もう半世紀も前の話なのだが、まるで瀬戸内少年合奏団みたいなお話が確かに存在していた。
まだ日本中が等しく貧しかった頃、戦後復興が東京オリンピックで拍車がかかり始めた頃のお話。
九州の片田舎のイガグリ頭の中学生が、NHK主催の学校音楽コンクールの器楽合奏の部、佐賀県下の中学校で毎年優勝していた。
今は統合されてしまい、西部中などという実に月並みでつまらない名前になってしまった中学校、それが我が母校である鹿島中学校なんである。
文武両道に秀でた素晴らしい中学校であったのだが、私が在籍していた合奏部も全国レベルのクオリティを誇っていた。
県下では勿論無敵だった私達だが、録音放送で行われた九州大会では、いつも準優勝止まりで悔しい思いをしたのである。
指導する先生は「クラさん」と呼んでいた理数系の教諭であったから、私の父とも親しかった。
オマケに少し遠縁にあたることもあって、野球部に在籍していた私は、音楽的な才能ありということであったのか、強引に合奏部に引き抜かれたのであった。
クラブの練習はそりゃー凄いもので、打倒湯前中学を合言葉に、正月の1日を除いて毎日鍛えに鍛えられた。
何しろ数多あるクラシックの名曲を、何の音楽的な環境に育ってなどいない、普通の素養乏しき田舎の中学生が演奏するのである。
しかも、当時は楽器といっても、ハーモニカにアコーディオンといった所謂リード楽器が主体の時代。
しかし指導者次第ではどうにでもなる感性を秘めた年代でもあり、鍛えられることによって、私達は他校や、色んな場所に堂々と演奏旅行をするほどに地域でも認められていたのであった。
その鹿島中合奏部の十八番に「歌劇アルジェのイタリア女序曲」があった。
この曲は云わば合奏部のテーマソングみたいなもので、年代が変わっても引き継がれてきた曲でもあった。
そして、その曲を今夜のEテレでNHK交響楽団が演奏していた。
久しぶりにこの曲と接して感無量。
当時の様子が瞬時に甦ってきた。
ヘンデルやバッハに代表されるバロック音楽もやったのだが、この曲には特段の思い入れがある。
何しろ目を瞑っていても出来た曲だったから、それは当時の体に染み付いていたくらいの得意ナンバーだったのだ。
毎日練習に明け暮れていたあの頃、
夕闇の迫る講堂での真剣な練習、
夏の音楽室での半ズボンのクラさん。
NHK佐賀放送局での遅くまで熱心に録音した思い出。
優しく厳しい先輩達の顔、
頼もしく可愛い後輩たちの顔が甦ってきた。
素晴らしい仲間たちと共通の目的、価値観で過ごした三年間は、そのまま私の貴重な財産なんである。
倉崎先生は今年米寿を迎えられるという。
久しぶりに合奏部の同窓会も開催される予定のようだ。
旧交を温めたいものだ。
それでは、その曲をYoutubeから見つけてまいりましたので、是非お聴き下さいませ。