山本藤光の文庫で読む500+α

著書「仕事と日常を磨く人間力マネジメント」の読書ナビ

松村栄子『生誕』(朝日新聞社)

2018-03-12 | 書評「ま」の国内著者
松村栄子『生誕』(朝日新聞社)

生まれる前のこと覚えてる?心の中はいつも、何か重大なものを渇望している。青年は、胎内の記憶をたぐり寄せ、かけがえのない分身を捜す旅に出る。(「BOOK」データベースより)

◎松村栄子の初期作品

 松村栄子の初期作品が文庫化されるのを待っていました。しかしなかなか実現しないので、しびれを切らせて「文庫で読む500+α」の「α」として紹介することにしました。

松村栄子は、1961年生まれの作家です。デビュー作『僕はかぐや姫』(福武書店、初出1991年)で海燕文学新人賞、次作『至高聖所』(福武書店、初出1992年)で芥川賞と、足早に階段を駆け上がりました。

『僕はかぐや姫』の主人公・裕生(ひろみ)は、かぐや姫の話が好きな十七歳の女子高校生です。初潮を迎えるころから、自分のことを〈僕〉と呼ぶようになります。本書は成長を拒絶し、今のままでありたいとする主人公の、心の葛藤を描いた力作です。

――産んでと頼んだわけじゃないのに生まれてきて、生きるって決めたわけじゃないのに、人間として生きることさえ選択していないのに、女性として生きるって決めつけられて何んの選択権もないなんて、とても理不尽な話だって昔思ったんじゃないかな。(本文より)

 この台詞が、松村作品の根底にあります。今あることの不思議。過去の延長線上にある今を断ち切れないもどかしさ。松村栄子はそんな日常の中のほころびを、ひょいとつまみ出して読者に突きつけます。

『至高聖所』の主人公・沙月は、鉱物が好きな女子大生です。親元を離れて、慣れない寮生活をはじめます。沙月には一つ違いの姉がいますが、この存在が主人公に陰を落とします。またルームメイトとの確執にも悩みます。

◎胎内の記憶からはじまる

 松村栄子の文章は整っていますし、主人公の性格も常にわかりやすいものです。『生誕』(朝日新聞社)は9冊目の単行本になります。松村作品はすべて読みましたが、そのスタイルは一貫しています。

『生誕』の主人公・桑名丞(すすむ)は、二十歳。趣味はテレビを観ることと、世界に起こっていることを目に焼きつけることです。
 彼はコンピュータ専門学校を出ると、迷わず大好きなテレビがある電気店へ就職します。ところが商売そっちのけで、ぼんやりとテレビばかり観ているために、試用期間中にクビをいい渡されます。
 丞の家族は、父と母と弟の四人。母親は後妻であり、弟とは異母兄弟になります。物語は生母の胎内の記憶から動きだします。丞は自分が双子であった胎内でのことを、鮮明に記憶しています。丞たちが胎内にいたときに、両親は離婚を決めました。そして二人は、それぞれの両親に引き取られます。

――揉めに揉めていたおとなたちの諍いを調停したのはお腹の子供だった。ある日、胎児は双子だと医師が告げた。別れようとする夫婦は当然のようにこれを〈分けた〉。(本文より)

『生誕』は丞が分身を捜す、孤独な旅を丹念に描いています。松村栄子は意図的に、家族や友人を介して、孤独や絶望を表現してみせます。
 
『生誕』の主人公も、わかりやすい個性として描かれています。どことなく頼りない兄・丞としっかり者の弟・稔。記憶の中にある陰の部分の妹。
松村栄子はテレビの画面が報じるニュースを多用しながら、現在から過去への旅を描きます。
『生誕』は初期作品の、総集編のように思えます。

(山本藤光1999.06.21初稿、2018.01.24改稿)

古処誠二『フラグメント』(新潮文庫)

2018-03-12 | 書評「こ」の国内著者
古処誠二『フラグメント』(新潮文庫)

東海地震で倒壊したマンションの地下駐車場に閉じ込められた六人の高校生と担任教師。暗闇の中、少年の一人が瓦礫で頭を打たれて死亡する。事故か、それとも殺人か? 殺人なら、全く光のない状況で一撃で殺すことがなぜ可能だったのか? 周到にくみ上げられた本格推理ならではの熱き感動が読者を打つ傑作。(「BOOK」データベースより)

◎自衛隊出身の作家

古処誠二『ルール』(集英社文庫)を読みました。本書は第4作にあたる戦争小説です。これはこれで楽しく読むことができましたが、推薦作にはいたらないというのが結論でした。古処誠二の作品で推薦するなら、『少年たちの密室』(講談社ノベルズ)だと思いました。文庫で再読してみようと検索をしました。該当なし。

山本藤光の「文庫で読む500+α」は文字どおり、文庫作品を主体としています。なぜ文庫化されないのか、不思議に思いました。デビュー作の『UNKNOWN』(講談社ノベルズ)も調べてみました。該当なし。そんな折り、新古書店で『アンノウン』(文春文庫)という背表紙を目にしました。ぱらぱらめくってみると、まさに『UNKNOWN』だったのです。

近くにあった『フラグメント』(新潮文庫)という未読のタイトルも、同様に立ち読みしました。これは『少年たちの密室』を改題したものでした。そして第3作『未完成』も、のちに『アンフィニッシュト』(文春文庫)と改題されていました。

これでは検索に、引っかかるはずがありません。どうしてイメージができないような、カタカナのタイトルにしたのでしょうか。できれば日本語のタイトルにしておいてほしかった、というのが素直な感想です。

古処誠二は1970年福岡県に生まれ、高校卒業後様々な職業を経て、航空自衛隊に入隊。2000年自衛隊内部の事件を扱った『UNKNOWN』(のちに改題『アンノウン』文春文庫)で、メフィスト賞を受賞して小説家デビューしました。(ウイキペディア参照)

◎生還するのは誰か

再読した『フラグメント』は傑作です。東海大震災が発生します。マグニチュード8。死者は2千5百万人を超えます。6人の高校生と担任教師が、倒壊したマンションの地下駐車場に閉じこめられます。石廊崎で転落死した、同級生・宮下の葬儀に向う途中でした。

主人公・相良優は、宮下の死に疑問を抱き調査をしていました。宮下をいじめていた、不良グループのボス・城戸の存在が見え隠れしています。宮下の死は、自殺と事故死の両方で捜査が進みます。しかし学校側の保身により、事故死へと捜査が傾きつつあります。

相良優と不良グループの城戸たちは、闇のなかに閉じこめられました。相良優は宮下の死の疑問を、解き明かすチャンスと思います。闇のなかには、宮下と仲の良かった相良・早名・香椎、宮下と仲の悪かった城戸・小谷・大塚がいます。

いつ救出されるかの確証のないまま、2つのグループの対立がエスカレートしていきます。担任教師・塩澤は、対立の間に割って入ります。ところが塩澤の努力がこっけいに見えるほど、お互いの憎悪が激しさを増していきます。

飲み物は塩澤が持っていたペットボトルの水しかありません。それは「死」への恐怖のなかに現れた、「生」への希望です。敵対する2組に、水をめぐるルールが確立します。

古処誠二は視覚的に「見えない」状況と、相手の意図が「見えない」ことを重ねてみせます。この相乗効果が作品を引っ張ります。疑心暗鬼のなかでの妥協の産物である、定めたルールを破られることへの不安。いつ襲い掛かってくるかもしれない、相手への不安。殺すか、殺されるかまでの対立が続きます。

そして城戸の死体が発見されます。まったく視界のきかない世界のなかで、彼は一撃で殺されていました。担任の塩澤は、余震による事故死といって逃れます。事故か、殺人か。倒壊ではわずかな軽症だけで死を免れた、7人のなかの1人が欠けてしまいました。

暗闇のなかに恐怖が広がります。1人の少年が精神的におかしくなります。生還の望みがないなか、城戸のように殺害されるかもしれない、という怯えが蔓延します。偶発的におこった密室から、生還するのは誰か。息詰まるサスペンスをご堪能ください。

デビュー作から、少し気になっていたことがあります。古処誠二作品の冒頭が、いつもわかりにくいということです。第3作『アンフィニッシュト』(文春文庫)は、さらに難解でした。デビュー作の朝香・野上コンビを、ムリにもちこんだからかもしれません。ただしそこを嚥下すると、たちまち流れは滑らかになります。
(本稿は藤光・伸の筆名で、PHP研究所「ブック・チェイス」2000年10月14日号に掲載したものを加筆修正しました)
(山本藤光:2000.10.14初稿、2018.03.12改稿)

永瀬隼介『閃光』(角川文庫)

2018-03-12 | 書評「な」の国内著者
永瀬隼介『閃光』(角川文庫)

玉川上水で男性の扼殺体が発見された。捜査陣に名乗りを上げた老刑事・滝口と相棒に選ばれた巡査部長の片桐。滝口はこの殺人事件に三十年以上前に起きた〈三億円事件〉との接点を見いだす。その頃、殺された男と三億円事件当時仲間だった連中がにわかに再会を果たしていた。昭和最大のミステリーに、緊密な文体と重層的なプロットで迫る!『19歳一家四人惨殺犯の告白』で読者を震撼させた著者がものした、犯罪小説の白眉。(「BOOK」データベースより)

◎空手屋が書いた小説

私が34年間勤めた日本ロシュという会社には、大学の空手部出身者がたくさんいました。人事本部長が空手部のOBだったせいで、空手経験者の胆力に、おおいに期待していたのでしょう。そのなかのひとりと酒を飲んでいるとき、突然「永瀬隼介って知っている?」と質問されました。むかしPHPメルマガ「ブックチェイス」に書評を書いた記憶がありましたので、「もちろん」と答えました。

永瀬隼介『閃光』(角川文庫)は、「山本藤光の文庫で読む500+α」の「現代日本文学125+α」では除外してありました。ずっと気になってはいたのですが、私の評価では126番目の作品だったのです。「永瀬隼介はね、極真空手をきわめた男なんだよ」という友人の声に後押しされ、『閃光』を文庫で再読することにしました。

そしてむかし書いた書評を手直ししたいと思いました。どん尻の1冊をはずして、代わりに『閃光』をいれることにしました。なんと5年ぶりの再評価です。というわけで、改稿原稿をお届けさせていただきます。

◎戦後最大の完全犯罪・3億円事件

永瀬隼介作品を読むのは、はじめてでした。たまたま新聞に「ロストタイム・閃光」という映画の宣伝が載っていました。写真には例の、3億円事件のモンタージュ写真がついています。細かな活字を拾ってみました。原作は永瀬隼介となっています。もちろん、名前だけは知っていました。
 
さっそく書店で買い求めました。圧倒されました。小気味のよい短文が、臨場感を盛りあげます。まるでパッチワークのように、つぎはぎの場面が連なっていきます。この手法はときに読者を混乱させがちなのですが、『閃光』(角川文庫)には破綻はありません。
 
戦後最大の完全犯罪3億円事件は、1968年12月10日におきました。この事件については、『戦後史開封1』(産経新聞社)の文章を紹介させていただきます。


――昭和43年12月10日、日本信託銀行国分寺支店の現金輸送車が東芝府中工場の従業員のボーナス2億9434万1500円を輸送中、府中市栄町の府中刑務所わきの路上で偽の白バイ警官に停止を命じられた。
 白バイ警官に化けた犯人は「支店長宅が爆破された。この車にも爆薬が仕掛けられているという情報があるので調べさせてもらう」と乗っていた運転手ら四人を下車させ、四人が避難したスキに現金を積んだ車ごと逃げた。
事件は昭和50年12月10日、刑事時効、63年に民事時効を迎えた。(『戦後史開封1』産経新聞社P83より)
 
3億円事件については、毎日新聞が「犯人逮捕」という世紀の誤報をしています。たくさんの遺留品があり、だれもが早い解決を想像していました。それが時効になり、しだいに人々の記憶から遠ざかっていったのです。その事件が、永瀬隼介の小説と、「ロストクライム」という映画になってよみがえりました。

3億円事件を題材にした著作は、数多く存在しています。ざっとあげてみます。
 
佐野洋『小説三億円事件』(講談社文庫絶版 1970年)
西村京太郎『名探偵なんか怖くない』(講談社文庫 1971年)
清水一行『時効成立―全完結』(角川文庫絶版 1979年)
横山秀夫『ルパンの消息』(光文社文庫 2005年)

これらは読んだ作品ですが、ネット検索すると20件以上もヒットしました。物書きにとって3億円事件は、ぜひとも迫ってみたい謎なのでしょう。

◎3億円事件の深淵に迫る

物語の舞台は34年前の3億円事件当時と現在。警視庁捜査1課・滝口政利は、もうすぐ定年を迎えようとしています。彼は3億円事件の捜査を担当していました。そんなところに、ラーメン屋店主・葛木勝の殺人事件がおきます。

滝口政利にとっては、忘れられない名前でした。滝口は自ら葛木勝の殺人事件の捜査担当に志願します。相棒には、32歳の片桐慎次郎・小金井中央署刑事があてがわれます。
 
隅田川で発見された葛木勝の絞殺死体は、相棒の片桐にとってはありふれた事件にすぎませんでした。それが滝口によって、3億円事件の深淵につなげられてゆきます。34年前の3億円事件には、5人の容疑者が存在していました。(後半で6人となるのですが)
 
葛木勝の死ははるか昔の事件を、現在によみがえらせました。永瀬隼介は3億円犯人グループのいまを描き、事件の痕跡をたんねんに拾いあげます。本書にはたくさんの登場人物があらわれますが、読んでいて苦労させられることはありません。
 
3億円事件はなぜおきたのか。なぜ迷宮入りしたのか。完全犯罪といわれた事件に、被害者はいなかったのか。奪った3億円はなぜ使われなかったのか。永瀬隼介は、それらの謎に迫ります。
 
永瀬隼介がそのために創りあげたのは、人と人のかたまりでした。定年間近の滝口政利と若い片桐慎次郎。ヨシという若いホームレスと年老いたジジイ(正体はのちに明らかになります)。3億円事件の犯人グループ。警視庁本部の人群れ。こうした人間模様をたんねんに描きながら、永瀬隼介の筆は巧みに時空を動きまわります。
 
詳細についてはふれませんが、私は永瀬隼介の筆力に圧倒されつづけました。映画をみるまえに、ぜひ『閃光』を読んでいただきたいと思います。これだけの作品が発表されたので、もう新たな3億円ものはあらわれないでしょう。
 
『閃光』は、完成された作品でした。「山本藤光の文庫で読む500+α」では予定していなかったのですが、この作品を急きょノミネートすることにきめました。空手の友人のおかげです。
(山本藤光:2010.07.13初稿、2018.03.12改稿)

妙に知180312:歯ぎしり

2018-03-12 | 妙に知(明日)の日記
妙に知180312:歯ぎしり
○○○の歯ぎしり。まるのなかにひらがな3文字を入れてください。ところで「○○○」って何のことかわかりますか?
新明解国語辞典に「カタクチイワシの幼魚を干したもの」とありました。つまり「ごまめがするみたいな歯ぎしり」の意味ではないようです。河野太郎外相は、これをHPタイトルにしています。きっと財務省の件について、歯ぎしりしていることでしょう。
山本藤光2018.03.12

一気読み「ビリーの挑戦」107-112

2018-03-12 | 一気読み「ビリーの挑戦」
一気読み「ビリーの挑戦」107-112
107cut:ラ行の言い訳小僧が消えた
――18scene:8月のチーム会議
影野小枝 帯広市民会館の一室です。8月のチーム会議で、メンバーが勢ぞろいしています。
漆原 7月もよくがんばってくれた。9200万円と、1億にはあと一歩だった。(大歓声)特に帯広地区の貢献が大きかった。きょうは敬意をこめて、チーム会議を帯広開催とさせてもらった。
山之内 いよいよ、頂上が見えてきましたね。帯広地区は、全員が1000万円プレイヤーの仲間入りをしました。太田が最終日まで飛び回って、滑りこみでしたが……。
(拍手)
石川 釧路地区は、熊谷と寺沢があと一歩のところです。8月は夏休みもあり、難しいのですが、9月には帯広のように1000万円超のそろい踏みの予定です。
乾 札医大関連の、情報をお知らせします。今月のローテーションは……。
影野小枝 大学病院の情報交換です。乾さんや田中さんが、直接、大学病院担当者から情報を入手したようです。新たにチーム内の病院へ赴任する医師と、ローテーションでいなくなる医師の発表がなされました。
漆原 乾たちの発表を聞いて、思い出したことがある。4月のチーム会議のときに、気になったことがあった。「ラ行の言い訳小僧」って知っているか? 「なぜ攻略がままならないのか」と私が質問すると、みんなは「ラ行」で言い訳をしていた。

・ライバルメーカーは、10年も同じ担当者です。ひっくり返すのはムリです。
・リスクが高過ぎます。そんなことをしたら、出入り禁止にされてしまいます。
・ルールですから、それはできません。
・レジメ(約束処方)で、がんじがらめです。新規採用はムリです。
・ローテーションで、処方してくれていた先生がいなくなりました。

漆原 どうだ? 言い訳の頭が、見事にラ行になっているだろう。この言い訳に心当たりはないか?
熊谷 ラ行の言い訳小僧ですか。心当たりがあります。
漆原 そうだろう。ところが、こいつを逆手に取ると、いまの乾たちの世界になる。ライバルを知り、リスクやルールを検証し、レジメに入れてもらう努力をする。そして医師のローテーションを熟知する。これは病院攻略の基本だ。少なくともこのチームは、「ラ行の言い訳小僧」を撲滅したようだな。

108cut:夏休みの宿題を考えてもらう
――18scene:8月のチーム会議
影野小枝 107cutの続きです。
漆原 これから、夏休みの宿題を考えてもらう。本を読むのでもいい。模型飛行機を作るのでも構わない。それをきっかけに、山崎の英会話のように、それぞれのライフワークを見出してもらいたい。これからの時代、営業の経験だけでは心もとないからな。
山崎 自分自身を磨くわけですね。
漆原 私から宣言したい。私は『人間系ナレッジマネジメント』の勉強をする。そして、『営業ナレッジを結集せよ』という本を出版したい。
太田 出版までしちゃうわけですか? ゴルフでシングル・プレイヤーを目指すのはダメですか?
漆原 悪くはないけど、それは社会性がないのでライフワークとはいえない。ライフワークは社会に貢献できる可能性が、あるものでなければならない。ゴルフのレッスンプロを目指すのなら、それでいいのだけど。
田中 ムリムリ。別のライフワークを考えなさいって。
山之内 私は、コンピュータのシステム・ソフトを勉強します。これからはITの時代ですから。
寺沢 私は乾さんみたいに、自分のホームページを作ります。そこでネット・ショップを経営したい。断っておきますが、エッチなものじゃないです。売るのは、実家の無農薬野菜ですので。
石川 それはいいな。私は『霧の事典』です。せっかく釧路に住んでいますし、霧にまつわる話を徹底的に集めてみようと考えていました。
熊谷 霧の摩周湖、夜霧よ今夜もありがとう……うん、おもしろそうですね。私は絵本を書きます。いまでも子供たちのために、手製の絵本を作っています。幸いにして評判がいいので……。
漆原 結構出てくるものだな。田中は何だ?
田中 ぼくですか、リトルリーグの監督かな。プロ野球選手のタマゴを育ててみたい。これなら仕事と両立できるし、少ないながら社会貢献しています。
太田 ギターの腕を磨き、将来はギター教室を開きます。
漆原 それはいいね。ところで、乾は?
乾 実は梶山悦子、エッちゃんのことですが……入籍しまして、彼女は例の屋台村に店を出すことになりました。私の夏休みはその準備で……。
全員 おめでとう。  
影野小枝 乾さん、おめでとうございます。夏休みの宿題から、ライフワークを考えさせる。いい試みです。仕事以外に夢中になれる何か。一生涯楽しみながら続けられる、テーマを見つけることは大切ですよね。乾さんの場合は、悦子さんとの伴走がライフワークになりそうですね。

109cut:良書を読む、優れた人と交わる
――18scene:8月のチーム会議
影野小枝 漆原さんにインタビューしてみます。いよいよ、部下の日常生活を磨く段階ですね。漆原さんは、対(つい)をつなぐことの大切さを強調していましたよね。
漆原 多くのサラリーマンは、日常の設計をしないままでいます。充実した日常を持っている人は、ほとんどの場合仕事も生き生きとしています。定年後も、空気の抜けた風船みたいにはなりません。
影野小枝 日常を磨く。具体的には、どうすることなのですか?
漆原 私はよい本をたくさん読む。優れた人と交わることだと思っています。優れた人とは、社内の人のことではありません。社外の人が対象です。
影野小枝 なぜ社内ではダメなのですか?
漆原 社内の場合は、どうしても甘えが入ります。社外の場合は、ギブ・アンド・テイクのバランスが欠落したら、その時点で門戸を閉ざされてしまいます。お互いに有用な関係でなければ、相手にしてもらえないでしょう。
影野小枝 それで漆原さんは、どこから手をつけるのですか?
漆原 何かを成し遂げようとするなら、まず自らの「人生設計」を作成しなければなりません。人生設計とは、志を明確にすることです。社内価値を高めるために、何かの資格をとるでもよし。定年後に自立できるよう、いまから周到な準備をするでもよい。とにかく、これからの人生をどう過ごすのかを、明確にしておくことが大切です。
影野小枝 志を明確にする、ですか?
漆原 受験時代に「○○大学合格」などと、張り紙をした記憶があるでしょう。あれをやる必要があります。人間の意志は、信じられないほど弱い。恥ずかしくても、自身と周囲に向けて高らかに宣言をすることです。今日の夏休みの宿題で、みんなはそれを発表したわけです。

110cut:綿密な計画をたてている
――18scene:8月のチーム会議
影野小枝 野付半島のキャンプ場・尾岱沼(おだいとう)からのレポートです。漆原さん一家をはじめ全メンバーの家族が参加しています。乾さんとエッちゃんの姿もあります。すでにバーベキューの準備も整っています。
漆原 まずはこのキャンプを企画してくれた、太田と寺沢にお礼をいいたい。きみたちのお陰で、家族サービスをあれこれ悩まずに済んだ。ありがとう。それからご主人を支えてくれている奥さんと子どもたちにも、心からありがとうと申し上げたい。そして何よりも本日の主役は、乾と奥さんの悦子さんだ。2人の結婚を祝し、あわせてご参加いただいているみなさんのご健康を祈念して、乾杯しよう。(乾杯の大合唱)
太田 本日の食材はエッちゃんが手配してくれました。焼くのはぼくたちがやりますので、エッちゃんは食べることに専念してください。ではもう一度、乾さんとエッちゃんの結婚をお祝いして、乾杯したいと思います。おめでとうございます、乾杯。 
影野小枝 悦子さん、うれしそうです。お子さんたち、とっても楽しそうです。ジンギスカンは漆原さんの差し入れ。寺沢さんの実家から届いた無農薬野菜もあります。魚介類は悦子さんが、手配してくれました。カマドを作り、マキを拾い集めてきたのは、子どもたちと山崎さん、熊谷さん、田中さんです。
寺沢 食べながら聞いてください。食事のあとは、キャンプファイヤーと太田先生のギター伴奏で合唱会を計画しています。それが終わったら、花火大会が待っています。(子どもたちから歓声)
石川 結構、綿密な計画を立てているな。仕事もこうあってほしいものだ。
寺沢 石川さんには、いわれたくないですよ。(笑)
田中 飯ゴウが吹き上がりました。(子どもたちに向かって)おいしいご飯だぞ。
漆原 それにしても、そんなにたくさんの飯ゴウをどこから手に入れてきた?
田中 レンタルショップです。奥さんと子ども以外は、何でも揃っています。
山之内 あれが北斗七星だよ。ほら、ヒシャクの形をしているだろう。
子ども ママ、おいしいね。毎日キャンプをしようよ。(爆笑)
太田 明日は地引網を体験します。残念ながらこの時期、北海シマエビの漁はしていませんが、漁港の直売所で買うことができます。それから焚き火を燃やして、海水浴もやります。(こどもたちから歓声)
影野小枝 いいですね、アットホームな感じで。太田さんと寺沢さんがキャンプの企画を立てて、全員参加でそれが実現しました。2人とも張り切っています。

111cut:子どもたちがうれしそうだった
――18scene:8月のチーム会議
影野小枝 テントのなかです。寝袋に入って、太田さんと寺沢さんが語り合っています。
太田 大成功だったな。子どもたちがうれしそうだった。
寺沢 ぼくたちの企画が、受け入れられたということですね。
太田  仕事バリバリ、家でゴロゴロ。これでは対(つい)がつながっていない。日常を充実させなければ、仕事も光り輝かない。
寺沢 おまえはずっと内勤希望だったけど、最近楽しそうじゃないか?
太田 やっとわかった。営業の世界って、自分自身で創り上げると、とてつもなく楽しいものだ。
寺沢 ずっと孤独を感じていたけど、漆原さんがきてから、1人ではないと思えるようになった。太田もいるし、石川さんもいる。そして、いつも伴走してくれている漆原さんがいる。毎日が楽しいし、前へ前へと進んでいる感じがする。
太田 おまえは成長したよ。
寺沢 おまえにはいわれたくない。
太田 真冬しか知らない寒暖計が、春を感じている。少しずつ数字が上がり、おれたちの気分も高揚してきた。
寺沢 ポエムだな、太田は本を読みはじめてから、いうことが違ってきたぞ。
太田 明日は早い。そろそろ寝ようか。
寺沢 あの子たち、「ありがとう」っていってくれたよな。いい言葉だな、「ありがとう」って。

112cut:家族の笑顔と2人の若者
――18scene:8月のチーム会議
影野小枝 ビデオ製作会社打ち合わせです。
監督 いいね、いいね。原作者もなかなかやってくれる。若い連中が自発的に企画を立案し、みんながそれに便乗する。チームが一丸となっていることを、バッチリと撮りたいな。
助監督 トドワラ、羅臼岳も撮りたいですね。三角帆の打瀬船もほしいのですが、8月はシマエビ漁をやっていないようです。
製作 仕事、日常、家族団らん。この作品は、結構幅広いので、撮りがいがあるな。
監督 たくさんの教材ビデオを手掛けてきたけど、こんな風なカットを撮るのは初めてだ。中里にはよい勉強になりそうだな。
助監督 家族の笑顔と、2人の若者の満足げな表情を、自然のなかでアップにします。
監督 できれば花火をエンディングに使いたいな。原作者を説得できないですか?
製作 ムリだ。絶対に妥協してもらえない。
監督 そうだろうな、原作者は偏屈な人らしいから。


知だらけ041:牛歩主義の読書

2018-03-12 | 知だらけの学習塾
知だらけ041:牛歩主義の読書

読書は10冊ほどを併読、原稿の執筆も5つほどのテーマを、思いつくままに書きちらしています。早くすませてしまいたいという、せっかちな性格に歯止めをかけるための方便です。心がけているのは、それぞれを均一にまんべんなくという点です。

この方法を採用してから、思考に深みがうまれました。ひとつを離れてつぎに移るときに、脳内には閉じようとしていることを整理する活力が生じます。巻きもどし現象とでもいいますか、脳内でおさらいをしているのです。

むかしこんなことを書いています。

(引用はじめ「藤光日誌」2010.12.17)
漱石や露伴の牛歩主義
花村太郎『知的トレーニングの技術』(ちくま学芸文庫)のなかに、「牛歩主義」という興味深い記述があります。
 
――若い芥川龍之介の「鼻」を絶賛して、激励の手紙を送った漱石の手紙のなかでは、「牛になる事はどうしても必要です。吾々はとかく馬になりたがるが、牛には中々なり切れないです。僕のような老猾ななものでも、只今牛と馬がつながって孕める事ある相の子位な程度のものです。/あせっては不可せん。頭を悪くしては不可ません。根気づくでお出なさい。(一部引用)

このあと花村太郎は、幸田露伴が自邸を「蝸牛庵」と名づけたことにふれてつぎのように書いています。

――幸田露伴のモットーは、「カタツムリの牛歩主義」だった。毎日の習慣をつくるいちばんの秘訣は、「すぐにとりかかること」の習慣化だろう。(一部引用)
 
まったく同感です。花村太郎のいうとおり、のんびりと持続することが、知的トレーニングの原点なのだと思います。花村太郎の著作の醍醐味は、このように先達の事例が豊富なことです。
  
牛歩とは、のんびりと読むことではありません。考え考え、ページをくくることです。私は「寄り道読書」といっています。気になったことがあったらページを閉じて、引っかかり先にとんでしまいます。

前記の幸田露伴『五重塔』(岩波文庫)を読んだときにも、「谷中の感応寺の五重塔」の記述をみて、立ち往生してしまいました。現物を確かめたくなったのです。五重塔は現存していませんでした。失恋男の放火で、消失してしまっていたのです。
(引用おわり)

1日に10冊の本を読んでいます。後ろ髪をひかれる思いでページを閉じます。すばやく読んだ箇所を整理し、つぎの展開を思い描きます。けっこう知的なトレーニングになっています。

町おこし044:ヒラメの水槽

2018-03-12 | 小説「町おこしの賦」
町おこし044:ヒラメの水槽
――『町おこしの賦』第2部:痛いよ、詩織!

「きみたち、高校生かい? おじさん、ここの館長なんだ。勉強にきたとは、感心なことだね。ちょっとだけ、案内させてもらうよ」
受け取った名刺を見ると、標茶町観光協会長・宮瀬哲伸とあった。彼は宮瀬建設の経営者であり、会社の博物館の館長を務めている。宮瀬は三人の返事を待たずに、スタスタと階段を上りはじめる。
「長い階段ですね。何段あるのですか?」
二階にたどり着いて、詩織は質問をした。恭二の息は、すでに上がっている。野球を離れてからの、運動不足が響いているようだ。
「全部で三十六段だよ。それには、ちゃんとした意味があるんだけど、わかるかな?」
「三十六に意味があるのですか? 恭二、わかる?」
「わからない」恭二は詩織に、それを告げる。
「労働基準法の第三十六条だよ。現在の労働環境に異議はありません、と従業員の代表が署名捺印するものを意識しているわけさ」
「そのために、わざわざ螺旋(らせん)階段にしたのですか?」
額の汗を拭い、愛華は独りごとのようにいった。

壁にはセピア色の写真が、貼られている。朝の体操、朝礼、給料袋、社員旅行、腕抜きをした社員……。どれもこれも、愛華には興味のわかないものばかりである。足早に通り過ぎると、目の前に大きな水槽があった。
「魚がいる」
 のぞきこんだ詩織に、宮瀬館長は「ヒラメだよ」と教えた。詩織には、ヒラメの意味がわからない。「ヒラメって、上に目がついているだろう。だから上しか見えない。サラリーマンには、上しか見ていないヒラメがたくさんいる、というシャレだよ」
 恭二の説明に、愛華のあきれたような声が割りこむ。
「ここには、ゴマすり器がたくさんある。どこまでやるの、って感じだよね」

 三人はあ然として、会社の博物館を出る。通りに出た瞬間に、愛華は大声で笑い出した。そしてこれでは、お客さんを呼べないと思う。こんなものに五千万円も投じたのかと考えると、情けなくなってくる。目的は企業研修の受け皿としての、施設建設だったはずである。粗末な陳列物を思い出し、愛華の心は痛んだ。
 恭二は愛華の笑い声を耳にしながら、頭タオルの男の言葉を思い出していた。あんなものに五百円も払った。詐欺だよな。

阿部和重『ABC戦争』(講談社文庫)

2018-03-12 | 書評「あ」の国内著者
阿部和重『ABC戦争』(講談社文庫)

周到に張りめぐらされた言葉が、不穏な予感を暴発させる―デビュー以来、日本文学の最先端を疾走し続ける阿部和重の危険な作品世界は、いまや次々に現実となっていく。今だからこそ読みたい初期の傑作6作品。3人のゲームクリエイターによる語り下ろし特別座談会「阿部和重ゲーム化会議」を巻末に収録。(「BOOK」データベースより)

◎とことん「形式」にこだわる

絶版になっていた阿部和重『ABC戦争』(新潮文庫)が、手にはいるようになりました。阿部和重『初期作品集・ABC』(講談社文庫)に、「ABC戦争」をふくめ6作品が所収されたのです。それを機会にちょっと難解なのですが、阿部和重作品にふれていただきたいと思います。
 
阿部和重は、群像新人文学賞を受賞したデビュー作『アメリカの夜』(初出1994年、講談社文庫)以来、注目している作家です。阿部和重はとことん「形式」にこだわり、「批評的な語り」を大切にします。これは日本映画学校を卒業したことや、映画の演出助手の経験とは無縁ではありません。
 
『アメリカの夜』では、語り手(重和)が、主人公・中山唯生を「批判的に語る」構図になっています。主人公は映画の専門学校を卒業し、撮る自分から書く自分への転身を模索します。そのプロセスを語り手(重和)が冷静に語りつづけます。

最初のうちは、語り手と主人公が重なっています。やがてそれが分裂しはじめます。だれかの評論で読んだのですが、セルバンテス『ドン・キホーテ』(岩波文庫)とP・K・ディックの『ヴァリス』(創元推理文庫)の構造を模して、徹底的に「批評的な語り」を貫き通した作品のようです。石黒達昌(「山本藤光の文庫で読む500+α」推薦作『新化』ハルキ文庫)の『平成3年5月2日、後天性免疫不全……』(福武書店)を連想させられる作風でもあります。本作は前記『新化』に所収されています。
 
第2作『ABC戦争』(講談社文庫)も、前作同様に「形式」に固執しています。「批評的言説」を豊富に流用してもいます。この作品を読み終わって、「やられた」と思いました。
 
デビュー作のような周到さで、著者がしかけていた伏線を、私は見落としてしまったのです。本書は終ったところから、はじまる物語だったのです。

◎批評的言説が長々と

『ABC戦争』は「ホンセン」と呼ばれている通学列車の3両目をめぐる、語り手「わたし」の回想録です。著者は語り手「わたし」の存在感を、意図的に希薄にしています。これは著者自身の自伝として読まれることを、避けるためにとられた方法でしょう。

なぜなら語り手「わたし」はあまりにも、著者の履歴と符合しすぎています。高校2年で中途退学し、山形県から上京。その後専門学校に入学している点は、まったく同じです。

物語は山形新幹線からはじまります。列車のトイレにあった落書き「X」と「Y」の文字をめぐって、批評的言説が長々とつづきます。
 
――〈Y〉の「悲劇」はさらにその度合いを強める。なぜなら〈Y〉とは「ワイ」と読まれる文字であるからだ。音声化した〈Y〉は、記された文字それじたいからひき離され、「ワイ」が「猥」を喚起し、「猥褻」のイメージがあたりを満たすにつれ、「卑猥」な顔つきをしたものたちが「猥雑」に「猥語」を発しあう「猥談」でもりあがり、いつか「猥本」を手にとり興奮してなにやら催し、いそいで公衆トイレに駆け込む。(本文より)

阿部和重はデビュー以来、一貫して自分探しを試みています。そのことについて、著者自身はつぎのように語っています。

――前略、高校を中退して間もない頃の私がともだちとともに――楽天的だったり殺伐としていたりだらしがなかったり暴力的だったり馬鹿馬鹿しかったりする環境のなかで――すごした時期の雰囲気の一部を、『ABC戦争』のなかから感じとっていただくことは不可能ではないとおもう。(『本』1995年9月号)

阿部和重が、このこだわりを捨てるときを待ちたいと思います。阿部和重は、まだ「支線」を走っています。目指す「本線」は近いのですが。

◎『シンセミア』とは良質の麻薬

『シンセミア』(全4巻、朝日文庫)は、原稿用紙1600枚もの大作です。舞台は著者の故郷である山形県の神町。著者は郷土史「神町のあゆみ」を偶然読み、本書を書くことになりました。舞台の神町は、昔はアメリカの駐屯地であり、現在は自衛隊の基地となっています。果樹栽培が中心の、どこにでもあるのどかな田舎です。

事件は、地元で有名な心霊スポットで起きます。この事件がきっかけとなり、神町の裏事情が表出します。本書の中心となるのは、歴代続く「パン屋の田宮家」です。物語は田宮家の歴史をたどりながら、神町の住民たちが見え隠れする仕組みになっています。

本書の登場人物は、60人を超えます。ところが、読んでいて混乱することはありません。ひとり一人の個性が、しっかりと描かれているせいでしょう。

ストーリーは、紹介しない方がよいと思います。小さな町に住む若者たちと、町のドンたる父親たちのすれ違い。麻薬、性、暴力、陰謀、不倫などが、静かだった神町を侵食しはじめます。おまけに地震、洪水などの天変地異が襲いかかります。息をもつかせない展開に、読者は引っ張られることになります。

読者は第4巻の最後に、度肝を抜かれることになるでしょう。それまでは、神町との長い長いおつき合いです。寝床のなかで、じっくりと堪能する作品が『シンセミア』です。シンセミアとは良質の麻薬のことのようです。

◎ちょっと寄り道

阿部和重作品は、一般読者にとってちょっと退屈だと思います。初期作品から、文芸評論家を意識した作品を書きつづけています。そのぶん意図がわからないわれわれには、間延びした物語になっています。
 
私は阿部和重、石黒達昌に期待をしていました。2人に共通していたことは、既存の純文学に対して反旗をかかげていたことです。阿部和重は2003年『シンセミア』(全4巻、朝日文庫)、2005年『グランド・フィナーレ』(芥川賞、講談社文庫)で確固たる地位を得ています。

講談社文庫『ABC』は、そこに至るまでの果敢な挑戦をうかがい知る格好の教材です。特に『シンセミア』や『グランド・フィナーレ』の読者にはお薦めしたいと思います。
(山本藤光:2010.05.06初稿、2018.03.12改稿)


阪本啓一『ゆるみ力』(日経プレミアシリーズ新書)

2018-03-12 | 書評「さ」の国内著者
阪本啓一『ゆるみ力』(日経プレミアシリーズ新書)

あなた本来の姿(能力)は力を抜いた自然体から。「~のせい」は不幸のもと。嫉妬心は風に飛ばせ。部下の強みは褒めて、褒めて、褒めまくる―。カリスマコンサルタントが、仕事と生活に追われ、ストレスいっぱいの現代人に贈る<ゆるんで頑張る>人生読本。(「BOOK」データベースより)

◎JOY(楽しい)とWOW(感動)

阪本啓一の出発点は、ハリー・ベックウィス『インビジブル・マーケティング』(ダイヤモンド社)の翻訳にあります。本書は2001年に邦訳発売され、大きなセンセーショナルをまきおこしました。訳者自身がぼろぼろになるまで読みこなし、愛情をそそいで仕上げた本です。阪本啓一は本書につぎのようなメッセージをそえています。

――マーケティング・コンサルタントとして、著者ハリーの言葉は、いずれも「自戒」のための金言、箴言です。日々の仕事の中で、折にふれひもとき、「ほんとうにこれでいいのか? 顧客のためになっているのか?」と検証するために活用しています。(アマゾン著者コメントより)

阪本啓一は翻訳のかたわら、みずからの現場体験をつうじてたくさんの著作を発信しています。いずれの著作も豊富な事例を交えて、平易なことばで書かれています。阪本啓一は私の信頼するたいせつな友人です。

ある日ニューヨークから、1通のメールが届きました。山本藤光『暗黙知の共有化が売る力を伸ばす』(初出2001年プレジデント社)について、好意的な感想を寄せてくれました。そのころ阪本啓一という名前は知りませんでした。私は簡単な感謝のメールを返信しました。

後日、阪本啓一から著書『スローなビジネスに帰れ』(インプレス)が届きました。住所は神奈川県葉山になっていました。開けてみて、最初に「著者プロフィール」を見ました。たくさんの翻訳著書がならんでいました。私は単なる一読者に向けて、返信をしたことを悔やみました。阪本啓一の業績も知らず、平凡な「ありがとう」の返信を書いたことを恥じたのです。
 
それ以来、阪本啓一の著書をむさぼり読み、ときにはビールを飲みかわすつきあいをしています。阪本啓一の著作に、『スピリチュアル・マネジメント』という非売品の1冊があります。彼が株式会社JOYWOWの会長に就任した記念に作成したもので、贈っていただきました。

これまで何度も目にし、耳にしていた阪本語録が満載の著作です。バラバラだったピースがみごとに、JOY(楽しい)とWOW(感動)に結集されています。まるで磁石に吸い寄せられる砂鉄を、目のあたりにしたような感じでした。

ビジネスは、頭ではなく内なる魂でなすもの。魂を清めると、心が安らぎ、よいビジネスが実現する。阪本啓一は熱く説きます。

――意思決定に迷ったら、「それって、楽しい? 楽しくない?」と自問してみましょう。楽しければGO、楽しくなければ、やらない。頭で考えるのではなく、ハートで感じたことを優先する。首から上に上げない。感性を全開にしてハートで感じる。直感を重視する。(『スピリチュアル・マネジメント』P20より)

阪本啓一の口癖は、「ざらつく」と「とんがる」です。前者は「ちょっと変だぞ」、後者は「きわだっている」などの意味でつかっています。彼の鋭い感性は、あらゆる事象をこうした言葉でくくってみせます。そして『ゆるみ力』(日経プレミアシリーズ新書)により、それらに新たな概念をつけくわえてみせました。

◎心身どこにも力が入っていない自然体

「忙しい」の「忙」という漢字を分解して「心(りっしんべん)を亡くす」と説明するケースがあります。阪本啓一も『ゆるみ力』のなかで、この漢字を分解してみせています。『思考の整理学』(ちく文庫)で大ブレイクした外山滋比古も、同じことを語っています。2つをならべてみます。
 
――忙しいとは「心を亡くす」と書く。忙しくなると、マイナスの感情が風船を一杯に満たす。満たすだけではなく、どんどん膨らんでいく。膨張すると、風船が空っぽでゆるんでいるときにはきちんとつけられた優先順位や正常な判断ができなくなる。(阪本啓一『ゆるみ力』日経プレミアシリーズ新書、P106)

――何か突発の事件が起こったとする。その渦中の人は、あまりのことに、あれもこれもいろいろなことが一時に殺到する。頭の中へどんどんいろいろなことが入ってきて、混乱状態におちいる。茫然自失、どうしていいかわからなくなる。これが「忙しい」のである。「忙」の字は、こころ(りっしんべん)を亡くしていると書く。忙しいと頭が働かなくなってしまう。頭を忙しくしてはいけない。がらくたのいっぱいの倉庫は困る。(外山滋比古『思考の整理学』ちくま文庫、初出1983年、P112)

「忙」の字をもちいて、外山滋比古が「頭が働かなくなる」といっているのにたいし、阪本啓一はもっと踏みこんで「マイナス思考になる」と説明しています。どちらに軍配をあげますか? 私は阪本啓一の感性の鋭敏さに舌をまきました。
 
『ゆるみ力』からは、たくさんのヒントをもらいました。「ゆるみ力」には、パンツのゴムがゆるむ、気がゆるむ、とはまったく異なる意味あいがあります。本人の書いたものをそっくり引用させてもらいます。
 
――「ゆるむ」という語感から連想されるような、「なまける」「たるむ」ということではなく、心身どこにも力が入っていない、自然体のことです。実はこの時、人間は潜在能力も含め、フルパワーを出すことができます。合気道でいうところの、「心身統一」の状態。全身の力を完全に抜き、臍下(せいか:下腹部)の一点に心をしずめ、統一する。ビジネスで成功するためにも、実はゆるみ力が必須なのではないかと思います。(「マーケティング・サーフィンUSA」2010.08.13発行より)

私の「知育(チーク)タンス」(本の引用と感想を保存しているファイル)をあけて、阪本啓一語録の一部を書き抜いてみたいと思います。私の感想もはいっていますので、完全抜粋とはちがいます。

――ビジネスとは、「顧客の生活の質を上げること」と著者はいう。しかも「製品が顧客の手に渡るまでの間に、それにいかなる付加価値をつけられるか」を考えることだという。『スローなビジネスに帰れ』インプレス)
 
――製品と顧客の仲立ちをする人は、IT化が進む時代でもその重要性は変わらない。営業マン、店頭販売員などに代表される「顧客との接点職」の重要性については、本書により改めて認識させられた。『スローなビジネスに帰れ』インプレス)

――あなたは自分自身の「五感」を駆使し、いまを生きているだろうか。知恵や感性は、五感を総動員したときに生まれる。(『五感商品の創りかた』インプレス)

――本書では、商品を「なければ困る」「あれば便利」「時にはいいかも」に区分されている。この切り口はわかりやすい。ご飯と味噌汁が「なければ困る」であり、ふりかけや焼き海苔は「あれば便利」となるのだろう。外食は、「時にはいいかも」となってしまう。(『マーケティングに何ができるか とことん語ろう!』日本実業出版社)

――本書は仕事がつまらない、と思っている人には絶大な効果を示す。そして楽しんで仕事をしている友人をもち、いろいろなことに興味を向ける人には響く。仕事が忙しいのはわかるけど、たまには怠惰な日常に水遣りをしよう。仕事がたいへんなのはわかるけど、ときにはすごい人の栄養分を吸収しよう。(『リーダーシップの教科書』日本実業出版社)

――現状を守ることに、汲々としているリーダーは多い。「守る」からは、何も生まれない。「失敗」をしないかわりに、大きな成功もありえない。(『リーダーこれだけ心得帖』日本経済新聞社)

――阪本啓一がいうように「笑い」は、知を刺激する。笑いのない職場からは、付加価値の高い仕事は生まれない。がんばれば「疲れる」が、笑う人は疲れない。野中郁次郎がいう「知的体育会系」のリーダー像を、阪本啓一はさりげなく示してくれた。(『リーダーこれだけ心得帖』日本経済新聞社)

――本書は企画マン向けに書かれたものではない。だれもが、自分自身という人生の企画を担っている。一生涯一枚の企画書だけで、人生を乗り切れるわけがない。時間に身を任せ、漫然と人生を送り続けますか。それとも新しい未来を思い描いてみますか。著者はそう問いかけている。(『企画心』ビジネス社)
 
――企画力とは、人間としての総合力のことだ。阪本啓一が「企画」という言葉に、あえて「心」という袴をはかせたのには意味がある。五感を総動員せよ。つまり上っ面だけでは、良質の企画は生まれない。軸足をどっしりと現在に置き、熱い視線で未来を見やる。そのためには日常を磨き、自分自身を鍛え続けることが大切だ。(『企画心』ビジネス社)

阪本啓一の著作は、ビジネス書というよりも人生訓として読まれるべきものです。彼の「人間力」の大きさは、私が完全保証します。あなたの人生に活力をあたえるためにも、ぜひ阪本啓一を読んでみてください。肩の力をぬいてゆるんだ状態で、そのうえで「これだ」と思ったことは即実践です。
(山本藤光:2009.10.01初稿、2018.03.12改稿)

シェイクスピア『ハムレット』(角川文庫、河合祥一郎訳)

2018-03-12 | 書評「サ行」の海外著者
シェイクスピア『ハムレット』(角川文庫、河合祥一郎訳)

「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ。―」王子ハムレットは父王を毒殺された。犯人である叔父は、現在王位につき、殺人を共謀した母は、その妻におさまった。ハムレットは父の亡霊に導かれ、復讐をとげるため、気の触れたふりをしてその時をうかがうが…。四大悲劇のひとつである、シェイクスピアの不朽の名作。ハムレット研究の若き気鋭が、古典の持つリズムと日本語にこだわり抜いた、読み易く、かつ格調高い、画期的新訳完全版。(「BOOK」データベースより)

◎7つの訳文のどれを選ぶか

これまでにたくさんの訳者による『ハムレット』を読んできました。そのなかで一番古い訳文は、坪内逍遥のものだと思います。

国立国会図書館の常設案内(平成8年8月27日から9月21日)によると、初めて翻訳劇「ハムレット」が上演されたのは坪内逍遥訳のようです。これはkindleで読むことができます。ただし本の写真版なので文字を拡大できず、ひどく読みにくいものでした。

――明治40年11月22日、坪内逍遥訳・指導によって初めて翻訳劇『ハムレット』が上演された(それまでは翻案のみ)。逍遥はシェイクスピアの中に歌舞伎との同質性を見て、シェイクスピアをモデルに歌舞伎を改良しようとした。そのため七五調の古風な文体になっている。(「国立国会図書館」の第73回常設案内より)

私の手元にある『ハムレット』のなかから、有名なセリフ(第3幕第1場)「To be, or not to be, that is the question」の訳文を比べてみたいと思います。

■kindle本(坪内逍遥訳)
――存(ながら)ふるか……存へぬか……それが疑問ぢゃ、残忍な運命の矢石と只管堪(ひたさらた)へ忍ふでをるが大丈夫の志か、或は海なす艱難を逆(むか)へ撃って、戦うて根を絶つが大丈夫か? 死は……ねむり……に過ぎぬ。

■新潮文庫(福田恒存訳)
――生か、死か、それが疑問だ、どちらが男らしい生きかたか、じっと身を伏せ、不法な運命の矢弾を堪えるのと、それとも剣をとって、押しよせる苦難に立ち向かい、とどめを刺すまであとには引かぬのと、いったいどちらが。いっそ死んでしまったほうが。(本文P84)

■角川文庫(河合祥一郎訳)
――生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ。/どちらが気高い心にふさわしいのか。非道な運命の矢弾をじっと耐え忍ぶか、それとも/怒濤の苦難に斬りかかり、/戦って相果てるか。死ぬことは――眠ること、それだけだ。(本文P98)

■岩波文庫(野島秀勝訳)
――生きるか、死ぬか、それが問題だ。/どちらが立派な生き方か、/気まぐれな運命が放つ矢弾にじっと耐え忍ぶのと、/怒濤のように打ち寄せる苦難に刃向い/勇敢に戦って相共に果てるのと。死ぬとは……眠ること、それだけだ。(本文P142)

■ちくま文庫(松岡和子訳)
――生きてとどまるか、消えてなくなるか、それが問題だ。/どちらが雄々しい態度だろう、/やみくもな運命の矢弾を心の内でひたすら耐え忍ぶか、/艱難の海に刃を向け/それにとどめを刺すか。死ぬ、眠る――/それだけのことだ。(本文P128-129)

■光文社古典新訳文庫(安西徹雄訳)
――生か死か、問題はそれだ。死ぬ、眠る。それで終わりか? そう、それで終わり。いや、眠れば夢を見る。(本文P60)。

■白水Uブックス(小田島雄志訳)
――このままでいいのか、いけないのか、それが問題だ。/どちらがりっぱな生き方か、このまま心のうちに/暴虐な運命の矢弾をじっと耐えしのぶことか、/それとも寄せくる怒濤の苦難に敢然と立ちむかい、/闘ってそれに終止符をうつことか。死ぬ、眠る、/それだけだ。(本文P110)

どの訳文を選ぶかは、好みの問題です。私の場合は、大好きな番組「NHK100分de名著」の『ハムレット』(4回シリーズ)を観たので、角川文庫を選びました。。訳者の河合祥一郎が、コメンテイターとして出演していたのです。すばらしい解説でした。

シェイクスピアの訳文を選ぶとき、時代背景について理解しておかなければなりません。井上ひさしは次のように語っています。

――先生(補:シェイクスピア)ご活躍のころのエリザベス朝の劇場は本邦における能舞台のようなもの、舞台装置はないにも等しく、豪華な衣装を別にすれば、作品の効果は戯曲の台詞の迫力と役者の演技力にまつよりほかはありませんでした。おまけに女優はおらず、女の役は少年が勤めておりました。(中略)一にも言葉、二にも言葉、ひたすら言葉を練り上げて、泣かせる台詞、いい台詞、おかしな台詞で、観客を唸らせることに命を懸けておいでになった。(井上ひさしのベスト3。丸谷才一編『私の選んだ文庫ベスト3』ハヤカワ文庫P28-29)

◎熱情と知性のはざまで

ハムレットは、将来を嘱望された王子でした。父の急死とあわただしい母の再婚に、心を痛めます。ハムレットは王である父を愛し、尊敬をしていました。しかし母が再婚した父の弟は、受け入れられる存在ではありませんでした。

そんなとき、父の幽霊が出現します。幽霊は自分を殺害したのは弟であることを告げ、復讐せよと命じます。しかしハムレットは幽霊の本性が見抜けず、逡巡してしまいます。そして父の死の真相を調べようと思います。

ハムレットを優柔不断な若者と思っている方は多いと思います。しかし「100分de名著」のなかで、河合祥一郎は次のように語っています。ハムレットは熱情と理性の人。気高く生きるためにどうしたらよいかを追求している人。この解説に触れて、私は新たなハムレット像を見つめなおしました。

河合祥一郎は、シェイクスピアがハムレットの分身を登場させているとも語っていました。その部分を意識して再読しますと、なるほど合点がいきました。詳細についてはあとから触れます。

・ホレイシオ(ハムレットの腹心の友):「理性」の象徴。
・レアーティーズ(ポローニアスの息子):「熱情」の象徴。
・フォーティンブラス(ノルウェー王子):「理性と熱情」を兼ね備えた人の象徴。

『ハムレット』の物語構造については、木下順二の著書から引かせていただきます。ハムレットが優柔不断に見えてしまうのは、。次の引用文で理解できます。

――ハムレットにとっては、自分の願望――叔父が犯人であることを確かめること――その願望へ着々と近づいて行く行為は、同時に最も願わしくないこと――復讐――へ着々と近づいて行くという行為だった。つまり願望を持てば持つほど願望から遠ざかるという、劇『オイディップス王』にわれわれが見たあの構造は、このようにして劇『ハムレット』に当てはまるわけです。(木下順二『劇的とは』岩波新書P68)

ソポクレス『オイディプス王』(岩波文庫、藤沢令夫訳)については、「山本藤光の文庫で読む500+α」で紹介済みです。そちらをご覧ください。ハムレットの心の葛藤について、もうひとつの論評を引かせていただきます。

――これ以上に、人間が生きて行く為に経験する苦しみとか、その終りを意味している筈の死とかいうものの性質が、実は我々に少しも解っていないということを的確に描写したものはない。それ故に、ハムレットは迷っているのではなくて、我々人間が置かれている立場を自分に確認させ、そして自分が発した問に対して答はないから、答えずにいるのである。(吉田健一『文学人生案内』講談社文芸文庫P107)

悩むハムレット以外に、ハムレットの行動に着目している文章もあります。

――ハムレットは確かに迷い、悩む。同時に、果敢に行動する。愛するオフィーリアに対して、「尼寺へゆきやがれ」と絶縁の言葉を突きつけ、その父親の侍従長ポローニアスを、間違えたとはいえ瞬時に刺殺し、己の母親を鋭い言葉でずたずたに切り裂く。(轡田隆史『名著の読み方・人生の見かたを変える』中経文庫P30)

このあたりは優柔不断どころか、直情径行のハムレットになっています。もうひとつ引用させていただきます。

――ハムレットの最大の行動は演技をすることである。周囲は敵ばかり。常に誰かに見張られている。見るものを観客だと考えれば、そのただなかに立つハムレットは彼らの視線を意識して演技をせざるをえない。(松岡和子『「もの」で読む入門シェイクスピア』ちくま文庫P39)

◎意味深な結末

2014年は、シェイクスピア生誕450年でした。この年は日本の永禄7年にあたり、5回目の川中島の戦いをしていました。シェイクスピアが『ハムレット』を書いたのは1600年ころといわれています。、40歳の手前あたりに、今なお色あせることのない戯曲を発表したのです。

『ハムレット』の結末(第5幕第2場)について、斉藤美奈子がユニークな文章を書いています。

――劇中に二度しか登場しない(なんだか上手くやったように見える)もうひとりの王子(補:フォーティンブラス)。非業の死をとげた王子(補:ハムレット)との差をどう考えるべきか。それが問題だ。(斎藤美奈子『名作うしろ読み』中央公論新社P47)

フォーティンブラス(ノルウェー王子)については、先に「理性の熱情」を兼ね備えた人の象徴と紹介しました。斉藤美奈子の文章を読んで、物語の完結にふさわしい人だったのだと認識させられました。

ホレイシオ(ハムレットの腹心の友。「理性」の象徴)の役割についても、引用しておきたいと思います。河合隼雄と松岡和子との対談のなかで、河合は次のように語っています。

――ハムレットは初めからまっしぐらに死の世界に向かって行く主人公ですね。まわりもほとんど全員が死ぬ。その中で、ホレイショーだけは非常に大事な役だと思いました。最初から最後まで見届け、それを語る役目、言ってみればシェイクスピア自身ですよ。(河合隼雄×松岡和子『シェイクスピア』新潮文庫P173)

最後に私がなぜ数ある訳書のなかから、角川文庫を選んだのかについて、その理由をもうひとつだけ書かせていただきます。それは角川文庫の巻末の野村萬斉(狂言師)の「後口上」に書かれたことに感動したからです。野村萬斉は自らが演ずるために、河合祥一郎に新訳を依頼したのです。

――私は口承の日本語文化を受け継ぐ狂言師ということに起因しますが、英文学翻訳読物劇ではなく、聞いて実感が持てる日本語戯曲音読劇としてのシェイクスピアを上演したかったのです。(野村萬斉)

そんなわけで、私は角川文庫を再読して、この原稿の改稿作業をしました。何度読んでも、『ハムレット』は新しく感じます。私の蔵書のなかには、まだまだ数多い『ハムレット』の書評があります。おそらく本書の数十倍のボリュームだと思います。
(山本藤光:2012.09.25初稿、2018.03.12改稿)