山本藤光の文庫で読む500+α

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田辺聖子『私的生活』(講談社文庫)

2018-03-12 | 書評「た」の国内著者
田辺聖子『私的生活』(講談社文庫)

辛く切ない大失恋のあと、剛から海の見えるマンションを見せられて、つい「結婚、する!」と叫んでしまった乃里子、33歳。結婚生活はゴージャスそのもの。しかし、金持ちだが傲慢な剛の家族とも距離を置き、贅沢にも飽き、どこかヒトゴトのように感じていた。「私」の生活はどこにある? 田辺恋愛小説の最高峰。(「BOOK」データベースより)

◎きっと結婚する

田辺聖子『私的生活』(講談社文庫)は、「乃里子シリーズ」(「言い寄る」「私的生活」「苺をつぶしながら」)の2作目にあたります。シリーズのなかでは、本作がベストだと思います。もちろん第1作から読む方が好ましいのですが。

『言い寄る』(講談社文庫)の「あとがきに代えて」で、田辺聖子はシリーズの抱負を次のように語っています。

――男の子と女の子が、互いに、どこが好きか、どこに魅かれたか、ということを発見していく小説、会話がぽんぽんとかわされて、頁をめくるいとまも惜しいというような小説こそが、恋愛小説だと思っていたから。(同書「あとがきに代えて」)

『言い寄る』での乃里子は独身。財閥の御曹司・剛とのちぐはぐな関係が描かれています。ここでの剛は妻がありながら、誰とでも寝る独善的で鼻持ちならない男です。常に相手を見下し、金持ちを鼻にかけています。平気で乃里子を殴ります。嫉妬深く、ときどき幼さが顔を出します。
 そんな剛と乃里子は、結婚することになるだろう。確信のなかで、この2人が結婚したらどんなことになるのだろうか。第1作を読み終えたとき、第2作の『私的生活』では、もっとはちゃめちゃになるだろうとの予感はありました。

◎かわってゆく人の心

田辺聖子は『私的生活』のあとがきに、次のように書いています。

――私にとって男と女の関係は尽きぬ興味の源泉である。それも波瀾万丈の運命よりも、日常のただごとのうちに心がわりしてゆく、という、そのあたりのドラマが私の心を惹きつける。白い布に一滴の水が落ち、静かにしみ(・・)がひろがってゆくように、また夕焼けの色が褪せるように、かわってゆく人の心というものは、なんとふしぎなものだろう。(文庫本あとがき)

 田辺聖子は引用の心意気を、みごとに小説として表現しました。主人公の乃里子は32歳。どこにでもいるタイプの細身の女性です。頭はよく、仕事はてきぱきとこなします。そんな乃里子を、大会社社長の長男「剛」が見初めます。剛は乃里子よりも年下で、ハンサムで気位が高く幼稚な性格です。剛は乃里子を神戸の海の見えるマンションへ誘います。そして乃里子はそこで、求愛を受諾します。

――私は、このベランダの光景が好きで、剛と結婚してうれしかったのは、このマンションからの眺めのせいだ、といったら、叱られるかしらん。(本文P10)

◎別れ方

 結婚により、乃里子の生活は激変することになります。服はオーダーメイドになり、欲しいものは電話一本でデパートの外商が届けてくれます。第1作『言い寄る』に登場する乃里子の仕事場兼住居マンションは、そのままになっています。
 剛はここに忍びこんで、乃里子の古い日記を盗み読みします。それが露見してのやりとりは、2人のちぐはぐさの頂点といえます。

(引用はじめ)
「すまん、いうてるやないか」
 剛は、さっきの、機嫌のいい顔に戻ろうとしていた。
「そやけど、考えてくれよ、好きやからそんなん、すんねん、乃里子が好きやから、何考えてるか知りとうなるねん――」
(引用おわりP135)

 このあたりから、乃里子は別れの予感を抱きはじめます。冷めてしまった関係を修復しようと、剛は乃里子を旅行に連れ出します。
しかし乃里子の心境は、次のようなものでした。

――このまま、剛とつづけていくこともできるし、「殺すなら殺せ」の心境で、剛の一族と折り合いよく、暮らしていく才能も、私にはある。しかし、いつかは、「散髪にいくよ」と出ていくことになるだろう。(本文P268)

これ以上ストーリーには触れませんが、川上弘美が本書のラスト部分に言及している記事があります。

――田辺聖子さんの本を、恋愛小説と思って読んでいると、「あっ、油断した」いう瞬間があるんです。『私的生活』という話の、最後のほうで恋人と別れるにはどうしたらいいかを主人公の女の人が知り合いの男の人に訊くんです。そうすると、その男の人がお金をもらって別れるんですね、払って別れてもらう場合もあります、
と言うんです。(糸井重里との対談。2006.01.20)

 田辺聖子に「びっくりハウス」(『鼠の浄土・田辺聖子コレクション7』ポプラ文庫所収)という短編があります。百目鬼恭三郎は次のように解説しています。田辺聖子しか書けない世界。3部作を読むのはしんどいという方にお勧めです。

――浮気がバレても一向に平気な妻と、はじめは腹をたてていても、いつの間にかその浮気相手の青年と意気投合してしまうアカンタレの亭主、というケッタイな夫婦の話をあっけらかんと書いて、この作者のほかにはだれも描き得ない独特の世界を展開してくれているのだ。(百目鬼恭三郎『現代の作家一〇一人』新潮社P127-128)

「山本藤光の文庫で読む500+α」では、すでに田辺聖子『今昔まんだら』(角川文庫)を紹介させていただいています。田辺聖子は古典に誘う名ナビゲータですが、関西弁の小説にも味があります。 
山本藤光2017.07.28初稿、2018.03.12改稿


松岡圭祐『催眠』(小学館文庫)

2018-03-12 | 書評「ま」の国内著者
松岡圭祐『催眠』(小学館文庫)

複雑な精神病理の形をとり発現する心の叫び!これが人格の病なのか…実際の医療カウンセリング業界における数多くの事例をもとに、巧みな場面展開と本物のディテールで描ききったサイコ・サスペンス長編。(「BOOK」データベースより)

◎集団催眠の世界記録保持者

松岡圭祐が売れています。「千里眼」「万能鑑定士Q」など、次々とシリーズを連ねています。とても全作品を追いかけられないので、各シリーズの第1作だけ読んでみました。松岡圭祐との出会いは、デビュー作『催眠』(小学館、初出1997年)を出版社から寄贈されて以来です。当時私はPHPメルマガ「ブックチェイス」で、毎週現代文学の書評を担当していました。

もちろん松岡圭祐の名前は、知りませんでした。『催眠』を読んで、実力派のパワフルな新人登場と感激しました。すぐに書評を発信しました。「催眠術プロのデビュ作『催眠』はすごい」という見出しをつけました。読者から指摘がありました。『催眠』は小説のデビュー作だけれど、真のデビュー作ではないとのことでした。

調べてみました。なるほど「催眠術」関連の本を、すでに出版していたのです。

『催眠術バイブル - 他人を操る驚異のテクニック』(にちぶん文庫、初出1995 年)
『松岡圭祐の催眠絵本 ダイエット - 眺めるだけで、やせる! 』 (同文書院、1996年)

その後に出版された『驚異の催眠ダイエット・読むだけでやせる』(KKベストセラーズ、初出1998年)には、集団催眠の世界記録保持者として「ギネスブック」に載っていると書かれていました。

◎専門家が物語を引っ張る

『催眠』の主人公・実相寺は、いい加減な催眠術師です。占い師プロダクションに所属し、給料をもらっています。いろいろな占いが軒を連ねて、客を待っている図を想像していただければよいと思います。

物語は実相寺がテレビ番組に、出演するところから幕があがります。相手はNHKの連続ドラマで人気者となった、国民的美少女でした。ところが一向に催眠術がかかりません。

打ちひしがれて職場に戻った主人公のもとへ、入江由香という女が訪ねてきます。女は猿にかけられた催眠術を、解いてほしいといいます。

実相寺のことは、さきほどのテレビで知ったと告げました。催眠術を解きにかかった実相寺の目前で、入江由香は突然人格を変えて宇宙人になります。実相寺は演技だと、誤解します。やがて由香は催眠から覚めて、実相寺の呼びかけに応えます。

――「入江さん?」女は驚いたようすできいた。「入江って、だれ?」/「あなたが自分で名のったじゃないですか。入江由香」/「はあ? なにいってんの。わたしは理恵子。由香なんて知らないわ」(本文より)

入江由香は、様々な超能力をもっています。ジャンケンは絶対に負けませんし、透視の能力もあります。ときには理恵子となり、ときには宇宙人として声を発します。

いつの間にか入江由香は、占い師として評価されるようになります。この作品の優れた点は、「東京カウンセリング心理センター」の存在にあります。そこに勤務する催眠療法科長・嵯峨は、ひょんなことから入江由香を知ります。

嵯峨は由香を多重人格障害とみなし、何とか救おうとします。この他にもセンターの部長・倉石、催眠療法科カウンセラーの朝比奈宏美、嵯峨と同期の鹿内管理科長、そして赤戸病院・脳神経外科医長の根岸知加子などの、専門家が物語を引っ張ります。

本書が成功しているのは、それぞれの道における専門家の意見や推察を、ていねいに書きこんでいる点にあります。松岡圭祐は頼りない主人公を、バラエティに富んだ脇役で固めます。

殺人が起こらないサスペンス小説で、これほどまでの緊張感を持続できる著者の実力は本物です。855枚の長編とは思えないほど、一気に読んでしまいました。とてつもなくスケールの大きな新人が誕生しました。

これが小説のデビュー作での書評です。売れっ子作家・松岡圭祐の誕生の作品を、ぜひ忘れないでください。
(山本藤光:1999.05.15初稿、2018.03.12改稿)

岩中祥史『札幌学』(新潮文庫)

2018-03-12 | 書評「い」の国内著者
岩中祥史『札幌学』(新潮文庫)

美しい自然があり、ウインタースポーツが楽しめ、美味しい食べ物も味わえる北の都。だが、そこは人気の観光地でありながら、二百万人近い人々が暮らす巨大都市でもあった。この街を知るには、しがらみから離れ、合理的で自由奔放な札幌人の生態を知らなければならない。歴史、地理、行事、慣行はもちろん、観光やグルメのツボも押さえた北の都市学。真の札幌好きへ贈る充実の一冊。(「BOOK」データベースより)

◎北欧の匂いがする街

岩中祥史(いわなか・よしふみ)は、1950年生まれの名古屋育ちの編集者・出版プロデューサーです。『札幌学』(新潮文庫、初出2009年)上梓以前に、『博多学』(新潮文庫、初出2003年)など何作も著作を発表しています。しかし私の目に触れることはありませんでした。

新潮社の情報誌『波』のなかに、こんな文章がありました。

――都市はその規模と関係なく、住んでみたくなるところと、行ってみたくなるところとに大別される。しかし、その両方を兼ね備えたところとなると少ない。そうした意味では、博多と札幌は双璧だろう。二つの都市に共通するのは、「異国」の匂いがすることで、博多はアジア、一方の札幌は北欧を感じさせる。(『波』2009年3月号、岩中祥史「引きの強い街」より)

北海道は屯田兵により開墾されました。その名残は地名として、いたるところに残されています。「鳥取」「広島」「富山」など、屯田兵の出身地がそのまま町名となっています。また先住民族のアイヌがつけた名前が、そのまま漢字で表記されている地名はたくさん存在しています。

◎道産子には書けない

岩中祥史『札幌学』(新潮文庫)を 笑いながら読みました。『札幌学』は道産子の私でさえ、新発見をさせられことがたくさんありました。

冠婚葬祭はもちろん、道産子気質に触れた部分は「あるある」「そうだったのか」「なるほど」と、忙しい合いの手が入ってしまいました。今現在札幌や北海道に住んでいる人よりも、離れた人が読むと前記の反応になると思います。

「学」とついているから、生活保護や離婚率まで統計学的に詳述されています。書かれていることの多くは、あたっています。これは血液型よりも信憑性があると思います。私自身を切り刻まれているような、不思議な感覚になって読みました。

「これ、それとばくろうよ」「あずましくない」「じょんぴんかる」など、方言も懐かしく思い出しました。「ばくる」は交換するの意味なのですが、おそらく馬の仲介をする商人・馬喰が語源だと思います。「あずましくない」は、安住しがたいが語源だと思います。落ち着かないときに用いていました。「じょんぴん」は錠前のことです。

本書には直接の言及はありませんでしたが、そんな方言が浮かんできました。

道産子はドライである。著者はそう書いています。そのとおりだと思います。著者である岩中さんに脱帽です。いまごろの札幌は、しばれているんだろうな、と思いつつペンを置きます。
(山本藤光:2013.06.16初稿、2018.03.12改稿)

ジュディ・マーサー『喪失』(講談社文庫、北沢あかね訳)

2018-03-12 | 書評「マ行」の海外著者
ジュディ・マーサー『喪失』(講談社文庫、北沢あかね訳)

不安な夢から醒めると、そこは見たこもない部屋だった。鏡に映った自分の顔にも見覚えがない。顔も体もこの部屋も、自分のものではないという感覚以外、彼女は何も覚えていなかった。おまけに何者かに狙われてもいるようだ。やがて自分探しを始めた彼女の前に…。魅惑のヒロイン誕生の傑作サスペンス。(「BOOK」データベースより)

◎将来性のある女流のヨチヨチ歩き

記憶喪失はミステリーのなかで、もっともおもしろいテーマです。それがずばり標題作になっていたので、迷わずに買いもとめました。翻訳ものは登場人物の名前が覚えにくく、読んでいて難渋することが多いものです。私が翻訳ものを敬遠する理由はそこにあります。

多くの翻訳ものには、ページの頭の方かしおりに「主な登場人物」がまとめられています。同じような苦労をしている読者が多いのでしょう。

『喪失』には登場人物として、18人の名前があげられています。もしも題名が『喪失』でなければ、店頭で買うことを放棄していました。私の場合は10人が限界なのです。この作品はしばらく、書棚の未読コーナーに眠っていました。読まなければならない作品が多く、なかなか手がまわらなかったからです。しかしいつも3番目のカテゴリーで、ペンディング(保留)第1位の場所にいました。

私の場合は、4つのジャンルを併行して読んでいます。現代日本文学、近代日本文学、海外文学、知・教養・古典ジャンルです。さて2年間温めていた『喪失』を読みました。冒頭の章が効いています。主人公のエアリアル・ゴールドは朝、夢で目を覚まします。鏡に映った顔が、自分の記憶にあるものではありませんでした。

室内にいたシェパードの名前がわかりません。しかも自分の衣服に、血痕が付着しています。さらに「片方の頬には切り傷とあざがある。額の上の方にはこぶが一つ。目は泣いたために赤く腫れ上がり、今にもふさがってしまいそう」であり、部屋の中も荒らされています。自分がだれだかわからず、なにやら事件に巻きこまれた形跡があります。

自分を失ったエアリアルは、だれかに狙われています。恐怖の真っ只中にいたエアリアルが、現実に引きもどされたのは一本の電話でした。しかし相手がわかりません。ただし主人公は、この電話で自分の名前を知ります。自分以外の他人を、敵と味方に区分しはじめます。
 
本書のおもしろさは、登場人物が敵なのか味方なのかが最後までわからないことにあります。自分の身辺にあらわれる人たちを選り分け、同時に自分の過去から現在までの空白を、埋めなければなりません。

長い作品にもかかわらず、登場人物が個性豊かなために、「主な登場人物」のページにたよることはありませんでした。気になったのは、会話が間延びしていることです。さかんにセリフのなかに名作からの引用が入るのですが、それがあまり効いていません。引用部分はイタリック体で書かれています。そのせいで会話がスムースに流れません。

結末はありきたりのものでした。私がこの作品を評価したのは、訳者(北沢あかね)が書いていることと一致します。

――著者のキャリアは、主人公の造形にも、細部まで目の行き届いた説得力のある描写と骨太の構成にも、見事に生かされていると言えよう。(本文より)

著者はニュースレポーターやディスクジョキー、広告のコピーライターなどを経験しています。相手に伝える技術、相手から引き出す技術、相手を惹きつける技術を兼ね備えているのですから、おおいに期待できます。第2作を待ちたいと思います。

(ここまでは、PHP研究所「ブック・チェイス」1998.08.02に掲載したものを加筆修正しました)

◎99番目の推薦作

その後ジュディ・マーサーは、『偽装』『猜疑』(ともに講談社文庫)を発表しています。こちらは未読ですので、読んでからコメントさせていただきます。本書は「海外文学作品125+α」の124番目の紹介作品です。

あと1作品を紹介させていただいたら、リストアップの入れ替え作業が待っています。なんとか残しておきたい作品なのですが・
(山本藤光:1998.08.02初稿、2018.03.12改稿)


須川邦彦『無人島に生きる十六人』(新潮文庫)

2018-03-12 | 書評「す・せ・そ」の国内著者
須川邦彦『無人島に生きる十六人』(新潮文庫)

大嵐で船が難破し、僕らは無人島に流れついた!明治31年、帆船・龍睡丸は太平洋上で座礁し、脱出した16人を乗せたボートは、珊瑚礁のちっちゃな島に漂着した。飲み水や火の確保、見張り櫓や海亀牧場作り、海鳥やあざらしとの交流など、助け合い、日々工夫する日本男児たちは、再び祖国の土を踏むことができるのだろうか?名作『十五少年漂流記』に勝る、感動の冒険実話。(「BOOK」データベースより)

◎勇気と信念の実話

『十五少年漂流記』に代表される、冒険小説が好きです。本書は日本版の「十六おじさん漂流記」です。時代は明治31年。暗礁に乗り上げた探検船・龍睡丸は、日本の南東の端にある「海賊島」へ向かっていました。しかし大嵐に遭遇し、龍睡丸は暗礁にうちあげられました。沈没を余儀なくされたとき、船長は全員を集めて申し渡します。

――こんな場合の覚悟は、日ごろから、じゅうぶんにできているはずだ。この真のやみに、岩にくだけてくる大波の中を、およいで上陸するのは、むだに命をすてることだ。夜が明けたら上陸する。あと三時間ほどのしんぼうだ。この間に、これからさき、五年、十年の無人島生活に必要だとおもう品々を、めいめいで、なんでもあつめておけ。(本文P67より)

必要最小限のものを伝馬船に積みこみ、船長をふくめた16名の船乗りが脱出します。本書は高等商船学校の実習生だった須川邦彦が、同校の中川教官(物語の船長)が話してくれた体験談をまとめたものです。

著者の須川邦彦について、新潮社のプロフィールから引かせていただきます。
――1880(明治13)年、東京生れ。1905年、商船学校航海科卒後、大阪商船に勤務。また、日露戦争に従軍し、水雷敷設隊として奮戦。第一次大戦では敵艦の出没する洋上に敢然、船長として乗り出し、日本海員魂を発揮した。その後、商船学校教授を経て、東京商船学校校長、海洋文化協会常務理事を歴任。1949(昭和24)年死去。

新潮文庫の「まえがき」は、中川船長が寄稿したものです。
――この物語を読んで、私は龍睡丸の十五人の人たちは、ほんとうにりっぱな人たちであったと、つくづく昔のことを思いうかべるのです。そして、昔、練習船帆船琴ノ緒丸の実習学生時代の須川君のことを、思い出されます。(中川倉吉の「まえがき」より)

16人が漂着したのは、珊瑚礁でできた無人島です。全員の無事を確認した中川船長は「全員はだかになれ」と、最初の指示をくだします。長引く無人島生活を予測し、衣服がぼろぼろになることを避けたのでした。冷静沈着な長期的思考ができる船長は、つぎなる行動に移ります。

4人ずつを1グループにして、「座礁船から荷物を運んでくる」「井戸掘りをする」「島をめぐって役に立つものをさがす」役割をあたえます。早くに任務を終えたら、つぎは海水から蒸留水をつくる装置の製作をおこないます。

ところがどうしても、真水ができません。井戸堀りチームも、真水をくみ上げることができません。彼らはへとへとになりながらも、第2の井戸堀りに挑みます。座礁船からもどったチームも第3の井戸を掘ります。しかし真水はでませんでした。

空腹と喉の渇きに苦しみながら、長い1日が暮れてゆきます。翌朝、船長は全員を集めて、新たな約束ごとを発表します。

一つ、島で手にはいるもので、くらして行く。
二つ、できない相談をいわないこと。
三つ、規律正しい生活をすること。
四つ、愉快な生活を心がけること。

4つの約束ごとに、私は違和感を覚えました。普通なら「力を合わせて」といった協調性をいちばんに求めるはずです。おそらく船長は、15人に全幅の信頼をおいているのでしょう。それゆえ命令調ではない、このようなモットーとして伝えたのだと思います。

もしも漂着したのが16人の船客だったら、こんな戒律にはなりません。まずは指導者が生まれ、その命令で統率をとるしか術はありません。探検船・龍睡丸には、中川船長という絶対の統率者がいて、3人のリーダーが存在していました。

◎楽しみながらの仕事

翌朝船長は、運転士、漁業長、水夫長を集めます。そしてつぎのように心のうちを語ります。

―― 一人でも、気がよわくなってはこまる。一人一人が、ばらばらの気もちではいけない。きょうからは、厳格な規律のもとに、十六人が、一つのかたまりになって、いつでも強い心で、しかも愉快に、ほんとうに男らしく、毎日毎日をはずかしくなくくらしていかなければならない。そして、りっぱな塾か、道場にいるような気もちで、生活しなければならない。(本文P106より)

船長がもっとも気をつかったのは、張りつめた希望のある毎日をすごさせることです。すこしでも気がゆるむと、弱気の虫が蔓延してしまいます。病気を引きおこし、仲間うちでのトラブルが生まれます。船長はみずからに、つぎのような戒めを課します。

――どんなことがあっても、おこらないこと。そして、しかったり、こごとをいったりしないことにきめた。みんなが、いつでも気もちよくしているためには、こごとはじゃまになると思ったからだ。(本文P108より)

本書には地図やわかりやすいイラストが、はさみこまれています。たとえば砂で見張り台をつくる場面は、こんな具合です。ページ上には人の2倍ほどになった砂山があります。頂上で砂を固めている人がいます。砂山の下には、砂を手渡す人がいます。砂山に向かって砂を引く人が3組います。てんびん棒で砂を運んでいる1組がいます。大の字で寝転がっている人がいます。

寝転がっているのは最年長の小笠原老人で、ぼろぼろになって倒れこんでいるのです。砂を運ぶ4組のうち、てんびん棒をつかっているのは1組だけです。木材が足りない状況をイラストは、正確にしめしてくれます。

楽しみながら進める仕事は、どんどん広がりをみせます。見張りやぐらの当番、炊事、たきぎ拾い、まきわり、魚とり、かめ牧場当番、塩製造、宿舎掃除……。

祖国日本への生還を夢見て、男たちは力を合わせます。本書は非常に読みやすい文章であり、各章は短くまとまっています。ゆっくりと、しかも十分に楽しませてくれる構成です。イラストも存在感があります。

本作品の初出は、昭和23(1948)年10月。文庫化されたのは、平成15(2003)年のことです。ずいぶん昔の作品が復刻されました。ぜひ読んでいただきたいと思います。きっと勇気と信念の大切さを、思い出すことでしょう。

本書は2009年の「新潮文庫100冊」にはいっていました。ジュール・ヴェルヌ『十五少年漂流記』(集英社文庫、「山本藤光の文庫で読む500+α」推薦作)よりも、おもしろかった。という友人もいたほどです。
(山本藤光:2009.09.06初稿、2018.03.12改稿)

佐藤正午『ジャンプ』(光文社文庫)

2018-03-12 | 書評「さ」の国内著者
佐藤正午『ジャンプ』(光文社文庫)

その夜、「僕」は、奇妙な名前の強烈なカクテルを飲んだ。ガールフレンドの南雲みはるは、酩酊した「僕」を自分のアパートに残したまま、明日の朝食のリンゴを買いに出かけた。「五分で戻ってくるわ」と笑顔を見せて。しかし、彼女はそのまま姿を消してしまった。「僕」は、わずかな手がかりを元に行方を探し始めた。失踪をテーマに現代女性の「意志」を描き、絶賛を呼んだ傑作。(「BOOK」データベースより)

◎直木賞作家のデビューのころ

佐藤正午は『永遠の1/2』(集英社文庫)で、すばる文学賞を受賞してデビューしました。当時私は、サラリーマンと書評家の二束のワラジをはいていました。いまは廃刊になりましたが、PHP研究所のメルマガ「ブックチェイス」で、毎週文芸書の紹介をしていたのです。
 
佐藤正午『永遠の1/2』は、新人離れした刺激的な作品でした。しかしその後の作品(『王様の結婚』(集英社文庫)以降の作品は、あまり感心できませんでした。

逃げ腰になった私の襟首をつかまえて、引きもどしてくれたのが『Y』(ハルキ文庫、初出1998年)でした。『Y』は忘れかけていた佐藤正午が、久し振りで存在感を示してくれた傑作だったのです。もちろん書評を発信しました。
 
それまでの佐藤正午が描く小説の舞台は、すべて佐世保に似た西海市でした。純文学でデビューした佐藤正午は、少しずつ立ち位置を変えはじめています。そして安住の舞台である西海市をかなぐりすてました。
『Y』は揺れ動く自分自身との、訣別を告げた作品だったのです。
 
その後佐藤正午は、『個人教授』(角川文庫、初出1988年)で山本周五郎賞を受賞します。ここまでは浮沈をくりかえしながらも、巧みな作家がいるくらいの印象でした。
 
少し駆け足で、デビュー作『永遠の1/2』から『Y』までの奇跡をたどりたいと思います。単行本(初版)の帯コピーを、ならべてみることにします。そして冒頭の1行をそえてみたいと思います。佐藤正午の初期作品は、チャンドラーの影響が色濃くでています。
 
■『永遠の1/2』(集英社文庫、初出1984年集英社)
帯コピー:ぼくがこよなく愛したもの。ウイスキー、競輪、チャンドラー、バルドー、江川卓、そして、良子、2つ年上――。通りすぎた愛、ぼくらの青春。
冒頭の1行:失業したとたんにツキがまわってきた。

■『王様の結婚』(集英社文庫、初出1984年集英社)
帯コピー:苦しすぎたあの愛。過去完了。もうひとつの愛。現在進行形――。すばる文学賞『永遠の1/2』に続く、待望の第二弾!
冒頭の1行:西海市青柳町三三-二一というのが女の住所だった。

■『リボルバー』(集英社文庫、晶出1985年集英社)
帯コピー:17歳には17歳の誇りがある。怒りも、そして殺意も。拳銃を拾った少年は北へ。拳銃を失くした元警官も、北へ。奇妙な味のサスペンス。初の書き下ろし長編。
冒頭の1行:「寝てるのか」と、芝生のうえに寝そべって眼をつむった男が訊ねた。

■『ビコーズ』(光文社文庫、初出1986年光文社)
帯コピー:10年前に起こした心中事件はなんだったのか? ビコーズ BECAUSE……/なぜなら 僕は 君を――。新感覚の青春小説。
冒頭の1行:「あんたはいつも片眼を閉じてるから駄目なのよ」と、よく叔母は言った。

■『Y』(ハルキ文庫、初出1998年角川春樹事務所)
帯コピー:アルファベットのYのように人生は右と左へわかれていった。(略)<時間(とき)>を超える究極のラヴ・ストーリー。
冒頭の1行:一九八〇年、九月六日、土曜日。その夜、青年は渋谷駅のプラットホームで女を見かけた。

■『ジャンプ』(光文社文庫、初出2000年光文社)
帯コピー:自分で自分の人生を選び取ったという実感はありますか? 失踪をテーマに、現代女性の「意志」を描く。著者待望の文芸ミステリー。
冒頭の1行:一杯のカクテルがときには人の運命を変えることもある。

身辺雑記に思いつきを重ねて、青春を描きつづける。純文学と佐世保という呪縛からのがれようとあがく若い作家。そんな固定概念を佐藤正午は、『Y』と『ジャンプ』で払拭してみせました。

◎佐藤正午は飛躍した

『ジャンプ』で、佐藤正午は飛躍しました。こじつけがましいのですが、私にはそう感じさせられるタイトルでした。『ジャンプ』を読みながら、村上春樹を連想しました。文体のリズムがどこか似ているのです。

『ジャンプ』は半年間つき合っていた、恋人の失踪をテーマにしています。主人公の「僕」(三谷純之輔)は「酒に弱い」。「毎朝リンゴを1個食べる」ことを習慣にしています。2つの単語が、物語のキーワードになります。

ある日恋人(南雲みはる)の行きつけの店で、カクテルを飲んだ「僕」は酔いつぶれます。そして恋人に連れられて、彼女のマンションまでたどりつきます。部屋へはいってから「僕」は、リンゴを買い忘れたことに気づきます。みはるは「リンゴを買ってくる」と出かけたまま、失踪してしまいます。

酔っていた「僕」は、それにも気づかず朝をむかえます。その朝、「僕」は札幌へ出張しなければなりません。後ろ髪を引かれる思いで、主のもどっていない部屋をでます。

出張からもどって「僕」は、恋人の部屋を訪ねます。不在。「僕」はみはるの姉とともに、恋人の足跡をたどりはじめます。「僕」がカクテルを飲み過ぎなければ……。「僕」がリンゴを求めなければ……。恋人の失踪はなかったのでしょうか。後悔の間から、疑念がわきあがります。

 少しずつみはるの行動が、かいま見えてきます。「僕」には、みはるがなにを考えているのかわかりません。いたずらに月日がたってゆきます。

『ジャンプ』は仮定形の世界をさまよう「僕」と、失踪した恋人の現在形の心模様を描いた良質な作品でした。佐藤正午は「ヒロインが失踪し、5年後に再会することはきめていた」となにかに書いていました。つまりテーマを温めつづけ、熟成のときを待っていたのです。本書は思いつきで書かれた作品ではありません。

成長した佐藤正午の、記念碑的な作品と申し上げます。佐藤正午は、大きな文学賞とは無縁の作家です。純文学と佐世保から脱皮した佐藤正午は、もうひとつ脱がなければならないものがあります。それは若い主人公との訣別です。
 
佐藤正午は「すばる文学賞」の応募作品につぎのような手紙をそえています。
――届いたらなにしろ連絡を下さい、それから、仕事ありませんか?(『すばる』1991年12月臨時増刊、「すばる文学賞・特集別冊1991」より)

しばらくして集英社編集部から電話がありました。「仕事あります」。「ジャンプ」した佐藤正午に読者は、どんなコメントを発信するのでしょうか。私は「ものすごく可能性あります」と伝えたいと思います。

ここまでが『ジャンプ』を読んでの感想でした。あれから6年。佐藤正午はいまだに、私の期待に応えてはくれません。佐藤正午、がんばれ。
(山本藤光:2010.05.11初稿、2018.03.12改稿)