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北村薫『スキップ』『ターン』『リセット』(新潮文庫)

2018-02-05 | 書評「き」の国内著者
北村薫『スキップ』『ターン』『リセット』(新潮文庫)

昭和40年代の初め。わたし一ノ瀬真理子は17歳、千葉の海近くの女子高二年。それは九月、大雨で運動会の後半が中止になった夕方、わたしは家の八畳間で一人、レコードをかけ目を閉じた。目覚めたのは桜木真理子42歳。夫と17歳の娘がいる高校の国語教師。わたしは一体どうなってしまったのか。独りぼっちだ―でも、わたしは進む。心が体を歩ませる。顔をあげ、『わたし』を生きていく。(「BOOK」データベースより)

◎何束ものワラジをはいて

 北村薫は早稲田大学を卒業後、13年間高校の国語教師をしていました。仕事のかたわら、創元推理文庫「日本探偵小説全集」の編集もしていました。そうしたなかで北村薫を執筆に駆り立てたのは、友人・折原一のデビューでした。
 
 折原一は高校、大学と、北村薫の後輩として同じ道を歩いてきました。折原一のデビュー作『五つの棺』(創元推理文庫、初出1988年)を追いかけるように、先輩北村薫は1年後、『空飛ぶ馬』(創元推理文庫)で文壇の門をたたきました。
 
 北村薫のデビュー作『空飛ぶ馬』は、女子大生の「私」がワトスン役、落語家の春桜亭円紫(しゅんおうてい・えんし)がホームズ役を務めるミステリーです。その後北村薫は「円紫シリーズ」として続編を発表しました。このほかには、「覆面作家シリーズ」があります。

私は北村薫が心境地をひらいた、「時と人の3部作」(『スキップ』『ターン』『リセット』いずれも新潮文庫)を高く評価しています。今回はここにフォーカスをあてて、ご紹介させていただきます。

さらに北村薫は、エッセイストやアンソロジストとしても活躍しています。宮部みゆきとの共著『名短篇ここにあり』(ちくま文庫)や『鮎川哲也短編傑作選』(創元推理文庫)では、すばらしい編集力を発揮しています。
 
 2009年には「ベッキーさんシリーズ」第3弾、『鷺と雪』(文春文庫)で直木賞を受賞しました。女子学習院に通う士族令嬢・花村英子と女性運転手(ベッキーさん)が活躍する、このシリーズの完結を待ちかまえていたかのような直木賞受賞でした。ちなみに「ベッキーさんシリーズ」の第1弾は、『街の灯』(文春文庫)。第2弾は『玻璃の天』(文春文庫)です。

◎『スキップ』と『ターン』の魅力
 
「時と人の3部作」の『スキップ』は17歳の真理子が、突然25年後の自分になっていたという話です。未成熟な10代の意識のまま、40代の環境や肉体のなかに投げ出された真理子。彼女の戸惑いと挑戦を描き、タイムトラベル小説の頂点に立つ作品です。 
 
『ターン』(新潮文庫)の主人公は「君」こと真希で29歳。短大を卒業して入社した会社は、あっさりと倒産しました。その後、週2回こども相手の美術教室の手伝いをしながら、趣味のメゾチント(銅板版画)の売りこみをおこなっています。

『ターン』は「わたし」の独白と、わたしを「君」と呼ぶ陰の声で構成されています。こんな具合です。

――「だから、時間っていうのは、ぱらぱら漫画みたいなものなんじゃないかしら」/ぱらぱら漫画? /「ずらした絵を描いて、めくるやつよ。それで動いて見える」/ああ、あれか。/「だから一瞬一瞬が存在していて、それが無限に続いた連続体なのよ。一瞬がなかったら、全体もない。その絵の一枚に、わたしが止まったの」(本文より)

 ある日、「君」は一定の時間になると、時計が1日戻ってしまう異次元にはいりこみます。そこにはだれも存在していません。だれもが「昨日」として、消化してしまった時間だからです。したがって『ターン』に陰の声を用いるのは、必然的な手法といえます。それでなければ、小説としてなりたちようがありません。

「君」は自分がおかれた境遇を「ロビンソン・クルーソー」になぞらえます。形こそ違えこの作品は、孤独からの脱出をテーマにしています。孤島にとり残されるのと、過ぎ去った時間の中にとり残されるのとのちがいがありますが。

『スキップ』と『ターン』は、独立した別の作品として読むこともできます。しかし2つの作品の根底にあるのは、〈時間の流れ〉と〈孤独〉なのです。ミステリーのなかで、もっとも難しいといわれるタイムトラベルものを、北村薫は鮮やかに料理してみせました。

逆境におかれた、主人公の孤独と恐怖感。それに立ち向かいはじめる、主人公の姿勢。北村作品の主人公たちは、常に打開策を熱心に考えます。そして動きだします。動いてみてはまた考えます。計画・行動・検証のサイクルがしっかりしているから、北村作品は安定しているのです。プラン・ドウ・チェック・リサーチのサイクルは、何も営業マン向けハウツー本の専売特許ではありません。

◎『リセット』で「時と人」が完結

「時と人」の3部作が、6年間の時空を超えて完結しました。『スキップ』『ターン』につづく『リセット』は、見事なアンカー役を果たしました。個人的に私は、『リセット』をいちばん高く評価しています。
 
『スキップ』は10代の少女が、突然40代の自分にスキップしてしまう話。『ターン』は信じ難い環境に封じこめられた20代後半の女性が、未来を探す話。そして『リセット』は、戦時中と現在の2つの空間を描いた作品です。

 第1部は、太平洋戦争末期の神戸が舞台。主人公の真澄は女学生で、セーラー服に別れを告げ、もんぺ姿になっています。真澄はひそかに、友人・八千代の兄に思いを寄せています。この時代はまだ男女の間に封建的な壁があり、容易に接近することはできません。

第1部では、防空壕・学徒勤労動員・配給品・B29・疎開・空襲などの用語が踊ります。その隙間をうめるように、獅子座流星群・啄木かるた・「愛の一家」という本などが呼吸しています。

 北村薫は渾身の力で、この作品を書きあげました。残されていた父親の日記と自分自身の少年時代の日記を、はじめて作品のなかにとりこみました。(「波」2001年1月号を参照しました)それだけに現実感あふれる作品に仕上がっています。一つひとつの情景が鮮やかに描かれており、そこに生きている登場人物の呼吸や鼓動が聞こえるほどです。

 第2部以降は、説明しないほうがいいと思います。ぜひ読んで感動していただきたいと思います。『リセット』は、ほのかで淡い恋心という色を、過去と現在の2つのキャンパスに均一に塗った完成された作品でした。
(山本藤光:2009.07.30初稿、2018.02.05改稿)

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