山本藤光の文庫で読む500+α

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椎名誠『哀愁の町に霧が降るのだ』(上下巻、小学館文庫)

2018-03-15 | 書評「し」の国内著者
椎名誠『哀愁の町に霧が降るのだ』(上下巻、小学館文庫)

東京・江戸川区小岩の中川放水路近くにあるアパート「克美荘」。家賃はべらぼうに安いが、昼でも太陽の光が入ることのない暗く汚い六畳の部屋で、四人の男たちの共同貧乏生活がはじまった―。アルバイトをしながら市ヶ谷の演劇学校に通う椎名誠、大学生の沢野ひとし、司法試験合格をめざし勉強中の木村晋介、親戚が経営する会社で働くサラリーマンのイサオ。椎名誠と個性豊かな仲間たちが繰り広げる、大酒と食欲と友情と恋の日々。悲しくもバカバカしく、けれどひたむきな青春の姿を描いた傑作長編が復刊!茂木健一郎さんによる特別寄稿エッセイも収録。(「BOOK」データベースより)

◎椎名誠の原点は「本の雑誌」

椎名誠を知ったのは、「本の雑誌」創刊号ででした。この雑誌は1976年に創刊されました。雑誌のタイトルもユニークですが、自由で明るい記事が満載されていました。

特に椎名誠の独特の文体に、ほれこんでしまいました。この文体はのちに、「昭和軽薄体」と呼ばれるようになります。

椎名誠は軽妙な文体を引っさげて、エッセイストとして「本の雑誌」に登場したのです。「本の雑誌」には、千葉高校の同級生だった、沢野ひとしや木村晋介らが参加しています。のちに沢野ひとしはイラストレーター、木村晋介は弁護士になります。
 
『哀愁の町に霧が降るのだ』(上下巻、小学館文庫)は高校を卒業したときに椎名誠が暮らした、江戸川区小岩のアパート「克美荘」が舞台です。椎名誠、沢野ひとし、木村晋介、イサオの4人が、6畳1間で共同生活をしていました。

ものがたりはそれぞれの夢を追い求めながら、青春を駆けぬける若者を描いたものです。一日中、陽もささないアパートの一室を拠点にして、愛に餓え、食に餓え、さらに職にも餓えて、もんもんとする4人。哀しくもおかしなものがたりは、椎名誠の原点でもあります。

『哀愁の町に霧が降るのだ』ではちょっとしかふれられていないのですが、椎名誠は東京写真大学中退後にストアーズ社という会社に勤めることになります。椎名誠はここで、「ストアーズ・レポート」という流通業界誌の編集をおこないます。そこに入社してきたのが、のちに「本の雑誌」をいっしょに立ち上げる目黒考二だったのです。

「本の雑誌」は、いまだに健在です。誕生のいきさつを紹介したいと思います。
 
――(本の雑誌は)創刊当初、「書評とブックガイド」と銘打っていたように、書評誌である。ブックガイド誌である。当時は「書評誌は売れない」というジンクスが業界にあり、しかも素人の本好き仲間が集まって始めた雑誌であるから、先行きが大いに危ぶまれたが、どういうわけか生き残り、現在にいたっている。(『特集・本の雑誌1』1995年角川文庫「あとがき」より)

「本の雑誌」の継続発行にあたり、椎名誠と目黒幸二はエロマンガの原作を書くなど、涙ぐましい努力を重ねています。椎名誠を語るとき、「本の雑誌」を取り巻くモロモロを説明しなければなりません。しかし長くなりますので、省略させていただきます。

◎『黄金時代』と『哀愁の町に霧が降るのだ』

椎名誠に『黄金時代』(文春文庫)という作品があります。4つの章から構成される『黄金時代』は、いずれも「文學界」に掲載されたものです。この小説は、椎名誠の代表作である『哀愁の町に霧が降るのだ』(初出1982年、情報センター出版局、全3冊。現小学館文庫上下巻)から喧嘩と恋の場面だけを切りとり、ふくらませたものといえます。
 
それほど『哀愁の町に霧が降るのだ』は、椎名誠にとって大切な作品なのです。『黄金時代』にどのように反映されているのかについて、ちょっと説明させていただきます。
 
『黄金時代』の「砂の章」は、主人公「おれ」の中学3年時代の話です。「おれ」は突然、角田という首領がひきいる番長グループのしごきを受けます。袋叩きにあった主人公は「喧嘩は怖しいものと思っていました。しかし拳の一発が当たった段階で、もう恐怖もなにもなくなりました。かえって煮えたぎる怒りの熱さが、妙に心地いいものだ、ということを知ります。そして復讐を決意します。

『哀愁の町に霧が降るのだ』では同じ場面が、中学2年になっています。
 
――中学二年の時に同じ学校のチンピラグループの副首領と決闘をした。勝負ははっきりつかなかった。そのためにチンピラグループ二十数人のめったうちにあった。(本文より)

『黄金時代』は、この場面から動きだします。復讐を誓った「おれ」は喧嘩の手ほどきを、「ゆうさん」というさえないやくざものから授かります。

つづく「風の章」は廃材を盗んで、「おれ」が自分の部屋をつくりはじめます。「草の章」では「おれ」が県立高校の土木科の助手になっています。宿直と夜間の巡回と、恋の話が展開されます。最後の「火の章」では「おれ」が写真大学へ入学します。アルバイトをしながら、新しい恋を追いかけます。アルバイトの箇所も『哀愁の町に霧が降るのだ』と同じです。

――0.5ミリ以上の真鍮の板ならいいのだが0.2ミリとか0.3ミリという薄いものになると、持ちあげる時にそいつがくにゃと曲がってしまうのである。そのまま手に持って歩くと、くにゃくにゃという振動が体にまで響いてきて、まずそのままあるいていくことはできない。(『哀愁の町に霧が降るのだ』より)

――たとえば50キロの重さでもあまりしならない厚板だと楽なのに、30キロで0.3ミリなどというと、重ねて包まれている板のすべてが歩くリズムでへなへなとしなり、とてつもなく歩きにくい。うっかりすると、その人間の動きとまったく別のリズムで動いてしまって、なれない人はバランスをくずしてひっくりかえってしまうこともある。(『黄金時代』より)

4つの章には、「おれ」の喧嘩と仲間や家族との別離が、ていねいに織りこまれています。時代は力道山の街頭テレビのころです。世の中には娯楽があまりありませんでした。玩具も手製のものが多く、子供たちの遊びも缶や縄や石ころが主体でした。

最近は「いじめ」という言葉があたりまえになっていますが、当時もそれに近いものはありました。しかし、今のような陰湿さは微塵もありませんでした。
 
椎名誠の作品は、いつもさわやかです。『哀愁の町に霧が降るのだ』を読んだら、ぜひ『黄金時代』も読んでもらいたいと思います。その間に約20年近い、歳月が流れています。しかし椎名誠の生きざまは変わっていません。ゆるぎない人生が色あせていないことを、実感できるはずです。
(山本藤光:2010.09.03初稿、2018.03.15改稿)

妙に知180314:辞職で乞うこと

2018-03-15 | 妙に知(明日)の日記
妙に知180314:辞職で乞うこと
クロスワードパズルで、どうしても解けない問題がありました。
「辞職を申し出るときにはこれを乞う。答えはひらがな4文字」
他の問いに答えているうちに、「〇〇こつ」まで絞られました。しかし、いくら考えてもわかりません。

解答をみるのはくやしいので、さまざまな辞書にあたりました。そして発見。

骸骨――「史記」(仕官して捧げたわが身の残骸を乞いうける意。主君に辞職をねがう。(広辞苑第7版)

こんな意味は見たことも聞いたこともありませんでした。答えは「がいこつ」だったのです。
山本藤光2018.03.15


知だらけ044:ネット書店を開設する

2018-03-15 | 知だらけの学習塾
知だらけ044:ネット書店を開設する

新古書店(ブックオフなど)の登場で、本の売買が容易になりました。むかしは鼻眼鏡の古書店主が、本の希少性を吟味して買い取り価格を決めてくれていました。しかし新古書店は、新しい美本にしか価格をつけません。段ボール1函で100円などといわれて、けんかをしている情景は時々目にします。

塾長はアマゾンに、ネット書店を開設しています。以前に新古書店に3千冊を引き取ってもらったことがあります。ほとんどが単行本の初版でした。書庫が手狭になり、やむをえずに手放しました。6万円ちょっとの買い取り価格でしたので、1冊20円ということになります。

そのことを聞いた友人が、ネット書店への出品を勧めてくれました。1日1冊ていどの注文があります。自分の大切にしていた本を一山いくらで売るよりも、欲しい人にそれなりの価格で譲渡する方がうれしいものです。今では毎月の本代は、ネット書店で相殺されるようになりました。
山本藤光2017.12.10

町おこし047:標高新聞のゆくえ

2018-03-15 | 小説「町おこしの賦」
町おこし047:標高新聞のゆくえ
――『町おこしの賦』第2部:痛いよ、詩織!2

九月になった。学校は二学期を迎えている。越川常太郎町長の部屋に、弟の多衣良(たいら)が飛びこんできた。手には、「標高新聞」最新号が握られている。
「兄貴、これ見たか?」
 多衣良は町長室の机の上に、新聞を放り投げた。
「読んだ。新聞部の顧問と山際校長に、きてもらうことになっている」
「ガキどもが、とんでもないことをしでかしてくれた。許さん!」
 新聞には、大きな活字が躍っている。
――閑古鳥の鳴き声が聞こえる、会社の博物館
――日本三大がっかり名所で、さらにがっかり

「学校は検閲もなしに、こんな記事を許しているのか」
多衣良は、日本三大がっかり名所の施工責任者である。怒りは収まりそうにない。町長は受話器を取り、北村広報課長を呼ぶように秘書に伝えた。

町長室に入るなり、北村は「標高新聞」に目をやり、呼ばれた理由を察した。
「さっき、校長から連絡がありました。本日の緊急職員会議で、全数回収の方向で動くとのことです」
「当然だ。こんな悪質な新聞は回収させなければならない。そのうえで、新聞部は活動停止にさせる必要がある」
「新聞部の部長は、この前町長のインタビューにきた子です。あのとき、物騒な思想の持ち主だと思いました」
 北村は怒りの収まらない多衣良に向けて、同調するように話した。多衣良は大きな音をたてて、ソファに腰を下ろした。北村も向いの席に座った。そしてメモを膝のうえに広げて、説明をはじめた。
「越川翔くんと生徒会長を争ったやつは、町の活性化のために貢献すると公約しているそうです。こいつは四年間も、飯場暮らしをしています。アカに染まった貧乏人だとのことです。
おまけに新聞部長は、札幌からの転校生です。父親は虹別小学校の校長をしています。さらに、新聞部顧問の長島は、新任教師でアカです。この三人が結託して、生徒を扇動しはじめています」

狗飼恭子『冷蔵庫を壊す』(幻冬舎文庫)

2018-03-15 | 書評「い」の国内著者
狗飼恭子『冷蔵庫を壊す』(幻冬舎文庫)

十歳の僕は転校生の女の子に、一目会ったその瞬間に恋してしまった。自分の全存在を賭けた小学生の初恋を描く、著者二十歳のデビュー作〈冷蔵庫を壊す〉。親友の恋人を好きになってしまった夏、女友達と彼との間で揺れる主人公の戸惑いをヴィヴィッドに綴った〈月のこおり〉。短編小説〈つばさ〉。三つの愛しい恋の物語。(内容紹介より)

◎20年前の出会い
 
今から20年前、私はPHP研究所のメルマガ「ブックチェイス」で新刊の書評を担当していました。サラリーマンとの兼務でしたので、1週間に1冊を読んで書評を書くのは激務といえました。でも当時は50歳。十分に二足のわらじをこなす体力も気力もありました。

今は書店と図書館に行くことくらいしか、楽しみは残されていません。先日、映画『天使のいる図書館』(監督・ウエダアツシ)の存在を知りました。すでに上映されているようです。予告編を見て、原作は何という小説だろうか、と調べてみました。映画館へ足を運ぶ気力も体力もありませんが、原作を読んでみたいと強く思ったのです。

調べていて、懐かしい名前を発見しました。脚本・狗飼(いぬかい)恭子。20年前に、私は19歳の新人の書評を書いていたのです。さらに調べてみました。そして映画の脚本は、40歳を越えた昔新人作家と同一人物だったことを確認しました。

久しぶりで、狗飼恭子『冷蔵庫を壊す』(幻冬舎文庫)を再読しました。そして観ることはないであろう映画の脚本に思いをはせました。以下は、20年前に書いた書評に手を加えたものです。

◎少年の孤独

狗飼恭子の作品に最初に出会ったのは、単行本『冷蔵庫を壊す』(幻冬舎)でした。タイトルの奇抜さと、著者が20歳であり、これが小説デビュー作であったのが気に入りました。

『冷蔵庫を壊す』は、十歳の「僕」と転校生の「ヤマギシさん」をめぐるメルヘンです。十歳の少年の淡い恋心と孤独が、豊富な擬音と短いセンテンスで、巧みに描かれています。             

転校生のヤマギシさんは「僕の人生に極彩色の波紋をおこす、唯一の人」でした。主人公は登校拒否を考えたり、忠実な家族の一員を演出したりする平凡な小学生です。またおじいちゃんの死を通じて「十歳にして、孤独がなんであるかを、知った」哲学的な少年でもあります。

少年の孤独は、忘れているときに低くうなる、冷蔵庫のモーター音に例えられています。十歳の少年の孤独。席替えや体育祭での、希望と失意のなかから顔をのぞかせる孤独。冷蔵庫を壊す行為は「僕を締めつけるすべての束縛」からの開放です。
 
小説の終章は、一挙に「僕」が二十歳になっています。
 
――僕は、僕が好きなんだよ、ヤマギシさん。ねえだって、僕はあの傷の痛みを知ってる。(本文より)

二十歳の僕は、十歳からの延長線上に自らを重ねます。狗狩恭子は、パッチワークのように幼い思い出をつなげます。冷蔵庫を壊さない限り、僕は永遠に孤独であり続けるのです。

家族という複数の世界から、やがて自分ひとりの世界になる反抗期。そこから、淡い恋心が芽生える思春期。思春期の入口で立ちふさがる冷蔵庫。

◎ピチピチと弾ける音
 
著者は、その後『月のこおり』(幻冬舎初出1996年)に続いて、文庫本の書き下ろしを2作『おしまいの時間』『南国再見』(いずれも幻冬舎文庫)発表しています。『月のこおり』の冒頭は、「月が消えると、すべてが終わる気がする」となっています。そして「はじまりの記憶は、海だ」とつながります。これは『冷蔵庫を壊す』の冒頭部分のシーンと似ています。          

――春が来て、同時に冬が終わった。「終わり」はとても儚いものだ。何かが始まるとき、必ず何かが終わる。(本文より)

狗狩恭子は新しい未来のために、一つの過去に終わりを宣告します。ちょっぴり寂しく、未来への期待を抱きながら。

狗狩恭子の処女作は、十九歳のときに出版された詩集『オレンジが歯にしみたから』(角川文庫、初出1993年)です。十代の瑞々しい感性は、紛れもなくその後の作品につながっています。表題作「オレンジが歯にしみたから」の感性がうらやましく思いました。

――「冗談でしょう?」/君はそう言って笑ったけど、冗談なんかじゃないよ。だって今朝食べたオレンジが歯にしみたもの。(本文より)

甘く切ない過去を、キャンディーやオレンジに託して語ることのできる才能。恋のはじまりと終わりを、清らかに書ける作家がいました。再読していて、ピチピチと弾ける音が活字から立ち上がってきました。そして、映画を観てみたいとも思いました。
(山本藤光:初稿1997.10.18、改稿2018.03.15)

川端康成『伊豆の踊子』(新潮文庫)

2018-03-15 | 書評「か」の国内著者
川端康成『伊豆の踊子』(新潮文庫)

紅葉の美しい、秋の伊豆を旅する学生が出会った、ひとりの踊子。いっしょに旅をしながら、学生は、まだ少女のあどけなさをのこした、かれんな踊子に、しだいに心ひかれていく。だが、みじかい旅はすぐに終わり、ふたりのわかれは、すぐそこにせまっていた。(「BOOK」データベースより)

◎H2Oを中枢にすえて

主人公の「私」は20歳。一高の制帽をかぶり、紺飛白(がすり)に袴をはき、肩には学生カバンをかけています。そして朴歯(ほうば)の高下駄をはいています。「私」は自分の心が孤児根性でゆがんでいる、と気に病みながら伊豆を一人旅しています。

『伊豆の踊子』(新潮文庫)の冒頭を引用させていただきます。

――道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思う頃、雨脚が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓から私を追って来た。

物語の象徴的な幕開けです。「私」は踊子一行を追い求めています。心を病んだ「私」は突然の雨に追いかけられながら、天城峠のトンネルを抜けます。トンネルは「私」の心を象徴しています。踊子を追いかける私が、雨に追いかけられているのも見事な対比です。暗いトンネルを抜けます。私は逃げるように、峠の茶屋にたどり着きます。

そこに踊子一行がいました。暗から明。舞台は一気に明るくなります。踊子は自ら敷いていた座蒲団をはずして、「私」に差し出します。

――突っ立っている私を見た踊子が直ぐに自分の座蒲団を外して、裏返しに傍へ置いた。(本文P8)

こうした懐かしい古風な所作は、物語のなかで随所に登場します。私は本稿執筆にあたり、そうした所作をかみしめて読みました。車谷長吉も同じようなことを書いています。車谷長吉が引用した文章は、湧水を発見したときの場面です。

――「さあお先にお飲みなさいまし。手を入れると濁るし、女の後は汚いだろうと思って。」とおふくろが言った。/私は冷たい水を手に掬って飲んだ。女達は容易にそこを離れなかった。手拭いをしぼって汗を落としたりした。

そして車谷長吉は、次のように文章を結びます。

――当節の女権論者が読めば、眦(まなじり)をつり上げそうな場面である。岩波文庫旧版によれば、この作品は大正十一年から大正十五年の間に書かれたのだそうであるが、大正時代の空気としては、これが自然だったのである。私が生まれ育った昭和二十年代から三十年代の播州においても、これが自然だった。(車谷長吉『文士の魂・文士の生魑魅』新潮文庫P282)

孤独な主人公の高下駄の音は、雨に消されて響きません。それどころか川端康成は、熟知している伊豆の自然描写にも抑制をくわえています。

――川端康成は、伊豆を熟知していた。それこそよく見ていて、綿菓子や飴に至るまで作中に書き込みますよ。もう一つは、文中にもありますが「物乞い旅芸人村に入るべからず」という立て札がある時代でしょう。そういう「踊子」の「きたない美しさ」にひかれた。それが見事に表現されていた。(保昌正夫の発言。『座談会昭和文学史1』集英社P511)

こんな見解もありますが、『伊豆の踊子』は自然描写を抑制しています。そして「H2O」を意図的に書きこんでいます。「雨」「水」「湯」、そして結末の「涙」を物語の中枢にすえているのです。

◎『伊豆の踊子』の誕生

川端康成は『伊豆の踊子』(新潮文庫)を、こよなく愛しています。

――「伊豆の踊子」のように「愛される作品」は、作家の生涯に望んでも得られるとはかぎらない。作家の質や才だけでは与えられない。「伊豆の踊子」の場合は、旅芸人とのめぐりあいが、私にこれを産ませてくれた。(『川端康成随筆集』岩波文庫P325)

引用文は「伊豆の踊子の作者」という見出しで、川端康成自身が『伊豆の踊子』に言及しているものです。79ページもある長い自作解説です。「旅芸人とのめぐりあい」は、1918(大正7)年の伊豆への一人旅を指しています。当時川端康成は18歳で、14歳の踊子・加藤たみに好意を抱きます。

川端康成は『伊豆の踊子』発表以前の1922(大正11)年に、「湯ケ島での思ひ出」を執筆しています。これは東京帝国大学の英文科から、国文科へ転籍した年になります。「湯ケ島での思ひ出」は廃棄され、1925(大正14)年に新たな処女作「十六歳の日記」が発表されます。

そして1926(大正15・昭和元)年に、『伊豆の踊子』を発表します。本作は「湯ケ島での思ひ出」を推敲したものです。なんと107枚の原稿を62枚までそぎ落として、完成させたのが『伊豆の踊子』なのです。自然描写が少ないのは、踊子の所作と「私」の心の動きに力点をおいたからです。

川端康成は幼少のときに両親を失い、祖父母に育てられました。その祖父母も亡くなり、16歳のときに孤児になってしまいます。そんな川端康成の心を、いやしてくれるのは旅でした。川端文学の旅は、女性を求める心の旅といえます。そして川端康成が愛する女性について語られた、こんな文章があります。

――川端康成はトルストイではなく、ドストエフスキーが好きである。主人公としては、令嬢よりも女工のほうにひかれる(川端香男里・川端康成記念会理事長。『座談会昭和文学史1』集英社P512)

「雨」と「湧水」の場面については、引用させていただきました。もうひとつの「H2O」の場面です。長くなりますが、美しい場面を堪能してください。

――仄暗い湯殿の奥から、突然裸の女が走り出して来たかと思うと、脱衣所の突鼻に川岸へ飛び下りそうな恰好で立ち、両手を一ぱいに伸ばして何かを叫んでいる。手拭もない真裸だ。それが踊子だった。若桐のように足のよく伸びた白い裸身を眺めて、私は心に清水を感じ、ほうっと深い息を吐いてから、ことことと笑った。子供なんだ。私達を見つけた喜びで真裸のまま日の光の中に飛び出し、爪先で背一ぱいに伸び上がる程子供なんだ。私は朗らかな喜びでことことと笑い続けた。(本文P20)

もうひとつ結末部分に「H2O」が登場します。最後の「H2O」には、触れないでおきます。美しい文章のつらなりに、私も旅をしたくなりました。

冒頭で触れた、「私」の恰好を思い出してください。踊子たちと会った茶屋の婆さんは、主人公を「旦那さま」と呼びました。帽子の記章がそう言わせたのです。当時の一校生は、現在の東京大学の教養部にあたります。将来を嘱望された若者の証です。

「私」は確かに孤児根性を持っていますが、帽章に示されている誇りも合わせ持っています。本文中に「私」が帽子を脱ぐ場面があります。「私」と踊子一行との身分の違いを意識しての行動でした。社会的にまだ身分差別が、くっきりとした時代の話です。そんな古き時代へ、『伊豆の踊子』は誘ってくれます。

橋本治は主人公が孤児だったから、こんな自由な行動ができたと書いています。

――『伊豆の踊子』の<私>は、孤児であることが自分を自閉させて頑なにしていると思いこんでいる。でも、実際は違うんですね。彼は、孤児であるからこそ、自由なんですね。自分をとりつくろうための係累というものが、この<私>にはいっさいない。(橋本治『伊豆の踊子』。『私を変えた一冊』集英社文庫P45所収)

身分の違いを超えて踊子に恋心を抱く「私」の、新たな一面を教えられました。
(山本藤光:2012.07.11初稿、2018.03.15改稿)


米澤穂信『ボトルネック』(新潮文庫)

2018-03-15 | 書評「や行」の国内著者
米澤穂信『ボトルネック』(新潮文庫)

亡くなった恋人を追悼するため東尋坊を訪れていたぼくは、何かに誘われるように断崖から墜落した……はずだった。ところが気がつくと見慣れた金沢の街にいる。不可解な思いで自宅へ戻ったぼくを迎えたのは、見知らぬ「姉」。もしやここでは、ぼくは「生まれなかった」人間なのか。世界のすべてと折り合えず、自分に対して臆病。そんな「若さ」の影を描き切る、青春ミステリの金字塔。(文庫案内より)

◎あとがきに魅せられた『氷菓』

米澤穂信は、ずっと期待している若手作家です。米澤穂信は『氷菓』(角川文庫)で、生まれたばかりの「角川学園小説大賞」の「ヤングミステリー&ホラー部門」で奨励賞(2001年)を獲得しました。当然のことながら、この賞は消滅しています。なんとも時代錯誤の小説賞で、笑ってしまったほどです。

米澤穂信をはじめて読んだのは、『氷菓』(角川文庫)でした。栄えある作品を本屋で、ぱらぱらと立ち読みしました。「あとがき」を読んでみました。期待モードが一気にふくらみました。

――この小説は六割くらいは純然たる創作ですが、残りは史実に基づいています。新聞の地方版にも載らなかったささやかな事件が、この物語の底流にあります。/ちなみに創作部分と史実部分を見分けるコツですが、いかにもありそうななりゆきを記した部分が創作、どうにもご都合主義っぽい部分が史実だと思っていただければおおむね間違いないと思います。(『氷菓』あとがきより)

なかなかそそられる文章でした。のぞき見趣味といいますか、なんとなくそうした箇所を、確認したくなってしまいます。

ところが『氷菓』は、つまらない作品でした。有名高校の古典部に入った主人公が、サークル活動で遭遇するさまざまな謎。薄っぺらな事件を大げさにつづっただけの、ちっぽけなミステリー雑記でした。

◎及第点の『ボトルネック』

タイムスリップ小説は、もっとも作者の技量が問われるジャンルです。米澤穂信『ボトルネック』(新潮文庫)は、それゆえに成長を楽しみにして読みました。「このミス第1位」と帯にあったので、大いに期待して読みました。まあ及第点だろうな。これが偽らざる感想です。

やたらに会話の多かった『氷菓』にくらべて、登場人物の内面をしっかりと描いています。この点は評価したいと思います。米澤穂信は確実にレベルアップしていました。それでも物足りなさを感じるのは、作品のなかに「とんがり」部分が、少ないせいだろうと思います。

あまりにも淡々としていて、ストーリーに起伏が認められません。この点を是正すれば、米澤穂信はもっとよい作品が書けると思います。

――兄が死んだと聞いたとき、ぼくは恋をした人を弔っていた。諏訪ノゾミは二年前に死んだ。ここ東尋坊で、崖から落ちて。せめて幸いなことに即死だったという。(本文冒頭より)

冒頭部分は、期待に満ちあふれていました。現在の「兄の死」、2年前の「恋人の死」という2つの死をいきなり突きつけ、舞台を東尋坊に設定しました。読者は2つの死がどんな形で融合するのか、かたずをのんで見守ります。

それからが唐突でした。主人公のぼくは、東尋坊でなぜか墜落してしまいます。気がつくと、自分の家のある金沢にいます。自宅へ行くと、見知らぬ姉に出迎えられます。異次元の世界に入りこんだぼくは……。これから先はふれないでおきます。

米澤穂信のさらなる成長を願って、『ボトルネック』を「文庫で読む500+α」の現代日本文学125冊に加えたいと思います。ぎりぎりのリストアップですけれど、あと1作だけ読んでみたい作家なのです。

とにかく「学園もの」の「ヤングミステリー」から脱皮できたことだけでも、おおいに賞賛に値します。恩田陸も辻村深月も、出発は同じ路線でした。それがみごとに現代のミステリー界を牽引する作家になっているのです。期待をこめての1票です。

◎『満願』で開花

『満願』(新潮社)は、kindle版で読みました。まだ文庫化されていませんので、「山本藤光の文庫で読む500+α」の該当作品ではありません。米澤穂信作品については『氷菓』『ボトルネック』と、リスト作品を更新してきました。『満願』が文庫化されたら、ちゅうちょすることなく、3度目の更新となるでしょう。

 非常にハイレベルな短編集で、いずれ近いうちに書評発信させていただきます。文庫になったら、ですけど。

◎追記(2017.10.29)
『満願』が新潮文庫として登場しました。再読してから書評を発信します。しばらくお待ちください。 
(山本藤光:2010.10.13初稿、2017.10.29改稿)