アドラー『人生の意味の心理学』(100分 de 名著)
この「生きづらさ」をなんとかしたい。フロイト、ユングと並び称される心理学者アドラー。その思想のエッセンスを紹介した『嫌われる勇気』がベストセラーとなるなど、いま注目を集めている。過去は変えられなくても未来は変えることができると説き、多くの人々を勇気づけているアドラー心理学を、『嫌われる勇気』の共著者がわかりやすく解説。(内容紹介より)
◎過去は変えられないが意味づけは変えられる
アルフレッド・アドラー『人生の意味の心理学』(上下巻、アルテ、岸見一郎訳)を読みました。こんな難解な本がなぜ多くの人に読まれるのか、不思議に思いました。その後、岸見一郎『アドラー心理学入門』(ベスト新書)を読みました。さらにわからなくなりました。本書については、わからないまま「山本藤光の文庫で読む500+α」として推薦させていただいています。
そんな折に「NHK100分de名著」のアドラー心理学4回シリーズをみました。すばらしい内容で、一気に澱が落ちました。コメンテイターは岸見一郎でした。この人は書き言葉よりも、はるかにしゃべり言葉に優れていました。霧で有名な釧路の幣舞橋ですれ違った、ぼんやりとしたアドラーと岸見一郎の2人連れが、威風堂々とした姿で私の前に現れたのです。
アドラー心理学は大ブームになっています。著書は100万部超えということですから、この手の著作では異常現象といえます。「アドラーを知れば、人生は変わる」という惹句がきいているのだと思います。
心理学といえば、通常は人間をタイプ別にわけるのがあたりまえでした。つまり分析と観察の学問でした。アドラーの主張は、それらとは大いに異なります。人生を変えるための、実践指南書という形になっています。
アドラーは、フロイトの夢判断の勉強会に参画していました。しかし途中で決別することになります。アドラーは精神科医として戦争に従軍していました。そのときの体験が、独自の哲学を生んだのです。フロイトの「人間はなぜ闘うのか→人間には攻撃欲求がある」という図式が馴染まなかったようです。
アドラーは次のように考えます。「闘わないために何をすべきか→人間はみな仲間である」。
つまり個人にフォーカスをあてるのではなく、宇宙・世界・国・社会・組織などとマクロ的思考を原点において自分を考えます。そのうえで次のように考えます。「過去に起こったことは変えられない→しかしその意味づけは変えられる」
◎自分の弱みをさらけ出す
好きな人が前からやってきます。彼女は私から目をそらせて通り過ぎました。
Aくんの受け止め方:私に気がないから目をそらした
Bくんの受け止め方:私に気があるから恥ずかしくて目をそらした
Aくんの受け止め方は、明らかに劣等感からくるものです。そう考える方があきらめがつきやすく、無用の挑戦はしなくても済みます。こうしたAくんの性格は変えられません。しかし「受け止め方」(意識)は、訓練で変えることができます。ネガティブな思考をポジティブに変える訓練をするわけです。
アドラーは「3日もあれば変えられる」と書いています。ポイントは「劣等感」を、巧みにコントロールすることにあります。長所と短所という概念と、決別することが重要です。長所と短所は、変えることができません。短所である「背が低い」「髪の毛が薄い」などは、変えることができません。
長所と短所に変わる概念として、「強み」と「弱み」があります。この範ちゅうに「背が低い」や「髪の毛が薄い」は入り込んできません。つまり長所と短所は、他人との比較で生まれた概念なのです。
「私は赤面症であり、人前でうまく話すことができない」という弱みをもった人がいたとします。こんな人はたくさん存在しています。プレゼンやインタビューの冒頭で、「緊張しています」とか「ちょっとあがっています」などと、前置きする人を見かけたことがあると思います。「AだからBはできない」という概念を「AだけれどもBに挑戦しています」と変えるだけのことなのです。
だれもが他者からよく見られたい、ほめられたいと思っています。まずはこの欲求に封印することです。ありのままの自分を、さらけだす。ずっと意識してきた、他人の目や評価と決別すること。緊張しながらしゃべり切ったときの満足感を思い描くこと。アドラーはそんなふうに教えています。つまり巧みに自己評価できるようになることなのです。
他人の評価は変えられません。あの人あがっている、という他人の評価は変えられません。ただし先のように「あがっています」と言い切って、しゃべっている人への評価は変わります。「あがり症なのにがんばっているな」となるわけです。「他人は変えられないが、自分は変えられる」とアドラーは書いています。しかし私は自分の弱みをさらけだせば、他人の評価は変えられると思っています。
◎ゴールは対人関係
アドラー心理学のゴールは対人関係にあります。そこへ向かって、どうあるべきかを、アドラーはていねいに指南してくれています。自分の弱みを強みとして変換する概念は次のとおりです。
「自分は臆病である→自分は慎重派である」
「自分の考えはコロコロ変わる。朝令暮改→自分には閃きがある」
「自分を嫌う人がいる→自分は自由に正直に生きているのだ」
「100分 de 名著」は、すばらしい番組です。アドラーについては本来、『人生の意味の心理学』を推薦書とすべきです。しかしまずは本書またはビデオの視聴をしてみてください。おそらく目からウロコか、幣舞橋に風の状態になることでしょう。
NHKテレビテキスト『100分de名著』(2016年2月号)は、売り切れの店が多いようです。アドラーを少しだけかじってみようとするなら、本書で十分に味わうことができます。
山本藤光2016.03.06初稿、2018.03.05改稿
この「生きづらさ」をなんとかしたい。フロイト、ユングと並び称される心理学者アドラー。その思想のエッセンスを紹介した『嫌われる勇気』がベストセラーとなるなど、いま注目を集めている。過去は変えられなくても未来は変えることができると説き、多くの人々を勇気づけているアドラー心理学を、『嫌われる勇気』の共著者がわかりやすく解説。(内容紹介より)
◎過去は変えられないが意味づけは変えられる
アルフレッド・アドラー『人生の意味の心理学』(上下巻、アルテ、岸見一郎訳)を読みました。こんな難解な本がなぜ多くの人に読まれるのか、不思議に思いました。その後、岸見一郎『アドラー心理学入門』(ベスト新書)を読みました。さらにわからなくなりました。本書については、わからないまま「山本藤光の文庫で読む500+α」として推薦させていただいています。
そんな折に「NHK100分de名著」のアドラー心理学4回シリーズをみました。すばらしい内容で、一気に澱が落ちました。コメンテイターは岸見一郎でした。この人は書き言葉よりも、はるかにしゃべり言葉に優れていました。霧で有名な釧路の幣舞橋ですれ違った、ぼんやりとしたアドラーと岸見一郎の2人連れが、威風堂々とした姿で私の前に現れたのです。
アドラー心理学は大ブームになっています。著書は100万部超えということですから、この手の著作では異常現象といえます。「アドラーを知れば、人生は変わる」という惹句がきいているのだと思います。
心理学といえば、通常は人間をタイプ別にわけるのがあたりまえでした。つまり分析と観察の学問でした。アドラーの主張は、それらとは大いに異なります。人生を変えるための、実践指南書という形になっています。
アドラーは、フロイトの夢判断の勉強会に参画していました。しかし途中で決別することになります。アドラーは精神科医として戦争に従軍していました。そのときの体験が、独自の哲学を生んだのです。フロイトの「人間はなぜ闘うのか→人間には攻撃欲求がある」という図式が馴染まなかったようです。
アドラーは次のように考えます。「闘わないために何をすべきか→人間はみな仲間である」。
つまり個人にフォーカスをあてるのではなく、宇宙・世界・国・社会・組織などとマクロ的思考を原点において自分を考えます。そのうえで次のように考えます。「過去に起こったことは変えられない→しかしその意味づけは変えられる」
◎自分の弱みをさらけ出す
好きな人が前からやってきます。彼女は私から目をそらせて通り過ぎました。
Aくんの受け止め方:私に気がないから目をそらした
Bくんの受け止め方:私に気があるから恥ずかしくて目をそらした
Aくんの受け止め方は、明らかに劣等感からくるものです。そう考える方があきらめがつきやすく、無用の挑戦はしなくても済みます。こうしたAくんの性格は変えられません。しかし「受け止め方」(意識)は、訓練で変えることができます。ネガティブな思考をポジティブに変える訓練をするわけです。
アドラーは「3日もあれば変えられる」と書いています。ポイントは「劣等感」を、巧みにコントロールすることにあります。長所と短所という概念と、決別することが重要です。長所と短所は、変えることができません。短所である「背が低い」「髪の毛が薄い」などは、変えることができません。
長所と短所に変わる概念として、「強み」と「弱み」があります。この範ちゅうに「背が低い」や「髪の毛が薄い」は入り込んできません。つまり長所と短所は、他人との比較で生まれた概念なのです。
「私は赤面症であり、人前でうまく話すことができない」という弱みをもった人がいたとします。こんな人はたくさん存在しています。プレゼンやインタビューの冒頭で、「緊張しています」とか「ちょっとあがっています」などと、前置きする人を見かけたことがあると思います。「AだからBはできない」という概念を「AだけれどもBに挑戦しています」と変えるだけのことなのです。
だれもが他者からよく見られたい、ほめられたいと思っています。まずはこの欲求に封印することです。ありのままの自分を、さらけだす。ずっと意識してきた、他人の目や評価と決別すること。緊張しながらしゃべり切ったときの満足感を思い描くこと。アドラーはそんなふうに教えています。つまり巧みに自己評価できるようになることなのです。
他人の評価は変えられません。あの人あがっている、という他人の評価は変えられません。ただし先のように「あがっています」と言い切って、しゃべっている人への評価は変わります。「あがり症なのにがんばっているな」となるわけです。「他人は変えられないが、自分は変えられる」とアドラーは書いています。しかし私は自分の弱みをさらけだせば、他人の評価は変えられると思っています。
◎ゴールは対人関係
アドラー心理学のゴールは対人関係にあります。そこへ向かって、どうあるべきかを、アドラーはていねいに指南してくれています。自分の弱みを強みとして変換する概念は次のとおりです。
「自分は臆病である→自分は慎重派である」
「自分の考えはコロコロ変わる。朝令暮改→自分には閃きがある」
「自分を嫌う人がいる→自分は自由に正直に生きているのだ」
「100分 de 名著」は、すばらしい番組です。アドラーについては本来、『人生の意味の心理学』を推薦書とすべきです。しかしまずは本書またはビデオの視聴をしてみてください。おそらく目からウロコか、幣舞橋に風の状態になることでしょう。
NHKテレビテキスト『100分de名著』(2016年2月号)は、売り切れの店が多いようです。アドラーを少しだけかじってみようとするなら、本書で十分に味わうことができます。
山本藤光2016.03.06初稿、2018.03.05改稿