宮本常一『忘れられた日本人』(岩波文庫)
昭和14年以来、日本全国をくまなく歩き、各地の民間伝承を克明に調査した著者(1907‐81)が、文化を築き支えてきた伝承者=老人達がどのような環境に生きてきたかを、古老たち自身の語るライフヒストリーをまじえて生き生きと描く。辺境の地で黙々と生きる日本人の存在を歴史の舞台にうかびあがらせた宮本民俗学の代表作。(「BOOK」データベースより)
◎宮本常一の世界にはまった
宮本常一が生まれたのは、山口県屋久島(大島郡周防大島町)の農家です。宮本常一は師範学校卒業後、小中学校の教師になっています。教鞭をとるかたわら、郷土や近畿地方の歴史、文化、風習、生活などの調査をつづけました。
32歳のとき、民俗学者・渋沢敬三の主宰する「アチック・ミューゼアム」(現・日本常民文化研究所)の研究員となり、全国各地で多岐にわたる研究をおこないました。宮本常一は戦前からたくさんの民家に泊まり、フィールドワークを重ねます。日本常民文化研究所は網野善彦に引き継がれ、現在は神奈川大学内に拠点を移しています。
宮本常一の研究は文化や生活のみにとどまらず、漂白民、被差別民、性にまでおよびました。そのことで民俗学者・柳田國男からは、無視、軽蔑されていた時期もあります。宮本常一の代表作として、『忘れられた日本人』(岩波文庫)を選びました。私が最初に読んだのは、『ちくま日本文学022・宮本常一』(文庫版)でした。ここには抄録の形で、「忘れられた日本人」も所収されています。宮本常一にふれてみたい方には、お薦めの著作です。
私はその後、『忘れられた日本人』(岩波文庫)を読み、たくさんの著作にまで手を伸ばしました。宮本常一の世界にどっぷりとはまったわけです。どの著作からも古老の生の声が聞こえてきて、自分の豊かな「いま」が恥ずかしくなったほどです。
宮本常一自身が岩波文庫『忘れられた日本人』の「あとがき」に、つぎのように書いています。すさまじいほどのエネルギーです。私がどんな説明をするよりも、本人が書いた仕事ぶりについてご覧いただきたいと思います。
――私の方法はまず目的の村へいくと、その村を一通りまわって、どういう村であるかを見る。つぎに役場へいって倉庫の中をさがして明治以来の資料をしらべる。つぎにそれをもとにして役場の人たちから疑問の点をたしかめる。同様に森林組合や農協をたずねていってしらべる。その間に古文書のあることがわかれば、旧家をたずねて必要なものを書きうつす。一方何戸かの農家を選定して個別調査をする。私の場合は大てい一軒に半日かける。午前・午後・夜と一日三軒すませば上乗の方。(「あとがき」より引用)
◎宮本民俗学の代表作
宮本常一は原稿用紙の束と米を背負って、全国を歩き回りました。農家に泊めてもらうには、米を提供するのが常識の時代だったのです。コピー機もデジカメもない時代の話です。歩く、目で確かめる、聞き取る、探す、文字や絵で写し取る。これが現代流にいうなら、宮本常一のフィールドワークのすべてだったわけです。
『忘れられた日本人』のなかに、「土佐源氏」という章があります。土佐山中の橋の下に、乞食小屋がありました。そこには小柄な、80歳を超えた盲目の老人が独居していました。老人はぼくとつに、自らの生い立ちを語りました。
「母親が夜這いに来る男の種をみごもってできたのがわしで……」
「昔は貧乏人家の子はみんな子守り奉公したもんじゃ」
「わしは家から三里ばかりはなれた在所のばくろうの家へ奉公にいった」
「わしの親方は助平じゃったで、なじみの家のまえを通りかかると、日中でもすぐ座敷へ上がって女をころがす」
(以上本文より引用)
こんな話が延々とつづきます。この章に関しては、モデルにされたという人の子孫から訴えられたり、でっちあげだという批評家もいたようです。録音機などない時代の取材です。宮本常一の地道な仕事に、ケチをつけるのは見苦しいと思います。本書では盲目の老人の名前は特定されていません。「乞食とはなにごとか」と抗議されても、今風にホームレスなどといわない時代の話なのです。
『忘れられた日本人』のなかで、「土佐源氏」の記述は特筆されます。地域文化を支えてきた老人が、どのように生きてきたのか。時代の波に押し流されながら、なにを考えてきたのか。宮本常一は、手抜きをすることがありません。私は一人の孤独な老人のすべてが、過不足なくつづられていると思っています。
佐野眞一に『旅する巨人』(文春文庫)という著作があります。副題には「宮本常一と渋沢敬三」と添えられています。大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した傑作評伝なので、こちらもぜひ読んでもらいたいと思います。そのなかに「土佐源氏の謎」という章(14章)があります。こちらも併読すると、宮本常一の描き出した「土佐源氏」の世界がもっとふくらみます。
宮本常一の著作については、文庫化されているものだけでも数10冊存在しています。ほかに写真集(ネットでみることもできます)などもあり、宮本常一にはまってしまうと抜け出せなくなります。文章は平易ですし、肩に力が入っていない記述にも好感がもてます。
前記のように『ちくま日本文学022・宮本常一』(ちくま文庫)あたりから、読みはじめてもらいたいと思います。最近、河出文庫が力をいれています。入手しやすいので紹介しておきます。
・山に生きる人びと(河出文庫19-1解説:赤坂憲雄)
・民俗のふるさと(河出文庫19-2解説:岩田重則)
・生きていく民俗(河出文庫19-3解説:鶴見太郎)
・周防大島昔話(河出文庫19-4解説:常光徹)
もう1冊関連本を紹介しましょう。毛利甚八『宮本常一を歩く』(上下巻、小学館1998年)という本があります。著者は1958年生まれのライターです。図書館で目にして読んでみました。3年がかりで宮本常一の足跡をたどった記録と写真がおさめられています。「まえがき」から、彼の宮本常一評をひろってみます。
――とにかく凄い人で、今なら僕たちが自動車を使って三十分足らずで走る道をてくてくと一日がかりで歩いては年寄りの話を聞き、古文書をみつければ徹夜で原稿用紙に書き写して、翌日には次の集落を目指してまた一日がかりで歩く、そういう怖いほど激しい旅を戦前から戦後にかけてやったのです。
うーむ。完全にはまってしまった人もいるのです。最後に宮本常一にはまった有名人を紹介して本文をしめたいと思います。
――三枝さんはこの本(『忘れられた日本人』)を読んで旅に駆り立てられ、島めぐりを始めたそうですね。
三枝:友人をつのって、トカラ列島の宝島とか瀬戸内海の佐高島とか、いろんなところへ行きました。そうすると、あっと驚く社会があるんです。それが、みんないいんですね。
(『NHK・私の1冊日本の100冊・人生を変えた1冊編』Gakkenより引用)
インタビューに答えているのは、作曲家の三枝成彰氏です。『NHK私の1冊日本の100冊・人生を変えた1冊編』(Gakken)に掲載されていました。この本は、「感動がとまらない編」と2冊シリーズになっています。読書ガイドとしては、高い評価ができます。
(山本藤光:2012.11.28初稿、2018.02.03改稿)
昭和14年以来、日本全国をくまなく歩き、各地の民間伝承を克明に調査した著者(1907‐81)が、文化を築き支えてきた伝承者=老人達がどのような環境に生きてきたかを、古老たち自身の語るライフヒストリーをまじえて生き生きと描く。辺境の地で黙々と生きる日本人の存在を歴史の舞台にうかびあがらせた宮本民俗学の代表作。(「BOOK」データベースより)
◎宮本常一の世界にはまった
宮本常一が生まれたのは、山口県屋久島(大島郡周防大島町)の農家です。宮本常一は師範学校卒業後、小中学校の教師になっています。教鞭をとるかたわら、郷土や近畿地方の歴史、文化、風習、生活などの調査をつづけました。
32歳のとき、民俗学者・渋沢敬三の主宰する「アチック・ミューゼアム」(現・日本常民文化研究所)の研究員となり、全国各地で多岐にわたる研究をおこないました。宮本常一は戦前からたくさんの民家に泊まり、フィールドワークを重ねます。日本常民文化研究所は網野善彦に引き継がれ、現在は神奈川大学内に拠点を移しています。
宮本常一の研究は文化や生活のみにとどまらず、漂白民、被差別民、性にまでおよびました。そのことで民俗学者・柳田國男からは、無視、軽蔑されていた時期もあります。宮本常一の代表作として、『忘れられた日本人』(岩波文庫)を選びました。私が最初に読んだのは、『ちくま日本文学022・宮本常一』(文庫版)でした。ここには抄録の形で、「忘れられた日本人」も所収されています。宮本常一にふれてみたい方には、お薦めの著作です。
私はその後、『忘れられた日本人』(岩波文庫)を読み、たくさんの著作にまで手を伸ばしました。宮本常一の世界にどっぷりとはまったわけです。どの著作からも古老の生の声が聞こえてきて、自分の豊かな「いま」が恥ずかしくなったほどです。
宮本常一自身が岩波文庫『忘れられた日本人』の「あとがき」に、つぎのように書いています。すさまじいほどのエネルギーです。私がどんな説明をするよりも、本人が書いた仕事ぶりについてご覧いただきたいと思います。
――私の方法はまず目的の村へいくと、その村を一通りまわって、どういう村であるかを見る。つぎに役場へいって倉庫の中をさがして明治以来の資料をしらべる。つぎにそれをもとにして役場の人たちから疑問の点をたしかめる。同様に森林組合や農協をたずねていってしらべる。その間に古文書のあることがわかれば、旧家をたずねて必要なものを書きうつす。一方何戸かの農家を選定して個別調査をする。私の場合は大てい一軒に半日かける。午前・午後・夜と一日三軒すませば上乗の方。(「あとがき」より引用)
◎宮本民俗学の代表作
宮本常一は原稿用紙の束と米を背負って、全国を歩き回りました。農家に泊めてもらうには、米を提供するのが常識の時代だったのです。コピー機もデジカメもない時代の話です。歩く、目で確かめる、聞き取る、探す、文字や絵で写し取る。これが現代流にいうなら、宮本常一のフィールドワークのすべてだったわけです。
『忘れられた日本人』のなかに、「土佐源氏」という章があります。土佐山中の橋の下に、乞食小屋がありました。そこには小柄な、80歳を超えた盲目の老人が独居していました。老人はぼくとつに、自らの生い立ちを語りました。
「母親が夜這いに来る男の種をみごもってできたのがわしで……」
「昔は貧乏人家の子はみんな子守り奉公したもんじゃ」
「わしは家から三里ばかりはなれた在所のばくろうの家へ奉公にいった」
「わしの親方は助平じゃったで、なじみの家のまえを通りかかると、日中でもすぐ座敷へ上がって女をころがす」
(以上本文より引用)
こんな話が延々とつづきます。この章に関しては、モデルにされたという人の子孫から訴えられたり、でっちあげだという批評家もいたようです。録音機などない時代の取材です。宮本常一の地道な仕事に、ケチをつけるのは見苦しいと思います。本書では盲目の老人の名前は特定されていません。「乞食とはなにごとか」と抗議されても、今風にホームレスなどといわない時代の話なのです。
『忘れられた日本人』のなかで、「土佐源氏」の記述は特筆されます。地域文化を支えてきた老人が、どのように生きてきたのか。時代の波に押し流されながら、なにを考えてきたのか。宮本常一は、手抜きをすることがありません。私は一人の孤独な老人のすべてが、過不足なくつづられていると思っています。
佐野眞一に『旅する巨人』(文春文庫)という著作があります。副題には「宮本常一と渋沢敬三」と添えられています。大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した傑作評伝なので、こちらもぜひ読んでもらいたいと思います。そのなかに「土佐源氏の謎」という章(14章)があります。こちらも併読すると、宮本常一の描き出した「土佐源氏」の世界がもっとふくらみます。
宮本常一の著作については、文庫化されているものだけでも数10冊存在しています。ほかに写真集(ネットでみることもできます)などもあり、宮本常一にはまってしまうと抜け出せなくなります。文章は平易ですし、肩に力が入っていない記述にも好感がもてます。
前記のように『ちくま日本文学022・宮本常一』(ちくま文庫)あたりから、読みはじめてもらいたいと思います。最近、河出文庫が力をいれています。入手しやすいので紹介しておきます。
・山に生きる人びと(河出文庫19-1解説:赤坂憲雄)
・民俗のふるさと(河出文庫19-2解説:岩田重則)
・生きていく民俗(河出文庫19-3解説:鶴見太郎)
・周防大島昔話(河出文庫19-4解説:常光徹)
もう1冊関連本を紹介しましょう。毛利甚八『宮本常一を歩く』(上下巻、小学館1998年)という本があります。著者は1958年生まれのライターです。図書館で目にして読んでみました。3年がかりで宮本常一の足跡をたどった記録と写真がおさめられています。「まえがき」から、彼の宮本常一評をひろってみます。
――とにかく凄い人で、今なら僕たちが自動車を使って三十分足らずで走る道をてくてくと一日がかりで歩いては年寄りの話を聞き、古文書をみつければ徹夜で原稿用紙に書き写して、翌日には次の集落を目指してまた一日がかりで歩く、そういう怖いほど激しい旅を戦前から戦後にかけてやったのです。
うーむ。完全にはまってしまった人もいるのです。最後に宮本常一にはまった有名人を紹介して本文をしめたいと思います。
――三枝さんはこの本(『忘れられた日本人』)を読んで旅に駆り立てられ、島めぐりを始めたそうですね。
三枝:友人をつのって、トカラ列島の宝島とか瀬戸内海の佐高島とか、いろんなところへ行きました。そうすると、あっと驚く社会があるんです。それが、みんないいんですね。
(『NHK・私の1冊日本の100冊・人生を変えた1冊編』Gakkenより引用)
インタビューに答えているのは、作曲家の三枝成彰氏です。『NHK私の1冊日本の100冊・人生を変えた1冊編』(Gakken)に掲載されていました。この本は、「感動がとまらない編」と2冊シリーズになっています。読書ガイドとしては、高い評価ができます。
(山本藤光:2012.11.28初稿、2018.02.03改稿)
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