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野坂昭如『火垂るの墓』(新潮文庫)

2018-02-27 | 書評「の」の国内著者
野坂昭如『火垂るの墓』(新潮文庫)

太平洋戦争末期の神戸。空襲で親を失った14歳と清太と4歳の節子の兄妹はいかに生き、なぜ死なねばならなかったのか。(「BOOK」データベースより)

◎傍若無人

野坂昭如(あきゆき)は1930年生まれで、2015年に逝去しています。多彩な人で肩書きを並べると、作家、作詞家、シャンソン歌手、落語家、漫才師、タレント、政治家などとなります。小説家としては、自ら「焼跡闇市派」と名乗りました。
野坂昭如については、たくさんの作家や評論家が筆をとっています。そのなかで、磯田光一の文章が印象的だったので紹介させていただきます。磯田光一は最初に、野坂昭如の次の文章を引きます。

――東大紛争なんかでハッキリ反体制側に加担したけど、四十歳になって、女房子どももあればネ、反体制なんかウソで、自分が抜きがたく体制的であることは認める。もう徴兵にかかるわけではなし。(出典「反体制もトシをとれば」。磯田光一『悪意の文学』読売選書P68)

この文章は、もっとも野坂昭如らしいと思います。そして磯田光一は次の文章で結びます。

――「傍若無人」という語が、これほどふさわしい作家がまたとあろうか。過去の発言との一貫性を保っているように見せたがる世の知識人とは、野坂氏はまったくといってよいほど異質である。(上記書P69)

 正直で、短気で、照れ屋。そんな野坂昭如への追悼の言葉では、佐藤愛子の次の一文が胸に響きました。

――野坂さん、あなたは不思議な人でした。極めつきの我儘なのに、人にはわかりにくい繊細な優しさがあって、その優しさのために勝手に傷ついて、そして暴れん坊になる、といった厄介な人でした。野坂さん、これでらくになってよかったね。*「らく」に傍点(『オール読物』2016年2月号P291)

野坂昭如のデビュー作は『エロ事師たち』(新潮文庫)で、1967年には、『火垂るの墓』『アメリカひじき』で直木賞受賞しています。。

◎養父と実妹への鎮魂歌

 野坂昭如『火垂るの墓』(新潮文庫)はアニメ化されており、ご覧になっている人が多いかもしれません。しかし短い作品ですので、ぜひ手にとって読んでいただきたいと思います。野坂昭如は一文が長く、しかもたたみかけるような文体が特徴です。冒頭の一部を書き写してみます。

――省線三宮駅構内浜側の、化粧タイル剥げ落ちコンクリートむき出しの柱に、背中まるめてもたれかかり、床に尻をつき、両脚まっすぐ投げ出して、さんざ陽に灼かれ、一月近く体を洗わぬのに、清太の痩せこけた頬の色は、ただ青白く沈んでいて、(後略)

 一文はさらに続き、数えてみると9行もありました。物語は主人公の清太が浮浪児となって、駅構内にいる場面からはじまります。ここには、住まいのない浮浪児がたくさんいます。みな一様にやせ細っていて、体を動かす体力すらありません。
 清太はここで絶命し、無縁仏として葬られます。彼の腹巻きのなかには、妹・節子の遺骨が入ったドロップ缶がありました。駅員はそれを、草むらに放ってしまいます。

 このあと舞台は、清太の生前に転ぜられます。第二次世界大戦の末期、14歳の清太と4歳の節子は、母と3人で神戸に住んでいます。父は出征しています。神戸は米機の、大空襲に遭遇します。病弱で遠くまで行けない母を防空壕に残し、清太は妹を背負って避難所に逃げこみます。
 空襲が終わり、清太は家と母を失います。2人は万一のときにと、母が定めていてくれた西宮にある遠縁の家を訪れます。母はあらかじめ自分の衣類なども、そこに送ってありました。最初のうちはやさしかった女主人ですが、次第に2人を厄介者扱いします。
そして2人は横穴の洞窟に、住まざるを得なくなります。洞窟に蒲団や蚊帳を運び、2人だけの貧しい生活がはじまります。
明かりがないので、2人は螢をとってきて蚊帳に放ちます。しかし螢は翌朝になると死んでいます。まるで2人のこれからを暗示するように。

そのうちに持ち金が底をつき、清太は近所の畑を荒らしたり、空襲警報で不在になった家へ盗みに入るようになります。生きるために清太は必死でしたが、ある日節子は栄養失調のために死んでしまいます。
一人きりになった清太は大人に教わり、節子の遺骸をだびにふします。そして清太は浮浪児がたくさんいる、三宮駅で寝起きをするようになります。

戦争に翻弄された幼い命。野坂昭如は自らの体験も踏まえて、自分を育ててくれて空襲で亡くなった養父と、栄養失調で命を失った妹への鎮魂歌を書きました。

――養父、そして実妹を戦争で亡くしながらも生き残った野坂さんは、きっと一生をかけて伝えていくべきものをたくさん抱えているに違いありません。そして、体験を小説にすることで、亡くなった人たちの存在を物語の中で伝えていく選択をしたのではないかと、私は想像しています。(小川洋子『みんなの図書室』PHP文庫P116)

◎天からの火垂る、葉末の螢

アニメは観ていませんが、『ジブリの教科書4・火垂るの墓』(文春ジブリ文庫)を読みました。そこに寄稿されている文章のいくつかを紹介させていただきます。

――天からの火垂るも、葉末にひそむ螢も失せて、節子は、甘い水の恩寵を求め、とび立った。僕は苦い水の、現し世に生きのびている。残像の世を生きる。(同書、野坂昭如「幻想・火垂るの墓」P208)
 
この文章は清太と節子が死んでから43年を経て書かれたものです。これを読むと、タイトルが「螢」ではなく、「火垂る」である意味がわかります。

――誇り高く潔癖な清太が選んだのは、兄を信じてうたがうことを知らない妹と共に、ふたりきりの無垢な聖域で、短く伸びやかな人生をまっとうすることだった。(同書。野中柊P192)

 最後は壇ふみの文章で、締めさせていただきます。

――悲惨なこと、悲しいことから、こんなにも美しく、人の心を打つ物語が生まれてくるんですね。(中略)『火垂るの墓』は、神様の顔がちらりと見えるような、そこまでの美しさを湛えた作品だと思います。(NHK『私の1冊日本の100冊・感動のとまらない1冊』学研P15)
(山本藤光2017.09.05初稿、2018.02.27改稿)

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