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阿部和重『ABC戦争』(講談社文庫)

2018-03-12 | 書評「あ」の国内著者
阿部和重『ABC戦争』(講談社文庫)

周到に張りめぐらされた言葉が、不穏な予感を暴発させる―デビュー以来、日本文学の最先端を疾走し続ける阿部和重の危険な作品世界は、いまや次々に現実となっていく。今だからこそ読みたい初期の傑作6作品。3人のゲームクリエイターによる語り下ろし特別座談会「阿部和重ゲーム化会議」を巻末に収録。(「BOOK」データベースより)

◎とことん「形式」にこだわる

絶版になっていた阿部和重『ABC戦争』(新潮文庫)が、手にはいるようになりました。阿部和重『初期作品集・ABC』(講談社文庫)に、「ABC戦争」をふくめ6作品が所収されたのです。それを機会にちょっと難解なのですが、阿部和重作品にふれていただきたいと思います。
 
阿部和重は、群像新人文学賞を受賞したデビュー作『アメリカの夜』(初出1994年、講談社文庫)以来、注目している作家です。阿部和重はとことん「形式」にこだわり、「批評的な語り」を大切にします。これは日本映画学校を卒業したことや、映画の演出助手の経験とは無縁ではありません。
 
『アメリカの夜』では、語り手(重和)が、主人公・中山唯生を「批判的に語る」構図になっています。主人公は映画の専門学校を卒業し、撮る自分から書く自分への転身を模索します。そのプロセスを語り手(重和)が冷静に語りつづけます。

最初のうちは、語り手と主人公が重なっています。やがてそれが分裂しはじめます。だれかの評論で読んだのですが、セルバンテス『ドン・キホーテ』(岩波文庫)とP・K・ディックの『ヴァリス』(創元推理文庫)の構造を模して、徹底的に「批評的な語り」を貫き通した作品のようです。石黒達昌(「山本藤光の文庫で読む500+α」推薦作『新化』ハルキ文庫)の『平成3年5月2日、後天性免疫不全……』(福武書店)を連想させられる作風でもあります。本作は前記『新化』に所収されています。
 
第2作『ABC戦争』(講談社文庫)も、前作同様に「形式」に固執しています。「批評的言説」を豊富に流用してもいます。この作品を読み終わって、「やられた」と思いました。
 
デビュー作のような周到さで、著者がしかけていた伏線を、私は見落としてしまったのです。本書は終ったところから、はじまる物語だったのです。

◎批評的言説が長々と

『ABC戦争』は「ホンセン」と呼ばれている通学列車の3両目をめぐる、語り手「わたし」の回想録です。著者は語り手「わたし」の存在感を、意図的に希薄にしています。これは著者自身の自伝として読まれることを、避けるためにとられた方法でしょう。

なぜなら語り手「わたし」はあまりにも、著者の履歴と符合しすぎています。高校2年で中途退学し、山形県から上京。その後専門学校に入学している点は、まったく同じです。

物語は山形新幹線からはじまります。列車のトイレにあった落書き「X」と「Y」の文字をめぐって、批評的言説が長々とつづきます。
 
――〈Y〉の「悲劇」はさらにその度合いを強める。なぜなら〈Y〉とは「ワイ」と読まれる文字であるからだ。音声化した〈Y〉は、記された文字それじたいからひき離され、「ワイ」が「猥」を喚起し、「猥褻」のイメージがあたりを満たすにつれ、「卑猥」な顔つきをしたものたちが「猥雑」に「猥語」を発しあう「猥談」でもりあがり、いつか「猥本」を手にとり興奮してなにやら催し、いそいで公衆トイレに駆け込む。(本文より)

阿部和重はデビュー以来、一貫して自分探しを試みています。そのことについて、著者自身はつぎのように語っています。

――前略、高校を中退して間もない頃の私がともだちとともに――楽天的だったり殺伐としていたりだらしがなかったり暴力的だったり馬鹿馬鹿しかったりする環境のなかで――すごした時期の雰囲気の一部を、『ABC戦争』のなかから感じとっていただくことは不可能ではないとおもう。(『本』1995年9月号)

阿部和重が、このこだわりを捨てるときを待ちたいと思います。阿部和重は、まだ「支線」を走っています。目指す「本線」は近いのですが。

◎『シンセミア』とは良質の麻薬

『シンセミア』(全4巻、朝日文庫)は、原稿用紙1600枚もの大作です。舞台は著者の故郷である山形県の神町。著者は郷土史「神町のあゆみ」を偶然読み、本書を書くことになりました。舞台の神町は、昔はアメリカの駐屯地であり、現在は自衛隊の基地となっています。果樹栽培が中心の、どこにでもあるのどかな田舎です。

事件は、地元で有名な心霊スポットで起きます。この事件がきっかけとなり、神町の裏事情が表出します。本書の中心となるのは、歴代続く「パン屋の田宮家」です。物語は田宮家の歴史をたどりながら、神町の住民たちが見え隠れする仕組みになっています。

本書の登場人物は、60人を超えます。ところが、読んでいて混乱することはありません。ひとり一人の個性が、しっかりと描かれているせいでしょう。

ストーリーは、紹介しない方がよいと思います。小さな町に住む若者たちと、町のドンたる父親たちのすれ違い。麻薬、性、暴力、陰謀、不倫などが、静かだった神町を侵食しはじめます。おまけに地震、洪水などの天変地異が襲いかかります。息をもつかせない展開に、読者は引っ張られることになります。

読者は第4巻の最後に、度肝を抜かれることになるでしょう。それまでは、神町との長い長いおつき合いです。寝床のなかで、じっくりと堪能する作品が『シンセミア』です。シンセミアとは良質の麻薬のことのようです。

◎ちょっと寄り道

阿部和重作品は、一般読者にとってちょっと退屈だと思います。初期作品から、文芸評論家を意識した作品を書きつづけています。そのぶん意図がわからないわれわれには、間延びした物語になっています。
 
私は阿部和重、石黒達昌に期待をしていました。2人に共通していたことは、既存の純文学に対して反旗をかかげていたことです。阿部和重は2003年『シンセミア』(全4巻、朝日文庫)、2005年『グランド・フィナーレ』(芥川賞、講談社文庫)で確固たる地位を得ています。

講談社文庫『ABC』は、そこに至るまでの果敢な挑戦をうかがい知る格好の教材です。特に『シンセミア』や『グランド・フィナーレ』の読者にはお薦めしたいと思います。
(山本藤光:2010.05.06初稿、2018.03.12改稿)


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