風竿の「人生の達人」烈伝

愛すべき友、仕事・趣味の磯釣り・ゴルフ・音楽、少しの読書などにまつわるあくまで「ヒト」に重点をおいたブログです

ホトトギスは声が枯れるまで鳴くといふ

2015年05月08日 23時49分25秒 | 風竿の音楽夜話

連休の初日は、陶器市で大賑わいの有田町の卸団地で炎天下のもと、11時からと13時からの2回のステージをこなした。

この日、気温は30度あったというから、おそらく道の上では35度くらいはあったろうと思う。

そんな中で、汗だくになって約20曲ほどを唄った。

今振り返ると、この出だしが一番体に堪えたのだと思うが、その当時は好きなビートルズ音楽三昧に浸れることに、むしろ喜んでいたほどであった。

二回目のステージが終ると急いで音響を片付けて、ラーメンをかき込んで、一路友人の経営するライブハウスのある大分へ。

5時のリハーサルに間に合わなければいけなかったのだ。

着いたのは5時半、再会の挨拶もそこそこに、慌ててリハに臨む。

ライブハウス「ねいろや」の出演は大トリで9時から・・・・。

地元のビートルズバンドのステキな演奏に聞き惚れたあと、盛り上った店内に、さらに油を注ぐ。

そこで約20曲を熱唱。

恒例の打ち上げでは大分のビートルズフアンの方々と大いに盛り上がり、酒が潤滑油となり、生ギター1本で、大コーラス大会となって、とても楽しくそして当然のように親しくなった。

ということで、寝たのは夜中の2時過ぎ・・・・・。

狭いカプセルホテルで爆睡といきたかったが、昼間の容赦の無い日照攻撃で<体が火照ってしまい、暑くてまったく眠れなかった。

朝が来るのを待って大浴場に飛び込んだ。

大分のファミレスで朝食を摂り、下の道を6時間以上かけて博多へひた走る。

ところが福岡市に入って筑紫野道路で大渋滞に巻き込まれ、4時の約束であったリハの時間に少し遅れる羽目に・・・・

やっとリハが終ると、昼食をまともに食べておらず、ここでも6時半にやっとまた今夜もラーメンをかきこむ。

親しいバンドThe Moonlightsの大神さん、浦本さんと親交を深め合い、最後のバンドとして20曲あまりのステージをあい務めました。

後半はステージでフラダンスを踊っているような状態で、そのまま倒れるのではと思ったけれど、気力で持ちこたえていた。

すべての仕事を終えてバンドのメンバーと帰路についたのは11時過ぎであったが、3人のおじさん達はきつくて終始無言でありました。

家に帰り着いたのは、日付が変わり4日。

どっかと腰をおろし、私は何をしたかといえば・・・・。

またギターを手にしてビートルズの曲を演奏していたんである。

大分・博多の行き返り、車の中はいつもビートルズの音楽が鳴り響いていたし、このまる2日間で60曲あまりのビートルズソングスを唄いまくったというのに・・・・またビートルズなんである。

私はターミネーターのように、胴体と首とが切り離されたとしても天からのミッションで、ビートルズの歌を唄うような、そんな気がして、自分にそら恐ろしかったものである。

ビートルズの歌は割とキーが高く、疲れたおじさん達には結構負担がかかるものだが、喉が枯れるまで鳴き比べをするというさながら山ホトトギスのようなものである。

この地獄の遠征のお陰で、私は次の日から高熱まで併発して寝込む羽目になり、

ベースの岡ちゃんも仕事中に倒れて病院へ駆け込み、「ああ骨病みですなぁ・・・」と見事な勲章の診断を頂戴し、

ギターの中島君もまた仕事中に具合が悪くなり、寝込んだのだという。

それでもビートルズが大好きなおじさん達。

    

今日はそのメンバーが、次の練習の日程を問いかけてきたのだから、凄いというほかはない。

ふたたび7月にはキャバーンビートさんか、熊本のケンノレンさんに出演するつもりで、また練習を重ねるのだという。

最高齢者65歳の岡ちゃん、立派です。

「もう一つの温泉deビートルズストーリー」という、おじさん達だけのライブ企画も飛び出した。

喉から血を吐きながら、声が枯れるまでやってみるか!!

 

 

 

 

 

 

 


さあ、仕事!

2015年05月07日 23時53分21秒 | 武雄法人会頑張る

まだ微熱が残っている中、

妻が洗濯してアイロンをかけてくれた真っ白なワイシャツに、好きな黄色のストライプのネクタイを締め、スーツを込んで、身を固めると、少しは気力が戻ってきた。

さあ、いざ出勤

いつものように、妻と愛犬レオンの見送りを受け「バイバイ」と手を振って車を走らせる。

この出勤のため、必死で扁桃腺炎をなおす努力を傾けた。

今日は連休明けにも関わらず、大切な理事会がある日なのだ。

資料と議案が山のように多いので、要点をパワーポイントにまとめて、予め説明を簡潔に終らせるように用意していた。

それでも慣れない私ゆえに不安だらけであったのだ。

ところが、オフィスに着いてすぐ頭がフラフラしてきた。

発病して3日目なのに、まだ病原菌が暴れているのだ。

理事さん達の出席率は頗る良好

地域内の優良企業の社長さん達が、ズラリと30人以上もも並ぶ姿は壮観そのものである。

熱から来る吹き出す汗をハンカチで拭いながら説明を進めていくと、何とか所定の時間内に理事会を終えることができた。

相棒のベテラン事務員さんから、

「とてもいい、しかも判りやすい説明でしたよ・・・。」

と誉められて、ホッとした。

いくらか説明不足もあったように思うが、

忙しい社長さんばかりご参集頂いており、間延びした理事会は絶対にしてはならぬと心に秘めていたので、何より時間通りに事が運んだのは嬉しい限りだった。

自己採点65点くらいであろうか。

5月29日には総会の関所が待っている。

今度は80点くらいは頑張らねばと思わされた。

体がヘトヘトになり、事務所を後にすると

今度は18時30分からの武雄ライオンズクラブの理事会が待っていた。

目眩がするのを我慢して、笑顔で和やかな理事会を終えた。

一日に二つの理事会、連休明けからフル回転の私であった。

 

 

 

 


花は黙って咲くのみ、散るのみ。だから味わいがある。

2015年05月06日 23時59分45秒 | 風竿日記

サラリーマンにとって耽溺の5連休は今日で終った。

趣味でやっているビートルズ音楽の伝道活動で、前半の2日間を費やし、妻の両親を含めた家族サービスをちょっとやった程度で

後半は、強行軍ライブの祟りで体調を悪くしたゴールデンウイークであった。

一人若いのを除いてバンドのメンバーは60オーバーのじいさんばかり、有田で2ステージ20曲やって、そのまま大分で20曲。

翌日は博多に移動してまた20曲の合計60曲は、老骨にはこたえたようで、とうとう高熱にうなされる羽目に陥ってしまった。

何事にも手を抜くことが出来ない性格で、真剣に一所懸命やらないと気がすまない性分なのだが、

こうして体調を崩すと反省することしきりなんである。

5日の夜は39度近くまで熱が出て、一晩中うなされていた中、夜通し看病してくれた家内の有難さに心が沁みたものだ。

夜が明けたらすぐに病院へと、半ば強制的に連れて行かれたのだが、病院嫌いの私もさすがに従うほか無かった。

この情けない恰好を、記憶回路の奥深くまで留めて置こうと写真をとった。

休日も診察をしてくれる新武雄病院の有難さも身に沁みた。

家に帰り着いてまた眠っていると、バンドの友人から電話。

「体がおかしくなって病院へ行ったら、骨病みて云われたバイ。もう俺たちにハードスケジュールは無理バイ・・・。」

確かに・・・と相槌を打ちながら、ジェネレーションギャップを思わざるを得なかった。

最後の日のライブは、三人のおじさん達は、実はヒーヒーいいながらステージを務めたのだが、若い彼は不満であったらしく、しきりにダサいと攻め立てた。

おじさん達は皆傷ついた。肉体的によりも精神的にである。

病院へ行く前に、朝の太陽を浴びながら玄関脇に咲く紫蘭の鮮やかさに目を奪われた。

自分の体が熱でフラフラしていた中での見事な花の咲きっぷりであった。

花は一心不乱に咲ききるのみ。

ほかに何の計らいもない。

私達人間に、生き方というものを教えているのかも知れないと思わされた。

健全な肉体に健全な精神はお宿る

遠い昔に従兄弟の兄貴の勉強部屋に書かれていた落書きを思い出した。

まずは健康志向でいかなければ・・・・。

咲ききる人生をめざして。


器量と度量

2015年05月05日 17時01分33秒 | 風竿日記

このところ、常識では考えられないような事件が多い。

最近の若者は、とかく辛抱ができないのだという。

「マジキレ!!」

などという言葉で、瞬間沸騰器よろしく・・・・、感情の赴くままにキレる。

長く社会生活を送ってきた私たちからすれば、何もキレるような場面ではないところでブチ切れてしまうのだそうだ。

すぐにキレるのは心に余裕がない証拠で、

常に自分が中心に座っているから、我侭なのは当たり前で、思い通りにならないと、すぐに自分を見失ってしまうのだ。

こんな輩には、人情の機微も長期戦略も何もあったもんではなく、刹那に生きるということになる。

心理学の世界では、感覚で事を進めていくタイプに多いとされる。所謂、直情型というタイプである。

かく申す私も歳を重ねた割には、頭に血が昇ることがある。

例えば私の趣味である音楽は右脳が司る直感の世界だから、ストレートな感性も必要ではあるのだが、

やはり年寄りは静かで思索の深いものに魅かれ、そういう音楽を聴きたいものだ。

そんな図形を展開していくと・・・・。

事を成し遂げるには、懐の深い、味のある器と、物事をきちんとやり遂げる熱意、そして回りを抱き込んでいくには、相手を慮る度量が大切なのだと自戒している。

今日はライブツアーの疲れが祟ってか、朝から微熱に悩まされた一日であった。

すべての基本は、健全なる精神と健全なる肉体である。

 

 


温泉deビートルズ音楽祭・考

2015年05月04日 10時31分36秒 | 風竿の音楽夜話

東京に行くと必ず立ち寄るお店がある。

日本を代表するナイトスポット六本木にあるその店の名は

「アビーロード」

毎晩ビートルズの生演奏を聴かせる店。

そこのハウスバンド「The Parrots」のリーダーであるチャッピー吉井君とは・・・・、

彼が博多に居た27年くらい前からの知り合いであったことから、彼が六本木のキャバーンクラブというライブハウスに出演し始めた23年くらい前から行くようになった。

彼のジョンレノン役は当時から定評があり、私より7歳くらい年下であったが、私は彼のことを秘かに尊敬していたんである。

そして彼が現在のアビーロードに転籍してからもずっと通ってきたから、この店だけで、もう20年近くになるだろうか。

店内はMax130人くらい座れる広さであるが、それが、Parrotsが出る時にはいつも満席となる。

最近は外国人が多いのが目立つようになってきた。

音にうるさい外国人の耳にも敵ったということであろう。

彼らの醸し出すビートルズサウンドの再現はとても素晴らしく、いつかは地元の人たちにも、生の彼らを体験させてあげたいと思わされたものである。

足げく通ううちに、チャッピー吉井に相談したことがある。

「ビートルズコンベンション」みたいなものを田舎ではあるが、武雄でやりたいのだけど、どうだろう・・・・。

彼は、「日本ではまだ地域おこしとしてビートルズイベントをやってるところは無いから、それは面白いね。」と賛同してくれた。

そこから発想を固め、コンセプトを練りに練ったのが、「温泉deビートルズ音楽祭」なのである。

仕事に疲れた団塊の世代をターゲットにして、温泉で体を癒しながら、この世代の共通の音楽であるビートルズに浸って頂こうという企画。

国内企業や、市内のあらゆる企業のオーナーに話をして、メインスポンサーをお願いして順調な滑り出しをみせたこのイベントも今年で5年目となる。

当初5年は石に噛り付いてでもやると広言した5年目なのだ。

専ら発案者として、ネーミングの名付け親として、大会を裏で支える役目と資金集めを主体に活動してきたが、

毎年大口のスポンサー企業様に頭を下げて回るのも、汗顔の極みであり、大変であった。

「武雄とビートルズと何の関係があるとや・・・?」

そうは云いながらも顔を立てて協力して下さっている企業の社長様には感謝以外の何物もない。

そういう中での5年目を迎えたのである。

 

さて、九州各地にも「温泉deビートルズ」のご縁でたくさんの同好の士と友人になれた。

それはブランドイメージが確立した5年間でもあった。

少なくともポールの来日で盛り上った、今なお続くビートルズ人気と古くからの温泉地である武雄とのドッキングは、

異質同士の掛け合いで新しい文化が生まれていくという、過去にインダスやメソポタミア、またシルクロードなどでで繰り返されてきた、

歴史上のプロセスにも、ちゃんと合致しているのだと秘かに想いを廻らせている。

5年目だが課題は山積している。

「菊作り菊見る時はただの人」

みたいな心境になりたいものだ。

 

 


古くからのもの

2015年05月01日 23時22分57秒 | 風竿日記

3月の寒い日、ライオンズクラブで「武雄市観光の日清掃活動」に参加した。

私達のテリトリーは武雄温泉と桜山周辺

「よーし、ゴミを拾いまくるぞ・・・」

とばかりに張り切って出かけたのだが、担当区域は意外と掃除が行き届いていた。

そこで、ゴミを求めて、ズンズンと桜山に分け入っていくことに。

途中の羅漢さんは見慣れたものであったが、

上に登ると山岳仏教の修行僧のような気がしてきた。

どなたが建立されたのであろうか・・・・。

仏様が鎮座されていた。

寒空なのに、いいお顔をされていた。

相当に古いもののようだ。

古来からのたくさんの願い事を聞いてこられたのであろう。

懐の深い、いいお顔をされている。

木立に囲まれて苔むした昼なお薄暗いその辺りは、昔の空気がそのままに立ち込めているような気がした。

斜面に張り付いたようにして私を見下ろすお地蔵様。

いつからここに居られるのだろうかと、歴史的な興味が沸々と巻き起こった。

山道を歩き切ると、やがて新町に通じる道に出た。

小さな祠があった。

どなたを奉ってあるのだろうか・・・。

いつか武雄の歴史研究家タケタクさんに尋ねてみよう。

ふと街の方を見ると、御船山が・・・・・。

そして違うアングルの御船山は、まさに町を、人々の暮らしを包み込むように屹立していたのであった。

山にしても、祠にしても、羅漢様にしても

私たちよりもずっと長く、この街を見知っている。

歴史とはすべからく、そういうものなのだと思わされのである。

いい清掃の日であった。

 

さて、明日から有田、大分、博多と強行軍のライブツアーにでかけることに。

50曲あまりをやらなければいけない。

体力が持つかどうか・・・。

腰に不安を抱えながらのライブである。

大分には私達の演奏を待っているフアンがいるというのだ。

頑張らねば・・・・。