その人が我が家の同居人になったのは、蒸し暑い7月からだった。
7月22日、その人の誕生日に一緒に市役所に行って戸籍書類上の手続きを済ませ
武雄神社の大楠の前で指輪を交換して、
その人とは晴れて世にいうところの夫婦と相なったのである。
それから4か月が経過、暑い夏も秋が通り過ぎ、木枯らしの季節となった。
まわりの人からは
「新婚気分でいいだろう・・・・。」とか
「これで、老後も安心ね・・・・。」とか
「若い嫁さんで体が持たんやろう・・・・。」とか
中には驚くべきことに・・・・・
「実は秘かに想っていたのに・・・・。」とか
いろいろと反応があった。
まあ、新婚気分なんて、若い美空ならばともかくも、そんな浮ついた気持ちになろう筈もなく
年金に期待が持てない老後はまだ遠く、いつまでも働かなくてはならないと思っているし、
体は正直で、下半身の衰えもそこそこで、単なる小便を排泄するだけの道具に成り下がっていたし、
というところである。
同居人たるその人は、気真面目で純粋で、他人の悪口を云わず、その点は頗るつきでいいのだが、
一緒に生活するとなると、
ピアノ弾きの夫というのは、食後にワインなんぞを呑みながら、優雅にピアノを、しかも私だけに奏でてもらえるものだと思っていたが・・・・・
けしてそんな余裕など無いんである。
ピアノ弾きはおっとりしているように見えて、神経が細く尖っている時もあり、
反面、意外と短気なところもあり、ドジでノロマなところもあり、
洗濯が大好物なのはいいにしても、真っ白のシャツは草木染めみたいになるし、
おまけに料理などはあくまで主観なのだが、私の方が遥かに上手いと思っているくらいにレパートリーに差がある。
お風呂などは優に一時間はかかり、私はしばしば、浴槽の中で溺れ死んでいるのではなかろうかと心配するくらいに長風呂を愉しむし。
今までの生活習慣からか、自由になる夜中にささやかな自分の時間を愉しんできたという完全夜型のその人は、
何度注意をしても寝るのは2時近く・・・・・。
そんなことが高じて時々、日常の些細なことで喧嘩したりもするのである。
それでも、いつも心の中で「フフフッ・・・!」と笑っている私。
一人暮らしが長かった私には、この同居人の出現が面白くて仕方がないのだ。
その人のちょっとした仕草、
疲れた子猫のような鼾
人からものを頼まれると、けして嫌とは絶対に云えず、
結果、色んなことを小さな体に背負込み、いつも何かに追われているその人。
しかし、そんな日常と、他愛もないその人に、間違いなく癒されている自分が居る。
ああ、思い切って再婚して良かったと思う。
そして、この小さな幸せを大切にしていかねばと思わされている。
少なくとも介護のための結婚と思われぬよう、いつまでも元気でいなくてはと思うのである。
心に愛を、唇に唄を
という言葉を思い出しました。ありがとうございました。
息子のをちょっと拝借して訪れてみたら、マアなんと11月にしては寒過ぎる気温に震えていたらなんと暖かいお話が・・。
奥様も人生を楽しんでいらっしゃいますね。笑顔が素敵です。メンバーに同窓生の顔も見る事ができます。彼女もいい顔です。心にも歌を持っている人の笑顔は素晴らしい。