連休の初日は、陶器市で大賑わいの有田町の卸団地で炎天下のもと、11時からと13時からの2回のステージをこなした。
この日、気温は30度あったというから、おそらく道の上では35度くらいはあったろうと思う。
そんな中で、汗だくになって約20曲ほどを唄った。
今振り返ると、この出だしが一番体に堪えたのだと思うが、その当時は好きなビートルズ音楽三昧に浸れることに、むしろ喜んでいたほどであった。
二回目のステージが終ると急いで音響を片付けて、ラーメンをかき込んで、一路友人の経営するライブハウスのある大分へ。
5時のリハーサルに間に合わなければいけなかったのだ。
着いたのは5時半、再会の挨拶もそこそこに、慌ててリハに臨む。
ライブハウス「ねいろや」の出演は大トリで9時から・・・・。
地元のビートルズバンドのステキな演奏に聞き惚れたあと、盛り上った店内に、さらに油を注ぐ。
そこで約20曲を熱唱。
恒例の打ち上げでは大分のビートルズフアンの方々と大いに盛り上がり、酒が潤滑油となり、生ギター1本で、大コーラス大会となって、とても楽しくそして当然のように親しくなった。
ということで、寝たのは夜中の2時過ぎ・・・・・。
狭いカプセルホテルで爆睡!といきたかったが、昼間の容赦の無い日照攻撃で<体が火照ってしまい、暑くてまったく眠れなかった。
朝が来るのを待って大浴場に飛び込んだ。
大分のファミレスで朝食を摂り、下の道を6時間以上かけて博多へひた走る。
ところが福岡市に入って筑紫野道路で大渋滞に巻き込まれ、4時の約束であったリハの時間に少し遅れる羽目に・・・・
やっとリハが終ると、昼食をまともに食べておらず、ここでも6時半にやっとまた今夜もラーメンをかきこむ。
親しいバンドThe Moonlightsの大神さん、浦本さんと親交を深め合い、最後のバンドとして20曲あまりのステージをあい務めました。
後半はステージでフラダンスを踊っているような状態で、そのまま倒れるのではと思ったけれど、気力で持ちこたえていた。
すべての仕事を終えてバンドのメンバーと帰路についたのは11時過ぎであったが、3人のおじさん達はきつくて終始無言でありました。
家に帰り着いたのは、日付が変わり4日。
どっかと腰をおろし、私は何をしたかといえば・・・・。
またギターを手にしてビートルズの曲を演奏していたんである。
大分・博多の行き返り、車の中はいつもビートルズの音楽が鳴り響いていたし、このまる2日間で60曲あまりのビートルズソングスを唄いまくったというのに・・・・またビートルズなんである。
私はターミネーターのように、胴体と首とが切り離されたとしても天からのミッションで、ビートルズの歌を唄うような、そんな気がして、自分にそら恐ろしかったものである。
ビートルズの歌は割とキーが高く、疲れたおじさん達には結構負担がかかるものだが、喉が枯れるまで鳴き比べをするというさながら山ホトトギスのようなものである。
この地獄の遠征のお陰で、私は次の日から高熱まで併発して寝込む羽目になり、
ベースの岡ちゃんも仕事中に倒れて病院へ駆け込み、「ああ骨病みですなぁ・・・」と見事な勲章の診断を頂戴し、
ギターの中島君もまた仕事中に具合が悪くなり、寝込んだのだという。
それでもビートルズが大好きなおじさん達。
今日はそのメンバーが、次の練習の日程を問いかけてきたのだから、凄いというほかはない。
ふたたび7月にはキャバーンビートさんか、熊本のケンノレンさんに出演するつもりで、また練習を重ねるのだという。
最高齢者65歳の岡ちゃん、立派です。
「もう一つの温泉deビートルズストーリー」という、おじさん達だけのライブ企画も飛び出した。
喉から血を吐きながら、声が枯れるまでやってみるか!!