山本藤光の文庫で読む500+α

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石坂洋次郎『青い山脈』(新潮文庫)

2018-03-09 | 書評「い」の国内著者
石坂洋次郎『青い山脈』(新潮文庫)

物語は、東北地方の港町を舞台に、若者の男女交際をめぐる騒動をさわやかに描いた青春小説である。『青い山脈』は、日本国憲法が施行された翌月から連載され、民主主義を啓発させることにも貢献した。また、すでに教育基本法(昭和22年法律第25号)と学校教育法(昭和22年法律第26号)も施行されていたが、『青い山脈』が連載された1947年度(昭和22年度)には学校教育法に基づく学校はほぼ皆無の状況である。(ウイキペディアより)

◎戦後の大ヒット作品

もうすぐ古希を迎えようという私の高校時代、もっとも愛読されていたのは石坂洋次郎でした。現代の若者が読んだら、きっと吹き出してしまうかもしれません。ふと懐かしくなって、半世紀ぶりに再読しました。

石坂洋次郎『青い山脈』(新潮文庫)が発表されたのは、終戦から2年後の1947年です。まだまだ封建的な考え方が支配する世の中であり、男女の恋愛も自由ではありませんでした。

――「地方の高等女学校に起こった新旧思想の対立を主題にして、これからの日本国民が築き上げていかねばならない民主的な生活の在り方を描いてみよう」と作者が意図したのがこの新聞小説である。新聞小説の復活はこの作品をきっかけとしてはじまったといえよう。健康で明るく、ユーモアに満ちた石坂文学は、映画化の成功もあって、戦後最初のミリオン・セラーとなった。(小田切進・尾崎秀樹『日本名作事典』平凡社P19)


石坂洋次郎は戦前に、『若い人』や『石中先生行状記』などを発表しています。しかし前者は不敬および誣告罪で告訴され、後者はわいせつということで発禁処分を受けています。そんな石坂洋次郎は戦争が終わり、水を得た魚のように朝日新聞に『青い山脈』の連載を開始しました。

石坂洋次郎の小説は、それまでの私小説にうんざりしていた読者層を、わしづかみにしました。

――石坂作品は、性や男女交際の解放、民主化を明るい日差しのもとにさらして虫干ししたとも言えます。(佐高信・談、井上ひさしほか編『座談会・昭和文学史・第3巻』集英社P240)

石坂作品は丹羽文雄、石川達三、船橋聖一などとならんで、風俗小説と呼ばれました。なかでも『青い山脈』は、何度も映画化されました。私が観たのは、吉永小百合のものでした。原作の冒頭は主人公の寺沢新子が、乾物屋へ米を売りつける場面になっています。対応に出たのは、六助という浪人生でした。ところが映画では、米ではなく卵を売りつける場面になっていました。

原作の『青い山脈』は、2通のラブレターが物語の中核になっています。今では大騒ぎするほどのことではありませんが、当時はこれが大問題だったのです。このあたりの古さが、現代の読者からはじき出された要因なのでしょう。若い人には終戦直後のおとぎ話程度の受け止め方で、ぜひ読んでみていただきたいと思います。

1通のラブレターは体育教師から、同僚の若い英語教師・島崎雪子に宛てられたものです。雪子の机の上に1冊の本がおいてありました。ラブレターはそこに挟みこまれました。ところがその本は雪子が同僚の女教師から借りていたもので、ラブレターがはさまったままに返却されます。このラブレターは、やがて学校や町をあげての大騒動に決着をつける材料となります。

◎ニセのラブレター事件

『青い山脈』は成熟していない戦後民主主義を問う、当時においては意欲作でした。島崎雪子は、東北の女学校の若い英語教師です。彼女は民主化から取り残された、町民や生徒が歯がゆくて仕方がありません。そんな雪子のもとに、女学校5年生の寺沢新子が相談にきます。

新子は1通のラブレターを差し出し、男を装ってクラスの誰かが書いたものだと言います。文面は「恋しい」を「変しい」と誤記されており、稚拙なものでした。島崎雪子は毅然として、教室内で犯人探しをします。犯人は松山浅子のグループであることが判明し、雪子は激しく叱責します。

そのことが古い因習と伝統を重んじる学校や町で、大きな問題となります。雪子は反動教師としてPTAや理事の前で吊しあげられます。雪子は校医である青年・沼田に対応を相談していました。沼田は六助などの協力を得て、理事会に参加しています。ドタバタの理事会には触れませんが、芸者が出てきたり、理事会の模様を速報する若者が登場したり、大いに楽しませてくれます。

石坂洋次郎は、同郷の先輩作家・葛西善蔵からの離脱が出発点です。石坂は葛西善蔵の酒乱ぶりに辟易し、その作風の踏襲も断念しています。石坂文学の成立には、反面教師としての葛西善蔵があったのです。

――『葛西善蔵のこと』の中で、石坂は次のように書いている。「善蔵のきびしい訓練のムチの下から逃れ去った私は、一転して安易の道をたどり、通俗小説の流行作家として今日に至っている」と。孤高か、平俗か――おそらく葛西の孤高を継承したならば、石坂は通俗作家の運命からは免れたかもしれない。(磯田光一『殉教の美学』冬樹社P314)

こんな時代もあったのかくらいの受け止め方で、戦後の大ベストセラー小説に触れてみてはいかがですか。時代は大きく変わり、性も男女交際も様変わりしています。しかし石坂洋次郎が描いた自然は、いまなお色鮮やかに残っています。石坂洋次郎が描き続けた風景は、次の3カ所に限られますが。

――私には三つしか描ける風景の対象がないのだ。一つは私が生まれ育った津軽の周辺のそれ、つぎは働きざかりの年ごろの十三、四年間、教師として暮らしていた秋田県横手市の周辺のそれ。いま一つは、上京以来二十余年住み着いた大田区田園調布の周辺のそれ。(毎日新聞社学芸部『私の小説作法』雪華社P32)
(山本藤光:2016.05.30初稿、2018.03.09改稿)

黒川博行『アニーの冷たい朝』 (創元推理文庫)

2018-03-09 | 書評「く・け」の国内著者
黒川博行『アニーの冷たい朝』 (創元推理文庫)

宅配業者を装い、若い女性を狙った猟奇的な殺人事件が発生した。犯人は被害者をマネキンのようにしてセーラー服に着替えさせ、派手な化粧を施し屍姦に及んでいた。続いて女子大生、OLに模した同様の事件が起こり、大阪中が騒然となる。第二の遺体が着用していた手編みのセーターには、ANNIEと編み込まれていた。はたしてその文字が意味するものとは…?シリーズ第八弾。(「BOOK」データベースより)

◎『破門』で6度目の正直

黒川博行は無類のギャンブル好きです。大学時代に学生結婚した妻と知り合ったのは雀荘。若いころ世話を受けたのは阿佐田哲也。友人は故藤原伊織とギャンブルの面々が揃っています。直木賞受賞のインタビューでは、賞金でマカオへ行きたいと笑わせてくれました。

黒川博行は1949年生まれで、大阪育ち。何度も落選を重ねて、『破門』で直木賞を獲得したときは65歳でした。受賞のことばを再録させていただきます。

――うれしいのはあたりまえですが、どこかホッとした思いがあります。これで二度と候補になることはない、と。過去五回の落選が頭をよぎります。平気なときもあったし、落ち込んで原稿が手につかなかったときもありました。ほんと、ホッとしました。(『オ-ル読物』2014年9月号)

『アニーの冷たい朝』(創元推理文庫、初出1990年)は、デビュー作ともいえる『二度のお別れ』(サントリーミステリー大賞佳作)の流れをくむ「大阪府警シリーズ」の最後の作品と位置づけられます。その後、黒川博行は『疫病神』に代表される「疫病神シリーズ」へと、大きく舵を切り替えます。結果、これが大成功でした。『国境』(上下巻、文春文庫)で大きな話題を獲得し、ついに『破門』(角川書店)で直木賞を獲得したのです。

◎黒川博行の分岐点

『アニーの冷たい朝』は、黒川博行の分岐点となる作品です。もう少し正確に書けば、その前年(1989年)に上梓した『切断』(新潮文庫)から、作風は変化しています。その点について、東野圭吾との直木賞受賞対談で、黒川本人は次のように語っています。

――ある時期に、もうトリックはいらんわと思い始めたんですね。事件があって、刑事が証言を集めるだけの小説って動きがないでしょう。もっと人間を動かしたほうが面白いなあと考え出して作風がコロッと変わりました。(『オ-ル読物』2014年9月号)

東野圭吾が黒川博行作品について、言及したところを紹介させていただきます。黒川博行の「大阪府警シリーズ」を鮮やかに語っています。

――黒川さんの小説が出たときは、若手の間で衝撃だったんですよ。警察が出てくる話はあるけれど、捜査小説ではなく、刑事小説。警察のおっさんの話なんですね。誰も書こうと思わなかったし、こんなことやる作家がいるのかと、自分も警察を書くときにはしっかり書かなければという気持ちになりました。(『オ-ル読物』2014年9月号)

猟奇的な連続殺人事件が起きます。被害者は一様に若く、人形のようにかわいい女性ばかりです、死体は恥毛も含めて、体毛のすべてを剃られています。入念な化粧を施され、制服を着せられています。しかも*姦されており、男の血液型はB型でした。(*=屍。わいせつとして発信を拒否されます)

第1の殺人事件では、セーラー服に着替えさせられていました。第2の遺体が着用していたのは、手編みのセーターでした。そこには「ANNIE」と編み込まれています。

黒川博行は本書を3つの視点で描いています。女教師の由美、大阪府警捜査一課の谷井、そして猟奇殺人を繰り返す犯人。通常ならそれぞれの視点を1人称で描きがちです。しかし黒川博行は、それを3人称でやってのけました。これをやると読者は混乱しがちなのです。しかし黒川は見事に、破たんなく視点の出し入れをします。

デート商法にからむ連続殺人事件。大阪府警捜査一課の谷井は、4つ目の事件を防ぐために、犯人に迫ります。しかし犯人は女教師の由美を、拉致してしまいます。ストーリーについては触れませんが、従来作品のような軽妙な会話を抑制し、黒川はひたすら3人を動かします。

『国境』『破門』を読む前に、ぜひ『アニーの冷たい朝』を読んでいただきたいと思います。登場人物を「動かす」原点がありますので。
(山本藤光:2012.09.13初稿、2018.03.09改稿)

三角寛『山窩奇談』(河出文庫)

2018-03-09 | 書評「み」の国内著者
三角寛『山窩奇談』(河出文庫)

箕作り、箕直しなどを生業とし、移動生活を事としたサンカ。その生態を直接、または警察関係者から聞き取った、研究者で元新聞記者の三角寛による貴重な取材実録。川辺でセブリと呼ばれる天幕生活を営み、古くからの慣習を尊び、独特の厳しい掟を守って暮らす彼らの、警察や犯罪、事件との関わりを伝える。(「BOOK」データベースより)

◎甦った「山窩」(サンカ)

本稿を書くにあたり、「山窩」(サンカ)について概説しなければなりません。私は民俗学が好きで、柳田国男(推薦作『口語訳・遠野物語』河出文庫、佐藤誠輔訳)、南方熊楠(推薦作神坂次郎『縛られた巨人・南方熊楠の生涯』新潮文庫)、宮本常一(推薦作『忘れられた日本人』岩波文庫)の著作を愛読しています。おそらく「サンカ」との出会いは、次に引用する著作でだったと思います。

――サンカと称する者の生活については、永い間にいろいろな話を聴いている。我々平地の住民との一番大きな相違は、穀物果樹家畜を当てにしておらぬ点、次には定まった場処に家のないという点であるかと思う。山野自然の産物を利用する技術が事のほか発達していたようであるが、その多くは話としても我々には伝わっておらぬ。(柳田国男『山の人生』角川ソフィア文庫P11-12)

また宮本常一にも、『山に生きる人びと』(河出文庫)といった、サンカやマタギや木地師など、かつて山に暮らした漂泊民の実態を探訪・調査した著作があります。南方熊楠の著作にもサンカは登場します。鳥飼否宇は『異界』(角川書房)の主人公として、南方熊楠を登場させ、サンカにも触れています。

「サンカ」については、しばらく忘れていました。しかし2014年に河出文庫から、三角寛『山窩奇談』『山窩は生きている』が発刊され、2015年には岡本綺堂『サンカの民を追って』(河出文庫)までが文庫化されました。これで私の忘れかけていた興味に火がつきました。

早速それらを読み、さらに五木寛之『サンカの民と被差別の世界』(ちくま文庫)も読みました。

◎有名な「説教強盗」事件

三角寛(みすみ・かん)は、1903(明治36)年に生まれて1971年に死去した元朝日新聞の記者です。山窩研究の第一人者とされてきましたが、最近ではあれはすべて虚構である、とされるようになりました。事実、筒井功は『サンカの真実・三角寛の虚構』(文春新書)という著作を2006年に上梓しているほどです。

三角寛は他の人がサンカに言及したり、研究したりすると、すさまじい抗議をしたといわれています。研究を独占したかったのでしょうが、どうも人間的には自尊心が強く、名誉欲が異常に発達した人だったようです。

三角寛『山窩奇談』(河出文庫)には、冒頭で三角寛とサンガとの出会いが語られています。三角寛がサンカにのめりこんだのは、有名な「説教強盗」事件からでした。当時取材にあたっていた三角寛は、刑事からこんな言葉を聞きます。「犯人が逃げ足が速いからサンカかもしれない」。

「説教強盗」とは、夜中に住居へ押し入った泥棒が、熟睡している主を起こして金品を要求します。そして去りぎわに、「こんな用心が悪いから泥棒に入られる」などと説教をするのです。このあたりについては、礫川全次(こいしかわ・ぜんじ)『サンカと説教強盗』(河出文庫)に詳しく書かれているようです。本書は丸善にもブックセンターにも、ありませんでした。未読です。

◎捕物帳を読む感覚で

三角寛『山窩奇談』は、フィールドワークをまとめたものではありません。いまでは「サンカ小説」といわれているジャンルの著作となります。もちろん研究の成果に裏打ちされたものです。

本書は筆者がサンカ通の人から、聞き取った事件を8話所収したものです。物語はそれぞれ1話完結されています。しかし1話から5話までは、国八老人のサンカ体験談となっています。国八老人は刑事に請われて、サンカ情報を提供する諜者のことです。

国八老人は若いころに監獄に入り、そこでサンカと知り合いになります。出獄後は、サンカと親しくなります。サンカは瀬降と呼ばれる、粗末な小屋に住んでいます。国八老人はたびたびそこを訪れ、サンカの親分からいくつもの事件の話を聞きます。

8つの話は、いずれも単純なものです。捕物帳を読むような感覚で、楽しんでいただきたいと思います。日本文学史からスポイルされている、「サンカ小説」をご堪能ください。

「サンカ」を知っていただきたいと、あえて「知・教養・古典ジャンル」の1冊として紹介させていただきました。興味があれば、冒頭で触れた著作を、読んでみてください。
(山本藤光: 2015.12.13初稿、2018.03.09改稿)


フイリップ・K・ディック・『ユービック』(ハヤカワ文庫SF、浅倉久志訳)

2018-03-09 | 書評「タ行」の海外著者
フイリップ・K・ディック・『ユービック』(ハヤカワ文庫SF、浅倉久志訳)

一九九二年、予知能力者狩りを行なうべく月に結集したジョー・チップら反予知能力者たちが、予知能力者側のテロにあった瞬間から、時間退行がはじまった。あらゆるものが一九四〇年代へと逆もどりする時間退行。だが、奇妙な現象を矯正するものがあった――それが、ユービックだ! ディックが描く白昼夢の世界。(早川書房案内)

◎PKD総選挙第1位

ハヤカワ文庫『ユービック』の帯コピーには、「PKD総選挙第1位」という文字が、でかでかと踊っています。読者が選んだ、フィリップ・K・ディックの作品の「栄光のセンター」なる文字もあります。「PKD」がフィリップ・K・ディックの頭文字だとは、思わず笑ってしまいました。

なるほど本書は、これまでに読んでいた『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』や『高い城の男』(ともにハヤカワ文庫SF)をしのいでいます。読者投票第1位なのは、十分に納得できます。

三浦雅士は『私の選んだ文庫ベスト3』(丸谷才一編、ハヤカワ文庫)のなかで、PKDを選んでいます。とりあげた作品は、『ヴァリス』(創元SF文庫)と『ユービック』『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』でした。そのなかで三浦雅士は『ユービック』について、「夢の中の夢というだけでも混乱するが、それに他人の夢までまじりこむ。夢の破片。現実の破片が散乱する世界だ」と書いています。三浦雅士は「SFが好き」で、ブラッドベリ、バラード、ヴォネガットを読んで、ディックまできた」とも書いています。

『SFマガジン』(2012年9月号)が、「この20人、この5作」という特集をしたことがあります。三浦雅士が読んできた作家に、私が選んだ作家を加えてレビューしてみます。

アイザック・アシモフ:われはロボット/銀河帝国興亡史/鋼鉄都市/永遠の終り/ミクロの決死隊
フィリップ・K・ディック:高い城の男/アンドロイドは電気羊の夢を見るか?/ユービック/スキャナー・ダークリー/アジャストメント
カート・ヴォネガット:プライヤー・ピアノ/タイタンの妖女/猫のゆりかご/スローターハウス5/国のない男
シオドア・スタージョン:夢見る宝石/人間以上/海を失った男/不思議のひと触れ/輝く断片
J・G・バラード:結晶世界/ヴァーミロオン・サンズ/クラッシュ/太陽の帝国/人生の奇跡
コニー・ウィリス:わが愛しき娘たちよ/ドゥームズディ・ブック/犬は勘定に入れません/航路/最後のウィネベーゴ

 なにやら全員を書きだしそうになります。ここでやめておきます。

◎常識思考を振り落す

『ユービック』を読むときの心がまえは、常識という雑念を振り払っておくことです。

人間は、生まれ、死ぬ。この概念のあいだに「半生」という場外があります。人間は死んだ直後に的確な冷凍保存をすると、「半生者」となります。彼らは「生者」の求めにたいして、意志を語ることが可能な領域にいます。これがおさえどころの1つ。

2つめは、時間は過去、現在、未来とは流れないということです。「時間退行現象」というものがあり、なにかの拍子に現在が過去へと転換してしまいます。

さらに世の中には、うじょうじょと「超能力者」がいて、彼らと対抗するような「反・超能力者」も存在します。

舞台は1992年。主人公のジョー・チップは、ランシター合作会社に勤めています。超能力者の予知能力を奪う「(反)超能力者」から超能力者を守るのが仕事です。本書では「不活性者派遣会社」と表現されています。この会社の社長はグレン・ランシターといい、妻のエラは半生者としてチューリッヒ安息所で冷凍保存されています。

ある日、月面でライバル社の「(反)超能力者」が集結しているとの情報がはいります。グレン・ランシター社長以下、闘いを挑むためにそこへ向かいます。それは敵の罠であり、ランシター社長は絶命します。

テロから逃れて地球に戻ると、時代は1939年にかわっていました。通貨も車も機械も古いものに戻っていました。ジョー・チップの同僚女性のひとりの肉体が、突然しなびて、やがて死んでゆきます。死んだはずのグレン・ランシターからのメッセージが、トイレの落書きやテレビコマーシャルとして現出します。この奇怪な現象を抑制するための唯一の手段は、「ユービック」と称する薬剤を手にいれることだけだと知らされます。仲間がつぎつぎとしなびて死んでゆきます。

◎フィリップ・K・ディックのこと

著者のことをまったく知らないままに、フィリップ・K・ディック作品を読んできました。今回「山本藤光の文庫で読む500+α」執筆にあたり、著者履歴を調べることにしました。

いくつかの資料からえたことを箇条書きしてみます。
・1928年2卵性双生児の兄として誕生。妹はすぐに死去。
・幼いころに両親は離婚。
・本人は5回の離婚。
・薬物中毒で入院。自殺未遂。
・晩年は神秘思想に傾倒。
・死去1982年。
・1982年死去の3か月後『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』が別タイトルで映画化。名声の基盤をつくる。

ここまではおもに『SFマガジン』(2012年9月号)鈴木力氏の文章を参照させていただきました。

PKディック作品は、わずかに3冊しか読んでいません。したがってあまり語るべきことはないのですが、おもしろかったSF作品のなかの1冊として、『ユービック』を紹介させていただきます。
(山本藤光:2014.09.30初校、2018.03.09改稿)

アミーチス『クオーレ』(新潮文庫、和田忠彦訳)

2018-03-09 | 書評「ア行」の海外著者
アミーチス『クオーレ』(新潮文庫、和田忠彦訳)

イタリアの少年エンリーコが毎日の学校生活を書いた日記と、あのジェノヴァの少年マルコが母親を捜して遠くアンデスの麓の町まで旅する『母をたずねて三千里』など、先生の毎月のお話九話。どれも勇敢な少年と、少年を見守る優しい大人たちとの心のふれあいを描く不滅の愛の物語です。どこの国でも、いつの時代でも変わらない親子の愛や家族の絆の強さを、読みやすい新訳でお届けします。(「BOOK」データベースより)

◎少年少女小説の第22位

アミーチス『クオーレ』(新潮文庫、和田忠彦訳)は、童心にかえって読まなければ、大人にはつまらない作品です。何しろ子供たちに、愛国心や忠誠心を植えつけようとの意図で書かれたものです。子供といっても、女児は眼中に入っていません。男児に向けて、勇気や愛を語っているのです。

本書は1886年に書かれたものです。しかし本書の人気は、いまだに衰えていません。文春文庫ビジュアル版『少年少女小説ベスト100』では、『クオーレ』(本書の表記は「クオレ」となっています)第22位に選ばれているほどです。

『クオーレ』は、主人公・エンリーコ(小学3年)の日記が中核に置かれた作品です。章立てはエンリーコ少年の始業式(10月)から始まり、7月までの10カ月間なっています。

少年の日記は起伏がなく、稚拙なものです。そこに両親や姉の、忠告や感想が挿入されます。さらに各月の終わりには、担任の先生が語った「今月のお話」が加えられています。今月のお話しについては、次のような所感を引いておきます。

――どの話もイタリア版・教育勅語訓話集というか、江戸時代の忠孝徳育説話のノリである。(長山靖生『謎解き少年少女世界の名作』新潮新書)

先生の話は、すべて少年の勇気をたたえた内容です。中でも5月のお話し「母をたずねて三千里」は、独立した物語としてあまりにも有名です。「母をたずねて三千里」は、前記ベスト100の第14位と、原書をしのぐほどの支持を集めています。

「母をたずねて三千里」は、幼かった娘たちとテレビアニメ「世界名作劇場」で観ていました。新潮文庫『クオーレ』のカバー内には、懐かしいアニメの一コマが印刷されています。

◎『ピノキオ』とともにイタリアの代表作

本書のタイトル『クオーレ』はイタリア語で、「愛」とか「勇気」などを意味しています。本書にはさまざまな「愛」や「勇気」が、満ちあふれています。親と子、家族、教師と生徒、ともだち、故郷、祖国……。

本書が書かれた動機について、述べられた文章があります。

――当時のイタリアはまだ貧しかったから、先進諸国のなかでは例外的に就学率が低かった。貧困家庭では、子供は大切な働き手であった。だが、学校で学ばなければ、子供たちは将来、豊かになることが出来ない。国民の知的レベルが向上しなければ、イタリアは豊かな国にはなれない。だから愛国者デ・アミーチスは、子供たちが学校で学ぶということが、いかに大切かを、宣伝する必要もあった。(長山靖生『謎解き少年少女世界の名作』新潮新書)

著者のデ・アミ-チスは、イタリアの統一戦争に従軍した経験があります。イタリアにはもう一人の著名な児童文学作家がいます。コッローディの『ピノキオ』がそれです。『ピノキオ』と『クオーレ』は、ほぼ同時期に発表されています。コッローディもイタリア統一戦争に従軍しています。

『ピノキオ』は冒険譚ですが、やはり教訓めいた展開になっています。有名な嘘をついたら鼻が伸びるなどの教えや、家族愛や祖国愛が説かれています。

『クオーレ』は、忘れかけていた昔を思い出させてくれました。エンリーコ10歳は、日本でいえば小学4年生となります。このころになると、教室のなかに序列ができます。優秀な子、悪童、金持ちの子と貧乏な子。北海道弁ではメンコといっていましたが、先生からひいきにされている子などの、色分けがなされます、。

エンリーコの日記に家族が添える手紙は、愛情に満ちています。おそらく本書を読むと、心のなかがポカポカしてくることと思います。
(山本藤光:2012.06.22初稿、2018.03.09改稿)


田中英光『オリンポスの果実』(新潮文庫)

2018-03-09 | 書評「た」の国内著者
田中英光『オリンポスの果実』(新潮文庫)

主人公の「ぼく」こと坂本が、ロサンゼルス・オリンピックにボートの選手として参加するために搭乗する、太平洋を渡る船の上が主たる舞台である。「秋ちゃん」という呼びかけで始まり、主人公は陸上の選手として同船している熊本秋子に淡い恋心を抱いているが、仲間の男たちの冷やかしを受け、秋子も気づくけれど、遂に恋心を伝えるにはいたらない。 田中自身が1932年に経験した事実に基づいた私小説で、2人の間にほとんど何も起こらない純然たる片思い小説である。帰国後、坂本は学生運動をへて結婚するが、「あなたは、いったい、ぼくが好きだったのでしょうか」というつぶやきで終わっている。秋子のモデルは相良八重である。 戦後、田中の小説があまり読まれなくなる中で、新潮文庫に収められて読み継がれた。(文庫案内より)

◎元オリンピック選手が手がけた小説

手元にある『オリンポスの果実』(新潮文庫)は、昭和61年51刷となっています。この作品は、ずいぶん長いこと読まれつづけているのです。元オリンピック選手が手がけた小説は珍しいと思います。田中英光は漕艇(ボート)選手として昭和7(1932)年、ロサンゼルス・オリンピックに出場しました。『オリンポスの果実』は、そのときの実体験をもとにした青春記です。
 
当時のことですので、ロサンゼルスまではもちろん船旅でした。その船上で主人公は、走り高跳びの女子選手・熊本秋子に恋をします。このあたりのことにふれた記事がありますので、引用させていただきます。

(以下はじめ)
――師・太宰治の墓前で自ら命を絶った田中英光に『オリンポスの果実』という作品がある。ボートの選手として参加した昭和7年のロサンゼルス五輪での体験をもとにした青春小説だ。かつて胸をときめかせて読んだという方も多いだろう。(中略)ロスまではむろん太平洋の船旅だった。途中でハワイにも寄港している。その船上やオリンピックの会場で主人公は走り高跳びの女子選手に恋をし、外国の選手たちからさまざまな刺激を受ける。そんな話が、まるで潮の香りを感じさせるように叙情的に描かれている。(中略)昭和7年は五・一五事件が起きた年である。前年には満州事変が勃発(ぼっぱつ)している。日本全体に、きな臭く重苦しい空気も漂っていたはずだ。だが選手たちは思いのほか、五輪への旅や異国情緒を楽しんでいたことがわかる。ちなみにこの大会での日本の金メダルは7個だった。(「産経ニュ-ス」2008.7.19ネット 配信より引用おわり)

『オリンポスの果実』の主人公は、読んでいていらいらさせられるほどピュアです。「根性」なるニュアンスが皆無なスポーツ小説は、非常に珍しいと思います。

昭和7年のスポーツ界は、どんな状況だったのでしょうか。文庫版あとがきを読んで、愕然としてしまいました。

――スポーツというものは何といっても実生活の中で「遊び」に過ぎないのだから、生命を賭けた文学の対象にはなり難い筈のものである。(川上徹太郎「文庫版あとがき」より)

◎情けないスポーツ小説  

『オリンポスの果実』の冒頭は、印象的な投げかけで滑りだします。

(引用はじめ)
秋ちゃん。
と呼ぶのも、もう可笑(おか)しいようになりました。熊本秋子さん。あなたも、たしか、三十に間近い筈だ。ぼくも同じく、二十八歳。すでに女房を貰い、子供も一人できた。あなたは、九州で、女学校の体操教師をしていると、近頃風の便りにききました。
(引用おわり)
 
こうして長々と、一方的な独白がつづけられます。詳細については、ふれないでおきます。主人公はオリンピックに向かうという緊迫感がないまま、ハイジャンパーに恋焦がれます。独りよがりの妄想だけをふくらませ、足はすくんだまま一歩たりとも踏みだせません。
 
情けないスポーツ小説。それが『オリンポスの果実』なのです。林真理子は、田中英光『オリンポスの果実』を卒論のテーマに選んでいます。林真理子の長編小説『本を読む女』(新潮文庫)の章立てにも、「斜陽」「放浪記」などとならんで、「オリンポスの果実」をとりあげているほどです。林真理子は『林真理子の名作読本』のなかで、つぎのように書いています。
 
――「オリムピアへ向かう酩酊」の中で彼は対象は誰でもよかった。ただ恋をしたかったのである。スポーツ青年でありながら文学青年の彼はひとり酔い、ひとり憂いの世界に入っていく。皆に呆れられたり、嫌われたりするのも当たり前だ。最後には彼女からも無視される……と書くと、何の取り柄もない小説のように思えるが、この不器用さこそ、神から祝福され、選ばれたオリンピック選手だと、読者はいたるところで胸を締めつけられるはずだ。(林真理子『林真理子の名作読本』文春文庫より)

『オリンポスの果実』を書いた、田中英光に関する論評を紹介したいと思います。元オリンピック選手。共産党員。太宰治の墓前で自殺した人。無頼派。そんな田中英光の一面を、垣間見ることができるでしょう。

――『オリンポスの果実』以来『野狐』にいたるまで、かれは、実在のモデルたちを、自由自在に変形し、かれらに、相当の客観性をあたえるという揺るがぬ自信をもっていたようである。したがって、『オリンポスの果実』のような作品をみて、かれを、感傷的な作家のように思い込んでいる読者があるとすれば、それは、いささか性急すぎるというものだ。かれは、感傷的な仮面の背後に、つねにかれのほんとうの顔をかくすことを好んだ。(『花田清輝全集第3巻』より)

――最後期の小説にみられる彼は、我がままで、理屈ぬきで、得手勝手で、あばれん坊の甘え子である。ホメるやつなら誰でも好き、苦言は一切嫌い、自分のなかの理性の声にも一切耳をかさない。この点は坂口安吾の晩年と似てみえる。(本多秋五『物語戦後文学史・上巻』岩波現代文庫より)
 
◎ちょっと寄り道

田中英光の息子であるSF作家・田中光二に、『オリンポスの黄昏』(集英社文庫)という著作があります。絶版になっています。私は単行本(1992年、集英社)で、それを読みました。『オリンポスの黄昏』は小説仕立てで、父親のことを書いた作品です。主人公は田代英二、父親は田代重光とされていますが、赤裸々な自伝といえるでしょう。

――私の父親もまた物書きでした。田代重光といって、昭和の文学史にいちおう名前を留めている作家です。いわゆる無頼派作家のひとりで、戦後の混乱期に売り出し、まあいちおう流行作家となったわけですが、その前から酒と睡眠薬に溺れており、女にも溺れていて家族との板挟みになり、煩悩の泥沼地獄をのたうち回るような生活の果てに、師事していた作家の墓前で自殺しました。(『オリンポスの黄昏』P12より)

田中光二のSF小説は、読んだことがありません。しかし『オリンポスの黄昏』は、冷静な筆致がきわだっており、すばらしい著作だと思っています。

田中英光は、太宰の墓前で自殺した作家。または元オリンピック選手の無頼派作家。こんな形容で語られています。しかし日本共産党体験を生々しく描いたという文壇評価のほうが、はるかに勝っています。高価なので入手できないのですが、田中英光には『地下室から』(八雲書店、初出1949年)という作品があります。花田清輝が絶賛しています。本多秋五も著作のなかで、つぎのように書いています。

――この小説を読むと、楽屋裏から意地悪くアラさがしばかりしているようでありながら、二・一ストへともり上がってゆく革命運動の基礎部分を、深層の近似値において描いたという感銘を禁じえない。(本多秋五『物語戦後文学史』上巻、岩波現代文庫P300)

本日(2015年11月29日)に角川文庫から『田中英光傑作選』が発売されます。期待していたのですが、残念なことに『地下室から』は所収されていないようです。
(山本藤光:2013.07.01初稿、2018.03.09改稿)

一気読み「ビリーの挑戦」089-094

2018-03-09 | 一気読み「ビリーの挑戦」
一気読み「ビリーの挑戦」089-094
089cut:会議ジャックにあっている
――15scene:6月のチーム会議
影野小枝 6月の会議です。
漆原 先月はよくやってくれた。通常月よりも1000万円アップで、7000万円を突破した。ありがとう。たった2ヶ月でこの成果だ。なぜ、こんなに短期間に達成したと思う?
山崎 みんなが、それぞれ努力したからです。
寺沢 なぜ、みんなが努力したのですか?
山崎 なんだいテラ、調子こいて。チームの環境整備ができてきたから、だと思います。寺沢リーダー、これでいいかい?
寺沢 なぜ、環境整備ができたのですか?
山崎 私のリーダーシップの賜物だと思います。
寺沢 さすが、ほやほやの1000万プレイヤー。
漆原 もうそんなところでいい。きみたちに任せておくとキリがない。会議を進めるぞ。
影野小枝 合宿で漆原さんが駆使した「ワイワイコラボレーション」をやっています。「なぜ?」「なぜ?」をくりかえすと、より問題の根源にたどりつくという手法ですよね。みなさん明るくなりました。
山之内 漆原さん、もうちょっとだけ時間をください。どうしても、やってみたいことがあります。石川さん、立ってください。質問です。(石川、首を傾げながら立ち上がる)前年度までの、チームはどうでした?
石川 全国で最下位でした。
山之内 そりゃあ、大変だったね。それで、いまはどうなの?
石川 ほぼ全社平均までになりました。
山之内 すごいね。死に物狂いで努力したのだ。それで、今後はどうなるの?
石川 もちろん、全国トップです。
山之内 期待しているよ。何かあったら手伝うから、遠慮しないでいってくれよな。はい、完結です。
影野小枝 あらあら、今度は「PPF」を使っています。漆原さんの『人間系ナレッジマネジメント』が浸透しているようです。
熊谷 漆原さん、わたしにも時間を。乾くん立って。同期として、質問したい。
乾 わかったよ。(立ち上がる)
熊谷 現在のチームの連携状態は何点だ?
乾 まあ、4点くらいにはなっていると思うけど。
熊谷 じゃあ、きみが考える5点満点の連携って何だ?
乾 わからんよ、そんなこと。
熊谷 だめだ。考え、可視化することに意味があるのだから。
乾 何だか、みんなが漆原さんみたいになっちゃった。考えますよ、考えればいいのでしょう」
影野小枝 太田さんが手をあげています。
熊谷 太田が助け舟を出してくれるってさ。
太田 5点とは、こんなことをわざわざ考える必要のない環境だと思います。
山之内 偉い。きみは成長したよ。
影野小枝 今度は「身の丈コンピタンシー」です。何だか、会議ジャックにあっているようですね。でも漆原さん、とてもうれしそうです。

090cut:2つの提案があった
――15scene:6月のチーム会議
影野小枝 会議室の続きです。
漆原 昼休みに、石川と山之内から提案があった。みんなで検討してみたい。私は口をはさまないので、自由にやってくれ。司会は石川に任せたから。
石川 えー、司会を仰せつかった石川です。では提案の趣旨を、売り出し中の山之内くんに説明してもらいます。
山之内 再生されつつある山之内です。提案は2件あります。まずひとつは、漆原さんの集中同行が一まわりしましたので、今月からはチームにとってプライオリティの高い課題に絞っていただきたいと思います。漆原さんの月間行動予定表を、みんなで埋めてしまおうという大胆な提案です。
石川 全員が今月の最重点攻略案件を発表し、みんなでどれがチームにとって重要かを決めるわけです。仕事には、3種類あります。
寺沢 わかっていますから、先を急いでください。
田中 漆原さんは、チームにとっての重点攻略先に専念するわけですね。
石川 そうです。では採決をします。
熊谷 ちょっと待ってよ。ディスカッションはしないわけ?
石川 結果は明白じゃないですか。時間のムダです。はい、賛同する方は手を挙げて。
(全員が手を挙げる)
影野小枝 驚きました。チームメンバーだけで、会議はどんどん進められています。

山之内 次の案件は、「トップに学ぶプロジェクト」です。私たちは文字や言葉でしか、優れた活動を見聞きする機会がありません。本当に知りたいのは、文字や言葉にできない微妙なニュアンスです。相互乗り入れっていえば、わかりやすいのかな。たとえば、私が絶好調の石川さんと同行させてもらう。すると『ビリーの挑戦』では表現できないことを、発見できるわけです。相互乗り入れというよりは、短期留学の方がいいかな。太田は、乾の仕事振りを見たことないよな。
太田 見てみたいです。勉強になると思います。
石川 では、2番目の案件の採決を行う。賛成の人は、手を挙げて。
(全員が手を挙げる)
影野小枝 議論なしで決まりですか。何やらみなさんのベクトルが、ひとつの方を向き出しましたね。

091cut:今月の目玉となる成果目標
――15scene:6月のチーム会議
影野小枝 さらに会議は続いています。
漆原 それでは、午後のプログラムをスタートさせる。午前中に採決された私の月間行動計画だけど、さっそくみんなの今月の目玉となる成果目標を聞かせてもらいたい。
太田 私は医局説明会を5回やります。寺沢には負けられません。
寺沢 K病院でプラス10症例のゲット。これが今月の最大の目標です。乾さんのL病院に肩を並べたいと思います。
熊谷 第2熊谷メモリアル病院を創立します。とりあえず、熊谷メモリアル病院の半分の売上ですが、同じくらいになるよう基盤を整えます。2つの新設病院で、山之内メモリアル病院を追い越します。
山之内 熊谷に追いつかれないように努力するのはもちろんですが、私はBの新規採用を5件達成します。
石川 何といっても、医師会の勉強会がすべてです。帯広のみなさんには波及効果はありませんが、釧路のメンバーにはしっかりと貢献させてもらいます。
影野小枝 みなさんの発表が続いています。気がつきましたか? みなさんの発表のなかには、必ずメンバーのことが含まれています。

092cut:固有名詞で名前を呼んでもらう
――15scene:6月のチーム会議
影野小枝 寺沢さんが予約して居酒屋「北の大地」に、全員が顔を揃えています。乾杯がすみ、盛り上がっています。
石川 いつも金がないって騒いでいるおまえが、何でこんないい店を知っている?
寺沢 大日本住友のMRに教えてもらいました。医師会勉強会の案内パンフを一緒に作ってから、親しくなりました。
石川 医師会長は大喜びだ。参加者希望者は80人を超えたって。これは過去最高らしい。お陰でドクターからは、固有名詞で名前を呼んでもらえるようになった。
漆原 ドクターから固有名詞で呼ばれるようになったら、それは信頼の証だ。MRの勲章だよ。「きみ」から「Rさん」(会社名)になり、最終的には「石川くん」と進化する。
太田 まずいス。ぼくはまだ「Rさん」から先がありません。
漆原 いよいよ、あと2週間後だな。石川、準備は万全だろうな?
石川 心配無用です。それよりも、漆原さんの謝辞の方が心配です。何しろ、武田を差し置いてやるのですから。
山崎 漆原さんがきてから、チームが変わったよ。何だかみんな楽しそうだし、数字も上向きはじめた。
乾 6000万円が2ヶ月で、7000万円になった。とすると、今月は7500万円になる。
熊谷 ダメダメ、狸の計算は慎むこと。
太田 何ですか、狸の計算というのは?
熊谷 取らぬ狸の皮算用のことだ。
山之内 漆原さんはなぜ「積み上げ」をやらないのですか? 鈴木さんのときは、会議の半分は積み上げでした。
太田 それでは足りない、もっと上乗せせんか! たまらなかったですよ。
漆原 どこで、なにを、いくら売るか。そんな話を聞いても、だれの役にも立たない。積み上げ会議は、最大の時間のロスだ。できる範囲で、精一杯やってくれればいい。
影野小枝 仕事の話ばかりですけど、山崎さんがいうとおりでみんな楽しそう。山崎さんのセリフに、漆原さんの頬が緩んでいました。

093cut:社内ニートがいる
――15scene:6月のチーム会議
影野小枝 いつもの喫茶店「場」です。今朝も常連幹部が集まっています。
常連E ニートとフリーター、この社会現象は何とかならないものか。
常連B 社会全体で、彼らを甘やかしたツケだ。
漆原 定職につかない。自分自身を磨かない。とんでもない世の中になったものです。
常連D 武家時代には素浪人はいた。我々の時代には大学浪人がいた。そして現代はニート。時代はめぐる。
常連C ニートといえば、うちには社内ニートがいるよ。肩たたきされても、頑固に居座って、何もすることがないので、社内をウロウロしている。
常連D 社内ニートか、何だか身につまされる言葉だな。
常連B 若年性ニート、社内ニート、それなら、定年後のシルバーニートというのもありそうだ。
常連E ところで、ニートの定義はなんだ?
漆原 Not in Employment、Education or Trainingの略語です。職に就いていなくて、企業にも所属せず、就労に向けての活動をしていない若者。ざっとこんな意味です。その数は、80万人ともいわれています。
常連C ニートにも、いくつかの種類がある。引きこもりタイプ、享楽タイプ、落ちこぼれタイプが代表的なものだ。
常連B 落ちこぼれは、一度就労してすぐに辞めた連中のことかい?
常連C 多いらしいぜ。入社してすぐに辞める連中。

094cut:高質な共通言語が生まれる
――15scene:6月のチーム会議
影野小枝 ビデオ製作会社の打ち合わせです。
監督 会議ジャックのところは、笑ってもらえそうだな。『人間系ナレッジマネジメント』が部下たちに浸透したとの証となっている。
製作 私もこの部分は好きだ。チーム内に、高質の共通言語が生まれる。これは強いチームの必須条件らしい。
助監督 高質な共通言語って、どんなイメージですか?
製作 よりレベルの高い考え方や行動を、チーム内で共有すること。ハイハイしかできなかった赤ん坊が、伝い歩きをし、自分の力で歩けるようになる。チーム全体が、ステップアップしはじめるわけだ。
助監督 原作者がハウツー本ではなく、シナリオにこだわった理由はそこにあるわけですね。ステップアップのプロセスを、ドラマ仕立てで実感してもらう。おそらく、シナリオで書かれた、はじめてのビジネス書じゃないかな?

村田沙耶香『授乳』(講談社文庫)

2018-03-09 | 書評「む」の国内著者
村田沙耶香『授乳』(講談社文庫)

その場限りの目新しさなら、もういらない。「文学」をより深めて行く瑞瑞しい才能がここにある。「こっちに来なさいよ」そう私に命令され、先生はのろのろと私の足下にひざまずいた。私は上から制服の白いブラウスのボタンを一個ずつ外していった。私のブラジャーは少し色あせた水色で、レースがすこしとれかけている。私はそういうぞうきんみたいなひからびたブラジャーになぜか誇りを感じている。まだ中学生とはいえ、自分の中にある程度腐った女があることの証明のように思えたのだ。群像新人文学賞・優秀作。(「BOOK」データベースより)

◎秘密の王国の破綻

村田沙耶香(1979年生まれ)が、2016年下期芥川賞を受賞しました。ほぼ同年配の山崎ナオコーラ(1980年生まれ)も候補にあがっていましたが、今回は受賞に至りませんでした。2人は注目している、若手の女性作家です。

村田沙耶香は2003年、『授乳』(講談社文庫)で群像新人文学賞優秀賞を受賞し、文壇デビューを果たしました。山崎ナオコーラは2004年、『人のセックスを笑うな』(河出文庫)で文藝賞を受賞してのスタートです。2人の共通点は、人生のちょっとしたヒダを深掘りする点にあります。

村田沙耶香は『授乳』で、主人公の女生徒あるいは女学生を主人公として、もう1人の脇役との世界を描いています。ところがこの世界は甘い愛の王国ではなく、まるで氷室のなかの様相を呈します。

『授乳』には表題作以外に、2篇が収載されています。表題作「授乳」は、女子中学生と家庭教師の男子大学院生をめぐる物語です。家庭教師の先生には、自傷癖があります。女子中学生は、口数が少なく暗い先生を、支配したいと思います。そのための手段が、自分の乳房を含ませることでした。2人だけの秘密の儀式は、母親に目撃されてあっけなく破綻します。

収載作「コイビト」は、ぬいぐるみを恋人としている、2人の女性の話です。女子大生はホシオと名づけたハムスターのぬいぐるみを抱いて、毎日8時に床につきます。美佐子という名の小学生の女児は、ムータという名のオオカミのぬいぐるみを愛しています。

それぞれのぬいぐるみを抱いた2人は、女子トイレで出会います。女子大生は美佐子の要望にしたがい、ラブホテルに一室をとります。そこで女子学生は、美佐子とぬいぐるみの異常な愛の世界を垣間見ることになります。女子学生は少しずつ、美佐子に嫌悪感を抱き始めます。そして2人の出会いは、少女の飛び降り自殺未遂という、あっけない行為で破綻してしまいます。

本作は新井素子『くますけと一緒に』(中公文庫)の影響を受けていると本人が語っています。村田沙耶香は山田詠美の文体が好きだとも語っています。

「御伽の部屋」は、貧血で倒れたことがきっかけで知り合った女子大生と男子大学生の不思議な世界を描いた作品です。ただし主人公「あたし」の幼いころの経験が、現実世界の進行と交錯します。「あたし」は幼いころ、ともだちの兄・正男の女装パーフォーマンスにつきあわされていました。そして現在は貧血で倒れて介護してもらった男子大学生との、お世話ごっこの渦中にいます。

男子大学生はセックスを求めません。ひたすら「あたし」の世話をすることを好みます。本作も秘密の王国は、最後に破綻します。それは「あたし」が大学生が通う学校へ行って、見かけた普通の男の姿に絶望したからでした。

◎現在に至る萌芽を感じる

『授乳』に収載されている3作は、いずれも小さな世界のちょっとグロテスクな物語です。文章は稚拙ですが、私は村田沙耶香の可能性を感じました。その後の作品『殺人出産』(講談社、初出2014年)や『消滅世界』(河出書房新社、初出2015年)は、デビュー作をさらに発展させた世界を描いています。芥川賞受賞作『コンビニ人間』はまだ読んでいません。しかし今回の芥川賞受賞は、2つの前作が後押ししていることは間違いありません、これらの作品が文庫化された時点で、村田沙耶香の推薦作は変更するつもりです。

村田沙耶香は自分の作品について、次のように語っています。少し長くなりますが、引用させていただきます。

――普段ぼーっとしているなかでも、ささくれのようなものがあるのかもしれません。自分はちくっと感じただけですんでいるんですが、書き始めると、主人公にとってはささくれではすまなくて、傷口になってそこからドロドロしたものがあふれてくる感じです。自分のなかには欠片しかないものが、主人公にとってはものすごく大きなものになる。女性の性に関しても、私は初潮を楽しみにしていたくらいなので違和感はないんですが、それでもちくっと嫌な気持ちを感じることがある。それが、書く作業をしているうちに、主人公の身体中で寄生虫のようにぶわーっと膨らんでいく気がします。それをとことん書くのが好きなんだと思います。(WEB本の雑誌『作家の読書道』より)

スタンダードな世界を、裏返して見ることに長けた作家。それが村田沙耶香です。おそらくデビュー作は、あまり好感をもって受けとめられないと思います。しかし現在に至る萌芽を感じさせてくれる貴重な第一歩です。芥川賞作品を読んだ方は、ぜひ処女作をのぞいてみていただきたいと思います。
(山本藤光:2016.07.22初稿、2018.03.09改稿)


妙に知180309:二の舞の語源

2018-03-09 | 妙に知(明日)の日記
妙に知180309:二の舞の語源
「二の舞」という言葉があります。では「一の舞」はあるのでしょうか。もちろん、ありません。『二の舞』について、語源を調べてみました。

――舞楽で、「安摩(あま)の舞」の次にそれをまねて舞う滑稽な舞のこと。これが、人のまねをする意に用いられるようになり、「二の舞を演じる」、つまり失敗をまねる愚行の意に用いられるようになったもの。(日本語語源辞典)
山本藤光2018.03.09

知だらけ038:出版社の月刊情報誌を読む

2018-03-09 | 知だらけの学習塾
知だらけ038:出版社の月刊情報誌を読む

できるだけ幅広い、ジャンルの本を読む。この点に反論できる人は、いないと思います。しかし苦手なジャンルの高価な本を、買い求めることにはちゅうちょしてしまいます。

そんなときに、出版社の月刊情報誌は役に立ちます。幅広いジャンルが網羅されているからです。多くの出版社は、PR用に月刊情報誌を発行しています。毎月100円ほどで、送料無料で届きます。ただし購読申し込みは、年間単位となっています。主な出版社の月刊情報誌は、次のとおりです。

岩波書店『図書』
角川書店『本の旅人』
講談社『本』
集英社『青春と読書』
新潮社『波』
筑摩書房『ちくま』

塾長は、すべてを購読していました。しかし読み切れないので、現在は2社だけのものにしています。出版社の月刊情報誌の購読のメリットは、次のとおりです。

・さまざまなジャンルの記事があり、読書の偏りを避けることができる。
・好きな作家の連載小説を出版前に読むことができる
・出版社発行書籍に関する対談、インタビュー、書評を読むことができる

まずは好みの出版社の、月刊情報紙を購読してみてください。情報誌とは別に、講談社は『IN- POCKET』という文庫サイズの月刊誌を発行しています。またPHP出版は同様に、『文蔵』を発行しています。こちらは書店で買い求められるので、年間購読は不要です。
山本藤光2017.12.05