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ジュディ・マーサー『喪失』(講談社文庫、北沢あかね訳)

2018-03-12 | 書評「マ行」の海外著者
ジュディ・マーサー『喪失』(講談社文庫、北沢あかね訳)

不安な夢から醒めると、そこは見たこもない部屋だった。鏡に映った自分の顔にも見覚えがない。顔も体もこの部屋も、自分のものではないという感覚以外、彼女は何も覚えていなかった。おまけに何者かに狙われてもいるようだ。やがて自分探しを始めた彼女の前に…。魅惑のヒロイン誕生の傑作サスペンス。(「BOOK」データベースより)

◎将来性のある女流のヨチヨチ歩き

記憶喪失はミステリーのなかで、もっともおもしろいテーマです。それがずばり標題作になっていたので、迷わずに買いもとめました。翻訳ものは登場人物の名前が覚えにくく、読んでいて難渋することが多いものです。私が翻訳ものを敬遠する理由はそこにあります。

多くの翻訳ものには、ページの頭の方かしおりに「主な登場人物」がまとめられています。同じような苦労をしている読者が多いのでしょう。

『喪失』には登場人物として、18人の名前があげられています。もしも題名が『喪失』でなければ、店頭で買うことを放棄していました。私の場合は10人が限界なのです。この作品はしばらく、書棚の未読コーナーに眠っていました。読まなければならない作品が多く、なかなか手がまわらなかったからです。しかしいつも3番目のカテゴリーで、ペンディング(保留)第1位の場所にいました。

私の場合は、4つのジャンルを併行して読んでいます。現代日本文学、近代日本文学、海外文学、知・教養・古典ジャンルです。さて2年間温めていた『喪失』を読みました。冒頭の章が効いています。主人公のエアリアル・ゴールドは朝、夢で目を覚まします。鏡に映った顔が、自分の記憶にあるものではありませんでした。

室内にいたシェパードの名前がわかりません。しかも自分の衣服に、血痕が付着しています。さらに「片方の頬には切り傷とあざがある。額の上の方にはこぶが一つ。目は泣いたために赤く腫れ上がり、今にもふさがってしまいそう」であり、部屋の中も荒らされています。自分がだれだかわからず、なにやら事件に巻きこまれた形跡があります。

自分を失ったエアリアルは、だれかに狙われています。恐怖の真っ只中にいたエアリアルが、現実に引きもどされたのは一本の電話でした。しかし相手がわかりません。ただし主人公は、この電話で自分の名前を知ります。自分以外の他人を、敵と味方に区分しはじめます。
 
本書のおもしろさは、登場人物が敵なのか味方なのかが最後までわからないことにあります。自分の身辺にあらわれる人たちを選り分け、同時に自分の過去から現在までの空白を、埋めなければなりません。

長い作品にもかかわらず、登場人物が個性豊かなために、「主な登場人物」のページにたよることはありませんでした。気になったのは、会話が間延びしていることです。さかんにセリフのなかに名作からの引用が入るのですが、それがあまり効いていません。引用部分はイタリック体で書かれています。そのせいで会話がスムースに流れません。

結末はありきたりのものでした。私がこの作品を評価したのは、訳者(北沢あかね)が書いていることと一致します。

――著者のキャリアは、主人公の造形にも、細部まで目の行き届いた説得力のある描写と骨太の構成にも、見事に生かされていると言えよう。(本文より)

著者はニュースレポーターやディスクジョキー、広告のコピーライターなどを経験しています。相手に伝える技術、相手から引き出す技術、相手を惹きつける技術を兼ね備えているのですから、おおいに期待できます。第2作を待ちたいと思います。

(ここまでは、PHP研究所「ブック・チェイス」1998.08.02に掲載したものを加筆修正しました)

◎99番目の推薦作

その後ジュディ・マーサーは、『偽装』『猜疑』(ともに講談社文庫)を発表しています。こちらは未読ですので、読んでからコメントさせていただきます。本書は「海外文学作品125+α」の124番目の紹介作品です。

あと1作品を紹介させていただいたら、リストアップの入れ替え作業が待っています。なんとか残しておきたい作品なのですが・
(山本藤光:1998.08.02初稿、2018.03.12改稿)


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