募されていた。そしてみごとに、最優秀賞に輝いた。選評では、大人と子どもが協力し合い、町の活性化を考える斬新な企画と絶賛されていた。
こうした外部の反響に後押しされる形で、町議会は高校生を招いて、標茶町活性化の提案を受けたのであった。
第三話:大成功!標茶町ウォーキング・ラリー
その結果、誕生したのが、「標茶町ウォーキング・ラリー」である。筆者も家族同伴で、参加してきた。標茶町をあげての、大歓迎を受けた。前記の「会社の博物館」は町民に開放され、お年寄りから子どもまでが楽しい時間を過ごすことのできる、「おあしす」に改修されていた。
「標茶町ウォーキング・ラリー」は、二十七カ所のスタンプを押すと願いごとがかなう、というコンセプトになっている。
自転車や犬の、貸し出しがある。魚つりやたこ揚げを、楽しむことができる。牛の乳搾りや昆虫採集を、体験できる。ここには標茶高校生の多くが、ボランティアで参画している。
「標茶町ウォーキング・ラリー」は、土日限定で開催されている。日帰りだけではなく、一泊二日のコースもある。
最後はモール温泉で、汗を流した。一日を大満足して、過ごすことができた。大人と子どもがスクラムを組んで立ち上げたイベントは、たくさんの町民に支えられて大きな花を咲かせた。(文責・宗像修平)
恭二は新聞部の時代を、懐かしく思い出している。自分には町長や校長と、闘ったという気持ちはない。大人が勝手に、踊っていたのだと思う。大人の上から目線がぐっと降りてきたとき、つまっていた何かがはじけ飛んだのだろう。恭二は大きな伸びをして、標茶町って意外にやるじゃないかと思った。
受験が終わった。発表になる前に、結果は歴然としていた。学校から帰ると、母が一冊の雑誌を手渡してくれた。『タウン誌くしろ』だった。
「役場の北村課長が、届けてくれたの。ウォーキング・ラリーのことが、出ているって」
恭二は部屋で、さっそく読みはじめる。タイトルは「子どもと大人の知恵が融合/標茶町のウォーキング・ラリー誕生秘話」となっていた。
第一話:空振りだった大人の企画
標茶町は地方再生予算一億円で、二つのプロジェクトを同時進行させた。狙いは、観光客の誘致にあった。標茶町は年々人口が減少しており、今では人の数よりも牛の方が多い。
そんな危機感から、考え出されてのが、一つは「会社の博物館」であった。この施設は企業の社員研修を意識したもので、三階には大小五つの研修室があった。そして二階は会社の歴史を伝えるべく、懐かしい会社の備品を集めた展示室になっていた。ところがこの施設は、ほとんど利用されることはなかった。
もう一つの企画は、「日本三大がっかり名所」の再現であった。高知県のはりまや橋、長崎県のオランダ坂、札幌市の時計台を町に建設して、観光客を待った。しかしこちらも、期待外れに終わってしまった。
第二話:子どもたちからの提案
こうした状況を憂いた「標高新聞」は、「私たちもいわせて」という特集を組んだ。ぽつねんと建っている「日本三大がっかり名所」を、魅力的な観光スポットに変身させる。閑古鳥の鳴いている「会社の博物館」を、町民の憩いの場に改修する。
この新聞は、大人の領域に子どもが入りこんできた、と猛烈なパッシングを受けた。結局、新聞は全数回収され、新聞部には活動禁止の処分が科された。
しかし「標高新聞」は騒動になる以前に、学習研究社主催の全国高校新聞コンクールに応募されていた。そしてみごとに、最優秀賞に輝いた。選評では、大人と子どもが協力し合い、町の活性化を考える斬新な企画と絶賛されていた。
こうした外部の反響に後押しされる形で、町議会は高校生を招いて、標茶町活性化の提案を受けたのであった。
第三話:大成功!標茶町ウォーキング・ラリー
その結果、誕生したのが、「標茶町ウォーキング・ラリー」である。筆者も家族同伴で、参加してきた。標茶町をあげての、大歓迎を受けた。前記の「会社の博物館」は町民に開放され、お年寄りから子どもまでが楽しい時間を過ごすことのできる、「おあしす」に改修されていた。
「標茶町ウォーキング・ラリー」は、二十七カ所のスタンプを押すと願いごとがかなう、というコンセプトになっている。
自転車や犬の、貸し出しがある。魚つりやたこ揚げを、楽しむことができる。牛の乳搾りや昆虫採集を、体験できる。ここには標茶高校生の多くが、ボランティアで参画している。
「標茶町ウォーキング・ラリー」は、土日限定で開催されている。日帰りだけではなく、一泊二日のコースもある。
最後はモール温泉で、汗を流した。一日を大満足して、過ごすことができた。大人と子どもがスクラムを組んで立ち上げたイベントは、たくさんの町民に支えられて大きな花を咲かせた。(文責・宗像修平)
恭二は新聞部の時代を、懐かしく思い出している。自分には町長や校長と、闘ったという気持ちはない。大人が勝手に、踊っていたのだと思う。大人の上から目線がぐっと降りてきたとき、つまっていた何かがはじけ飛んだのだろう。恭二は大きな伸びをして、標茶町って意外にやるじゃないかと思った。