花には実は「はからい」というものが無いのである。
山奥の誰も来ない、誰も見る者がない断崖絶壁に咲く花は、何の評価も、賞賛も与えられないのに、ただひたすら咲きみだれ、時節が到来すると黙って萎み、そしてやがて枯れていくのだ。
仏教の教えにある「無為不待・むいふたい」という言葉がそのことを云う。
ただ黙ってひたすらに咲いているのだろうか。尤も、私はすでに枯れかかってはいるのであるが。
しかし、花に教えられることの何と多いことか・・・・。
花は私たちに安らぎと癒しとを与え続け、何の見返りも求めないんである。
一方的に愛を与え続けるんである。
あれも欲しい、これも欲しいと欲だらけの僕と違い・・・・。
ただ太陽を向いて、ひたすら咲ききるのみ。
とても判り易く、素敵な生き方ではないか・・・・。
しかもよく見ると同じ種だとはいえ、夫々に個性がある。
おもしろい・・・・・・・。
スーパーマリオみたいなパンジーもあるのですね。
そしていつも思うのですが、一体誰が造りたもうたのか・・・・。
創造の神の巧みさにはただ驚嘆あるのみ。
春を生き切る、可憐な花に学ぼうではないか。
日々を懸命に生き 自分の為に時を費やす事なく、自己の命を粗末にせず、毎日を正しく生きねばならない。
月日の経つのは 飛ぶ矢より速い、人間の命は露よりもろい。
いたずらに 100歳生きるのは残念なことだ。
この1日の身命を尊まなければならない。
私も 精進して生きなければと思います。
風竿様 いつも 素晴らしい写真とメッセージ ありがたく受けとめさせて頂いてます。合掌
まさに咲ききるという意味だと思います。
こうあらねば・・・という強い想いはやがてキュークツになりますよ。
気楽にいいんです。
でもちゃんと風が吹いても、雨が降っても、咲いている・・・そんな花になりたいものですね。